あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2009年09月

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白洲次郎と白州正子はどうやら流行らしい。NHKのテレビドラマにもなったせいか、観光バスが狭いのに来ていたくらいだ。

だいぶ前だが、ちょろちょろ出入りしていた骨董店のご主人に、白州正子みたいと言われたことがある。骨董が好きで、畑を耕している女は少なかったので、そういわれたのだろう。私は誰にも似ていないと、ちょっと嬉しくなかったが、それが白洲正子という名前を初めて聞いたときだった。

その後、デパートに白州正子展を見に行ったことがある。由来が仰々しく書いてあり、由緒正しそうな骨董品がずらりと並んでいて、どうして、こんなものを手に入れられたのだろうと、そっちの方に興味がいった。そのときはワタシの趣味とはちょっとずれているとしか感じなかった。彼女が愛用していたのと同じだというウィスキーグラスを1個買って帰ったが、重くて、大きくてあまり使えない。たいしたことないやん、と思ったが、デパートなどではなく、現地を見に行ってみたいと思っていた。

連休の1日、娘と一緒にようやく武相荘まで出かけていった。ひどく遠くのような気がしていたが、鶴川は案外近かった。そこからバスに乗るので面倒ではあったが。周囲を田畑に取り囲まれた平らな場所のように想像していたが、ちょっと小高い場所にあり、すぐ横はユニクロで、前の道路にはずらりとファーストフード店が並んでいて、ちょっと想像とは違っていた。

さすがに良いものがあった。といってもよそ行きではなく、日常に良いものを自然に使用していたことが分かる品揃えだ。元々農家を改装したものだし、ごく小さな家だが、上質で住みやすそうだ。以前借りていた田舎の家とよく似た折り戸や作り付けの黒光りした物入れがあり思い出していた。もちろん、似ているのは古い農家というところだけなのだが。

宮古上布ののれんが下がっていて、ちっと思わず、下品な舌打ちが出てしまう。欲しい。器も、硬質な磁器ではなく、陶器が中心なのだが、いかにもワタシ好みの大鉢があり、くぅーっと喉から手がでてきそうだ。テーブルと椅子もいい。本棚がそのまま残っているのだが、坂口安吾や車谷長吉が並んでいるのがちょっと不思議な気がした。

一番羨ましかったこと。それは白洲次郎のようないい男が側にいたことだ。いい男だねえ。ワタシもあの人が良いと言ったら、向こうは見向きもしないから安心してと娘は答えたが、安心?ん?安心して妄想に耽っていての意味だったのだろうか。

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初夢がひどかったという話、どうもそこに戻ってしまうのだが、嵐と稲光の初夢が正夢として、初夢に起因する混乱と騒動はどこまで続くのだろうか。その範囲は?初夢の効果は年内一杯?そんなあ。

数週間前、姪が結婚した。若くて可愛い花嫁さんで、彼女にいかにもふさわしく、場所はディズニー・オフィシャル・ホテルとやらで、華やかにとりおこなわれたのだが…我が家には種々の問題があった。そのうちの1つがトモゾー問題。

1年以上にわたって幼稚園を拒否し、泣き叫んできたのが春頃からカーカよりも好きな女の子とやらが出現して以来ようやく喜んで通うようになったトモゾーの人生初の運動会(全く男は幼児の時から男だ!)。春から熱心に練習してきた運動会の予行演習と結婚式が重なった。

常時幼児二人につきまとわれ、疲労困憊、体調不良の娘のたまには友人と会いたいし、一人の方がまだ楽という思惑と、せっかく練習してきたのにここで抜けてはという親心、たまにはうるさい奥さんから離れたいというダンナの思惑、嫁抜きで大事な息子と孫と生活できるのは最高という姑の思惑、ゆっくり娘を子供抜きで寝かしてやりたいし、母娘三人でのお泊まりの最後のチャンスかもしれないという私の思惑、娘一家の財布の事情、ベビーシッター問題、高速千円という道路事情他が複雑に絡み合い、娘一家は、次のような計画を立てた。

(1)前の週の週末、北陸某県から車で一家で上京、(2)ウチに娘とリー坊を投下、(3)ダンナの実家よりお姑さんをピックアップし、トモゾーと3人で北陸某県へ、(4)翌週土曜日の朝にダンナは北陸某県よりお姑さんトモゾーと3人で上京し、ウチからリー坊をピックアップし、ダンナの実家へ、(5)娘は、土曜日に結婚式に出席後、私、妹と共にホテルに1泊、(6)日曜の昼頃、ダンナは娘を拾い、4人は一路車でイクスピアリ帰宅。

(1)から(3)までは順調に進んだ。いよいよという金曜日の夜、電話が。トモゾーが熱を出したという。計画は(4)から最後までドミノ倒しのようにがらがらと崩れ落ちた。

ベビーシッターを手配して貰い、ホテルにベビーベッドを頼むが1才を超えているから添い寝と言われ、ダンナたちはもちろんやって来ず、夜のディズニーシーで大人の時間を楽しみたいという私の希望は、土砂降りの天候+幼児連れで打ち砕かれ、娘も一人でゆっくり寝るという夢を砕かれ、翌日、豪華ホテルの朝食を優雅にではなく、子供つきで食べただけで、バック・ツー・ザ・フューチャーNo.2の街のようなイクスピアリをざっとのぞいただけで、豚フルかもしれないからあと数日帰るのを待つようにと言う私の言葉をむろん無視して、可哀想なトモゾーとつぶやきながら、娘は飛行機でリー坊と共にさっさと帰っていった。

ところで羽田までの近いこと。ディズニーランドから空港までもちろん朝に帰ろうという人は少ないからだろうか、リムジンでわずか15分。びっくりしたね。

そして、ご想像通り、4、5日後、娘は40度前後の高熱を出した。ここのところ、体調が悪く毎日のように喘息をだしていたので、心配も半端じゃない。直ちに近所の医者に行くと陰性とでたが、最初は陽性と出ないこともある。どうも新型らしいとタミフルを処方されたのだが熱が下がらないという。北陸某県に私も直ちに駆けつけようかと思ったのだが、足手まといになる、どうせすぐうつって寝込むのが落ちだと娘本人からも拒否され、電話どころかメールもするなと叱られ、うろうろするばかり。おまけに発疹も出たというではないか。

その医者の指示通り、翌日も検査に出向くと、検査を拒否され、経験上分かっている、これ以上検査しなくてもこれは新型だと言われたという。相変わらず熱は下がらず、リンパ腺を中心とする多数の発疹が腫れて痛く、娘はこれはどうもおかしいと、翌日になり今度は総合病院に。

そこでの検査結果は、豚フルではなく、何らかのウィルスによるものだとのことで、発疹は虫さされということに。トモゾーの疑いも晴れ、その後熱も下がり一件落着、かと思うでしょ。ところがどっこい、今度は蕁麻疹が出たと言ったと思ったら、リー坊が40度の熱。これは1晩で下がって元気になったと言うが、豚フルでなければ、次々に伝染していく、虫さされと言うが刺されたのは娘一人だし、これは一体何だったんだろう。

そして、このどたばたの最中に、娘一家に辞令が下り、10月2日までに家を明け渡し、北海道へ行くことに。あと1週間もない。どうするの?手伝いに行きたいのに、私はこの間の転倒でどうやら怪我をしたらしく、歩くと痛みが、さらにまた別のどたばたに巻き込まれていて…この話はまた今度。

ところで、町医者が再検査に来るようにと指示していながら、翌日に検査を拒否したのはどうやら検査薬が不足するかもしれないというニュースのせいだったのではないかという気がする。40度近い熱が出て、なおかつ下がらないという重篤な時に何をするんだと言いたい。この医者のように、豚フルが流行っているときに別の病気にかかったら、豚フルに数えられ、タミフル以外の治療をして貰えない例が出てこないだろうか。予断が禁物なのは何も運転や政治だけじゃないのだ。

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アフタヌーンティなる優雅なものがあるとかなり昔から知っていた。が、なんせ生活に追われ、子育てに追われ、全く無縁なものだとはなから諦めていた。小説に出てくると、ふーん、薄切りのキュウリのサンドイッチがそんなにおいしいかね、スコーンってぱさつくものにクリームとジャムをつける?それもクロティッドクリームじゃなくちゃいけない?少々味覚が壊れ気味のイギリス人に分かる?などと失礼なことをつぶやく有様だった。手が届かない場合は、反感か、諦めか、憧れか、無視で応対するしかない。冷静にはなかなかなれないからねえ。

10年ほど前、古い友人のドナがちょっとつきあってとトロントのフォーシーズンズでご馳走してくれたのがアフタヌーンティ・デビューで、なんと優雅でなんと気分の良いものかと、ゆったり、まったりと会話と、体に悪いものをたっぷり楽しんだそのときの鮮烈な印象から財布に余裕と相手に隙さえあればアフタヌーンティと叫ぶようになってしまった。

しかしまあ、財布に余裕、相手に隙がある場合などそうそうあるわけもなく、なんせ大量の甘いもの、コレステロール値の高いものを消費しようというのだから、なかなか説得も難しく、これまでで10回に満たない。その数少ない経験から言うと、一番優雅度が高かったのがアトランタのリッツカールトン。美術館を回った後で、ジーンズをはいていたためだろう、トイレ前の一番端っこの席に追いやられたが、実にサービスが良く、気持ちの良い時間が過ごせた。ちゃんと伝統的なアフタヌーンティで、キュウリのサンドイッチもあったし。

反対に一番庶民的だったのが、ストラットフォード・アポン・エーボンでのアフタヌーンティ。下の記事のコメント欄にあるようにhitomiさんとひょんなことで知り合って、ご馳走していただいたアン・ハサウェイ・ティールームというところでのアフタヌーンティ。大量の、それもどでかい、極彩色のアイシングの乗ったケーキやこぶし大のスコーンが登場して度肝を抜かれた。庶民もこうやってアフタヌーンティを楽しめたのだろうか。小食のhitomiさんはサンドイッチを一切れか二切れつまんだだけでギブアップしたが、貧乏性の私は巨大ケーキを1個鞄に忍ばせ、それがその夜の食事化けたのだった。

アン・ハサウェイの家は、その10年ほど前から新聞の写真を切り抜き、目の前にぶら下げていたほど魅せられていた美しい茅葺きの家で、イギリス行きの大きな理由の一つだったのだが、その名前を冠したティールームなのでアフタヌアン・ハサウェイのティールームーンティも味わえるのであれば外すわけにはいかないと、かなりの距離を歩いて探しあてた場所だった。

築400年を超えるという3階建て+屋根裏だったと思うが、建物はすっかりかしいで隣とくっつき合い、階段もミシミシと鳴り、ちょっと不安を覚えるほど。まあ、日本ならとっくに行政が介入してきて、取り壊しの対象となるだろうが、ここはイギリス。責任を持つのは政府ではなく個人ということなのだろうか。歴史的建造物として取り壊しや改築が禁じられている可能性も高い。大きな黒い梁が特徴的だ。日本であれば、もう少し磨くところだろうが、いかにもそのまま普通に使ってきましたという感じが面白い。

イギリスで本場のアフタヌーンティを味わいたかったのだが、ここ一カ所だけでタイムアップしたのでなおさら不消化感が残ってしまった。骨董市も小さなタウンホールで開かれていた一カ所しか覗けなかったし、見たい博物館やお庭も山ほど残ってしまい、英国熱も残ってしまった。いつまた行けるかなあ。

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2ヶ月間ほど、自宅、病院、両親宅の三角形を行ったり来たりするだけの生活を続けていたら、すっかり、参ってしまった。参るのが早すぎるって?その通り、情けなや、根性なしである。

父の方の騒動も何とか峠を越し、何とか締め切りも乗り越えたので(普段の半分の量にまで減らして貰ったのだが、実に辛かった)、先週あたりからタガが外れてうろうろしている。とはいっても、今度は別口の信じられないくらいのどたばたが色々生じて、先週は二度も羽田まで見送りに行く羽目になったし、混乱は続くよどこまでもというところか。

疲れ果てた可哀想な私を自ら慰めようと、アフタヌーンティとしゃれ込んだ。場所は三井タワーの上に入っているマンダリン・オリエンタル・ホテル。Tちゃんが窓際に予約してくれていて、38階ラウンジからの眺めは上々。さすが座り心地も結構なものです。

超高級ホテルという位置づけらしいが、思ったほどの高級感はなく、化粧っ気のない私も居心地の悪さを感じないでいられる程度なのは嬉しい。おばさんたちのグループがいくつか見受けられ、携帯で写真をぱちぱちとっている。Tちゃんと私も、後へ習って2、3枚(汗)。

肝心のアフタヌーンティは、はっきり言ってがっかり。薄いキュウリのサンドイッチが食べたかったのだが、それはなく、代わりのサンドイッチはパンが乾いていておいしくない。スコーンはスコーンじゃないでしょと文句をつけたくなるような、小さなしっとりしたパンのような食感で、ジャムが、ローズと、マーマレードにはとても思えないミカンジャムのようなもの。クロテッドクリームは添えられていたが。

そう、オリエンタル・ホテルという名前に注意を払わなかった私が悪かったのだ。イギリスの影響の強いところから来たのだから、正当な昔ながらのアフタヌーンティを期待したのだが、オリエンタルに脚色したお茶とお菓子だった。マンゴープリンはおいしかったが、ケーキもさほどのこともなく、期待が大きかった分、少々悲しい。お茶はメニューからいくつでも選べ、おいしかったが、人手不足なのか、手を上げなくてはやってこない。怠慢だなあ。これで一人、サービス料を含めて4000円強は高い。

すべてが一口大だったので、お腹に余裕があり、Tちゃんとその後丸ビル内の居酒屋に繰り出し、娘も合流して飲んでしまった。医学的、美的見地からすると最悪のパターンだろうが、久しぶりにすっきりした。

マンダリンのトイレそうそう、マンダリンはアフタヌーンティはがっかりだったが、トイレは素晴らしい。すっきりと余計な飾りのない美しいトイレである。ガーガー音を立てる乾燥機も環境上気が引けるペーパータオルもなく、小さな品の良い白いタオルを巻いたものが籠に入れて盛ってあった。たまに他でも見かけるが、いいねえ。

P1000037前世ってあるのだろうか。妹たちはどうやらあると信じているらしい。死の恐怖を減らし、理不尽な運命を説明するために、この前世説は有効かもしれないと思うこともある。まあ、信じて救われるならそれもいいかもしれない。

魂の完成を目指し、転生して魂磨きに精を出せとどなたかが命じていると思い込んでいる人もいる。利己的な動機にせよ、良いことをするのは社会にとっても良いことだが、その伝で言えば、ワタシは前世ではかなりの我が儘と楽をしていたのかもしれない。

自由気ままなフリーランスを続けてきて、仕事上では頭を下げることも、もちろんあるが、職人のつもりなので、世間一般のサラリーマンに比べれば多分、比較にならないくらい少ないだろう。

それなのに、というか、そのためにというか、ここのところ頭を下げる割合が激増している。なぜ?もちろん、痴呆の混じった人たちのせいだ。ここ数ヶ月で一生分の頭を下げてしまったと思うのは、甘いに違いないが、それにしても下げてばかりというのは実に疲れる。頭は重いのだ!下げるついでにぐるりと回すことが出来れば肩こり解消にいいかもしれないが…

父も母も痴呆症と思えぬ毒舌を披瀝しているが、多分、痴呆症というのは、それまで理性で押さえてきた、言ってはならないことの蓋を外してしまうことなのかもしれない。均一に知性が衰え、物事の道理が分からなくなり、赤ん坊に徐々に返っていくと何となく想像していたのだが、そうなだらかなものではないようで、ごつごつと周囲とぶつかりながら、こぶのある山道をクロスカントリーで下って行くみたいだ。

退院してすぐのことだが、昔、本物の紳士ねと友人の母親たちに言われ鼻高々だったこともある父が、ケアマネたちに対する暴言だけではなく、なんと車椅子の上から、立ち話をしているおばさんたちに向かって、杖を振り回し、どけ、邪魔だと怒鳴りつけた。別に車椅子の進路妨害をしたわけではない。ちょっと離れたところで邪魔になるところではない。

なのに。米つきバッタのように母と私は何度も謝ったのだが、教訓。男には、たとえ車椅子の上であっても杖は凶器となりうる。目を光らせ安易に持たせてはならない。オーディコロンを欠かさないおしゃれな父にふさわしい、おしゃれな杖を探し出して、妹たちとプレゼントをしたというのに…

お父さん、どうしたの、とショックを受けていた母なのだが、この後、母が原因で私が何度も謝る羽目に陥った。その話はこの次。しかし、二人とも同時に痴呆が進行?やめて。前世があるとしたら、前世でし残したことを完成させるために生まれてきたのだとしたら、私ったら何をしたの?

P1000378娘の行ってきますの声に、読みかけの新聞を放り出し、慌てて玄関まで走った。行ってらっしゃいと、背中をぽんぽんと叩かないとなにやら気持ちが一日落ち着かない。

この子は朝7時前に家を出て夜中近くまで帰らない企業戦士で、土日はどこかのひなたぼっこ中のアオダイショウのようにぐたりと動かないが、一旦動くと素早い。ここのところ体調不良なのに時間がないとガンとして病院にもいかず、心配はつきない。

心の平安のため、せめてもの背中ぽんぽんと、あわよくば、ハグもと突き進んでいって、ハッと気づいたらつるりと滑って玄関のタイルの上に長々と寝そべっていた。もう外に一歩踏み出していた娘の足元を見ながら、立てない。娘はアー!アー!アー!と3回繰り返してから、立てると聞いたが、立てるわけないでしょ。左のお尻と腕を強打。娘は抱き起こしながら、廊下を走っては駄目でしょと言いつつ会社へ去っていった。

子供の頃何百回となく助け起こした娘に助け起こされた。今後は助け起こされる場面が多くなるのだろうな。そして、学校の廊下であろうと、家の中であろうと、廊下は走っちゃいけません。

粗読、乱読、失礼
グイン・サーガ 125巻 ヤーンの選択 栗本薫 早川書房
男たちへ 塩野七生 文藝春秋
再び男たちへ 塩野七生 文藝春秋
アンのゆりかご 村岡花子の生涯 村岡恵理 マガジンハウス
私が愛した金正日 落合信彦 光文社
ダメな女と呼んでくれ 中村うさぎ 角川文庫
われ笑う、ゆえにわれあり 土屋賢二 文春文庫
お金の思い出 石坂啓 新潮文庫
知の休日 五木寛之 集英社
一杯のおいしい紅茶 ジョージ・オーウェル 朔月社
貧民の帝都 塩見鮮一郎 文藝春秋
親たちの暴走-日米英のモンスターペアレント 多賀幹子イ
ギリス式[楽しく住める家」のつくり方 川井俊弘
山谷崖っぷち日記 大山史朗
イタリアをめぐる旅想 河島英昭 
イギリス通信−英国のカントリーサイドで 山本昌代

昨日の日経新聞の春秋欄にちょっと良い言葉が出ていた。

「花のいのちはみじかくて」の続きだ。林芙美子の未発表の詩が見つかり、こう続くのだという。

花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり

なんか、元気が出てくるではないですか。

ホント、人の命なんて振り返ればあっという間。思い通りに行くことなど滅多になく、何のために生きているのかと自問自答することも多い日々だが、どんなに腹が立っていても、締め切りが目前に迫っていようと、夜明けの空は美しく、心躍ってくる。

自分がこの世からいなくなっても世界が続くというのはしゃくの種であるが、安心の源でもある。風も吹き、雲も光り、梢で緑が輝く。そんな国に生まれた幸運を実感する。

これからも、ああ、風が吹き、雲が光ると、ある日、ふと気づくことができるような国でありますようにと、つい、柄にもなく思うのは、目の前を早起きの雀が朝日を浴びて横切るのを見たためかもしれない。不眠もなかなか良いものだ。

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