あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2016年10月

さて相も変わらず騒動は続いていて、暴動を起こしたパソコンをもはや見捨てるしかないと即新しくデスクトップを購入したものの、やることが多すぎてセットアップも出来ず机の上に鎮座したまま。一時的に悔い改めた古いパソコンのご機嫌を伺いながら合間に仕事をしている。

昨日は、9月に新装開店した都写真美術館でのロスト・ヒューマン展(杉本博司)へ娘夫婦と3人で(11月13日まで)。これまたfranママさんのおかげで楽しめた展覧会だった。ありがとう♪写真展とはいうものの非常にユニークな、文学的な写真展で面白かった。娘たちと時間をかけて説明文を読みながら、暗い、未来の滅亡した世界の記憶を回っていく。中にはJap Hunding Licenseなるカードも飾ってあり、隣に居合わせた外国人に感想を聞きたかったが娘に叱られるので大人しく。現実と空想とを混ぜた写真や物ではないかと思うのだが不明。地味で暗い展覧会だとパンフレットからは思えるのに混雑していてびっくりした。地下で世界報道写真展もやっていたが、今日までだったのでもっと混んでた。勿論、こっちは現実として怖いのでビビリの私たちは現実逃避で代わりにビアホールへ。恵比寿を飲んで気分良くなったのだ。

2週間前は大仙崖展(出光美術館)、デトロイト美術館(上野の森美術館)、そして松島瑞厳寺と伊達政宗(三井記念美術館)を1日で周り、締めは日本橋の三重テラスで伊勢エビとワイン。まったく目にもお腹にも贅沢な1日だった。大仙崖展以外はK子と一緒で、いつの間にかK子に私の趣味が移っていて面白い。静かに鑑賞するようになったしw。

これら3つの展覧会もお勧め。特に大仙崖展は鑑賞しながら痛みが伝わってきて泣けてきた。明るく楽しく、面白い絵なのだが。春に京都で禅展やお寺で禅画を多数鑑賞したせいか、意味が心に染みてきた。すぐ忘れるたいした頭でも量をこなせば少しは残っていくものらしい。大の字がつくのもなるほどと思わせるほど素晴らしい展覧会だった。

デトロイト美術館展も素晴らしかった。多分、ここの美術館からは初めてじゃないかと思う。お初の作品が多かった。相変わらず不機嫌なセザンヌの奥さん像もあったが、思わず「若い」と口から出たw。黒っぽい衣装ではなく若い女性らしい明るい服装だ。ゴッホの自画像も包帯無しで耳が赤い!おかしな所ばかり目につくのは私の目が悪いせいだが、大規模ではないがとても良かった。デトロイトという以前フォードの城下町として繁栄した都市の現実を思うにつけ、この世の栄枯盛衰を思い起こされる絵画展だった。追記:言い忘れたがマティスの傑作も展示されている。「窓」はマティスの作品の中でも非常に良いと思う。作品は粒選りでありこの美術館の往年の財力が想像できる。

伊達政宗展も、秘仏と言われる五大明王像が展示され美しい彫刻もあったが、何より隻眼で勇ましい戦国武将である正宗が才能も教養も豊かなことがよく分かる展覧会となっていた。天は二物も三物も与えるのだ。どれもこれも中途半端で何もないという私のような人間はどうすりゃいいのよと言いたくなる。言う暇があれば修行しろと言われそう。まあ、修行するような人は言われなくてもやるし、しなくちゃと瞬間的に言うだけの人間はいつまで経っても口ばかりとなるようで…。

img_add_07大腸検査、嫌だなあと思っていたら、その翌日、ご褒美のように父島に向けて出航することが突然決まり、気分は早くも検査のことは忘れて休暇気分なのだが、サメがねえ。怖いのよ。

娘たちは春にイルカと一緒に泳いだという。癒されるのよ、これがまあ。娘はイルカに夢中だ。でも、サメがいるんでしょと聞くと、イルカと一緒に泳いでいるときも下の方にサメがいたという。絶句。あの大きな口の、巨大なサメが…間近に檻の中ではなく自由に泳いでいる…。

怖いから私は遠慮すると言ったのだが、娘はとにかく癒されるのだから、絶対行かねば。先日6歳になった幼稚園児でさえ救命胴着を身につけてポチャンと海に浮いてイルカと遊んだのだから、何を言う。6歳に負けてどうすると煽る。こんな体験、人生でもう二度と出来ないのだからとまで言われ、そりゃ、面白そうだけど、ねえ。アンモニアの匂いでサメはやってくるからおしっこを漏らさなければ大丈夫。

陸上では大丈夫だって、足の下にサメがあの邪悪な目で見ていたら、漏らさないはずがないような気がしてくる。コワイヨー。

こうまで怖がるのは、夏に大人5人で上野の科学技術館に行き、「海のハンター展」を堪能してしまったからだ。ぎざぎざの鋭い歯と大きな口を見てしまったし、古代サメが81トンもあったことも知ってしまったからだ。その時は将来どうなるか考えもせずに、いやよねえ、だから海には絶対潜りたくないのよ、あんなのが下からニュウって出てきたら囓られる前に気絶すると妹と言い合っていた…。ああ、見なきゃ良かった。

それなのに足の下にいるって。漏らしたらやってくるって。数滴でもダメかなあ…。犬並みの嗅覚ならどうする…。その上元亭は友人がサメに目の前で海に引きずり込まれるのを目撃したことがあり、その話も何度か聞かされた…。

父島では丁度その時期、座間味島のように演芸大会で盛り上がるらしい。子供の相撲大会もあるという。面白そうだ。船の切符も手に入れた。どうやって娘のイルカに行こうという誘いを断ろう。で、船の上に上手く残ることが出来たとして、もしサメが浮上してきたら娘の代わりにと私の片足を差し出せるかしら…。

7月からなんやかや忙しくて休んでいた陶芸クラスにいくらなんでもそろそろ顔を出さねばと覚悟して起き出したのは良いがヨーグルトを食べながら題名のない音楽会を見ていたら、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番、新進気鋭のピアニストだと言うが音がばらばらに聞こえてああ私の耳が悪いのかあやつが悪いのかいたたまれず立ち上がり、ついでに洗面所で洗濯を始めてしまい、開始時間に遅れてしまった。やれやれ。今月も全休、来月からにしようと先月と同じ使い古しの言い訳を考える。4月に始めたばかりなのに危惧したとおりだ。

お皿を洗いかけたら大きな爆音が。ヘリコプターのようだがびっくりするほどの大音量が近づいてくる。カメラを持ってベランダに飛び出した。多数のヘリコプターが整列して上空を通過していった。まさかまたどこかで大きな災害でもとどきりとする。

お祭りかなんかあるんですかね。いきなりベランダ越しに声をかけられ飛び上がった。引っ越してから14年ほど経つのだがこんにちは以外口をきいたことのない隣の男だった。息子と確か同じ年。いつも機嫌の悪そうなすまし顔に背広なのが寝起きの盛大な癖毛に華やかなパジャマ姿。うん、なかなか可愛いじゃないの。

それにしても大きな音だった。用事があるから編隊を組んで行くのだろうが、脅かさないでという気分もある。何かあったのかとツイッターを見てみると、刻々と自衛隊のヘリ通過、うるさいとか今編隊通過とかいうツイートに混じって、災害にあった人の自衛隊の救助のヘリの爆音が嬉しかったという感想も。

そうだよね。3.11の日、救助のヘリはまだ出ないのかとやきもきした。ようやく翌日の朝5時過ぎに編隊が飛んでいくのを見て嬉しかったのを思い出した。アキカンめ早くせんかと腹を立てたことも。災害の多い日本ではうるさくても訓練して貰わなくてはならないのよね。

やるべきことは山積だが、とりあえず急ぐ仕事もなく、日経朝刊の小野正嗣という作家の随筆が心に響いて朝からうるうるしたのでそうだ彼の本を探しに行こうと、ネットでいくつか良さそうな本を物色していると電話が鳴った。

日曜の朝などに電話をかけてくるのは当然母がらみ。なんとテレビが落ちて頭に当たり、瘤が出来ただと。テレビ台の抽斗を整理していてぶつかったらしい。幸いたいしたことはなさそうだ。

昨日、たっぷり母を散歩に連れ出し、こちらも疲れ果てた上に足を痛め湿布付きなのだが…行こうか、やめようか、逡巡したが、仕方ない。なんせ壊れ物の年寄りだ。

母は頭に冷たいタオルを乗せて寝ていた。看護婦さんがおやつの時間よというと、おやつなら起きなきゃねと起き出した。頭がふわふわすると言うが寝起きだからだろう。大丈夫そうだ。眉間の少し上が青く盛り上がっている。母は瘤とは別の所をここが変だという。元からよというとひど〜いと正常な反応だった。お婆ちゃんたちに口々に優しい言葉をかけて貰いおやつのマフィンを珈琲と一緒に美味しそうに食べているのを確認し、面会は何時行っても私一人なので馴染みになったお婆ちゃんたちのほら座って、ゆっくりとか、もう帰るのとか言う声を後に母をよろしくとさっさと逃げだした。

映画か、美容院か、本屋か喫茶店と思っていたのに、そうそう近所でお祭りが2つあったから見に行ってみようと思っていたのに、古本屋に入って出てきたら空はもう暮れかけて、私の日曜日は何もしないうちにまたしても過ぎていったのだった。


P1030044[早々と追記あり]生きていると色々なことがありますなあ。初体験がまた一つ。

母の銀行カードがなくなった。母の口座から施設料金を引き出し、お金をバッグのポケットに入れ、通帳にカードを挟んで同じくポケットに入れた…はず。なのに、ない。ないことに夜になって気がついた。バッグを逆さにして探した。ない。ジャケットのポケットも探した。ない。パンツのポケットも、床に這いつくばってテーブルの下も覗いた。ない。

銀行で落としたらしい。

急に上の娘の所に遊びに行くことが決まった。腸の検査の翌日に上手くチケットが取れた。帰りは約10日後。混んでいて数枚を残すのみだったので慌てて購入。そして、下の娘と、娘の小学生時代からの友人宅に赤ちゃんを見に出かける予定を入れていたことに後で気付いた。

マミーに合わせて最初の予定を変えたのに、何よと娘にブーブー文句を言われたのだが、カードを無くしたと寝る前にメールすると彼女はコンタクトを容器の蓋で粉砕したところだという。普段は失敗談は教えてくれないのだが、年老いた母親にw文句を言ったので気が咎めたのかも。

ワタシは既に布団の中。返信して、本を1,2ページ読み寝たのだが。母のカードどうしようと心配していたはずなのに…朝、起きると頭のすぐ横の携帯がピカピカしている。娘からの返信だった。

律儀な英文の、添付メールを読めというウィルス付き各種メールが英国、米国、オーストラリアから、土日は休んで!毎日1,2通、あちらの営業時間に相変わらず入ってくるので夜間はマナーに変えているがそれでもたびたび起こされるのに、マナーに変え忘れていたにもかかわらず、起きなかった。

それも娘に返信してから返事を受信するまで、わずか6分。何というという早業!本を読んだので多分、電気を消すと同時に熟睡したのだろう。本が睡眠促進剤なみに詰まらなかったせいもある。

睡眠障害だ、夜中目が覚める、小さな音でもダメだと長年騒ぎ立てていたのに、どうしてくれよう。

母のカードは朝一で銀行に電話したが届けられてないという。娘はどうせあなたのことだ、そこいらにあるに決まっていると言うのだが、しっかり数回ずつ見たからあるわけない。止めて貰った。止めて貰ったのは良いが、母は住所が変わり、本人は取りに行けないし、委任状も書けない。というわけで色々面倒なことになりそうだ。

2週間後くらいに新たなカードを渡してくれると言うが、変更届等に出向かねばならない。そしてその頃ワタシは海の上♪

サメに囓られずに無事に帰るとすぐに病院で検査結果の宣告を受けねばならない。行きは良い良いで、帰りはどんよりと重い気分で帰ることになりそうだ。

[追記]そして、またしても娘が正しいことが証明された。たった今、カードが廊下に落ちているのを見つけた。10分後に見つかっても一度止めれば2週間ほどは使えませんよと電話で釘を刺されたのにすぐに止めて下さいと騒いだのは、ハイワタシです。恥を忍んで電話をかけ、母とワタシの確認書類一式と印鑑を持参すれば停止を解除してくれることになった。最初に脅された2週間より大幅な短縮は多分、また処理の途中だったからだろう。まずは良かった。お騒がせしました。それにしてもなぜ廊下に。しかも朝から何度も通っているのに…。謎は深まるばかりだ…。

2016101218270000久しぶりに青空が戻った。長かった。

いくら秋の長雨と言ってもこんなに曇りや雨ばかりというのは記憶にないような気がする。まあ、私の記憶などあてにならないので気象庁の気象データをみてみたら、10月11日現在、東京都心の前30日間の日照時間は合計50.6時間で、平年の46%しかない。そりゃあ青物は高くなり、洗濯物は乾かず、人間もへにゃりとなるはずだ。

母は元気を取り戻していた。暑かったり、雨が心配だったりで外に連れ出していないのでかえってお肌の状態も良く、頻繁に太陽や雨風にさらされている私よりよっぽどきめ細かで色白だ。やっぱり若いときからきちんと化粧品と時間を使って手入れした人の勝ちなのかも。母から受け継いだ脳疾患性痴呆の可能性と、お手入れ無しの肌、私の末路が透けて見える。まあ、その頃には何でもあるだけで、機能しているだけで感謝するように少しは謙虚になっているだろう。

いつアメリカに引っ越すのと問い続け、ついで入院するからここを出なくてはに変わっていたのがぴたりと止んだ。紙に「ここにずっといて良いのよ。安心して」と書いて目の着く所に貼っておいたのでその効果だと思いたい所だが、ベテラン看護婦さんのおかげのような気がする。

アメリカに行くとの妄想がひどかった頃、看護婦さんがやってきて母の側にかがみ込んで母の両手をさすりながら、ずっとここにいてくれるわね、大好きだからと声をかけ、母も、私も大好きよ、あなたもどこにも行かないでと満面の笑みで答える場面に立ち会った。女学生に戻ったような素晴らしい笑顔だった。私たち子供や孫たちが言ってあげるべき言葉なのだけど、言えない言葉。さらりと言ってくれる70近いと思われる看護婦さんに心からありがとうだった。

父は生前、臆面もなく、私たちの前でもよく母にお母さん愛しているよとか、お母さんは素敵だろうとかと言っては辟易させたものだった。母は馬鹿馬鹿しいと相手にしていない風だったのだが、嬉しかっただろうなあ。父が亡くなって一番足りなかったのは褒め言葉と愛情の言葉だったのかも。

90近くまで言って貰えたのは、スゴイこと、幸せなことなのよと母に言いたいが、最近の母は5分前のことも覚えていない。でも大事にされていたことは覚えているよね。なんて幸せな人生だろう。

P1010872最近自分が怖い。台所に行くと入れかけたコーヒーが半分ポットに入ったまま放置されている。途中で電話がかかり離れたことを思い出した。冷めてしまっている。部屋に戻ると抽斗が開いている。これも私の仕業だ。開けっ放しの抽斗って耐えられないのに。こうやっていつか火をつけっぱなしにしたりするようになるのだろう。

と大人しいのも書いたつもりで探したのにない記事があるのに気付いたから。
先日、娘にしばらく一緒に旅行に行ってない、そろそろダンナをおいて付き合えというと即座に3年前に京都と軽井沢に行ったでしょという。え、軽井沢?北軽井沢のスイートに格上げされたが玄関に熊出没のビラが貼られて散歩も出来なかった悲惨なとこかと思ったら違う。別に行ったでしょといわれ、ブログを検索したら、軽井沢の記事がない。写真を探したら、あったあった。そして思い出した。7月にザ・プリンスに2泊して温泉施設がとても良かったこと、図書室に喜んだこと、買い物に邁進したこと、往復は娘の提案で新宿から往復バスを使い、新幹線より遙かに安い上にホテルに停車するので便利だったこと。どうせ忘れるのだからもう行かないとつむじを曲げられてしまった。

しばらく前に友人に展覧会のチケットを頂いた。とても良かったからお知らせしなくちゃと思いながら気付いたらすでに終了していた。遅かりしだけどしないよりマシかな。都美術館の開館90周年記念の「木々との対話」というタイトルの面白い展覧会だった。

一番の特徴は会場一杯に広がっていた檜の香り。妹と何の匂い、良い匂いとクンクンした。会場に組んであった巨大な檜の丸太の集積物。上から眺めそこにあった紹介文に愛媛美術館とかいう文字をみつけ、これだけの物、どうやって運んで元通りに組み直したのだろうと、しばらく検討w。釘の痕や針金で縛った痕があったのだ。番号が入っているのではないかと調べたり。下で係員に聞くと、ああ、あれは上の別の作品の紹介です。妹も私同様のおっちょこちょいだった。非常に繊細な木片で作られた花も凄かった。あちこちに隠れるように置かれていたのでぐるぐる回り、資料室の辞書の箱に入っているわすれな草も探しだし、うろうろと外の銀杏の大木の作品を見に行くなど、とても楽しい展覧会だった。カメラを忘れて写真無し。ブログ友のfran9923さんが素敵な写真多数を紹介なさっているのでどうぞ。どういう訳かリンクが入らない。http://ttyfran2.exblog.jp/23037290/です。

この後上野からめぐりん号にのって谷中にチョコレートケーキを食べに向かった後、改装されたという東武上階のイタリアンへ。娘を呼びだし、その後婿殿も合流し、平日だというのにたっぷり飲んで騒いだのだった。ヨシ、思い出せたぞw。


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