あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2016年03月

P1030267例えば電話。何年も電話もしたことがなかった友人に電話をしたら丁度向こうも手紙を書きかけだったとか、友人の夢を見た朝、ご主人から亡くなったという電話が来たり。

そう言うことが何度もあって、何だかなあと思っていた。

今月初め、急に気になって何年も連絡していなかった従姉妹に電話した。膀胱癌が発見されて2日後に入院するという話だった。検査入院だからお見舞いもいらないと。

一昨日、連絡もないし気になって電話した。余命半年から9ヶ月だとあっけらかんと笑った。
以前、子宮癌で全摘して癒着していること、腰近くまで動脈乖離を煩ったことで、手術は不可能、腿から抗がん剤を入れることも検討したが無理だったこと。何度も死ぬ所を助かって命を貰ったのでもういつ死んでも良い。

医者の甥の紹介で膀胱癌の権威といわれる人の診察が受けられることになり数日後に別の専門病院に入院するという。九州から姉たちが心配して上京してくるけど、せからしか。そんなこつ必要なか。私も会いたいと言ったが、せからしかと豪快に従姉妹は笑った。

もうイヤ、もうイヤ、もうイヤ。一人家の中で叫んでいたら、憩室炎を発症。ただ今断食中。もう離婚騒動の頃からの持病で繰り返すので常備薬もある。でもいつもより急激で熱も出て吐き気も起こり、夜中に便座を抱いて失神しそうでこんなところで死ねない、救急車、いや娘と思ったが幸い収まった。

電話しようと思ったのと娘にいうと、電話できるのなら自分で救急車を呼びなさい。大丈夫マミーならだと。この子もきっと従姉妹のように肝が据わっているのだろう。従姉妹ならトイレで死んでもどこで死んでも同じと言うだろうなあ。私は甘ったれでいい。トイレでなんて死にたくない。

で、痛むお腹を抱えていた昨日、南の島の娘一家が到着。もっと南の島へ転勤することになり、我が家は中継地となり、これから1週間ほどは暴風圏内だ。すでに家中、嵐が荒れ狂ったような有様となっている。

写真はクリックすると大きくなります。ベランダからの富士山。

P1030268やられた。結構重宝していたのだけど。真っ二つ。

3匹の孫たちがやってくるので(前回を参照)大慌てで書類や本類はもとより、電話機からスタンド、食器類も避難させたのに、テーブルの真ん中で大丈夫と甘く見たのが敗因だ。

一番下の3歳児の男の子がママが良い〜といつも泣き叫ぶので閉口する(ママと泣き叫ぶのは圧倒的に男の子が多いのはなぜだろう−全く男はw)。今回、さっさとママは消えていき、お約束通り、ママと泣き叫んだが、無視して直ちに用事を済ますことにした。母のところに洗濯物を届けるのだ。

で、この3歳児は男らしくw腕で涙をごしごしこすりながら、ひいばあばにこれを届けたら、その後、みんなでおやつを買って、公園に行くよと上の2人に話していると、涙の粒が減ってきた。今だ。

Uちゃんも、Nちゃんも、泣かなかったよ。Uちゃんは一人でお泊まりしたよ。

ホント?Uちゃんも、Nちゃんも?
そうよ。Uちゃんも、Nちゃんも。泣かなかったよ。お姉ちゃんとお兄ちゃんだもの。ウソだけど。

顔つきが変わる。この一番下のKちゃんは上の二人が穏やかなのに、負けず嫌いなきかん気の子で、顔つきからしていかにも悪そうw。頭を絞って息子を掌の上で上手に転がし、上の子たちを2歳くらいから泣かす悪ガキなのだ。娘の所の一番下の男の子といい、育てるのは大変だが見るのは面白い。悪ガキ大好き。ああ楽しみ。

この子たちはちゃんと静かにできるので施設に連れて行っても大丈夫。周囲のお年寄りから可愛いねと言葉が次々かかる。が、入り口で消毒したがどんなばい菌がついているか分かったものではないので長居は無用。そそくさと洗濯物を渡し、受け取り、顔見せだけで接触はさせずにスーパーへ。もちろん一騒ぎとエンドレスなおしゃべりでへとへとになりながら、おやつと飲み物を購入。公園へ。

滑り台2台と網目状の通路、ハシゴが連結された遊具へ。歴代の小さな子たちが怖がってこの通路は当分歩けないのだが、3歳くらいの女の子が怖いと網の上で泣いていた。母親が嫌だというのを引きずって歩けと上に乗せ、面白いと写真を撮っていたのだ。降りたいと何度に訴えるが母親は聞かないで泣き顔をスマホで取っている。これはまさに虐待だ。

どうしようかと思ったが、口を出した。ある程度大きくならないと渡れないですよ。怖いらしいですね。高い所が怖いのは本能でこれがないと落ちたり危険だから良いことですって。母親はようやく子供を下ろした。

お節介だと子供たちには叱られるが、お節介は高齢者の役割、当然やるべき社会奉仕だと私は思っている。口を出さない社会の方がおかしい。

横で見ていた3歳児、どうやら競争心が起きたらしく、網の側に寄りもしなかったのがへっぴり腰で渡り始めた。初渡り成功。で、出来た出来たと大喜びで何度も挑戦。先の母親は声の届く所にいる。褒めるのも小さな声で、聞こえませんようにと祈りながら。嬉しいけど困るのよねえ。

家に戻ったらSちゃんが受け取りにやってきた。息子の愚痴をこぼすこぼすw。その間、3人はゲームで盛り上がっていたのだが、帰った後のテーブルの下には哀れ、二つになった鍋敷きタイルが。誰か興奮して落とした上で飛び跳ねたらしい。

まあ、いいか。割れ物は壊れる運命なのよね。

気絶しそうなくらいネムイ。
でも寝られない。
もうすぐ孫3人がやってくる。3歳、5歳、7歳だ。

テーブルの上に散らかり放題に散らかっていた申告用の書類と、寝室に散らかっていた本の類と触られたら困る物を棚の上に避難させたら、もう疲れ果てた。

これはきっと体がこれから生じる多難な時間を予想して勝手に先取りで休憩しようとしているのに違いない。

あと掃除機をかけ、お皿を洗い、菓子類を隠さねばならないのだが…。

最近は、何か片付けるか隠せば後で見つからなくなるので隠し場所はどこにするか頭をひねらなくては。
数ヶ月前に片付けたガラス製の鍋の蓋が未だに見つからないのだ。

ネムイ。もう駄目、昼寝しようかなあ…zzz

20160318151600001月末にぐるっとぱすを購入したK子。そろそろ電話が来るかなと思ったら、やっぱりあった。

期限切れになる前に出かけなくちゃというので、今回は温和しくK子のお供。知人経営のイタリアンに近いという理由で彼女が選んだ五島美術館。でもその前にまず腹ごしらえと九品仏のイタリアンへ。

12席という小さなお店でシェフとウェイターの2人で回している小さなお店。ホワイトアスパラにミモザソースがかかっている一品を前菜にチョイス。K子は7品盛り。少しずつ交換w。

ヘレンという親しかった女性が昔作ってくれてビックリするほど美味しかったなあ。料理が上手で手芸が好きで、絵を描き、同じ年で同じ年の息子がいた。彼女は黒人と結婚した白人女性で、黒人と結婚したというので怖い目に随分あったらしい。イリノイ州から逃げてきたという経歴の持ち主。でも息子が4、5歳くらいの時に離婚した。大変な思いをして大恋愛だったのに。人の心も運命もよく分からない。離婚してから大学に行き直し、図書館員になった。元気かなあ。

K子とどれが美味しいかカロリーが少ないか、長々と喋っていたら、パスタを2種類を半分ずつお皿に載せてくれ無事解決。これだからおばさんはと思うでしょ。私もw。

タラバガニの辛めのソースのパスタとタケノコとゴルゴンゾーラのパスタ。すべてがかなりの量で、デザートもしっかり4種類。お腹いっぱい。なかなか良いお店だったが、もう少しスパイスを効かせていればと心の中の声はうるさい。ヘレンの方が美味しかったと思うのは当然、思い出の味付けがあるからだと分かっているが。2016031815190000

九品仏にこんなに大きなお寺があると知らなかった。秋にばんな寺で貰って以来の2つ目の御朱印を頂いた。こちらは昼食の11分の1の300円。午前中に病院でコレステロールがまたしても上昇しているのが判明したのに、食べすぎた。さて御利益はあるだろうか。

上野毛にあるメインの五島美術館へ。隣が五島昇邸。庭先を美術館にしたのね。五島昇邸の前に巨大な欅がそびえ、3人の庭師の人が取りついていたw。

中国の陶芸展をやっていたのだが、お庭が非常に良かったので印象がすっかり薄れてしまった。庭は五島慶太氏が足腰の鍛錬をしていたという自然なしつらえの庭で、ヒールは勧めないという「健脚コース」だと案内にあった。崖に経路を配したとあるとおり、高低差があり、変化があり、多数の石塔、石仏、灯籠など、素晴らしい。丁度木蓮と天然記念物だというコブシの花が花盛りだった。しだれ桜の古木もあり、桜の季節はどんなに見事だろう。

根津美術館が好きでちょくちょく行っていたのだが、改装後は手が入りすぎの感が否めず、人工的な庭も人工的な光の展示室も行きたい所ではなくなり残念だったのだが、こんな所に自然な庭が残っていたとは。しかしまあ、石仏やお地蔵様など随分集めたもので、こんなに集めて、地元の人たちの信仰対象であったに違いないのに、慶太氏は恨まれなかったのだろうかとおかしなところが気になるのも歳のせいだろうか。

会社帰りの娘と途中で合流して盛り沢山な1日が終わった。

3月11日、一息付けようテレビをつけた。どこも津波と悲しい記憶で一杯だった。
もういっぱいいっぱいだ。
買い物を兼ねて散歩に出た。外は霧雨が降っていた。寒い。

公園の毎年一番最初に咲く大きな木蓮の白い花が今年も咲いていると思ったら、樹の下には白い破片が大量に落ちている。近づいてみたら、樹上の白い大きな蕾にもいくつもの囓られた跡がついていた。

乱暴ものめ。この間見つけたオウムがここまでやってきたのか。余計気分が落ち込む。

どうも胃が重くて痛い。みぞおちの痛みを胃だと思うなとこの間テレビで言っていた。膵臓とか脾臓の可能性もあるらしい。
チーズとハムとレタスと貝割れ、トマトとタマネギまで挟んだホットサンドを食べた。チーズとハムが悪かったのだろうか、脂っこいかなあ…それともヨーグルトか、チョコも食べたなと罪状を数えながら歩いた。今晩は食事を抜こう。

そして、思い当たった。テレビのせいだ。いつもいつも災害があるとマスコミがはしゃいでいる気がする。どうです、こんなに大変ですよ。凄いでしょう。忘れてはいけない…。

本当に辛いことは忘れるしかない。忘れて前に進むしかない。勿論、その出来事から学び準備をすることは忘れてはならないが、無理矢理どんなに大変だったかどんなに辛いか問いただすのは止めて欲しい。

その代わりに、もうマスコミは忘れているらしいが寄付を募ることは忘れないで欲しい。まだまだ助けは必要だと言いながら、積極的に寄付集めはしているだろうか。福島産、東北産を食べよう、買おう。数多くの流布されたとんでもない話はデマだったと検証することをマスコミは忘れてはならない。

デマで稼いだ人間がいて、煽られてパニックになった多くの人がでたことも、冷静に説明しようとして御用学者と罵倒され沈黙を強いられた人たちのことも忘れてはいけない。

そして、世界中のどれほど多くの人たちが日本を応援してくれたのか。祈ってくれたのか、寄付してくれたのか、詳しく報道して欲しい。

宮沢賢治の詩が朗読された英国だと思うが大きな教会で行われた日本のためのミサを忘れない。また見てみたい。素晴らしい英語だった。

イギリスの片田舎にまで日本を救おうというバナーが貼ってあったことを私は忘れない。

後で調べたら2014年も同じように言っていた。 私たちのために祈ってくれている写真はここ

先日、下の妹が言った。最近、死が身近に感じるのよね。

そう感じるのも無理もない。
3年前に父が死に、その後、17歳だったか、長生きしていたココモという黒ポメも死んだ。
妹は米国に通算30年弱暮らしていて、この犬はその半分以上を妹夫婦に付き添って何回も引っ越し、米国と日本を何往復かしている。

ココモが死んだ方がお父さんが死んだよりも悲しいかもとあるときぽつりと言った。
あーあ、お父さんに言ってやろ〜。
電話口で上を向いて、大きな声で、お父さん、T子があんなこと言っているよ。
T子は違う違う、お父さんは死んだとはとても思えないって言う意味だよと慌ててやはりきっと上を向いてだろう、叫んだ。

そうなのよね。親って死んだって気がしない。私だって毎朝、やあお父さん、元気かねって、父の写真に向かって呼びかけている。死んだなんて思いたくないから、そこいらにいるに違いないと思っている。

妹は続けて3回父が夢に出てきたという。夢に出てきたこと無いなあ。多分、今父はアメリカの妹のところに出張中なんだろう。

昨年は父の3回忌だったが、妹の帰国に合わせたら随分遅くなった。1月に亡くなったというのに7月半ば過ぎになったのだから非常に遅い。まあ、父が気に入って購入した墓地は富士山の麓にあり、3月半ばまで道が凍っている。だからしょうがないでしょと、坊さんがなんと言おうと、慣習が何であれ、最初から桜で埋まる4月に行うのだ、それでいいのだと決めていたし、こうなれば遅れついでだと思っていたのだが。

4月を過ぎる頃だったか、家の中で変な音がするようになった。寝ようと横になりうとうとするとガタン、バタンと大きな音がする。嫌がらせのように毎晩、それもうとうとする瞬間に音がする。変だ。

それまでそんな音はしなかった。5階建ての5階に住んでいる。一人だ。なのに天井辺りから音がする。もしかしたら、これが世に聞こえたポルターガイストなのだろうか。

だとしたら、そんな音を立てる奴は一人しかいない。

翌日、父の写真に向かって、T子が帰ってくる7月に3回忌をする予定でちゃんとお坊さんも予約してあるんだから、うるさくしないでと叫んだ。

効果覿面。その夜から音はしなくなった。
父がいる気配もなくなった。それはそれで淋しいことだった。

信じる者は救われるだね〜w。

NEC_0917どこへ行っても暇な爺さんが目につく。打ちっ放しにスズメのように似たような色の似たような服装でずらりと並んでいるので、爺さんが一人、爺さんが二人、とつい数えてしまったうららかな春の日、皆さんお元気ですか。

外は青空。気持ちよさそう。入るはずの原稿は遅れて今晩遅くになるという。申告は済んでないけど、ま、いいかと散歩に出かけた。

そうだ、今日は5%引きの日だ。行き先を変更。スーパーについてみたら混んでない。不思議だ。食品売り場まで行くが人影まばら。どうもおかしいと携帯で確認すると、5%引きの5日ではなく、今日はまだ4日だった。認知症テストではマイナス1点。平成何年かも良く忘れるのでさらにマイナス1点。もうちょっとしたら、ここにも痴呆症の婆さん一人と数えられることになるかもね。

郵便局にとりあえず向かう。いくつかの金融機関がキャンペーンをやっていて、国債だと固定で0.05パーセントの利息が付くという。低いなあ。まあ、マイナスよりマシだ。途中に郵便局があるのでとりあえず少し下ろしてすいていれば国債を買おうっと。

郵便局の出口で檜の匂い袋と野菜ジュースを1缶、持っていって下さいと袋に入れてくれた。マイナス金利なのにこんなの渡していて良いのだろうか。それとも資金を引き上げてくれてありがとうなのだろうか。違った。リフォーム会社の宣伝だった。

時刻は11時半。そうだ、いちごを買いに行こう。郵便局からは10分かからない。販売する日か先に確かめてから野菜農家に回ってまた戻れば丁度良い。と思ったら、すでに数人が庭先に並べられた椅子に座って待っていた。勿論、並ぶ。娘にいちごがいるかとメールするが返事無し。勤務中だからすぐ返事がくるとしたらその方が問題ではあるが。数が少ないから一人2パックの制限がついている。

550円、450円、350円の3種類。どれにするか、1パックか、2パックか、悩ましい。折角並んだのだから大粒を買わねばと買っては、ケチな私は綺麗だなあ、美味しいなあ、けど本当はちっちゃいので十分だけどなどと頭の片隅で思うのだ。

悩むまでもなかった。農家のお姉ちゃんがパックを並べたら350円が2パックしか無く、前の人たちはみな550円を2パックずつ購入、私は勿論すかさず350円のを2パック。やったぜ。350円のは初めてだ。出し抜いた気分になるのはなぜだろう。馬鹿だねえ。

娘からは返事がない。息子のところに持って行こうかと思ったが、有休消化中の息子がゴロゴロしているらしい。余計なことを口走って一戦交えるのは止めよう。粒が小さいなどと言われたら腹が立つし。とまたしても行き先変更。家に向かって小さな美術館の横を曲がったとき、思い出した。美術館の奥に陶芸教室があるのだ。これも何かの縁だ。パンフレットを貰おう。

苔むした路地を行き、古い平屋の戸をあけると爺さんが二人土をこねている。奥から男性が出てきた。無愛想でエラソーな中年ではなかった。やれやれ良かった。説明を受けているうちに、いつの間にか成り行きで入会してしまった。おろしたお金があったのがいけなかったかも。

陶器、好きだし、色々見て回っている。つまり目は多少肥えているが、目にふさわしい器は、不器用だし、絵心ないし、頑張ったって作れっこない。だから嫌な思いをするに決まっていると避けていたのだが…。ま、ちょっとだけやってみよう。ちょっとだけね。

娘からは遅ればせながら要らないとメールが来た。娘が土日で旅行に行くのをすっかり忘れていたのだ。娘は遊び、私は仕事。ふんだ。いちごを山盛り食べて頑張ろうっと。

そういえば、途中、コゲラ数羽と大きな緑のオウムがせっせと多分、河津桜の花を食べていた。昨年は近所の桜は軒並みオウムの大群に襲われたが今年はまだ姿を見せないと思っていたら、暖冬で他の花も咲いているから集中しないのかな。

写真はいちご農家の梅の花。

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