あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2013年07月

ツイッターでこんな言葉に出会った。私も許せない。絶対に許さない。

(山本太郎、当確インタビューで)
今、NHKで福島の野菜を「放射性廃棄物」と言いました。 俺は許せません。絶対に。

こんな、心ない男を…よくもまあ当選させたものだ!

科学的根拠も論理性もなく、怖いという感情に訴えかけてとんでもない人が当選してしまった。イケメン、好青年風ですけどねえ。福島では米の全量検査を実施していることもつい最近まで知らなかったらしい。今でも福島は必死の努力を続けているのですけどね。

http://blogos.com/article/66684/(山本太郎氏当選に思う--噛みしめるべき格言「教育のない民主主義は無意味 - 石井孝明)は私の感想とかなり似ているので一読して頂ければと思う。山本太郎に関しては、福島原発事故をめぐってデマの発信を繰り返し、テロリストや極左暴力集団との関係を公言しているのは、証拠の写真等もあり事実のようだ。ここに引用されている米国独立宣言起草者のトーマス・ジェファーソンの言葉をどうぞ。

「最善の政治形態のもとでさえ権力を委ねられた人は時日が経つにつれて、その政治形態を暴挙へと変えてしまう。これを予防する最も効果的な手段は、民衆一般の知性をできるだけ 実際的に啓蒙することである。教育のみが民主主義を守る」「教育のない民主主義は無意味である」

先日、パキスタンのイスラム過激派に銃撃された16歳の誕生日を迎えたばかりのマララさんが国連で演説を行った。

1人の子供、1人の教師、1本のペン、1冊の本が世界を変える。

学校に行くだけで殺されるという世界があるのに、教育を受けられるということがどれほどの権利であるのか、どれほどの財産であるのか、若者たちは分かっているのだろうか。教育や参政権は先人たちの長年の努力と運動の結果なのに。大事な権利の行使を怠っていれば、むざむざと大事な権利がそのうち取り上げられてしまうことになるかも知れない。目をしっかり開け、過激な主張にはその根拠を調べ、情に流されそうになったら、一旦立ち止まり、論理を考える。

理性を忘れた情は自分も国も危うくする。これからの子供たち、ますますその多くがワンフレーズだけのネットの世界で生きることになるだろう。論理的、科学的に考える教育はどうすればできるのだろうか。

130519断捨離ばやりの昨今、母宅を畳むときには思い切って捨てまくり、頭がしっかりしてきた母に今になって色々文句を言われている。仕方がないので私の服を差し出したり買いに走ったりしている。

そうはいっても、いくら思い切って捨てたと言っても元々捨てるのが大嫌い、何とか使えないかと数十年前の卒業式に着た手織りシルクのアンサンブル(娘が入学式に着た)や新婚旅行!に着ていったドレス(娘が卒業式に着た)までため込んでいる私としては随分無理をしたわけで、ゴミになってしまった可哀想な多数の品に未だに胸が痛む。

というわけで、娘に叱られながらも父の背広等を無理矢理娘のダンナに押しつけ、でもどんなに口説いても引き取って貰えなかったモーニング一式を持ち帰ってきた。重い、大きい、でも1度くらいしか手の通していないオーダー品、捨てられるわけないでしょ。

意地でも何かに再生してみせるとミシンをウェブで物色していたら、また買うだけで終わってしまうと娘達の大合唱。私を誰だと思っているのというと、お母さんとこれまた大合唱。今度は絶対に必要なのだからちゃんとやるわよと言っていたら娘、イヤ娘のダンナが貸してくれることになった。

安いミシンを探していたらダンナが高機能のコンピューターミシンを欲しがり、却下されたら自分の小遣いから購入したという貴重品だ。娘宅ではかくしてミシン係はダンナとなった。トモゾーの袋くらいしか縫っていないようだが、母の大きな裁縫道具を目を輝かせて持ち帰ったのだから最近の男はたいしたものだ。1枚縫うと5000円バックしているらしいw。

ミシンが来たから頑張るぞとモーニングを分解にかかった。数時間頑張っても裏地を外すのさえ半身もできない。何故男のジャケット類はこうも何層にも重なっているのだろう。ボタンもなにやら糸がしっかり固められ、糸のかたまりで固定されていてチョキンと簡単に切れるように出来ていない。糸をほどけばばらばらになると思ったが大きな誤算で、数十、数百もの針目で、それも手縫いで、シンがしっかり縫い付けられていたり、千枚通しの鋭い先が入らないほど細かい目で縫われている。

ああ、いつになったら布になるのだろう。ね、思った通りお母さんはお母さんだよねと娘どもに言わせないために頑張らねば。布になっても袋にしてしまうわけにはいかない。ちゃんとした素敵な何かが作れるだろうか。母は何かと大変なのだ。

P1010838古民家を探し始めて十数年、初めて完璧な条件を備えた古民家が出てきた。買うと一声かけるだけで私の物になるのだ。それなのに、シロアリ、折れかけのふすま、背筋の悪寒!

ともかく構造を見て貰わなければ話にならない。即断を迫る不動産屋をなだめたがたびたび来られるわけではない。うなっていると娘のダンナのSちゃんが思っても見なかった才能を発揮した。山男で釣り好き、人付き合いが得意とも思えないのに、芋づる式に大学の同級生を捜し当てたのだ。その家の近くの木材会社の工場長になっていた。翌日、構造を見てくれるという。

久しぶりに覗いたウェブでぴったりの家をそれもアップ直後に見つけ、行くつもりのなかった日曜日に行き、日帰りのつもりが激務で睡眠時間も満足にとれない婿殿が何とか休みを取って現地で1泊することになり、家に詳しい友人をそれもその近所に見つけ出し、その友人は仕事の合間に、昼休みに調査してくれる…。ついてるやん。

屋根裏や床下まで覗き、裏手の野菜畑に上って全体を見て、調査してくれた結果は、思った以上に厳しいものだった。

家の裏側の杉板が風雨に打たれて美しい木目を出しているというのに、補修は大変だから、建て替えを勧めるという。当時の大工さんはちゃんとした仕事をしているというが、何せ築92年。家が傾いていて土台を持ち上げ云々というのは簡単にいかない。大仕事になる。このまま補修するとしたら1000万ほどかかる。更地にするには数百万かかり、そのとき柱など取っておいてそれで建てることはできるがその場合は大工仕事になるからやはり高く付く。建て売り住宅みたいなぱたぱたとホッチキスで建てるような物なら安くできるというがそれじゃあ詰まらないないしやっぱり合計金額はたいしたものとなる。おまけに補修なら建築基準法の網はかからないが、新たに建てるなら後ろの擁壁などの問題が出てくる。

2階を取っ払って平屋にすると言う手もあるというが建坪50坪ほどあるからやはり同じように金額がはる。それにあの素敵な2階をなくせばそこからの景観もないということになる。

娘が一言、お母さんの手に余るのじゃない?はっとした。その通り。お金だけの問題じゃない。大量の交渉や手配、書類を見なければならなくなる。もう当分、書類は嫌だ。東京から何度も通って進捗状況を見に来るのだって大仕事だ。気力、体力が衰えているというのに出来るのか?欲しいではなく、それが出来るか?美人の湯の露天風呂にゆっくりつかりながらやっぱり断ろうと決めた。この素晴らしいお湯に毎日通えたのに…ああ、残念無念。

不動産屋に断った翌朝、もう物件は成約と記されていた。そりゃそうだ。こんなに良い条件のところ、そうないもの。5年前なら、いや2,3年前、両親がまだ元気な頃だったら即決していただろう。不動産は立地がすべてだから貯金をはたいたとしても元は取り返せただろう。まあ、仕方がない。これが年を取ると言うことなのだろう。おみくじの凶が影響したこともある。誰かが止めとけと言ってくれたのだと思うことにしようっと。

でも久しぶりの良い旅行だった。満開のバラ園も散策できたし(日傘を置き忘れたけど)、できたての地ビールと美味しい料理もたっぷり楽しめたし(トモゾーがジョッキをひっくり返して私がぐっしょりビールまみれになったけど)、林の中のロッジでウグイスも聞けた(4時起きで婿殿と魚釣りに出かけたトモゾーが川の中でひっくり返る騒ぎもあったけど)。娘や、また来ようね。

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