あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2007年11月

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今日も大人しくごろごろ中。仕事もせずに無駄遣いをしているのはこれは必要悪とでもいいましょうか。徹頭徹尾、非生産性を楽しんでいるところ。たまにはいいよね。

最近購入したコロちゃんをご紹介。amazon経由で5000円也。本名RoboMop、ノルウェイ国際発明賞を受賞したという中国産で、安っぽい作りなり。まあ安いから仕方ないか。

いってみれば元気な動くモップで、真ん中の丸い玉が、コロちゃんと呼びたくなるほどころころ走り回り、小さくジャンプする。可愛い。もちろん障害物があれば乗り越えられないから、事前に床の物をテーブルの上とか隣室に急遽避難させたけど、なかなかの優れものだね。

障害物があれば方向転換し、何度も行ったり来たりを繰り返すので、さしもの我が家のバッチイ床もピカピカに。耐久性その他分からないけど、何せ可愛い。玄関の床をせっせと行ったり来たりしてホコリだらけになっているのを見ると、可哀想という気分までしてくるからおかしい。床をはいずり回っている配線を持ち上げて、さあいいよなんてつい声を掛けたくなる器具なのだ。

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半年に3回も24時間ホルダーを付けて心臓のチェックをしたし、心臓エコーも2回、その他諸々、調子が悪いと騒ぎ立て、不整脈もばたばた毎日騒がしく出ていたのが、ここのところ大人しい。

別の痛みが出ているからだ。全く。なんて現金なヤツだ。我ながら自分の心臓に愛想が尽きる思いだが、もう少し頑張って貰わなくてはいけないから、まだ愛想尽かしするわけにはいかない。

足の裏が痛い。月曜日に土踏まずと指の間が痛くて立ち上がるとイタタタタ。で、散歩も行かず、サロンパスを貼って大人しく家にいた。土日にせっせと歩いたから炎症を起こしたのだろうと、これ幸い、ごろごろすることに決めると、ちゃんと咳も出てきた。全く都合の良い体だ。

仕事を断り、じっとしているのだが、3日経った今日になっても痛い。足の脛の辺りまで冷たく痛いような気がする。足先が冷えるようになり毎日フットスパという器具のご厄介になっている。これでようやく普通の人になったねと冷え性の娘は言うが、ポンコツ状態の中で唯一誇っていた「足が冷たくない」もなくなるのね。名残惜しい。

暖房をかけ、電気膝掛けにくるまり、買ったばかりの床掃除ロボットに掃除をさせながらバアサンらしく丸まっている。もちろん、音楽をかけながらブログを書いているわけで、省エネと言うけれど高齢化社会になるということは、体を使って動く代わりに電気・ガスを食って生き延びる高齢者が増えることも意味する。

若いときは膝掛けなどなくても平気だったし、つい5、6年前までは普通の膝掛けで何の問題もなかった。それが電気ですぞ。湯たんぽを使えばいいと思うでしょ。私もそう思っていたが、目が弱り、手が震えるほどの本当の高齢者がお湯を沸かして湯たんぽに入れるのは難しいし、危ない。

CO2削減は企業努力だけではどうにもならない。一般家庭が頑張らなくてはとても目標は達成できないのに、これじゃあ、どうすればいいのだろうね。ところで、こういう協定は最初の目標を低く見積もっておくことが肝心なのだが、外交下手を絵に描いたように日本は京都議定書の数値目標で押し切られてしまっている。危うし、日本。どうするの?

粗読、乱読
戦争を知っていてよかった 曽野綾子 新潮社
脳を鍛える 東大講義「人間の現在」 立花隆 新潮文庫
100億稼ぐ仕事術 堀江貴文 SB文庫 
みんなの9条 「マガジン9条」編集部 集英社新書
グインサーガ113巻 「もう一つの王国」 栗本薫
グインサーガ114巻 「紅鶴城の幽霊」 栗本薫
乙武レポート 乙武洋匡 講談社
ニューヨーク獣医物語 S.クリトシック 平凡社

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11月24日に有機化学美術館・分館5号館のつぶやきさんのところで紹介されていたサイエンスアゴラに行ってきた。(いつの間にかアゴアだと変形して思い込んでいました(^^;)アゴラにあわてて直しました。だからおばさんときたらなんて、言われるんですよねえ。)

最初は日曜日の「分子が見える!分子で魅せる!」に行くつもりだったのだが、土曜日の午後の予定がなくなり、娘も出張の予定が宿が取れなくて前日深夜に帰宅していたので急遽お台場に向かうことに。

プログラムは面白そうなのだが好奇心だけが取り柄という私が潜り込んで理解できそうなのはどこなのか。協議の結果、17:00からの私たちの薬はどのようにつくられるのか?(科学技術振興機構 研究開発戦略センター)に的を絞り、その前に15:00からのブリティッシュ・カウンシルの「Cape Farewell〜北極圏を航海して(Voyage to the higher arctic)〜」を見に行き、時間と席があればロケットを覗くことに決定。

ワークショップだからぶらりと入ってぶらりと出られるのかと思っていた私達が甘く、ドアはぱたんと閉められて、2時間たっぷり有名人だと紹介されたDavid Buckland氏のビデオを見ながらの講義に参加することにあいなった。

それにしても、さすが腐っても鯛。さすが大英帝国。太っ腹、ヨッ!というのは、小さな部屋で観客は関係者の方が多いくらいの十数人。なのに同時通訳付き!

100年前の帆船で北極圏を航海するというプロジェクトを毎年行っていて、今回は8ヶ国から参加者があったとのこと。なんせ著名人だといわれても豚に真珠。ふらりと寄っただけのおばさんとタンパク質専攻の娘という二人にはもったいない贅沢な話だったが、それなりに面白かった。

科学とアートの融合を目指しているとのことだが、自然そのものは美しかったし、海の横断面の温度分布図は素晴らしく美しい抽象画のようだったが、現代美術はどうも今ひとつの私には、氷山に「DISCOUNT RATE」などと投射することがなぜ美なのか「美術作品」はさっぱり理解不能だった。

かの有名な北極の氷が溶けている航空写真が投影されたが、数年前のもの比べて見ると、確かにこれは大変だ。数年前はあと数十年で氷がなくなるといっていたが、そんなにもたないと考えているとのことだった。ただ、正直な人で、北極の3分の1は暖かくなっているが、3分の1は実は冷たくなっている。氷の分布が毎年南下しているという話もあった。

実は、同時通訳は非常に優秀な人だったのだが、Davidさんが簡潔に説明することを早口で敬語体でぺらぺらしゃべるのが耳障りでイヤホンなしで聞いたので、専門用語や守備範囲以外の言葉は聞き取れず(もともと耳は良くないし)、私のいうことは眉唾ですと言っておく。専門家が聞いたら面白い話だったに違いないのにと少々申し訳ない気がしたが、英国でも科学と一般大衆の分離が問題だということなので、一般人として参加したことに意義があるとしておこう。

残念ながら、これだけで疲れてしまい、結局、これ以外は展示をざっと見ただけで終わってしまった。大型の文化祭科学版のような催しで、面白かったが、観客は関係者らしい人の姿が目立ち、肝心の一般人は少なかったようにみえた。ゆりかもめの駅にポスターもなかったが、晴れてお台場は賑わっていたのだから、道行く人たちにもアピールするような宣伝・広報が必要だったのではないだろうか。

僕のピアノコンチェルト

知能も天才だという、天才少年ヴィトス。12歳のこの少年を演じているのがこれまた天才少年のテオ・ゲオルギュー。非常に演奏が良かったのでどうやって吹き替えているのか、まさか本当にこれを弾いているのかと最後の演奏会の場面まで、興味津々だったのだが、これがなんと実演の、実際のコンサート場面だというから驚く。12才にしては幼く見えるが、ピアノの天才少年で、演技も上手いというのは今は良くてもこれからが大変だろうなァ。

映画の中でも天才に生まれた辛さが描かれていたが、人間、平凡が一番。というのがこれまで生きてきてようやく分かったこと。実は元亭はIQが高すぎて計れなかったという逸話の持ち主だが、実に馬鹿だった。息子も、あまりに素行が悪いので病院で診断を受け、天才とのレッテルを貼られたことがあるが、発明したものなどない。毎日、ヤツを見るたびため息がでてくる。幸せとIQの高さは反比例すると私は信じている。それに凡庸な親はどうやって天才児を育てればいいのだ?

それがこのヴィトスの両親の悩みでもあり、結局、天才は一人で自分の行く道を見つけていかなくてはいけないようだ。我々凡人はour wayを行くが、天才はmy wayを行くしかない。

クラスメートに20才になる前に大学を卒業してしまってその後どうして良いか分からずまた学校に入ったのよという女性がいたが、中、高、大と学校生活は非常に孤独だったという。大人の中に子どもが一人混じっても楽しいはずはない。子どもの時にしかできないことは子どもの時にやるしかない。何によらず時というものはある。蒔くに時があり、刈り取るに時があるというではないですか。人間の成長は効率化を図るわけには行かない。ハイハイして、よちよち歩きをして、立ち上がり、歩き出す。いきなりジャンプは出来ない。エライ人たちはそれが分かっているのかなあ…

銀杏並木11月19日にユニセフによるシンポジウム「取り残される子どもたち」が有楽町であり、参加申し込みをしていた。が、仕事を終わらすことが出来ず、結局行けなかった。ぎりぎりまで行くつもりだったから、誰にも声を掛けることもできず、席が一つ空いてしまった。

気持ちが晴れないところに、国連職員が優遇されているし、受け取る給与のレートがべらぼうだからもうユニセフには寄付しないという記事をこれまで尊敬していた人のブログで読んでしまい、ますます悲しくなっていた。

国連職員への道は狭く、日本に帰国したあと、次の職を見つけにくいため、また必要とされる能力に対して給与が少ないためなり手が少ない。日本の拠出金に対し、あまりにも少数の日本人しか国連に在席していない。見つけられないのだ。有能な人には十分な手当を出して人材を確保することが必須であり、日本の国のため、結局は私達のためになることだと私は信じている。

彼らほど優秀なら例えば外資の弁護士になれるかもしれない。外資の弁護士なら、初年度のアソシエートでさえ30万円前後の家賃も事務所の丸抱えだ。飛行機もファーストクラスもしくはビジネスクラス。国を代表して働く国連職員がその程度の扱いを受けても別に悪いとは思わない。給与に見合う仕事をして貰えばそれでいい。奉仕の精神で働けと強制できるものではない。他の職に就くだけだ。

この「取り残される子どもたち」はどうやら私を呼んでいたらしい、というのもおかしいが、何気なくテレビをつけたら、シンポジウムに関連してだろう、「取り残される子どもたち」がBSで始まるところだった。

アグネス・チャンがユニセフの支援でインドのムンバイにあるスラム入ったレポートなのだが、想像を絶する貧しさ、「もの食う人々」の世界だ。最初のシーンから胸が痛くなる。そして最初のシーンから逃げ出したくなる。アグネス・チャン、エライ。

テレビの中に映し出されたのは崖下のゴミの中に並ぶスラム。電気もガスも水道もない。トタンをつぎはぎにつなぎ合わせボロ布を被せた「小屋」は雨が降れば、吹きさらし同然。中の人たちはただ濡れているのだという。小屋の片隅の床をトイレに使い、その隣の床を台所に使う。その小屋でさえ月数百円程度の家賃が必要で、それも払えない人たちは追い立てられて道路脇に住む。遠く離れたところまで水を汲みに行くが、それも金を払わなければ汲ませて貰えない。

このところの経済成長で、次々とスラムがつぶされていっている。急激に社会が変化し、職を失い、田舎からはじき出されて、都会のゴミ捨て場に掃きだめに吹き寄せられるゴミのように集まってくる人達。経済格差の急拡大で、スラムが膨れあがっているのだという。

日本のホームレスは単身者のそれも男性がほとんどだが、インドでは数人の子どもを抱えた家族連れのホームレスが何十万世帯もいるようなものだ。なにが一番楽しいかと聞かれた若い母親は、泣くだけだった。ただ生きているだけ、楽しいことは何も思い浮かばないのだ。

ムンバイだけで、現在25万人のストリートチルドレンが生活しているという。親の虐待を受け家出したり、捨てられたりして路上で生活する子ども達の数が1つの都市で、20人でも200人でも2000人でもない、25万人という数字。インドで生まれる子ども達の半分が戸籍もなく、4分の1は小学校も行けないという。特に女の子達の境遇は想像するのも怖い。この子達の中から犯罪やテロに関係する子ども達が出てくる比率は高いだろう。柔らかな頭に憎悪を吹き込むのは簡単なことだ。多分、ここで一番必要なのは、スラムから抜け出す自活の道を与える教育だろう。そしてユニセフはそれをやっている。

ユニセフに対し多少の批判があるのは知っている。だが、現にムンバイのスラムでも女性や子どものための活動を行っている。自分で直接届けられないのであれば、私は次善の策として活動を行っているところを信頼する。多少のブレには目をつむる。世界の中で完璧など期待できない国が圧倒的大多数なのだし、その方が現実的だ。といっても、大事なのは、少しでも子ども達の利益になることなのだから、どこでも、誰にでも良いのだが…。ユニセフを見捨てないで。

今朝の札幌は1℃だとかでテレビの画面には小雪もちらついていた。1週間ほど前に札幌をうろうろしていたが危ないところだった。紅葉の最後を何とか楽しむことも出来たし、目一杯探索することも出来た。

大通り公園大通公園を抜け、北大にたどり着き、つぶやきさんが棲息する五号館前を通り、柵が閉まっているポプラ並木を見学し、ミーハーらしくエルムの森ショップで極太ソーセージを購入した。

残念ながら北大の博物館は月曜日で閉館。係員のおじさんに、遠くから来たのだからちらりと見せてと言ってみようかと娘に提案したのだが「恥ずかしいやめて」、とあえなく却下された。これが欧米だと扉は叩くと開かれることが多いのだし、なんでもやってみるが私流だが、まあ、仕方がない。

それにしても北大の正面から入っていくと日本のそれも国立大学とは思えないほど洋風な感じがする。紅葉が残っていて非常に美しい。写真を撮ったはずなのになぜか映っていない。残念。

道庁舎旧道庁舎でロシア参戦の展示をみて涙に暮れた後(ロシアと米国、北海道と沖縄の違いを考えさせられた。沖縄に比べ国民感情が冷淡に思えるのは情報量の違い、人数の違い、「評論家」の主義、主張、好みの違い、そして実際に接してないからではないか?それにしても広島への原爆投下後の8月8日に日本に宣戦布告するなんて、実に卑怯な国だ。沖縄も北方も、どこでも一番の犠牲は市民。そして少女達がけなげすぎる)、楽しみにしていた北大植物園にまわるが、これまた公開は11月初めまで。柵の間から未練たらしく覗く。良い感じだ。私好みだと騒ぐがこれまた諦めるしかない。季節で閉鎖されるとは思っても見なかった。事前リサーチ不足だ。つぶやきさんからはモエレ沼公園を紹介していただいていた札幌駅が、少々遠いのでこれまた諦めた。

締めはサッポロビール園。美しい古い建物の資料館をぐるりと一巡し、ビールを試し、ビール園のモダンなレストランでもちろん、ビールをお供にランチ。北あかりというジャガイモのポタージュが絶品。ソーセージも、魚介類も美味しかったのだが、飛行機に遅れそうな時間となり、最後のコーヒーを諦めて走って出る羽目に。古い方のレストランの内部を見学したかったが、これまた諦めた。諦めてばかりの札幌。これはまた来なければいけないということかも知れない。

さて、初めての北海道、古い物好きの私としては今まであまり食指が動かなかった。美術館も博物館もあまり行けなかったというよりめぼしいものはあまりなかったが、何といってもおいしかった。エビもカニも、サーモンも、サンマも、ラムも、ステーキも、アイスクリームも、ケーキもみんな美味しかった。北海道を食べよう!

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気合い十分。緊褌一番なんていう古いことわざもありましたっけ。わたしぃ、Tバックだしぃ、なんていうおなごはこのことわざを使えるのか。なんていう与太話はさておいて…

朝6時過ぎに娘の目覚ましが鳴り、7時には身支度を整えホテルの食堂に一番乗りし、めでたく10時半の開園とほぼ同時に旭山動物園に乗り込んだ。

混んでいることで有名な旭山動物園だが、11月が一番入園者が落ち込む月で、もちろんこれには訳がある。冬入りで3時半には閉まってしまうし、巡回バスも出ない。臨時バスも臨時列車もなければ、かなりの数の動物も引っ込んでいて見られない。その上、雪がないのでペンギンのお散歩も行われない。

ホッキョクグマでも、でも、良かった。人が少ないのは何よりだ。と言っても結構な人だったけど。ペンギンとホッキョクグマのもぐもぐタイムも見学できた。ホッキョクグマは2巡出来たし、カプセルから頭を出して見回すことも出来た。その頃熊たちはボールでホッキョクグマ泳ぎ遊んでいてカプセル付近には影も形も見えなかったけど。

工夫によってはこんなに動物は活動的になるのか、誰だって驚くはずだ。特にホッキョクグマは2頭でボールを取り合い、組んずほぐれつの水中格闘まで披露してくれ、歓声やら悲鳴やら、見物人の圧倒的大多数を占める!大人が大喜びだった。

猿団子オランウータンも、もちろん、あざらしも、豹も、動物と人間の距離が非常に近い。頭の上に寝そべる豹のふわふわした毛が金網からはみ出していて、触るなの注意書きはあるが、触りたいなあと思ったのはわたし一人ではな豹のお尻!いはずだ。でもツツイたらいけませんよ。お腹が空いたのか戸の前で大きな声でカバが鳴く声も聞こえたし、余は満足じゃ。

こういうところの食べ物はまずいと相場は決まっているのに、ソフトクリームも焼きたてクロワッサンも実に美味しかった。コレステロールを気にしながらなので、娘からもう一口とねだってせしめなくてはいけないのが哀しかったが…

ところで、係員がフラッシュは動物の目を痛めるので止めるように声を枯らしていたが、フラッシュを焚くおじん、おばんが続出していた。思わず隣のおばはんにフラッシュは止めたらと意見をしてしまったが、ホント、やめましょうね。デジカメはフラッシュを止められない型なので、屋内は携帯、屋外はデジカメで撮っています。

さて、旭川は旭山動物園だけではなかった。旭川は原田康子の世界。丘陵地帯に挽歌のヒロインが潜んでいそうな古い洋館建ての建物が点在し、しばし、妄想にふけったりしたのだが、いっぺんで目が覚めた。丘陵の頂上に、ここはハウステンボスかとつっこみたくなるような巨大な美術館・博物館があった。それも3棟、それも私設。金持ちがいるもんやねえ。

雪の美術館の一番下にはガラスを隔てて氷柱化した壁一面が広がり、圧倒された。これにはかなりビックリした。染色美術館や優佳良織工芸館はmarikoさんにお見せしたかったなあ。旭川、恐るべし。

b0177cea.JPG毎月遊び歩いていて翻訳者は気楽な稼業だ思う人もいるかもしれないけど、そんなはずはなく、普段は髪を振り乱し、あっちに頭を下げ、こっちで居留守を使い、息を切らして、仕事をしておりますと一言言っておこうっと。

写真はJR小樽駅

今回の旅行は北海道。宿泊は札幌だけど歩き回る予定だった。晩秋だもんね。どれくらい寒いか、戦々恐々としたあげくにダウンのいざとなれば目だけ出して顔をすっぽりと覆うような山でもOKというコートを着ていざ出陣。

飛行機が大嫌いなのに、なぜまた飛行機に乗っているんだろう。毎度の疑問が頭をよぎる。3才の時は「怖かったら私をだっこしていて良いよ」と優しく言ってくれたのに、30近くなった娘は「しっし」と手も握らせてくれない。ふん、ボーイフレンドの手は握るくせに。ああ、人生は無常だ。

店初日は、札幌から小樽へ直行。1番の目標はお・す・し。寿司屋通りをうろうろしていたらどこかのおばさんと間違えられたようで、通りすがりのおじさんに「立場上、オレがこんなこといっちゃあなんだけど、お宅の会長も行くあそこが一番美味しいよ。まあ地元の者しか行かないけど」といって教えて貰った「うしお亭」。美味しかったぁ。サンマがこんなに美味しいなんて。写真を撮る暇なぞありませんでした!

小樽は古い建物が多いというので楽しみに、目指していたのに、チョコレートに目がいって建物をちゃんと見なかったオバカでもあります。いかにもおいしいぞというオーラが出ていたベルギーチョコも断然お勧め。すぐ後ろでヘラのような物を使ってチョコを手作りしているチョコの店ベルギー人ショコラティエの様子も見られるが、もちろん、そんなことはすぐ忘れてチョコ選びに熱中してしまった。(追記:このチョコ店が入っているビル←も一見の価値あり。)

小樽運河ガラスでしょ、運河でしょ、足が疲労骨折すると騒ぎつつ目一杯歩き回ったけど、それにしても小樽という町は、金融機関が昔は異様に多く、し小樽線路かもそれが今ではみんな撤退した町だったとは知らなかった。旧日銀小樽支店(金融資料館)で1億円を持ち上げたけど(もちろんただの紙)、重かった!宝くじ当選に備えて体を鍛えようっと。

写真はすべてクリックすると大きくなります。

コメントありがとうございます。

札幌、小樽、旭山動物園に行って来ます。

帰ってからお返事させてください。

壁面緑化やれやれ、今回の小沢さんの騒動は、古狸の小沢さんが、古狐の福田さんに上手く一杯食わされたようにみえる。もちろん、私の妄想だが。

このままではじり貧で、分裂だの、命運つきただのといわれていた自民党を守るため、なんでもありの一手が上手く、決まったという印象だ。

写真は丸の内の壁面緑化

もちろん、今期、重要法案が目白押しなのに、通過した法案はゼロだと言うから、老練な政治家の二人は何とかしなければ日本が大変だということで一致したのだろうし、多分、義理人情に弱い狸の方が隙を突かれた形じゃないかな。

その前に政策協議と言ったはずだが、大連合という刺激的な言葉が一人歩きし、直後から、民主党からは情報操作は止めろという抗議の言葉がテレビで流れたが、多分そうなんだろう。小沢さんの辞意を表明する会見から都合の良い部分だけが切り取られて(まあ当たり前だが)印象が逆転していた報道も多かったので、あららと思っていたし。

朝日と日経!を除くマスコミ各社が自民党側に雪崩を打ったらしいが、自民党+αのマスコミ戦術が前の優勢選挙の時のように有効に働いたようだ。

出口を見ればそれがよく分かる。ぎりぎり土壇場に追いつめられていた自民党が息を吹き返し、今や民主党に逆風が吹き、分裂やガラガラポンもありうるようにも思える。

給油の問題も一度それが日本の将来にどうつながるのか、それが世界に生きる日本という意味から必要なのか、国民はそれを望んでいるのか、イラン当たりも危ういからイランまで拡大していく可能性もある中で、きちんと論議する必要があったと思うのだが。

さらに、自分の方から挑発してでも戦闘に参加しようと思っていたという意味の言葉を吐いた防衛庁出身の男がなぜ参議院に当選したのか、今回の裏に米国の意向が関わっているのか、うーん、気になるところだね。

ただ、いえることは、恥を忍んで辞意を撤回した小沢さんを核として一致団結するしか民主党に道はないように見えるし(誰が古狐に対抗できる?)、国民には力のある野党が必要だということだ。

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どうしても見たかった映画、ミス・ポターの最終上映に何とか滑り込むことができた。どうも、ここのところ、滑り込むことが多すぎる。何とかしたいのだけど、いつもばたばた騒いでいるねえ。これは性分なんだか、運命なんだか…

見て良かった。行って良かった。ロンドンや湖水地方の景色も素敵だし、風俗も小物も楽しいが、何よりベアトリクス・ポターの生き方が素敵だ。凛として、あの時代に言うべきことをきちんと筋を通していえる、一本芯の通った女性。いいなあ。うじうじもじもじすることを女性らしいと勘違いしている人たちに見て欲しいものだと、また一言多くなってしまった。

ピーターラビットは30年以上も昔、紀伊国屋だったと思うが初めて原書を見て以来のおつきあいで、その頃は石井桃子先生の翻訳も出ておらず、書店の店員さんに翻訳してみたらと唆されたこともあったっけ。まさか、翻訳で食べていくようになるとは思っても見なかったから笑っていたのだが、やってみれば良かったかな。でも石井桃子先生のようにはとても訳せないから、原書の魅力を半減させていただろう。ああ、野心がなくて良かった。

[追記:素朴で心温まる劇中歌「When you taught me how to danceYoutubeNever2Lateさんのところで発見。良いですよ。癒されます。と書いて、もう一度聞きに行ったら削除されていた!新しいリンクはここ。ここもすぐに削除される鴨ね。いたちごっこの一端を担いでしまった形だけど、リンクを張っても著作権法に違反?]

ところで、ピーターラビットの初版本をカナダのオズボーン・コレクションという小さな児童図書館で見せて頂いたことがある。ぽっちゃりした司書の女性が特別にガラスのケースから取り出してきて、ぱらぱらめくって読むことも許してくださったのだが、それがどれほどの好意だったかその当時は思い及ばず、またその女性が有名な女性(リリアン・スミス)であったことも後に知ったのだが、今となってはすべて霧の中だ。もう少し思慮深く、もう少し勉強していたらなあ。後悔ばかりの人生なのだ。写真はオズボーンコレクションより

Osborne Collection - selected items

今日、本屋さんで哀しい本に出会いました。「高学歴ワーキングプア」水月昭道(光文社新書)。ノラ博士という言葉が作られているのですね。大学の改革が何より急務ですし、ポスドク達の意識も甘すぎるとは思うのですが、貴重な頭脳をツンどいて腐らせるなんて、なんてもったいない。

十分ではないにせよ、多額の税金がつぎ込まれているのですから、納税者としては人材を腐らせるなどこんな無駄は絶対にやめていただきたい。大学人に頑張っていただきたいと思います。

alchemistさんからコメントを頂いたのですが、良いアイデアだと思うので、ここに引用します。このアイデアのやり方では競争もうまれますし、チャンスの数も増えるし、リスクも犯せるのではないでしょうか。たたき台として考えてみる価値があると思います。

日本という国はおかしな国で、声の大きな人が何人か叫べばみんながその気になってしまうところがあるので、また逆らうのが嫌な人種なので、こういうアイデアはせいぜい大きな声でことある毎に叫べばひょっとするとひょっとするのじゃないかしら。それに叫ぶだけならただですから!あ、どこかで読んだのですが、知り合いの知り合いと6回辿れば、目的の人に到達するそうですよ。こういうアイデアが、文部科学大臣に届くようにバトンされればいいなあ。つぶやきさん、どうでしょう。

機材購入中心の発展途上国型研究費から、人件費を含む経常経費中心の米国型研究費に重点を移す必要があるのではないでしょうか?予算の規模も巨大予算、過少予算は止めて基本的に年1000万×5年の基盤研究費に統一、複数獲得可に。現在の政府支出は科研費2000億、その他省庁の研究費3000億なので、ムダ使いの多い大型政策研究を基盤研究費として使えば直接経費1000万+間接経費400万として3万6千件の研究計画が走ることになります。

基盤研究一件についてヒト一人を雇う米国に倣ったスタイルにすれば、ポストドックの雇用可能人数は3.6万人。現在が1.6万人程度ですから、かなり無駄な研究費の使い方がなされているような気がします。もちろんポストドックの給与は直接経費ですが、社会保険等は間接経費で支払うことになりますので、うまくやれば准教授クラスまで雇用は可能です。
 
米国の場合、企業に進む博士修了者が多いこともありますが(企業の経営者が博士持ちの場合が多いですし)、研究費で准教授クラスまで雇用可能なこともポストドックの行く先を広げる効果を持っています。

生物学では巨大予算をとる研究室が一つよりは、それを十分割して実績のある中堅クラスの研究室に配分する方が業績は上がるでしょうから、同じ予算を使うのならこの方が合理的な気はしています。

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