短篇小説主流。 グロテスクホラー、ミステリなど。悪夢のような幻想、絶望を、あなたに。
ベルの音が…

 

 

 




 

 すっかり日が沈み切った、薄暗い路地。ここはネオンの明るさでさえ、よく届かない。

 真っ黒の、寒空の下。指先は既に凍ったように動かない。

「なんかね、最近。妙な音が聞こえるんです。鈴の音みたいな……いや、それより、あれは……もっと重い音色の……」まるで何かを追憶するかのような眼をして、真っ黒のコートを着た男は白い息を吐いた。「……いや。気のせいだな……」

 ……気のせいだ。

 呟いた男の声は、わずかな風の音にさえ掻き消されてしまいそうで。

 ふと、俯いていた貌を上げると。

 聞いてます?目の前の男は、表情でそう示した。

「……きっと、もうすぐクリスマスだから。こんな時期だから、ベルの音が聞こえるような気がするんじゃないかって。最初は、そう思ったんです。思おうとしたんです。でも、それも、おかしな話でしょ?……だって、媒体を通して耳にしているわけじゃないんですから。そこはかとなく、ベルの音が聞こえてくる。どこからともなく、音がしているような気がする。後ろからかもしれないし、横からかもしれない。いや、ひょっとしたら、天井からかも……」男はうっすらと笑みを浮かべてみせた。「……ねえ、どう思います?」

「……いや、どうって」

 正直、まったく答えようがなかった。

 そもそも、この男と自分は知り合いではない。まったくの赤の他人。時刻は二四時。仕事帰り、偶然に駅で一緒になった、それだけの関係である。

 ……ねえ。ベルの音が聞こえませんか。ほら……。

 どことなく怯えた貌で、そんな薄気味の悪いことを言われ、足を引き留められたのは、ほんの数分前のこと。

 ……気のせいですよ。そう一言、言えばよかったのだ。

「今の時期、ベルと言えば、普通は、クリスマス…幸せを連想する音色ですよね。その音色を聞いて、不安になる僕は……おかしいんでしょうか?」

 その言葉に、何も思う節がなかったと言えば、嘘になる。 

男が、あんまりにも不安な貌をして、俺を見るから。だから、うっかり答えてしまったのだ。

「……おかしくありませんよ。俺だって、同じです」

 同じです。言った途端に、なぜか気持ちが落ち着かなくなった。

「本当に?……」男はほんの一瞬、表情を緩めた。「そうですか、あなたも…。あの、よかったら、少し歩きませんか?寒いですけど……」

 無意識に頷いていた。

 体はとうに冷え切っている。しかし、心に生じたわずかな鉛を残したくないと、脳が咄嗟に判断したのかもしれない――俺はしばし、男の話に付き合うことにした。……それによって解消できる根拠は、何も無かったが。いや、むしろ――……。

「――僕ね、小さい頃住んでた家が、とっても古かったんです。外観は洋館風。でも、中は和洋折衷で、洋間があって、何畳もの和室があって、暖炉があって、こたつがあって……。庭には洋式の噴水がありました。対照的に、鯉の泳ぐ和式の池もあったりして。……とにかく、何もかもが、織り交ぜだったんです。僕から言わせれば、まるでへんてこの、ごちゃまぜ。それがいいのか悪いのか判りませんが、とにかく、広さだけは、ありました。

家の道路向かい側には、客人向けの広い玄関がひとつ――入ると、広間に繋がるんです――あって、ちょうど反対側に、家人の出入りに使う狭い玄関がありました。なぜか、そういうふうに決められていて、だから僕は、ほとんど客人向けの玄関を通ったことがなかったんです。たとえ遠回りになっても、僕は必ずと言っていいほど、その狭い質素な玄関から出入りしていました。もはや習慣になっていたのかもしれません。客人しかその玄関を使えない理由は、今でもよくわかりません。

僕、心の底では、客人が羨ましかったんです。彼らはいつも立派な玄関を通って、家に招かれる。でも僕は、自分の住む家なのに、質素な玄関からしか通れない。なんでだろうって。よく不満に思ったものです……」

「あの……」

 思わず話を遮ると、男は呆気にとられた貌をした。

「その、あなたの住んでいた家の様子はよくわかったんですが…」俺は男の眼をじっと見た。「いつ、出てくるんですか、さっきのベルの話は?」

「その、質素な玄関のドアなんですけどね」男はひとつ大きく白い息を吐いた。「しばらくの間は、そこに掛かっていたんです。古ぼけた、金色――といっても、ひどく色褪せた――の、ベルが。開けるたびに、しゃりしゃりと鳴るので、すごく耳障りだったんです。うるさいんですよ、毎日毎日。家のどこにいても、鳴っているのがわかる。父さんが帰ってくる時間帯、母さんが出かける時間帯、妹が出る時間帯、すべて、その音でわかるんです。もう、慣れた感覚です。まあ、僕にとっては、それが鬱陶しかったんですが。

 でも、ある日、ある時を境にして、ぴったりと、その音が無くなったんです。そう、母が死んだのを境に――……」

 一瞬の、沈黙。

「……どういう意味です?」乾ききった唇を開いた。「あなたのお母さんが亡くなった時に、ベルが壊れたということですか?」

「ベルは、僕が壊しました。母が亡くなる前に」男の眼は、俺を見ていなかった。「うるさくて、邪魔だった。鬱陶しかったんです。だから、壊した。二度と鳴らないように。そしてその翌日、母は家に押し入った強盗に殺されました」

 男は淡々と言った。

「昼間、ひとり家にいた母は、まったく気づかなかったんです。既に、ベルが鳴らないことにすら。後日、警察が家に入りました。彼らは、壊されたベルは、強盗によるものと断定した。誰も疑う者はいませんでした。容疑者は、呆気にとられた貌をしていました――無理もありません、彼はドアにベルがあることにすら、気づかなかった筈です――……そして、僕は、僕の罪を誰にも言えなかった。そう……僕が、母を殺したんです。愛する母を……」

 思わず固唾を呑んでいた。

 昏い空を雪がちらついた。

「……もう、あの家にも、どこにも、ベルはありません。でも……聞こえるんです。ベルの音が。今も、こうして……」

 わかっているんです、と。男は力なく言った。「……わかってるんですよ。あれが、幻聴ではないことを。ベルの音は、今も、確かに存在している。僕は、永遠に、逃れられない」

 ……軽く頭が痛いのは、寒さのせいだけではないだろう。

 男は不意に口を閉ざした。遠い眼をして…。

(続く)

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