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最近、ニュースでイランやシリア情勢のことを報じることが多いですが、私は30歳台のころ中東地域へ旅行に行っていました。その中でもイランとシリアが楽しかったです。
現在では、どちらの国も行きにくくなってしまいました。イランのときはデジタルカメラを持っていなかったので、2008年2月にシリアを旅行したときの記録をブログに残したいと思いました。
シリア旅行の素晴らしさが伝われば幸いです。
ただ当時はブログをやろうと思っていなかったので写真があまりありません。
また記憶も薄れていますので事実と違う点があるかもしれませんがご了承願います。


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シリア旅行の際にはビザが必要でした。私は東京の大使館で申請しました。
カタール航空でヨルダンの首都アンマンに入り、2泊したあとアンマンから乗り合いタクシー(セルビス)でシリアの首都ダマスカスへ。

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乗車したセルビス。助手席1人、後部座席3人にならないと発車しない。
Al Shamがダマスカス。アンマン発ダマスカス経由ベイルート行きセルビスだったようだが全員ダマスカス下車。他の方は家の近くで降りた模様。
私はダマスカスのセルビス発着所まで乗車。

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ダマスカス旧市街スーク(市場)ハミディーエ内。
ここでは見た目で私は外人。店先からはwelcomeやナカターの声が。

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人だかりがすごいので並んでみたらアイスクリーム屋だった。
ピスタチオたっぷり。トルコやイランのアイスクリームのように粘り気がすごかった。

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ダマスカスからハマへバスで移動。

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ハマ名物水車。動いてなかった。

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ハマの街中。中東なのに雨。しかも寒い。

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英語は通じないので食べるものは店先でグルグル回っている鶏になる。
指さしで「これ」半分のアラビア語は「ヌス」。「これ、ヌス」で通じた。
値段は忘れたけど余ったものはホテルへ持ち帰れた。

ハマからアパメアの列柱神殿とクラック・デ・シュバリエに寄りホムスへ。

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アパメアの列柱神殿。2km続いている。
ローマやアテネの列柱神殿なんか目じゃないぐらい巨大、神秘的だった。
当時は遺跡なのに柱触りたい放題。
見た目と一緒、観光客皆無。ゆっくりとした時間が過ぎる。

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クラック・デ・シュバリエ

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クラック・デ・シュバリエに昇りホムス方向を眺める。
ここが中東とは思えない風景。

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ホムス。
後ろに写っているバスは現金で乗れず、回数券のようなものを買わなければいけないらしいが売っている場所が分からなかった。車掌さんからwelcomeと言われお金は結局払わなかった。
ホムスのバスターミナルと市中心までの往復は結局タダ乗りだった。

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おいしかったエクレア。2個で5シリアポンド(10円)だったかな。

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ホムスで通ったピザ屋。シリアにはピザ屋が多かった気がします。
英語でoneとかthank youが通じなかった。指さしで「これちょーだい」と言うと奥の窯で温めなおしてくれる。確か1枚5シリアポンド(10円)で激安だと思った。
違う味のピザを1枚ずつ買って重ねて食べるとうまいぞ~みたいなことを言われ、いつも2枚買って食べていた。

残念ながらホムスは現在、政府軍と反政府軍が最も対立している街。このオジサンも含めシリアで出会った方々は皆、親切だった。無事でいることを祈らずにはいられない。

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ホムスからトリポリ経由のセルビスでベイルートへ。
山岳地帯には雪も。

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ベイルート。

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中東のパリと呼ばれたベイルート。フランス語、英語が通じる。

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華やかな街並みの一角には戦争で破壊されたビルも。

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かと思えばスターバックスがあったり。写真はないがマクドナルドやバーガーキングもあった。

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セルビスでダマスカスへ。

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ダマスカスへ戻りカタール航空で日本へ。

シリアのあまりの居心地の良さに当時の私は必ず再訪すると誓い、アレッポやパルミラへ行かずハマ~ホムスを重点的に回り日本へ帰国した。
その後、長期の休暇が取りにくくなり、ようやく休みが取りやすい状況になったら今回のような内戦状態になってしまった。同じ民族同士の戦いなので、以前のようなのんびりした雰囲気にはしばらく戻らないだろう。
やはり旅は行けるときに行っておかないといけない。