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1: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:39:10 ID:FoG1FjOE

 ある日の夜、慕はいつもより静かなリビングで独り夕食を摂っていた。
 テーブルの上にはいつものように慕の手料理がきれいに並べられている。
 栄養バランスから盛り付け、彩りまで考えられたそれは、とても中学生になりたての
 少女が作ったとは思えない出来ではあるが、慕は一つだけ失敗を犯していた。

「また作りすぎちゃった……」

 慕はため息混じりにそう呟く。今夜は耕介が出張に出ており、家に帰らない予定なので
 自分の分だけでよかったにも関わらず、気付けばいつもの癖で二人分の夕食を
 作ってしまっていた。

(作りすぎた分は朝ごはんとお弁当に回すからいいけど……
  やっぱり、一人で食べるごはんは美味しくないなぁ……)

 独り黙々と箸を進めるが、料理は味気なく、リビングも心なしか寒々しく感じる。

 以前から耕介が出張で家を空ける事はあったが、ここのところその頻度が多くなっていた。
 それに加えて、前なら日帰りで行っていた出張先でも、最近は泊まりで行くようになった。
 慕は、もしかして自分は避けられているんだろうか、何か嫌われるような事を
 してしまったんだろうか、と不安に思ったが、耕介はそんな様子を全く見せずに
 これまで通りに接してくれている。
 もう一つ変わった事といえば、慕が友人を家に呼んだ時に耕介は入れ替わるように
 出掛けるようになった事。小学生の頃から何度も家に招いた友人達もそれに関しては
 不思議に思ったようで、友人の一人である石飛閑無は冗談っぽく

「彼女でも出来たんじゃねーの?」

 と言っていたが、慕はもしそれが本当なら、自分への態度は変わらないのに
 家を空けようとする事への説明が付いてしまう事実にちくりと胸が痛んだ。




2: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:40:10 ID:FoG1FjOE

(叔父さん優しいし、かっこいいから……)

 慕は耕介にいつ恋人が出来てもおかしくはないとは思っていた。だが、これまで
 そういった話がなかったのは、もしかして自分がいるせいなのだろうかと考える。
 もしそうだとしたら、まるで自分が耕介の人生の足かせになってしまっているようで辛かった。

(だったら――)

 いっそのこと別々に住んだ方が耕介のためだろう、という結論には行き着いたが、
 同時に慕の目にはじわりと涙が浮かび、視界を滲ませた。
 慕もその結論が理屈の上では正しい事は分かっている。
 高校へは耕介の負担にならないように特待生として進学し、寮生活をする事を考えていたが、
 それはまだ先の話で、今は唯一の家族になってしまった耕介から離れたくなかったし、
 そこに、また一人きりになってしまう不安、耕介を誰かに取られてしまうという
 焦りにも似た感情が綯い交ぜになり、正しさとの折り合いが付けられなかった。
 涙で潤む瞳をごまかすように慕は料理を口に運ぶが、無理矢理涙を押し込めたせいか、
 胸が締め付けられて食事が喉を通らない。
 大きなため息を吐き、行儀が悪いと思いながらも箸で料理を弄ぶようにしていると
 玄関から鍵の開く音と、耕介の「ただいま~」という声が聞こえてきた。

「予定が変更になったからホテルキャンセルして帰って来ちゃったよ」

 そう言いながら耕介が廊下を歩く音が近付いてくる。
 慕は慌てて目に浮かんでいた涙を拭い、いつも通りを装って出迎える。

「叔父さんおかえり。ごはんは?」
「うーん、腹は減ってるけど……今から慕が俺の分作らなきゃいけないなら無しでいいかな」
「じゃあ、ちょうど作りすぎちゃったし、私も今食べてるところだから一緒に食べよう?」
「ああ、そうだな。そうしよう」

 慕の提案を耕介は嬉しそうに了承し「あー、腹減った~」と言いながら
 リビングに向かって歩を進めて行った。



 
3: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:40:56 ID:FoG1FjOE

「やっぱり慕のメシが一番美味いな!」
「もう…出張先で美味しいものいっぱい食べてるのに」
「それはそれ、これはこれ。慕、おかわり」
「はいはい」

 二人は他愛のない話をしながら食卓を囲み箸を進める。
 耕介は「慕のメシが一番」という言葉を証明するかのように、次々に料理を胃に納めいく。
 先程よりもずっと賑やかで暖かい食卓と、耕介の食べっぷりに慕は自然と笑顔になり、
 きっと自分の考えていた事はただの取り越し苦労で、しばらくはこの生活が送る事が
 出来るのだと安堵した。そのおかげか落ち込んでいた食欲も戻り、二人の前の料理は
 みるみる内になくなっていった。

「ごちそうさまでした、あー美味かった」

 全ての料理を平らげ、耕介は花が咲くような笑顔でそう言うと、慕と一緒に片付けを始める。
 洗い物をしている慕の元に耕介が食器を運ぶ。一見慕の負担が大きいように見えるが、
 一度耕介が食器を洗った際にシンクを水びたしにしてしまい、余計な手間を
 増やさないためにも二人で話し合って決めた役割分担だった。

「これで最後な」

 そう言って耕介が慕の手元に食器を置くと、慕の胸が再び締め付けられ、
 それに釣られるように食器を洗う手が止まった。

 耕介の身体からは、今まで嗅いだ事のない、甘い香水のような香りがしていた。




4: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:41:47 ID:FoG1FjOE

 慕がリビングに戻ると、耕介はノートパソコンを取り出し文章を打ち始めていた。

「はい叔父さん、お茶」
「ああ、ありがとう」

 動揺を隠して耕介に食後のお茶を差し出す。
 耕介はキーボードを打つ手を止め礼を言ってそれを受け取ると、しばしの間
 慕の顔を見つめた後、ディスプレイに視線を戻した。

 リビングには耕介の打つキーボードの音だけが響いている。
 いつもと同じ白築家の夕食後の光景。だが慕にはいつも通りのこの沈黙が重くのしかかり、
 息苦しささえ覚えていた。
 慕は話を切り出すきっかけを探して耕介の方をちらちらと伺うが、耕介はディスプレイから
 目線を上げずキーボードを打ち続けていて、なかなかそれが掴めない。

(私が何も言わなければ、今まで通りの毎日が送れるのかな……)

 慕は耕介に疎ましく思われていると感じた事はなく、むしろ、いつも優しく見守られ、
 大事にしてもらっているのを感じていた。

(だけど、叔父さんは優しいから……)

 優しいからこそ、耕介が自分の事を後回しにしてしまっているのではないかという疑念は拭えない。
 様々な可能性が頭をよぎり、絡まり、不安ばかりが大きくなったそれを整理する事は慕には難しく、
 テーブルに視線を落として、痛む胸と溢れそうな涙を堪える事しか出来なかった。

「慕……何か辛い事でもあったのか?」

 しばしの沈黙の後、ふいに声を掛けられた慕が顔を上げると、耕介が
 心配そうな顔で見つめていた。

「隠そうとしてたみたいだから、触れない方がいいのかと思ったけど……もし話せる事なら――」

 耕介は少し困ったような顔をして、優しい口調で宥めるように慕に話し掛ける。
 その表情と言葉に堪えてきた涙は堰を切ったように溢れ、それを隠すように
 俯くが、溢れた涙がぽたり、ぽたりとテーブルを濡らしていった。

「…わ、私……叔父さんの、ふ、負担になってないかな……」

 涙に釣られるように、言い出せなかった言葉がぽろりと口からこぼれ落ちた。




5: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:43:55 ID:FoG1FjOE

 静まり返ったリビングには慕のすすり泣く声だけが響いている。

(え、え、どういう事!?)

 耕介は事態が飲み込めず、ただただ愕然としていた。
 負担を掛けられるどころか、自分の方が慕の負担になっているのではないかと思っていた。
 頭の整理が追いつかないまま、何があって慕がそう思ってしまったのかを考えても
 それらしい理由は全く浮かんでこない。

「慕、俺はそんな事思った事もないぞ」
「……本当?」
「ああ、本当だ。誓ってもいい」
「でも――」

 耕介は自身の偽らざる本音を慕に伝えるが、慕はそれを信じ切る事が出来ず、
 自分の中に生まれた仮説を口にしていく。

――自分がいるせいで耕介はやりたい事を後回しにしているのではないか。
――自分がいなければ耕介は思うままに生きる事が出来るのではないか。

 誰にも言えずに自分の中で渦巻いていた思いを、恐怖と不安と共に吐き出していった。
 

「ごめん…俺、保護者失格だな……」

 慕の話を全て聞いた後、耕介は絞り出すように謝罪の言葉を口にする。
 その言葉に慕は涙を拭いながら、ふるふると首を横に振ってくれている。だが、
 親らしい事を何もしてやれなくて、せめて少しでも慕がする家事の負担が少なくなればと
 思ってしていた事が、結果は慕を不安にさせただけだったと知った耕介は
 自分の浅はかさを恥じ、不甲斐ない自分を許す事が出来なかった。

「前に慕は“家事は気にならない”って言ってくれたけど、それでも俺が慕に負担を
 掛けてるんじゃないかってずっと思ってたんだ。だから家を空けるようにすれば、
 少しは負担が減るんじゃないかって……
 それに、女の子は年頃になれば友達の男親なんて疎ましく思うものだから、
 俺が家にいる事で慕に肩身の狭い思いをさせるのが嫌だったんだ」
「そんな事……私もみんなも思わないよ……」
「いい子達ばかりだからそうかも知れないけど……そもそも俺が家にいなければ
 そういう問題も起こらないしな」

 耕介は自身への苛立ちを表に出さぬように努めながら、これまで取ってきた行動の理由を口にする。
 大人の耕介とまだ子供の慕とでは見えているものも考え方も違う。
 けれども、どちらの考えもそれぞれの立場からすれば正しく、それでいて交わる事はない。
 リビングは再び静けさを取り戻し、重苦しい沈黙が流れる。




6: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:45:34 ID:FoG1FjOE

「……それじゃあ、これまで通り慕に家の事をお願いしてもいいか?」

 どちらも正しくて交わらない並行線の意見でも、自分の考えを突き通す事で
 これ以上慕を悲しませるわけにはいかないと、耕介は自分の考えを曲げ、慕に歩み寄った。

「う、うん! もちろん! それと、みんなが遊びに来ても家にいてね?」

 慕は耕介の言葉に瞳に涙を湛えたままではあるが、キラキラとしたいつもの笑顔で答え、
 耕介はその笑顔に胸を撫で下ろした。
 先程までの重苦しい雰囲気も消え、リビングには穏やかで、温かい空気が戻っていた。

「あ、でも……恋人がいるんだったらもっと早く教えて欲しかったな」
「へっ!? 恋人なんていねーけど……」 

 慕は軽い胸の痛みを感じながら、平静を装ってそう切り出すが、当の耕介は
 呆気にとられたように言葉を返す。

「えっ? ……本当に?」
「本当だって……前にモテないって言ったろ?」
「だって、香水みたいな匂いが……」
「あー…新幹線の隣の席に座ったオバサンがかなり香水きつくてさぁ……そんなに匂うか?」

 その言葉と自分の身体をくんくんと嗅いでいる耕介を見て、慕はこれまでの事が
 全てただの勘違いだったと気付いた。
 ボフッと音が聞こそうな程、見る見る内に慕の顔は顔を赤く染まり、ついには
 恥ずかしさに耐え切れなくなり、それを隠すようにテーブルに突っ伏してしまった。

「……なぁ、慕。自分で言ってて悲しくなるけど、俺、モテるタイプじゃないからさ……
 そんな事心配するなよ」

 慕は耕介の言葉にすぐさま反論したいところではあったが、顔どころか耳まで燃えるように熱くて、
 とても顔を上げる事が出来ない。

「…そんな事ないもん…叔父さん優しいし、かっこいいよ……」
「お、おう? ……そう言ってくれるのは嬉しいけどさ、実際にはモテないから安心しとけ」

 それでも呻くように反論をすると、耕介は一瞬驚いた様子を見せたが、そんな事はないと
 慕を宥めるように言い聞かせた。
 
(恋人はいないんだ……よかった……かな?)

 そう思うと未だ熱を帯びている顔が更に熱を持って、胸が高まるのが分かった。
 自分の被害妄想のような勘違いを笑う事なく宥めてくれた優しさと、耕介に恋人がいないと分かった
 安堵で胸が一杯になり、先程までとは違う種類の涙が溢れそうだった。




7: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:47:48 ID:FoG1FjOE

「ほら、もう遅いから寝ないと。明日も学校だろ?」

 しばらく時間が経ち、ようやく慕がテーブルから顔を上げた頃、耕介は慕に床に就くように促した。
 慕が壁に掛かる時計を見上げると普段慕が寝床に入る時間をとうに過ぎていた。

「本当だ、もうこんな時間……」

 慕はちらりと耕介の顔を伺う。

「ああ、俺ももう寝るぞ。ちょっと香水臭いみたいだけど、風呂は向こうで入って来たし」
「それならさ……」

 慕はその後の言葉が紡げず、もじもじとしている。
 耕介は一瞬「トイレか?」と口走りそうになったが、寸前でそれとは様子の違う事に気付き、
 その言葉を呑み込んだ。言い淀む慕の口から続きが語られるのを待っていると

「今夜は……一緒に寝てくれないかな?」

 しばしの沈黙の後、意を決したように話し始めた慕の口からは思いも寄らない言葉が飛び出した。




8: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:48:43 ID:FoG1FjOE
 
 耕介の部屋には二組の布団が並んで敷いてある。
 慕は「この前ソファで寝た時みたいに一緒の布団がいい」と申し出たが、耕介はそれを
「それはそれ、これはこれ」とやんわり断ってこういう形を取る事になった。

「それじゃ電気消すぞー」
「はーい」

 耕介が布団の中からリモコンで照明のスイッチを切ると、しばらくは出張の事や学校であった事などの
 話をしていたが、次第に話す事もなくなって沈黙が流れる時間が多くなっていった。

「……ねぇ、叔父さん? 手を貸してくれる?」

 そう切り出した慕の少し眠そうな声には真剣な色が混じっていた。
 耕介が言われるがまま手を差しだすと、慕はその掌に自分の手を重ねた。

「もしまた今回みたいに悩んだら、一人で決めないで私に相談してね?」
「……ああ、分かった。約束するよ。慕も俺が邪魔だと思ったら言ってくれよな」
「思わないよ、そんな事……」

 耕介は掌の中の小さな手をぎゅっと握りしめながら、誓うように答え、
 慕は月日が経っても自分の気持ちは変わらない、と淡い恋心を込めて耕介に告げた。
 部屋は暗く、顔を見る事は叶わない。けれど、二人には相手がどんな表情を
 しているのかが手に取るように分かった。

 つないだ手からお互いの温かさが伝わる。
 二人はすれ違って空回りしていた何かが噛み合って、元通りに動き始めたのを感じていた。


【おわり】




10: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:50:05 ID:FoG1FjOE

くぅ疲
自給自足した

すれ違う想いっていいよね




9: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/30(土) 23:49:43 ID:TYqd.zQs

尊い…



 
12: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/31(日) 00:14:52 ID:l4y8V.dU

うむ(ご満悦)




13: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/31(日) 00:30:18 ID:pVTgMSa6

淡い恋心いい……尊い……



 
16: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/31(日) 01:01:03 ID:0I/L7HkM

たまらねぇぜ




17: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/31(日) 07:41:25 ID:GZI8p3Ms

正統派シノリチャ大事にしたい




14: 名前なんか必要ねぇんだよ! :2016/07/31(日) 00:30:51 ID:VzLK2vBM

正統派シノリチャほんとすき
叔父キチみたいな変化球が面白く感じられるのも王道があってこそだってはっきりわかんだね






http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/20196/1469889550/







一昨日発見したものの間に合わなかったので






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