★地裁前街宣活動 9・9 IN前橋

移民社会・車社会の現代日本に国としての矜持求める!

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画像:前橋地裁前で関越道バス追突事件を糾弾する街頭演説活動
この前橋地裁前での関越道バス事件に取り組んで良かったと思うことは、何より群馬県及び栃木県在住の同志より手厚い支援を受けられたこと。そして、もう数年も疎遠にしていたNPO外追のメンバーが久方ぶりに続けて参加し、元気な姿を見せてくれたことです。

 平成25年9月9日、私ども『NPO法人 外国人犯罪追放運動』及び『外国人犯罪撲滅協議会』そして群馬県・栃木県ほか北関東有志が集った前橋地裁前街宣活動が行なわれました。

 当日、関越道バス追突事件で乗客7名を死亡させ、38名に重軽傷を負わせた中国残留孤児2世の元バス運転手・河野化山(かざん)被告(44歳)に対する第2回公判が開かれたものです。

 さる7月23日に初公判が開かれてから約1ヵ月半後の第2回公判でしたが、この日も初公判の時よりは動員数が減ったものの、大勢のマスコミ関係者が地裁前で河野被告が入廷するのを待ち構えていました。
 なお、裁判が始まるや法廷内の8割以上がマスコミ関係者で占められていたものです。午前11時より始まった第2回公判では専門家への証人尋問として群馬県内の大手バス会社より運行管理責任者が出廷。昼休みをはさみ、午後から再開された審理では関越道バス事件現場に真っ先に駆けつけた県警高速隊の警察官2名が出廷。事件当時の生々しい様子や専門家にしか分からない科学的・技術的見地から河野被告の自動車運転過失致死傷罪を裏付けたものです。

★裁判傍聴記 前編

被告の疲労・眠気そして大惨事を誘発した中国人ビジネス・ネットワーク

★専門家の科学的・技術的見地から犯行を立証!

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 今回の裁判では、まず検察側の証人として群馬県内にある『日本中央バス』の前橋営業所所長が出廷した。

 同社は同県内で上位3番目くらいの規模。従業員150名(うち120名がドライバー)を擁し、貸切の観光バス24台、路線バス29台、高速バス32台を保有するという。

 出廷した前橋営業所の所長は、貸切課長、路線課長、高速課長の3つのセクションを統括する運行管理の責任者。同所長は平成17年10月に管理責任者としての資格を取得。実際に現在の統括運行管理責任者としての業務に就いたのは平成21年6月である。

 日々の出庫点呼から担当課長を通じて上げられたドライバーによる日報を管理し、安全や事故対策を指導。サービスの向上に努めているものと思われる。

 日報とは各バスに備えられたタコグラフのチャート紙であり、走行時間や走行距離、スピードなどが表示された言わばバスの走行記録。

img_1013425_27410290_0 所長はこのタコグラフを一目見ただけで、どのくらいのスピードでどの辺りを走っていたのか、どういう走行状態であったのかを判別することが出来るという。まさに専門家による証言を聞き、河野被告の犯行(自動車運転過失致死傷罪)を立証するために検察側が出廷を要請した証人である。

 所長は河野被告が事件当日に運転していた高速バスのタコグラフを見るや、時速60キロから100キロで振り幅が大きいことに着目。

 北陸・石川県の金沢駅前を出発した河野被告が運転する高速バスが関越道を走っていたのは深夜から明け方にかけての時間帯。
 大渋滞だったわけではあるまいし、高速道路で時速60キロなどは後ろから追突される危険もあるノロノロ運転も良いところで、あり得ない速度だ。

 それがいきなり100キロになったりするなどは、加速と蛇行の危険運転を繰り返したことの証左で、証言台に立った所長は「(河野被告は)衝突の直前、相当に眠かったのではないかと思われます」と証言。それも「酷い眠気で、疲労から居眠りに至ったと考えられます」と結論付けた。

 所長の言葉を借りれば、たとえ高速道路を60キロ台で走っていたとしても60キロ台で推移していたり上下が10キロ前後にとどまっていれば通常の走行。100キロ台で走っていれば上下で110キロか90キロの揺れが通常の状態だと言う。

 事件直前の河野被告の運転は、最初は100キロ台で走っていたとしてもすぐに眠気でアクセルを踏まない状態が続いたため、次第に60キロに減速。ハッ!と目が覚めてアクセルを踏み込んだために一気に100キロに加速。すぐさま60キロに戻る運転を繰り返していたものと思われる。

 スピードの問題だけではない。その最中、カーブを曲がる際にはセンターラインから大きくはみ出たり、ジグザグ走行のような蛇行を繰り返していれば、乗客ならずとも傍目に居眠り運転をしているのは明らかだろう。

 自家用車を運転していても同じだが、乗客の安全・生命を預かるバス運転手としてあってはならない危険な状態での危険運転である。もし仮に、乗客の中に大型2種免許を持っている人がいたとして、河野被告に代わって運転したとしても「緊急避難」的な措置であり、運転を代わった乗客が何ら責められるべきことではない。それくらいに危うい状態であったわけで、その危険が現実のものとなって防音壁に激突。

 乗客7名が死亡、38名が重軽傷。重傷者のうち3名は未だ意識不明で、これが死亡に加えられたとしてもおかしくはない。

 河野被告の弁護士らは初公判の時より一貫して「被告人は睡眠時無呼吸症候群であり、眠気を感じる間もなく、居眠り状態に陥ったものであり、事故を予測できなかった」とする主張を展開してきた。

 第2回目の公判でも「(運行管理者である証人の)会社の管理体制はしっかりしているか?」とする尋問に始まり、「運転が下手であればタコグラフの上下も激しいのではないか?」「高速道路の上り坂ではスピードが下がるのではないか?」とか「高速道路は時速80キロに定められている」といった無理やりな論理展開を繰り広げた。

 眠気を感じる間もなかった…つまり衝突(事件)を予測出来なかったとするのが弁護人らにとっては一番軸となる主張だが、河野被告は事件直後に駆けつけた群馬県警高速隊の隊員に「ウトウトした」と述べているし、警察の取り調べの段階でも「眠気を感じた」と認めている。

 何より、誰よりも事件直前の状況を見て体感した乗客らが、河野被告が何度も居眠り状態に陥りながらハッ!と目を覚ましたかのような運転であったことを述べている(つまり衝突を十分に予測出来た)。

 タコグラフのチャート紙を見ただけで瞬時に、その時の運転手の状態まで言い当てられる専門家を証人として出廷させ、科学的・技術的見地から河野被告の犯行(自動車運転過失致死傷罪)を立証した検察側の手腕は見事だと言えよう。

 こうした管理責任者を抱えるバス会社の管理体制はどこの会社よりもしっかりしていると思われるし、証人の所長が述べるように、いくら運転が下手であってもあそこまで(河野被告が運転していたバスほど)タコグラフが上下することはない。道路の上り坂でスピードが下がったとしても急な坂ではあるまいし、極端にスピードが下がることはない。下り坂もまた然り。急にスピードが100キロまで上がることはない。

 河野被告が運転していたバスはタコグラフを見るに、まるで「前に車があって、急ブレーキをかけた時のようにスピードの上下が非常に激しい」(証人の所長)と言う。

 河野被告と弁護人らは下手に責任を回避する策をとるよりも、いっそ眠気を感じていたことも含めて全ての罪を認めて弁明の余地はない…としたほうがまだ心証が良かったのではないか。

 河野被告が酷い眠気を感じるほどに、疲労・過労だった背景には連日ぶっ通しのバス走行にあったと言えよう。

 事件を引き起こすバスを運転する直前、金沢市内のホテルに泊まっていた河野被告の元には同じくバス運転手をしていた実兄・河野化昆が事故を起こしたとの連絡があり、河野被告は仮眠する間もなく、知り合いの業者に連絡をとったり、かかってくる電話で度々起こされたという。

 この時、河野被告が少しでも長く仮眠していたとしたら最悪でも衝突事件は防げたかも知れない。

 しかし、そこは在日中国人社会のネットワークで生きていた河野被告のこと。まるで労働者を家畜の如く扱う中国人の倫理観のままで、河野被告は自身の仕事(乗客の安全・生命)を第一に考えることなく、仮眠する(体調を管理する)ことを軽視した。

 事件当時、『陸援隊』というバス会社に雇われていた河野被告だが、陸援隊だけの問題ではない。河野被告は判明しているだけで2社、それも中国人観光客ばかりを対象としたツアー・バスの運転を請け負っていた。

 仮に陸援隊が月に10日〜半月の間くらいでしか河野被告を使っていなかったとしても、その他の1社で10日間、もう1社で10日間、河野被告を使い回しすれば1ヵ月丸々ぶっ通しで休みなく酷使したことになろう。それを年中繰り返せば、どうなるかは自明である。

 このような在日中国人社会のビジネス・ネットワークにも証人を呼んでその実態を明らかにすれば、審理はより大きな問題を日本社会に提起したかも知れない。
☆裁判傍聴記 後編

社会通念上、日本人とは扱われぬ中国残留孤児とその子孫

 9日午前11時より始まった審理は正午からの昼休みを挟んで、再びバス会社の所長が証言台に立つ。その後に関越道バス事件の現場へ真っ先に駆けつけた2名の警察官が証人として出廷した。

 昭和53年に群馬県警の警察官に任命され、平成22年3月より同県警高速隊に配置されている大山氏が事件現場に到着した頃、バスは炎上。車体の後部からは白煙が噴出し、激しいエンジン音を立てたままだった。

58509-1 まだ車内に残っていた乗客を非常口から脱出させ、すぐに運転席へと向かう。前方にはフロントガラスがなく、ハンドルと運転席に挟まれた状態で河野被告がいた。

大丈夫か? 乗客は何人だ? 運転席から出られるか? 何故こうなった?

 運転席から見て右前方に、高速隊の隊服を着てヘルメットを着用した大山氏が立つ。河野被告とは1メートルもないような間隔である。

 河野被告は「ウトウトしていた」と話す。これまで幾多もの自動車事故の現場を見てきた大山氏はすぐに居眠り運転だと思った。

エンジンを切って

 大山氏は河野被告に要請。河野被告はキーを回して抜いて見せた。まだエンジン音は鳴り止まない。

 乗客の避難を優先させようと大山氏は河野被告から目を離し、再び避難誘導へと戻り、本部に伝達、隊員に現場周辺の交通規制を命じる。

 いつの間にか河野被告は車外に出ていたので、他の隊員に(被告を)パトカーに乗せて飲酒検査をするように命じた。

 法廷に出廷した大山氏は白髪交じりの五十代前半くらい。勤務年数から考えて隊員らに指示を出す立場にあるのだろう。

 河野被告との短いやり取りは全て日本語で交わしており、この時点では河野被告が「日本人だと思っていた」と話す。

 法廷で弁護人からの尋問が始まると、弁護人は河野被告とのやり取りの際、証人(大山氏)との間には運転席のガラスなど「障害物は無かったか?」と問い質した。フロントガラスも崩れ落ちた状態で、「運転手との間に障害物はなく、ガラスは無かったと記憶しています」と答える大山氏。

 次に弁護人は「エンジンはすぐに止まったか?」と問い質す。河野被告はキーを回したがエンジンは止まらず、次にキーを抜いて大山氏に見せている。それでも高く鳴り響くエンジン音は止まらなかった。

 そして弁護人は中国残留孤児である被告の発音が「おかしいと思ったことはないか?」と問うた。大山氏は「短いやり取りだったので(生っ粋の)日本人だと信じておりました」と返答。

弁護人:被告人からどの辺りで眠くなったと聞いたか?

証人:いいえ。それについては聞いていません。

3 3人いる弁護人の尋問は代わる代わる行なわれる。最初に検察側からの尋問、次に弁護側、そして裁判官の順で尋問が行なわれたが、一通り終われば、また検察側からの尋問が、またまた弁護側からの尋問、そして裁判官から…といった具合の尋問が繰り返されたので、これが審理が長引いた要因である。加えて通訳というロスが加わる。

 他の弁護士も繰り返し同じことを証人に聞く。 「被告の日本語が不自然だとは思わなかったか?」

 証人の大山氏は再び同じ回答をする。 「いいえ。思いませんでした

 外国人との会話にも散見されることだが、パッと見の見た目からも外国人だとは思わず、会話しても短いやり取りなら外国人とは気付かない場合がある。それが長いやり取りとなると、日本語の発音に独特の訛りがあるため、すぐに外国人だと分かる。

 弁護人の尋問の意図は明快だ。要するに、河野被告は日本語が不十分だ、アクセントも生っ粋の日本人とは異なる、お前(証人)が被告から聞いた「ウトウトした」というのは聞き間違いだろうとでも言いたいのだろう。

 さらに証人と被告が会話した際、2人を隔てた障害物は無かったかと聞いたのは、障害物に遮られた状態での会話にはよく聞き取れなかったり、聞き間違いをすることもあるだろうとでも言いたいのだ。

 エンジン音も然り。そんな高いエンジン音が鳴り響いている衝突現場で被告の発言をまともに聞き取れたのかと言いたいのである。

 証人による証言の正しさは続く検察側と裁判官からの尋問で明らかとなる。

検察官:被告人から「ウトウトした」とハッキリ聞きましたか?

証人:1メートルもない間隔での会話でハッキリと聞いています。業務報告書類にもその通りに記載しました。
・・・   ・・・   ・・・
裁判官:現場に到着した時、被告人の状態はどうでしたか? きちんと受け答えしていましたか?

証人:被告人はパニック状態には陥っておらず、平静に応答していました。会話の中で日本語以外の言葉や不明瞭な発音はなく、聞き直したことはありません。

PN2013072301001640_-_-_CI0003 証人は警察官である。まして事故現場には何度も赴いて死体が車外に飛び出したような凄惨な光景は何度となく見てきたことだろう。パニック状態の現場でも至って平常心を以って対処していることと思われる。

 警察官にとって何より必要とされるのが、この平常心だ。

 何より、証人の大山氏は警察官になる以前、自身も大型バスを運転していた経験があり、高速隊に所属している現職から考えてもエンジン音が高く鳴り響く事件・事故現場でもハッキリとした会話を聞き間違えるはずはない。

 それにしても普段は人権だとか平等、共生と言っているであろう弁護人も中国残留孤児である被告人の日本語はネイティブじゃない! 発音がおかしいだろう? ウトウトしたというのも聞き間違いだろう?という論法を平然と展開、「眠気を感じていた」即ち「事件を予測出来た」とする事実を覆すためなら何でもアリ、時として残留孤児は日本人ではないとする差別主義者になり切るのだから欺瞞である。

 続いて出廷したのは同じく事件現場に駆けつけた高速隊の岡野氏。平成18年に群馬県警に採用され、平成23年の春より高速隊に配属。

 事件直後の被告をパトカーの後部座席に乗せ、自身は運転席に座りながら左後方を振り返るような姿勢で被告と会話。

 「どうした?」と聞くと、被告は「居眠りしちゃった」と回答した。

 やがて被告は頭を後ろに傾けて、イビキをかきながら寝入ってしまう。被告が起きたのは被告の携帯電話の着信音。被告は「社長、申シ訳ナイ。ゴメンナサイ」と謝ったが、電話口の社長(陸援隊)の声は傍で聞いていた岡野氏にも聞き取れた。「申し訳ないじゃない! …大変なことをしてくれた!」

 弁護人からの尋問で、証人の岡野氏は調書に「居眠りが原因」と記載したことを聞かれ、先に出廷した大山氏に対する尋問と同様に、被告の日本語の発音について問う。

 証人・岡野氏は「片言の訛りがあり、変な印象だと思った。外国人が日本語を話す時のような印象を受けた」と証言している。先ほどの大山氏とは違った受け止め方で、歳の頃は二十代と思われる若い岡野氏のほうが敏感なのかなとも思ったが、パトカーに同乗した頃の被告はバスに乗っていたままの姿勢の時より、かなりリラックスしていたものと思われる。

 大山氏の証言と、岡野氏の証言とでは「被告は流暢な日本語を話していた」「聞き直すようなことはありませんでした」とする点で一致。ただ、岡野氏の場合は車内(パトカー)での会話だったため、落ち着いた状態で被告の訛りを聞き取ることが出来たものと思われる。

 検察側からの尋問に対し、「被告人は頭部から血を流しつつもイビキをかいて眠っていたが、痛みで朦朧(もうろう)としたわけではない」と断言した。

 それにしても法廷内の審理においてさえ、証人らが河野化山を日本人と思ったか、外国人(中国人)と思ったかの区別で尋問が行なわれた。勿論、この区分けは便宜上のものであり、残留孤児が日本人か日本人でないかという意味においては、そこが議会ではないので正確を期す必要はなかったのだろう。

 しかし、残留孤児が国籍の如何に関わらず、社会通念において生っ粋の日本人とは思われていないし、扱われていないことを示した。

 国籍の上では日本人・日本国民であったとしても、彼らは日本に住む「民族」ではない。

 中国・黒龍江省(こくりゅうこうしょう)出身の河野は高校を卒業後、森林省の役人として働いていたが、父親が中国残留孤児であったため、日本に住みたいと思うよりになり、平成5年に来日。

 父親のみが残留孤児ということは少なくとも半分は向こうの血(クォーター)」であるし、生っ粋の日本人ではない。

 そのまま中国で暮らしていれば良いものを、残留孤児2世という立場を生かして来日した就労(出稼ぎ)目的であったと思われるし、そもそも本当に残留孤児の血縁であるかはDNA鑑定も施されないので確証はない。

 来日後、トラックの運転を7年、バスの運転歴が2年だが、その間、警察沙汰になる自動車事故を2回引き起こしているし、自動車運転に関わる小さなトラブルを何度か起こしていた。ここからも関越道バス追突事件を予想させる事実はあったのである。

 勾留調書で記載された居眠りを認める記述について、弁護側は信用性を争うとした。

 次回公判(裁判長:高山光明裁判官)は9月24日(火曜日)午前11時より。

 次はいよいよ被告人・河野化山への尋問である。

☆動画ご紹介!

 さる9月9日に前橋地裁前で行なわれた「関越道バス追突事件」を糾弾する街頭演説活動の動画が仕上がりましたのでお知らせします。撮影・編集は『NPO外追』情報局長の宇賀神正樹会員です。有り難う御座いました。

関越道バス追突事件裁判(その1)

http://www.youtube.com/watch?v=5Vx-5ZDSDQ0&feature=youtu.be

関越道バス追突事件裁判(その2)

http://www.youtube.com/watch?v=J2IjKUyzPPk&feature=youtu.be

関越道バス追突事件裁判(その3)

http://www.youtube.com/watch?v=Y2NCRkMDZ_8&feature=youtu.be