今年もAKB48選抜総選挙が行われました。私は特段アイドルに詳しくありませんが、そんな人間でもこのイベントが風物詩と認識出来る訳ですから人口に膾炙した催しだと改めて実感します。



このイベントは、ただの選挙のパロディ以上の示唆を私たちに与えていると私は考えてます。むしろ、「現実政治の本質はこういうものだ」ということを鮮明に描いています。



AKBのCDを買う(=国の政治に言い換えると国税を払う)ファン(=国の人民)が、決められた候補者の中から、これだという人をメンバー(=代議士)として選出するという形・・・民主主義を考えるにあたり、これほど分かりやすい教科書は無いというほど、このイベントを考えた人が政治を熟知しているということが分かります。



しかし当たり前のことですが、AKBの総選挙において候補者のアイドルは政治的な提言を具体的にする訳ではありません。日常のライブ、ファンイベント、メディア出演、果ては容姿などの要素によって、選挙民に自分がメンバーとして相応しいということをアピールしていく訳です。



フランスの政治思想家トクヴィルという人は、『アメリカのデモクラシー』という本でデモクラシーへの希望と同時にそれに対する危惧についてメッセージを残しています。



デモクラシーは非常に平等を尊んだシステムです。CDを買った人であれば誰しも同じ価値の一票を有します。そして「最大多数の最大幸福」という数の論理を重視するというものも理性的で公正なものです。



それだからこそ熾烈な競争も生じます。同時に「公正なルール」があるからこそ、それをかい潜るという機運が生まれます。トクヴィルは、それを危険視しました。



デモクラシーでは候補者の後援団体(圧力団体ともいえますでしょうか)やマスメディアというものが大きな影響力を有します。その団体が大きな資金力を有していたりメディアとの結びつきが強ければ、マンパワーの面でも広告力の面でも圧倒的に有利になります。



加えて投票する側の問題もあります。デモクラシーでは「個人主義」というものが手厚く重視されています。それは「人権」という近代的価値観に基づいた理念です。巨大な権力のために個人が犠牲になってきた絶対王政期の歴史的反省から生じたものでした。



しかし時代が下って行くと「個人主義」は履き違われてきます。それぞれの個人が豊かになることばかりに注目し、全体の利害というものを省みることに無関心になって行くのです。これもトクヴィルが警鐘を鳴らしていたことです。



結果、政治に関心を持たない人が増えると、前述の巨大な資金力を有する後援団体が漬け込む要素も大きくなります。「この人メディアの露出が多いからこの人が良いんだろう」・・・投票する側のこういう意識を利用して票を獲得していく訳です。



AKBの選抜選挙に話を戻すと、それぞれの候補者も決してこの後援団体の問題と無関係ではありません。AKBグループはそれぞれのタレントがそれぞれ異なるプロダクションに加入するという特殊な運営形態をしています。そうなるとプロダクションの資金面でのプッシュ力、あるいはプロダクションが局のプロデユーサーやネットや書籍の媒体などとどういう関係を有しているのかということも選挙を勝ち抜く大きな要素となってくる訳です。



もちろん、AKBの選挙はタレントそれぞれの資質が問われている選挙であることは否定しないです。選抜メンバーともなると選出されるために想像を絶する努力をしていると想像します。ただし「このシステムがデモクラシーを採用する以上、そういう側面もつきまとうよ」ということを私は言いたかったのです。



AKBの総選挙の構造は、現実政治の似姿です。AKBの選挙は芸能ドキュメントになりますが、現実政治となるとそうは行きません。そういう眼差しを常に持ちながら今度の参議院選挙の投票行動を考える必要があると考える、今日この頃です。