我風展 オフィシャル・ブログ

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今回の作品タイトルは

2seconds




2秒間露光をかけた
写真たちが展示されました。








ふつう長時間露光をするといえば三脚を立てて対象がぶれないようにしますよね。
でも2秒を手持ちの望遠レンズで撮ったら 
こんな世界が現れたんです。


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そんな説明がなくとも

きれい♡
かっこいい
などと人気でした。



ご覧になった方の中には


同じことをしたんだ
光が重なっていくたびに
世界は透明になって
輝いていくんだ。

などと感慨深げに話された人も。

光が重なるたびに
透明って気が残る。
と語られた人も。



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2秒ってどんな時間かなって
思ったら

心臓が二回
ドクン・ドクンって
いうんですね。

人間にとったらすごく短い時間なのに
カメラにとったら
メチャメチャ長い時間。

との感想も。



ちなみに
一日 86400秒
一年 31536000秒
男性の平均寿命  2547793440秒(25億5千万秒)
女性の平均寿命  2745208800秒(27億5千万秒)

天寿を全うするとなると人はとてつもない「秒」を過ごしちゃいます。


でも、例えば飛んでいる雀の羽の動きを止めようと思うと
1/1600秒でギリギリ静止。
出来たら1/2000秒でシャッターを切りたいと思うわけですから
雀の撮影とでは実に4000倍の時間がここには映り込んでいるのです。

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僕はいつか
何にも写っていない
写真を撮りたいんです。

などと
アラカワさんは言うのですが
なんにも写っていない写真って
どんな写真かなって
いくら想像力をたくましくしても「?」ですが
いずれそれを出したいのだそうです。




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この写真は新宿駅

まるでマティスの「ダンス!」
みたいに人々が
踊り狂っているように私には見えました。

撮ったまんまなんですよ。
彩度とか色味とかは
調整しましたけれど
描いたり加えたりはしていないんです。




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画面に残っている光跡は
アラカワさんの心臓の鼓動であり
筋肉の揺れであり
この光景を見ていた
アラカワさん自身の眼差しかもしれません。















既存のやり方だけに縛られない。
だから容易に発想を違えらる。
毎回意表を突かれる作風の転換は
アラカワさん
撮りたいと思うことにこそ誠実である、その姿勢から生まれるのかもしれません。


荒川さん2













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今年のプロフィール写真もセルフです 
おおむかしのヒロミックスの自写撮見たいな気分で
束の間モデルを楽しみました

それはさておき
今回のテーマは雀。
それも日本画の名画によせて作品を作ったとのこと。
シュー・ヤマモトのキャットアートと
マイケル・パトリックの名画に忍び込んだ猫を合わせたような企画でした。
ヤレヤレ


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俵屋宗達の風神雷神図
から
風chun雷chun








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加山又造の千羽鶴から

百雀図

実は5匹ほど
同じ雀がいますが
本当に100羽いるとか。









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尾形光琳の
紅白梅図から

紅白梅雀図









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速水御舟の炎舞から 炎舞

宮本武蔵の枯木鳴鵙図から 枯木鳴雀図



さて会場で良くありました会話は
如何に自分が雀loveであるのかと言うお話と
雀が減ったというお話と
雀に餌付けをしている かわいいというお話と
何で雀かというお話でした。


これが難しいのです。
何で○○なのか。

登山家のジョージ・ハーバート・リー・マロリーの
なぜあなたはエベレストに登りたいのかとの質問に
そこに山があるから(Because it's there.
みたいな答えしか出てこないのです。
そこに雀がいるから(Because it's there.
あるいは
やりたかったから(I wanted it.)

それでなんとかお答えできないものかとあれこれ考えを進めていくうちに
なぜこれか という答は時に後付け的なんじゃないのかと思ったのでした。
それから
それが美しい花の写真や山の写真ならば
誰もそんな質問はしないのかもしれないと思ったのでした。

でもまあ あえていうのならば
大好きな日本画へのリスペクトと大好きな雀への愛を込めて
そんなところになりましょうか。


理屈を超えた衝動が時代を揺るがすことはたくさんあると思うのです。
先のヒロミックスだって突端はコンパクトカメラで撮った彼女に日常なわけです。
なんでとかどうしてといわれても
彼女が感じた世界の現れがあの画像だったわけです。

つまるところ 様々な作者の、様々な作品の
その感じる 思う と言う気持ちを
感じられる自分でいられたら
素敵だなあと思ったわけです。

理屈を超えて 好きとか素敵とか
解るとか 共感できるとか 感じるとか 
なにかこうかっこよい言葉じゃない部分で
ビビーンとこれたらいいなと思います。

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やっぱり自分のことを書くのはちょっと苦手。。。笑




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今年も老若男女を超えた人気を博していた角次郎さん
人気の秘密はたくさんあるのです。
まずはデジタルアートに取り組み始めたのは75歳の手習い。まだ6年。
至って姿勢が良く丁寧でわかりやすい解説をしてくれる。
ウィットの効いたおもてなしをしてくれる。
だまし絵のように立つ位置によって表情を変える作品の魅力。
etc・・
素敵だなあと思います。
ついでに奥様がマッシュマロのような柔らかな感性と表現の持ち主で
会場に花をそえるのです。


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 叢(むら)

叢とは草むらのことであり
むれているものへの称

この絵が出来る
プロセスが会場に
展示してありました。






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その草むらの世界に
人工的な陰影を付け
オリジナルな世界へ
転換させるのが
角次郎さんの
マジックです



そこには

写真で得られなかった表現を
写真の良さを残し
絵画や版画の
画法描写で
作成しています


とのこだわりが
通底しているのでした。






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何はともあれ
例えば蛇の目傘の
この画像を
拡大してみましょう




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画像の右上方からの照明を表現しているのが
こうした点描であり
分断され単純化された色域の縁に付けられたクマなのです。
(もちろんもっと細やかな配慮はたくさんあるのですが)

こうして私たちは人工的に付けられ影に
強烈な立体を見せつけられることになるのです。



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「ダッシュ勝平」の「見たいもの見たい」じゃありませんが

タイヘンタイヘン・・・
見たいもの見たい・・・
ハッキリしないからちょっと近づいた
・・・・
スッキリしないからジッと見つめていた
疑問がわいたからもっとくっついた・・・
見たいものは見たい・・・


見たいを描きたいと替えれば
写真で描きたいものを描きたい・・・のです。
それは
写真で描くこと(角次郎さん言うところのデジタルアート)の
本質的な境地に近いかなあと思うのです。

角次郎










写真はカメラを使って撮ります。
カメラが開発されてこの方ずっと
写真家はカメラの目で世界を見わたし、
カメラの目を使って自分が表現しようと思った世界を表現してきました。
それは人の目を超えた表現世界を押し広げる力であると同時に
カメラやレンズからの制約を受けることでもありました。

ですから、もっと自在に取りたいものが映る世界を!と
私たちの先輩たちはたゆむことなくカメラやレンズ、フィルムなどの開発をしてきました。
先人の努力が稔ってデジタルの時代になって
様々な画像処理ソフトも開発され
もっと自分の心に近い表現が
誰にでも出来る時代になりました。



21世紀は感性の時代と呼べるかもしれません。
なにを見たのか
どう描けたか


心の目が時代を創成していく
そんな時代なのかもしれません。



内界(自分の心の内)のイメージを外界に照射して描き出す「心のリアリズム」を目指す。
とのことで 今回のタイトルは
「佇むものたちへの頌歌(しょうか)2」


路傍に黙して佇むものたちが、呼びかけてくることがあります。
徘徊する撮影者に巡り会ったことを嬉しがるように……。
その時、佇むものたちは、比類のない主役となるのです。

欣求異土シリーズの11作目となります。

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ちなみに・・・



「欣求異土」シリーズについて
「欣求異土」は、仏教の言葉である「厭離穢土 欣求浄土」から拝借しました。
「汚れた娑婆から離れて、清い仏国土に往生したい」という意味合いといいます。
ここから「欣求」という言葉をいただき、「異土」という言葉と結びました。
異土とは、心の内に現れてはきえ、浮き沈みするイメージ。時には鮮烈な光芒が
刺し込み、艶やかな色彩が広がり、あるいは暗い風景が静まっています。
 このような内界のイメージを外界に照射して作品化する構えを心のリアリズムと
合点し、作成の日々を遊行しております。
とのこと。





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今年も極彩色に攻めてきました。

真っ青な世界に顔を出しているのは草。青は雪。





コンデジで撮影した画像をWindowsの規定ソフトで変換。見慣れた風景が大伽藍の色彩に染まっていくのです 

















単純化されたが故に それを見た人の想像力が炸裂します。
そして、その想像力をより楽しくしてくれたのは 
毎日在館し丁寧に説明し続けた作者自身でした。

今日も我風展をご覧いただいたお客様から
青木さんの説明が丁寧であまりに面白くて 
何よりも熱心だったことが心に残りました。
などとお話をいただいたのでした。 



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ガラスの窓に落ちた紅葉が
水をまとっている
艶やかな色や































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杜がぶれて輝いている
木漏れ日の軌跡であるとか




多分に日常の中に
織り込まれている
美に気がつくこと 

それが
欣求異土の本質かもしれません。


すでにこの世のものとは
思えない美のかけらを
街角で拾い集め

PCという
魔法の玉手箱で 
異界に誘う。








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その途端
朝顔のメタボリックな曲線が
異世界へのゲートを開けるのでした 



























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特別ではないことの
特別に気がつくこと 


それは対象への愛に他ならず
変化の兆しに
敏感である
視線の確かさでも
あるのでしょう




















佇むとはそこに落ちている葉っぱへの頌歌でもあり 
日常に開いている異世界に気がついて 
佇んでしまった人への礼讃でもある気がしてならなかったのです 


人の心を捉えて放さない普遍的な世界の変容兆候を
見てしまったものは
佇まざるを得ないのでしょう。

佇むの意は久しく立って待つことであり
待って従うことであるのです。

 

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展示の冒頭から正面を向いて飛んでくるトンボの写真と 
その下に撮影データ 
その下に自己紹介が来るのです。 
小さな生き物たちへの想いは並外れて深いのだと思います。


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翁草に止まるヤブキリの幼生 5㎜ぐらいですか?と聞くと
二齢虫にはなっているから1㎝ちょっとかな 
と直ぐさまお返事が帰ってくるのです 

ほらカメラをもって歩いていると
カメラの目になって あちこちのぞくじゃないの 
そうすると初めて見えてくる命の営みがあって 
そうした営みは本当に身近な所にいっぱいあって 
ああ頑張っているんだね!と嬉しくなってね 

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元来生き物たちが大好きで 
それが故に生き物の命を支える仕事をしてきたとか 
少しもぶれることなく歳を重ねてきたことに 
どうしたって敬意をいだいてしまう 



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熱心に見入る人も多く 
知っているけれども知らない世界の 
あるいは(時に大嫌いな)虫たちの見せる美しい光景に 
驚きを感じていたようです

好きになるということの 
小さな驚きから始まる興奮は
静かに人生の縁を彩り 
ある日 ああ幸せだ との感慨を連れてきます 

見つめ続けること 伝え続けること 
温め続けること 
の大切さをいつも胸ポケットに育てている
そんな作家でもあります



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1985年生まれ。長野県安曇野市在住。数千年、数万年の時を彷彿とさせる未開の地に分け入り、そこに生きる動植物の風景を撮り、伝えることを生業とする。「人はそれぞれに異なる価値観を持ち、日々違う世界と向き合っているが、実は皆、悠久の自然とつながっている。そう感じた時、誰もがある種の安心感を得られるに違いない。そう信じる気持ちが、私の活動の礎になっている。今後も、人々が日常生活の中でも自然とのつながりを感じ、すべての命をはぐくむ地球に思いを馳せる被写体を求めて、道なき道を進んでいきたい。

「地球を伝える」写真家 佐藤大史 




とプロフィールに記しました 
幼いころから動植物が好きで 
気が付くと裸足で野山を駆け巡っているような子供だったとか 
ともかくぴゅーっと走っている、元気いっぱいの弟でした。
とお姉様が目を細めるのです。
小学校に上がると父親に連れられて北アルプスなどを登りました。 
自然の素晴らしさや人もまた自然の一部として悠久の時とともにあることを習ったのはお父様からでした。
ご両親は今回の展示で催されたギャラリートークを聞きに
東京都から泊まりがけて来て下さいました。
そして今いだき温めている志と行動に
「私の誇りです」と述べられました。
親御さんですから思うこともおありなのでしょうが
そう伝えられる父親の愛の深さに私は心打たれたのでした。

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市民ギャラリーの入り口から佐藤さんの作品はどでかく臨めました。 



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1.12メートル × 4メートル 

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人を配すると大きさが良くわかります。
この大きさですから1枚プリントするのに5時間かかるのだそうです。
安定した出力にはとても気を遣ったと出力をした
カラーズフォトの小澤さん(店長)が仰っていましたが 
本当に美しいプリントでした。

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土曜日作品を前で行ったギャラリートークも人気でした。
厳寒のアラスカを5日間歩いて撮影ポイントに着く 
増水した川に阻まれて帰路を絶たれた話 
などなど臨場感あふれるお話がくり広げられました。 




この六月からアラスカ
来年一月アラスカ 
7月からアフリカ・・・

まだまだ地球を巡る旅も そこから得た「何か」を伝える活動も続きます 
次はどんな宝物をみつけてくるのでしょうか
 

佐藤さんのホームページにはもっとたくさんのアラスカの画像 
佐藤さんの活動を支援するための窓口情報もあります 
佐藤大志さんHP


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