あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

2021年11月

そして…、いかにも私ならありそうなことだけど、書類一式を探しだしバタバタと揃え、ヤレヤレこれでなんとかなると思ったところで、今頃といった感じでノコノコとカードが出てきた。今まで何してんねん。と言いたくなったがこれがワタシの運命なんだろうw。

母の通帳や印鑑、カードは別に袋に入れ、非常用持ち出しのリュックに入れ、リュックは足台+予備の椅子となる最近購入した大きな箱に入れてあるのだが、リュックを持ち上げたら裏側に張り付いているカードを発見したのだった!多分、通帳に挟んだカードが袋に通帳をしまうときに滑り落ちたものと思えるのだが、どうせ出てくるのなら神妙にとっとと出てくれば良いものを、銀行に通知し、一騒動した今頃になって何ででてくるのだろう。何と人騒がせな。ってワタシがだけど…。

これは悩ましい事態でありましてw、正直に言うべきか、シラッと新たなカードを作って貰うべきか、悩みましたねえww。で、やっぱり嘘はアカン、と結論。シオシオと銀行に出向きしっかり何度か謝りました。あ〜あ。ついでに免許証を求められているのに頭が上ずっているのでw、銀行には出すなという話をネットで読んだばっかりだったのについマイナンバーカードを出してしまい、大量の持参した母との関係を証明する書類を返して貰った時にマイナンバーカードが戻ってきたのでヤレヤレと財布にしまったのであります。

そして、最近では一点集中型になっていたのを忘れて、いや、正確には一つのことしか頭に残らないことを忘れて、帰り際にそのカードで残高を確認して帰って下さいと言われたとき、え、カード?いつ返して頂きましたかしらなどと寝ぼけたことを言って大いに馬鹿にされたのであります。書類と一緒に返されて財布にちゃんとしまってありました。ううう、口惜しいw。

まあ、飛行機から降りてから私のハンドバッグはとか、東京駅の改札口まで来てから私のスーツケースはなどと騒いだ友人よりまだマシだと一瞬思ったけど、彼女は若いときからずっとその調子だけど、私は今頃そうなっているのだから彼女はうっかりで私は認知症のなりかけというかもはや中くらい?なのだろうか。

と言うわけで、行かずばなるまいw。その足でデパートに直行し、古本市に遭遇、美術系の本などを3冊購入、美味しい穴子寿司他も手に入れ、まあ、荷物も地下鉄に忘れたりせず無事に自宅に一人で帰り着いたのだから、エライ、ワタシ、まだ認知症だとしてもまだ大丈夫、と気分が一気に持ち直したのだったw。

それにしても、ATMの所にカードを置いた残像がしっかりと目に焼き付いていたのに、それをしまったことは綺麗さっぱりと記憶から抜け落ちていたのはなぜだろう。ワタシのアタマは記憶をどうやって取捨選択しているのだろう。不思議だねえ。

ただ今銀行からの電話待ちです。
昨日、母の口座から施設用のお金を引き出して私の口座に移した際にキャッシュカードを銀行のATMカウンターに忘れてしまったのだ。

母の口座から移動というのは、施設の諸費用が私の口座から落ちるようになっているため。というのも、母がかなりの頻度で入退院を繰り返したことと、施設のアメニティなどの関係でクレジットカードを使用して落として貰った方が管理がしやすくまた施設側からも頼まれたためで何もワタシのポケットに入れるためではないのだけどw、これで紛失の際にはややこしくさが増したようで、昨夜電話を掛け、停止して貰い、カードが届いているなら届け先となっている支店に電話するよう指示されたのだが、調べてから返事するというのがまだ返事が来ない。

ホント、あ〜あ、だ。
母のカードと通帳、自分のカードと通帳で引き出したり入れたりしているウチに母のカードを横に置いたのまでは覚えているのにそのまま帰ってきてしまった。こういう忘れ物をするって、これは認知症なのか、単なるうっかりなのか、判定は難しいだろうが、やはり、こういう抜け方をするというのは認知症が入っているに違いないと自己認定の判子を押したくなる。

いつまで一人で暮らせるのだろうか。やはりもう一人旅は無理なのだろうか。銀行からはまだ電話が来ない。悶々とする。血圧が急上昇しているようで頭痛もする。今後の面倒な書類のやりとりを思っての頭痛もプラスされているのかも知れないが…。

電話が来た。長電話となったが決着がつかずまた電話があるらしい。のど飴をなめておこうかしら。
昨夜届けたときには電話して現在停止されている銀行カードの解除のために必要な書類を聞いて当該支店に行くようにと言われたが、これほど待たされるほど大変そうには聞こえなかったのだが、母の口座はもう30年ほど前に両親が引っ越してきたときに作った物で、その後何度か引っ越しを繰り返し、現在は施設だ。そういう点も状況を難しくしているようだ。

カードが出てきたら最初の登録住所に送ることになっているという。30年以上にわたって一度も引っ越ししない人たちもそりゃあいるでしょう。でも引っ越しする人も大勢いるんだよ。まったく、銀行という所は…と言いたくなる。権威ではあるのだから区役所に住民登録してあるからそこで確認して貰えれば証明にならないかとも言ってみたが、ダメだと。

どうせたいした金額は入っていないのだから、勧められても最初に判断したとおり引き出し停止にしなければ印鑑で下ろせるし良かったのだが、いつものごとく流され後悔先に立たず。まあ、カードが悪用されることも考えられるから仕方ないのだが。

さてさて、電話は来たがカードは見つからず、さらにややこしい事態が発生した。
長電話のあげく、分かったことはこういう超のつく高齢化社会に現行の規則、法冷があってないということ。本人しか引き出してはいけないと言われても、ねえ、まあ、資産の多い人については分かるが、母のような細々としたぎりぎりの年金しかない人間に対して、後見制度があるから使えと言われてもねえ。それにもう手遅れだ。

しかも認知症で、言葉も出ない、書面など絶対書けないのにどうしろというのだろう。
バッグの中も何度も見たが、ひょこっとどこからかカードが出てこないかなあ…。
ワタシ一人の時間ではなく忙しい銀行業務の合間を縫ってうるさい婆さんのややこしい相手を強いられる銀行員の男性も可哀想だとは思うが、長寿社会で、超高齢者を半分ボケた高齢者が見るというワタシのようなこういう事例って頻発するに違いない、たとえば施設で本人が存在し、その資金が本人の口座から支払われていることを確認すれば由とするとか、もっと柔軟な規則を用意してと、我が身を省みず思うのだ。

10月の初めくらいだったか、体調がある程度戻った時点で母に会いに行ったが、大きな会議室に張られたビニールカーテン越しでますます意思の疎通は難しくなっていた。アッタララのような意味不明の音を必死に出していたが、分からず、相談員さんがいない隙にビニールの間から手を伸ばして母の手を握るのが精一杯だった。

いつも良い香りがしていたお洒落な母が、入れ歯が壊れたがもう作れないと歯科医師に断られたため、入れ歯のない黒くなった歯でシミのついたシャツを着て出てきたのを見るのが辛くて仕方がなく、会いに行かねば、生きていてくれる間にもっと会いに行かねば後悔すると毎日思いながら、体調もだが、施設が行きにくい場所にあることもあって、中々出かけられなかったが晴れが続いた週末にようやく出かけていった。

今回は窓越し面会で、私の顔を見るなり、母は何度も何度もアッタララ、アッタララっと叫んだ。今度は分かった。母は会えて嬉しいとか、会いたかったとか言おうとしていたのだ。コロナの間に、会いに行けない間に言葉をすっかり失ってしまっていたが、全身で嬉しいと言ってくれているのが分かった。

春先に下の娘と一緒に窓越し面会したときには、寒いからもういい、帰りなさいと言われたのだが、もうこの状態では帰れとも言えなくなっているだろうと思ったら、アッタララみたいな音しか出せなかった母が、突然、はっきりと、風が入るから帰りなさいと言ったのだw。それも2回。

感傷の涙もいっぺんに吹き飛んだw。さすが母だ。ずっとぶつかってきた母だw。この調子なら4月には99歳の誕生日も迎えられるだろう。父が果たせなかった100歳まで是非とも生きて欲しいと母の都合も考えずに思ってしまう。何を言われても嬉しいのは、ようやく言葉を覚え始めた幼い子供に憎まれ口を言われても笑ってしまうのと同じなのかも。

帰り道、施設周辺の農家で見事なブロッコリーを1つ購入。別の農家を偵察のため覗いたら、そこには実に見事なカリフラワーが…。これも買ったら重くて家までたどり着けないがと思っていたのに、顔見知りになっている農家のご主人が出てきてしまい、思わず見事ですねえと言ってしまい、袋やるよと言われ、つい買う羽目に。

重い物を持ってはいけないのにどうしてこういうことになってしまうのか…。カートを引いて行こうと思いながら、でも持っていくと沢山買ってしまうからと置いてきたのだが、いずれにしても買ってしまうのよねえ。

そして、近道をしようとして、お約束のように遠回りになり、途中で見つけた喫茶店でブドウのパフェなんぞ食べて休み休み歩くことに。結局、バスもタクシーも通らず、重い重いと嘆きながら1万3000歩も歩いてしまい、久しぶりの酷使で足の裏が腫れるというおまけ付きとなった。

ブロッコリーとカリフラワーは併せて2キロを大きく超えていた。一人では無理と娘にあげると言ったのだがすげなく断られ、土曜日から3食ブロッコリーとカリフラワーを食べている…。

DSC_03063日目 娘と善光寺周辺を巡って、過去3回も修復中などで空振りした念願の東山魁夷美術館と長野県立美術館へ。この二つの美術館は廊下でつながっている。修学旅行生のような子供たちが県立美術館の入り口付近に多数いたので東山魁夷の方に直行。やっぱり彼の作品は良いねえ。しかも無人状態で、ゆっくりしっかりと堪能したのだが、やはり県立美術館が先の方が良かったかも。先に素晴らしい絵画の数々を見てしまった目で県立美術館収蔵の絵を見たら…どうなるか…。

谷口吉生設計だが、以前の建物は外観しか見てないしあくまでも私の好みだが、以前の方がスッキリと美しかったような印象がある。吉生氏らしい建物の前に水面を置く設計だったが、それとも氏の父の谷口吉郎氏と東山魁夷は仲が良かったらしいので最初の建物は吉郎氏設計だったのだろうか。今回の建物には一定の時間が経つと深い霧が周囲を包む仕掛けがあり、子供たちが大喜びしていた。DSC_0328

娘がいくつか良さそうなところに昼食を予約しようとしてくれたが長野はすでにかなりの人出で予約できず、門前町にあるレストランへ。麦ご飯にとろろ+小鉢いくつかというまるっきり精進料理のような昼食を食べたのだったw。まあ非常に相応しいとも言える。このレストランの1階で売っていたどら焼きを1個試しに買ったのだが、出色の美味しさでなぜ、1個しか買わなかったと後悔したのだった。これでかなり頻繁にお喋りがてら寄るwナンタラ賞受賞と看板を掲げている近所のどら焼きの魅力が半減してしまった…。知ってしまった悲しさに…だ。

IMG_0001_BURST00120211101112941_COVER帰りは新幹線で中軽の美術館による予定がJRの30%引きのカードを忘れたため一騒動。ではとネットで高速バスを予約したのは良いがバス乗車時に予約したのが翌日分だと判明、またもや騒動。でもまだ人出が少なく座席が取れて良かった。キャンセル費用とネット購入じゃないため余計な出費はあったが、まあ、結果的には最初の予定通り中軽井沢の美術館に寄ったりせず良かった。寄っていたらまさに年寄りの冷や水。自分の限界も知らずウロウロして途中で行き倒れていた可能性もw。そんな有様なのに途中の休憩所で荻野屋の釜飯を見かけてしまい重さも考えずに思わず購入。ケチ兼大抵の距離なら歩きたいワタシが最寄り駅からタクシーで帰宅。ま、しょうがない。この騒ぎでだいぶ体重が減ったと思ったが釜飯をしっかり平らげ体重計に乗ったら、念願の48キロを超えた48.5キロだったのでヤレヤレ。これまた目出度いw。

帰宅時の感想は、東京は暖かいなあ、マンション良いなあwという婆さんらしいものだった。

長野は大好きな場所なのだが、2年近く前に購入した娘の家へはコロナのせいですぐには見に行けず今回が初めての訪問だったが何とも規格外の家だった。各部屋とも天井が高く、5LDK+サンルームというやたら大きな家だったのだ。ワタシは家の購入では失敗を重ねた経験者なので購入前に見に行きたかったのだが口を出そうとすると怒られるので口を閉じたのだが、こんな巨大な家だったのね。寒冷地の一軒家で天井が高く広い家だと寒いに決まっている。ワタシなら避けるが、娘一家はすっかり順応したらしく、みんな薄着で感心してしまった。人間ってたいしたもんだねえ。

しかしねえ、先にワタシの経験を書いたとおり、高い天井は何かと大変なのよね。多数の凝った形の電球が高い高い2階の天井から1階への階段の上に長い藤の花のようにそれも2本もぶら下がっているという凄さなのだ。いくらとおとがスポーツマンでも、トモが若くても、業者を呼ばねば電球の交換は危なすぎるのにと、家主がどうしてもこの人に売りたいと値引きまでしてくれたから買ったというとうとのお人好し加減に密かにため息をついたのだった。

HORIZON_0002_BURST20211101093603590[追記あり]
娘の旦那様、通称とおとwが東京に車で来る用事があるとのことでウチまで来てくれた。で乗せて貰って長野に。彼は気を使うからあまり話しかけないよう娘に娘に前もってきっちり注意されていた。
失礼なやっちゃ。大体、娘の大学、院を通しての友人で、こちらだって知っていたし、私の食べかけをそれ良いですかと食べたくらいの山男が気を使うって何じゃ。それに3時間強もの間、この私がどうやって静寂に耐えられると思うのか、でも娘は怖いしと心配してたのだが、全くの杞憂だった。次から次へと会話が弾み到着時には喉がすっかりガラガラにw。

でも私が話しかけたのではなく、とおとが主に話し、質問し、それに私が答えて喉がガラガラという事態になったのだ。本当だよ。こんなに長時間二人だけで喋ったことはなかったが話が噛み合い気も合って実に楽しかった。

東京から長野まで長時間運転したというのに、その夜は良い温泉があるとさらに片道1時間以上運転して山の方の温泉まで連れて行ってくれ、温泉で夕食。山男だからだろうが、タフなのよねえ。しかし、細身なのに食べる量には毎回ギョッとさせられる。私がのんびりとピザを囓っていたらそれ良い?と1切れ取られたw。

東京からの車中で娘宅の帰りに寄ろうと思っていた糸魚川市の翡翠博物館に偶然にもとうとが少し前に行ったことが分かり、凄く良かったというので、翌日は、試合のあるトモゾーと友達と遊びたいというKちゃんを置いてとおとと娘、孫娘のRちゃん、私の4人で翡翠博物館へ向かった。新潟県の海岸近く糸魚川流域にあり、長野からは往復で100キロを超えるというのに前回彼は自転車で行ったというからビックリだ。

翡翠博物館はフォッサマグナミュージアムとつながっていたのだが、実はそれは翡翠展示室で、私が行きたかった翡翠博物館は実は翡翠園という近隣の別の施設だったことを今頃発見w。翡翠園の建物は村野藤吾が設計した面白い形の建物でそれを見たいと思っていたのだが、彼が言う翡翠博物館はフォッサマグナミュージアム内の展示室のことで、私もそこが村野藤吾設計の建物内だと思い込んでなぜあの個性的な建物が見えないのかと不思議に思っていたのだからいくら昨今ボンヤリが過ぎるといっても我ながら呆れてしまうw。

HORIZON_0001_BURST20211031102548436_COVERでも怪我の功名でフォッサマグナミュージアムも周辺施設も非常に面白かったし、化石の谷では親子連れがせっせと金槌をふるって化石発掘に励んでいたし、私もいくつか面白い石を拾い、近くの考古館でもかなりの時間を過ごした。次回は間違えずに翡翠園に行こうっと。次の旅の目標ができて良かった。

追記:翡翠と名のつく所が多くてすっかり混乱してしまった。村野藤吾設計の建物は翡翠園、玉翠園、谷村美術館が集まったところにある、多分美術館らしい。この美術館は沢田政廣の仏像彫刻を展示しているようだ。まあ、
行くしかないw。)

山の中からアワビ目指してさらに1時間程度新潟の海岸線をドライブ。この間妹が誘ってくれた旅行に行けず食べ損なった分も食べてやるぞと気合い十分だったのだが、何とアワビはなかった…。アワビとご縁はないのね…。でも豪華な海鮮丼は巨大なエビが2尾も乗っていたし鮮度もさすが日本海、大満足だった。食べ終わってから写真を撮れば良かったと思いついたのだが後の祭り、まあそれどころじゃなかったからねえw。

帰りに黒湯温泉とやらに立ち寄ったが下から黒い泥がモヤモヤと上がってくる。体中黒い泥がつくのかとほんの少し心配したが、真っ黒な湯だがお風呂に入って余計汚れることにはならなかった。目出度いw。

夕飯は娘作のフォンデュー鍋。目の色変えての全員参加の壮絶な戦いにw。昼間沢山食べたのに負けずに参戦。みんなと競争するとお腹に入るねえw。東京では夜は食欲がなく最近はシリアルと果物+チーズ程度なのにやっぱり競争って大事だねw。

これで当分、薬を飲める体重をキープできるか心配しないで良いくらいお腹にお肉がついたのだったw。

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