あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

検査三昧wの日々も昨日で終わった。

予約が朝9時だったので、満員電車にぎゅう詰めとなり、向かった病院。待つこと約40分、結果を聞くこと約10分で放免。

認知症でもなく、レビー小体型認知症でもなく、パーキンソン病でもなく、ホルモン異常も、その他諸々の疑いもなく、脳波も正常、要するに健康体だとのお墨付きが出た。

じゃあ、なぜ手が震える?立派な心臓の血管などと言われたのに不整脈が多く狭心症の発作を起こし、小さな脳梗塞が多数あるのはなぜだ!物忘れのひどさは?言葉がすぐに出てこないのは?なぜなのよ〜。

で、医師に喜んで良いのか悲しんで良いのか分からないと言ったら、そりゃ喜ぶべきでしょうと言われたけど、振り出しに戻った気分だ。

アルツハイマーその他を想定して、口座その他の引き出し人を登録しておこうと考えていたが、必要はないようだ。しかし、まだ大丈夫だと思える間に金銭面の仕舞い支度をしておかねば本人以外は引き出すことも移動させることも不可能なので騒動になる。ああ面倒だ、ああ忙しい。

まあ、国庫に無駄に負担を掛けたのは心苦しいし、語弊はあるが、幾つもの検査は面白かった。1時間ほどの認知検査で図形の記憶力が落ちていることが判明。これが忘れ物が増えた原因だろうか。PET検査では放射性同位元素を試験管1本くらいの量を注射した後、頭に集まる!までの3時間があいたので、急いで上野のトーハクまで往復して「マルセル・デュシャンと日本美術展」へ。おまけのような日本美術が展示数は少ないがこれまであまり公開していなかったような(本館でも見たことなかったが私が見てないだけだろうけど)お宝揃いだった。12月9日まで。

別の日には帰りに出光美術館の「仙崖礼賛」展へ。2016年秋にも、大仙崖展があったので殆ど同じかといぶかりながらだったが重なる作品は多くなかった。仙崖はおかしくて、面白くて、哀しい。お気に入りだ。10月28日まで。帝国ホテルの若い時分からの大好物、ブルーベリーパイを娘夫婦の分も買って帰ったら、ノンちゃんマンが出張中。ありがたく、2個食べるw。体重計には当分乗らない。

昨日は帰りに映画にすっ飛んでいったが始まっていて、しかも次の回もほぼ満員と聞き、あえなく撤退。デパ地下を2つ周りw、安物で購買意欲を満たし、腕の筋肉を鍛えつつ帰宅した。

心配しているかと思った娘は元気だからどうせまた独りで騒いでいるだけだと思ってただと。失礼なヤツだw。こういう人間は、大丈夫と皆が思っている間に騒がず静かに消えるのよ覚悟してなさい、と言っておこうw。


大きなトラブルの第1弾目が生じた。

互いの友人や家族との関わり方に結局は起因していたと今になって思うのだが、井戸の中の蛙よろしく衝撃だった。といってもたいしたことではなく私が甘ちゃんだったと言うだけの話なのだが…。

食事から戻り翌日の日程をさらっておこうと思ったら資料がない。苦労してプリントアウトした詳細な時刻表や現地情報、ホテルを記載した路程表がない。キャリーバッグやバッグ、服、コート、どこにもない。日傘もなく水のペットボトルもないことに気付き、ようやく、忘れないよう、居酒屋のカウンターに、目の前に置いたことを思い出した。ホテル代など私がいくつかカードで支払い済みなので後でまとめて精算を提案したのだが、嫌がった彼女とレジに立った状態でお金のやりとりをして、つい目の前に置き、忘れてしまったのだ。

すでに9時過ぎ、外は暗く、地方都市の夜は早い。おまけに場所はうろ覚えの上、領収書を貰ってないので店の名前も電話番号も分からない。一人では行き着ける自信がない。

ごめん、さっきの居酒屋に忘れ物をしたみたい。悪いけど一緒に行ってくれない?
イヤよ。自業自得じゃないの。一人で行きなさいよ。

こう言われても、まさか本気で拒絶してるとは全く思わなかった。私なら100%ついて行く。来なくて良いと言われても心配性だから一緒について行く。K子やドライなN子でもしょうがないわね、と言いながら一緒に来てくれるはずだ。

お願いを何度か繰り返したら一緒に行ってくれたのだが、店が見えるところで「自業自得、さっさと一人で行きなさいよ」。で、帰り道、ホント、迷惑なんだからとか、脳みそが足りない上に心臓が悪いと分かっていたら一緒に来なかったわよ、と罵詈雑言。どこでも良いから連れてってとしつこく頼んだことはすっかり忘れている。で、その後も旅の終わりまであなたには迷惑を掛けられたと何度か繰り返された。

いやあ、大変な人がいるものだ。こんな言葉遣いをされたことも初めてだったので呆然とするのみ。長年の知り合いだし、食事をしたことも何度かあるし、電話も何度もかかってきたりで、ある程度分かっていたつもりだったが、人って分からないねえ。

イビキなんてしないわよとの仰せだったけど、もちろん、しっかり悩まされた。彼女の家族は全員イビキが凄くて、孫までイビキかくのよハハハと旅の後半でぽろりと白状したのだった。

別れるとき、言いたいことを全部いってすっきりした。なんだかんだいってもとっても楽しかったと彼女は上機嫌で去って行き、その夜と翌日にも電話が来たのだから喧嘩別れしたのではないが、もう一緒の旅行はしない。すっかり懲りた。来年、長期海外旅行を予定していてその予行練習のつもりだったのだが行って良かった。

驚きの連続だったが、一番イヤだったのはその他諸々の彼女の攻撃的な言葉ではなく、生活習慣だった。椅子に立て膝して食事をし、その姿勢で歯間ブラシを使い、挟まった食事かすの汚れた丸めたティッシュを幾つも並べて出発時までおいておき、タオルなども丸めてそこらにポイ、白いシーツの上にキャリーバッグを直接置いて車輪の跡をつけ、思わず私が手でその跡を払うと、手が汚れるわよ、どうせ掃除するのだからきれいに使う必要ないわよと言い捨てたこと。

早くに両親と死に別れ、養女となったが小学生の時に家出したというから随分、辛い人生を送ってきたのだろう。それで過度に自分は、自分はとあらゆることに反骨精神を発揮して頑張ってきたのだろう。私はこうやってお金を貯めたのよと、せこさ満載だったのも、プライドが過度に強いのも、何でもあからさまに自慢するのも理解できる。

そして、理解できるなどと思う私は叩きつぶしたい相手だったのかも知れない。離婚以来、一人で何でもやってきた私と相通じる所があるのかもしれないと反省する。一応、世間並み礼儀作法をうるさく仕込んでくれた両親、反抗ばかりしていたが、愛情を掛けてくれた両親を心からありがたいと思ったのだ。





押し入れの中まで写真を撮られた検査が終わった。ヤレヤレ。

台風24号の時にガムテープで縦横斜めとベランダのガラス戸に補強した物を剥がしたのだが、すぐに25号が来るというので途中で気が変わったガラス戸1枚、剥がさずにいたのだが、これがぴったり張り付いてどうしようもない。あまりにみっともないので頑張って中性洗剤で擦ってみたが無理。なので、ネットで調べて簡単に剥がれるという方法を試す。ホントかな、からかわれているのではと思いつつ、指示通り、お酢をたっぷり吹きかけ、ペーパータオルもお酢でぬらし、ガムテープの上から貼り付け、さらにその上をラップで密封し、数時間。無駄だった。時間を掛けてごりごりとスクレーパーでこすり取ったが糊の部分はしっかり残った。からかわれたのね。忙しい中、筋肉はついただろうけど…。

人工芝を剥がした後に残った土の跡がベランダ全体に残っているのだが、水をふんだんに使うわけにいかないのでペットボトルで少しずつ掛けながらデッキブラシで擦る。ますます悲惨に汚くなる。歩いた跡がつく。おまけに台風で壊れた大きな鉢から土がこぼれだし、そこいら中、泥の糊状態に。少し乾かしては箒で細かな砂状になった物を掃くが何度掃いてもきれいにならない。水害に遭った人の気持ちが少しは分かるような…。たかが狭いベランダでこれなんだからどんなに大変か。

上の娘宅にいらない、送るなと言われつつ、昔、姑が息子に買ってくれたが殆ど手を通していない綿入れを申し訳なくて捨てられず、中学生の孫にと送り、怒られ、息子宅へ赤ん坊に買ったよだれかけセットその他諸々を持っていくが一足違いで留守。置いてくる。いらなければ捨ててと捨てる役目を押しつける。

下の娘もみんな捨ててというが、大量の品物を捨てるのがどんなに体力的にも精神的にも大変なのか誰も想像もしない。私の物ではないものは捨てられない。結局、粗大ゴミに5点出し、大きなゴミ袋でタクサンw、捨て、ノンちゃんマンを従えてやってきた娘に多数の雑誌類などを持って帰らせた。ヤツは箱に入った薄紙に包まれたままのガラスの鉢2組をそのまま燃えないゴミに捨てよった。全く、日本人はいつからこんなに贅沢になったのだろうか。バザーに出したかったがもはや取り戻す気力は残ってなかった。残念。

そして、検査の人にすみませんねえ、荷物が多くて汚くてと謝ったら、なんと、きれいじゃないですか〜、他のお宅をお見せしたいくらいですよ、などとお世辞を言われたのだ。どんなに掃除していないか、隅々がバッチイか、私だけが知っているw。低空飛行の気分が良くなった。筋肉痛は残ったが、無事終了ああ幸せ。

来年の本番では大変なことになりそうだ。


ようやく睡眠不足が解消されたばかりだというのにスケジュールがぎっしり。
主に病院の予約でw。昨日は半日以上病院で過ごし、1時間半に及ぶ大量の知能テストをした。面白かったが、集中力が欠けているのが自分でも良く分かる。邪念が混じる。うーむ。

土曜日に全戸リノベーションに向けた検査がある。ウチの棟は全室調査されると分かったが、今更どうしようもない。封を開けてないスーパーゴールドだか、何だか、娘が調子が悪いときに買った10本入りのエネルギー注入剤wを栓を開け、せっせとトイレに流し込む。洗面所周りにはクリスマスなどのために買ったが渡せなかった、好みじゃない香りだと知って渡さなかった整髪剤その他が多数リボンを掛けたまま鎮座している。貰い手がないまま歳を取ったので(ワタシみたいw)これもトイレにながさねば。もったいない。いじいじする。蛇足、牛乳200ccを台所でながすと浄化に60リットルの水が必要らしい。トイレは下水処理するので流すならトイレだ。

月曜日に母の所に行き、認知症がまた進んだという報告と、次の施設探しを始めた方が良いという忠告を聞いたばかりなのに、今日は妹がやってくるので昼前にまた母の所に行かねばならない。貴重な1日がつぶれる。今年になって2回目の訪問なので母は大喜びするだろうがもう少し暇な日に来てくれると良いのだが…。

どこをみても手抜きが歴然とした家の中。仕事が〜、心臓が〜、母が〜…。検査員への言い訳ばかり頭に浮かんでくるw。ベランダの人工芝の敷物を外したのは良いがこれをどうしたものなのか。重いし…。まだあと半分残っている。こうやっている間も母の所に出かける時間が迫ってくる。息子や娘たちの大量の本、雑誌、漫画…バッグ、衣類、小物その他もろもろ。

やっぱり、さあ、煮ても焼いてもどうにでもしろ、とこのままの惨状を最初に見せればいいのだと追い詰められたネズミよろしく歯をむき出すのみw。

IMG_3344[追記有り][少し手直ししました]
これまでに経験したことのない身心ともに疲れ果てた旅となった。

旅の仲間選びは慎重にが今回体で覚えた教訓。彼女とは興味や好み、価値観、生活環境が全く異なる。そういう人との旅は、長年の付き合いではあるが大変だろうと予想していたが想定以上だった。そういう意味では全く予想のつかない考え方や行動をする人がいると分かったのは収穫だし、面白かったのだが、へとへとだ。ガンダルフでさえ失敗したのだからワタシが失敗するのは当たり前かもしれないが。

恐らく、長く記憶に留まる忘れられない旅になったのではないか。ってことは旅は成功したってことにしておこうw。

まず出だしが悪かった。
台風24号の凄まじい風のせいで眠れぬ夜を過ごした次の夜、早寝するつもりがOutlookで作成した路程をチェックし、バラバラになっていた表を整えようとしていて消してしまった。CR+Zが効かないなんてひどい、でやり直し、印刷しようとしたら、プリンターが反乱。1度に数枚が、それも上がひな壇状態に重なって出てきて、時間を食ってしまった。ワタシの睡眠時間は…4時起きなのに…。

寒かったり暑かったり、全く変な天気が続いているので服が定まらない。半袖から軽いセーターまで積み込みキャリーバッグが重い。大きめの肩から提げられるずた袋のようなバッグを持っていく予定だったが軽いショルダーに変え、大急ぎで家を出る。走って予定の地下鉄に乗れたが、大手町で一旦しまったドアが開き、そのまましばらく待たされ焦る。東京駅に到着時点で発車まで10分少々しかない。全力疾走となる。丸の内側から東海道新幹線まで普通に歩くと10分近くかかるのだ。なぜ旅の度に走る羽目になるのだろう…。不整脈を抱えているというのに…。IMG_3351

乗換駅の岡山で早いが駅弁を購入する予定を立てていたのだが、彼女は食べないという。彼女の希望で坂出の東山魁夷美術館ではなく丸亀城を目指すことになったのだが、イサム・ノグチ庭園美術館を3時に予約しているので時間が切迫している。列車の中で食べるしかなく、丸亀では食べる時間はないと説明したし、昼には間があるが朝が早かったので十分時間は経っているのだが12時にならないと食べたくないらしい。丸亀−高松間では乗り換え予定で食べる時間がないのだが。仕方なく岡山のお気に入りの駅弁を諦め、丸亀城へ。現存12天守の1つとして有名な城だ。石垣が美しい。そしてお腹が空いたと彼女。知らんがな。あんな坂、こんな坂と、非常に険しい坂と続いて天守への転げ落ちそうな急階段を上り(荷物は置いて両手で手すりを握ってよっこらしょ。怖さでは松本城のの勝ちw)、庭を少々巡り丸亀駅でお握り1個と野菜ジュースを購入。美味しくない、悲しい…。

作品替えで休館中だったが1階は覗けた丸亀駅前の猪熊玄一朗近代美術館 ↓
 
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IMG_3377高松市中心部のホテルに荷物を置き、八栗のイサム・ノグチ庭園美術館へ向かう。2回目だがせめて石塀なりと触ってエネルギーを貰いたいのだがここは写真も触れることも一切禁止なのだ。時折強い日差しが照りつける。暑い。庭の彫刻は前回とかなり入れ替わっている。展覧会に貸し出すかららしいがこんな重たい作品も出すのね。前回同様、庭の木々や庭から見える外の風景を撮っても良いかと聞き、同じく拒否される。彼が選んだ形の良い樹木が好きだし、美意識がよく分かる土蔵なんだけどなあ…。IMG_3378

中心部、瓦町で夕食にしようと、仕事帰りらしい女性に聞いて美味しいという居酒屋に入る。店主は感じよくかなりの流行の店らしかったが、残念ながら鶏のチーズとトマトで調理した品が劇マズで四分の1ほどしか喉を通らず。彼女も味が濃いと残す。店主はここは男性客が殆どだと言ったが、若くもない女性好みの味では無かったと言うことね。この旅は食べ物に見放された旅となるような予感が…。

そして、夜が来た。再び眠れぬ夜がやって来たのだった…。

IMG_3352[追記] 今朝のニュースで丸亀城の石垣が10月8日、9日にかけて大きく崩れたことが報じられていた。庭の一部が先の台風で崩れたとの看板は見たのだが、死傷者は出ていないようで良かった。鋭角の美しい石垣だったが…。崩れたのはこの部分かも

https://news.infoseek.co.jp/article/mainichi_20181010k0000e040193000c/


写真はクリックすると大きくなります。
22,115歩 

all-00[1]台風が近づいてくる。外は強い雨が降り出した。
次々と嫌だねえ。9月の旅行の予定を10月にずらしてこれで大丈夫だと思ったら、もっと強い台風だというじゃないの。

新幹線の中で缶詰になるのも途中で下ろされるのもイヤだと、数日前、Y子に電話した。

もう切符買ったもの、私は行くわよ。言い張る。特別割引、3割引の切符はね、キャンセルできないのよ〜。
ちゃんと読んでご覧、使用前なら200円とか300円とかでキャンセルできるはずだから。
勿論、調べたわよ。書いてあったもの。
私が各種予約したから一人だけ行くとなるとどうなるのか、調べてももう宿はない。文句を言わなければどこかにあるとは思うが一人旅はしたことがないらしいし心配だ…。手元のチケット類も送らねばならなくなるし、どうしよう。困った。

じゃあ台風の進路がはっきりしてから決めようということになり、出発日は台風が通過した翌日だと分かった。目出度い。途中が通行止めになっていても頑張るしかないからね。まあ人生は冒険と言うことで、と切ろうとしたら、あ、切符は300円ほどでキャンセルできるって書いてあったわ、ハハハ。……。

どこでも良いわ、あなたの行くところに行くから連れてってと言っていたのが、あそこはねえ、とかあっちに行きたいとか、いつの間にか計画は微妙に進路を変え、結局尻尾に振りまわされる犬状態にw。予定を変更したせいで美術館は休館してしまい、行きたい島には連絡船の時間が合わず行けないことも分かり、不確実なことが増え、出発前からくたびれてる。ま、いいか。人生と同じで思うようにならないのが旅の醍醐味でもあるし。ゆっくりと彼女を観察して楽しもうっとw。

横道にそれたが、今までになく強い暴風というので今朝9時から頑張って飛散防止のフィルムを買いに行き、最後の品を手に入れた。

さあやるぞと思ったのだが、説明書きを読んで愕然とした。出来そうもない。娘や〜、ノンちゃんマンや〜と一瞬思ったが、自分でやるしかないよね。定規を当ててもカッターでまっすぐ定規に沿って切れたためしがないほど不器用なのだ。まあ、まっすぐ切れなくても私の家だ。私が良ければそれで良いのだ。腹を括る。

せっせとガラスを磨き、何とかフィルムを切り、貼り付けようとしたら、思った通りのことが起きた。
粘着面に石けん水をたっぷり吹きかけながら貼っていくって、幅が150cmほどあるのに一人で長いフィルムを片手で持ってそれに吹きかけながら貼り付けるって無理でしょ。特にワタシには。ああでもない、こうでもないの間にフィルム同士がくっつき、丸まり、剥がし、格闘しつつ、もういいやと横のサイズだったけどどうしょうもないので、縦に貼った。当然ながら、一旦剥がしたフィルムが丸まり、中に石けん水の詰まった大きな泡で覆われてフィルムはベランダの引き戸のガラスに定着した。戸は四分の1ほどしか覆われてないのに…。

仕方がないのでヘラでせっせと昼ご飯も食べずに、腕もすっかり痛くしながら泡をつぶして水を逃がす作業を頑張ったが、もうダメだ。まあ、4分の1でも飛散防止に役立つだろう。そこにぶつかればだけど…。娘に悲惨な出来だった。もう無理、残りはあげるとメールしたら、いらないよ、悲惨防止でしょうが。と返ってきた。頑張ったんだけどねえ。

好奇心は牛をも殺すってメアリーポピンズだか別の物語だったかに繰り返し出てきて、へえ、大変なんて思ったことがあった。ありがたいことにコロされもせず、早、高齢者と呼ばれる歳になった。娘たちに大人しくと言われるが、どうもこの好奇心というか物見高さは死ぬまで治りそうもない。

昨日、某国立病院まででかけた。色々不具合のある体なので、かかりつけの病院では手に余るらしく目出度くw紹介状が出て、先日、長時間の待ち時間という苦行の末、いくつかの検査が必要と判定され、今後忙しい日々を送ることにあいなった。まあ、仕事もしていないし、運動もしてないし、脳みそへの刺激も足りてないので丁度良い。

で、最初のテストが脳波測定。20代初めの頃、電車の窓からビルの一室に脳波測定の文字を見つけ、どうやって測るのだろうと気になり、よくお腹が痛くなりますとどうでも良い理由で測定して貰ったことがある。髪の毛に粘土のような物でコードをくっつけ、なんせ何でも笑いたい年頃なので、途中で吹き出して笑わないでと叱られた記憶が残っている。

どれくらい進歩したのか、お釜のような物をかぶるだけなのかとイソイソと小部屋に入っていき、最初に見つけたのが隣の部屋からコソコソと入ってきたゴキブリ!ゴキブリと叫ぶと、担当の若い技師はティッシュを4,5枚掴み、へっぴり腰で立ち向かうような格好をしたが、すぐ諦め、次に嘔吐用のへなへなしたトレイを手にし、周りをウロウロ、ゴキブリはさっさとベッドの下に逃げ込んだ。ゴキブリ怖いですよねと彼。だと思ったw。

恐怖物語を繰りだしゴキブリ談義で盛り上がっている間に、粘土ではなかったが、ごしごしとアルコールと細かな目のヤスリ?で髪の毛をかき分けごしごし、頬や目の下も容赦なくごしごしこすり、大量の線が取り付けられたようだった。鏡が欲しかったなあ。で、自分の姿を見たい人は大勢いるはずだから病院の収益改善のために写真を撮って売るというのはどうかしらなどとのんきに話していたのだが、最初の20分は電気をすべて消し、闇の中で寝ることに。眠れたらどうぞと言われたが、ゴキブリは今どこに。暗闇の中、ベッドに上がってこないだろうか。睡眠不足を解消したいのに、悶々と眠るどころではなかった。笑わないで済んだけど。

頬や目の下がざらざらして痛い。きっと丸く赤い斑点が出来ているに違いないと終了後直ちにトイレに飛んでいったら、たいしたことはなかったが、髪の毛が見事に逆立っていた。パンクだ。気に入ったw。どっちみち櫛など持ってないので手ぐしで撫でただけで済ませたが今度からパーマをかけて髪の毛を逆立てようかしらね。どっちみちスッピンだから顔も洗えたし平気だったけど、日頃身だしなみの良い皆様、脳波測定の際には櫛と化粧道具をお忘れなく。

IMG_0355バタバタ続きの日々。バタバタと素早く動けないワタシ。あらゆる物が溜まっていく…

1つ、自慢をオホン。

天井が高い。3.5mほどある。ペンダント型の照明器具を使っているのだが、これが厄介の種。数年前まで、年末に娘かそのダンナに蛍光灯の交換を頼んでいたが遠方に転勤となってからは年末ではなく夏に来るようになり時期がずれた。1日中つけているせいか、長時間用を購入しているのに長くは持たない。2年前の秋口に仕方なく頑張って交換したことがあったのだが、またしてもパチパチ、ウインクするようになってしまった。

下の娘のダンナは退院直後だし、娘は貸し出しを嫌がる。息子がいるじゃないのと言うに決まっている。息子はナンデだよ、ノンちゃんマンに頼めば良いじゃんと、ぽっちゃり大男と化した息子は必ず言う。まあ、ヤツが落下したら被害は甚大になるし、ヤツに借りは作りたくない。現在の貸しがあるまま威張っている方がワタシとしては心地よいw。

畳んだ長さ1.7mを超える巨大な脚立を引きずるように持ち出した。重い。実に重い。2年前も怖かったが頑張れた。2年の年月、なんじゃのもんじゃと自分を奮い立たせ、よっこらせと立たせるのも、開くのも必死の力を振り絞り、よじ登り、脚立の最上階wに座り込む。本当はこの傘自体を交換したいのだが、手が届くのが蛍光灯まで。交換には脚立の一番上に立たねばならぬ。早々とそれは諦めた。自分を知っている。エライッショ。

一人というのは、それもあちこち故障のある婆さんというのは不便なもので何度か脚立を降りたり上がったりしながら、震えもせずw、点灯管までちゃんと交換できた。

達成感が半端じゃないw。I am so proud of myself。ハハハハ。でも来年はどうなるかなあ。

余計なことだけど、天井の高い家、後のメンテナンスを考えると、特に一人暮らしの女性は買わない方が良いとしみじみ思う。

翌日、敬老の日の前日、下の娘宅で夜食事をご馳走になり、2斤1000円という馬鹿馬鹿しい値段の食パンと、1斤1000円というブドウパンを各半分お土産に貰った。誰が買うんだろう、こんな物と思っていたら娘が買っていたのだが、とっても美味しかった。値段のことだけはあるね。でもワタシは買わないけどw。

そして敬老の日の当日朝、息子から電話。みんなで行くからナという。母の日にプレゼントも貰ったし敬老の日は要らないというと(まだそんな年じゃないとワタシは思っているw)、孫には敬老の日だろうがとうるさい。学校の宿題でもあるのだろうか。気温が31度にも上がるという予報が出ていたので、8ヶ月の赤ん坊もカイロのような赤ん坊を抱っこするSちゃんも大変だから来ないで良いと渋っているとSちゃんから電話で、ウチの近所のファミレスに今から行くから一緒に食べようという。

仕方なく大量の凍らせた保冷剤を人数分持ちw、出かけていった。外は気温は高くてもさすが秋。意外に爽やかで大丈夫で、赤ん坊を入れた7人の大人数で食事をし、勿論ご馳走になり、たっぷり赤ん坊を抱っこし、触り、孫たちも一渡り撫で撫で、ハグハグして満足したのだった。

そして、翌日、母の所へ。監視の目を盗んでチョコを1個食べさせ、母の毎度のコメント、こんなに美味しいもの久しぶりという声を確認し、雷雲に追いかけられながら大急ぎで帰り、今年の敬老の日は終わった。

恵比寿の東京写真美術館で、3大テノールシネマコンサートと銘打った映画会が開かれてます。

9月21日までです。

13時から「3大テノール夢のコンサート」字幕有り

15時から「3大テノール世紀の競演」字幕無し


15時からの会を昨日見てきました。最高でしたよ。上映時間はきっかり1時間半。オペラファンじゃなくとも楽しめるはずです。

ローマのカラカラ浴場跡で恐らく数万人という大観衆を集めた、指揮者メータ、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという絢爛豪華な人たちによる、もう音楽の格闘技と言っても過言でないような圧巻のコンサートの映画でした。

もう、次から次へと、彼らがフルオーケストラと遺跡を背景にひたすら歌いまくります。メータの汗だくの顔も必見。この写真映画館は新しいだけあって、音響も素晴らしく、1曲毎に思わず拍手w。

ネットでの予約が出来ないようで、1時に友人と待ち合わせチケットを購入したのですが、真ん中の席がまだ空いていて、知られていないからなのか、結局3の1ほど空席がありました。21日までなので空席があるかどうか行ってみなければ分かりませんが、早めに行けば席がある可能性が高そうです。

また、高齢者が目立ちましたので、13時より15時開演の部の方が、字幕無しもあり、観客が少ないのではと思います。ひたすら歌うので字幕は全く要りません。

とりあえず…

詳しくはこちら


北海道の停電に関して、冗長性の議論を目にする。まあ、要するに北海道の電力需要の半分を賄っていた泊原発が停止していて、元々電力に余裕がなく、ぎりぎりに近い状態で回していたので、北海道全体が停電する羽目に追い込まれたということなのだが、このままでは発端となった主力の火力発電所の修理が完了しても、余裕がない状態には変わりがないので、しかも老朽化し無理して稼働している状態の火力発電所は何カ所もあるとのことなので、さらなる大きな余震や不具合が生じればまたしても停電に追い込まれるリスクが常に存在するというのだ。

そうなれば、北海道の厳冬期での停電はすぐさま多数の死者に結びつくことになる。原発をつなぎとして再稼働をするしかないと思っているのだが、原発を恐れ反対する人たちは相変わらず多いし、知事も命令を出すのは躊躇するだろう。しかし、このまま宙ぶらりんな、東京電力他全国から電力を融通して貰っての綱渡り状態を長期間続けるわけにはいかないのも明かだ。すでに北海道の産業に大きな影響が出ている。十分な電気がなければ工場も動かせない。暖房も出来ない、列車も動かない、農業にも電気が必要だし、あらゆる物に影響する。経済は沈滞し、失業が増えるだろう。

また、東北や東京などでそれこそ大きな災害が生じれば、北海道はもちろんのこと、下手をすれば日本の他の地域まで闇に沈みかねないし、日本全体が大打撃を被り、失業者は激増、観光業は壊滅、福祉どころの騒ぎではなくなる。全国の原発の殆どが停止し、どこも電力に余裕がない、常にかなり逼迫した状態にあるのだから、早く政治決断しなければ多くの命が失われることになりかねない、と私はヤキモキしているのだが…。

ここで、突然、身内の話だが、娘のダンナ、ノンちゃんマンが退院した。初夏の腹痛に始まり、1ヶ月間の入院、途中一旦退院し炎症部分が沈静化するのを待って、今回は手術。無事に生還できたので万万歳なのだが、ここでも冗長性ということを考えさせられた。

彼はテニス大好き人間で、毎週末、テニススクール2時間分だけでは飽き足らず、予約が取れる限り娘と土曜も日曜もテニスをしているのだが、今回の手術の際、贅肉がなく(羨ましい)、腹部の皮にまったく余裕がなく(つまり全くたるみがなく…ますます羨ましい)、引っ張れず!縫合に苦労したらしい。お腹に余分な脂肪やたるみがないというのも良いことばかりじゃないのねえ。

働き者の代名詞、アリの社会でさえ、何%かはぶらぶらしているらしい。スワ、一大事、事件だとなれば、普段ぶらぶらしている、いわば余分なものが俄然働き出すらしい。群れが存続するためには余剰が必要なのだそうだ。人間だけでなく、ハンドルでも、何にでも、余裕や遊びって必要なのよね。コワイコワイばかりではなく、地球温暖化や京都議定書、その他にもたらす原発停止のリスクと他とのバランスも落ちついて考えて欲しいなあと思うのだ。

で、常日頃、ぶらぶらと遊軍化している私、非常の際にはしゃきっと動けるだろうか。きっぱりと娘は言う。腰を抜かしてお荷物にしかならないわよ。娘の予言が当たるような気がするなあw。

[追記有り]母の施設のホールに大きな張り紙がしてある。つい先月掲示されたばかりだが、あまりにあまりなのでケアマネさんに聞く気にもなれなかったが、今度は支払窓口にはもっとえげつない張り紙が張り出されたので聞いてみた。

ホールにあったのは、ここは振り分ける場所だから3ヶ月で他に移って貰うという告知で、系列の他の施設名が列記されている。支払窓口に掲示されたのは、長くいると公的に適用される金額が10人で1ヶ月10万円、20人だと20万円減少するので、病院に移す。これまで医師が軽い病気であれば点滴などの医療を施していたがもうしないという宣言書だった。

この施設は、前にいた施設から区の指導が入って長期に収容できないからすぐ出て行って欲しいと言われ、十数カ所回ったあげく、ようやく見つけた施設で、移る際には看取りまでやるので安心して下さいという話だったが、誓った担当者はとっくに移動となっているし、どうすることもできない。

ケアマネさんの話では、経営者が交代し、収益アップを目指しているとのことで、体調を崩して寝込んだら最後、系列の老人病院に送り込まれるという。数日入院させるといって何人か既に移されたが、1ヶ月過ぎても誰も元には戻されていない。ただ寝るだけの生活に入ると高齢者は急速に弱る。今のうちに次の施設を探した方が良い…。

[追記するが、母の施設はいわゆる老健という要介護度が2から4の高齢者のための施設で、毎日のようにリハビリを兼ねた遊びの時間があり、週に何度か個人のリハビリがある。そのため、母は自立できなくなって入所して5年になるが、いまだに車椅子からベッドへ移ることが出来るし、耳が遠い上に認知症ではあるがある程度話は通じるし、色塗りや習字もやっている。ここにいる人たちは寝たきりの何も分からなくなった死を待つだけの老人たちではない。それなのに…だ。]

老人は物ではない。利潤を上げるために移すって、老人が変化に弱く、環境が変われば弱るとよく知りながら医者でもある経営者がそういう判断を下す。なってこった。前の経営者は理想を求めたが、新たな経営者は金を求める。そういう簡単なことなのだが落ち込むねえ。

高齢化で社会保障費が増大の一途を辿っている。分かってまんがな。何とかしなければ社会が持たない。仰せの通り。で、政府は自宅介護推進へと舵を切った。まあ、当然、そうなるだろう。しかし、自宅介護は大変だ。24時間、気が休まらない。ヘルパーさんを頼んでもそれは介護の一部でしかない。徘徊して事故、事件に巻き込まれると、世話をする側が責任を負う。本来なら働いて税を納めることの出来る壮年が親の介護で会社を辞め、税を納めるどころか保障を受ける側に回り、挙げ句の果て、疲れ果てて病気になったり、絶望しての親子心中に走る例も数多くでている。

家族が最後まで仲良く、それぞれ本分を尽くして平和に暮らすには、施設の役割が重要だと考えている。認知症となれば意志が上手く通じず、互いにいらつきし、お漏らしもある。食事1つとっても、拒否だの、誤嚥だの、家族と同じ食事をとれなければ手間も時間もかかり、当然汚すし、大騒動だ。そういう大変な部分をプロの方が担ってくれるから親子仲良くやっていける。ひいては社会の安定、安心して働ける社会へとつながると思うのだ。

また、なぜ日本の施設はもっと公共に開き、ボランティアを受け入れることをしないのだろうか。特別な場面だけでなく、日常的に手伝うボランティアがいればヘルパー不足も補えそうなのだが。何度か手伝わせて欲しいと頼んだが断られた。欧米では大勢のボランティアが入っている。話し相手や移動の補助だけでも助かるはずだ。入ってこられるのが嫌なら考えられる良い方法は他にないものか。

人生の最後のよりどころとなる施設がこんな状況なのだ。母は要介護3なので特養はまず無理だがあちこちにまず申請をだすしかない。我がマンションについては、来年早々のこの地区全体の大規模リノベーションに先駆け、来月には調査が始まる(積み上がった荷物が大問題。どうしよう)。そして修繕が必要なのは建物だけではない。私個人の検査もいくつか入った。月初の旅行の予約も済ませたというのに、急速な展開に目が回りそうだ。怠惰なドラマ漬けの生活が一気に変わりそうだ。

IMG_2858つくづく嫌になる。なぜこうも災害が続くのだろう。

先日、ドナから、孫から日本は、暑さがひどかったが、凄く良かったと聞いたと、自分もすぐにでも来たいようなメールが届いたので、即、夏はクレージーだし、台風が来るし、地震もあるからお勧めしないと返事した。

日本はとても良い国だ。日本ほど治安が良く、親切な人が多く、便利で何不自由なく、社会は安定しており、その上美しい国はない。災害を除いてだ。

東京を大地震が襲うと予想されている。マンションの購入時にも地震を考慮に入れたし、できる限りの準備をしている(何年も前からだからいざとなったら役立たなくなっている可能性もあるなあ…)。

東北、熊本に大阪ときたので、夏のこの暑さにも根を上げ、もはや地震の少ない北海道に移住せざるを得なくなるのかしらと夢想していたら、北海道にも震度7の地震。じわじわと東京包囲網が狭まってきているような圧迫感を感じる。

平成って、もしかしたら平らになるって呪文じゃなかったでしょうね、と言いたくなる。言葉には言霊がある。平成じゃなく平静が年号だったら良かったかも、などとおかしなことを口走りたくなるのは、地球が悪い、温暖化が悪い、いや、上に乗っかっている、あと数十年で地球自体の重さを超えると危惧されているとてつもない繁殖力の人間が悪いからだ。あら嫌だ。盛大なブーメランだわw。

写真は、この上なく平和に昼寝している娘のダンナ、ノンちゃんマンw。

友人が9月は台風が来るから10月にしようと言っていなければ9月の3日から6日まで丁度台風の進路の真下辺りにいて、今頃途方に暮れているところだった。

台風って10月じゃないの、と直島の念願のベネッセハウスに空きを見つけて予約していたから不承不承だったけど、キャンセルして良かった。

それにしても猛烈な台風だった。
そして旅の代わりに病院2箇所を予約してあったのだが、午後の分、1箇所はキャンセル、速乾性の生地のパンツと速乾性のスポーツメーカーのシャツを身につけ、強風に強いという大型ビニール傘に、4時間雨の中を歩いても大丈夫という靴を履いて出かけた。

まだ台風12号は東京から遠く離れているというのに、時折、激しい雨や風が吹きつける。診察が終わったのが12時近く。朝シャン派だが髪は洗うのを止めようと思っていたのについ洗ってしまい、おまけに考え事をしていてポンプを3回も押してしまい、髪の毛が盛大に泡だらけになってようやく気づいたお粗末さで時間を食い、急いで家を出、風にあおられ一段と盛大に逆立つ洗い髪と共に病院に到着。鏡を見てぎょっとするが如何ともしがたい。自分の容姿が見えないって実に素敵だよね。

台風がやってくるからまっすぐ帰ろうと思っていたのに1時間程度遅くなっても大丈夫だろうと病院近くの美容院に顔を出す。私の頭を見ればなんてやりがいがあると喜ぶだろうと思ったが、先客がいた。3、40分待てないのでまた今度と、ただ券があると覚えていたせいで足は自然に西武の7階9月6日までの「私の針仕事展」へ。母が刺繍など針仕事一般が得意だった反動で、私は全くしない。できない。なのにこんな日なのに行くなんて、我ながら呆れる。呆れながら見るがなかなか面白かった。このような根気は私に欠けていると確認するのみだ。そしてデパ地下へ急行。

馬鹿なことをしでかす日だったのかもしれない。一人前を慎ましく買えば良いのに、昼を過ぎペコペコ熊状態で、早く家に帰らねばと食品各種を見て回っているうちに大荷物となり、レジでハッと我に返るが遅すぎる。そうでなくとも力がないのにこの大荷物の上に傘を差して帰るのか…。目の前が暗くなる。

最寄り駅では風はあったが雨はやんでいた。無事たどり着き、食事が済むと今度は娘が気になった。同じ病院に3時から予約しており大抵遅くなる。風雨が強まってくる。外を覗いてももう誰一人歩いてない。5時近くになってようやく今から電車に乗るとメールが。この子は運動のために20分ほどの距離を電車に乗らずに歩くことが多いのだが、降ってなかったからと強風の中歩いたのだという。

こちらは大阪の、トラックも、トタン屋根も、小屋さえ飛びまわる画像を大量に見ていたから呆れはてるしかない。メッと叱ったが、まっすぐ家に帰ろうと思いつつ美容院やデパートに寄り道してしまった私と、やはり親子の血は争えないねw。

子供の頃、第二室戸台風が襲来した時のことを覚えている。雨戸を釘付けにして両親が友人たちと徹夜麻雀で盛り上がり子供たちは周囲を騒ぎ回っているうちに嵐は去った。翌朝、庭には床下浸水程度の水が溜まっていて、近隣の畑や池から逃げ出した小魚やドジョウを捕まえるのが楽しみだった。台風の日は毎回お握りと缶詰の日で子供にはワクワクドキドキする日、ちっとも怖くなかった。昨夜は風の音や雨の音が恐ろしく何度も目が覚めた。大人になったなあ。

私は何も考えない脳天気な子供だったが、同じような進路を辿った第二室戸台風では記録によると、死者194名、行方不明者8名、住宅の全半壊は併せて6万棟を越える大災害だった。大阪での最大瞬間風速は50.6m。台風21号はこれを上回る記録的な強さの台風で、巨大な損害をもたらしたが、現在の所、死者は11人となっている。国が強くなったということはこういうことなのね。

ブログの記事は出来るだけ嬉しいことや楽しいことで埋めたいのだがなかなかそうはいかないねえ。

老人病院で熱中症と思われる症状で計5人の方が亡くなった。

テレビのインタビューで院長は患者についてもその症状についても答えられず、今年の異常な高温の中でエアコンが故障した病室に放置し死なせたとして非難を浴びている。

10年前だったら、恐らく私も何というひどいことをする病院だろう、患者をなんだと思っているのだろうと非難し、院長や病院にひどく腹を立てていただろう。

しかし、両親が何回か入退院を繰り返し、知人を老人病院に何度か見舞いに行き、内情を知った今、無邪気に非難することは出来なくなった。

いわゆる老人病院と呼ばれるのは死期を迎えた高齢者を収容している終末期の病院である。一般的な病院とは異なる異様な雰囲気がある。勿論、どこもちゃんと掃除はなされているし、消毒薬の臭いもするが、古い病院が多く、総じて薄暗く、古びていて、かすかに糞尿の臭いも混ざっていることも。

もはや自宅で看取ることは難しいので殆どの人が急性疾患や事故ではない限り、老人病院で最後を迎えることになる。母の施設の隣には同じ系列の老人病院があり、看取りまで行うので安心して下さいと言われて、実にありがたく、またそうするしかないのだが、施設の往復に地震の際には倒壊すると思えるその古びた病院の前を通るたび複雑な気持ちになる。

設備の整った高度な先端病院は一般の老衰の進んだ高齢者には関係のないものとなっている。90歳や100歳の高齢者には事実上、高度な治療はほとんど必要ない。また体がもたない。高度な治療はこの先も生きて社会に貢献できる人のものだ。

寝たきりで意思を表すことも出来ず、ただ死を待っている人にとって点滴などで苦痛を和らげることは不可欠だが、その苦痛を長引かせることは拷問でしかないだろうか。それでも人は生きることを望むだろうか。

自然な死を望んでいた知人が、彼女の意志とは反対に、食事を取らなくなり衰弱すると老人ホームから老人病院に移され、そして親類の手によって可哀想と高度な治療を施す病院に移送され、あと数日で死ぬところだったと胃瘻が作られ、ホームに戻されその後1年間、寝たきりで、声も出せず、意識が混濁したまま、管からの栄養でただ生かされた。思い出す度に胸が痛む。

今回の老人病院の院長は死に慣れすぎていた。感覚が鈍磨していた。尊厳を持って老人一人一人に接していたとはとても思えない。しかし、それを厳しく責めることは私には出来ない。人生100歳時代で、ますます高齢者が増え、つまり死者も当然増える。見ないふりは出来ない。誰かに最期を看取って貰わねばならない。ほどなく亡くなると分かっている人たちを多数看取ることは精神的に実にきつい仕事だと思える。神経を鈍麻させなくてはやっていけないということなのではないか。また意志に反して生かされていた人にとっては死は恵みとも思えるかもしれない。

法令を整備して、ある年齢以上に達した高齢者に安楽死を認めることを、勿論、事前の自身による表明がある場合に限ってだが、そろそろ検討すべき時期がきたように思えるのだが。

娘のところに行こうといつもの通りに駐車場を通り抜けようとしたら、黒と黄色の段だら模様のバーで封鎖の作業をしているところだった。リノベーションのための作業場他の施設を臨時に設置する工事が始まったのだ。

で、しょうがないから迂回しようとして、駐車場を挟んだ反対側に目をやると、なにやら騒ぎが。70台後半から80台くらいの年配の男性が作業員2人の制止を振り切ってバーをまたごうとしていたのだ。

そして、次の瞬間、男性はバーに足を引っかけ、ぐにゃりと腰から曲がったと思ったら、顔からずるずると地面に落ち、両方から作業員に抱きかかえられた。なかなか品の良い、昔はイケメンだったと思われる爺さんで、恥ずかしそうにこそこそとお辞儀をしながら消えていったが、分かるわ、その気持ち。

ついこの間まで何の不自由なくガードレールなども飛び越えていたんでしょ。上がると信じていた足に突然裏切られ、さっそうとまたぐつもりが見物人たちの前でぐにゃりと醜態。

歯医者に行くときにはいつも公園を横切る。公園から道路に降りるのに遠回りせずに、内緒だが、いつも公園の石垣から飛び降りているのだが、ふと心配になった。最後に歯医者に行ったのは、つまり最後に飛び降りたのは今年の3月。以来、顎関節症で大学病院に通っているので地元の歯医者に行っていない。そろそろ歯のクリーニングに行かねばならないのだが、5ヶ月の空白が気になる。飛び降りてはダメかなあ。衝撃で椎間板ヘルニアになったりするだろうか…。たいした高さではないのだが…。心は昔のまま成長してないけどw、体は正直よね。5分早く家を出てノソノソ一歩ずつ歩けば良いだけなんだけど、嫌だなあw。

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