2016年12月02日

亡き永源遥氏の葬儀が青山葬儀所で行われた。

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正面にリングを形取った花ばなに囲まれた中に本人がはにかむようにたっている遺影、赤コーナ青コーナと花で飾った三本のロープがレスラ―永源遥の現役時代を彷彿させる、はにかむように立っているが一言言いたそうな彼の人間性が出ているような気がする、








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たくさんの人たちがお通夜に参列してくれたのも彼の人柄を表していると思います、プロレス関係者の方々も来て居て自分に挨拶されても分からない人たちが居た、それだけ彼の付き合いが有ったと言う事だろう、政治家芸能界スポーツ界そしてプロレス界も現役から元関係者などからとたくさん来ていたよ、







今日は本人が創立以来関係しているプロレスノアが試合が有り選手たちはきて居なかったが明日の葬儀には来てくれるのではないだろうが?彼を知ってるレスラ―又関係者は個々に思いでもあるで有ろ、思いおもいの心で話しをするのに来るだろう、おーい遥みんなが来てくれたよ、寂しくないからゆっくり眠ってくれよ、又合う日まで!ゆっくり休んで下さい。

g_kojika at 19:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年11月30日

死去した永源遥さんへのアクセスが多く改めて、

自分が発信したこのニュースの反響が余りにも多く改めて彼の事を皆さんに話したいと思います、彼とは古く1970年9月にアメリカより帰って来た時に確か後輩の安達選手から紹介されたと思う、自分と安達選手は大相撲-出羽の海部屋で彼は立浪部屋の出身です、彼らは仲良く何時も一緒だったと思う、








当時日本プロレスには合宿所がなく各人がアパートを借りて居た、先日も此所で話したが永源選手はたくさんの若手を面倒見て居たがその後合宿所が出来て代官山に移る事に成る、その頃はビルが二棟有り順風満帆でも有った、間もなく猪木さんが東京プロレスを旗揚げをしてからプロレス界が波乱万丈の時代に入って行く、








永源選手も確か6団体を渡り歩いていると思います、やはり団体を変えるといろんな苦労が有ったと思うが彼の気安さで意外と皆に迎えて貰って居た、自分の場合は何処の団体に居ようが付き合い方が同じく良い関係だった、ここ何年間はお互いに元気か?簡単な会話を話しては身体に気を付けてナアと!








最後に逢ったのは10月頃後楽園ホールのノア大会の時、何時もの世間話から始まり彼が小鹿さんもう歳なのだからもうゆっくりして下さいよと、もし何か有ったら俺が葬儀委員長をやりますのでと大笑いして居たから自分も何を言って居るんだよ人間には順番は無いんだよとやり返して言葉を思い出している今です、彼の亡くなられた事は誰もが信じられないでしようが自分も同じです。心から御悔やみを申し上げます。

g_kojika at 16:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年11月28日

緊急-又訃報が飛び込んで来た、永源遥が:~~

突然のニュースでビックリしている、今から数時間前に亡くなったとの事、亡き永源遥とは日本プロレス時代からの付き合いが有り先日も電話で元気ですか?等個人的な会話が主だった、








彼は日本プロレス時代に若い者を自分のマンションに泊めて面倒を見たりしたりしていた、たしか藤浪選手も彼のマンションに居た期間が有ったと思う、お互いに日本プロレスの選手だった頃の話しを思い出しては昔ばなしに華を咲かせては大笑いして盛り上がって居た、








真面目な彼はノアの大会がある時などには後楽園ホールで忙しそうに居た時には後ろから近くに行って冗談を言えばにっこり笑って言葉を返したりと逢えばお互いに健康には気を付けようなと励まして居たが残念で成らない、御冥福をお祈り致します。

g_kojika at 20:30|PermalinkComments(3)TrackBack(1)