2012年02月12日

中世の街、チェスター

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はい、今頃続きです。なんて時間が経つのは早いんでしょう。それもドタバタと走っているかのような時間の流れにあきれてもう笑うしかありません。まあ人生、色々ありますなあ。まさか親がおしめを替えるのが嫌だと深夜家出するなどという事件が勃発するとは、全く想定外のことで、なんとか静かに暮らして戴きたいものです。

P1000766で気分を変えて、チェスターの続き。昨年10月にチェスターの宿について書いたとき続くと記しながらここまで遅くなるとは。
ごめんなさい。

チェスターの街はぐるりと城砦の壁で取り囲まれており、気持ち良く晴れ上がった広い空のP1000745下ぐるりと街の周りをK子と歩く。

細い運河が横を流れ、ナローボートが係留されている。緑の美しい競馬場では何頭かの馬が訓練中。博物館を2つハシゴし、この町がローマ時代を始めいくつもの層の上に作られていることと、かのコクマルカラスの名前を確認し、中世から現存の少々どころかかなりかしいでいるショッピングセンターを冷やかし(ああ、地震がないというのはなんという素晴らしいことなのだろう)、ビールとポットシチューを宿で食べた後、宿の男のP1000772子カウに、川遊びとそこで売られている最高のアイスクリームを食べなくちゃと言われ、ボーP1000787トに乗りに出かけた。

わずか30分ほどの遊覧船、その名もマーク・ツェーン丸に乗り、アイスクリームを押し合いへし合いしながら何とか手に入れ、すっかり休日気分を満喫。

ああ、何という気分の良い日だったろうか。幸せの記憶があれば当分やっていけるというのは本当だ。思い出しただけでうっとりと眉間の縦皺も消えていく。しばし、思い出を反芻し、仕事は遅れ、お腹は空き…、もとい。

そうそう、ここには大聖堂が。古くて、暗くて、階段がすり減り、宗教裁判P1000799所も、今は使われてないだろうが、あり、趣き満載だ。しかも古本を販売しているではないか。つい数冊買ってしまい、後でK子を口説いて引き受けて貰うというお粗末もあったが斜めに古い硝子を通してでこぼこの石の通路に差す日差しが美しい。

歩数をメモしたのに積み上がった書類の下敷きで見つけ出せない。あっというまに過ぎていった時間の象徴だね。小さな写真はクリックすると大きくなります。

ganbare_watashi at 12:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!2011年英国旅行 

2012年02月02日

地震は忘れなくてもやって来るらしい

[追記あり]先日、東大地震研から首都圏直下型地震の確率が4年で70%という数字が発表されてうわーっとのけぞった。東日本大地震が寝ていたものを起こして確率が大幅に上がったというのだ。なんせ、30年ほども昔、その頃の間もなく直下型地震が来るというニュースと立て続けに起こった地震が怖くて海外に逃げ出したほどの地震キライ人間。諸般の事情でしょうがなく日本に舞い戻ったが、家選びも〈選べるようになってからだが)、家具の配置も全て地震を想定している。20年を超えてかけつづけた地震保険は、半壊もしていないんでしょ、出ないですよの一言でヒビも洗面台のチップも弁償されなかったが、この程度でよかったと喜ぶべきなんでしょうね。

地震ネタを探してみたら、私流マンションの選び方-その1その2遅まきながら地震ネタ座して地震を待つ?
その他、まあかなり書いたものだ。これらを読むと2005年辺りにも地震がかなり発生していたようだ。地震国日本だねえ。

テレビ報道が一巡した頃になってこの4年で70%と言う数字があまり表に出てこなくなったので、再度東大地震研のウェブを覗いてみたら、大幅にトーンダウンしていた。曰く、誤差がかなり大きい可能性だの、個人の意見の表明であって、地震研の公式発表ではないだの、東大にしては随分思い切った発表をしたと感心したのだが、やっぱり、人心を惑わすとか、責任誰が取るんだとか、マスコミどうすんだなどと、所内でわらわらと騒ぎになったんだろうなあ。

[追記:数日前の日経新聞でも報じていたけれど、確率は再計算の結果、4年以内で50%以下、30年以内では83%以下ということになったらしい。別の機関は別の数字をあげている。まあ、巨額の資金をつぎ込んでも地震予知は今のところ不可能であるらしい。今回の地震で私が思い知ったと思ったのは、遠い未来でもタイムマシーンはできていないってこと。出来ていれば少しは警告してくれただろうに…。やっちゃあいけないということで見ていただけという線もあるだろうけど、子孫達はそういう人種にはなっていないと一応思いたい]

でも、何と言おうと、どうやっても地震の奴はやってくる気のようだ。30年で98%とかいや70%だとかという数字も別のところで目にしたが、これは30年目にやってくると言うのではなく明日起きるかもしれないのだし、毎日がこりゃ、水盃の世界だ。

大きな災害も、害虫も猛獣もいない英国にでも移住したいと思うのだが、昔の気ままな若い私ではなく、周囲に息子や娘の家族と両親がいるのに一人だけ逃げ出すわけに行かない。フリーランスの私はともかく、勤め人達も職場がなければ動けないし、特に、あの我が儘であっちが痛い、こっちが変だ、動けない、歩けないと騒ぐジジババをつれての移住など不可能だ。私も間もなく、というかご同様に、あっちが痛い、こっちが変だと騒いでいる身の上。ということで、毎日、気を揉みながらも暮らしていくしか方法がない。

それにしても災害の多い国だ。そして数千年の昔から日本人はこの列島で、地震や津波、台風に大雪と逃げまどいながらも生き抜いてきた。しかもへこたれなかった。ちょっとこれは凄いことでっせ。ご先祖様達の苦労と頑張りを想像したら、少しは私もしゃんと頭を上げて、根性を出して頑張れるような気が、少し、するような…。

ともかく、地震はやってくる。東大地震研に掲載されている防災対策を、分かっていることばかりで今更でしょうが、引用します。分かっちゃいるけどやってないという私やあなた、やらねば、ネ。

  • 地震が起きたら,まず身の安全.「落ちてこない」「倒れてこない」「移動してこない」場所に身を寄せましょう.
  • 揺れがおさまったら,落ち着いて火の元を確認してください.揺れている最中に無理に消そうとする必要はありません.
  • ガラスが割れているかもしれません.あわてて行動しないように注意してください.寝室には,スリッパやスニーカーなどを置いておいてください.
  • 窓や戸を開けて,出口を確保してください.
  • 門やブロック塀には近寄らないこと.倒れてくる恐れがあります.
  • 家具類の転倒や落下防止をしておきましょう.これは自己責任です.
  • 家の強度を確認しましょう.1981年6月1日以前に着工した建物は,古い耐震基準で建てられています.すみやかに耐震診断をうけてください.多くの自治体が補助をしてくれます.(自治体の防災課や危機管理室までお問い合わせください.)
  • 診断の結果,補強の必要があれば,耐震補強をしてください.多くの自治体が補助をしてくれます.(自治体の防災課や危機管理室までお問い合わせください.)
  • 地震が起きれば通信機器は使えなくなります.家族とどう連絡を取るか,ではなく,連絡が取れなくなったときはどうするか,を話し合っておきましょう.
  • 地震は昼間に起きると思っていませんか? 夜間に発生することだって当然あるのです.懐中電灯や履物の用意を再度,ご確認ください.

首都直下地震のような直下型の地震の場合は,家屋の倒壊や家具の転倒による死者が8割を占めると言われています.実際,阪神・淡路大震災の時はそうでした.逆に言うと,耐震補強をして,家具を留めれば,8割も被害を軽減できるのです.(学校の耐震化は急務です.)

家屋が倒壊しなければ,火災も発生しにくくなります.ブロック塀が倒れなければ,消火活動もスムーズになります.被害はさらに軽減できるでしょう.M7程度の地震から被害を最小限にとどめることは,ひとりひとりの心がけで可能なのです.

今がその時と思って,対策をとってください.





ganbare_watashi at 12:38|PermalinkComments(7)TrackBack(0)この記事をクリップ!ええっ! | 東日本大地震

2012年01月19日

ハロー、抜け殻でっせ

P10015043週間に及ぶ乱暴狼藉の末、娘と3匹のベビーギャングが去り、一気にテンションが下がり、抜け殻と化しております。

今回の被害はふすまの落書き2枚、障子の破れ2カ所、12月におろしたばかりのカバーのシミ多数、ボールペン、赤インク、鉛筆での落書き、布団のお漏らしその他

夜中に、おしっこは部屋じゃなく、トイレでしょという娘の恐ろしい怒りの声もなくなり、トイレのドアの下から小さな手が差し出されることもなく、バナナ1房が瞬間で蒸発することもなく、にやりと笑いながらミルク浸しのコーンフレークを手づかみで床に振りまく奴も、どいてという代わりにお腹に噛みつくちっぽけな奴もなく、ぎゃーだの、ヒーだの、わーんだの、耳を聾する騒音もなく

子供たちのいない我が家は静かで、平和で、つまんない…

新年早々発熱と嘔吐で3日ばかり寝込み、ようやく食べても吐かない程度に回復した身で上野動物園に同行し、気分が悪くなって帰宅したと思ったら、翌日には問題児の4歳児りーぼーが40度近い高熱。6歳児は転んでどでかいコブをおでこにこしらえ、2人並んで冷えピタ。1歳児のギャング、娘曰く「いたいけない赤児」が寝たら息子の所に熱冷ましを取りに行く約束だったがこういう夜は全く寝ない。ご機嫌で部屋から出てきてはお休み、ハグ、バイバイを10回ほども繰り返すものだから、仕方なく虚弱で老齢よろよろの私が深夜のお使い。

ああ、大変な日々だった。ああ、面白かった。でも長期は、あと1年か、2年は遠慮しておこうかな…

と、静かで平和な日々を楽しむつもりだったのに、昨日早速、今度は自分たちの番だと心得ているジジババがやってくれた。父はどうやら主治医を失ったようでこの先どうなるか。父はデイケアを代わり、母は拒否。
やっぱりスモールライトが欲しい。ぽいっと籠に入れて持ち運べるくらいにしたい。誰か早く発明して!怒鳴り声も小さくなる機能もつけてね。

ganbare_watashi at 10:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2012年01月04日

じたばたドタバタ年は暮れ、年は明け

2012105優ちゃんりさちゃん遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

(このおめでとうという言葉、心に引っかかって言いにくく、年賀状もどうしようかと迷ったのだが、少なくとも新しい年が来るというのはおめでたいと割り切ることに。例え開けたての元日に大きく揺れて足が攣ったとしても。)

恐るべき忙しさの中でクリスマス、お正月を迎えました。
恒例のフルーツケーキがなければ皆が承知しないので、これは11月から用意して漬け込んでいたのだが、つい数週間前の暇さ加減が嘘のように仕事が一気に雪崩落ちてき、クリスマス直前に、仕事の合間、それも夜に焼くという羽目に。出来が悪かったと言うことなかれ。

なんせ、昨年は3月の震災の余波を受け、娘宅に長期避難していたことや英国旅行他で働かない日が多く、フリーの身としては財布の中身が心配になってきていたので、ありがたやなのだが、父のデイケア脱走とか、深くて禁止していた風呂に勝手に入った事件とか、母のデイケアでの発熱とか、色々重なり、って両親がらみが多いなあw、劇的な忙しさでした。

25日に末娘のAちゃんが自宅を開放してくれ、両親、息子一家も揃ってクリスマス。出発前に父がトイレで転び打撲、その後また一連の騒動に発展しましたが、骨折もなく、無事ですのでご安心を。私はチキンを焼いたのだが、これまた周囲を巻き込んでの大騒動となるも、何とか黄金色のチキンを大皿に乗せ、落としもせず、腕はブルブルしたものの無事に到着。

あけて26日に3人の幼児共々上の娘が到着。一気に大混乱に。息子が甥達に贈った巨大なラジコンブルドーザーと巨大な飛行機が絶え間なく大音響を響かせ、これはもう嫌がらせとしか思えない。そうでなくても泣き声や喧嘩、ねえかーかの大合唱で、耳をつんざくほどの騒音なのに。ついに娘がスピーカーに布を貼った。

ラジコンのスポーツカーは冷蔵庫の後ろに入り込み動けなくなり、娘婿が冷蔵庫を動かすのに苦労しているのを見て思わず全力を出してしまい、その後物置と化していた息子の部屋を片付け、パソコンを移動し、ベッドを整え、ドタバタやっているうちに右手に異変が。包丁を持っても、マウスを握っても激痛が走る。痛みは3日ほどで引いたが、その間に年が明けてしまい、年賀状は書かずじまい。だが娘の助けを借りて大鍋一杯のお煮染めとおぜんざいその他を作ったのは、エラカッタ。うん。結局、2年連続で碌に大掃除は出来なかったが、仕方ないよね。

ようやく痛みが引いて、住所と文面を印刷しようとしたら、今度はプリンターが拒否。マニュアルを探し出し、葉書の厚さを測る。せめてとユニセフの葉書にしたのだが、許容範囲のはずだがどうやら機械はそうは考えないらしい。で、手書きとなる。汚い字もまた愛嬌と考えてくれますように…

初詣のおみくじは末吉だった。昨年は中吉だった。さてどんな1年になるのだろう。いつもよりお賽銭を奮発して日本平和を祈願した。神様もこの額でと、当惑したに違いない。娘婿のNちゃんは、今年はそういう願いが多いと思いますよという。君もだったのか。

穏やかな一年になりますように。



ganbare_watashi at 07:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2011年12月16日

勝てない…

P1000536雨が降っていた。今年初めての氷雨。それもかなり強い。外は寒い。
私は仕事をしていた。雨の日はあきらめがつくのかすんなり仕事に入れる。

そこへ母から電話。「寒いね。雨が降っているし」「そうね」「外に出ない方が良いよ」「そうね、出ないことにするよ」
と、母の声の調子が変わる。「そうなの…。買ってきて貰おうと思っていた物があったのに…」「でもいいわ。何とかするから…心配しないで良いから…」

5分後電話がかかる。母からだ。「もし来るのなら、ミルクと、食パンと、ヨーグルトとバナナと…買ってきて」
前日にミルク他を買って冷蔵庫に入れておいたのだが。

30分ほどしたらまた電話がかかった。「外に出るのなら、ミルクと、食パンと、ヨーグルトとバナナと…買ってきて」
この分では、買っていくまで電話は続く。仕事を諦めて帽子と手袋マフラー、完全武装して雨の中、外に出る。1年前の台風の日、お父さんが大変、お漏らししてしまって台所が水浸し。すぐおむつを買ってきてといわれ、台風だからちょっと待ってと言っても聞いて貰えず、小枝が飛び散る公園を抜けて買い物して届けたのに、翌日、おむつを無事に当てたかと聞くと、あんなものお父さんがしますかと言われたことを思い出した。

もしかしてと思ったとおり、冷蔵庫の中にはまだミルクもヨーグルトも残っていた。そろそろ買いに行かなくてはと思うと、もしなくなったらどうしよう、そしてどうしても必要と意識が移り、パニックになるのかもしれない。

数日後、母から電話。どういう訳か天気が悪くなると電話が頻繁にかかる。今度はおむつだ。
もうなくなるから注文して。注文してと言われても2、3日かかる。それに申し込んでいた区役所からの配達があるはずだと区役所が委託している業者に問い合わせる。調べて貰うと発送が週末になるという。間に合わない。アマゾンを見るが急ぎは350円余分にかかる。

仕方がない。仕事を諦め、ドラッグストアまで買い物に出る。近所の薬屋さんが漏れないと勧めてくれていた形状のパットはとみると、セールで36枚入りと57枚入りが同じ値段になっている。前日に、シーツとベッドパット2枚まで染み通って大わらわで洗濯したからこれは買わねば。近所のスーパーでは詰め替え用しか売ってなかった洗剤がここでは容器ごとそれも値段があまり変わらずに売っている。

結局、36枚入りのおむつと57枚入りのパットと、洗剤、ティッシュその他を抱えて、10分ほどの道をよろよろと母の所に向かう。重たい物を持つと不整脈がひどくなるからと孫も座ってからでないと抱かないようにしているのに、この荷物。

ああ重たかったと荷物を渡すと、カートぐらい持って行きなさい。ごもっとも。
でもお母さん、おむつ1パックだけ買うつもりだったのよ。あなたが必要だと思うからこんなに買って大変だったのよ、と声に出せない言葉を飲み込む。パットの方もやり方を教え、形を作り、3日間毎日、使いなさいと言い続けたのに、新しい物はやりたくないのよ。重かったのにといえば、そんなことは知らないわよ。そりゃそうだ。

93才と88才。勝てるわけないよ。

最近、友人達や子供たちから凄く元気そうと言われる。母達のおかげで、筋トレに結果的に励んでいることになり、運動不足が解消され、夜、眠れるようになったおかげだろう。全く世の中上手くしたものだ。でも強制的なこんな運動、ありがたくないけどなあ。

ganbare_watashi at 10:35|PermalinkComments(12)TrackBack(0)この記事をクリップ!いろいろあるよね 

2011年12月12日

急がば回れ

大忙しだった。とにかく急いでいた。
で、忙しいから簡単にお昼を済まそうとして、ハタと考えた。

食パンにチーズをのっけてチーズトーストにしようとしていたのだが、どうも芸がない。
もう一ひねり欲しい。

そこで、食パンの上のチーズの上に卵を乗せた。
フォークで卵を割り、トースターの中で即席スクランブルが出来るのではないかと思ったのだが、
つるりと滑り
必死で抑えたのだが、もっとつるりと滑り
滑っちゃダメという私の命令も聞かず、
卵はパンから滑り落ちて網の上に。

急いでいるのでパンを取り出して、トースターを傾けたり何とか救いだそうとしたが
つるつると全く言うことを聞かない。
トースターの扉に、外れますという表示を見つけ、扉を外したが、網はそのまま。
仕方ないのでバネを外したら、ようやく網に乗ったままの卵が出てきた。

フライパンを熱し、バターを敷いて、チーズをのっけたパンを入れ、その上に網を逆さにして卵を乗せ、フォークでつぶし、ゆっくりととろ火で焼いて、どうにでもなれと、破れかぶれで、えいやっと裏返したら、焦げ付きもせず、無事に食べることが出来た。美味しかった。

でも、扉が外れ、網も外れ、分解されたオーブントースターが残された。下には焦げた諸々が…。
今朝はトーストが食べられなかった。当分、ガスで英国式のトーストを食べるとするか。

急がば回れは本当よ。



ganbare_watashi at 12:49|PermalinkComments(8)TrackBack(0)この記事をクリップ!嬉しいこと、おかしなこと 

2011年11月28日

個暖房

秋の深まりと共に、足首辺りが冷え冷えとしてきて、膝掛けをしてもなんとなく冷えてくる季節。暖房を入れたいが、いやもう少し待てと躊躇する。でも寒い。電車がちゃんとダイヤ通りにやってくるようになって、少々気が緩んでいたが、電力が再び気になりだした。

3月頃には危機的な状況が起きるやもしれぬと秋口には騒いでいたのが最近聞こえてこない。しかし、状況が劇的に好転したとも思えない。熱中症も怖いが、寒い最中に電気が頓死するとこちらも危うい。

商品画像となると、やっぱ節電でしょ。ということでパナソニックのデスクヒーターなるものを購入。なんせ、一人暮らしでホットカーペットとエアコン+アルファで毎年冬を乗り切っていたが、ホットカーペットは自分が座っている所だけ暖かくするわけにいかない。もったいない。

このデスクヒーター思った以上の優れものだった。小型の電気パネルを屏風状にしたものとでも言えば良いか。軽くて持ち運べ、テーブルやデスクの下で「コ」の字型に広げると、ほんわかとこたつに入っているように暖かになる。運んでいった先が自分だけの日溜まりのようになる。

で、本当はやってはいけないらしのだが(温度が上がりすぎるのかも)、低にして、膝掛けをその上からかけてみた。とっても気持ちが良い。まさに一人用こたつだ。でもこたつのように散らからない。こたつ布団も必要ない。場所も取らない。おまけにテーブルの場合は、パンくずまで膝掛けでキャッチできるw。

これまで電気膝掛けや、湯たんぽ、アンカ、その他と、毎年脚の冷え対策に悩んできたが、これで今年の冬を乗り切れるぞ。

大震災の前と後では、みんなの気持ちがすっかり変わっている。この流れで行くと、夏には個冷房の優れものが出てくるだろう。で、小さな太陽光発電パネルをベランダにかけて、一人一人が必要な時に、必要なだけのエコの冷房やファンを回すのが、あと何年かしたら当たり前になるかも。個ジェネ、個暖房、個冷房の先進国になり一大市場が作れるかもネ。

必要は発明の母で、お尻に火が付かなければ何もしないのが当たり前で、火が付けば必死に考え、そうなると道が開ける。ということで、今まで太平楽なバカであったとしても、そのうち日本は何とかなっていく、と思っていようっと。

ganbare_watashi at 16:29|PermalinkComments(4)TrackBack(0)この記事をクリップ!嬉しいこと、おかしなこと 

2011年11月17日

キングサリ満開のボドナントガーデン


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キングサリという藤の花に似た、でも金色に垂れ下がる花があると知ったのは数年前。コッツウォルズの有名庭園にあると聞いたが、なんせ、列車とバスの旅では思うに任せない。諦めていたのだが、ウェールズにもキングサリで有名な庭園があり、その満開時期が5月末と聞き、日程を合わせた。天候不順でどうなることやらと気が揉めたが、幸いにどんぴしゃり。数十メートルの花のトンネルが出来ていた。

P1000668P1000666このボドナントガーデンはウェールズにある。チェスターからは列車で1時間ほどのLlandudno Junction Railway Stnからバスで15分ほど。観光バスは数台とまっていたが、花の盛りだというのに人が少ない。非常に広大な庭園だということもあるが、やはり観光客がちょっと周遊というには遠いからだろう。その分、ゆっくりと楽しめる。出口付近に骨董店というおまけのお楽しみもあった。

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庭園にはローマ時代の物と思える彫像も多数有り、バラ園も花盛り、山あり、谷あり、小さな滝に趣のある木造の橋まであって、館周辺をそれるとまるでハイキングのように行けども行けども…というわけで途中で諦めた。紹介されることが非常に少ないようだが、素晴らしい庭園だった。

P1000689ウェールズに入ると英語とウェールズ語が併記されている。ウェールズ語は発音が凄い。スペルから想像できない。ということで覚えられない。このLlandudno、スランデュドウノと読むのだが、バス停から一緒だったおじさんに何度も発音して貰ったが覚えられなかったw。その場では覚えたつもりだったが、5分もすると忘れてしまう。地名を言うのに、恐竜のような名前と言ったら通じた!嘘のような本当の話。

この駅から庭園とは反対方向に2,30分歩き、大きな橋を渡ると、世界遺産の城、コンウィ城がある。中世の城
がそのまま残っている。といっても廃墟だ。細い急な階段を上った城壁の上は、細い鉄線が渡してあるだけで、怖い。高所恐怖症の人は止めた方が良いかも。そういえば日本にはこういう廃墟をそのまま保全するという文化はないようだ。城跡ならあるが。修理するか、いや、建て替えるだろうなあ。

コンウィの街をぶらつき、ルイス・キャロルゆかりのLlandudno(ボドナントガーデンのあるジャンクションとは別の街)を二階建てバスでぐるりと回るが、接触事故発生。停車中の車のサイドミラーが折れただけで、たいしたことはなくて良かったが、女性の運転手さんはかなり焦っていた。Llandudnoは湾に沿って大型ホテルが建ち並び、P1000711なんでも英国のナポリと呼ばれているとか、いないとか。賑やかで大道芸人も出て人が多い。

コンウィではウェールズ一美味しいというフィッシュ・アンド・チップス店を探し当て、私はスキャンピー、K子はタラだったか巨大なサカナをコンウィ駅のホームで食べる。スキャンピーは素晴らしく美味しかったが少量なのですぐお腹が空き、K子は満腹でもう何も入らない状態。当然、夕食はサクランボとリンゴを囓って寝る羽目に。P1000714それなのに、帰国後私はコレステロールが急上昇で薬を飲むこととなり、私より高く、薬を処方されそうと言っていたK子は食生活と歩いたおかげですっかり健康体になったという。普段はいったいどんな食事をしていたのだろう?



P1000713なお、コンウィ駅は最初見つけられなかったほど小さな駅で、駅舎もない。
列車は乗客が手を挙げて合図しなければ通過してしまう。横にいた男性が手を挙げて止めたが、彼の前の車両だけがドアが開き、といっても手動であけるのだが、手を挙げなかった私たちの前のドアは閉まったままで、運転手さんに合図をするも手遅れのようなので、慌てて移動するという一幕もあった。田舎に行く際は、お気をつけて。

14021歩 写真はクリックすると大きくなります。 おどけたカラスと鳩のミックスのような鳥がすっかり気に入り、チェスターの博物館で調べたのに、忘れてしまった(^^;) [追記]Jackdawコクマルカラスでした。頭にグレーのベレーを被ったようで、カラスみたいなのに鳩そっくりの歩き方をします。右上の写真、Conwyの駅名の斜め下におどけた格好で写っています。クリックしてご覧下さい。



ganbare_watashi at 12:41|PermalinkComments(23)TrackBack(0)この記事をクリップ!2011年英国旅行 

2011年11月08日

思い出の品

P1001417どんなに貴重な思い出でも、思い出の品でも、他人から見れば、他人じゃなくても本人以外には、値段が付くような骨董でもない限りただのゴミ。

さしずめ私などゴミ屋敷に住んでいるのと同じだ。分かっちゃいるけど、処分は出来ない。思い出に価値がある。人生の豊かさはどれだけの思い出を一生の間に積み上げたかによると誰か言ってたような、言ってないような。

両親が急遽近所のマンションに引っ越してくることになった。妹一家と同居するため家財一式処分して5月末に東京を離れてからわずか半年弱。偶然にも息子の住むマンションのそれも同じ階の数軒隣という願ってもない所に入居できることになった。

しかし、ごくごく小さな収納しかないマンションで、部屋も狭い。家財は処分して、つまり収納場所はないのに、大量の手紙、写真類、陶芸関係の材料、作品を持って行ったので、今度はそれらを置いてくるよう繰り返し説得しているところだが、これが難しい。分かったというのだが、本当に分かったのか、93年と88年という長い年月を生き抜いてきた海千山千の爺さん、婆さんは一種の妖怪だから、手玉に取られている気がしないでもない。

それにしても人の周りに集まってくる物の多さには唖然とするしかない。段ボールに入ったままこの先何年も過ぎ、物の思い出は消え、そして本人達の思い出も薄れたころ、本人達を知らない世代が棄てることになるのだろうか。

以前、過疎地で田舎家を借りた時、周囲には物が詰まったまま朽ち果てつつある家が多数あった。無人の家は沢山あるのに貸してくれず、家を借りるのに何年も苦労したのだが、それぞれの家に膨大な思い出の品が詰まっていたのだ。思い出は処分できず、さりとて子供世代にはそれを保管する場所はなく、そのまま永遠に使われない倉庫代わりにしてあってのだろうと、今では思う。

思い出の写真も手紙も、データー化するのも膨大すぎて作業にかかるのもなかなか難しく、またそれを見る人は多分現れず、数年後にはまた単なるゴミと化すのかもしれない。本人達を記憶する人がいなくなると共に思い出の品も朽ち果てるのが生物である人間の営みとしては、正しいのかもしれない。

思い出は頭の中だけの空想のようなもののような気も一方ではしている。膨大な背景と膨大な些細な出来事は、自分は体験したと信じているが頭が記憶として作り出した物語なのかもしれないではないか。現実はどこまでが現実なのだろうか。同じ思い出を共有していると思うのは、各人の美しい思い込みなのかも。

ganbare_watashi at 11:46|PermalinkComments(6)TrackBack(0)この記事をクリップ!世迷い事 

2011年11月02日

亀裂の修理

P10014373月11日から7ヶ月半も経過し、ようやく我が家の亀裂も修復して貰った。揺れる度に天井が落ちてくるのではとか、壁が崩壊するのではとか、不安で過ごした7ヶ月半。

壁紙を剥がしてみると、大きいと思ったけど、末端はヘアクラックですねという声。たいしたことのない亀裂だったみたい。ほっと一安心。でも台所の方の壁まで貫通しているんですけど。これで髪の毛程度の細い亀裂?

壁紙の下では壁のモルタルが一部剥落していて壁紙の内部に溜まっていた。それらを削り、モルタルを重ね、下準備をしたら、ちょっとした壁画が出現した。このままでも良いかもとちょっと思ってしまった。

他にも何カ所か亀裂が入ったような箇所があったが、揺れで壁紙が伸びたり縮んだりした跡だという。違うような気もするが、そうだと信じることにした。その方が精神的にも、財布にも良い。

構造体に入ったところだけ理事会が支払ってくれたのだが、壁紙はその部分だけという。一面を貼り直しても2万弱の負担で済むが、肉体的負担はそうはいかない。台所側の壁には以前の住居で本棚として使用していたシステム家具を組んで電子レンジや食器、食品類を多数収納している。おまけにワイヤーで壁と固定済みだ。これをばらすとなると…想像するのも止めた。

で、結局冷蔵庫を動かして、その裏の壁紙を剥がして、修復箇所に貼ることに。

見栄えよりも、楽を取り、一番簡便な方法を選んだのだが、それでも冷蔵庫の中身を移動させたり、台所周辺を片付け、時ならぬ大掃除となった。冷蔵庫の上も、後ろも、下も、ワゴンの下もすっかり綺麗になった。これで今年の暮れの大掃除は終わったことにしようっと。

それにしてもチリも積もると凄いですな。小銭を大切に、これを今後のモットーにするぞ。

ganbare_watashi at 19:36|PermalinkComments(6)この記事をクリップ!いろいろあるよね 

2011年10月21日

中世の宿、チェスター

チェスターの駅前からタクシーに乗り、ついたところはタバコを吸っているおじさん達の群れの真ん前。

P1000631一瞬というか、かなりひるむK子と私。ネットで調べて予約したのだが、旧市街でタウンホールのすぐ近くで駅からも歩いていけるはずの便利な所。写真によると重厚な木の扉で素敵に見えたんだけど。なんだかんだあってすでに夕刻、キャンセルすれば全額没収、入るしかない。東洋人も黒人もあまり見かけない街で、地元民しかいないような居酒屋へ、好奇の目にさらされながら恐る恐る入っていく。

361中は大盛況。座席どころか、立っている人で埋まっている。人波をかき分けた、一番奥、バーカウンターのすぐ横のキャッシャーが受付だった。頬が丸く赤い、おとぎ話に出てくる気の良いお兄ちゃんそっくりの若者が立っていた。ここは一族が経営している昔ながらの旅籠で、彼の話によるとこの建物は1470年代に建て直された、町で一番古いパブなそうな。[リンクをたどって改めてこのパブの歴史を読んでみると起源は11世紀にさかのぼる。ふーん]こういうことでもなければ多分入れない地元の人たちで一杯のパブ。うん、気に入った。357

すり減った階段はぎしぎし文句を言うだけではなく、はっきりとかしいでいる。上っていくと自然に体が横にかしぎ、少々目眩を感じる。部屋に作り付けの大きなワードローブはもちろん床がかしいでいるせいで力を入れなければ上手く開け閉めが出来ない。おまけにベッドに寝るとぐらりと横に転がりそう。

356バスルームは近代的でパワーシャワーまで備えてあったが、バスタブにお湯を満たそうとしても蛇口が動かない。頬の赤いお兄ちゃんを呼ぶと、テーブルナイフを持って飛んできた。修理も全て一族でこなしているらしい。で、彼が触ると簡単に動く。やってみるが、私の力では全く動かない。K子だと動かせることが判明。単に私が非歩力なだけだったw。

この宿はガラスも昔ながらのガラスがそのまま残っているようで、面白い模様がついている。パブの羽目板も、何もかもいかにも古いぞ、オリジナルだぞのオーラが伝わってくる。朝食も、ペンザンスのB&Bでは食事が売り物で、フランス人のシェフというご主人が朝から焼くでできたてのクロワッサン他の美味しいパンにスモークサーモンやスクランブルエッグなど、非常におしゃれだったのが、一転、ここでは中世らしくw、ブラッドソーセージがついている。いかにも男性向きだったが、もちろん、こわごわと、でも完食。しっかりとお腹にたまる。さあ、今日も歩くぞ。P1000724

チェスターの街のことを書くつもりで宿のことだけで長くなってしまった。ここには3泊したが、ランチもビールも美味しく、ベッドから転がり落ちもせず、楽しかった。目玉焼きの上がブラッドソーセージ。その横は手作り感満点のポテトでここのが一番美味しかった。次回に続く



小さな写真はクリックすると大きくなります。[窓枠のペンキの厚さをごらんあれ。何度塗り直されたことか]


ペンザンスーWightwick Manorーチェスター、6497歩

ganbare_watashi at 12:39|PermalinkComments(6)TrackBack(0)この記事をクリップ!2011年英国旅行 

2011年10月14日

福島を食べる

P1001423[追記あり]風評も何のその、恐れるもののない?中高年の特色を生かして、福島の農協に注文していた「がんばるぱっく5」が到着しました。

美味しそう。

中身は
福島市産りんご6個・福島市産きゅうり5本・福島市産たまねぎ3〜5個・福島市産じゃがいも(キタアカリ)500g・福島市産ハウス生しいたけ1袋・JA新ふくしま管内で作られ厳選された大豆と米で作った愛菜味噌1kgの詰め合わせ、10月25日までの期間限定販売

これで2500円。送料無料。あ、勿論、放射線は不検出で安全です。

[追記]17日朝のNHKあさイチで、実際、毎日の食事にどのくらいの放射線量が含まれているかを調べる実験をしていた。全国から数家族が選ばれ、1日3食、7日間分の食事を最新鋭の放射線測定器に、通常20分程度かけるところを2時間かけ詳しく調べた。

この家族の中には、原発から60キロ圏内に在住している9ヶ月の幼児を抱えた一家と、同じく60キロ圏内の農家で水も地下水という、ここも幼児を抱えた一家も入っていた。9ヶ月の幼児を抱えた母親は、これからも福島に住みたいと、応援する意味で福島産を選んで購入しているという。農家の方は自宅で栽培した米や多数の農産物を毎日食べている。

祈るような気持ちで、結果を待った。9ヶ月の幼児の一家からは無検出。農家の方は、1週間のうち1回だけごく微量が検出されただけだった。心からホッとした。ちなみに、北海道や東京など3家族の食事でも1週間のうち1回だけごく微量が検出されたが、全く心配する必要のない数値とかで、専門家が含まれている線量が少なくてかえってびっくりしたというレベルだった。やれやれ。これで風評被害が少しでも少なくなればいいのだが。

ついでに、参加している支援ファンドについても、繰り返しになるかもしれないけど、情報を。これは例えば、5000円寄付で5000円出資の形をとります(企業により金額が異なるようです)。地震と津波で苦境にある企業に手をさしのべるもので、上手くいけば出資者に配当として、海産物など、その企業の製品が現物が提供されます。上手くいくことを願って出資するのですが、そう行かない場合も当然あるでしょうから、あくまで、自己責任、1万円寄付のつもりで応援したい方はどうぞ。

気仙沼応援ファンド
【石渡商店ふかひれファンド】
 昭和32年、気仙沼で創業。石渡商店のこだわりは、ふかひれの形が崩れにくい独自の製法といつでも作りたての高級中華料理店の味をお届けすること。
 シェフ、消費者を問わず多くのリピーターがいます。 投資家特典:初回出荷分の特製ふかひれスープの進呈など 詳細・お申込:
 
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=173


【丸光食品ファンド】
 気仙沼で唯一の製麺の会社として、味にかけては自信の麺を作ってきました。
 そば・うどん・焼そばは地元の人が慣れ親しんだ味で、海鮮ふかひれ生ラーメンは、 全国的にも人気の商品。工場は全壊しましたが、新たな工場から再建を目指します。投資家特典:「気仙沼麺セット」を進呈(3口以上)など 詳細・お申込:
 
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=165

南三陸応援ファンド
【南三陸 伊藤サケファンド】
 伊藤(株)は宮城では1番の水揚げである秋サケ、めかぶ、夏にはギンザケ、 タコなど、季節の水揚げの販売を通して、南三陸から美味しい水産物を 全国に届けています。
 震災後は、最低限の設備から準備し、トラウト、秋鮭、タラなどの卸販売から 開始を行っていきます。

 投資家特典:「秋鮭と生筋子の親子セット」等(3口以上から) 詳細・お申込:
 
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=197


【南三陸 マルセン食品ファンド】
 マルセン食品は、昭和30年前半、蒲鉾造りの会社として創業しました。
 近年は広く地域の食材を利用した水産加工品の販売を手掛け、 昨年には、店舗、加工場をリニューアルしたばかりでした。 震災後は、いち早く移動販売車を購入して、避難所や仮設住宅など、地域の巡回販売から事業を再開。現在は、自社工場の再建に向け動いています。 投資家特典:揚げかまぼこ 詳細・お申込:
 
http://www.musicsecurities.com/communityfund/details.php?st=a&fid=199

その他多数の企業が応援を待っています。支援ファンドをクリックしてみて下さい。



ganbare_watashi at 22:52|PermalinkComments(4)TrackBack(0)この記事をクリップ!東日本大地震 

2011年10月11日

ウィリアム・モリスのコレクションを訪ねて

P1000612[追記あり]ペンザンス8:28発、バーミンガム乗り換えでウォーバンハンプトンに向かった。目指すはWightwick Manor and Gardensだ。駅からタクシーに乗る。事前の調査ではバスがあるはずだが、なんせ時間がない。ビクトリア時代後期のこの建物と庭を見た後、今宵の宿のあるチェスターまで行かなくてはいけないのだ。

この国はどうなっているのか、客待ちしていたタクシーは、目を見張るほど、シートもドアの内側も破れ放題のオンボロ車だった。運転手はターバンを巻き、ここいら辺りはタクシーという職業はインド人が独占しているのかもしれない。帰りも、後にチェスターで乗ったタクシーもインド人だった。

場所を知っていると言いながら、どうも怪しいと思った通り、なんと裏口から直接、人が列を作っている建物玄関の真ん前に横付け、衆人環視の中でタクシーを降りる羽目に。何事、と中から係員のオバサンが出てきて荷物を預かってくれたが、ここは少人数ずつ中に入れる時間予約制で、そこから庭を通り遙か正門近くの案内所へ。1時間近く待ってようやく建物の中に入ることが出来た。P1000622おかげでゆっくり庭を観賞できたが。

P1000615それにしても印象的な建物だ。ここは何でもウィリアム・モリスのコレクションでは有数らしい。二階にはモリスの壁紙のサンプルがずらりと並び、注文も出来るようだ。が、ここは何よりも内部の調度が素晴らしい。個人の邸宅で今まではあまり知られていなかったらしいが、最近、テレビで何度か取り上げられ、以来、観光客が増えているとか。写真は一切禁止。残念。オリジナルの絨毯だとのことでここから先は踏んじゃダメとか、この椅子は座ってはダメとか、なかなか厳しい。アート&クラフト運動の影響を受けた生きた事例のような場所で、各部屋の壁紙や家具類、絵画と、面白い。建物や壁紙、柱の細工、こういう物は現地に行くしかない。

P1000627自然な美しい庭で、気持ちがよい。モリスのショップもあり、ここで上の娘のために買い物バッグを購入したが、感心しなかったようでちと残念。P1000617

ここで問題が発生。見学を終えて建物を出たところで預けた荷物を受け取りに入り口に戻るとすでに鍵が!慌てて出口に戻り、そこから中に入りようやく荷物を取り返すことが出来たが、壁紙修復の寄付を頼まれる。剥がした物を小片に切って送ってくれるとのことだが、日本まではどうのこうのと長くなりそうなので、丁重にお断りする。帰りのバス停を聞くと正門近くの案内所で聞くようにとつれない。まあ、当たり前だが。そこで案内所へ。ガラス戸は閉まっていたが女性が2人まだいる。良かった。バスかタクシーの場所を聞くと、ボスらしい女性がこちらには一言も答えず、横の女性に指示し、近くのレストランまでタクシーを呼んでくれた。呼んでくれたはいいが、こちらのお礼にも、笑顔も言葉も一切なく、無視で、ドアからでたとたん、がちゃんと鍵を締められてしまった。早く帰りたいのに変なのが飛び込んだからだろうが、せっかくの建物と庭だったが、冷や水をかけられたようで、残念だった。

[追記]内部の写真がようやく見つかりました。http://www.owlpen.com/wightwick.shtmlをご覧下さい。その素晴らしさの一部が分かります。この写真は上のリンクから拝借しました。WightwickManor great_parlour[1]


ganbare_watashi at 22:22|PermalinkComments(7)TrackBack(0)この記事をクリップ!2011年英国旅行 

2011年09月30日

マーチングバンド

道路を隔てて小学校がある。運動会が近いのだろう、連日小太鼓や笛の勇ましい音が鳴り響いている。

カナダの友人からメールが来た。昨年暮れに息子を亡くしたというのに、震災のこと、福島のこと、私のことを気遣ってくれている。最近、同じくカナダの時の共通の友人と日本文化と歴史について勉強を始め、毎週、公開大学講座だと思うが大学に通っているという。帰国子女は日本に帰国した際にいじめられることが多いと聞いたが大丈夫だったかとメールの最後にあった。

まだ、返事が出せないでいる。毎日返事を心待ちにしているだろうに。震災のこと、福島のこと、両親のこと、帰国時の辛さ、息子を亡くしたばかりの人に、どう書いたらよいのか。

小太鼓や笛の音を聞きながら、息子のことを思い出した。

帰国したのは息子が小学6年生の時。カナダの小学校の卒業を待ったので、もう6月も末に近い時期だったか、中途半端な季節だった。中途半端な季節に、帰国子女など見たこともない、地方の小都市の小学校に転校した。学校では運動会に向けて連日、練習が行われていた。

笛などそれまで吹いたことはおろか見たこともなかった息子だが、下手なりに一生懸命練習をしていた。運動会の前日には白のハイソックスに黄色い房を縫い付け、行進しながら吹くんだよと得意そうに妹たちにも見せていた。

両親とお重に料理を詰めて小学校に応援に行った。小学校は大勢の人でごった返していた。

いよいよ行進が始まった。探したが息子がいない。6年生の席に男の子が一人残っている。それが息子だった。大きな小学校だったから何クラスもある6年生の一面に空いた椅子席にぽつんと一人残されていた。

あんなに張り切って喜んでいたのに。行進しなくていいから席に残るように先生に指示されたというのだ。大勢の生徒が吹くのだから一人くらい間違っていたって良いじゃないか、それでも嫌ならせめて小さな音で吹くようにと指示することも出来たじゃないか。それとも悪いけど吹くふりをしてとこっそり言うのも許す。でも…

そして一番卑怯だったのが私だ。なぜ、どうしてと戸惑いと、驚きと、でもこれが日本のやり方なのかとむかつきながら、先生に抗議しに行かなかった。息子のためにとせめて先生に抗議する気力もなかった。

帰国したばかりの息子を待っていたいじめは先生からのものだった、そして私はそれに対して何もしなかった。そんなこと友人に言えない…。

ganbare_watashi at 12:51|PermalinkComments(10)TrackBack(0)この記事をクリップ!

2011年09月19日

昨夜の母

上の妹からメールが来た。

その前夜、下の妹と、娘と3人でわいわいとイタリアンを食べているときに母から電話がきて、今3人で食事していると話していたのだが、

妹によると、3人で食事したらしいが、A子って誰と聞いたという。

頻繁に会いに行っていたじゃない。会うとAちゃーんって、お母さん、いつも抱きついていたじゃない。あのA子だよ。

こういう日が来るかもしれないと漠然と覚悟していたが、もうA子のことも分からなくなったの?そんなことが本当にありうるの?

Aちゃん、お母さんがAちゃんを分からないって。悲しいよーというメールを娘に出した後、涙が止まらなくなった。誰かに話したかったが夜の11時を越えている。しばらく躊躇した後、再び娘に、今電話して良いかとメールするとすぐに電話がかかって来た。声を聞いたら余計に悲しくなってきた。このAちゃんが分からなくなるなんて。もう少しすると私のことも分からなくなり、共有してきた思い出も無となり、一緒に過ごした時間も溶けてなくなっていく…。

電話を切って、数分後、振り返るとそこに娘が。泣いていて娘が鍵を開けて入ってきた音にも気づかなかった。娘の額にも胸元にも汗。走って様子を見に来てくれたのだ。全くしょうがない母親だねえ。深夜なのに娘に危険を冒させてしまった。私は娘でもあるが、母親だし、5人の孫のオババでもある。こんなことで、こうなるかもしれないと想定していたことで、いちいち泣いてはいられない。しっかりするのだ。順繰りなのだ。もう少しすれば私は母の立場に立つだろう。

今、母はどうして欲しいのだろう。記憶が消えていく、すべてが無になっていくのは究極の恐怖だ。そうなったとき私はどうするのだろう。とりあえず、A子の写真を送った。思い出して、お母さん。

まだ母には文字が残っている。指が痛くて字は書けないが、携帯を叩いてメールを書くことは出来る。記憶が少しでも長持ちするように、毎日、写真を送ろう。メールを送ろう。頑張れ、お母さん。返事を書くんだよ。

ganbare_watashi at 06:49|PermalinkComments(7)TrackBack(0)この記事をクリップ!世迷い事 

2011年09月11日

大昔の1年前

なんだか、毎日、「昔は物を思わざりき」という言葉が何回か頭に浮かんでくる。

東京にいるというのに、3.11からすっかり生活が変わってしまった。1年前はもう大昔だ。母達は妹に引き取られていなくなり、生活習慣が一変した。毎日、寝る前に枕元に携帯と懐中電灯を揃えておくようになった。早め早めにトイレに行く。バスタブには常時水が入っているし、ネコ砂も買ってトイレに備えた。大きな余震がくるという。部屋の壁にはいくつもの細かな亀裂が入っている。昨年と悩みの質が違う。

先週半ばから寝込んでいた。憩室炎という奴だ。持病を沢山持っているが、これが一番の古株。熱が8度5分を超えてきたから、地面に落ちそうと錯覚を起こすほど敏感かつ重くなった下腹を抱えて医者に行った。持病だから抗生剤他常備してあるのだが、数回飲んでも効かないから仕方ない。

先週月曜日に開業したての医者だ。ガラガラに決まっている。何せお腹が痛いのだから待つことは避けたい。それに配られたパンフレットによると結構近く、何より、娘2人と婿殿2人が卒業した大学出身だから、良ければこちらに鞍替えしようとの魂胆もある。読みは当たって患者は一人もいなかったが、薬メーカーの営業の人が入れ替わり立ち替わり詰めていて、結局30分以上待つことに。残念。診察の結果、今年の春以降増えてきた6種類の薬に足すこと6種類!

昨年の今頃、服用していたのは、もう10年ほども付き合っている薬1種類だった。なのに、昨夜までの数日間は、合計12種類。12種類ですぞ。母の薬を取りに行くたび、大きな袋にぎょっとなっていたのに。私の番が近づいているのか。

しかし、人間、いざとなったら出来ますねえ。アスピリン1錠飲むのにコップ1杯の水を必要とするほどへたくそだったのに、ウン十年も薬を飲む度に吐きそうになったり、たまには吐いたり、四苦八苦だったのに、それが、ちゃんと飲めた。それも6錠いっぺんに飲み込んだり。驚くねえ。

新しくできるようになることがあるんだ。生まれつきダメだと思っていたことなのに。母達のことが心配でならず、泣いてないかしら、どうしようと堂々巡りで考えるばかりで、胃を痛くしていたのだが、そうだよ、母達だって、いくら年取っていたって、大丈夫かもとちょっと思えた。なるようになるし、なるようにしかならないのだから、結局、きっと、多分。

ganbare_watashi at 19:25|PermalinkComments(8)TrackBack(0)この記事をクリップ!世迷い事 | 医療・健康-臓器移植を含む

2011年09月01日

東北復興のグランドプラン

182
[追記情報あり 第24回世界建築大会
9月になってしまった。3.11からもうすこしで半年が経ってしまう。

東北のグランドプランはまだ出ないのだろうか。

日本には世界的に有名な建築家が大勢いる。都市計画の専門家だって、当然、いるだろう。
彼らはどうしているのだろう。コンペが行われたという話も聞かないのだが。やろうと提唱する人はいないのだろうか。

震災の前だって難題が山積みだった。地方都市は疲弊していたし、高齢者がどこでも増えているのに子供は少ない。発想を転換して、新たな大胆な策を考えなくてはならないときだった。庶民が海岸べりの自宅が元あったところに、建ててしまったらまた元の木阿弥、怯えながら暮らすことになってしまうじゃないか。それじゃ、復旧であって復興じゃない。前より条件が悪くなっただけで何の問題も解決されないままになってしまう。

最初の頃、山を削って海岸線に高台を作るというようなアイデアを見たような気がする。そういったアイデアはどこに行ったのだろう。

この突然出来た広大な何もない土地をみて、自分ならコウしたいアアしたいと、建築家なら考えるだろう。
建築家じゃなくったって考える。夢想する。大地に絵をかけるのだから。小学生だって、高校生だって、こうすれば津波に対抗できるとか、みんなが遊びに来てくれそうとか考えるだろう。全国的なアイデアコンクールをやっても良いのではないだろうか。専門家が地域ごとにそれを具体化し、大きな一枚の絵につなげていく。そんなことは出来ないのだろうか。

私の案を紹介しよう。安全と、瓦礫の処理と、生活の安定、観光の一石4鳥を狙った。しかも安上がりだと思う。はい、夢想家です。

海岸伝いに4、5階建てくらいの巨大なコンクリートの箱を10メートル程度くらいの間をおいて作り、その中に瓦礫や除染した土などを入れていく。満杯になったらコンクリートできっちりと蓋をする。そのコンクリートの箱の頂上と箱の頂上の間を空中プロムナードというか散歩道でつなぎ、堤防の上のような細長い幅広の道となるそこは公園にし、小さな店舗を配置する。そのプラムナードからは、高潮や津波の時には地上に向けて、遮断するシャッターが降りるようにする。諫早湾を遮断するときの上から降りてきた扉のイメージですな。

その箱にはもちろんトラックが瓦礫を入れるときに使う斜めの車道をつけておき、いざというときはそこから箱の上へと上れるようにする。通常時にはその横に設置したエレベーターを使う。
で、その巨大な瓦礫で満杯になってしっかり蓋をした箱の上にはその車道を利用して船を巻き上げられるようにしたり、競り市場を設けたり、海産物市場にしたり、展望台にしたりすればいい。住居棟を備えたものを作っても良いかも。
みそは、その箱なら間から海岸の景観が見え、風が通り抜けること。それに、瓦礫の量に従って箱をいくつも作っていけばいいから融通が利く。こういうものを海岸沿いに並べていけば、非常時には堤防となり、避難場所となる。汚染されている福島の瓦礫や土もコンクリートの箱の中なら大丈夫だろう。
もっと瓦礫をおくれと、瓦礫の争奪戦になればいいなあ。

あなたの案はどう?聞かせて欲しいなあ。

[追記] 第24回世界建築大会というのが9月25日から10月1日まで東京で開催されます。今朝、このことを知り、ちょっと調べてみました。無料公開プログラムが以下の通り開催されます。ちょっと遅いかなと危惧しながら、1.と3.に申し込みましたが、大丈夫でした。

下記のプログラムは広く一般の方にも聴いていただけるように無料で公開いたします。
プログラムの詳細については下記プログラムの名称をクリックしてください。参加登録をご希 望の方は、7月15日より応募手続きを開始いたしますので、下の参加登録のボタンより登 録をお願いします。
数に限りがありますのでお早目のお申し込みをおすすめいたします。
なお、UIA2011東京大会に参加登録をされている方は、無料公開プログラムへの改めての参加登録は不要です。(UIA2011東京大会のIDカードにてご入場いただけます。)

無料公開プログラム

スピーカー 安藤忠雄
タイトル 若者に語る/建築とは何か
日程9月26日(月) 午後7時-午後9時
会場東京国際フォーラム ホールA
テーマセッション3 これからの環境建築を考える
テーマセッション4 自然と共存しうる技術とは何か
テーマセッション5 ネットワーク時代の建築家像と建築家の職能
日程 9月27日(火) 午前9時-午後4時30分
会場 東京国際フォーラム ホールA
日程 9月25日(日) 午後2時-午後5時20分
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
日程 9月27日(火) 午後1時30分-午後5時
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
日程 9月29日(木) 午後1時30分-午後5時
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
参加登録
無料公開プログラム登録事務局への外部リンク

無料公開プログラム参加登録事務局

UIA2011東京大会無料公開プログラム参加登録事務局 (株式会社コングレ内)
Tel 03-5216-6956
FAX 03-5216-5552


ganbare_watashi at 15:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!あーあ、何ナノこれって | 東日本大地震

2011年08月27日

盆踊り

娘とデパートで待ち合わせ、ちまちまと何種類かのおかずとお寿司を調達して帰ってきた。

娘のマンションの前の公園では赤や黄色のぼんぼりが何重もの輪になって火を灯していた。ちゃんと櫓も組んであり、大太鼓も据えられている。

遠くの盆踊りのざわめきをつまみに食事をし、帰り際にマンションの廊下から踊っている人たちを眺める。踊らなくなって、もう何年経つだろう。ここでも楽しみを味わうのを自分から止めてしまっている。一人では行けない、娘は行かないという。なぜ行けないのか。一人で行けないのは自意識のせだろうか。

最後の曲ですといって音楽がかかった。「好きになった人」だった。どうやって踊るのだろうと娘と笑いながら見ていたが、今なら明るいから歌いながら帰ったらという娘に従い、歌いながら帰ってきた。

もうすっかり空気は秋。虫の音が聞こえる。遠くかすかに都はるみの声。盆踊りも参加する人がいなければ消えていくだろう。来年こそ踊りに行こうっと。

ganbare_watashi at 21:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0)この記事をクリップ!嬉しいこと、おかしなこと 

2011年08月18日

魅惑のミナック・シアターとセント・マイケルズ・マウント

P1000508ペンザンスからバスで1時間ほどだっただろうか走ったところにミナック・シアターはあった。女性が一人で断崖を削り、椅子や舞台を作り出したというまるでおとぎ話の中のような劇場だ。しかもこの海の前で、今も夏の間、ミュージカルやシェークスピアなどが上演されている。

P1000524ちょうどミュージカルの切符も取れそうだし、是非にと思ったのだが、昨年は終演後、夜11時に帰りのペンザンスの街までバスがでたというのだが、問い合わせても今年は分からないと言われ、泣く泣く諦めた。

P1000507訪れたときにはパペットショーをやっていて、小さな子供で一杯だった。怖いほどの急な石の階段でなのだが、結構平気に子供たちは上り下りしていた。舞台の後ろは紺碧の海。遠くに白い砂浜。素晴らしい劇場だ。ここは是非訪れて欲しい。例によって厚着をしてきたのだが、みるみるうちに気温が上がり、太陽がじりじりとてりつけ、日焼け止めを塗る間もなく、あっという間に日焼けしてしまった。寒くても太陽は6月の太陽だった。


P1000538P1000535フットパスをケーブル博物館まで歩く。真下の美しい白浜の下にケーブルを埋めていたらしい。がけの下に掘られた要塞の跡に作られた博物館で、世界大戦の際の情報戦を知り、モールス信号の説明を受ける。なんだかよく分からないが、よく分からないなりに面白い。

バスの便数が少ないので、ランズエンドという地の果てでは降りず、2階建てバスの2階全席から写真を撮っただけで、そのままペンザンスに戻り、今度はマラジオンのセント・マイケルズ・マウントに向かう。

P1000599フランスにある世界遺産のモンサンミッシェルとなにやら関係があるらしい。モンサンミッシェルを英語に直せばセント・マイケルズ・マウントなのだし。こちらは世界遺産ではなくナショナルトラストが管理している。ここいらの海岸一帯は潮の満ち干が非常に大きく、干潮だと島まで歩いて渡れるのだが、海岸に着いたらみるみるうちに潮が満ちてきてボートでの往復となった。P1000598

この城といい、付属する空中庭園と良い、付属する小さなプライベートな教会といい、来て良かった。コーンウォールの名物はクロティッド・クリームで、クロテッド・クリームとP1000589言えばスコーン。ということで、ここではクリーム・ティと呼ぶらしいのだが、スコーンとお茶のセットを試したのだが、素晴らしく美味しいクリームだったが、また素晴らしく濃く、残念ながら胃もたれとコレステロールを警戒して3分の2ほども残した。K子はほぼ完食して、夜うなる羽目に。でも帰国してはかったらコレステロールは下がってたというから分からないものだ。しかし、濃厚で美味しかった。今頃あれを持って帰れたらなどとつい思う私って…。

17572歩
写真はクリックすると大きくなります。桟橋の横に薄く町までの道が見えます。

ganbare_watashi at 22:13|PermalinkComments(3)TrackBack(0)この記事をクリップ!嬉しいこと、おかしなこと | 2011年英国旅行

2011年08月15日

おかしな日々

BlogPaint数えてみれば購入してからもう25年も経ったのか。

離婚して帰国し、お金もないのに欲求不満が爆発したのか、セールの看板と友人につられて買ってしまった三宅一生の麻のサマーセーターとコットンのパンツ。

麻といい、コットンパンツといい、じとじとべとべとの日本の真夏に実に具合がよろしい。麻はざくりと肌にくっつかずさらりとしているし、パンツは裏地にガーゼが使ってある。

パンツの方はかなり生地が薄くなってきていて、毎回大丈夫かいなと透かして点検しているが、まだ破れないw。

この格好で銀座にも帝国ホテルにも、ここホテルオークラの大蔵集古館にも行ってきた。25年物の服を着て、それも上下、銀座界隈をうろうろしている人などいないだろう。エッヘンと、自慢したくなった。

断捨離に見事に逆行しているワタシ。

アナログテレビを未だに使っていて、一番見ていたNHKのBSがみられなくなり泣いているが、それでもデジタルを断固として買わないでいる。だって、ゴミになる古いテレビが可哀想だもの。

わざわざ探し出して東北産のステーキを250グラムも頑張って食べ、その数日後の血液検査でコレステロールが一気に260に上昇し、今では毎朝6種類の薬を飲んでいる。でも、すごーく、すごーく美味しかった。これで万全。安くなっているならばんばん食べるよ。福島産の美味しい牛肉、でも探すがもうない。

いくら食用だって、生き物だ。こちらは命を戴いて命をつないでいる。セシウム入りとラベルをつけてくれればいいじゃないか。即死するほどの高濃度は困るが、10数年後に癌の確率が0.5%上昇するくらい何だ。中高年専用とラベルをつければいいじゃないか。あと何年生きるか知らないが、美味しいものを食べて、生産者も、消費者も幸せで、牛も成仏できるなら、それこそ自己責任で良いじゃないか。おーい、福島産の牛肉を売ってくれ〜。

ganbare_watashi at 12:52|PermalinkComments(20)TrackBack(0)この記事をクリップ!世迷い事