あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2006年11月

裁判員制度を説明したビデオテープを見たことがある。印象としては日本人にはそぐわない制度だと思えた。声の大きな人が一人混じっていたら、みんなその人に引きずられるに決まっている。それが正しくないと内心思っていても正しくないと言うだけの勇気があるひとがどれほどいるだろう。

自分の意見はあなたとは違う、と言える人がどれほどいるだろう。きちんとした議論ができなければ、裁判員制度は機能しない。日本では会議が機能していないのは自明だ。機能していれば、会議で復党反対が大多数を占めたという造反議員の自民党への復党が行われるはずがない。

それに、みんなと違う意見を持つことが怖くないのであれば、いじめ問題などこれほど問題にならないだろう。自分の意見を持っているなら、大勢が一人をやっつけるのは卑怯だと反対する人が出てくるはずだからだ。

だから、裁判員制度など絵に描いた餅だ、第一、他人様の運命を握ることなどまっぴらごめんだと思っていた。藤友之著のニッポン監獄事情(平凡社新書)を読むまでは。

ホリエモンの事件以来、不思議だった。日本は法治国家ではないのか、恣意的に相手を選んで良いのか。自白するまで拘置できるというのはなぜだ。有罪率が99.5%というのはおかしくないか。共犯だと指名されると、それを否定すると、時により正犯よりも罪が重くなるのは変じゃないか。オームの松本智津夫が拘禁性の精神病ではないかといわれているが拘禁性とはなんだ。

これらの疑問がこの本を読んで解けた。日本は先進国だと思っていた。よって、人権意識もひどいと言われていてもそれほどひどいはずがないと思っていた。いや思いたいと思って、臭いものにふたをしていた。見ないふりをしていた。

裁判員制度は必要だ。たとえ、自分の意見は言えなくても、市民の視線が存在することを知らせること、それが必要なのだ。

当然、犯した罪は償わせる。甘やかせといっているのではない。それが法に則って筋道立てたやり方ではなく、フェアじゃないやり方で、拷問にも似たやり方で、恣意的に運用されることには反対だ。

名古屋刑務所で受刑者が看守に拷問のような懲罰で殺されたことが契機となって、100年ぶりに監獄法が改正された。そのため、この本に書かれていることよりも扱いは改善されたと思う。しかし、基本的には刑務所や拘置所の認識や意識はどれほど変わったのだろう。日弁連が受刑者のみなさんへというパンフレットを出しているが、不当な扱いをされていても、実際問題として、救済はほぼ不可能なようだ。暗黒の治安維持法の時代に後戻りしないためにも、何が行われているのか、なぜなのか、興味を持つ必要があるのではないだろうか。

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急ぎの仕事に参考用のファイルが何個かついてきた。どうやって急ぎの仕事だというのにこれに目を通せというんだろう。どうせたいして参考にならないだろうがまあ、仕方がない。開いてざっと見始めた。うん?

なんと、私が少々前に別の翻訳会社に提出した訳文だった。どこをどう流れてたどり着いたのやら。どうなっているの?

時々トライアルを頼まれる。新しい顧客開拓に必要だからと言われれば忙しくても協力する。相身互いだからねえ。といっても、原則、普段かけるのと同じ時間と手間しかかけない。実際の仕事をそれで判断して貰う。これじゃ駄目だというのなら、どうぞ他に行ってくださいという気持ちだ。看板と中身が違うのはずるいではないか。fairが私の好きな言葉だ。もちろん、無料のトライアルはやらない。

あるとき、2つのエージェントから同時期にトライアルの依頼が来た。なんと、中身は同じ。つまり、この2つのエージェントは顧客を取り合っている最中だったのだ。私は貝になり、余計なことは一切言わず、両方に同じものを提出したが、顧客はびっくりしただろうなあ。

レートは片方が平均より高めで、片方が低め。つまり、私は私と張り合って、低い方で決着が付いたから、結局私が痛い目にあった。なんてことだろう。

翻訳業界には狸が多数住み着いている。顧客はトライアルでそのエージェントの水準が分かった気になっているだろうが、どっこいそうは問屋が下ろさない。トライアルの翻訳はベテランで、実際に翻訳に当たるのはレートの低い翻訳者ということが往々にしてまかり通っている。看板に偽りあり。それでいいのかな?

連続で大量にはいるはずの仕事が入らない。結構面白い仕事だったし、参考資料も手元に残ったままだったから問い合わせてみた。続きは?うっかり者の担当者は「お願いできるほど難しいものがないんです」だと。なんじゃ、そりゃ。

ベテランになると皆が敬遠するようなややこしいものばかりが集中する。多少レートは高いかもしれないが、怖さを知っているから、横を縦にするだけではすまない。昔の自分と比べて、腕は格段に上がったと思うのに、収入は格段に下がっていく。忙しさは増しているのに、かけている時間は増えるのに、収入は下がる。ああ、びっくりだ。

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徳島で騒がれていた崖っぷち犬が無事救出された。レスキュー隊員を大勢投入した救出劇は、同時刻に他の災害が起きればどうなっていたかとか、某局のアナウンサーが、隊員もですが何より犬が無事で良かったなどと、お犬様発言をしたことととか、あそこまで危険を冒して隊員を投入することとか、税金の使い道としてどうかとか、突っ込みどころ満載なのだが、まあ、困っている生き物をあのままにしておけるわけもないので、一応は良かったとしよう。

それにしても、崖の上には数十頭の野犬の群がいて、餌をやる市民も大勢いるとのこと。安易な善意と自分たちが信じているものに従って餌をやる人たちは、餌があると繁殖すること、繁殖した犬が危害を加える可能性があること、保健所が駆除に乗り出せば、増えた命が無為に殺されることをどう思っているのだろう。飼いきれなくて捨てた人たちはどう思っているのだろう。

崖っぷち犬には全国から引き取りたいという申し込みが殺到しているそうだ。良かった。良かったが、もし、申し込みがなければ、たとえ、レスキュー隊が命をかけて救った犬だとしても、薬殺処分されてしまうのだ。なんという皮肉だろう。保護センターには同じく崖の上で保護した姉妹犬らしい犬も保護されている。崖の上で立ち往生したことでこの犬たちには飼い主と今後の無事が保証されるのだろうが、他の犬たちの運命は?割り切れぬ思いが残った。

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友人から愉快、痛快な話を聞いた。彼女が中学1年生の時の話だ。

世の中、立派な先生も沢山いるが、箸にも棒にもかからぬひどい教師も大勢いる。これは先生と限ったことではないし、昔からのことだ。

彼女の担任は、女子の胸を黒板を指す棒でぐりぐり突く、とんでもないセクハラ教師だったという。で、ある日、その教師に胸を突かれた彼女は、棒を奪って、教師の頭をはっしと殴ったというからたいしたものではないか。

もちろん、その後騒動になった。教員室に呼ばれ、その後校長室にも呼ばれ、先生の頭を殴るとは何事だと叱責されたが、彼女の偉いところはそこからだ。中学1年生の女の子が自宅でその教師を告発するチラシを大量に作り、校門前でばらまいた。もちろん、数十年前のことだから手作りだ。

それと同時に自分たちがどんな目に遭ってきたかを先生達に告げてまわり、味方の先生を増やし、とうとう最後にはその教師を学校から追い出したというのだ。

勇気と気力、そして知恵。たいしたものだねえ。やろうと思えば中1にもできることなんだよ。

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東京国際女子マラソンが終わった。高橋尚子はまたしても悲運に沈んだ。

マラソンオタクの私なのに昨日は最後まで見ていられなかった。土佐についていけない時点でテレビを切り、うなだれて過ごした。悲しいQちゃんは見たくない。

20キロ付近だったか、もしかしてもう少し前だったかもしれないが、Qちゃんが手袋を脱ぎ捨てた時点で、あっと声が出た。負けたと思った。

土佐選手はすっぽりと腕を覆うアームウォーマープラス手袋という寒さ対策万全のスタイルだったのに、対する高橋はランニングに手袋のみ。

かなり前に男子マラソンか駅伝かで競っていた選手の片方が急に失速して負けたとき、宗茂だったと思うが、途中で手袋を脱いだのが敗因だと解説したことがあった。手には毛細血管が張り巡らされていて空冷装置となっているから、寒いときに手袋を脱げば、その後急速に血液が冷えていき、足が動かなくなるのだという。

プロなのに、Qちゃんは知らなかったのか、誰も教えてなかったのか。

しかもその後帽子まで取ってしまった。体の熱は頭から大量に逃げていく。手と頭という熱の二大出口を両方共に開放してしまったら、冷たい雨が降り注ぐ中、いくらQちゃんといえど、足は動かなくなるのは当たり前だ。

オリンピック選考委員会が信用できないから今回是が非でも世界選手権経由でのオリンピック出場を狙ったのだろう。運がないねえ。来年、選考大会で優勝してオリンピック出場という道はまだ残っている。負けるな、Qちゃん。

ワタシャとってもブルー、ブルー、ブルーだ。

飯島愛は病気だし、

やったれ!と叫んでいた任天堂は2.4%も急降下するし、

なんといっても、negiさんのことがお節介にも気になって仕方がない。

negiさん、連絡ください。

人生色々。良いことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもない。生きているんじゃなくて、生かされているのだからね。自分の命であって、自分の命ではない。自由にできると思うのは、傲慢というものです。

negiさん、おいしいケーキご馳走するよ。

粗読、乱読中
マネーロンダリング 橘玲 幻冬舎
私の人生アラカルト 岸恵子 講談社
優雅な暮らしにお金は要らない アレクサンダー・フォン・シェーンブルク集英社
七歳のパイロット 曾野綾子 PHP
愚者の道 中村うさぎ 角川書店
完璧な病室 小川洋子 福武書店
ソクラテスの口説き方 土屋賢二 文藝春秋
モリー先生との火曜日 ミッチ・アルボム NHK出版
変わらぬアメリカを探して 阿川尚之 文藝春秋
(リンカーンのゲティスバーグ演説の抜粋:
生き残った我らがなすべきは、ここで戦った者たちが志半ばでやり残した貴い仕事に、新たな決意で取り組むことである。生き残った我らが取り組むべきは、行く手に控えている偉大なる使命を成し遂げることである。名誉の戦死を遂げた者たちが、最後の力を振り絞って果たそうとした使命を、我らはいっそうの献身をもってはたさんとす。
そして、ここに決意を新たにせん。勇者達の死を無駄にはせぬと。神の元でこの国は新しい自由の生命を授かると。人々の人々による人々のための政治は、決してこの地球上から消え去ることはないと」

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最近の我が身の余裕のなさ、忙しさ。ほんの10年ほど前まで、急いでいるものは自宅まで原稿を取りに来てくれたり、最寄りの駅で落ち合って、コーディネーターの人とケーキを食べたり、一緒にカラオケに行ったりしていたのに、、最近はなんという慌ただしさだろう。顔も見たことのない人がほとんどだ。ITを始めとする技術の進歩のせいもあるが、バブルがはじけた後、精神的な余裕のなさが全般的に今の日本の空気を支配しているような気がする。

赤坂御所横-太陽が道路にまっすぐ沈む

リストラ策を発表するとそのたびに株価が上がるという異常な時代を経て、すっかり、社会が傷ついたようだ。会社も、同僚も、社会も信用できない、頼るのは自分だけという気分からまだ回復できていないのではないだろうか。

昔に比べて、日本は金持ちになっている。それなのに、住みにくい。実際の犯罪率は20年前、30年前と比べてたいして上昇していないらしいが、体感的にはひどく不安なとげとげした社会になっている気がする。

現在、日経平均株価が1万6千円をちょい超えた辺りでうろうろしているが、20年ほど前はどうだったのだろう。で、ちょっと調べてみた(下の表を参照のこと)。

驚くことに1989年に38,915円を付けたのだが、1983年までは1万円に乗せてもいない。そして、年度は分からないが、1960年代から70年代にかけてだったと思われる青島幸男作詞の『黙って俺についてこい』が代表する空気。あの社会がもっていた余裕はどこに行ったのだろうか。

あの頃にはなかった電気製品囲まれ生活は格段に便利になったが、なくしたものは大きい。もう安全で前向きな社会は取り返せないのだろうか。まだ間に合うのだろうか。

『黙って俺についてこい!』

ゼニのないやつあ 俺んとこへ来い
俺もないけど なんとかするさ*
み〜ろよ青い空 白い雲
そ〜のうち何とか な〜るだろ〜

追記*(心配するなと覚えていたのだけど、今回調べてみたら何とかするさが多かった。自分の不安を反映して心配するなと覚えていたのか?)

日経平均の始値、高値、安値、終値の表である。

1971 2,001.34 2,740.98 1,981.74 2,713.74
1972 2,712.31 5,207.94 2,712.31 5,207.94
1973 5,232.86 5,359.74 3,958.57 4,306.80
1974 4,259.20 4,787.54 3,355.13 3,817.22
1975 3,777.40 4,564.52 3,627.04 4,358.60
1976 4,403.06 4,990.85 4,403.06 4,990.85
1977 4,998.85 5,287.65 4,597.26 4,865.60
1978 4,867.91 6,097.26 4,867.91 6,001.85
1979 6,041.57 6,590.69 5,925.87 6,569.47
1980 6,560.16 7,188.28 6,475.93 7,116.38

1981 7,150.95 8,019.14 6,956.52 7,681.84
1982 7,718.84 8,026.99 6,849.78 8,016.67
1983 8,021.40 9,893.82 7,803.18 9,893.82
1984 9,927.11 11,577.44 9,703.35 11,542.60
1985 11,558.06 13,128.94 11,545.16 13,113.32
1986 13,136.87 18,936.24 12,881.50 18,701.30
1987 18,820.55 26,646.43 18,544.05 21,564.00
1988 21,217.04 30,159.00 21,217.04 30,159.00
1989 30,243.66 38,915.87 30,183.79 38,915.87
1990 38,712.88 38,712.88 20,221.86 23,848.71

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最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」という番組を見て、簡単に判断できる筋力テストというのをやってみた。

椅子に浅く腰掛け、腕を胸の前で交差して、まっすぐ立ったり座ったりが30秒間で何回できるかというもの。

脳みその中身は70代かもしれないし、骨の年齢ときたら80代かもしれないていたらくなのに、なんと、なんと、筋力だけは若かった。まあ、足だけなんだけど。

元木大介を超える32回。女性陣では31回と35回の人がいて10代、つまり最高値だって。ということは私も、十代(^_^)v

強制的に自分に運動をさせようという深慮遠謀もあって!5階に住んだかいがあった。ワーイ。

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今年は天中殺の入り口だから気をつけてと友人に言われていたのに、次々とやってはいけないことに自分からはまりこんでいく。まあ、だから天中殺なのだろうが…

忙しいのに、原稿の見直しをしている最中だったのに、魔が差した。

wiiが欲しい。wiiを買うぞ。そう決心していて、任天堂の株価をついチェックしてしまった。2540円(実際は25,040円なのにこう見えたのだ)。100株単位だからまあいいやと、今年の高値を抜きつつあったのに、成り行きで注文を出してしまった。

ボケが進行しているのだ。きっと。直ちに証券会社から買えたとの電話があった。金額は2百5十数万円と聞き、ぎゃっと叫んだ。

そんなあ、2十数万円じゃないの?100株単位ですから、そうよね、だから、と画面に目をやり、一、十、百、千と位を数えると万まである。万の百倍はいわずとしれた百万だ!誰が決めたのだ…

手数料を損しない値段はというと25,600円まで上がらないと取り返せないという。夕方までに売却して多少の損をかぶるしかないかと思っていたが、気が変わった。私が欲しいと思うだけじゃなく、買うと決めたくらいだから、欲しい人は予想を上回るに違いない。さて、金策に駆け回るとするか。

でもねえ、天中殺ねえ…

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海外から3人の子供を引き連れて帰国したとき、イジメられる条件は十分に揃っていた。小学1年生、3年生、6年生、それも学期途中という悪条件。その上、日本語は読み書きどころか話すこともままならない。母子家庭で収入なし。

転勤族とも言える両親のところに転がり込んだので、地縁もなければコネも、友人もない。ないない尽くし。その上、帰国初日に真ん中の子供は喘息を発症。下の娘は数ヶ月後、小学1年生で胃潰瘍で血を吐いた(幸い軽かったが)。地方都市で帰国子女は見るのも聞くのも初めてのような保守的な土地柄。母子家庭は存在できないような場所だった。

学校初日、様子を見に教室に行ったら、下の子が飛びついてきて、しっかり抱きついたまま離れない。授業の途中で号泣して泣きやまないため、そのまま連れ帰った。

日本の学校のことを全く知らなかったのが良かったのかもしれない。頻繁に学校に顔を出すことにした。知っている人がいないというのも逆に強みだったと思う。子供達の教室を巡回し、廊下から授業を見学し、父母会、学校の行事には欠かさず出席した。変な親だという声はあがっていただろうが、知ったことじゃない。子供のためにかく恥は恥ではない。子供を守るのは親の務めだ。

同級生達にも絶えず声をかけ続け、仲良くなるように務めた。なに、たいそうなことではない。こんにちは、とか、ちょっとしたことだ。こちらの存在をアピールし、見ているよという無言のメッセージを伝えることが目的だ。もちろん、誕生会は良いチャンスだ。数人の子供達を招き、サービスに励んだ。

6年生の息子の存在も大きい。妹たちの教室を回って、いじめるとオレが相手だと告げて回ってくれた。彼なりに心配してくれたのだ。息子もちょくちょく妹達を見に行ってくれたことで、一番大変な最初の年を何とか乗り越えることができた。その学校には結局最初の半年しか通わなかったが、学校と関わるというスタンスは変えなかった。

その後も、高校に通うようになっても私の学校通いは続いた。先生達や周囲の子供達と顔見知りになること、仲良くなることは大事なことだ。どんなに忙しくても、子供がトラブルを抱えるともっと大変なことになる。学校行事はなるべく手伝い、役員も数年間やった。学校が見えてき、周囲の事情が分かってくる。大事なのは目先の成績ではなく、いかに子供達が生きていくかだ。

息子については、初日に友人を作って家に連れてきたことで安心してしまって彼が問題を抱えたことには気づかなかった。息子は大胆なことをするくせに気が弱く、家から大金を持ち出して、主な同級生にばらまいていたのだ。イジメられるのが怖くてばらまいたというのだが、学校に連絡したが、ある親は勝手にくれたものだからといっていると教師から連絡があっただけで、謝りに来た親もいなければ、お金も戻ってこなかった。息子についてはこの先私は浅知恵でやってはいけないことを次々と重ねてドツボにはまっていくのだが…

Dr.Blueこと工藤さんの「自殺の報道への疑問 」という記事をご紹介します。

 いじめによる自殺の報道が過熱していますが、このような報道の是非についてマスコミ側は十分に自覚しているんでしょうか?いじめによる自殺報道は、どういう形にせよ『いじめによる自殺』を肯定する危険性が高いのです。

 WHOの2000年の『自殺予防(メディアプロフェッショナルのための資料)』という報告書があります。そのサマリーにやってはいけないことというのがあります。
1)写真や自殺記録は出版してはいけない
2)自殺の方法について詳細に報道してはいけない
3)自殺の理由を単純化してはいけない
4)自殺を称賛するようなスタンスや自殺をセンセーショナルに報道してはいけない
5)自殺を宗教上あるいは文化的なステレオタイプ化してはいけない
6)自殺者を責めない

自殺の報道はやめるべきでしょう。まして煽るようなこと、復讐の手段となると思わせることがいいわけがない。魔女狩りのように教職員をよってたかって叩くことで問題は解決されるのだろうか?多数で1人をやっつけ、弁解の場を与えないことは、それ自体、イジメに見えるのだが。
 
TB:http://app.blog.livedoor.jp/dankogai/tb.cgi/50689255

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先日見た映画のこと、書こうと思いつつ、あんなこと、こんなこと、問題山積で書けないでいるうちに、東京では公開が終わってしまい、でも他ではアンコール上映なるものがあるようなので、一応、唯我独尊とんでも感想を。

ちょっと寄り道するが、問題山積という言葉、以前、pile upという言葉を使って英訳したところ顧客からクレームが来た。顧客は飛行機会社だったのだ。そのとき、衝突や、墜落、事故を連想させるような言葉を使わないようにと注意された。なるほどね、下っ端翻訳者といえども、読者を想定して訳さなくてはいけないのだ。といっても、産業翻訳者、しかも秘密が多い分野を主戦場としているから詳しい背景など教えて貰えない。翻訳の質を高めるには、顧客のみなさま、翻訳者に情報を提供することが必須ですぞ。

映画は、懐かしい歌に乗せてというコピーだったので結構、癒し系を想像し、楽しみに行ったのだが、いつまでたっても懐かしい歌など出てこない。作りはかなり乱暴。脚本もいい加減。時勢をちょろっとちりばめて、学芸会のようなせりふ回し。出来の良いテレビドラマならそちらの方がよっぽど面白いと内心つぶやいていたのだが。

終わりよければすべて良しの典型映画だった。ああ、見て良かったと思ったのは最後の10分間のおかげ。まあ引っ張っていって、最後のシーン、非常に類型的なのだが、でもやっぱり良い。美しい日本の田舎を走る古い型の汽車(鉄道ファンなら見逃せないらしい−電気機関車EF58-150と一等展望車のマイテ49)。監督はこれを描きたかっただけなのね。

そして、徳永英明のカバーも良かったけど(中島みゆきの「時代」とあと1曲)、何といっても、美しい景色の中を走る汽車にかぶせて流れた中森明菜の「いい日旅立ち」が絶品だった。元気だったのね。ああ、もっと聞きたいと思ったら、エンドだった。

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スーパーから地上へと階段を上っていくと道も広場も一面に濡れていた。昨夜のことである。夕方のスーパーで知人と出会い、長話をしている間に表では激しい雨が降っていたらしい。

ぐっしょりと落ち葉も街灯も濡れてはいたが雲間からは月がのぞいていた。外は店に入る前の肌になじんだ暖かな空気ではなく、ぴりっと緊張感をはらんだ冷たい空気に一変していた。

雨上がりの暗い公園を抜けて自転車をこいでいくのは嫌いじゃない。街灯がぼんやり白く、黒い木々に白い霧がかかっている。つかの間の異次元の世界。暗くて白い冷たい世界。後にしてきた田舎にそっくりではないか。

先日、3年間の悪戦苦闘を振り切って畳んできたばかりなのに、もう懐かしいと思ってしまう。引き上げるのは躊躇も、迷いもなかったが、あの冷たいピンとした清い空気、湿った土の匂い、せせらぎの音。何かにつけて思い出すのだろうな。

撤退を決めた理由はいくつかある。田舎暮らしを考えている人は多いかもしれないが理想と現実、外から見ているだけではやはり分からない。そのうちぼちぼちお伝えしていくつもりだ。都会に生まれ、都会以外で暮らしたことがない者にはかなりのハードルの高さだったように思う。でもやってみて良かった。楽しかった。過疎地域のことを少しでも分かって良かった。ありがとう。

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もう十数年、同じ病院に年に2回、検診に通っている。中程度の総合病院で、建物は古く、両親などは汚いから嫌だと別の病院に通ったほどだが、私は満足している。看護婦さんの移動が少なく、ベテランが多いので融通が利く。親切だ。お医者さんも、科目によるが、全く代わっていないところもあり、院内で、あちこち顔見知りの人たちと挨拶を交わせるのもいい。私立の中で一番偏差値が高く授業料が安い医学部の傘下にあることも、確率の問題として、安心の理由の一つだ。

だから、気に入っていた。

帰宅すると病院の会計から電話がかかってきた。違う人の処方箋を持って帰ってないかというのだ。調べたら、確かに知らない人の処方箋だ!会計にはいつもの人が座っていたのだが、会計の時、領収書だけ渡されたので、処方箋が出ているはずですけどと、問い合わせたら、左手に持っていた処方箋を、ああ、これこれと渡され、私はそれをそのまま確認せずにバッグに入れた。

人の名前を確認するのは会計の責任のはずだ。私が手を伸ばして他の人の処方箋をひったくったわけでもないのに、「他の人の処方箋を持って帰ったんですよ」って?処方箋が出てなかったから、聞いたら、この処方箋を渡されたんですけど。「あなたがその処方箋だと言うから渡したんですよ」

速達で私の処方箋は送られてくるらしい。そして他の人の処方箋は私が送り返さなくてはいけない。

最初から、最後まで、ごめんなさいの一言もなかった。結局、おっちょこちょいの私が間違えて持ち帰ったのだという筋書きで彼女は通した。一言、ごめんなさいね、うっかりしていましたと言えば済むことなのに、受け取ったこちらが受け取ったことで謝罪を要求されるような物言いはなんなのだろう。

薬局で多分チェックされて事なきを得るとは思うが、薬の間違いが危ないことはベテランなら十分分かっているはずだ。分かっているからこそごめんなさいはなしなのだろうか。訴訟を考えて医療現場では最後までごめんなさいを言わない教育でも始めたのだろうか。

日本の現場がおかしくなっている。正しいものが渡されているという前提は甘えなのかもしれない。すべて油断なく自分の目で確認しなくてはいけないアメリカ並みの国に成り下がりつつあることを肝に銘じなくてはいけなくなっているのかもしれない。

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