あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2010年12月

息子が熱を出し、咳をしているのにお嫁さんの見舞いに行くなと言うのに連れ出したUちゃんはもちろん風邪をひどくし、このどたばたの中、父がまたしても浴槽から出られなくなり、警察と消防に連絡してどたばた走り回る羽目になり(この件は後ほどもう少し詳しく書くつもり)、もうすぐ娘一家は羽田に着き、妹一家は成田に着き、息子からクリスマスプレゼントが到着したけど、まだクリスマスの買い物は終わっていないし、仕事は山積、荷物も山積み…クリスマスの支度もまだなのに…ギャア。もう叫ぶしかない
はあはあぜいぜい

お風呂と言えば、昨日は、娘の引っ越しで、36階のビルを徒歩で上り下りしたのと同じだけ、階段を上り下り。夜に念願の柚子湯に浸かりようやく生き返った。頂き物の柚子、ジャムを作るつもりで時間が取れず冷蔵庫でしなびつつあったが柚子も本望だろう。

P1001174[追記あり]果たして私を天井ならぬ天上から操って楽しんでいる大いなる神がいるのだろうか。

いないと断言したいところなのだが、単なる偶然でここまでどたばたすることってあるだろうか。

息子のお嫁さんのSちゃん。1月初旬が予定日だった。2人目なので2歳3ヶ月のUちゃんつきでは大変。実家のお母さんは事情があって手伝いに来られないので、我が家で預かることにしていた。

一方、上の娘の一家が例年通り北海道からクリスマス辺りから1月中旬まで来る予定になっていた。当然我が家に滞在予定だ。

下の娘はというと、10年もの長すぎる春にようやく区切りをつけることになり、12月半ばに我が家から徒歩2分の所にマンションを借り、引っ越すことに。

娘の結婚だけでも大プロジェクトなのに、ややこしいことにダンナになる予定のT君は今年は年間180日もの海外出張をこなしていて、本人もどうなるか分からないという神出鬼没ぶり。籍は二人の記念日の4月に入れ、式はしないという。まあ、それはそれで良いのだが、T君のご両親にご挨拶したいとだいぶ前から申し入れていたのに、本人が日本にいない。忙しくなる前にと思っていたのに、そうこうするうち、12月も半ばになってしまった。

お嫁さんのSちゃんは3週間ほど前に陣痛様の痛みで入院したが、1日で退院。18日、土曜日に診察に行き、まだ大丈夫だってと話していた。これが夜9時頃。予定日通りだと、Sちゃんが退院する頃に娘一家が北海道に戻るから、なんとか上手くいくはずだ。

おまけにここに高校時代のF君のコンサートにN子と出かけたら、会議で参加できなかった同じく同級生のO君がどうしても忘年会をやりたいと騒ぎ出したのが10月末だったか。すったもんだの末、忘年会は19日の夕方と決定。

そして運命の19日がやってきた。

朝の1時30分。寝入りばなを叩き起こされた。「破水したから病院に行った(Sちゃんの弁によるとパンと破水して目が覚めたそうな)」そしてわずか2時間後、「男の子が生まれた!」ハヤ。

前日は息子の誕生日だった。同じ日に生まれるんじゅないのと娘もSちゃんも話していて、息子はそうなると誕生日パーティはずらして2日連続してやると断言。お嫁さんはそんな面倒な。それで診察で当分生まれないというお墨付きを貰って夜の9時頃、今日はもう生まれないよ、大丈夫、来年よと言っていたのだが…

T君一家との顔合わせは18日の予定だった、だが、こちらもどういう手違いか、その前の週に19日しかT君があいていないことが判明、急遽予約したという某ホテルへ睡眠不足のまま出かける。洋服がないと騒いでいたのだが、眠くてもうどうでも良いやと心穏やかに出かけられたのは良かった。個室はそこしか取れなかったと、魚は苦手なのに、魚ばかり出てくる会席で、おまけにT君一家は全員が下戸。肴はあるが酒はない状態で食事を終え、娘とT君のお供で買い物に付き合い、その後、忘年会に。
娘は息子と交替でUちゃんのお守りをしに産院へ。

忘年会では幹事O君は何を血迷ったか、メールで4時45分という半端な時間を指定して、5時前に入ると安くなるからと理由まで述べていたくせに、男どもは5時半までやってこない。F君はPCが壊れて何時か分からずO君から5時45分と聞いたと言うし、O君本人は5時15分のつもりだったと、みんなネジが1本足りなくなっている。

こちらは飲み放題付きだったが、昼夜連続和食の懐石なんて全くなんてこった。しかし、高校時代の同級生は楽しい。途中で倒れることもなく、睡眠不足も何のその9時過ぎまで騒ぎ、帰りは心配した娘が駅まで迎えに来てくれた。

Sちゃんの退院と娘の上京が重なることで、どうしよう、人口超過密で過ごすか、娘一家を新婚の下の娘の家に頼むかと悩んでいたら、娘が上京を止めようかと思うと言い出した。息子は息子で仕事を家でできないかと画策を始めた。

で、結局、すべてがこれ以上ないくらい上手く落ち着いた。

息子は家で仕事が出来ることになり、Sちゃんは私の家ではなく、徒歩5分の自分の家で静養することになり、息子の仕事が忙しいときにはUちゃんを預かるが、夜ご飯を届けるだけで済むことになった。数日何とか頑張ればお正月休みに入る。

今年いっぱいという納期の論文を1本頼まれていたのだが、来年6日まで延びた。

今日、息子が会議に出席する間、数時間預かったUちゃん、下の娘が胃痛で会社を休んでいたので遊んでくれて助かった。家は契約済みで家電も入っているのに、T君が海外から帰って来られず本格的な引っ越しは23日に伸びていたので助かった。Uちゃんは、最初のうち泣いていたのに、途中から機嫌が直り、ばあばと初めて呼んでくれた。フフフ

ああ、忙しかった。
と書いてから、はっと気付いた。クリスマスのフルーツケーキ、まだ焼いてない。Sちゃんの退院が23日に決まり、娘の引っ越しと重なった。T君は年明けからまたしても海外出張で多分3月までかかるらしい。で、娘は半分の荷物をウチに置いたまま、「両方とも私の家」だといいとこ取りをするつもりらしい。つまり、私のウチの片付けは当分か、永久にか、放置する魂胆らしい。もちろん、うるさいジジババはうるさいままで、ふてくされて怒っていたので1週間ほど静かだったが、昨日からまた猛攻が始まった。年賀状も、大掃除も、クリスマスの買い物も…

ああ、まだまだ忙しくなりそう。

P1001107いとしの花と2匹のネコ」さんのところに紹介されていた話があまりに素敵だったのでご紹介します。人って素晴らしい。子供って素晴らしい。可能性の種が入っている。育てるのも押しつぶしてしまうのも私たち大人次第だと思うとしゅんとなってしまう。
種を育てることが出来ただろうか。

緒方貞子さんが国連難民高等弁務官となったのは63歳の時だという。10年間、防弾チョッキを着け、戦場を回り、多数の難民を救った。
63歳になっても意欲があれば出来ることがあるんだ。彼女のようなスーパーウーマンにはなれないけど、小さな種にちょっぴり水をやることくらいできるかもしれない。


 ここから引用
心に響く小さな5つの物語より 作者不明 鈴木秀子に教わった話 藤尾秀昭篇
縁を生かす

その先生が5年生の担任になった時 
一人、服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は
少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録に目が止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。

先生はそう思った。

二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、
時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りする」

三年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、

四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として
自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、
少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、
先生に大きな喜びがわき起った。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその一滴をつけ、
夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!
きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、
先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、
いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」

それから六年。
またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって
医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みがわかる医者になれるとしるされ、
こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって
最高の先生は、
五年生の時に担当してくださった先生です」

そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に坐ってください」

と一行、書き添えられていた。

P1001206

どうも変なことが続く。娘は私が惚けているからじゃないかと疑っているようだが…

買い置きしていた某社の練りわさびの箱を開けた。中から出てきたのは練り辛子。一瞬頭の中が白くなった。和からしというのはわさびのこと?芥子色をしているけど。じっと見てもやっぱり辛子。これがわさびのはずがない。

娘にわさびの箱から辛子が出たといっても信用してくれない。自分で入れたんでしょ。うんにゃ。今箱を開けた所よと現物を見せても、入れ替えたのを忘れたんじゃないだと。買い置きして、一緒に並べていた未開封の辛子の箱を見せてようやくへーといった。箱を開封した痕跡はなかったのに。

フルーツケーキ用にレーズンをブランデー他とつけ込む容器を買いに行った。安いけど中国製しかない。もうちょっと高くて良いから日本製がないのか聞いたが、それしかないという。買って帰って漬け込み、混ぜるために逆さにしたらお酒がざあっと漏れだした。念のためパッキングのあるねじ式の物を買ったのに。明らかに欠陥商品だ。店員さんに知らせると持って来いという。持って行ったら、ストックするように作られてないですけどといいつつ、返金してくれた。ガラスの、ねじ式、パッキングのついた保存容器なんだけど…

続いて近所のスーパーでお寿司の盛り合わせを買った。ホタテとトロだけ色が悪く、変な味がする。娘に食べるのを止めなさいと警告したが時遅く食べた後。残りを食べずにパエリヤでも作るかと冷蔵庫にしまったまではよかったが、翌朝、私は大丈夫だったのに、娘はお腹を壊した。あなたのお腹はどうやっても壊れないのよと憎まれ口を聞きながらお腹を押さえつつ娘は出勤した。

やっぱり、お腹を壊したのだから、それに回転が良く新鮮なスーパーなのに変だとメールしたら、責任者が飛んできた。どうも変だ。辛子を買ったのもこのスーパー。もしかして恨まれている?

その責任者は卵1パックを買ったら1個がゆで卵で、店に言ったけど誰も信じてくれなかっただと。ゆで卵?と思わず笑ってしまった。ごめん。

娘と食事に行った。ネタも新鮮、板さんたちも面白い。ご機嫌で帰ってきたのだが1200円多くつけられていた。ちょっと遠いところだから泣き寝入りするつもりだったのだが、クーポン利用でクレジットで支払い済みだったので、他の人たちのこともあり、一応報告したら、返金してくれるらしい。

練りわさびと練り辛子を送ったメーカーからはその2つ+レトルトカレー1箱、おでんの素1箱が送られてきた。

私、クレーマーじゃないってば。

[大幅に加筆、修正しました]
P1001203しばらく前から発信、発信とうるさく、企業の報告書にも発信力なる言葉が仰々しく、またかしましく、やたら目立つようになった。

ロケットなら発進力がなくちゃこまるが、いくら発信と言われても、平凡な個人の平凡な毎日ではたいして人を驚かせるようなものはない。発進力が主に企業向けなら、個人には自分探しという言葉も流行だ。

なるほど、一人静かに考えていても仕方ないのね。発進力に自分探し。こんな言葉に踊らされて、焦ることもあるまいに、ブログだ、ツイッターだと、何か言わずにいられない。馬鹿なワタシ〜♪

まあ、日本全般、世界全般、今までは愚痴を聞いてくれていた親身な友人や、家族がみんなばたばたと忙しくなり、周辺から消えて行っているということの裏返しかもしれない。

生身の人とじっくり話をすることが一番楽しいし、大事なことだが、願っても、相手もこちらも、向き合ってさあ話そうなど、テレビドラマじゃあるまいし、なかなか気恥ずかしく、そんな時間もなく、馬鹿馬鹿しいと一喝されるのが落ちだとくれば、細切れの時間でもぷちぷちつぶやける便利な手段で、グチだの馬鹿話だのを、ついつぶやいてしまい、時間泥棒とあとでほぞをかむ羽目に陥っているのは私だが、まあ、広く浅く書いたりつぶやいていたりすれば、たまにはどこかで奇特な人が返事をしてくれるのを自分を理解して貰えたと誤解して、一時的に気分が良くなり中毒状態に陥る人が多いのかもしれない。

そうやって、自分が「発信」することに慣れていくと、秘密情報に出くわしたときには、黙っているのが苦痛になるだろうなあ。穴を掘って王様の耳はロバの耳と叫ぶ代わりに、YoutubuやUstreamなる便利な穴に秘密を放り込みたい、たまには人が知らないことを「発信」してみたい、こちらの顔はでないことだし、痛くも痒くもないし、第一、こんな国家の一大事、知らせることは正義だ、つまり僕はスーパーマンだと錯覚することもあるに違いない。

報道の自由だとか、知る権利だとか、やむにやまれずとか、正義だとか、色々理屈は並べられるだろうが、結局の所、ウィキリークスのように大規模なものから、尖閣諸島沖での衝突ビデオの開示、テロリスト捜査の暴露等々まで、人を驚かせたいとか、英雄意識というもの、ひいては強い自意識や自尊心が「発信」の引き金を引く潜在的な要因だろうと思ってしまう。

尖閣諸島の衝突の場合、あまりにも対応がひどく、私でさえ囓っている石を離せるものならお尻にかみついてやりたいくらい腹立たしかったのだから、当事者としてはいてもたってもいられない思いだっただろうと同情するが、いくら馬鹿でも国民が選挙で選んでしまったものは選挙で首にするまで、我慢するしかない。衆愚政治が民主主義の基本だと誰かが言っていたが、そういうことなのだろう。

昨今、なんでもオープンに開示する方が正義だという風潮が強いようだが、本当にそうなのだろうか。人の物や他の組織に属する物を盗んで、それに至る経緯や背景を知らず、それが及ぼす影響を考えもせず、ネットに流し、場合によっては関係者の命までも危険にさらすことは、正しいことなのだろうか。

また、外交には相手があるのだが、片方だけに打撃を与えるような方法で開示することが正しいことなのだろうか。

私自身、自由とオープンを強く支持しているのだが、権利には義務がある。道具と同じで情報には自分が扱える大きさのというものが存在するはずだ。身の丈を超えたものを、訳も分からず振り回すことは、子供がナイフや銃を振り回すのと同じことを意味するのではないだろうか。世界中でジャーナリストが分析し、報道をしているが、みんなの好奇心とのぞき趣味を満足させることで終わるような気もする。

こういう暴露は内部告発とは思えない。海上保安官のような最先端で国防に当たっている人間が、これは開示すべきだと自分で判断することが正しいことだとも思えない。政府部内の人間が大量に漏洩させるのも、自分が正義だと信じたとしても、それは正義とは思えない。そこまで自分の意識や頭を信じることができるのはそれはそれで羨ましいが。

どんなに馬鹿なことでもそれを決めたのが選挙で選出された者たちなのだから、合法的に、遠回りでも法を整備し、少しずつ改良を重ねるしか道はない。それが民主主義であり、自分たちが選んだものなのだから。民主主義の根本は自分が選出に参加し、選んだことを認識することにある。政府が馬鹿なのは私たちが馬鹿だと言うことだし、首相が漢字を読めないのは漢字を読めない国民が多いということでもある、だよね?

現場の人間が自分の意志で勝手に動き、上の指揮に従わないのは、クーデターそのものといえる。5.15も2.26と同根だ。青年将校や参加した兵士はきっと日本を憂いた素晴らしい青年たちだったのだろうが、自分勝手な正義感で戦争への道筋を作ってしまった。指揮が乱れ、勝手に動くことは、一見、素晴らしいこと、正義と思えることであっても、全体を考えれば、これはひどくまずい、統率が乱れていることを意味するからだ。

何でも秘密にしてしまう方も悪いが、どれが秘密で、どれが大事かはその道の専門家ではなくては分からない。石ころに見える物が宝石だったりするのだから。まあ、宝石だと後生大事に保管している物が石ころである確率の方が高いような気もするが。

内部通報者を保護する法律も制定されている。これをもっと広め、使い勝手を良くし、充実させることが必要だろう。さらに、あらゆる公的文書を7年なり、10年なりで公開することを強制させること、これも米国では実施されているが、あらゆる文書であるかどうかは分からない。日本にも同様な法律があるが公開対象が制限されているし、穴だらけのようだ。電子媒体を含め一定の期間が経過したらすべて公開してしまえばいい。日弁連が文書管理に関する法案の修正を求めた意見書を昨年4月に提出したらしいが、この法案はきっと与野党逆転の波に転覆したんだろうな。

で、結局は、質の高い政府を持つことがすべてにおいて不可欠だということになるのだが、そんなこと、いつになったらできるのか、その前に日本沈没だ、あーあということで、海上保安庁の職員は、暴露しかないという結論に戻ったのかもしれない。

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