2017年12月16日

わーん

嬉しいけど大変だあ。

風邪を引いて喉が痛く、母の所にも行けないから娘に頼み込んだところだというのに、お嫁さんのSちゃんからメール。


子宮口が2.5cm開いているって!

大変だあ。このあと扁桃腺炎で高熱が出て一週間ほど寝込む予定wなのに!

じっとしているようにと言ったけど、子供3人いるからじっとなんてできないよね。

熱など出しているときじゃない。大変だあ。


2017年12月13日

私の場合

しつこく子宮頸がんワクチンの接種の話です。
男性がこのワクチンを接種するのも有効らしいです。続々と男性による接種の報告がツイッターに上がっています。都議会議員の音喜多氏による報告もご覧下さい。腰を痛める前に書きかけていた私の話↓がワクチンに対する評価を改める上で一助となれば嬉しいです。尚、思春期前の接種が効果的とされていて、12歳から16歳の女子については現在も公費で接種が行われているようです。

       *        *        *

夜中に強い北風が吹いたらしい。桜並木はすっかり葉を落とし、もう落ちることはないと思っていた銀杏の実が歩道一面に散らばっていた。ついこの間、長い冬が終わり今年も桜を見ることができたと思ったばかりだったのに早くも冬。私の入院を聞いて退職して赴任先のドイツから帰国したと耳にした元亭も、手術に娘たちと一緒に付き添ってくれた元姑も世紀の変わり目に相次いで亡くなったというのに、私はまだ生きている。

3ヶ月近い入院を終えて5月半ばに退院したとき、イチョウの若葉の瑞々しさに生きていると実感したことを思い出した。私は45歳だった。息子はカナダに留学中、上の娘は高校3年生、下の娘は高校1年生の春だった。

あまりに個人的な話なので具体的に話すのはよそうと思っていたが、誰かの役に立つかも知れないと思い直した。私の場合はウィルスで感染しワクチンが開発されている子宮頸がんではなく、子宮体がんだった。

子宮体がんは、出産したことのない、あるいは生涯独身の年配女性がかかると今はどうだかわからないが、以前は医学事典にもそう記載されていた。30代の初めから海外で、そして帰国してからもほぼ毎年子宮癌検診を受けていたが医師から子宮癌の検診は毎年やる必要はないと言われた翌年、ベテランの医師が見つけ出した。すでにステージIIに入っていた。子宮癌は進行が遅いが、医師の予断によりそれまで何年も貧血などに悩まされていたのに、発見されなかったのだ。

近所の50代の仲間と海外時代からの30代後半の友人が、二人とも子供2人の母親だったのだが、相次いで亡くなった。二人とも手遅れだった。

私は幸運にもベテラン医師のおかげで助かったが、3ヶ月近い入院と、退院数ヶ月後の1週間の入院は高校受験と大学受験の娘たちに大きな影響を与えたし、息子は大学を止めて帰国、2年ほど自転車の整理などというアルバイトに従事することとなり、子供たちの進路に大きな影響を与えてしまったし、私のキャリアも丁度確立され、非常に忙しく働いていたときだったのだが、結局1年近く休むことになり、すべてがやり直しとなった。

子宮体がんはウイルスによるものではないのでワクチンはない。癌にかかれば、まあどんな病気でもそうだが、実に大変だ。

それがワクチンで防げるのというのだから若い人には是非受けて欲しい。自分の命は自分だけのものではない。大事にしなければならないのだ。

なお、これまで非常に安定していたライブドアのシステムだが、今春からサービスが段々に縮小され、ここに来て、表示に難がでるようになってきた。フォントの大きさなどが勝手に動くのだ。書くのもおかしな具合になっていて、非常に時間がかかるようになっている。引っ越し先を一応設定したのだがどうも気に入らなくてもう少し時間がかかりそうだ。そのうち引っ越ししますので読みにくくて申し訳ないけどしばし、お許しを。


2017年12月12日

まだはもう

まだはもう、もうはまだというのは株取引の格言だが、生活全般にも当てはまる。

クロネコヤマトの値上がりがもろにワタシに影響するとは思わなかった。というか値上がりのことなどすっかり忘れていた。

島に住む娘に、週に1度しか出港しない船便を考慮、逆算して12日までにクリスマスプレゼントを発送するようにときつく申しつけられていた。プレゼントがいつ到着するかは家族を上げての一大事なのだ。

そのため、昨日、1日早いが年末で荷物が混んで万一遅れるとどれくらい怒られるか、いや、がっかりさせるかと、かなりの大きな箱に大量に詰め込んで、いざとユーパックの集荷を頼んだら、なんと、集荷サービスは停止させて貰っていると言うではないか。ここで、そうかユーパックだけが値上げしていないからそのためだと分かっていれば少々割高になるとしてもクロネコに頼んだものを、まったく気がつかず、年末のせいだと早合点。仕方ないので、大きめのカートでも入らない荷物を、息子をカナダまで送っていったときの特大のゴロゴロをベッドの下から掘り出して格闘w、よっこらせと郵便局に持ち込んだ。

一瞬、重すぎるのではと思ったね。そして、母の洗濯物、これを上に載せればもしかしたら腰を悪くするかもと、ちらりと考えがよぎったのだが、勿論、正しい考えは、いや、まだ大丈夫という楽観的、主観的寝言が打ち消し、火曜日の午後はコンサートのチケットを頂いていたので、母の所には行けない。よって、少々重かろうと今日いくしかない。ゴロゴロと転がしていくのだからこれぐらい、大丈夫とまずは郵便局、そして母の施設に向かった。

帰りは、母の所から替わりの洗濯物を積み込んで、さすがにへばっていたので途中から折良くやってきた1時間に1本のバスに乗って帰ってきたのだが、腰痛が発症。左足をかばって歩いていたので、右足と腰の調子がどうも怪しくなっていたのに、都合の悪いことには目をつぶり、かくして本格的な腰痛へ。まだはもうなり、誠に至言じゃ。

幾十年か続いた男声コーラスの解散コンサートだったのだが、残念無念。
チケットを送ってくれた高校の同級生、F君ごめんよ。

長風呂で温め、足の裏だけではなく、腰にも湿布を貼り、横になっても、座っても腰は痛いし、アゴはガクガクいうし、ホント、歳を取るって大変。まだ鳥羽口なのに、この先一体どうなることやら。お手柔らかにお願いしたいものだ。


ganbare_watashi at 14:37|PermalinkComments(6)いろいろあるよね 

2017年12月04日

子宮頸がんワクチンを受けよう

こういう記事を読んだ。

世界有数の科学論文誌、英『ネイチャー』などが主宰する「ジョン・マドックス賞」の2017年の受賞者が医師・ジャーナリストの村中璃子氏に決定。日本人の受賞は初めて。

詳しくはリンク先の記事を読んでいただきたいが、日本での子宮癌ワクチンの摂取率は世界でも際だって低いらしい。WHOは2度にわたり日本に対し警告を発している。

子宮頸がんの90%以上がウィルス感染によるものであるが、身体的な症状がワクチンの副作用であるとする科学的事実に基づかない情報が一部メディアにより拡散された結果、ワクチン接種率が70%台から1%未満まで落ち込んでいるという。

しかも日本でワクチン接種により副作用で被害を受けたとして集団訴訟がいくつか提起されているが、その流れが世界に広まりつつあるらしい。子宮頸がんの発生が世界的にも増えているらしい。


村中氏は科学的な論拠をあげているが、副作用とされるもの多くは接種時の痛みや腫れを副作用として報告されたのだという。このワクチンは痛いので有名だというので、副作用がなくても接種を躊躇したいところだろうが、子宮頸がんにかかる人は年間1万人を超えるという多さだ。早期発見すれば治る確率が高いとは言え、死者は年間3000人近くに上る。ワクチン接種の痛みが子宮頸がんによる入院、手術などに比べられるほどのものでないことは明かだ。

どうも最近の日本ではワイドショーなどのセンセーショナルな報道に惑わされる人が増えているような印象もある。公的な情報を科学的な論拠のあることですら信用しないでおかしな情報を信じる流れはコワイと思う。

子宮頸がんワクチンの副反応報告は、接種者338万人のうち2584人(厚労省調べ、2014年11月時点、累計)に過ぎない。しかも副作用の多くは接種時の痛みや腫れであるとのことであるし、もしそうでなく何らかの副作用が実際にあったとしても、根拠のない情報によってワクチンを接種せず、本来なら失わなくても済む命を失うことは実に勿体ないと思うのだが。


2017年12月01日

失敗と偶然

image毎日痛む足を引きずりながらうろつき回って忙しい。何をやってんだかねえ。

月曜日、朝っぱらから歯医者で痛い思いをしたのでご褒美に新国立美術館へ。月初めにぐるっとパスを購入したのだが使用する時間がなく、今日こそは回るぞと地下鉄の1日パスを購入し、乗ったとたんに思い出した。

机の上のぐるっとパスを忘れるなと自分に言って聞かせたのに、忘れてた…。しょうがない。最近は玄関を出ては戻るを繰り返す。戻るが1回分少なかった。母が約束の時間より随分早くから用意をしていたことを思い出す。同じ道を辿るのね…。

安藤忠雄展-挑戦-は面白かった。非常に面白かった。昼前だったからか心配したほど混雑しておらず、行列も無し。ついてる。建物毎、プロジェクト毎に模型と動画も展示されていて、こんなに沢山、こんなに精力的に働いていたのかと改めて感嘆。非常に良く考えられた展覧会だったが、非常に疲れた。一度も座ることなく3時間半も眺めていたのだから当然か。可哀想な足。

ヴェネツィアの美術館の工事の模様を写す大画面を眺めていたら、後ろから私を呼ぶ声がした。ヴェネツィア旅行から帰国したばかりのM子だった。よくまあ広い会場の雑踏の中から見つけ出したものだ。赤いコートじゃなかったのに。羨ましいから聞きたくないのに、勿論、その美術館に行っていて、そこは何たらかんたら、街の写真を示して泊まったホテルは何たらかんたらw。聞きたい、でも聞きたくないw。機会さえあれば何回でも行きたいというのだが、残念ながら、彼女の恐るべきイビキを思い出し、え〜いいなあ、一緒に行こうとは言えない。ため息しか出ない。

ミッドタウンで彼女と遅いランチを済ませたら夕方近い。彼女のご主人は美術評論家なので多数の招待券が届くらしい。しかも図録付きらしい。ここは素直に羨ましい。別れ際にサントリー美術館と智美術館の招待券をくれた。

すぐ上にサントリー美術館があるのだが、足の状態を考えると混んだ地下鉄で立って帰るのは気が進まない。おまけにスケッチとサイン入りの安藤忠雄の本を日程上行けないと残念がっていた妹のダンナの分まで買ってしまって重い、重い。1冊だって普段なら躊躇する重さなのに2冊なんだから大変。即帰ることにしたのだが、乗り換え駅でデパ地下につい寄ってしまい、重い上にも重くなり、おまけに自宅近所の小さなスーパーがビンゴの日。実はこのビンゴに凝っていて買わずにいられない。ここでも買い物をしてしまってヨロヨロと、筋トレ、筋トレと念仏を唱えながら帰ったのだった。

そして、妹夫婦は納骨で遠出するので安藤忠雄は諦めるしかないといっていたのに、帰りに寄って同じく本を購入していたことが判明。なんてこった。ピンチと思ったら、娘の婿殿ノンちゃんマンのクリスマスプレゼントに充てて良いと娘からありがたい申し出があった。最初はえ〜ダメだよ〜と言っていた娘だがスケッチとサイン入りの安藤忠雄の集大成の本は貴重だと分かったらしい。やれやれ一件落着。

終わりよければすべてよし。なんて恵まれているんでしょ。ありがたや。




2017年11月25日

収穫祭と後始末

先週のことだけど、農業収穫祭に行ってきた。毎年、主に花の苗を目当てに行くのだが、品評会の後の即売会も午後遅めに行ってまだ残っていればこれも勿論購入する。で、重い。

毎年、婿殿、ノンちゃんマンに持って貰うことになる。年を追う毎に娘はブツクサ文句をいうようになった。自分で持てるだけにするのよ、ウチのノンちゃんを使わないで。減るもんじゃあるまいし。ケチだよねw。すべからく男はこちらが言い出す前に手を差し出すものだと思っているワタシになんじゃらほい。気を遣いすぎだよ。ワタシャ老人だよ、老人に愛をと、気の小さいワタシは心の中で、叫ぶw。第一、女性に優しくない男、気の利かない男は男じゃない。まあ、だから一人なのよねw。

無抵抗主義だから大人しくゴロゴロを引いて行った。勿論、ノンちゃんマンは最初からちゃんと持ってくれた。ほらねw。知らんぷりの男なら結婚に反対されていたってことよ。喜びなさいw。

大きなリンゴ6個、みかん一袋、大きな大根、大きなカリフラワー、いきなり団子1箱、他を購入。熊本支援の辛み餅は千円札1枚と引き替えで立ち食いw。

気分良く家に帰って困った。ひとり暮らしなのに、こんなに買ってどうするつもりなんだろうと自問自答。すでに冷蔵庫は満杯なのに。あれもこれも欲しいが、必要なのはせいぜい4分の1。

ナマケモノも働くしかない。立派な大根の葉はごま油と少々の唐辛子その他で炒めて振りかけに。大根は殆どをピクルスに。大きないきなり団子は1個を食べただけで残りを冷凍。

巨大なカリフラワーはネットで調べ、ゆでて冷ました物にカレー粉を混ぜたヨーグルト、熱したオリーブオイルと、レシピでは唐辛子だったがその代わりにパプリカの粉を掛けて混ぜ混ぜして食べた。予想外の美味しさだった。

そしてネットを見直したら、カレー粉などとは書いてない。勝手にカリフラワーとあるのをカレー風味だと思い込んだのだった。レシピとは別物になったが美味しければそれでいいのだw。

そうそう、母の所に妹のお姑さんの衣類を8枚持っていき、7分袖の花柄のカットソーがお気に召したようで、直ちにお着替え。花柄は初めてよ、みんな何と言うかしらと嬉しそうでホッとするが、誕生日にワタシが上げた服がお洒落すぎて着ていくところがないからと返された。高かったのになあ、私の色じゃないのになあ。名前を書いたから娘たちも妹も着ない。これも私が着るしかない。在庫がマイナス8になるはずがマイナス7になった。道は遠い。

IMG_3084←こんなものも。株主優待の球根、50玉。あちこち配り、ようやく昨日、残った物を植え終えた。
球根と相性が悪いのよね。毎年上手く咲かせられない。今度こそちゃんと咲いて欲しい。







2017年11月21日

荷物を待ちながら

DSCN0331妹のお姑さんが入居していた老人ホームの片付けに行ってきた。

片付けといいながら、実情は捨ててとの一言でホーム側が捨ててくれるのだが、贅沢な人だったからそのまま捨てるのが惜しく、母に着せられる物を探してと言う妹に従って一緒に大きなゴミ袋4袋にも入りきらないほどの衣類を一緒に漁ったというのが本当のところで、テディベアを見つけて、一緒にお棺に入れてあげれば良かったのにと、ちょっと胸が痛くなった。父は一番お気に入りだったぬいぐるみたちと一緒に旅立っていき、燃やさなければ良かった、母に渡せば良かったと少し後悔したのだが、同行するぬいぐるみが1体もないというのもなあ。

ワタシの時はどれにしよう。お気に入りは娘とのイギリス旅行の際にコッツウォルズの町で数人が集まっての小さな骨董市で見つけて連れ帰ったハロッズのテディウサギw。下の娘へのお土産だったのだが、どうしても手放せず、後で返して貰った物w。でもこの子はアンティックだからつれて行くわけにはいかない。でも一人は淋しい。決めておかねば。

結局、新品の衣類も数多く、これは勿体ないわねえなどと言っているウチに宅配便ではなくヤマト便のサイズになってしまった。欲深な自分を今頃後悔している。どうやってどこにしまうつもりなのだろう。おまけにすべてを洗濯し、クリーニングに出すのは大仕事だ。

一昔前、娘たちの衣服はドナから貰った。すべてが英国製でとても可愛かったので着終わった物は日本に送り、姪や甥が着てくれた。ワタシも貧乏で、どういうわけか金持ちの友人たちが多かったので、衣類はほぼすべて貰い物で過ごしていた。自分なら買わない色合いスタイルの物を小物でバランスを取り、工夫で着こなすのが結構楽しみでもあった。

もう衣類も捨てるほどあるし、実際、周囲から捨てろと言われているのだが、一端ワタシの保護下にw入った物を、簡単に捨てられるわけはない。で、この苦境だ。集まった物はこれまで運送料に大枚かけて施設のバザーに寄付してきたが、無職の婆さんになったのでもうそんな出費はできない。母は今でもワタシの洋服にだめ出しをし、そこに赤を足しなさいとか、上着の裾を引っ張ったりする人で、買って持って行った服も色がイヤとか、柄がイヤとか、好きな物しか着ない。大人しく着てくれるだろうか。

多分、大半はワタシが少しずつ着ていくことになるだろう。自慢じゃないが、私、スカーフとストールを数十枚持っている。どれが合うかな〜w。


ganbare_watashi at 13:02|PermalinkComments(16)世迷い事 

2017年11月20日

顎足つき!

全く皮肉なことに、フリーになって以来顎足つきのお接待など望むだけ無駄なことだし、望んだこともなかったのに、顎足つきとなった。

但し、ついてきたのは故障w。

顎の方はお嫁のSちゃんが天草名物のお煎餅をくれたことから始まる。小魚やナッツがたっぷり入った堅焼き煎餅。えっ、小魚、と、元来魚が苦手なのでひるんだのだが、とっても美味しいという話と体に良さそうという期待感から食べた。

非常に堅い。しかし、思った以上に美味しい。1枚で止めとけば良いのに食いしん坊なので大きな、厚みのある堅いお煎餅を2枚も続けて食べてしまった。そして…左顎の痛みが始まった。

朝起きて、何か、顎の辺りが痛い、違和感がある、それから口を開けると痛いとなり、噛むと骨がずれていると声高に主張するようなガクガクという音がするようになった。

ガクカンセツエンというらしい。音は体を表すだね。8月末のことだった。
前年10月にまた3ヶ月後にいらっしゃいと歯医者に言われていたのだが、忙しくツイ忘れていたのだが、なんせ口を開けるのが痛くてコワイ。痛みが多少治まった10月になって歯医者に行った。

恒例のチェックと歯石取りのはずなのだが、痛みを訴えたら、大きな口を開かなくて大丈夫というから安心していたら、熱中した先生は痛い側の奥歯からぐいぐい攻めてくる。アイタタタで、その後の歯石取りは3回通ったが撫でるがごとくで、痛くない右側の歯石は放置。なんでやねん。

で、左下のかぶせてある歯が緩んできているからこちらを治療しましょうとドリルではぎ取り、型を取り、今日、これからまた歯医者。痛いというのに左側をドリルでがりがりやると響く。ムッとする。文句を言いたいが言えない。敵の勝ちだw。

痛みをこらえながら、小学生の時の歯科医師のことを思い出していた。
無意識のうちに、先生の腕をぎゅっと掴んでいたようで、ある日、どっちが痛いか我慢比べだねと先生に言われてびっくりしたことがあった。

そうだ、ぎゅっと医師の腕を掴んでいると痛みが減るかも知れない。やりたいが、この歳では出来ないなあ。後数年経つとやってしまうかもしれないが、そのときは優しく我慢比べだねなどと言ってくれないで施設に収容されるだろう。

昔は医者との関係も近かった。医者宅がぼやを出したときは家の天井から空が見えるのも見せて貰ったし…。それともワタシがどこにでも入り込むちょっと変な女の子だったのかもw。


2017年11月15日

ホントに偶然だよね

左足指と足の裏にかけて冷えピタを貼り付け、寒いので足下を小型のヒーターで温めるというおかしな状況に入り込んでいる。

自己判断では、どうやら「足根管症候群」らしいのだが、あまりロマンチックじゃない名称にもかかわらず、人魚姫にでもなったような気分。というのも一足毎に針に刺されるような痛みで足の指を丸めて歩く始末だ。

そんな中、久しぶりに、昔海外で近所に住んでいた2人、Nさんと、K子に会いに出かけた。この2人が子供たちを交代で見てくれたおかげで私は大学を卒業できたのだ。もう35年も昔のことだが、どれほどお世話になったことか、感謝しても仕切れない2人だ。

Nさんは緑内障を患っていて片眼を失明、もう一方も視力が低下しているので、私が東京駅まで迎えに行くことになっていた。

総武線快速は地下に到着する。そしてそれが山手や中央線から離れたところにあるのも知っている。そこでなるべく歩く距離を減らそうと総武線に乗り換えて地下に入ることを考えた。まず地下鉄の飯田橋で総武線に乗り換えることにした。が、飯田橋が工事中。駅が見つからない。針の上を歩くような痛みをこらえ、近くにいた人に場所を聞くと、その人も探していると、2人で駅を探すことに。

その女性に足が痛いので近道しようとしたら余計に歩く羽目になったと話したら、私、痛みを取れるのですと言い出した。やってみませんか。面白そう、それにひどくなることはないだろうと、駅のベンチに座ると何やらブツブツ言いながら手で蜘蛛の巣を集めるような動作を足の上で始めた。そこに電車が来たので一緒に乗り、しばらく時間がかかるからと乗っている間中、その動作を続けてくれた。

お茶の水でぼんやりとここで降りるんじゃなかったかと思ったが彼女が熱心にしているので、降りますと言い出せず、次の次くらいが東京かなと思っていたら浅草橋にまで行ってしまった。彼女は修行して20年も痛みを取ることをしているという。治ったかと聞かれたがじんじんしているだけだった。残念。

東京駅の総武線を降りたところにNさんが待っているので、当然、総武線は東京駅に着くような錯覚に落ちいっていたのだが違った…。足を引きずり、階段を降り、上ると総武線普通は遅延していた。ようやくお茶の水に戻り、快速が来たので急いで乗り、これで問題解決と思ったら、それは中央線で、地下深くの総武線を探して東京駅をウロウロ。私は人魚姫じゃないし、待っているのはおばちゃんなのに、足は痛い。

Nさんと無事に出会えたがK子が地下改札口と言ったのにいない。私1階にいるみたいという。さすがK子だ。おっちょこちょいの二人。でも私の方が少しマシだw。足が痛くても私が迎えに行って良かった。

駅近くの人気店、サイゴンへ。デザートを頼んだら皆さん列を作って待っているんですよと追い出され、続きは丸ビルのカフェで。目は悪くなっていてもNさんが元気一杯で、ダンナののろけを散々喋る様子にホッとした。

Nさんを電車に乗せ、K子と新宿。彼女が買い物中、マッサージ機で可哀想な足を休ませ、休めない歯医者へ(この話は今度)。歯医者からタクシーで帰宅しようとしたのだが、来ない。バスで途中まで行き、停留所があると思ったところになくて、15分歩いて帰った。

驚くなかれ、誤算のせいで、人魚姫の足で1万歩超えて歩いていた。そして痛みが朝に比べてずっと少なくなっていた。彼女のおかげだろうか。気功のようなものなのだろうか、そんなものだと彼女は言ったけど。

そして、妹にことの顛末を電話したら、妹も同じ場所が痛くて足の指を丸めて葬儀の打ち合わせで歩き回ったとのこと。足が痛くてたまらないところにそういう女性が現れ、妹も同じところが痛くなっている。

変なの〜。



2017年11月12日

高速で過ぎていく年月

IMG_2997仕事をしなくなって2ヶ月近く経つ。

なのに、何だか忙しい。何もしていないのに忙しい。今までどうやって仕事をこなしていたんだろう。不思議。恐らく一つ一つの作業にかける時間が長くなっているのだ。ま、しょうがない。昔みたいにはいかない。いかないのにそこに目をつむって頑張ってきたってことだろう。

妹のお姑さんが亡くなって、急遽、妹夫婦が爆弾低気圧の恐れがある中はるばる20時間かけてやってきた。妹たちも大変だが、お姑さんも大変だったろう。1年以上も寝たきりで、言葉も出せず、勿論本人の承諾などなく、親戚からの圧力で胃瘻で生かされてきた人だ。もし、彼女が表現できないだけで分かっていたとしたら…こんなに恐ろしいことはない。長い長い拷問の時間だっただろう。だが、現実にその場に居合わせれば、愛情があるだけ別の世界に行ってしまうのを黙って見送ることは難しくなるのは想像できる。

高齢者を抱えた友人たちなどが増え、自分のこの先を考える時間がますます長くなっていく。残された時間は少ないのか、長いのか。何が出来るのか、出来ないのか。延命治療拒否の宣言書をリビングに貼ってあるがその時どうなるかは、神のみぞ知るだ。

友人の個展に銀座に行き、日本橋の三井記念美術館で「脅威の超絶技巧!」展へ。これは2014年の「超絶技巧!明治工芸の粋」展の第2弾だそうで、第1弾を見て仰天したのだが、今回も恐るべき技巧が満載。それも昔の日本人だからこんなに粘り強く修行に耐えてやれたのか、もうこれらの技法は途絶えるのかと思ってたのが、今回はそれに負けず劣らずの現代作家たちの作品もずらりと出展されていて、びっくりの連続だった。見事なので、是非、是非のお勧め。

一番驚いたのは鹿の角でなにをどうやったのか、一枝の満開の桜の花になっていた作品。どうみても薄い布で花びらを現したとしか見えない。細い鹿の角が何をどうすればそうなるのか、横にいた人と思わずそんなあと声を掛け合ってしまった。

クリスマスプレゼントを少し仕入れ、千疋屋(1階の方、セルフで気軽で安く2階みたいに待たないで済む)でマンゴースパゲッティなるものを食べ、デパ地下を2箇所回り、ヘトヘトで帰る。もう1箇所キッテに寄るはずが無理。ああ歳だ…。






ganbare_watashi at 10:12|PermalinkComments(10)いろいろあるよね 

2017年11月04日

無精の報い

父は生前、よく、無精するな、と怒っていたっけ。無精の巣窟のような我が家を見たらどれほどの雷を落とすことだろう。

雷ならともかく無精のせいで命を落としかけた…。

穏やかに良く晴れた休日の昨日、大規模な工芸展が丸ビルから有楽町の国際フォーラムにかけて何カ所かで開かれると知り、忙しいとか、婿殿と出かけるとかゴチャゴチャ抵抗する娘を説き伏せ、出かけることになった。

娘とのお出かけは久しぶり。さあ遊びに行くぞと喜んで急いで洋服を着替えようとして、何を考えたのか、したこともないのに、シャツとセーターを一緒に脱ごうとした。

なかなか引っ張っても2枚合わせて脱げない。で、こんなところで頑張らなくても良いのに、頑張って、エイヤーと力任せに引っ張ったら、足がつるりと滑って、頭から箪笥に倒れ込んでしまった。

一瞬、何が起こったか分からなかったが、頭はガンガン、そしてみるみる大きなたんこぶが…。頭をよぎったのは大理石のテーブルの下に落とした物を取ろうとして頭をぶつけて亡くなったという、娘と私の愛読書漫画「いたずらなキス」の作者のこと。

こりゃ、大変。私ももしかしたら危ないかも。何度も娘に電話するが出てこない。
慌てて冷やしつつ、娘二人にメールした。

万一の際の、PCに入るpinの番号、その他諸々のパスワードのありか。そして万一の際は直ちに株を売れという指令w。現金に換えておかないと面倒が生じるからね。葬式ぐらい出して貰いたいしw。

娘どもからメールと電話が来た。何にぶつかった?木の箪笥。目眩は?ない。瘤は?できた。頭を冷やしていれば良いよ。もうオーバーなんだから。2人とも笑いよった。

吐くかも知れないとお昼をごく少量に抑え、夕方、出先の娘にお腹すいた、お見舞いにケーキをおくれとメールしたら、その気はないと冷たくあしらわれた。リケジョらしい扱いだ。ちぇっ。

そのうちAIBOを買おうと思っているのだが、痛いと言っても撫でてはくれないな。撫でられても金属じゃ痛いな。と、この穏やかな日々にどこにも行かず、なるべく動かず、ゴロゴロしながら一人淋しく娘か孫を釣る方法を考えるのだった。

1日冷やしたら、たんこぶは引っ込んだ。でも触ると痛い。
そうでなくても、毎日大量に脳細胞が死滅していっており、真剣に痴呆になりつつあるのではと恐れているのに、こんなことで頭に打撃を与えるなんて。

全く、人生、何が起こるか分からない。

はい、父上、無精は敵です。今頃分かったかという声が聞こえる。


2017年11月02日

京都、大阪の旅 3日目

imgacbf9e53zikdzj[1]お寺は朝早いのがよい。一人旅は歩く旅でもある。朝遅いのは身の置き場に困る。家では新聞を読みながらいつまでも朝ごはんを食べ、それからシャワーとノロノロしているのに、旅ではすこぶる勤勉だw。

チェックアウトし、荷物を預けて東寺を目指す。ホテルの前をまっすぐ歩けば東寺に出る。都合の良いところにあったwこのホテル、気配りも最高だった。このホテルチェーンは4回目か5回目の利用だけど、すべてにプロなのだ。掃除1つとっても日系ホテルは有名処でもどこかしら手が抜いてあるのだが、外資のホテルはなぜかどこもきっちり仕上がっている。

東寺も秋の特別公開中だが、今日も雨。今日も傘をお借りした。袋に入れて渡した濡れて惨めな折り畳みはきちんと乾き畳んだ状態で返してくれていたが傘は大きいに越したことはない。靴も乾いている。前日、フロントが靴に必要ではと気を利かせて新聞をくれたおかげだ。

門を入ると早速修学旅行生の一団とぶつかった。京都はねえ…。自分の経験からしても、この年頃でお寺を見ても何も頭には残らないと思うが見ないより見た方が良いだろうと思いつつも、姿が見当たらない有料地帯へ逃げ込むw。

前日の相国寺は金閣寺がその塔頭寺院だという驚くべき規模だったが、ここもまた巨大な寺院だ。真言宗総本山というのだからそりゃそうだろう。世界遺産だし。

講堂へ向かう。そして金堂へ。前日のように一人ひっそり静寂を楽しむという贅沢はちょっと無理だったが、それでも雨の朝だからか、ごく少数だった。普段の行いが良いからね、雨が降ってくれるのw。

 IMG_3069 IMG_3070 IMG_3072

講堂で素晴らしく美しい仏様、帝釈天に遭遇。戦いの仏とかで手に武器を持っているが美しいのよね。弘法大師作とあったので聞くと、中の仏様たちのいわばデザインが弘法大師で、指示して作らせたという意味だという。なるほど。そしてこの仏様のせいで金堂の印象が消えてしまった。金堂は国宝、講堂は重要文化財なんだけど…まあ、ワタシには関係ないかw。

食堂には昭和初めの火災で損傷した4天皇像が安置されているのだが、焼け焦げ、腕をなくした仏様たちに、罰当たりにも、神も仏もないものかという言葉がふわふわと浮かぶ。

京都のシンボル的な五重塔とお庭、宝物館、そして観智院へ。観智院は門の外側にあるので分かりにくいが、ここはお勧め。13年ぶりの特別公開だったがこの先は通年で公開するようだ。雰囲気も、小ぶりだがお庭も良かった。相変わらず人はいない。ラッキーと思ったら、室町時代の茶室とやらにはカメラマン他数人が。良いですねえ、素敵などと常套句を並べ立てるその前には野暮ったい(失礼)小太りのおばちゃんがポーズを取っていた。室内は撮影禁止なのにと思ったら有名な作家らしい。これでここもひっそりと楽しむことは出来なくなるのかも。

西本願寺で、ぱあっと開けた大きさと金ぴかぶりに驚き、法要のお経の合唱をしばらく拝聴し(不信心者として、音楽的には永平寺での読経の方に軍配を上げる)、K子と行ったツアーで渡されたスタンプカードにスタンプを押し、JRで大山崎山荘美術館へ向かった。

この美術館には河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチといった好みの作家の作品が当時の家具類と共に所蔵されているだけではなく、安藤忠雄らしいコンクリート作りの、モネを主とする展示室も古い洋館の雰囲気を壊さぬよう隣接されて作られ、庭側のコンクリートの壁はすっかり緑で覆われている。周囲を緑に囲まれて隔絶された雰囲気の、私にすればたまらない美術館なのだ。IMG_3079

IMG_3080今回は有元利夫という夭折の画家の作品が目当てだった。友人がチケットを送ってくれたのだが、この作家の作品は滅多に目に出来ないのでまとめて鑑賞できたのは幸運だった。若く逝ったのにすでに作品の個性が確立されている。生きていればどのような展開を見せたのだろう。充実した展覧会だった。

この美術館は山の中腹にあるのだが、駅への道の途中に以前はあった骨董店が見当たらない。古道具屋と言った方が良いような店だったがこの店も楽しみに来たので、残念でたまらず、駅の反対側を捜索に出かけた。ウロウロするうちに怪しげな古道具屋に行き着いた。表には土や埃にまみれた皿や茶碗が無造作に放置されていて、面白い物があったので声を掛けると、100円。自分で袋に入れてとつるしてあったビニール袋を指さした。店内にも大量の品物が積み上げられている。何かありそうでみていると、3000万は固いとか不穏な言葉が店内で盛大にタバコを吸っている男たちの口から飛び出てきた。聞いてない振りをしながら品物を見ていると、店主が奥さん、まだ見るの、としびれを切らしてやってきて追い出されてしまった。面白い物がありそうだったけどなあ…。

IMG_3083←しめて300円也。

京橋や有楽町には骨董屋が多くある。京都にもあるはずだと駅周辺の小さな路地を探索して回っているうちに目の焦点が合わなくなり、気分が悪くなってきた。脳内で何かが生じている。脳梗塞で倒れるのだろうかと思ったが、とりあえずあめ玉をなめていると治まった。山荘でケーキセットを食べただけで、昼抜きだったから血糖値が下がりすぎたのかも知れない。

荷物を取りに行き、念のため、忘れ物がないか確認して貰ったら、薬を忘れていた。女性用のアメニティセットが良かったから持って帰るつもりがそれも忘れていたが、さすがにそれは忘れたとは言えず、悔しい思いをしたのだったw。

21379歩
写真はクリックすると大きくなります。



2017年10月29日

京都、大阪の旅 2日目−2

IMG_3046仕事を休んでから1ヶ月以上経った。不整脈があまり出なくなった。仕事が大変だったのねと自分にヨシヨシw。時間と自分をもてあましウロウロすると思ったが、ウロウロするまもなく1日が暮れる。昼寝もしないのに細切れの各方面の要望を聞いているだけで時間が過ぎる。暇だけど、暇じゃないのだ。というわけで、掃除も出来ない。良いのか悪いのかw。

さて、泉涌寺を出て東福寺へとM子の案内で落ち葉の積もった細い裏道を行く。こういう道、大好き。しかも京都だから熊の心配はしないでも良さそうだしw。しかし、止むことなく糸のような雨が降る。落ち葉と砂利道を踏むスニーカーの中に水が浸みてくる。東福寺への公道の一部は橋になっていて紅葉はまだだけどモミジと楓で埋め尽くされた境内が見渡せる。雨で人はパラパラとまでいかない少なさだ。三脚立てるな、立ち止まるなと最盛期にはうるさく言われるのだろうけど…。

IMG_3009ここには重森三玲の庭園があるらしい。M子は絶賛するが以前の経験から食指が動かない。本堂の前でM子は妹の所に行かなくちゃといなくなったが去り際に行きなさいよとだめ押し。

しょうがない。そこまで言われればと、こちらは有料の通天橋を渡って緑とうっすら紅葉が始まりかけているの紅葉wを楽しみ、庭園その他を回り本堂に向かう。三玲の庭は本堂をぐるりと囲んでいた。これらの意表を突く庭は三玲の最高傑作かもしれない。彼らしく正方形の碁盤の目の模様が鮮烈で美しい。白のコントラスト、白と緑のコントラスト、雨に洗われて一層鮮やかで素晴らしい。大人しく言うことを聞いて良かったw。

IMG_3015IMG_3024IMG_3031IMG_3023


雨脚は強くなり、足下はますますズブズブに。朝ホテルに預けた荷物を出して、今夜の宿に向かう。M子とは1泊でお別れだ。今回はM子の妹宅方面の八条口中心の旅なので、金沢で何度か利用したことがあった外資のチェーンホテル、ここへ。

入り口に大型のビニール傘がおいてあり、お使い下さいの札が!荷物とぐっしょり濡れた折り畳み傘を預け、やれやれと見回すと入り口に相国寺付属美術館(承天閣美術館)の特別公開の大きなポスターがあるではないか。相国寺は若冲の絵で有名な寺だ!知らなかった。これは大変、急がねば。傘を借り、濡れた靴、靴下のまま!とりあえず向かう。ちらりと靴を買おうかと思ったが、遅くなる。我慢、我慢。我慢が出来る歳にようやくなったようだw。

IMG_3052相国寺は、白砂が印象的なすっきりとした大きな臨済宗の大本山で、杉板戸に描かれた白象とボタンの絵、天井に描かれた狩野光信筆の龍(鳴き龍)、庭園など見所満載だった。禅宗の画僧を多く輩出しているとかで、美術館には白隠和尚の禅画などお宝が満載。しかもしかも伊藤若冲の障壁画2セットも特別公開中だった。そしてワタシは相国寺の板敷きに文字通り、くっきりと足跡を残したのだった。

美術館は絨毯敷きで素晴らしい美術品の山に興奮。京博よりもスゴイと思うワタシ。見て回るうちに靴下の水分はすっかり吸い取られ、尚更感激w。この美術館は、もう終わりかと思う頃に別の新しい一角が表れるからご注意。全部見ないと大損ですぞ。IMG_3063

IMG_3064美術館の出口で嫌々濡れた靴に足を入れた帰り道、特別公開中の別院を発見。相国寺参拝の際の半券が見つからず困っていたら、鳴き龍を見たかと問われ、何度も手を叩いて鳴かせたと答えると入れてくれ、ここにも足跡を残したのだった。

17996歩
写真はクリックすると大きくなります。



2017年10月26日

上がれ、上がれ、天まで上がれ

記録的な連騰の株価。日本企業の業績が上がっていたから株価上がると思っていたが、予想以上に上がってくれて無職、無収入となった身には実に喜ばしい。

例の空き缶他の無能内閣のおかげで一時日経平均が7000円台に突っ込んだときに、いくつかボロ株を拾っておいた。口座に残っていた資金だけを使ったから思ったほどは買えなかったが、当時はどの企業も倒産寸前のような扱いを受けていたからそれ以上は買う気になれなかったし、いくつか指し値で取りこぼしもした。博打に弱いのよねえ。

落ちていくばかりで詰まらないので何年も株には目も向けず放置していたのだが、ネットの証券会社も破綻、合併を繰り返し、自分の株をどこが扱っているのやら、それすらも分からなくなっていた。

少し前、収入もなくなったことだしと行方不明の株の捜索に乗り出した。恥を忍んで私の株はいませんかと問い合わせた結果、見つけた。市場から姿を消した株もいくつかあり、かなりの損を抱えていたのだが、お利口に成長していたのもあった。予期せぬボーナスだ。これで数ヶ月、仕事しないで遊べるなwって売りもせずにどこまでナマケルつもりなのだろうねえ。というより、売り場を見過ごしたともう少ししたら泣くかもね。まあ、いいか。もっともっと大きくなる夢をみているさ。

洋服でも株でも断捨離ができないの、ワタシw。


ganbare_watashi at 11:20|PermalinkComments(16)世迷い事 

2017年10月25日

京都、大阪の旅 2日目

IMG_2975この上なく悲惨な一夜が明けた。

これまで何人もの友人と旅行をしてきたが、M子が最凶、最大だった。

イビキと、寝言と寝相がだ。

K子も夜間うるさいがお酒さえ飲ませなければたいしたことはない。が、M子は想像の限度すら超えている。無理。イビキにも色々な種類があると知ったけど、知りたくなかったw。やけっぱちで、まるで乾いた板を叩くような音に、木槌が1個、木槌が2個と数えることまで試したけど、結局一睡も出来なかった。羊じゃないとダメらしいw。IMG_2981

   → 雲龍院の水琴窟。澄んだ密やかな音を堪能。雨で良かった。

K子他に悩まされた身としては勿論、旅行の前にイビキの有無を聞きましたよ。持病を抱える身には死活問題だもの。しないという。毎年のように友人と長期間の海外旅行をしているし大丈夫なはずと安心していたら、寝入りばなに暴力的な音で起こされた。青天の霹靂だ。友達はスゴイ。これで熟睡するのだからと感心したら、耳が聞こえないのだと白状した。それじゃあ文句が出るわけないわねえ。これでもう一緒に旅行してくれないねとしょんぼりの彼女。耳栓持参ならと考えたけどちょっと無理だねえ。何しろ最大音量だもの。スペインという話もあったが、これで消えた…。悲しいけど仕方ない。海外で長期間彼女と一緒では体が持たない。慣れるまえにひっくり返る可能性が高い。早く分かって良かったのかも。それにしても細身で美人なんだけどどこからあのような怪獣めいた音が出てくるのか、人間の体って不思議。

IMG_2970M子は美術系の学校を出ている上に、京都のお寺の特集本の手伝いをしたことがあり、地元だからやたら詳しい。私はネットで調べた雲龍院をお寺の第一候補に上げていた。東福寺にも近く両方回れるはずだ。彼女は雲龍院を知らないといいつつ東福寺の塔頭だと断言する。東福寺じゃないという私に、近所の高校に通っていて一帯のお寺に詳しい私に反対するなんてという彼女に新幹線の中での論戦で負け、口を封じられたのだが、朝、一緒に東福寺に行こうとバスに乗り、途中で、そうだ、好きなお寺があるのよ、東福寺に近いからと連れて行ってくれたのが御寺泉涌寺。御寺と御の字が付いているのは皇室ゆかりだからだそうだ。

IMG_2971ここで、雲龍院がこのお寺の別院であることが判明。M子の悔しがることw。雲龍院に行く途中、平凡な小さな塔頭(戒光寺)の前に運慶作釈迦如来像の特別公開の立て看板を発見。本堂といってもそこしかない京のお寺としては小さな建物の前でドラ!を鳴らし参拝する。中に入ると立派な、建物ぎりぎりのような実に巨大な釈迦如来立像が立っていた。驚くほかない。これだから京都は油断できない。他には参拝者もおらず、奥からご住職が現れ、ドラなど、私の素朴な疑問に煩がらずに答えて下さった。参拝料もなく、蝋燭とお線香を買って灯すだけ。素晴らしい彫刻だから上手く特別公開に出くわしたら是非どうぞ。

IMG_2988

雨は降り続いている。小さな折りたたみ傘はぐっしょり重い。泉涌寺への参観を後回しにして雲龍院へ向かう。ここも私たちだけ。雨のおかげだ。ついているといっていいだろう。京都でお寺を回るときは前回も雨。人のいない、静かな空間を独り占めでき、しっとりと濡れた美しい庭を拝見できる。これほどラッキーなことはない。スニーカーも中まで湿って、滑りやすく疲れるけど…

雲龍院は庭が美しい。紅葉には少し早いが静けさを楽しめるのは何よりだ。M子も初めてだと、受け付けでここは公開してなかったですよねと負け惜しみの一打を繰り出すが、あっさりと、公開していますよと撃退されたw。京都には一体どれくらいのお寺が存在するのだろう。深いなあ。この別院があまりに素晴らしくお腹いっぱい。結局泉涌寺への参観は次の機会に回して、東福寺へ。

続く

写真はクリックすると大きくなります。


2017年10月21日

京都、大阪の旅 1日目

IMG_2954さて仕事もせず、かといって家の掃除もせず、何をしていたかと言えば、旅行。しょうがないねえ。

下の娘が小学3年生の時の同級生の母という相手と。長い付き合いだねえ。これがまた口が悪くてムッとしつつなぜだか長々と付き合いがあるのだから人生分からないものです。

M子は京都出身で兄と妹が京都在住、妹が難病で寝たきりになっていて見舞いに行きたいけど、シングルは高いし、兄妹の家には泊まれない、京都に行くことがあれば一緒に泊まってと春先に頼まれていた。

北斎様の展覧会が大英博物館で開催され大評判となったらしいが、日本での展覧展が阿倍野ハルカスで短期間、それも1回きり、東京には巡回しないと知り、また同時期に京都博物館で開館120周年特別記念で41年ぶりという国宝展が開催されると分かったから、仕事もないし、収入もないのに行くことにした。困ったやっちゃw。IMG_2960

M子の妹は殆ど口もきけなくなっており、どうなるか京都でのスケジュールが全く分からない状態で、基本、各自現地自由行動という変則的な旅となった。

かなりの雨が予報されていたが出がけは降ってなかったので盛岡同様ビニール傘を持参して途中で置いてこよう作戦をどたんばで玄関で変更。小さな折りたたみ傘に持ち変えて出発。初日は良かったんだけどなあ…。

まず、京都で降りる彼女と別れ、そのまま大阪の阿倍野ハルカスへ。亡くなった従兄弟のお嫁さんと改札で待ち合わせ北斎展へ。彼女自身、絵を描くし、見たいというので入館まで並んでいる間もお喋りできるからちょうど良いと思ったのだが…。

家を出たというメールがかなり前に来ていたのに、改札におらず確認すると、あ、今から出ます!だって。30分待ちぼうけ。改札口と3度も念を押し、コートの色も伝えてあったのに、どこにいるんですかと電話。最初からどよ〜んとする。大丈夫かと思うことが多い人だったけど…。元気そうに上手くいっているという話の後で、仕事でミスばかりしていていつまで続くか分からないと言うから気分が暗くなる。従兄弟が一手に引き受けて何もかもやっていたからなあ。いい人だったねえと言う彼女の言葉が染みる。

北斎展は最高だった。人がいなければもっと良かったがw、会場の入り口付近は押し合いへし合い、さすが大阪という小突き合いも!私の目当ては中高年から晩年の作だからさっさと見切りを付けて進んだ。思った通り、最初の2、3の部屋を通り抜けると人がぐっと減った。物見高く来てみたがもういいやとさっさといなくなる人たちが多いのだろう。

大英博物館所蔵だからあまり空気に触れていないと判断したとおり、鮮やかな色が残っており、肉筆画も多数。応為の素晴らしい肉筆の美人図もあり大満足。北斎のこれまで紹介されることのなかった作品も多く、非常に充実した展覧会だった。本当に、命を分けることが出来たら、私の命を5年、10年分上げたのになあ。尚、近鉄のチケット売り場で入場券が待たずに買え、おかげで入場の行列もたいしたことなく入れた。

遅いランチをお嫁さんと食べた後、京都博物館へ。午前中に京博に向かったM子から1時間以上も待った、大混雑というメールを受け取っていたが、京博のパスポート購入窓口はすいていたので、年間パスポートと入場券を購入。非常にお得だったパスポートの条件が変更されていてがっかりしたが、並ばず購入できたので由とする。

ここも大混雑。絵巻の類はちらりとも見えない。混んでいるからと逆の順路を勧めていて、1階から回る。仏様の勢揃いは昨年通り。残りもソソクサと2巡して足を使っただけで止める。国宝でも珍しくてもあまり私には関係ない。罰当たりな、好きか嫌いか、ワクワクするか否かだけの人間だ。[そうそう、一番印象深かったのが土偶。どっしりしたフォルムも良いなとぐるぐるこの一角を何度も巡る。このコーナーは人も少なかったから尚更良かったw。]

IMG_2964人混みにウンザリしていたのでバスは避け、小雨の降る堀川通りを京都駅の方へ歩いていると珍しい木造の洋館が目に入った。柳原銀行資料館とある。入ってみると閉館5分前だったが、一人で事務をしていた係の人が少しくらいなら延長して良いのでゆっくり見て、写真もどうぞと言って下さり、重厚な木の内装だが銀行にしては低い天井、狭い内部、不思議な思いで、資料を拝見していくと、主に皮革製品を扱って資金のある部落民たちが資金を出し合い、相互に助け合った銀行だったことが分かった。

高校1年の半ばまで関西にいて小学校の時には同級生に部落から来たという女の子もいたが、両親が部落の話など一切しなかったこともあり、何のことか分からず、その女の子とよく遊んでいた。私にあの子は部落の子よと話した子はいたが、誰も彼女を差別する人も意地悪する子もいなかったと思う。今も実は部落のことはよく知らないから差別意識は全くない。この点については両親に感謝する。

IMG_2967差別に反対の運動を繰り広げれば、差別を広げることになるのではないか、知らなければ仲良くやっていけるのにと、多分、単純すぎる見方だろうが、諸刃の剣じゃないかなと思ってしまう。ネットでの情報の広がりをみても、知らなければと思うことも多い。またごく一部だけ切り取ったり、文脈を無視して負の情報だけを伝える歪んだメディアも数多い。どうすれば正しい情報を正しく届くように出来るのだろうか。

線路の上に建っているとM子が笑ったホテルの窓からはプラットフォームと多数の電車が行き来する様がよく見えて楽しかったが、向こうからも見えていると思うとねえ…。帰りの新幹線から見上げてみたが見えなかった。見られても良いと開き直ってもっと見ていれば良かったなあ。

13796歩
写真はクリックすると大きくなります。



2017年10月19日

巧妙な詐欺電話

駆け足での大阪、京都旅行から帰ってきましたが、疲れました。無理はできない歳になったことを痛感。旅のご報告は後ほどにして、まずは旅行前日に詐欺電話で走り回った話から。

固定電話は取り外していない。大体、勧誘しかかかってこないことが多いのだから外した方が良いような気もするが、海外の妹や母の施設関係などは固定電話にかかってくる。

旅行前日、母の所に洗濯物を届け支払いを済ませて帰ってくると、電話が鳴った。

区役所からだった。介護保険の件だという。保険料の計算ミスが見つかり、この5年間に過剰に支払った累積額が2万数千円になっているのですが、その還付申請の締切日が昨日だったのに書類が提出されていないのでお電話しました。落ちついた男の声で、背後には多数の電話で話しているような音がする。青い大判の封筒に入れて発送したのですが。母宛か聞くと私宛だという。ふーん。まあ税金は払っているから少しでも戻るなら嬉しい。

書類の発送日を聞くと半年ほど前だという。

その頃なら郵便受けから頻繁に郵便が盗まれていた。区役所からの書類も盗まれたのだろう。その旨伝えると、届けたかと確認され、管理組合に届け、近所で盗難が頻発していたので警察にも組合から届けたはずと答えた。

事情が分かりました。それなら、締め切りを過ぎましたが手続きを進めます。30分ほど後に銀行から確認の電話が入りますので、それに従って下さいと電話が切れた。

銀行?そんなサービスがあるのか?おまけに私の住所ではない区役所からの電話だ。しかし、母の関係書類はその区から、私宛てに送られてくる。色々な新たなサービスが導入されているので、区役所も確認が取れれば簡単に受け取りができるようにしたのだろうか。

ともあれ翌日から旅行。ここのところ仕事もせずに散財が続いているので嬉しい。ワクワクが疑問を抑えた頃、銀行から電話がかかってきた。

駅の向かい側に取引銀行の無人のATMの設置箇所があり、そこの機械が最新式で対応できるようになっていますので、お手数ですがそちらに向かって下さい。ハイハイ。

携帯電話をお持ちでしょか。携帯の番号を教えて下さい。ふむ?疑問が勝った。さては…。

昨日、携帯を落として壊したみたいで使えないんですよ。あ、でもないと困るので、買いに行こうと思っていたところなので後でブースに着いたら電話しますから電話番号を教えて下さい。

携帯番号は機種が新しくなっても変わらないから今の番号を教えて下さい。

今はガラケイだけどスマホに変えるし、スパムが多いから番号も新しくしようと思っていて…。

え…。ちょっと待って下さいと数分間、誰かと相談。090で始まる電話番号を言い、無料番号ですからと言わずもがなの一言。無料電話できる銀行があれば良いけどねえw。3時までですから急いでとまたしても墓穴。還付金なら急がなくても良いでしょうに。これで詐欺確定。

勿論、電話を切った後、直ちに警察に電話し、相手方の名前、電話番号など詳細に報告。こちらの名前、携帯番号など色々聞かれ、思わず、これ、警察の電話ですねと確認してしまったw。捕まえに行ってくれたかなあ。メモの有無も問われたので、捕まえたら証拠として提出するのだろうと年月日を入れて置いたw。

それから銀行に向かい、保安担当の人に15年も昔に引っ越したのに昔の情報に従って電話が来たこと。最近の情報は管理されているだろうが、古い情報も管理されているか、きちんと手順を踏んで破棄されているか、確認して欲しいとお願いしてきた。

オレオレ詐欺や還付金詐欺にどうして易々と引っかかるのだろうと疑問だったが、最初の区役所職員役からの電話だけなら、騙される人は多いだろうなあ。ある程度の基本知識があったから助かったが、そういうサービスが導入されたと勘違いする人もいるはずだ。しかし、日本の役所はまどろっこしくて面倒で普段は腹立たしいが、きちんと確認しなければお金の支払いなどするはずはない。ちゃんとしている。

旅費の一部になると、期待から細かな疑問点を見たくないという心理も働いたが、結論は、美味しい話は転がってない。欲はかくもんじゃないという当たり前のことだった。





2017年10月13日

運動会

IMG_2936先週末は息子の方の一番下、4歳児の運動会だった。

息子はあいにく日曜出勤。昨年に続き朝から雨模様。昨年は翌日に日延べされ、息子が参加。
今年も同じパターンだとのんびりしていたら午前は中止、12時開始とお嫁さんのSちゃんから電話がきた。外はまだかなりの雨。正午を過ぎると晴れてくると係の人が言っているらしい。ホントかなあ。

雨の中、会場の公園に向かう。息子宅のすぐ裏の公園、ウチからは徒歩30分強。
小降りにはなったが、雨の中公園にはちらほらと父兄と走り回っているちびっ子たちの姿が見える。
やっぱりやるんだ。

幼稚園ではなく、英語学校なのだが、現在3年生の孫娘のときは日本人はごく少数で、しかも帰国子女や海外転勤組だったのだが、今やほぼ全員が日本人!英語熱が高まっているのがよく分かる。だけどねえ、高い授業料を払ってクラスメートが日本人って、かなりコスパがねえ…と、ばあちゃんは余計なことを考える。先生たちは全員英米系だし少人数なので一定の成果はあるだろうけど。

公園の一角を借りただけ、丸くヒモでコースが設定されているだけで飾りつけもなく、自由に楽しくがやがやとプログラムが進んでいく。といってもいつ何をどうやるか先生の胸の中w。父兄たちもがやがやと小さな集団の周囲を移動する。そのうち雨が上がり、日が差し始めた。

小学1年生と3年生もこの学校の卒業生なのだが、一緒に参加すればと思うまもなく参加w。最初はおずおずと端っこで、そのうちリレーにも堂々と、姉弟競争もw。結局、最初のみんなでの体操以外はすべてに参加した。ウチの孫だけではなく、他の卒業生も数人混じったからウチの孫だけが自由奔放な訳じゃないw。始めたのはこの子たちだけどw。こういう自由な所がこういう変則的な学校で学ぶ良いところかも。

IMG_2949_LI親が足の上に子供を乗せて一周するレースで、息子がいないし、お嫁さんは身重だし、というわけで、男性の先生が4歳児を足に乗せて歩き始めたが、すぐに横抱きにして走ってその他をごぼう抜き。毎回、息子がそういうズルをしていたが、やはり外国人は違うねえとSちゃん評。おいおい、日本人だよ、君のダンナはw。

行かないと言っていた下の娘もいつの間にかカメラマンになっていて、一緒に帰ったのだが、途中でテニスレッスンを受けているダンナの元へ、母を置き去りにして行ってしまった。

ああ詰まらないと一人淋しく帰ったのだが、後でドーナツをくれたw。気にして欲しいけど気にしないで良いよ。と仲の良い夫婦仲を喜びながらも母親は複雑だ。









2017年10月10日

盛岡、そして東北各地へ 4

ホテルの窓から穏やかな海がみえる。入江を入った辺りはまだ造成中で土が盛り上げてある。もう撤去されたがモニュメントのようだった巨大な船が打ち上げられていた場所もこの付近だ。

IMG_2916気仙沼のこの辺り一帯があの大震災の時、一面の海となり、しかもその海が燃えさかっていた恐ろしい場所だ。埠頭のいくつもの巨大なタンクから燃料が漏れ出し引火し燃える津波となって街を破壊したのだった。奥尻島の地震の時もこうだった。神や仏がいるのならどうしてこんなことを許すのかと思いたくなる。なぜ日本はこんなに災害が多いのだろう。そして毎回、不死鳥のように蘇る。日本人の凄さ。私も受け継いでいるはずの負けない強さ、勇気を考える。

← 山の中なのに…


語り部の男性がバスに乗り込み、体験談を聞きながら気仙沼のあちこちを巡る。想像を絶するところまで津波が到達している。港から見える島には山を駆け上って横断した跡もある。至る所が工事中で土砂が積上げられており、クレーンが見る。まだこんな…だがその範囲の巨大な広がりを知るにつれ、ため息と共に良くやっているに変わっていく。語り部の男性はテレビに出たとか大学で話した、今度はどこそこに依頼されていると自慢話が長い。災害もビジネスになる。何をするにも金はいる。生きる基本だ。そう、同情するなら金をくれだ。思い出すから辛いと打ち上げられていた巨大なタンカーは撤去されたが、撤去後、災害地を見物に来ていた人たちが減り、地元が困っているらしい。

IMG_2918その後、まだJRも開通していない南三陸町、そして大川小学校へと向かった。人災として訴訟が起きている、校内に残った人たちのうち、教師1名と小学生数名しか生き残れなかった場所だ。

← 2階まで津波が来た。ひしゃげた柱が津波の勢いを物語っている。


慰霊碑が2箇所建っていたが写真は禁止だった。校舎は裁判中だからとそのまま残骸を晒していた。裁判を起こしている人の手記も読んだ。だが、ここでも、実際に現場を見てみると、神でもない一体誰がこんな所まで津波が来ると予想できただろうという思いが強くなる。

校庭で40分も整列していたのだから逃げられたはずだと現地を見なければ誰もがそう思うだろう。地震の揺れと不安で、子供たちは泣き叫び、嘔吐した子もいたという。大勢の小学生たちの混乱を鎮めるだけで相当な時間がかかったはずだ。

バスで山また山の中を移動したのだが、どちらを向いても海など全く見えない山の中に所々、ここまで津波が来たという標識が立っている。こんな山の中のこんなに標高の高いところまでと驚く場所も多い。しかも大川小学校のある場所は海から4、5キロも離れた、勿論、海などかけらも見えない、かなり広い平野だった。ゆったりとした大きな川が横を流れている。歴史上、分かっている限り、ここまで津波が遡上したこともなく、大川小学校は避難場所に指定されていた。

IMG_2917すぐ裏に小山があった。すぐ下まで行ってみた。が、学校から上れるような道はない。その山は見上げると切り立った崖のように見えた。半分は草地になっているが半分はびっしりと樹木が生えている。しかも雪があったという。10メートルの高さまで津波は到達したと、草原の途中に段ができていた。私は到底上れない。体力のある高学年なら登れる子がいるかも知れないが、泥炭地でただでさえ滑りやすいという上に当時は雪があったのだから、また絶え間なく揺れもあったのだし、小学生ではまず無理だろう。しかも判断を下すべき校長先生は不在で、当然、連絡も取れない。

警報が鳴り響き、子供たちが泣き叫び動揺する中、子供たち全員に責任を負うものとして、登れる者だけ逃げろと言えるだろうか。しかも地震で土砂崩れが生じることが多いのに。雪があったのなら尚更地盤が気になるだろう。ここまでは来ない、歴史的にも来ていない、全員の無事を考えてここにいた方が安全だと思ったとしても不思議ではないと私は思う。避難場所でもあったのだし。

IMG_2925

自分の子供が亡くなったら、永遠に、あのときどうすれば良かっただろう、どうすれば死なせないですんだだろう、なぜ迎えに行かなかったのだろう、迎えに行く方法はなかったのだろうか、などと考え続けてしまうだろう。誰かのせいに出来れば少しは気が晴れるかもしれない。

しかし、訴訟を起こし、子供を死なせたのは教師の怠慢だ、人災だと非難することはただ一人生き残った教師の責任を問うことでもある。折角生き残ったその教師を追い込むことだ。どれほど辛いだろう。

IMG_2927昔は運命だと諦めるという道があった。辛いが運命だからと冥福を祈って、その子の分まで頑張って前に進む道があった。時には諦めることが多くの人たちにとって癒やしとなると思えるのだが。

松島へ回り、瑞巌寺の絢爛豪華な障壁画を拝見し、別のお寺で檀家のツアーらしく、私は数珠をお借りして、お経を唱和し、2泊3日の旅は終わった。

ツアーで回ったところの記憶はおぼろげで、急ぎ足であり、一人旅のようにはいかなかったが、K子についていって良かった。知らない世界を知り感謝だ。皆さんに親切にされ、次回も是非と言ってくれたが、どうかなあ、正直、団体には馴染まない異端児だからねえ、第一、ウチは禅宗で全く違うんだけどw。

10818歩
写真はクリックすると大きくなります。







ganbare_watashi at 11:54|PermalinkComments(6)東日本大地震 

2017年10月07日

盛岡、そして東北各地へ 3

IMG_2908駅直結なのでゆっくり朝食をとり、勿論そのせいで時間が押し、大丈夫よ、間に合うと言い張るギリギリ派のK子を急がせてバタバタと駅へ。彼女が毎回列車に遅れそうになる訳がよ〜くわかるw。

一ノ関で他の皆さんと合流。バスで毛越寺、中尊寺と平泉一帯を観光。ツアー旅行は初めて。修学旅行以来の団体旅行。楽だがやはり向いてない。のんびり歩くので目的地での時間が限られ、見たいところが見られない。ヤキモキするw。毛越寺ではお庭を一周したいのに40分ほどしか時間がなく、自由行動となったとたんにK子と2人でヨーイドンとばかりに早足で皆さんを置き去りにw。で、結局、思い出すことが少ない。断片的にお寺の様子やお庭は思い出すけど。中尊寺もあの広いところを1時間弱で。で、怒濤の勢いで回ったから螺鈿の美しさや金ぴかぶりは良ーく見たけど、後は夢の中。
IMG_2907


IMG_2906お神籤を引いたら、十数年ぶり?初めて?大吉を引いた。仕事を辞めようとしているときに大吉。当たるも八卦当たらぬも八卦だけど、何だか心強いね。

そして恐れていた津波体験センターへ。ここで体験の部屋では椅子が揺れ、風が吹き出し、画面では勿論あの轟音と共に津波の映像を見ると聞いて、やはり無理と判断。メンツより心臓を守ることにした。チキンとでも何とでも呼んでくれ。生きている人たちが助けを求めて叫びながら流されて死んでいく映像を、助ける術もなくじっと見ていられるほどワタシは強くない。

待っている間、センターの人たちに、なぜこれまでも何度も津波の被害に遭っているのに逃げようとしなかったのか聞いてみた。

IMG_2915東日本大震災の前に3度大きな地震があり、毎回津波警報が出たが数十センチだったので油断したこと。そして3.11の地震では家屋の倒壊はなかったという。つまりあれほど大きな地震で東京のウチのマンションでも構造体にヒビが入るほどの揺れだったのに、三陸沖だったため、勿論、職員の人が目にした限りだが、倒壊するほどではなかったのだという。センターのある唐桑半島は津波が半島をほぼ分断し壊滅的な被害を被ったのだが。

それまでに3度の大きな地震で津波はたいしたことがないと学習してしまった人たち。悲劇だ。建物が倒壊することもない地震なら、誰がこれが千年に1度といわれるほどの大地震だと分かっただろうか。

後からなら何とでも言える。でもその渦中にいれば、まだ寒い最中に、何もかも置いてさあすぐ逃げようと思っただろうか。逃げなかった人たちをワタシは非難できない。次は逃げようと思うだろうが。

その晩は気仙沼で泊まった。K子の大きな寝言に悩まされ、やっと眠れた思ったら、夜中に多数の足音とドアの開け閉めの音、ついで突然、ポットが、お茶も飲まず、触ってもいないのに、大きな音を立てて沸騰しギョッとした。やっぱり、なのかなあ。

8384歩
写真はクリックすると大きくなります。


ganbare_watashi at 11:03|PermalinkComments(6)東日本大地震