あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2007年01月

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色々出てきましたねえ。納豆ダイエットが捏造だというので、納豆大嫌いな私としては毎日数パックも家族に納豆を食べられたらかなわないと戦々恐々としていたのでほっとしたのだが(せめて納豆を食べた後の茶碗や箸くらい洗えと言うのに誰も洗わない。空のパックもカウンターに放置。誰だこいつらをしつけた親は!)、次々と出てきましたね。レタスにみそ汁、あとなに?コーヒー、にがり?

で、おかしいのはこの期に及んで実はあれもねつ造だとか、変だと思ったという学者たちのコメント。どうしてその場で言わないのかネ。どうして分かった時点で抗議しないのか?お金?面倒?まあいいか?

仲間内でまた変なことやっているよ、こんなのに良く騙されるよと笑っていたという科学者グループの話もあるようだが、事実としたら実に尊大で嫌な奴らだ。自分にとっては自明なことも他にとってはまったく新しい、分からないことなど世の中にごろごろしている。

自分が分かっていることであからさまにインチキで、他の人たちが騙されていることが分かっているのなら、他人様を笑いものにするのではなくおかしいと声を上げるべきじゃないか。いくらでも手段はあるだろう。インチキを見て、優越感しか感じられないのなら、何のための科学者か一度自問自答すべきだろう。

5号館のつぶやきさんが取り組んでいらっしゃる、科学と一般消費者の橋渡し役、科学技術コミュニケーターの出番が増えそうだ。つぶやきさんは「科学者にはそうしたニセ科学を監視して、警笛を鳴らし続ける義務を負っているのではないでしょうか」とおっしゃっている。倫理的に当たり前のことなのにそう思わない科学者大勢いることが今回の捏造事件でよく分かった。そのことも問題だ。

納豆騒動の時、全国で納豆が売り場の棚から消えたというのに私が行く大手スーパーではいつも以上に山盛り状態だった。あるある大辞典は人気番組で毎回品物が売り切れるほどの騒ぎになっていたはずだ。ライブドアPJニュースによると、放送前に一部大手スーパーに次回は納豆という情報が流れたという。

ねつ造の裏にはメーカー、販売店とつるんで、一般消費者を馬鹿にしつつ、金儲けをたくらんだ奴がいるはずだから、また多分政治家への献金もでてくるだろうから、そっちをしっかり調べて欲しいけど、自分に火の粉がふりかかるのに調べるような報道番組って、どれくらいあるだろう。ホリエモンの狙いは正しかった。つぶしたのは誰だ。

年明け早々起きた兄による妹切断というむごたらしい事件について、先日、両親から手記が発表された。

テレビでさわりの部分を聞き、非常な違和感を覚えたので、全文を読んでみた。手を下したのは兄だが、実際は一家による妹殺しだったように思えてしまった。

娘が兄に殺されたというのに、「何故あの時、亜澄が「ご免なさい」と兄に謝ってくれなかったのか」というコメントはなんなのだろう。木刀で殴られ、血を流している妹の方がなぜ兄にご免なさいと謝らなくてはならないのだろう。殴った方ではなく殴られた方が謝るべきだとなぜ両親は考えるのだろうか。

さらに、殺された娘は、もう二度と自分の人生を生きることも出来ず、自分の可能性も試すことも出来ず、自分では言い訳も出来ないのに、両親が殺した側の兄は褒めて擁護しているのに、妹の方は「残念なことに、妹の亜澄は大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない子供でした」と死んでなおかつ殺されたのは妹が悪いという言い方なのはなぜなのだろう。

もちろん、この兄の刑を軽くしてなるべく早く出所させ、人生をやり直させようと言う深慮遠謀なのかもしれないが、妹の人生はどうするのだ。

結局、この兄は、両親、特に母親と感情的に一体化していたのではないのか?

逮捕されてすぐに弁護士が発表したコメントが妹の母親に対する振る舞いを非難するものだったが、母親は常に大人しく母親の話し相手だったと思えるこの兄を相手に、娘さえいなければといった類の愚痴をこぼしていたのではないだろうね。精神的に幼く、親に依存していた兄がそれを鵜呑みにし、一家の黒い羊である妹に対し、両親の代わりに「天誅」をふるったような気に、兄だけではなく、両親もなっているのでは、ないだろうね。

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どうもあちこちで見聞きしたところによると、よそんちでは息子というのは母親には優しいようだ。いわく、電気器具の配線をしてくれるとか、重いものの買い物を手伝ってくれるとか、頼りになる存在らしい。

なぜ、ウチにはそういう重宝な息子がまわってこないんだろう。第一、母子家庭の息子といえば、親孝行と相場が決まっている、はずだ。田辺聖子によると子供は当てもんだそうだ。どこで外したのだろう…ムムム。

娘に言わせると、自分でやるしかないから、頑張って元気でいられるのだそうだけど、ワタシャ、ハンサムで、優しくて、生活費を入れてくれ、母の日には肩をもみ、毎週ケーキを買ってきてくれる息子の方が、たとえ、元気が出なくて、早死にすることになっても、Wiiのテニスでこてんぱんにやっつけた上に、金カセと騒ぎ、冷蔵庫はすべて空っぽにして、お米を買いに行くから付き合えと言ったら、忙しいと部屋にこもってゲームかエロ本にふける息子よりずっといい。どこかにそういう息子と交換してくれるところはないものか。

乱読粗読

マンボウ遺言状 北杜夫 新潮社
魔女の1ダース 米原万里 新潮文庫
誤診 米山公啓 小学館
犯罪不安社会 浜井浩一/芹沢一也 光文社新書
中年シングル生活 関川夏央 講談社
フランス暮らしは、もう、めっちゃくちゃ!キッフェル恵美子 邑書林
あいまいな日本の私 大江健三郎 岩波新書

散歩

 

 

 

 

 

 

 

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著作権はAちゃん。製造物責任者はRちゃんです。

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Wiiでダイエットに成功したというニュースがありましたが、当然でしょうね。実は私もそれを狙っているのです。かなりの運動量ですから。

普段全く運動をしないで、たまの散歩だけが運動というきわめてバアサン臭い生活を自慢じゃないけど送っています。で、首尾良くWiiを手に入れて以来、朝晩2回、テニス3ゲームと体力テスト、10分程度ずつ、遊んでおります。

やたらお腹が空くようになってしまったので、今のところは体重は変わっていないのですが、お腹周りは筋肉がついてきたに違いない。最初の頃は、筋肉痛で大変だった腕が何ともなくなったのだからこれだけ、お腹の旋回運動をやっているのだから筋肉がつかないわけがないと信じて、今日も運動、もとい、Wiiと対戦しているのです。

ああ、忙しいのにつらいなあ(^^)

夢見る夢子さんといったら可愛らしいかんじだけど、白昼夢のおばさんじゃぁ、怪しい人でしかないかも。

ここのところ、毎日助っ人に出かけて行っている。当初は年末の1週間の予定だったのだが、なんだか延びて、いつまで行くんだろう。昨日、いつ終わるのか聞いたら、永遠にと言われてしまった。出社時間と退社時間も自分で好きなようにして良いと言ってくれているのだけど、請求書の計算が面倒なので、1日5時間に決めている。

しかし、5時間、ぶっ通しで翻訳は辛い。目はしばしばしてくるし、目の前には山また山できんきんに緊張している人たちがいるから、居眠りすることも、怠けてうろうろすることもできない。1時間に1回、トイレと称してぐるりとそのフロアを一周するだけ。ああ疲れた。来週から、週3回に変えて貰おうかな。とすると、1日何時間くらい来ればいいかな。

なんて、考えていたら、帰るとき「See you next week. Have a nice weekend!」などと口走ってしまった。口々に、「You too!」などの挨拶を受け、電車に乗ってから、はたと考えた。週末に納期が来る仕事があったはずだけど、どうしたっけ。昨日の夜、ワインを飲みながら見たテレビ番組は。そして、思い出した。すっかり、頭の中は週末だったのに、まだ木曜日にもなっていないじゃないか。

あまりのことに電車の中で笑いが止まらなかった。だから、彼らは「Take care」と言ったんだ。来週まで、私が休むつもりだとみんな思い込んだのだろう。やれやれ、明日、なんて言い訳しようか。曜日も分からないなんて、すごいクリーンヒットの大ボケだ。

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不二家の事件、始まりはちょっとした「もったいない」精神だったような。まあ、消費期限が1日過ぎたからといって、突然牛乳が腐る訳じゃないけど、もったいないけど、自宅ではもったいないからといって10日過ぎようと、1ヶ月過ぎようと、自分がお腹を壊すだけだからそれこそ自己責任なのだが、商品となるとねえ。

もしかして、不二家の工場って、家族的な雰囲気だったのかな。「これ、もったいないよね」「そうだね」「1日だし、悪くなってないし、良いんじゃないの、使っても」「だよね」なんて会話が飛び交っていたような気もする。食品が保管されている冷蔵庫の中に外を歩き回った長靴のまま入っていたとか、ネズミが製造ラインの上の天井付近を走っていたとか、恐怖物語が流れていて、ふうんと思うけど、こういうところは結構多いんじゃないかとも思える。

佐藤秀さんが「被害者ゼロでも不二家存亡の危機?」で指摘なさっていたように、別に、1日や2日、賞味期限が切れたものを使ったって、加熱するのだからお腹を壊すわけでもないし、雪印の恐ろしさとは桁がだいぶ違うのだが、「もったいない」で会社がつぶれたら、それこそ「もったいない」。

食品という特殊な、信用が何よりの品物を扱っているのに、その心構えもなく、「ついてはいけない職業」に就いていた従業員や役員が多かったということなのだろう。

[題名を変えました]

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Dr.Blackの「犯罪は増えた?の?凶悪犯も増えた???ほんと?」を受けて、ちょっと調べてみた。ここ数年の不安感の高まりは本当に杞憂なのだろうか。マスコミの扇動的な報道のせいなのだろうか。連日の殺人事件、暴力的な事件。本当に犯罪は増えてもなく、家族は崩壊もしていないのだろうか。増えてもなく、崩壊もしていなければどんなに良いだろう。

行き着いたのはこれ、平成17年版犯罪白書のあらまし。グラフをちょっと見ていただきたいのだが、問題は認知件数(窃盗を除く一般刑法犯)という赤い線が急角度で伸びていること。そして第2図で表される検挙率で窃盗を除く一般刑法犯という緑の線が急角度で落ち込んでいること。

つまり、犯罪の質が変化していると感じていたのだが、質だけではなく、これって、件数も増え、検挙率は下がり、治安が現実に悪化していることを指していないだろうか。下記の統計は長期間のグラフでもあり、細工をされていないように思えるのだが。

警察官の増加はこれを踏まえて提案されていると思うのだが、安全に生活するということは生活の基本なのだから、それ自体は賛成だ。ジャーナリズムが健全な第三者のチェック機関としての役割をきちんと果たしているとはなかなか考えがたいし、この先どういう方向へ日本が進んでいこうとしているのか不安ではあるが、さしあたり、検挙率を高めて欲しいと一般おばさんとしては思うのだ。

それにしても、blueを通り越してblackになってしまったDr. blackが楽観的で、今年は脳天気で行こうという抱負の私が悲観的というのは、おもしろい。東京と地方の皮膚感覚の違いかもしれない。良いことも悪いことも本当のことが知りたいと知りたがり屋の私。なによりまずいことが生じていると認識することが改善の第1歩のはずだから。

[追記]『犯罪不安社会 誰もが不審者?』の共著者芹沢一也氏のブログを見つけました。日本の裁判制度がおかしいく、人権意識が希薄なのは確かなような気がします。職業柄、レポート類も多数翻訳しますが、日本の司法制度は恣意的というような記述が大手外国銀行の顧客向けレポートに現れることもあります。「裁判員制度」と題したブログにも、ライブドア騒動の際にも一連の記事にしましたが、日本はどうなっていくのか、どこに向かっていくのか、大きく目を開いて見張っている必要があるようです。

第1図 刑法犯の認知件数・検挙人員・発生率の推移

第2図 刑法犯の検挙率の推移

 

 

 

Dr.black(Dr.Orangeへの変身を願っています)の「犯罪は増えているの?家族は本当に崩壊しているの?」

犯罪不安神話で躍らされて、過剰防衛になっていませんか?防衛庁は省になりました。警察増員計画もあります。

そうなんですよね、そこいらも視野に入れるべきなんですよね。本当に日本は変質していっているのか、危険になっているのか、誰かが、扇動していないか、扇動しているとしたら何のためか、眉に唾を付けて自分で考えるべきです。その通りです。特に靖国、核、防衛省、憲法改正と続いていますから、その文脈での話に誘導されていないか、目をしっかりと開けていましょう。

しかし、と頑固な私は食い下がりますねえ。その流れとは別に、日本は昔の安全な日本のままだとは、にわかには信じられません。30年前、仲の良い友人が住むカナダの小さな町では鍵をかけないと言っていました。5年前、ほぼすべての友人宅にセコムのようなシステムが取り付けられていました。昨年、友人の話では白昼、銃の乱射事件や撃ち合いがあったとのことです。平和な町だったのにと悲しくなります。日本もどうやら少し遅れて後を辿っているようです。

私が家を借りていた僻地では何軒か泥棒に入られたことがあって最近初めて鍵をかけるようになったといいます。20年前、東京でも昼間近くに出かけるときには家に鍵をかけていませんでした。今では自宅にいても鍵をかけています。先日不審者が家に入り息子と鉢合わせして逃げました。安全といわれている地域なのですが。

犯罪は増加していないという統計は本当だろうか。何かの狙いはないのか、そちらの方も眉に唾を付けて読むべきでしょう。統計も嘘をつきますから、統計をそのまま鵜呑みにする気分にはなれません。肝心の本を読んでいませんから、何とも言えませんが、統計は件数しか出ません。個々の事例の深刻さ、リスク、冷酷さは数字に表れません。

同じ殺人1件でも、喧嘩して倒れ打ち所が悪くて死んだのも1件なら、ばらばらに切断して生ゴミと一緒に捨てたり、体の一部を台所のディスポーザーで処理するというどう考えても死体を物としか考えていない殺人も同じく1件。

問題なのは統計上の数字ではなく、内容ではありませんか?肝心なのは数字ではなく、そう、日本人の大好きな「空気」ではないですか?先の大戦の前、なんとはなしに不安に駆られた人が多かったとどこやらに書いてありましたが、なにやらざわざわときな臭い「空気」を余人に先んじてレーダーのように感じとる人が増加しているということではないでしょうね。

恥も、神も仏も、地獄も、えんま様も想像力も忍耐力も何もかも放り捨てた怖い物知らずの「くれない」族ががうろうろしていると考えただけで、ああ怖い。ああ不安。不気味な感じがしませんか?

  犯罪不安社会 誰もが「不審者」?

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昨年より目に付くものは家族間の殺し合い!殺し合いに至らないまでも崩壊している家族は非常に多いだろう。家族を殺すのは、ある意味、自分を殺すことだ。自殺の多さ、それと家族間のトラブルとは密接につながっているのではないだろうか。

家族の絆がすっかり薄くなっているこの時にWiiがでてきたこと、これは必然的なもののように目に映る。子供達が自室にこもり、家族から会話がなくなり、団らんもなくなり、これはおかしい、何とかしたいと思う人が増えたからこそ一人より大勢で遊んだ方が楽しいWiiの出番がきたように思える。

とまあ偉そうに言うのは自分ところの経験から。会話が成り立つちゃんとした家庭も沢山あるのは分かっているが、ウチのようにかなり危険水域のところでも復活の期待が少し出てきたのもWiiさまのおかげ。

ご多分に漏れず、というか、まあ、とっくに成人式を過ぎた大きすぎる息子との会話などいくら試みても一方通行に過ぎず、情けない思いをしていたのだが、息子がWiiにつられて部屋から出てきた。熊を蜂蜜で外におびき寄せるようなものだから、まだなんとも言えないが大きな一歩だ。

最初、子供の遊びでしょうと少々馬鹿にしたような様子だったのだが、娘ときゃーきゃー対戦しているうちに仲間に入ってきて、いつのまにか居間に居座っていた。娘がいなくなった後も、ゲーマーとしてはソフト相手でも負けるのが嫌なのか、はあはあいいながら全力で戦っているので、座ったきりのゲームよりも、親としては邪魔ではあるが嬉しい。

Wiiはかなりの広さを必要とする。手首を返すだけでも遊べるのだが、やはり全身を使って大きく腕を振った方が絶対におもしろい。つまり、個室では遊びにくいのだ。「Wiiスポーツ」と「初めてのWii」しか試していないので他のソフトでは違うかもしれないが。また、コントローラーの持ち運びができるので、友人、知人、親戚と仲間が広がるのがおもしろいし素晴らしいところだ。

お正月といえば、昔はカルタやたこ揚げ、はねつきと大勢で一緒に遊んだものだが、Wiiはそれに代わるもの、コミュニケーションの橋渡しのきっかけになれそうな気がする。

ちなみに体力測定もついていて、なんと72才!とでてしまった。常日頃の不摂生がたたっている。翌日、再度試してみたら、今度は74才になってしまった。筋肉痛のせいだ。息子は46才と測定されてから毎日ゲームと対戦し、昨日覗いたところでは22才にまで進化していた。

逆説的だが、筋肉痛で長時間ゲームをやり続けられないのも良いところかもしれない!

風の吹きすさぶ思い切って澄み渡った西の空の富士山の上に冷たく光る大きな星があった。

誰の魂なのだろう。

 

などと私らしくもなく感傷に浸っていたら、見つけてしまった。美しい大量の星くず
http://www.youtube.com/watch?v=V39ApXj8YGo

冬の海新年早々、実に陰惨で嫌な事件だ。詳しい手口がテレビやネットで「解説」されているが、詳しい解説など、本当に必要なのだろうか?私たちはそれを求めているのだろうか?兄の妹に対する妬みだけではなく、マスコミの論調に歯医者一家への妬みも透けて見えるような気がしてしまう。

一家の名前も彼女の舞台名もすべて白日の下に晒されたが、両親はもう歯科医院を畳むしかないだろうし、もう一人の兄も大学を続けていくのが難しくなるだろう。どうやって生きていくのだろう。残された人たちを思うと暗澹としてしまう。

先日、偶然「ウラヤマシイ」話を記事にしたのだが、妬みは人間が有する負の感情の中で一番強くやっかいな感情のような気がしている。人類最古の殺人といわれる、カインが弟のアベルを殺したという聖書の時代から、一番身近で比較されやすい兄弟、姉妹の間では、「妬み」が主な導火線となって火花が散ることが多い。妬みの感情は多くの場合表面に出ずに隠微であるので対処に困るし、様々な軋轢や、イジメが妬みから端を発していることも多いだろう。

しかし、実は、この事件で一番気にかかったのは、20才の娘と1週間近く連絡が取れないのに、親が全く気にかけていなかった点だ。普段から外泊が多かったからとのことだが、なぜ若い娘の外泊を、それも外泊先を確かめもせず許すのだろうか。劇団の仕事で外泊が多いとしても、1週間近くもの間、連絡もしていないとは。

また兄は妹と仲が悪く、3年間口もきいていなかったとのことだが、成人前の兄妹が全く口をきかないほど仲が悪いのを親は放置していたのだろうか。何も努力をしなかったのだろうか。

子供の行動に口を挟むと、うざいと呼ばれ、うるさいととののしられ、信用しないのかと言われるから、何も言わないとある知人は言った。別の知人は子供に嫌われるのが怖いから何も言えないといった。

子供が大事なら、子供のためにならないことを子供がしようとしているのなら、嫌われたって良い。うるさいと言われようと何度も繰り返す。それしかないと、私は愚直に信じているのだが。子供の機嫌をとる風潮が周囲を見回しても目に付く。どうせ言っても無駄だと親が子供のことを諦めたらどうなるのだろう。小さな社会である家族が崩壊したら、後に何が残るのだろう。

最近目に付く家族内の虐待や殺人事件、それが家族崩壊の最終章のようで怖いのだ。

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20代の頃だが、あるカナダ人の友人に素直にウラヤマシイと言ったら、「もし私をウラヤマシイと思うのならそれはあなたにとって良くないことだから、絶交しましょう」と言われ、仰天したことがある。

すべて受験英語のなせる業だった。いいわねえという軽い気持ちだったのだが、忘れもしない、envyという単語を使った。第一、ウラヤマシイの意味の言葉、これ以外知らなかったのだ。この言葉に彼女にそこまでの反応を引き起こす力があるとは思っても見なかった。日本語ではいいわねえ、うらやましいわねと一種、お世辞のような使い方もするほどなのに、ウラヤマシイというのは罪なのだとショックと共に覚えたのだ。そして、言葉には薄っぺらな英単語帳ではカバーできない大きな文化が背後に控えているということも。

もちろん、美しい4人の子供達と、美しい家と、ハンサムなご主人、たっぷりした収入、犬にネコまで役者が揃い、昔のアメリカの理想的な家族を実現したような一家なのだから羨ましくないはずはないのだが、それは映画の1シーンを憧れるようなうらやましさだったような気がする。自分とは関係のないうらやましさといったらいいだろうか。あっちはあっち、こっちはこっち。

大変な貧乏暮らしだったけど、どういう訳か、ちっとも恥ずかしくなかった。恥ずかしいと思うゆとりもなかったのかもしれない。子供達の洋服どころか私の服もほぼすべて貰い物でまかなってきたが、それはそれで創意工夫の源泉のような気分で楽しかったし、目と耳と口は奢っていたから、欲しいものと手に入るもののギャップが大きすぎて、本当に欲しいものが手に入らないのなら何でも良いという気分だった。今でもそうだけど。

不思議かもしれないが、ウラヤマシイという感情からかなり自由でいられるし(と自負している)、それが数少ない長所の1つだと思うのだが、それもこれも、大昔、友人がウラヤマシイと思うのなら絶交すると言ってくれたおかげのような気もするのだ。

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