2008年02月01日

修養会ニュース

を載せてしまいます♡
姉妹連続でupしてすみません。
三野(姉)です。
教会にまだ届いてない、内容を忘れちゃった、などという方は是非参考にしてください!!















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プログラム

も。

プログラム



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申込書

それから、申し込み用紙のフォームも載せちゃいます。
これをプリントアウトして郵送するもよし、
案内通り空メールを送ってもらうもよし。

ただし、これを参考にして送ってもらうと
お互いに少ないエネルギーで済む気がしますww
エコの時代ですものネ☆



申込書



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2008年01月31日

全国学生会修養会にゅーす!!!

わーい(●´ω`●)わーい

ついにできました全国学生会修養会にゅーす


この修養会ニュースにはたくさんの人の汗と涙と愛がつまってるんです

原稿は全て木之瀬たかちゃんが作ってくれましたすてきおつかれさまです

原稿が発送担当の三野まりちゃんに届くはずが…
トラブル発生ってことで、まりちゃんパソコンとか苦手なんで三野ゆきちゃんに届きましためでたしめでたし

姉妹で仲良くおでかけ(=゚ω゚)人(゚ω゚=)
100均いって-封筒かって-郵便局いって-切手かって-
いざコピーをするためにコンビニへ
カラーコピー150枚
白黒コピー約300枚

はい。コンビニ滞在時間まさかの3600秒!!(=1時間)

コピー機を1時間も占領してしまいました。
まあ、そこは地元ということで店員みんな知り合いだったので余裕(*゚∀゚)っきゃはっ

そしてそして何百という数の紙を折り、全ての封筒に住所を書き、切手を貼ってさっき全ての封筒っちがポストにはいりました

おつかれさまです。

日本全国に150近くもの教会と伝道所があることを知りました
そして全ての教会の住所を書いてくれたゆきちゃんに感謝

来週の日曜か、遅くてもその次の日曜にはみなさんの教会に届きます
ぜひぜひぜひ熟読してくださいそして、参加してくださいそして、お友達も誘っちゃってください

申し込み締め切りは2月29日です!!
締め切り厳守

施設のルールによりドタ参加はできないので、迷ってる人も連絡ください。
gakuseikaiblog@livedoor.com

めざせ100人(*・ω・)ノ

これからどんどん最新情報が更新されていくのでばしばしチェックしてね











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2008年01月29日

東部地区学生会第3回勉強会(・∀・)

ど-も-(*・ω・)ノ
21世紀のナイチンゲールこと三野まりこです
1月28日(月)に東京教会でおこなわれた勉強会の報告をします

今回はクリミア戦争で有名な「フローレンス・ナイチンゲール」という看護師の人生を通してクリスチャンライフについて学ぶことができました。

ナイチンゲールといったら看護師ですが、ほかにも統計学や著作者としても大変活躍したそうです。ってことで、今回はナイチンゲールの看護師になるまで・看護師としてどのような働きをしたのかというところに焦点をおいて話しました。

フローレンスは1820年に両親の新婚旅行中にイタリアのフィレンツェで生まれました。彼女はプロテスタントの信仰の深い両親に育てられます。
そして、16歳のときに「神に仕えよ」という神の声をききます。しかし、この時は何をしたら良いのか分からなかった。そのため、毎日このようにお祈りしていたそうです。【神様。私の一生はあなたにささげます。御心のままにお導きください。】
この日からフローレンスはいつのまにか、どのようなかたちで神に仕えればよいのかが分かる道がはっきり示されることを信じていた。そしてそのときがきたら、どんなに困難な勤めでも従わなければならないと決心していたそうです。

24歳のときに自分の使命は病院の患者の世話をすることだと悟る。
しかし、当時の看護師のイメージというのは今とはぜんぜん違っていました。
当時の看護師のイメージとは大酒のみでいい加減、それに不潔。きたならしい病院などで働くのは最低の女。下品な女。当時の病院もかび臭くて湿気でしみだらけでおそろしいところだったため、お金のある人は自分の家に医者を呼び、治療するのが当たり前でした。
彼女の家庭はかなりの上流階級だったため、家族みんなに看護師になることを反対されてしまいます。

それから、彼女は30歳を過ぎてからやっと看護師として働き始め、34歳のときにクリミア戦争に看護師として兵士たちの看護をしにいきます。クリミア戦争では24時間働くのがあたりまえでした。
そして、クリミア戦争からかえってきてすぐに40歳で疲労のため歩くことができなくなり、90歳で死ぬまでベットの上で生活したそうです。

とぅーん(●´ω`●)□■□■□■□■□

その後の話し合いでは、
「ナイチンゲールは神様のためにいきたいと考えて小さいときから祈り続けて与えられた仕事が看護師だった。だからこそ、どんなに反対されても、どんなに苦しくても続けることができ、その仕事に喜びを感じていけたのではないか。」
「彼女がお金持ちという環境で育ったからこそ、看護師を目指すきっかけが与えられ、学校に行くお金もあり、また親からも反対された。今私たちがいるこの環境も全部神様が与えられたもの。だから、自分たちも神様から与えられたこの環境を神様のために使っていきたい。」
「彼女は16歳で神の声を聞き、小さいときから祈っていたが、実際に看護師になれたのは30歳をすぎてからだった。だから、どんなことにもその人に合った時があるから、何事もあせらずに神様にゆだねて導かれながらいきていきたい。」

このほかにもまだまだたくさんすばらしい意見がでてきました。また、中盤では就職についてもみんなで話し合うことができ、これから社会に出て行く学生としてさまざまな意見が聞けてよかったです。

また、ナイチンゲールが残したたくさんの言葉を通してもたくさん学ぶことができました。言葉の一部はレジュメにのっているのでぜひ見てみてください。

ナイチンゲールについて調べた感想としては、とりあえず感動しました。当時、裕福な家庭では考えられないような職業を選択し、生涯独身を貫き、自分の幸せよりも神様がどうしたら喜ばれるかということを最優先に考え、神様から与えられたどんな試
練にも祈りながら耐えた彼女の中心には、どんなときにも神様がいて、強い信仰心があったんだなと感じました。私もどんなときでも自分の喜びではなく、神様が何を求めておられるのかを最優先に考え、祈りながら生活していきたいと感じました。

ってか、まりこ、文章力ないからうまく伝えれてなかったらごめんね
ってか、まだまだ面白い話とか学んだこととか話したいこといっぱいいっぱいあるけど、今回はこのへんで

次回は2月25日6じ半から東京教会です。
ぜひきてね

P,S まりこが発表した1がつ28にちは記念すべきまりこの19回目の誕生日でした。自分おめでと-


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東部地区学生会第3回勉強会(・∀・)れじゅめ


フローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910)

1820年5月12日 イタリアのフィレンツェで生まれる。現在「看護の日」(ナイチンゲール記念日)になっている。
1837年2月7日 神に仕えるようにという「神の声」を聞く。(16歳)
1838年    ナイチンゲール一家、ヨーロッパ大旅行をする。
1844年    自分の使命は病院の患者の世話をすることだと悟る。(24歳)
1845年    サリスベリー診療所で看護の訓練を受けようとするが、家族の反対によって諦める。(このときからひそかに病院や衛生について学ぶ(〜1853年))
1849年    リチャード・モンクトン・ミルンズに結婚を申し込まれるが断わる。
1851年    カイゼルスベルスの病院で3ヶ月間働くことになる。(父親が看護婦になりたいというフローレンスの気持ちをやっと理解してくれる)
1853年    ロンドンの「病気の貧しい女性を世話する会」の指導監督者の地位につく。父親が生活費をだしてくれることになる。この年の10月にトルコがロシアに宣戦布告。クリミア戦争が始まる。
1854年8月  ロンドンでコレラが大流行。ミドルセックス病院でボランティアとして看病にあたる。
10月     シドニー・ハーバード(陸軍大臣)から看護団を率いて、クリミア戦争のイギリス軍基地スクタリに行くよう要請される。
11月    看護団、スクタリの兵舎病院に到着する。
1855年5月  クリミア熱で倒れる。
11月      イギリスでナイチンゲール基金が設立される。
1856年4月  クリミア戦争終結。イギリスに戻ってくる。
1859年    『看護覚え書』出版
1860年6月  ナイチンゲール看護婦養成学校、開校。
1861年8月  ナイチンゲール助産婦養成学校、開校。
         昼も夜も働きづめで、過労のため倒れる。以後、亡くなるまで50年間、歩くことができなくなる。
1910年8月31日 深い眠りのうちに死去。


○●ナイチンゲールが残した言葉●○

「事をせいてはならない。多くの規則に初めから縛られてはいけない。物事がどう動いていっているか、最善の答を引き出すにはどうすればよいか、仕事はどう進められているのか、この仕事を受け入れこの仕事に喜びを見出すことをどれほど神が喜ばれるか、について見きわめるためにじっくり時間をかけよう。」

「規則や指導者への従順について―――大変優れたある人物がこう言っています。「本当の従順とは」私たちに命令を下す権利をもつ人からの「命令に従順であるだけではなく、その意向に従うことである」。もちろん、これは自明の理です。問題はそれを《どのようにして実践に移すか》なのです。それはまさに戦いであって、そのためには、些細なことを超越し、神に目を向けて、その導きを願う勇敢な精神が要求されるのです。」

「キリスト教徒しての女性、つまり神に従うものとしての私たち自身も、
  その行いにおいて、日ごとの進歩がなければなりません。」

「信頼に足るとは、私たちが己れの魂を己れの両手でしっかりとつかみながら、決して興奮したりはせず、しかもいつでも神の前に魂を差し出す用意のあることです。」

「もっとも幸福な人々、それは病人の看護に携わっている人々である」

参考文献「ナイチンゲール言葉集 看護への遺産」


●○ナイチンゲールのことを詠んだ詩○●
「ランプを持つ淑女」
ロングフェロー Henry Wadsworth Longfellow   
見よ、苦しみのときに
   ランプを持つ淑女を
   薄暗がりの中を通る姿を
   部屋から部屋へと移り行くその姿を
   夢のごとき喜びの中で
   言葉なき悩める者が身を起こして
   静かな口づけを送る
   暗がり増す壁に投げる
   その淑女の影を慕いて






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2008年01月23日

テーマ別分団。

皆様、こんばんは。

東部地区学生会のKY、こみやまです。

僕は今回の全国学生会で「テーマ別分団」を担当します。

つきましては多様な民意を反映すべく、みなさんから意見を募りたいと思います。


普段の信仰生活で疑問に思ったこと「こんなことを学びたい」「こんなことを分かちあいたい」等、なんでも結構です。

今回は講演のテーマが比較的ソフトなものなので、分団では学びに力点をおきたいと考えています。また今回は2回、テーマ別分団を行います。2日目と3日目に1回ずつです。

ちなみに候補としては「改革派信仰とはなにか」「創立宣言の学び」「カルヴィニズムの5特質」「礼拝について」「礼拝の諸要素(賛美、説教、祈り)」「伝道について」などがあげられています。

もし、なにかアイデアがあればgakuseikaiblogatlivedoor.com(atを@に変換してね)までメールを下さい。

全国学生会について色々な細かいことが決まりつつあります。皆さんの教会にお便りが届くと思うのでチェックしてみてください。

ではではみなさんの意見をおまちしています。

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2007年12月21日

西部学生会のブログ登場!

こんにちは。
西部のみなさんがブログを作ってくださいました。
ありがとうございます。

リンクにはっておきましたので、みなさんチェケダーよろしくお願いします!

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2007年12月01日

・・東部地区第二回勉強会・・

こんばんわ♪
東部学生会役員のメグミです
遅くなりましたが、この前の勉強会の報告をしたいと思います

11月26日(月)、18時半から東京教会で2回目の勉強会が行われました。
今回も前回と同じく、担当者がある信仰の先輩の人生について簡単に発表し、その中からそれぞれが感じたことや、考えたことを自由に発言・発表するという形式にしました。

今回取り上げた人物は「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ」です。
前回同様、レジュメには年表を載せ、建築家なので代表的な作品名も載せました。
付録としては、「芥子種」という詩を紹介しました。
年表は2.3種類あったので、「クリスチャンライフ」についてかいてある箇所を少しずつピックアップして作成してみました

ヴォーリズは明治38年に八幡商業高等学校の英語教師として来日し、昭和39年に83歳の生涯を終えるまで彼は近江八幡市に留まり、キリスト教の伝道とその主義に基づく社会教育、出版、医療、学校教育などの社会貢献活動を続けました。
そしてこれらの事業を経済的に支えるべく多くの人々と力を合わせ、建築設計会社やメンソレータム(現メンターム)で知られる製薬会社などの企業活動を展開していきました。



彼はいわゆる「成功者」であり、「勝ち組」に入る地位にいたので、クリスチャンとしての行き方が見えにくい部分もあります。実際「これはサクセスストーリーじゃない?」という声も聞こえました。
ですが、彼の建物や創設した施設などを通して神さまを知るきっかけになったり、教会に行くきっかけになったのだとすれば、それは彼なりの「伝道」の仕方なのでは?と思いました。
実際このような意見を言ってくれた人もいました

彼の人生は終わりだけを見るとただの「成功者」に見えますが、83年の人生の中には多くの苦労があり、身が裂けるような悲しみがいくつもありました。
信仰的にも弱くなったときはあるでしょう。
しかしどんな時も神さまに支えられたと彼は言っています。

彼の日記の中で私が気に入った言葉があるのでここで紹介したいと思います。
「近江兄弟社とういう設計図と仕様書は、宇宙の創造主、本来の大建築家なる神ご自身によって、早くも1902年から1905年の間にアメリカで作られていた。
その期間に、神は私を製図家としてお用いになって、その設計図を書かせ、これを私の両親の奥深くに青写真としてとっておかれたのである。
それから1905年の初めになって、神は私をこの遠くの地、近江に現場監督としてお送りになり、商業学校解職という形で、現実としての敷地と基礎工事との準備、そして着工に当たらせて下さったのである。」

この言葉から、「自分(ヴォーリズ)は神さまのご計画の中に生きているのだ」と信じていたことが分かりました。

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*

次回の勉強会は1月28日です

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*

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東部地区第二回勉強会:レジュメ

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)
<年表>
1880年:米国カンザス州レブンワースで生まれる。
1900年:コロラド大学に入学し、YMCA活動を開始する。
1902年:カナダのトロントで開かれた「海外伝道学生奉仕団(SVM)」第4回世界大会にコロラドカレッジ代表として出席。宣教師テイラー女史の講演に感動し、建築家の夢をあきらめ外国伝道への献身を決意する。
1904年:コロラド大学を卒業する。 海外伝道学生奉仕団本部から、日本の滋賀県が英語教師を求めているという手紙が届き、応諾。
1905年:滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日する。
10月6日、来日後始めたバイブルクラスが発展し、生徒達とともに日本では初となる中等学校YMCAを創立する。
1907年:3月、学生への伝道に反発する人たちとの摩擦を避けたいとの校長からの要請により、英語教師の職を失う。
1908年:京都で建築設計監督事務所を開業する(後のヴォーリズ建築事務所)。

1910年:ロシア、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、イギリスを経由する帰米旅行へ。海外伝道に対して多くの支持者を得る。
シカゴでメンソレータム社創業者A・A・ハイドと会い、後に伝道への援助としてメンソレータムの日本での販売権を得る。
NYで同じ「海外伝道学生奉仕団」出身の建築家レスター・G・チェーピンと出会い、共に帰国。
建築家のレスター・チェーピン、吉田悦蔵と3人で「ヴォーリズ合名会社」設立。米国から建材や雑貨の輸入も行った。(後に近江セールズへと発展)
この頃、近江基督教伝道団(近江ミッション)、後の近江兄弟社を結成。

1912年:「湖畔の声」を創刊。現在1000号を越え、キリスト教月刊誌として日本で五指に入る古い歴史がある。

1918年:結核療養所「近江療養院」(近江サナトリアム、現ヴォーリズ記念病院)開設

1919年:子爵令嬢一柳満喜子と結婚。結婚式は自らが設計した明治学院の礼拝堂で挙げた。

1920年:ヴォーリズ合名会社を解散し「W・M・ヴォーリズ建築事務所」、「近江セールズ株式会社」を設立。

1934年:「近江ミッション」を「近江兄弟社」と改称。

1941年:1月、日米が対立を深め多の外国人が日本を離れる中、ウィリアム・メレル・ヴォーリズは敢えて留まり日本への帰化を選択。日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名。ヴォーリズ建築事務所を一柳建築事務所と改称する。(同年12月8日太平洋戦争が始まる)
1954年:藍綬褒章を受章(社会公共事業に対する功績による)。

1957年:クモ膜下出血に倒れる。以後近江八幡の自宅で療養生活に入る。
1958年:近江八幡市名誉市民第1号に選ばれる。
1961年:株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所を設立し、建築部門独立。本社を大阪に、支社を東京・福岡に置く。
黄綬褒章を受章(建築業界における功績による)。

1964年:近江八幡市慈恩寺町元11の自邸(現ヴォーリズ記念館)2楷の自室にて永眠。享年83。
      近江兄弟社納骨堂「恒春園」に葬られる。
没後、正五位に叙され、勲三等瑞宝章を受章する。

<作品>
・教会関係
軽井沢ユニオン教会(軽井沢町) 1918
日本基督教団大阪教会(大阪市) 1922 (国登録有形文化財)
日本基督教団大阪福島教会(大阪市) 1926
旧神戸ユニオン教会(神戸市) 1928 (国登録有形文化財)
日本基督教団浪花教会(大阪市) 1930 (竹中工務店との共同設計)
日本聖公会京都復活教会(京都市北区)1932
日本基督教団今津教会会堂(高島市) 1933 (国登録有形文化財)
近江八幡YMCA会館(近江八幡市) 1935
博愛社礼拝堂(大阪市) 1935
近江金田教会(近江八幡市) 1959
      など

・学校
明治学院大学礼拝堂(東京都港区) 1916
同志社大学今出川キャンパス内校舎(京都市)
啓明館 1920
アーモスト館 1932 (国登録有形文化財)
到遠館
西南学院大学博物館〔旧西南学院高等学校講堂〕(福岡市) 1921(ジョージアン・コロニアルスタイル)
関西学院大学建築群(西宮市) 1929(スパニッシュ・ミッション・スタイル)
旧制大阪高等医学専門学校(現大阪医科大学)。後に附属看護専門学校校舎として使用された別館が現存。大阪医科大学歴史資料館となる予定。(高槻市) 1930 (国登録有形文化財)
清友園幼稚舎・体育館(現ハイド記念館・教育会館)(近江兄弟社学園)1931
神戸女学院大学(西宮市) 1933(スパニッシュ・ミッション・スタイル)
西南女学院ロウ講堂(北九州市) 1935
        など


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