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記憶 -4




 X月s日

 

 歯が折れる夢を見た。

 治療してくれたのは例のシェフだった。

 治療を終えたシェフは、まだものを食べられない僕の目の前に、美味しそうな料理を並べ出した。

 彼は、空腹に腹を鳴らす僕の目の前で、自らの作った料理を、さも美味しそうに食べ始めた。

 ひどくイライラして、文句を言おうとしたが、先ほどの治療に何か不具合があったのか、なぜかまったく口が開かない。ゼリー状に固められた歯茎が、口内に引っ付き、変な具合に固まってしまったようだ。

 それを見透かしたように、シェフが笑った。

「おいしいよ、これ」

 ……でも、仕方ないよね。

 彼は不穏に笑っていた。

 仕方ないよね。確認するように、もう一度、彼は言った。

 

「すべては、きみの責任なんだから」

 

 X月h日

 

 歯が抜ける夢を見た。

 おろおろしている僕をよそに、叔母がまた、フランス人形の服を着せ替えようとしている。

 なぜ、そんなに頻繁に着せ替えるのか、と訊くと、

「だって、すぐに染まってしまうんだもの」

 と、一言。

 

 ……わけがわからない。

 

 X月l日

 

 歯が抜ける夢を見た。

 さっきから、青い服を着たフランス人形が、じっと僕を睨んでいる。

 歯が抜け落ちてしまった僕を、嘲笑っているのだろうか?

 因みに、{睨んでいる}というのは、勘ではなく、確信。

 そういえば、僕はこの件の核心に、いままで触れようとしてこなかった。

 僕がこの人形を恐れる理由――いままでこの気持ちに向き合おうとしてこなかったが、僕はこのフランス人形が心底怖いのだ――……それは、僕の幼少期の出来事に起因している。

 七歳の頃、誤って、二つ年上の実姉を、歩道橋から突き落としたことがある。

 わざとじゃなかった。

悪気なんて、なかった。

ただの、遊び感覚でしかなかったんだ。高さ数メートルの橋から、砂利で敷かれた河川敷に突き落としたら、姉がどうなるかなんて、想像したこともなかった。

 時刻は夕刻だった。

田舎という土地柄もあり、その時、姉と僕を除いて、周囲には誰もいなかった。

 突き落とした直後、怖くなって、僕は駆け足でその場を去った。

いとも呆気なく、僕は姉を見捨てたのだ。

 

姉が発見されたのは、それから四時間後だった。

第一発見者は、当時地元で愛されていた某料理店のオーナーだった。

余談だが、彼はその直後、料理店オーナーを辞め――その時彼が目にしたものが、彼の中で余程ショックだったのか――、以来、この土地で彼の姿を見た者はいないという。

河川敷で、姉は放り出した四肢を歪に曲げた状態で、ぐったりとしていた。打ち所が悪かったであろうことは、一目瞭然だった。

とくに悲惨だったのは、血まみれの頭部と――同じく血にまみれた彼女の顔の状態だった。

どうやら姉は、顔面を地面に叩きつけるようにして落ちたらしい。発見された時の姉の顔はぐちゃぐちゃに潰れ――、

何より印象的だったのは、歪に飛び出た、赤黒い色に染まった歯茎と、皮膚を突き破って飛び出した、顎骨だった。

 

 今、僕のそばには例のフランス人形がある。

 青いドレスの彼女は今にも、赤く塗られた唇を開こうとしている。きっと、僕を怖がらせようとしているのだ。

 この人形が、本当は僕に何をしようとしているのか。

僕は、最初からわかっていたのかもしれない。

 

叔母が、どこからともなく現れ、

「さあ、着せ替えの時間よ」

 と、言った。


………

(続く)