あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2006年06月

[追記あり]

今年のベルリン映画祭のなかで最も美しい映画なる惹句に引かれて無理矢理時間を捻出して娘と見に行ってきた。

BIG RIVER ビッグ・リバーなるほどねえ。淀川長治がかねがねいっていた言葉を見終わった後で思い出した。どこかに必ず良いところがある。構成やストーリーに褒めるところがなければ景色や小道具を褒める。美しい映画とか漠然としか褒めようがなかったということだったのね。

それにしても予告編が長い。延々20分あまりも見たくもないスリラーの予告や血なまぐさいシーンが否応なく流れ、やれやれようやく本編が始まったと思ったら、オレの感性を見てくれ、自己満足映画だった。

わけわかんないという人にはお前が遅れていると制作者は言うんだろうけど、映画はエンターテインメントだ。そのイロハの分からない奴は映画を作らないで欲しい。コチトラは金を払って楽しみに行くんだから。1800円の楽しみどころか持ち出しの気分。わかってんのかねえ。

予告の日本映画2本にオダギリジョーなる俳優が出演しており、ずいぶん出ているねといっていたら、Big Riverの主役もオダギリジョーだった。どこがいいのか私には謎だ。アリゾナ砂漠を歩いて渡っていたが!もじゃもじゃの頭ではさぞかし不潔だろうナ。

始まって20分ほどしたらそうじゃなくてもがらがらの館内から2名が脱出した。私たちも出ようかと娘に提案したのだが、娘はいい子なので周囲を気にしてもうちょっと待とうよといい、終わってから、見て損したねとのたまった。

非常に違和感と不思議を覚えたのが、主演全員が最初から最後まで、車の中でもベッドの中でも、片時も休まず、煙草を吸っていたこと。多分、煙草会社だか煙草協会だかがスポンサーで喫煙推進運動の映画なんだろうと、最後まで残ってクレジットで確認しようと思ったが、クレジットにはなかった。なんなんだ?

せっかくの雄大な大自然なのに、映画にbigなところは何もない。観光案内の映画の方がまだましだったかもしれない。ストーリーも構成も骨がない。意味もない。へらへらした日本人の青年がうろうろする話。なんのため?何か意味は?余韻もなく、ああホント時間を損した。

[追記:この映画に意味があった。煙草の消費拡大を狙った煙草を主役とする映画だと考えるとつじつまがあう。筋立てや人間はカモフラージュだから、どうでも良かったのだ。きっと。そういえば、グランドキャニオンはどこかの煙草会社の宣伝に良く登場していたような…]

[一部書き直しました。削除の線はどうやって入れるのでしょう。その機能がなさそうなんだけど、ご存じの方は教えてください。それにつけても最近どうも映画についてない。これで3回連続、観客数20人未満の映画をみてしまった。どうしてだろう]

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6/10日初出、[追記あり][さらに追記あり6/26]

赤ん坊連れて大騒動の旅行から帰ったら、なんとまあ、パンツの中でパーティをするという器用なさんからご指名がありました。

Eat them up, Yum!

Fish Headsは歌詞としてはおとなしい方で、こんなのもあります。

♪I love to dance with Peg Leg Sue
♪She got one, I got two
♪I told her to save a dance for me
♪My boogie woogie amputee

解説はさなえさんあたりをきぼんぬ。

といわれても、目の前真っ暗。私の守備範囲じゃないシイ〜と言いたいところですが、考えてみました。当て推量です。信じないでください。

最初、ベトナム戦争を皮肉っているのかと考えたのですが、発売年月日が1991年なので、多分、湾岸戦争ですね。

Sueというのはよくある名前なので、一般名詞のように使っているのかもしれません。モデルがいる可能性もあるけど、分かりませんでした。湾岸戦争には女性兵士も大勢かり出されていたようですし。

スーは片足が義足で、僕の方はどうやら両足義足のようですね。足を切断された人たちのブギウギという、怖いシーンです。

Sueとtwo、meとamputeeで韻を踏んでいるのですが、こういう翻訳は私のセンスでは無理です。ざっくり、事実のみの翻訳をしてみます。

義足のスーと踊りたい。
彼女は1本、僕2本
僕の相手もしておくれ
手足バラバラブギウギ

はっきり言えるのは、こういう歌は日本ではどんなことがあっても発売しないし、できないだろうということです。自国が戦争をしている中で、こういう歌を発売できるアメリカという国の懐の深さはちょっと羨ましいです。

[追記]s2mさんからSueというのはPeggy Sueのことではないかとのコメントを戴きました。でもこれってラブソングなんですよね。音をパロディしただけなのかな。深い意味があるのかな?歌詞から、Peggy Sueは多分結婚して、いなくなるらしいことが分かるので、自分の元から去っていったPeggy Sueが片足義足で現れ、自分は両足(腕と足かもしれない)義足となって再会というシーンかもしれない。

そして、弾さんがなぜ私にふったかというと、最近臓器移植のことを続けて書いていたからに違いない。ブヒ

[追記2]harmonikerさんからコメントがあり、1978年初放送との情報を戴きました。従って、この歌詞はベトナム戦争を皮肉ったもののようです。http://en.wikipedia.org/wiki/Barnes_&_Barne

最低の男に多くのコメントとトラックバックをありがとうございました。このエッセイ集があまりに腹立たしかったので、即、図書館に返してきましたので、これから書くことは原文とは多少違うかもしれないことをまず、お断りしておきます(自分の本であれば、破ってゴミ箱に捨てられたのにと、それが残念で仕方ありません)。絶版だそうなので、後に批判を浴びたのかもしれません。

人間は弱いもの、それは確かです。しかし、助けを求めている人が、すぐ近くにいることが分かっているのに、何らかの手段がとれるのに、それが分かっているのに、それを見過ごすのは卑劣な行為です。それを人間は弱いから仕方がないんだと自分を正当化するのは卑怯です。自分が行ったことに正面から向き合っていないからです。見過ごしたとしたら、長い年月、自分は卑怯で、卑劣なことをしてしまったと、折に触れ、心を刺す傷となるのが人というものではないでしょうか。

彼は
暴行が行われていることと、その場所を知っており、
自分の仲間が多数近くにいることを知っており、
一度は飛び出したものの、ドアを叩いて、お楽しみのところをどうもなどといえないしなどと躊躇し、
結局、廊下をうろうろしただけで、悲鳴が聞こえなくなったのを口が塞がれたのだろうと推測しながら
部屋に戻り、
翌日、大道具、小道具などが同じく悲鳴を聞いたのに飛び出さなかったのを
闇雲に怪我をしたかもしれないのに飛び出したのは坊ちゃんであるからで
世の中のことが分かっている大人はそんなことはしないと
自分の心に傷を負うどころか、飛び出さずにやり過ごした方を是認して、
飛び出した男(人かもしれない)、飛び出さなかった男という趣旨をエッセイに書いたのです。

彼は、つまり、自分が助けることができるかもしれないこと、その場には間に合わないかもしれないが次の犠牲者を防止できたかもしれないこと、つまり警察を呼ぶという市民の最低の義務も果たさなかったばかりか、事なかれ主義が大人の取るべき行動だと是認しているのです。

この事なかれ主義が、日本を住みにくくし、貶め、世界から金はあっても尊敬されない国、品格のない国にした根っこのところではないでしょうか。困っていることを知りながら手を差し伸べることをしないことは、少なくとも臆病で、卑怯なことであることを痛みと共に自覚すべきです。

新大久保で、酔っぱらいが線路に落ちたのを助けようとして、日本人と韓国人の男性2人が犠牲になるという事故が数年前にありました。自分の命をかえりみず線路に飛び降りて助けるという究極の崇高な行為はなかなかできるものではないし、そこまでのことは誰も要求しません。しかし、目の前の人が線路に落ちても、駅員を呼ぼうともせず、助けられないことを何とも思わず、関わり合いになりたくないとこそこそ背を向けて駅から出ていく人間に、私たちはなりたくないはずではありませんか?

実に嫌なエッセイ集を読んでしまった。「町への挨拶」 山田太一 中公文庫

私は山田太一を激しく軽蔑する。こういう男を人間のくずという。

この本の中で彼はホテルの一室で助監督4人と真上の部屋で女性が複数の男に襲われ暴行される物音を聞き、外に飛び出たが、そのまま戻ったという話を書いている。1人でいたのじゃない。4人だ。しかも最初に真上の部屋だと現場を特定してある。

部屋をノックしてなんといえばいいのかなどと、躊躇して戻ってきただと。馬鹿じゃないのか。4人も揃っていながら、それも、他にロケ隊の仲間が同じホテルに大勢いるのにも拘わらず、部屋に踏み込むだけの勇気もない。常識もない。勇気がなくても、止めろと大声で廊下で騒ぐことはできるだろう。警察だ、火事だと叫ぶことも可能だろう。

それよりも、何よりもなぜ警察を呼ばない。周りを大声で呼ばない。明らかに犯罪じゃないか。どうしてそのまま見過ごすのだ。この男は必死に助けを呼んでいる女性を見捨てたのだ。

しかも、しかも、飛び出したのが助監督だけだったので、「情緒に弱く、『お坊ちゃん』であり、他の人たちが悲鳴を聞きつつなお自己を見失わなかったのに、大学卒の苦労知らずだけが我を忘れて、飛び出したのであったか」などと、飛び出さなかった方が正しいとでも言いたげに書いている。自分の罪深さを懺悔するエッセイではないのだ。なんという荒っぽい神経。なんという恥知らず。その女性が自分の妻、娘、妹であっても同じように思うのか?

この後、女性は自殺に追い込まれたかもしれない。一生を台無しにされ、精神を病んだかもしれない。そういう残酷な恐ろしいことだという想像が全くない。自分に対する厳しい反省もない。女性に対する優しさのかけらもない。人の痛みを知ろうともしない。こういう想像力も何もない輩が、教育を受けたテレビドラマの売れっ子作家というのだ。

パンツを手鏡で覗いたくらいで、ちょっと触ったくらいで、暴行したくらいで、そういう男の論理が日本のあらゆるところで透けてみえる。隅々まで浸透している。「優しくして貰おうとつい抱きついた」などと暴行して殺害した加害者を代弁してふざけたことをいう馬鹿な弁護士がでてきたりする。

弱い者、小さい者、女性を守るのがまともな男というものだ。

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近所の公園にあるゆりの木の大木。とうとう今年は花をつけなかった。巨大な薄緑色の花を毎年つけていたのだが。

惨めな格好に短く刈り込まれてしまったゆりの木は、効率化の波を受けた犠牲者にみえる。

多分、公園の管理の仕事は入札で決まるのだろう。一番安い値段を入札した業者が指名され、安値で仕事をこなすため、プロの植木職人は雇はなかったのではないかと、つい、このご時勢だから想像してしまう。

ヒコバエを出して、懸命に生きようとしているのは、サイドビジネスでも何でもやって、生き延びようとする私たちの姿かもしれない。アマチュアが跋扈し、プロが職を奪われる現在の日本の象徴のような気もする。

それにしても無様だ。日本の庭園の美はなにもお城や名だたる名園に限ったものではなく、世界でも珍しく一般大衆に広く行き渡っていた絵心、美を愛でる心から発達してきたもので、一般庶民の楽しみでもあったはずなのだが、この美しさのかけらもない切りようはどうだろう。

美などどうでもよい、刈り込むことが仕事なら、何年も刈り込む必要のないように刈り込むことがセールスポイントだ。それの何が悪いと反駁されそうだ。

だが、不必要なもの、余計なものは、本当に不必要か?余計なものか?ちょっと立ち止まって考えてみる必要があるような気がする。

人間、理解できることなんて、ほんの少しだ。誰のことだって、自分で分かったつもりになっているだけで、本当のことなど分からない。世の中には、信じたくないが、ひどい悪意が存在する。それは確かかもしれない。それにしても…

秋田の事件は今や格好のマスコミの餌となっていいる。微に入り細に入り、彼女の過去をほじくり出して苦労知らずの「コメンテーター」が偉そうに、コメントしている。彼女の一生のいったい何が分かるというのだろうか。

山男が来ると家から娘を閉め出していたと聞いて、サラーム・ボンベイのシーンを思い出した。インドの極貧の子供たちを描いた映画だ。娼婦の母親は自宅で体を売って生計を立て、男が来ると子供は外で待っている。同じ情景が”経済大国”日本でも繰り返されていたのではないのか?

ガスもなく、電気のメーターもほとんど回っていなかったという加害者宅を、コメンテーターは生活の匂いが全くない。料理もしないと言ったが、金がなくて止められていたのじゃないのか?携帯代金が異様に多いようだが、これは彼女の派手な生活を示すのではなく、彼女が性を売り物にしていたことを示しているのではないのか?

「お弁当を1度も持ってこなかった。子供がいるのに弁当も作らないなんて」子供を抱えた男に、お前は弁当を作らないからひどい父親だと果たして言うだろうか。テレビの画面からは、彩香ちゃんは虐待されていた子供のようにはみえないのだが、カップラーメンばかり食べさせていたからといって、子供を虐待していたと、犯人が男なら言っただろうか?

卒業文集に、「会ったら殺す」とか「秋田から永久追放」と書かれるような高校時代を送っていた人に愛想が悪いとか、荒れているとか言えるのか?そもそもそういう卒業文集を印刷して配る教師はどんな奴だ。殺すと書いた奴は今どんな生活をしている。そっちが知りたい。

子供が生まれてわずか6ヶ月で離婚して、どうやって生計を立てていたのだろう。頑張ればいいじゃないかと簡単に言うが、頼みにしていた家族が自己破産し、自分も自己破産し、もちろん、限りなくだらしなく、いい親とはとても言えないが、彼女をだれか支えていたのか?

彩香ちゃんの父親は養育費を出していただろうか。子供は1人では作れない、生まれない。なぜ、誰もそれを問題にしないのだろう。田舎で、離婚し、水商売。どれほど周囲から無言の圧力を受けることだろう。

彼女は特殊な鬼のような女なのだろうか。そして、何より、彼女は犯人なのだろうか。14時間とかぶっ続けで取り調べをして自白したと自慢げに言われていたが、そのことは問題ないのだろうか。14時間もお前がやったのだろうと責め続けられて、それでも自分ではありませんと言えるだろうか。

自分の子供を死なせてしまった母親が死に場所を探して、自分を罰したいと自暴自棄になって、自分が犯人のような気持ちになってしまったのではないだろうね。真犯人ではないから供述が二転三転するのではないだろうね。

彼女は警察が言う通り真犯人かもしれない。そして、子供が1人では淋しくて可哀想と、狂った母親が遊び相手として豪憲君を殺したのかもしれない。

それにしても哀しすぎる人生だ。子供の人生を奪い、不幸な家族を増やし…他に道はなかったのだろうか。

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最近見かけないけど、というかテレビを見なくなっただけかもしれないけど、コイケヤのヒーヒーおばあちゃん*、元気かな。

すっかりヒーヒーばあちゃんになって、ようやく青色申告を出してきた。今頃?そう、今頃。本来なら3月15日までに出さなくちゃいけません。よい子のみんなは3月15日までに出しましょう。

昨年は5月半ば、一昨年は3月末、ああ、どんどん後ろにずれる。頑張っているんだよ。早くだそうって。ところが、忙しいし、気力が萎え〜。それに、これまではボーナスと呼んでいたのだが、今回は雀の涙しか戻ってこない。これじゃあね。

仕事がきつくなり、丁寧に訳そうとすると時間がかかり、断ってばかりで年々収入は減っていく。5年前の半分となってしまった。おまけに子供たちが大きくなって控除できるものがなくなった。実質的には30過ぎた息子をまだ盛大に養育中なのに、養育費も控除できない。多少のアルバイト代を払ってチェックをさせたりもするのだが、本人が働いているので専従者扱いもできない。

2000年と2001年に購入した株を売って得た利益は控除の対象となるらしいので、証券会社に問い合わせたが、先に言わなきゃと言われてしまった。そんなものがあるって言わなかったのはそっちだぞ。高い手数料を取っているのは何のためだ。と気の弱い私はここで吠えるのみ。あーあ。住宅減税分だけは死守するぞ。

*ヒーヒーおばあちゃんの著作権は株式会社湖池屋に属しています。

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今年はどれくらい収穫できるかな。娘、赤ん坊、そして娘の小学校からの友人で、すっかり私の友人扱いしているMちゃんと田舎プラス小旅行をバス+レンタカーで敢行してきた。

赤ん坊って、こんなに大変だったかな。要するに年をとったということなのだろう。ああ疲れた。Mちゃんも、ありがとう。

今回は、カボチャとプリンスメロン、大豆、バジルを植えた。前回植えたリンゴもサクランボも無事に根が付いていたが、リンゴは葉っぱを虫に食われてレース状になっていた。農薬は使いたくないし、無事に育ってくれるかな。

前回、ブルーベリーの周囲に溝を掘ってビートモスを追加投入したのだが、功を奏したらしく、3本とも元気になっていて一安心。大家さんがキュウリ、なす、トマトの苗を植えてくれていた。インゲンも芽を出していた。裏の梅の木には3年ぶりに梅の実が鈴なりに。嬉しい。

ここには、自生のものも入れて、食べられるものを数え上げると、リンゴ、桜桃、梅、ブルーベリー、イチゴ、栗、サトイモ(自宅で芽が出かけた奴を持っていって植えたら、10個ほども葉が出ていた。自然ってすごい)、セロリ、アスパラ、ウド、キュウリ、なす、トマト、ミニトマト、春菊、タマネギ、長ネギ、インゲン、大豆(枝豆)、プリンスメロン、カボチャ、スイカ、三つ葉、大葉、わさび、ふき、クレソン、カモミール、レモンバーム、ミント、イタリアンパセリ…わあ、すごい。いつの間にかずいぶん増えたものだ。

食糧不足になっても、これだけあれば…まだ、まだ、駄目だなあ。

シンクラブ脳死・臓器移植と「正しさ」(1)

「正しさ」を求めるものは、有機的統合説やら歴史伝統や
らに訴えて一方を切り捨てる前に、まずその必死の思いに
たじろぐべきなのだと思う。

他人の痛みを感じることができない者は「正しさ」につい
て考えることができない

うーん、愛読者である私が「おろかものの『正義論』」の著者である小林さんに盾つくのはとっても気が進まないし、太刀打ちできるはずもないのだが、なんか気に入らない。考えることのプロの小林さんが考えることを途中で投げてしまったかような印象を受けてしまった。私の体調のせいかもしれない。(1)とあるので、この続編が読めるかもしれないと期待してしまうのだが、それは私の甘えであり、申し訳ないので、as you like itと言っておこう。

しかし、正直に言わせて貰う。他人の痛みを本当に感じることなどできない。胸が痛くなり、一緒に泣くことはできても、代わってやることはできない。痛みも悲しみも自分で引き受けるしかない。それをどんなに親しくても、たとえ、親や子であっても横で見守るしかない。痛みはその人個人のものだ。だから辛いのだ。考えることができないといわれても困ってしまう。

脳死や臓器移植が純粋に善意のやりとりであったときにはことは単純だった。善意と自分で信じることを、与え、受け取り、仲介する。それだけで完結していた。しかし、りんごの味を知ってしまったのだ。人間の体が金になり、パーツとなり、売買が成立するようになり、大きな産業へと育ってしまった。金持ちが、先進国が、貧しいものの内蔵を買うなんてことは許してはいけない。そのようなことがあり得るというだけで許してはいけないと思うのは単純すぎるだろうか。

正しさって何だろう。どんなに痛みが分かっても、どんなに辛いか分かっていても、それを堪えるのが正しさじゃないのだろうか。どんなに苦くても飲まなくてはいけない薬があるように、どんなに辛くても命は有限だという事実を飲み下さなくてはならないのではないか。

私には分からないことだらけが、一つだけ、人の命はその人のものであり、その人固有のものであり、金に換えて奪うことは、正しくないとはっきり思う。また、どんなに善意から出たことであっても、それが結局は健康な人の命を奪ったり、縮めることにつながるのであれば、それは正しいことではない、と私は思うのだが。そこに生まれる嫉妬や憎しみを想像すると怖くなる。そういう社会が幸せな社会だとは思えない。

三余亭さんが『医療・生命と倫理・社会』 (オンライン版)Vol.4 No.1/2 2005年3月20日刊行http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ4/に再開された臓器売買をめぐる論争http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/eth/OJ4/kurose.pdfという哲学・倫理学がご専門の黒瀬勉氏による論文を紹介なさっています。

臓器移植の有効性そのものも明確ではなくビジネスとして臓器移植を推進しようとしているのではないかと疑心暗鬼なのだが、この論文では生体移植で自分の腎臓を売った側のその後についての調査もあり、この論文を読んで反対の意思がいっそう強くなった。結局ここでも、女、子供が提供側であり、受け手は男という力関係がはっきり見られるようである。いつまでこんなことが続くのだろうか。
 

積み木北海道の隅っこに住んでいる上の娘が赤ん坊を連れてやってきている。

娘が住む町は、日本の小さな町の縮図といっていいかもしれない。過疎に苦しみ、鉄道は民営化でバスに代わり、そのバスは赤字で廃止され、老人、病人、障害者、諸々の理由で車がもてない、運転できない人はその場所から動けない。なんのことはない、長年かかって鉄道誘致の運動をし、これで外の世界とつながったと喜んだのもつかの間、もとの孤島に戻ったということだ。

役場はあるが、過疎で、産業もないのでもちろん赤字。役場の中は照明の数を減らしているので薄暗く、給与も出せないので、助役も辞めた。それなのに、「オレンチは代々給食費を払ったことなどネエ」といって給食費の支払を拒否する住民も結構いるという。1軒、1軒回って頭を下げて給食費を支払うよう頼むのは役場の仕事らしい!

その町には、村ではない、町には、産婦人科医はいない。小児科医もいない。経験の浅い内科医がいるだけだ。赤ん坊が熱を出すと車で1時間半かけて隣町まで運ぶ。時間も、金も、かかる。

日本中で、少子化だと騒いでいるので、赤ん坊関係の手当は手厚いのだと思っていた。そうではなかった。1ヶ月5000円。ピリオド。医療費、医療費、ミルク代、暖房費。どうやって育てているのだろう。寒いところ、産業のないところでは赤ん坊は産めない。産むなといっているようなものだ。

ところで、書き忘れたが、この町では赤ん坊がいれば働けない。3歳児未満を受けつける保育園がないのだ。育児が金持ちの道楽となる日も遠くないかもしれない。

今は、明治でも、大正でも、昭和でもない。途上国でもなく、戦火や内乱に苦しんでいるのでもなく、国連拠出額では世界一、政治家が外遊するたびに大盤振る舞いでお金を振りまく世界有数の金満国家。どこが?だれが?

TB:5号館のつぶやきさん
Dr.blue 

宿題を大量にやり残した気分だ。明日が9月1日というのに天気の欄がすべて空白とか、新たに算数のドリルが1冊見つかったとか。

バックグラウンドには赤ん坊の泣き声。おむつを買ってこいという娘の声に、両親は引っ越したものの荷物の整理に日参しなければという内なる声。もちろん、コーディネーターの少しなら、といっても数時間ですが余裕はありますというご親切な声。

というわけで、ゆっくりブログを書く暇はないが、青息吐息であっても、一応イキをしておりますのでご安心を。

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