あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2010年07月

朝、頭の中がヴァンパイアで一杯になって起きだした。数日前に「僕のエリ 200歳の少女」を見に行って、以来頭から離れないのだ。怖い映画は嫌いなのに、少女のヴァンパイアなんて怖いわけがないと、勝手に想像をふくらませて出かけていったら…怖かった。グロかった。主人公の少年少女についての疑問が多数わき出して、思い出したくないのに、抜け出せず、思い出しては、コワイヨーなのだ。

昼に締め切りの翻訳が2本あったから、朝からぶっ飛ばすぞと思っていたのに、そういう調子で、はっきりと目が開かない。終わらなかったらどうしよう。ああ、コワイ。まあ、ベテランだから、なんとかまとめたが、気分が最高なわけがない。

気分を一新しようと、昼から手近にある温泉に行くことにした。区切りがつくと通っている。温泉に入りぼーっとすると(入るまでもなく、ぼーっとしていることが多いけど)やれやれとホットするのだ。

で、温泉に向かい歩いていると道の真ん中に烏が一羽。季節外れの白い花が沢山風に舞っている中、何かをつついている。生ゴミを引っ張り出したのだろうか。烏の嫌がらせを受けるのは嫌だが進むしかない、そこしか道がないのだ。おそるおそる近づくと、烏の方が逃げたが、烏が去った後、道には仰向けの鳩が。花と見えた物は、多数の羽根だったのだ。ヴァンパイアで怖いものを見たからもう一杯一杯なのに…。顔を背けたが、視野に内臓が入ってしまった。数分早ければ、鳩を仕留めるもっと嫌な場面を見てしまったに違いない。見ないで済んで良かったと考えよう。

温泉の帰り、スーパーに寄って、頼まれたバルサンを購入、お嫁さんチに向かう。息子は出張で、お嫁さんはその間実家。2週間もこの暑さの中で家を閉め切りにしているので、ダニが発生しているに違いない。コワイコワイというわけだ。

もくもくと煙が上がるとそれと共にけたたましい警報音が!のんきな私は最近のバルサンは進歩しているなあ。待避せよという警報を出していると思ったのだが、もちろん違った。管理人は既に帰宅しているし、隣近所に聞いてまわると、消防署に直結していないから消防自動車が駆けつけることにはならないという。密閉しているし、外にはほとんど聞こえない。まあいいか、やれやれと帰ってきたら、お嫁さんから電話。調べたら警報機は紐を引っ張るまで鳴り止まないという。24時間後には息子が帰宅するはずだから放置するよと言いたかったが、良いお母さんを演じているから、いいわよ、2時間後に警報を止めに行くからと良い格好をしてしまった。

今、19時。20時になったら、よっこらしょと重い腰を上げて、バルサンの煙漂うお嫁さんチに突入しなくてはならない。私、アレルギーなのよね。ダニと一緒に私もころりと逝きそうだ…

[追記]こうなったら外食だと、娘に連絡するともうすぐ出られるという。一気に気分が上向き、お嫁さんチに到着すると、警報は止んでいた!誰だ、ガセネタを彼女に教えたのは。おまけに、もう会社を出ると行っていた娘はまだ当分無理といいだした。

もういい、そこいらでお寿司でも買うからと駅へ向かっていくと、お寿司屋さんが30%オフにするよと声をかけてきた。なんと間の良いこと。即購入。今日は大変だったから禁断の唐揚げを食べてやると、駅前のお総菜屋さんへ。眺めていると、今から全品30%オフのかけ声がまたしてもかかる。ラッキー。終わりよければすべてよし。しかし、コレステロールがコワイかもw。

あちらこちらで評判となっていたScanSnap。ホリエモンが絶賛し、金融日記の藤澤さんもなぜもっと早く買わなかったのかと言い(お二人とも言っちゃあ何だけど、アフィリエートもやっているから決して鵜呑みしたわけではないが、確かに良さそうだ)、でもだらしのない自分の性格を知っているから、踏ん切りがつかないでいた。

仕事が一段落して周囲を見渡すと、見渡さなくても目に入るのだが、見ないようにしていた新聞、雑誌、書類の山。やっぱりやってしまおうと決心して注文した。

ScanSnap自体は拍子抜けするほどの小ささ、軽さ。持ち歩き可能なほどだ。実際、持ち歩き用のカバーも売っている。ところが、これに合わせて購入したカッターが大きい。重い。ホリエモンたち推奨のカッターは3万円を超える代物なのだが、スキャナー自体より高いものを買う気分になれず、B4までカットでき、しかも指を切り落とさずに済むものにした。幼児が出入りするから危険物は置けない。まあ一番やりそうなのはぼんやり自分の指を切り落とすことなのだが。

で、この雑誌をばらすためのカッターは、まだ箱も開けていない。重いし、大きいから。購入したらそれだけで安心してそのまま放置という碌でもない性質を実はもっている。このだらしない性質はどこからの遺伝だろう。この、時には素晴らしく実務能力に長けている私メが後天的に獲得するはずがない。娘など私以外の人たちは違う意見だろうが。

ScanSnapの方は感心に、到着の次の日から少しずつ書類の整理に使っている。スキャンは実に早い。すいすいと昔のではなく、最近のファックス並みの速度で処理される。しかし、安い方を買ったからだろうが、一度に10枚程度しかトレーに乗せられない。200枚の書類を処理するには20回、さばいて、頭を下にして、乗せ、凄い勢いで出てくるのを手で受け、並べ、また入れると繰り返すことになる。

机が広ければ、勝手に出てくるのをそのまま放置すればいいのだが、テーブルには手紙類以外にも、クリネックスからペットボトル、菓子箱数点に、薬、時計、フォトフレーム、花まで載っているものだから、ScanSnapを机の端に置いて処理しようとして、余計大変なことになる。不精は時間を食うのだ。分かっていても、片付けより先に体が動いて勝手にやりたいことをやってしまうから、不精だかなんだか分からないが外から見たらひどい不精者になってしまう。

おまけにやるべきことをやらないで、やってはいけないことをやってみたくなると言う余計な性質まで御先祖様の誰かから遺伝してきているので、余計なことをしてしまい、名刺のデータがなくなってしまった。250枚ほどの名刺をスキャンし、修正し、保存したのだが、保存するときに、外付けのHDを指定した。すると、権限がないとかほざくではないか。権限がないってなんなのさ。私のPC、私のHD、文句ある?とドキュメントでは駄目ならと他のところに保存したのだ。

そして、PCのどこかにあるのだろうが、どこを探しても見つからない。おまけにやり直したらいいだろうと再度どころか3度もスキャンし直したのだが、データベースがオープンしていませんとうるさくメッセージが出、やり直せない。その間、あちこちいじったからかなとアンインストールし、インストールしたが、この名刺OCRは所在不明、入らない。どうせ試しにやったのだからいいや。単なるコレクションだったしと、名刺については諦めることにした。

書類とカタログは、ようやく4、500ページ分が処理できただけで、本棚の1段の10分の1くらいが減っただけだが、これで止めずに、せっせと働くのだぞと、自分のお尻を叩きながら、待てよ、これまでも見直さなかったのだからスキャンしても活用するか?本当は必要ないのではないか、スキャンしないで、ゴミ箱に突っ込めばそれで済むのではという気もしないではない。

ScanSnap S1300                  カール事務機ディスクカッター
          
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BSの世界のドキュメンタリーの再放送を見た。高齢化問題は日本だけの問題ではない。うまくすれば、この分野で日本は世界をソフト面、ハード面でリードできるはずだ。

元気で、能力も、意欲もあるシニアが60歳そこそこで引退して、社会に貢献することもない生活はおかしいのではないかと思っていた。もちろん、十分働いたからもう働きたくないのであれば良いのだが、働けば税金を納めることも出来る人が、働きたいと思っていても社会福祉の対象となるしかないというのは人的資源の無駄遣いだ。

若者に譲れという声が高いことは知っている。しかし、経験と知識の蓄積に時間がかかる分野もある。ドキュメンタリーの中で、イギリスの働きたい企業の従業員の平均年齢が34歳であると聞いて、一人のシニアがつぶやいた言葉、「才能が偏るわね」、偏らないはずがない。これが鍵だ。敵対ではなく協力だ。

例えばファッション業界、若者が若者向けの衣服を作っているが、世の中の半分以上が中高年であることを忘れている。ど派手な服か面白くもない地味すぎる服のどちらかしか中高年には提供されていない。選択肢がなさすぎる。中高年の購買意欲をかき立てるような衣服は、若者だけでは作れない。

IT業界だってそうだろう。中高年向けの需要と言えば、らくらくホンのように文字を大きく聞こえやすくすればいいと思っている。あんなダサイもの、もちたくないという声が聞こえてくる。87歳の母は、高齢者専用のようなもの、もちたくないという。おしゃれで、使いやすく、機能的なものを高齢者の視点で作った物が増えるべきだ。

冷静に考えると世代間で敵対する理由などないはずだ。問題は流動性であり、産業の変革期なのに新たな産業に上手く移動していってない点にあるのではないだろうか。

社会だって、企業だって、多様であることは強みだ。同じ意見の者、同じ生活の者が多数集まっても新鮮な意見は出てこない。

今の社会が抑圧してきたもの、女性と高齢者を活用すれば、少子化の穴はふさげる。将来の不安が薄らげば自然と少子化は解決されるだろう。番組の中では、高齢者は脳は萎縮するものの、若者が左脳だけを使用するところを両方の脳を使用して補っていることを示し、もちろん、脳血管障害等がない場合だが、高齢者と若者の間に能力の差がないことを様々な検査を通じて実証していた。

番組案内を下にご紹介する。

イギリスでは年金支給額が30%削減され、高齢者たちは生活のために働かなくてはならないのだ。ところが、3年前の法改正で雇用者は65歳以上の従業員を退職させることができるようになり、多くの熟練プロフェッショナルたちが意に反して職場を追われている。
最新の研究では、高齢者は若者と比べて、仕事をしていく上で体力、知力ともひけをとらないという事がわかってきた。むしろ高齢者の方が病欠も少なく、効率的な労働を提供できるという調査もある。
イギリスでは2032年には65歳以上の人口が今より600万人も増えると予想されている。進む高齢化と長引く不況の中、高齢者の労働力をどう活用するのかが問われている。

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覚えるとか、思い出すとか、学習するとか、脳の仕組みって実に面白い。ひと頃、脳に関する本を読みあさったのだが、もちろん、おわかりの通り、きれいさっぱり記憶から抜け落ちている!記憶の本や、脳の本、心の本を何十冊読んでも私の頭はちっとも良くならなかった。当たり前か。

良くラジオを聞いていたカナダでの話だ。なに、テレビが買えなかくてラジオしかなかっただけだが。学習パターンについて話していた。人間の記憶の型は様々で、じっと机の前に座って覚えられる人間もいれば、動いていなければ頭に入らない子供もいる。ある子供は、机の周りを衛星のように回らなければ記憶できなかったとか、そういう類だ。

なぜ、私がこうした話を覚えているかと言えば、以前、書いたかもしれないが、そのとき彼女が、これであなたは私の名前を覚えられますと、ヴァレリーと、ヴァに極端に強いアクセントをかけ、高い声で歌うようにヴァレリーと言ったからなのだ。

もう30年以上も前なのに、時々ヴァレリーという名前を思い出し、それと一緒に彼女の話、そのときの自宅の様子も脳裏に浮かび上がる。ヴァレリーという言葉がその記憶の鍵となっているのだ。

CK製の黒の綿パンを長年愛用している。もうボロだが、着心地が良く捨てられない。もう何年間も似たような物を探しているのだがない。で、このCK、どうしてもでてこない。CKという表記を見るといつもクラインオートベンソンという証券会社の名前がでてきてしまう。クククとクで始まる言葉をいくつか言ってみて、その後、カ行に移り、ようやく、そうだカルバン・クラインだと出てくる。カが鍵なのに、この鍵は居場所が定まらずふらふらしている。

年をとって思い出せなくなるのは、記憶が詰まった引き出しがあるのに、その鍵を失うからだという説を読んだことがある。若いときは、広大な頭の中を、さささと頭神経が鍵のあり場所に行き着けるのに、年をとると、とろとろと周辺をうろつきまわって、あ、ないない、鍵がないと騒ぐ。頭の中でも、実生活でも、同じことをやっているということか。

[末尾に追記あり]娘は高校3年生!のとき、高校の学園祭でジャン・バルジャンのコゼット役を演じた。クラスのほぼ全員が参加し、先生も娼婦!役で出演した。親馬鹿なものだから実に素晴らしいと感動した。生涯で一番感動したミュージカルだった。

ジャン・バルジャンはパンを1本盗んだために19年間投獄されたが、果たして、この罪は軽いのか、重いのか。日本での出来事だと仮定すれば、窃盗罪は10年以下の懲役又は50万円以下の罰金刑に相当する。その上、脱獄を繰り返したので19年間の刑も理論上はありえないわけではないだろう。机上論では重いとは言えないかもしれない。

パン1個であれ、法律上は、10年の懲役刑が科せられる可能性がある。しかし、そんな馬鹿なことはまず、起きない。起きたとしたら、パンを1個盗んだ人間ではなく、10年の懲役刑を科した裁判官、国には批判が集中し、騒ぎとなるだろう。

なぜか。パンの価値に対して10年の懲役刑が重すぎるからだ。ある罪に対する罰は、その罪に相当するものでなければおかしい。人は機械ではなく生き物だ。それぞれ生きてきた過程が異なる。背景が違う。それを考慮して判断するのが裁判官だ。そしてどうして、そういう犯罪を犯すに至ったか、再犯の可能性は、何か事情はなかったのか、それを加味することが必要だ。もし、規則が絶対であれば、裁判官など要らない。盗んだから10年刑務所と機械的に判別すればそれで済む。そして、政治が狂うと、あるいは自分は正しい、悪いのは相手であり、悪い者はやっつけろという感情的な世論が高まると、そういうおかしなことが生じるようになる。

パンを盗んだジャン・バルジャンが貧しい身なりの教養のない男ではなく、有名大学卒の財閥の息子であっても同じ罪は科せられるだろうか。パン屋は、野次馬は、パンを盗んだと騒ぐだろうか。とてもそうは思えない。同じ罪が罪としてみられず、身なりや周囲の環境により、判断されてことがあっても当然だろうか?それで良いのだろうか。

一緒に仕事をしている仲間はよく喧嘩をし、騒がしく、暴力団と付き合いがある奴もいるらしい。だから、たかがパンだが、この際10年、見せしめのため、暴力団と付き合いがあるかどうか分からないが、刑務所に閉じ込めた方が社会のためだ。パン屋と野次馬がそうはやし立て、重罪を受けることになったとしたら、それは公正だろうか。正しいことだろうか。

ジャン・バルジャンが牢獄で苦しんだ19年を知っても、なおそのパン屋と野次馬は自分は絶対に間違っていないと言い切ることができるだろうか。苦しむと分かっていても、ざまあみろ、と言うだろうか。

[追記:alchemistoさんの先のコメントより:「今回の場合、業界内部の処罰が後出しじゃんけん的に決まったことを問題にすべきではないか(後出しじゃんけんで決めるのならば、そういうことをこれまで教育して来なかった業界幹部の失態と引き換えにして、今回だけは何らかの教育的配慮を行う)という風な筋書きになると判り易いのでは、と考えます。これまで、放任と云うか黙認と云うかそんな状態だったようですので、それは公益法人としてマズイと法人幹部が率先垂範して責任を取るということと、引き換えならば理解は得られそうな気がします。」いきなりではなく、幹部も責任をとった上での何らかの教育的配慮であれば、公正であったと思えたのですが。]

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琴光喜と大嶽親方の解雇が決まったのは7月4日。それから1週間も経ってから大嶽部屋の家宅捜査が行われた。

普通はというか、当たり前の手順は、まず罪を確定してから、罰を決める。それが家宅捜査が今ということは、罪の確定がなされていないということなのか?少なくとも、裁判が終わるまで人は推定無罪だ。

裁判をするまでもない軽犯罪で、本人たちが認めているからということだろうが、それなら、裁判をするまでもない軽犯罪でのここまでの制裁はおかしい。おまけに日本は、自分で罪を認めたら、「自白」し「反省」なら、罪は減ぜられるはずだ。2人は争っていない。野球賭博をやったなと言われ、一旦は否定したとしても、結局、「自白」し「反省」したはずだ。

懲役なし、罰金50万円以下の罪をちょっと探してみた。

未成年者喫煙禁止法 第5  満20年に至らさる者に其の自用に供するものなることを知りて煙草又は器具を販売したる者は50万円以下の罰金に処す。(つまり、未成年にタバコを売ったら50万円以下の罰金)

 

最低賃金法 第40  第4条第1項の規定に違反した者(地域別最低賃金及び船員に適用される特定最低賃金に係るものに限る。)は、50万円以下の罰金に処する。[4  使用者は、最低賃金の適用を受ける労働者に対し、その最低賃金額以上の賃金を支払わなければならない。](つまり、雇用主が最低賃金未満の給与しか払わなければ50万円以下の罰金)

 

鉄道事業法 71  次の各号の1に該当する者は、50万円以下の罰金に処する。

1  第9条第3項(第12条第4項(第38条において準用する場合を含む。)及び第38条において準用する場合を含む。)の規定による届出をしないで工事計画を変更した者 [93  鉄道事業者は、第1項ただし書の国土交通省令で定める軽微な変更をしようとするときは、その旨を国土交通大臣に届け出なければならない(つまり、工事の変更を届けなければ50万円以下の罰金)

 

賭博罪と同程度の懲役刑なし、罰金50万円以下の罪は、上記のように、未成年にタバコを売った場合とか、工事変更の届け出をしなかったとか、どう考えても社会から抹殺されるほどの罪ではない。

 

では、なぜ?時間をおかず、速攻で解雇以上の処分などという判断を下したのだろう。そして、理事長代行は元検察官で、現弁護士である。賭博罪が懲役刑もつかない軽犯罪だと、当然、知っていながら、犯した罪に対して、罰があまりにも大きいともちろん、知りながら、社会から抹殺するに等しい、このようなバランスを欠く厳しい処分を行ったのだろうか。

 

処分された二人は貴乃花側だから、理事選の遺恨や、今後の改革を阻止しようとする人たちの陰謀説も流れているようだが、元検察官で現弁護士なら、公正で、公平な扱いをしないと、バッチが泣くぞ。

正義の女神の天秤にかけて、公正な扱いだと言い切れるのだろうか。

第百八十五条  賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。
 
人は過ちを犯す。そら、人間だもの。当たり前だ。完全な人間なんて気持ち悪い。自分を完全な人間だと思っている人間は単なる馬鹿だ。

ただ一人で生きているわけではないからルールがいる。複雑な社会になればルールも複雑になる。現実がルールに追いつかないこともしばしば起きるが、そうなれば、そうなったときに改正すればいい。だが罪と罰はバランスしていなければおかしい。

野球賭博に関わったからと、琴光喜と大嶽親方は追放された。私には、どうしても、暴力団と関係があった元床山にうまく唆されてカモにされた話としか思えない。カモにされた者をここまで叩くか?大人で、賭博をやったことのない人などいるのか?パチンコは?麻雀は?宝くじは?競輪は?家族トランプで小金をかけたことはないか?金額の多少に関わらず金銭をかければすべて賭博だ。国自体が賭博をやっているではないか。その最たるものは年金だ。

生き残れば掛け金以上のものが手に入る。死ねば、独身で、子供が成人していれば、いくら25年以上かけていようと、20万程度の金を子供が手にするだけで国庫に没収される。大バクチだ。

大嶽親方は、職を失い、家族を失い、金を失い、名誉を失い、中学卒後知っていた唯一の世界、彼の持っているものすべてを失った。琴光喜も職も、将来の夢も、名誉も、もちろん金も失った。

刑法上の賭博罪は50万円以下の罰金刑でしかない。禁固刑もない。彼らはどっぷりと賭博に浸かっていた馬鹿だ。馬鹿ではあるがそこまでの制裁を受けるほど悪いのか?50万以下の罰金又は科料という刑罰に対し、制裁がバランスを欠いている。[追記:ついでだが科料とはWeblio辞書によると、刑法定め刑罰の一。軽微犯罪科す財産刑千円以上一万未満罰金より軽い] そんな軽微な罪で追放とは。

暴力団と関係があったのがいけないということらしいが、第一、暴力団と関係がある人間だと、どうやって見分ける?ヤクザという看板でも背負っているというのか。黒ずくめの服に大きな指輪、とんがった靴にサングラス。そんな格好でもなければ分からない。

相撲界しか知らない人間が、相撲界の知り合いに誘われ、周囲がやっているからと一緒にやり始める。度を超してしまい破滅に進むのは自分が悪いし、破滅したい者を止められない。が、なにも周囲が寄ってたかってそこまでやることはないだろう。

貴乃花が琴光喜を幕下からやり直させる案を出して訳知り顔の偽善者たちに叩かれているらしいが、彼が正しい。よくやった。前途有望な若者をつぶしてしまうだけのやり方が良い訳ない。肝心なことは、賭博が罪であることをしっかりと認識させ、二度とやらせないこと。立ち直らせること。

相撲の世界しか知らない二人は今後どうやって生きていくのだ。貴重な納税者と有望な若者を葬って、日本社会が何か得することでもあるのか。

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植物って何を考えているんだろう。エサを求めて動く必要もなく、自分で生きて生長していける植物は一番進歩した形だと聞いて、なるほどと思ったことがあるのだが、それにしても気まぐれだ。

放置してもただ時々水をやるだけで増えて増えて、花を大量につけて、差し上げる先にも困りるほど元気だった植物が示し合わせたように一斉に枯れるのはなぜだろう。全く同じ状態で、日当たりも栄養と水やりも同じなのに、数株の例えばトマトが、ある年は大きくなり、ある年はすべて枯れるのはどうしてだろう。

もう6、7年ほども前になるが、サンパラソルという新種を通販で購入した。盛大に蔓を伸ばして、夏中次々と花をつけるという。6株単位で驚くほど高かった。血迷ったとしか思えない。2株を母に、2株を友人にプレゼントした。

その年、全く花をつけなかった。私の花だけなら、栄養とか、水とか色々あるだろうが、友人の所も母の所も花をつけず、枯れてしまった。私の所の花はしょぼしょぼと生き延びた。冬越しは無理とのことだったが、日当たりが良いせいか、冬をなんとか越してきた。花はせいぜい1夏に1つか2つ。観葉植物と思うしかない。それに生きているから捨てるのは嫌。それだけで、育ててきたのだが、昨年いつになく花をつけた。それも2株とも。ぱらぱらと3、4個だけだが。

それが、今年、数え切れないほど花をつけている。根負けして花を咲かせることにしたのか、最後の一花なのか、一体何を考えているんだろう。数年ぶりに昨年ようやく花を数個つけたクレマチスも、今年は盛大に花を咲かせた。おまけに娘が遠くのバラ園から買ってきたバラが、時間がかかったせいか、2週間も完全に葉を落として、幹の色も褪せていたのに、水をやっていたら、若葉を出してきた。どうなっているのだろう。

バラ復活本来ならとっくに捨てられるところだ。こんなに気まぐれで得になることは何もなさそうに思えるのだが、花には花の理屈があるのだろうか。

乱読、粗読、失礼
りそなの会計士はなぜ死んだのか 山口敦雄 毎日新聞社
The Firm John Grisham
須賀敦子が歩いた道 芸術新潮編集部
あしたはアルプスを歩こう 角田光代 講談社文庫
沈船検死 曾野綾子 新潮文庫
あと千回の晩飯 山田風太郎 朝日文庫
生と死が創るもの 柳澤桂子 筑摩書房
あとは野となれ 曾野綾子 朝日文庫
笑って子育てアップアップ 柴門ふみ 講談社文庫
使命を忘れた医者たち 米山公啓 集英社文庫

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電車を降りたら雨が降っていた。駅前の交差点で信号が変わるのを待っていると横に女性がやってきた。かなりの雨なのに傘をもっていないらしい。ご一緒にどうぞと声をかけようとしたとき、しゃべり出した。そのまた向こうに立っている男性と。え、連れがいたの?

二人ともスーツ姿。20代後半くらいだろうか。同僚のようだ。男性は傘をさし、女性は傘を持たずぬれている。二人とも信号を待ちながら普通に話している。信号は緑になり、二人はそのまま、男性は傘をさし、女性は傘をささずに歩いていった。

傘を持たない人がいれば、どうぞと途中まで一緒に入れてあげるのが普通だと思っていたが、知り合いですら、そんなことはしない世の中になったのだろうか。

そういえば、娘が小学生の頃、学校帰りにぬれて歩いていたおじいさんを近くのマンションまで傘に入れてあげたら、後日、5千円の商品券がお礼として小学校に届けられたことがあった。傘にちょっと入れてあげたくらいでねえと娘と不思議がったのだが、その頃から傘を差し出す風習はなくなっていたのだろうか。

何をびっくりしたのか、強い雨あしの時に、そこまで一緒にどうぞと言ったら、脱兎のごとく走り去った高校生らしい女の子もいたけど…

ヘップバーンは、「麗しのサブリナ」の中で、パリでは傘をささないとイギリス人の男性に注意していたが、そうか、何十年か過ぎて、日本はパリ並みになったということか。

傘を持たずにぬれていると入りなさいと言ってくれる人がいた。珍しくもなかった。入れて貰い、入れてあげ、それが当たり前だった。傘が贅沢品で、100円のビニール傘がなかった頃の話だ。傘がなくて困った経験があると、可哀想に入れてあげようという気分になったのかもしれない。

知らない人でも傘にどうぞと言ってくれる時代と、傘なんていくらでも売っていて、いくらでも買えるけど誰もどうぞと言ってくれない時代と、どっちが好き?

選べないなあ。

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