あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2011年09月

道路を隔てて小学校がある。運動会が近いのだろう、連日小太鼓や笛の勇ましい音が鳴り響いている。

カナダの友人からメールが来た。昨年暮れに息子を亡くしたというのに、震災のこと、福島のこと、私のことを気遣ってくれている。最近、同じくカナダの時の共通の友人と日本文化と歴史について勉強を始め、毎週、公開大学講座だと思うが大学に通っているという。帰国子女は日本に帰国した際にいじめられることが多いと聞いたが大丈夫だったかとメールの最後にあった。

まだ、返事が出せないでいる。毎日返事を心待ちにしているだろうに。震災のこと、福島のこと、両親のこと、帰国時の辛さ、息子を亡くしたばかりの人に、どう書いたらよいのか。

小太鼓や笛の音を聞きながら、息子のことを思い出した。

帰国したのは息子が小学6年生の時。カナダの小学校の卒業を待ったので、もう6月も末に近い時期だったか、中途半端な季節だった。中途半端な季節に、帰国子女など見たこともない、地方の小都市の小学校に転校した。学校では運動会に向けて連日、練習が行われていた。

笛などそれまで吹いたことはおろか見たこともなかった息子だが、下手なりに一生懸命練習をしていた。運動会の前日には白のハイソックスに黄色い房を縫い付け、行進しながら吹くんだよと得意そうに妹たちにも見せていた。

両親とお重に料理を詰めて小学校に応援に行った。小学校は大勢の人でごった返していた。

いよいよ行進が始まった。探したが息子がいない。6年生の席に男の子が一人残っている。それが息子だった。大きな小学校だったから何クラスもある6年生の一面に空いた椅子席にぽつんと一人残されていた。

あんなに張り切って喜んでいたのに。行進しなくていいから席に残るように先生に指示されたというのだ。大勢の生徒が吹くのだから一人くらい間違っていたって良いじゃないか、それでも嫌ならせめて小さな音で吹くようにと指示することも出来たじゃないか。それとも悪いけど吹くふりをしてとこっそり言うのも許す。でも…

そして一番卑怯だったのが私だ。なぜ、どうしてと戸惑いと、驚きと、でもこれが日本のやり方なのかとむかつきながら、先生に抗議しに行かなかった。息子のためにとせめて先生に抗議する気力もなかった。

帰国したばかりの息子を待っていたいじめは先生からのものだった、そして私はそれに対して何もしなかった。そんなこと友人に言えない…。

上の妹からメールが来た。

その前夜、下の妹と、娘と3人でわいわいとイタリアンを食べているときに母から電話がきて、今3人で食事していると話していたのだが、

妹によると、3人で食事したらしいが、A子って誰と聞いたという。

頻繁に会いに行っていたじゃない。会うとAちゃーんって、お母さん、いつも抱きついていたじゃない。あのA子だよ。

こういう日が来るかもしれないと漠然と覚悟していたが、もうA子のことも分からなくなったの?そんなことが本当にありうるの?

Aちゃん、お母さんがAちゃんを分からないって。悲しいよーというメールを娘に出した後、涙が止まらなくなった。誰かに話したかったが夜の11時を越えている。しばらく躊躇した後、再び娘に、今電話して良いかとメールするとすぐに電話がかかって来た。声を聞いたら余計に悲しくなってきた。このAちゃんが分からなくなるなんて。もう少しすると私のことも分からなくなり、共有してきた思い出も無となり、一緒に過ごした時間も溶けてなくなっていく…。

電話を切って、数分後、振り返るとそこに娘が。泣いていて娘が鍵を開けて入ってきた音にも気づかなかった。娘の額にも胸元にも汗。走って様子を見に来てくれたのだ。全くしょうがない母親だねえ。深夜なのに娘に危険を冒させてしまった。私は娘でもあるが、母親だし、5人の孫のオババでもある。こんなことで、こうなるかもしれないと想定していたことで、いちいち泣いてはいられない。しっかりするのだ。順繰りなのだ。もう少しすれば私は母の立場に立つだろう。

今、母はどうして欲しいのだろう。記憶が消えていく、すべてが無になっていくのは究極の恐怖だ。そうなったとき私はどうするのだろう。とりあえず、A子の写真を送った。思い出して、お母さん。

まだ母には文字が残っている。指が痛くて字は書けないが、携帯を叩いてメールを書くことは出来る。記憶が少しでも長持ちするように、毎日、写真を送ろう。メールを送ろう。頑張れ、お母さん。返事を書くんだよ。

なんだか、毎日、「昔は物を思わざりき」という言葉が何回か頭に浮かんでくる。

東京にいるというのに、3.11からすっかり生活が変わってしまった。1年前はもう大昔だ。母達は妹に引き取られていなくなり、生活習慣が一変した。毎日、寝る前に枕元に携帯と懐中電灯を揃えておくようになった。早め早めにトイレに行く。バスタブには常時水が入っているし、ネコ砂も買ってトイレに備えた。大きな余震がくるという。部屋の壁にはいくつもの細かな亀裂が入っている。昨年と悩みの質が違う。

先週半ばから寝込んでいた。憩室炎という奴だ。持病を沢山持っているが、これが一番の古株。熱が8度5分を超えてきたから、地面に落ちそうと錯覚を起こすほど敏感かつ重くなった下腹を抱えて医者に行った。持病だから抗生剤他常備してあるのだが、数回飲んでも効かないから仕方ない。

先週月曜日に開業したての医者だ。ガラガラに決まっている。何せお腹が痛いのだから待つことは避けたい。それに配られたパンフレットによると結構近く、何より、娘2人と婿殿2人が卒業した大学出身だから、良ければこちらに鞍替えしようとの魂胆もある。読みは当たって患者は一人もいなかったが、薬メーカーの営業の人が入れ替わり立ち替わり詰めていて、結局30分以上待つことに。残念。診察の結果、今年の春以降増えてきた6種類の薬に足すこと6種類!

昨年の今頃、服用していたのは、もう10年ほども付き合っている薬1種類だった。なのに、昨夜までの数日間は、合計12種類。12種類ですぞ。母の薬を取りに行くたび、大きな袋にぎょっとなっていたのに。私の番が近づいているのか。

しかし、人間、いざとなったら出来ますねえ。アスピリン1錠飲むのにコップ1杯の水を必要とするほどへたくそだったのに、ウン十年も薬を飲む度に吐きそうになったり、たまには吐いたり、四苦八苦だったのに、それが、ちゃんと飲めた。それも6錠いっぺんに飲み込んだり。驚くねえ。

新しくできるようになることがあるんだ。生まれつきダメだと思っていたことなのに。母達のことが心配でならず、泣いてないかしら、どうしようと堂々巡りで考えるばかりで、胃を痛くしていたのだが、そうだよ、母達だって、いくら年取っていたって、大丈夫かもとちょっと思えた。なるようになるし、なるようにしかならないのだから、結局、きっと、多分。

182
[追記情報あり 第24回世界建築大会
9月になってしまった。3.11からもうすこしで半年が経ってしまう。

東北のグランドプランはまだ出ないのだろうか。

日本には世界的に有名な建築家が大勢いる。都市計画の専門家だって、当然、いるだろう。
彼らはどうしているのだろう。コンペが行われたという話も聞かないのだが。やろうと提唱する人はいないのだろうか。

震災の前だって難題が山積みだった。地方都市は疲弊していたし、高齢者がどこでも増えているのに子供は少ない。発想を転換して、新たな大胆な策を考えなくてはならないときだった。庶民が海岸べりの自宅が元あったところに、建ててしまったらまた元の木阿弥、怯えながら暮らすことになってしまうじゃないか。それじゃ、復旧であって復興じゃない。前より条件が悪くなっただけで何の問題も解決されないままになってしまう。

最初の頃、山を削って海岸線に高台を作るというようなアイデアを見たような気がする。そういったアイデアはどこに行ったのだろう。

この突然出来た広大な何もない土地をみて、自分ならコウしたいアアしたいと、建築家なら考えるだろう。
建築家じゃなくったって考える。夢想する。大地に絵をかけるのだから。小学生だって、高校生だって、こうすれば津波に対抗できるとか、みんなが遊びに来てくれそうとか考えるだろう。全国的なアイデアコンクールをやっても良いのではないだろうか。専門家が地域ごとにそれを具体化し、大きな一枚の絵につなげていく。そんなことは出来ないのだろうか。

私の案を紹介しよう。安全と、瓦礫の処理と、生活の安定、観光の一石4鳥を狙った。しかも安上がりだと思う。はい、夢想家です。

海岸伝いに4、5階建てくらいの巨大なコンクリートの箱を10メートル程度くらいの間をおいて作り、その中に瓦礫や除染した土などを入れていく。満杯になったらコンクリートできっちりと蓋をする。そのコンクリートの箱の頂上と箱の頂上の間を空中プロムナードというか散歩道でつなぎ、堤防の上のような細長い幅広の道となるそこは公園にし、小さな店舗を配置する。そのプラムナードからは、高潮や津波の時には地上に向けて、遮断するシャッターが降りるようにする。諫早湾を遮断するときの上から降りてきた扉のイメージですな。

その箱にはもちろんトラックが瓦礫を入れるときに使う斜めの車道をつけておき、いざというときはそこから箱の上へと上れるようにする。通常時にはその横に設置したエレベーターを使う。
で、その巨大な瓦礫で満杯になってしっかり蓋をした箱の上にはその車道を利用して船を巻き上げられるようにしたり、競り市場を設けたり、海産物市場にしたり、展望台にしたりすればいい。住居棟を備えたものを作っても良いかも。
みそは、その箱なら間から海岸の景観が見え、風が通り抜けること。それに、瓦礫の量に従って箱をいくつも作っていけばいいから融通が利く。こういうものを海岸沿いに並べていけば、非常時には堤防となり、避難場所となる。汚染されている福島の瓦礫や土もコンクリートの箱の中なら大丈夫だろう。
もっと瓦礫をおくれと、瓦礫の争奪戦になればいいなあ。

あなたの案はどう?聞かせて欲しいなあ。

[追記] 第24回世界建築大会というのが9月25日から10月1日まで東京で開催されます。今朝、このことを知り、ちょっと調べてみました。無料公開プログラムが以下の通り開催されます。ちょっと遅いかなと危惧しながら、1.と3.に申し込みましたが、大丈夫でした。

下記のプログラムは広く一般の方にも聴いていただけるように無料で公開いたします。
プログラムの詳細については下記プログラムの名称をクリックしてください。参加登録をご希 望の方は、7月15日より応募手続きを開始いたしますので、下の参加登録のボタンより登 録をお願いします。
数に限りがありますのでお早目のお申し込みをおすすめいたします。
なお、UIA2011東京大会に参加登録をされている方は、無料公開プログラムへの改めての参加登録は不要です。(UIA2011東京大会のIDカードにてご入場いただけます。)

無料公開プログラム

スピーカー 安藤忠雄
タイトル 若者に語る/建築とは何か
日程9月26日(月) 午後7時-午後9時
会場東京国際フォーラム ホールA
テーマセッション3 これからの環境建築を考える
テーマセッション4 自然と共存しうる技術とは何か
テーマセッション5 ネットワーク時代の建築家像と建築家の職能
日程 9月27日(火) 午前9時-午後4時30分
会場 東京国際フォーラム ホールA
日程 9月25日(日) 午後2時-午後5時20分
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
日程 9月27日(火) 午後1時30分-午後5時
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
日程 9月29日(木) 午後1時30分-午後5時
会場 COREDO室町日本橋三井ホール
参加登録
無料公開プログラム登録事務局への外部リンク

無料公開プログラム参加登録事務局

UIA2011東京大会無料公開プログラム参加登録事務局 (株式会社コングレ内)
Tel 03-5216-6956
FAX 03-5216-5552

このページのトップヘ