あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2018年08月

ブログの記事は出来るだけ嬉しいことや楽しいことで埋めたいのだがなかなかそうはいかないねえ。

老人病院で熱中症と思われる症状で計5人の方が亡くなった。

テレビのインタビューで院長は患者についてもその症状についても答えられず、今年の異常な高温の中でエアコンが故障した病室に放置し死なせたとして非難を浴びている。

10年前だったら、恐らく私も何というひどいことをする病院だろう、患者をなんだと思っているのだろうと非難し、院長や病院にひどく腹を立てていただろう。

しかし、両親が何回か入退院を繰り返し、知人を老人病院に何度か見舞いに行き、内情を知った今、無邪気に非難することは出来なくなった。

いわゆる老人病院と呼ばれるのは死期を迎えた高齢者を収容している終末期の病院である。一般的な病院とは異なる異様な雰囲気がある。勿論、どこもちゃんと掃除はなされているし、消毒薬の臭いもするが、古い病院が多く、総じて薄暗く、古びていて、かすかに糞尿の臭いも混ざっていることも。

もはや自宅で看取ることは難しいので殆どの人が急性疾患や事故ではない限り、老人病院で最後を迎えることになる。母の施設の隣には同じ系列の老人病院があり、看取りまで行うので安心して下さいと言われて、実にありがたく、またそうするしかないのだが、施設の往復に地震の際には倒壊すると思えるその古びた病院の前を通るたび複雑な気持ちになる。

設備の整った高度な先端病院は一般の老衰の進んだ高齢者には関係のないものとなっている。90歳や100歳の高齢者には事実上、高度な治療はほとんど必要ない。また体がもたない。高度な治療はこの先も生きて社会に貢献できる人のものだ。

寝たきりで意思を表すことも出来ず、ただ死を待っている人にとって点滴などで苦痛を和らげることは不可欠だが、その苦痛を長引かせることは拷問でしかないだろうか。それでも人は生きることを望むだろうか。

自然な死を望んでいた知人が、彼女の意志とは反対に、食事を取らなくなり衰弱すると老人ホームから老人病院に移され、そして親類の手によって可哀想と高度な治療を施す病院に移送され、あと数日で死ぬところだったと胃瘻が作られ、ホームに戻されその後1年間、寝たきりで、声も出せず、意識が混濁したまま、管からの栄養でただ生かされた。思い出す度に胸が痛む。

今回の老人病院の院長は死に慣れすぎていた。感覚が鈍磨していた。尊厳を持って老人一人一人に接していたとはとても思えない。しかし、それを厳しく責めることは私には出来ない。人生100歳時代で、ますます高齢者が増え、つまり死者も当然増える。見ないふりは出来ない。誰かに最期を看取って貰わねばならない。ほどなく亡くなると分かっている人たちを多数看取ることは精神的に実にきつい仕事だと思える。神経を鈍麻させなくてはやっていけないということなのではないか。また意志に反して生かされていた人にとっては死は恵みとも思えるかもしれない。

法令を整備して、ある年齢以上に達した高齢者に安楽死を認めることを、勿論、事前の自身による表明がある場合に限ってだが、そろそろ検討すべき時期がきたように思えるのだが。

娘のところに行こうといつもの通りに駐車場を通り抜けようとしたら、黒と黄色の段だら模様のバーで封鎖の作業をしているところだった。リノベーションのための作業場他の施設を臨時に設置する工事が始まったのだ。

で、しょうがないから迂回しようとして、駐車場を挟んだ反対側に目をやると、なにやら騒ぎが。70台後半から80台くらいの年配の男性が作業員2人の制止を振り切ってバーをまたごうとしていたのだ。

そして、次の瞬間、男性はバーに足を引っかけ、ぐにゃりと腰から曲がったと思ったら、顔からずるずると地面に落ち、両方から作業員に抱きかかえられた。なかなか品の良い、昔はイケメンだったと思われる爺さんで、恥ずかしそうにこそこそとお辞儀をしながら消えていったが、分かるわ、その気持ち。

ついこの間まで何の不自由なくガードレールなども飛び越えていたんでしょ。上がると信じていた足に突然裏切られ、さっそうとまたぐつもりが見物人たちの前でぐにゃりと醜態。

歯医者に行くときにはいつも公園を横切る。公園から道路に降りるのに遠回りせずに、内緒だが、いつも公園の石垣から飛び降りているのだが、ふと心配になった。最後に歯医者に行ったのは、つまり最後に飛び降りたのは今年の3月。以来、顎関節症で大学病院に通っているので地元の歯医者に行っていない。そろそろ歯のクリーニングに行かねばならないのだが、5ヶ月の空白が気になる。飛び降りてはダメかなあ。衝撃で椎間板ヘルニアになったりするだろうか…。たいした高さではないのだが…。心は昔のまま成長してないけどw、体は正直よね。5分早く家を出てノソノソ一歩ずつ歩けば良いだけなんだけど、嫌だなあw。

外に出るのもすっかり億劫になっていたのだが、約束していたので暑い中、首に保冷剤を仕込んだストールを巻いて、よっこらしょとまず上野に出かけた。

何とか日陰を伝って行けるかもと大江戸線の上野御徒町へ。上野駅まで長い地下道がある。上手く日向を避けて歩いたつもりがどこを間違えたかJRパンダ口へ出てしまい、一番避けたかった長くて暑い線路をまたぐ橋を泣きながら(ウソ)渡る羽目に。遅れるというK子を改札で待ちたくなく、東京文化会館へ。椅子に腰掛けて待っていたら、後ろにとっても大柄でたっぷり汗をかいたおじさんが座りぱたぱた扇子で暑苦しい臭いを送ってくる。今日はダメな日かも…と時計を見ると、1年ほど前に電池交換した時計まで止まっている。早すぎるでしょ。本日の運命や如何に。

登場したK子は腰が痛いと到着早々に泣きが入り、植木屋とのトラブル等々、積もった愚痴の消化に余念がない。ま、どこんちもどの体もこの歳になるとトラブルはつきものなのねと、早々と立ち直り、木陰を上手く縫ってトーハクまで到着。気分は上々。単純なのよ、ワタシ。

縄文展は予想通り混んでいたのでさっさと見限り谷口吉生設計の法隆寺宝物館へ。ホテルオークラのカフェテリアが入っているのでまず腹ごしらえと思ったら長い列。1時間強待ったが、その間、宝物館の中をくまなく鑑賞して縄文展の代わりとしたw。ここは余り人は訪れないが、重文と国宝がざくざくある文字通りのお宝館なのだ。しかも土器より美しい(国宝のワタシ好みの土偶を除く。勿論ワタシの偏見)。

K子が頼んだサンドイッチは直前で売り切れたが、二人ともまずまず満足。しかし、お昼に甘いのはねえと敬遠したフレンチトーストを頼んだ隣の外国人夫婦がおさじの裏側までなめているのを目撃。二人で、次回はあれにしようと決定w。


東洋館で主に焼き物をさくっと眺めて銀座へ。博物館で何であれ良い物をしっかり目にしておくと、中途半端な品物への物欲はなくなる。ワタシの節約法、良いでしょw。というのも次に向かうのはK子の希望で銀座の宝石店だったからだ。ぴったりくっついたスタッフの猛攻にもめげずK子もワタシも無事に逃げ切ったw。娘から特に可愛いと思えるのがあれば買っておいてと頼まれていたのだが、安くなってなかったし私自身はすでに宝石にも毛皮にも興味を失っている。第一、スッピンにスニーカーでは宝飾類は似合わない。K子は買う気満々で乗り込んだのだが、やはりどうしてもと思えるものがないと却下。散財せずに店を出ることが出来た。目出度い。

その後歌舞伎座の納涼歌舞伎の夜の部へ。お化けが出るヤツは見たくないのだが、演目も聞かず、行くと答え6月だかに既にチケットはK子が購入済み。で演目も知らず、筋も知らずにくっついていったのだが、なにやら複雑でよく分からない。歌舞伎はこれまで一昔前に3度ほど見ただけ。台詞も良く理解できない。おまけに、誰それは本当はxxで、誰それは実は○○でと、なんじゃその筋はと頭がボケかけている現代人のワタシにはなぞなぞで難しい。K子は隣で船をこぐw。カナダのストラットフォードにシェークスピア劇を見に行き、ジーンという友人に英語を英語に通訳して貰ったwことを思い出した。細かく理解できなくとも面白かったのも両方一緒w。「盟三五大切」という狂言でおかしい台詞回しも随所にあるが、陰惨で血なまぐさく少々辟易する。現代では余りにご都合主義だと没になるだろうなあ。

腰が痛いと言っていたK子だが、元気に良く歩いた。歩かせたわけじゃないですよ。病は気からよね。
ワタシの歩数は堂々の13,356歩だった!

途中でフォントが変わり、見苦しさ満点ですがワタシの好みではなく、何かの弾みで自動的に変更されてしまいどうして修正できないので申し訳ないですが御了承下さい。

生ハム格闘中疲れ果ててます。果ててます。と繰り返したくなるくらいボロボロ。上の娘が3人の悪ガキ、いや元気盛りの孫たちを引き連れて、例年に比べると短めに1週間滞在。

しかし、こちらは毎年ドスン、ドスンと体力が大きく落ちていくのだから年々体力も声も騒ぎも大きくなる孫に対抗するのは生半可な力では無理で、完敗。いなくなったら淋しくなるし、会えるのは嬉しいが声を限りに叫んでも耳日曜なヤツばかりだから徒労感が半端ではない。娘には一緒になって戦う人がいるか、子供っぽいと怒られるけど、原則は曲げてはならない。ダメなものはダメと頑張り、へたばる。頑張った反動で上がった血圧は下がらない。ヨロヨロと座り込んでいる。

万物は流転する。昔の人は良いこと言ったよね。母としての権力はこうして失われていき、婆ちゃんは子供に従うものだというしきたりのような重しがのしかかってくるw。

アマゾンのスティック、買っておいて良かった。娘が夜遊びに出かけたときに威力を発揮。子供番組を見せておけばその間は喧嘩も取り合いも散らかしも乱暴狼藉も影を潜め、じっと見入っている。見たいならさっさと片付けろとかお風呂に入れというと言うことを聞くw。

娘たちが滞在している間に息子の所の赤ん坊を含めた4人の孫と勿論お嫁さんのSちゃんも3回やってきた。赤ん坊は泣き声もかわいらしい、未だふにゃふにゃ期だが、6人はドドドと行ったり来たり。騒音計を買っておけば良かったw。食べる量も半端じゃない。大家族のお母さんってスゴイねえ。ワタシには無理だ。最終日には婿殿が腕白たちを実家につれて行きお泊まり。娘と二人、デパートの骨董市などを満喫。ゆっくりできたのは良かった。末っ子の怪獣が娘から離れたがらなかったが、春と違い今回は無事に分離に成功w。娘と旅行に行けるのもあと一息だ。で娘から婆さんらしくないとお小言。文句言いの娘でも孫より可愛いんだからしょうがない。多分、一人で頑張って育てたからなのだろう。一人親の弊害だね。

普段我が儘一杯に手抜きに生きているからちょうど良い座禅の際の例のカツみたいなものだけど、肩や頭に大量のカツを大きなかけ声と共に浴びた気分。座禅とは異なりすっきりはせず、頭がぼんやりしている…。滞在中に体重が2キロ、体脂肪も2%増えた。体が重いと思った。競争して食べてしまった。こちらも大変w。

写真は上の娘がお土産として運んできた生ハムの足1本と格闘中の下の娘の連れ合い、ノンちゃんマン。数時間かけて削り、翌日になってもまだ指がしびれていたそうな。上の娘のダンナが車を出したので大量の桃、ブドウ、スイカその他、腕白どもと一緒に運んできたので冷蔵庫はパンク。下の娘宅の冷蔵庫まで借りる騒ぎとなった。

IMG_3304先週、板橋花火に行ってきた。これで6年連続皆勤賞。年々華やかに景気よく花火の量質ともに大幅にアップしている。向岸では戸田の花火が同時に進行するので2倍お得だ。人の数も増えていて、ぎっしりの人並みと共にノロノロ会場に向かう間が暑い暑い。交通も渋滞していて、花火のスタート、7時ぎりぎりに席に着けた。

今年は無職の可哀想なお婆ちゃん(ワタシのことよ)に娘夫婦から座席とサンドイッチ、キッシュ、ケーキ、ビールにおやつまで至れり尽くせりのプレゼント。やった(^^)/。出足が遅かったから今年は良い席を買えなかったと娘は嘆いていたが、座席が段の一番上で後ろに人はおらず風が通って涼しかったし、大満足。IMG_3303来年もここが良いなあ。

IMG_3327しかしまあ、目を疑う光景がというか、目が点となり、花火の光を大量に浴び頭がくらくらする出来事が…。前の座席の浴衣の女性が露骨に連れの男性を誘惑する場面を目撃、時代は変わったことを痛感。いくら肉食女子でも浴衣なんだから、腿まで露わに浴衣をはだけることないでしょ。はしたない。露出したいなら、ミニスカートでも短パンでも良いけど、浴衣は止めて。

その日は花火の前に大規模リノベーションの説明会に出席。床を剥ぎ、壁を壊しての大工事になるので憂鬱。今年は各戸立ち入り調査があるのだが、その説明の最中にドタンと大きな音がしたと思ったら高齢男性が椅子から落ちて倒れた。参加者の中からたちまち医師と看護師さんらしいひとが出てきた。頼もしいねえ。熱中症らしいとの診断で救急車も出動。その間、ワタシは首に巻いていた保冷剤を2個進呈。スッピン、ぼさぼさ髪で平気なのだからと自分に言い聞かせ、みっともなくてもこの身が大事と、木綿のストールに保冷剤を包んで外出時には頸動脈を冷やしているのが役に立ったw。そして、立ち入り検査日と旅行日程が重なることが判明した。これまた面倒な。

生きている限りどうやっても面倒も限りなく続いていくよね。

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妹から山椒の実を多数貰った。小さな茎がついたままなので2時間かけてだいぶとったが、指先は痛くなるし、肩はこるし、すっかり嫌になり、残りは後にしようとキッチンカウンターに放置していたら、小バエが全く発生しないことを発見。理由は分からないが発生を防ぐ刺激臭でも発生しているのかも。ということで放置中。乾いて中の種子がでてきたが、これって蒔けば芽が出るかなあ。

こっちの歩みは日ごとのろくなっているのに、月日の歩みは日ごと急速に速くなっていくような…。

なにかしているわけでもないのに毎日忙しい。先ほどお嫁さんが子供4人連れで来るというのを阻止したところ。外は無風で、32、3度にも達している上に雷注意報まで出ている。彼女は若いからへっちゃらなのよね。先日の台風が近づいていてかなりの突風が吹いている夕方も、電話をしたらなにやら賑やかな子供の声が聞こえ児童館にいるなどと恐ろしいことを言う。こちらはその1時間ほども前に買い物に出て道には人がほとんどいず、予想以上の強い風に慌てて帰ってきたというのに、若いってコワイ。何やってるの、急いで帰りなさいとこちらは慌てたのだが、年の差を感じるねえ。身辺に0歳から95歳までよりどりみどりサンプルが揃っているから尚更だ。

先月末には母の施設で夏祭りがあり、今年は下の娘は棄権w、妹が長野からやってきた。昨年に比べ暑いからか家族の参加者が少ない。母と同室の女性の所には年に1度も家族は会いに来ないのが、夫婦と子供3人がやってきた。施設から強く言われたのかも知れないが、初めて彼女の笑い顔が見られた。良かった。母といつもテーブルが一緒になるお婆ちゃんたちの家族は誰も来ていなかった。昨年に続き、家族の分までお弁当が出、その後ボランティアの踊りの師匠さん指導で数種類の盆踊りで盛り上がり、母は鉢巻きをして貰い、両手に鳴り物を持ち、最高の笑顔で楽しかったを連発。小さな手作りの櫓の周りを音頭を取りながら押して回る。知り合いのお婆ちゃんたちの車椅子も押して回る。年に一度のお祭り。施設の人たちは準備に大変だっただろうけど、また来年もやって欲しいナ。

数日前、気温が下がったので小雨の中、母の所に向かったら、目の前でバスは出て行き、仕方なく濡れながらようやく到着したら、全館一斉の消毒とやらで門前払い。かと思ったら、母は丁度入浴中で、脱いだばかりの衣類を入手。部屋には洗濯待ちの衣類があるのだが、誰も入れないので仕方ない。玄関ホールで顔見知りのヘルパーさんに仕上げた洗濯物を託し、顔見知りのおそうじのおばちゃんと話していたら母が登場。お祭りの写真が掲示されていたのでゆっくり示して話すことが出来、これはこれで良かった。耳がだいぶ遠くなっているし、補聴器は捨ててしまうし、耳元で叫ぶしかないのだが、一人暮らしで静かに暮らしているw私の喉の筋肉の弱体化防止に多少とも役立っているような気がする。バスに乗り遅れて歩くのも、叫ぶのも、無駄ってないものだねえw。

映画を1日で2本見てしまった。「モリのいる場所」と「フジコ・ヘミングの時間」という映画だ。ここのところ映画館になかなか足が向かず、株主招待券もつかっていなかったのを暑さで「おこもりさん」となりふやけた足を動かすために出かけていったのだ。券は2枚。期限切れの1日前。2本がちょうど続けて見られるので2本とも。ケチでしょw。で、ケチで良かった。両方ともなかなか良かった。

秋に丸亀の熊谷守一美術館に行く予定を立てていることもあって、最初はモリ…だけを見るつもりだったのだが、結局はフジコ…の方が心に残った。彼女の演奏は癖があり、あまり好きではなく、最近は殆ど聞かなくなっていたのだが、とエラソーにピアノも出来ないくせに図々しく言うのは気が引けるし、癖があると言われるグレン・グールドは好きなのだから何とも困るのだが、好き嫌いは如何ともし難い。まあ片方は若いイケメン時代しか映像に出てこないし、片方は婆様なのだからかもしれないw。

しかしまあ、彼女のバイタリティはスゴイ。私よりだいぶ年上のはずなのに、世界中を飛び回ってこなしている演奏会の数の多いこと。マネージャーを置かず自分ですべてやる上に、家も何軒も持っているというだけでそのスケジュール、管理を一人で行うということだけで、ハハアとひれ伏したくなった。母関連の書類や自分の書類など提出すべき物をぎりぎりまでせず、いや提出しなかったために面倒に巻き込まれている自分をふり返り、恥だねえと反省しつつ、まあいいやとそれでも動かない私。

彼女の演奏は、最初のうちは違和感があった。ピアノによって随分印象が変わった。ショパンの別れの曲と最後の十八番のカンパネラがとても良かったのだが、気がつくと両方ともピアノがベーゼンドルファーだった。音楽好きだが全く詳しくないので知らないメーカーだったのだが、彼女のタッチと相性が良いように感じた。私がこの音色が好きなだけなのかも知れないが。

この映画は彼女の老いの孤独も映し出しているように思えたが、これは自分の老いとつい重ね合わせた自分勝手な妄想なのだろうか。 

その他を書くはずが長くなったのでまた今度ね。

IMG_3224[追記あり]ある人の定義によると、教養とは自分を突き放して批判的にみることができることだそうで、だとすると、私ってとっても教養があるのね、ってことになる。自分の弱みや失敗、間違いをさらけ出すことを恥ずかしいと思ってないから。

その定義に基づくと、単に自分のおかしな振る舞いを素直に受け入れているだけで教養あるということになりそうだ。そんなことで深遠な「教養」というものが降ってくるのであれば、いくらでも自分の馬鹿さ加減を披瀝するが、馬鹿さ加減を売りにする芸人やお馬鹿タレントが教養ある人間かねえ。

馬鹿話はともかく、人間の頭の中身は、身体能力もだが、千差万別なのが面白い。こういう差はどうやって作られるのだろうか。同じ数の染色体を持ち、ざくっとまとめれば、同じような物を食べ、別に木の股から生まれる訳もなく、男女の親から生まれ、生きてるというのに、面白いねえ。

日本で最高峰の大学を出ていてもとんでもない馬鹿も大勢いるし、小、中学生であっても唸るような智慧や能力のある子もいる。一番面白い観察対象は人間かも知れない。

もう人生も終わりに近づいているのだが、各種SNSなるものの出現に間に合ったのは幸運だった。30年ほど昔の銀河通信からネットを見ているが、色々変な人も面白い人も、賢い人も、勿論馬鹿も大勢いて、面白い。自分を馬鹿と認識している馬鹿がいないのも面白い。かくゆう私は馬鹿だと認識しているのだから、これでいいのだw。オチはバカボンパパかあw。

クリスマスでも新年でもないけど、素敵だったから見てみて(広告は飛ばしてネ)↓
https://youtu.be/Ky8DqlkgDrk






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