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五号館のつぶやきさんに褒められてちゃった。少々孤立無援という気分だったので素直に嬉しい。おまけにエントリーをまとめてくださったので、このままコピーします。

さなえさんが臓器移植に対して、続々とエントリーを重ねておられます。ある意味では「頑固」と思えるまでに「こころ」の問題にこだわるさなえさんの立場は、こういう論争においてとても貴重だと思いますし、合理的ではないという理由で切り捨てることこそ間違っていると思います。私とは意見が違う部分もあるのですが、さなえさんに敬意を表してここにエントリーをまとめてリンクさせていただきます。

2006年04月25日 医者はなぜ諦めないのか
2006年04月29日 臓器移植について
2006年05月01日 通りすがりさんへのコメント-臓器移植について
2006年05月02日 さらに臓器移植について

今回は違った角度から、ぶっちゃけ感じの悪い「損得勘定」という方面から書いてみようと思います。

臓器移植すれば助かるかもしれない人の数は死亡者の何%くらいに当たるのだろう。心臓や腎臓、肝臓などに問題を抱えている人は、膨大な人数に上る。私もその1人だし、母もそうだ。全員が移植を受けられないのは明らかだ。どうやって臓器移植の候補を絞るのか。一番分かりやすいのは金だ。

どんなに生きたい、生かしたいと願っても、庶民の大多数が最初から臓器移植を選択肢とは考えず、諦めるだろう。千万円単位の資金を準備できるのはほんの一握りの人たちに過ぎない。寄付を募るというのは良い方法だ。子供については寄付も集まりやすいだろう。若い命がただ消えていくのを見守るのは親にとって辛すぎるし、同情も得やすい。しかも、寄付集めの運動を親が中心となって進めることができる。

しかし、子供以外は?誰が寄付集めを進めてくれる?自分のための寄付集めは楽ではないだろう。病気を抱え、生活があり、周囲には同じように病気の人が大勢いる。移植が珍しい間は大学病院などで手術費用などは支払ってくれることもあるだろうが、年に数百という数になったとき、それは期待できない。

結局、臓器移植というのは、一部の金持ちのために一般庶民が自分の臓器を差し出す一方方向の行為なのではないだろうか。自分の命を差し出すことが究極の崇高な行為であることは分かるし、その人たちを貶めるために言っているのではないことを繰り返しておくが、一方方向であることも厳然たる事実だ。ホームレスが臓器移植を受けられるか?母子家庭の貧しい母が臓器移植を受けられるか?

米国には妹一家が通算20年近く住んでいる。運転免許の更新のたびに臓器を提供するかどうかを記入しなければならないが、「しない」にチェックを入れ、子供たちにも必ず「しない」にチェックするよう確認しているという。

なぜか。毎年数千の臓器移植の実績のある米国において、臓器を提供する意思を明確にしておくと、治療に専念して貰えない恐れがあるのだという。単なる噂かもしれないが米国人の友人が多く交際範囲の広い妹の話なので、かなり一般的に流布している噂だろう。そのように疑っている人が多いのだ。提供したいという人も、自分や、肉親が助かる希望が完全についえるならという大前提があるはずだ。最後まで全力を尽くして貰えない場合があるとすれば?

嫌われついでに本心を言えば、数年の命を、他人様から千万円単位のお金で買い取る余裕があるのであれば、わずか50円(脳髄膜炎のワクチン2本分、栄養食4食分)がないため死んでいく多数の子供たちの命を救って欲しいと思う。それら子供たちを教育する資金に差し出して欲しいと思う。数年の命の代わりに多数の子供たちの命と世界の安定が得られる可能性がある。それこそ崇高な行為ではないだろうか。

臓器移植がままならないのであれば、日本は他の道を探らねばならない。豚の心臓や新素材の血管、再生技術で世界最高を目指して欲しい。罪の意識を感じることのないクリーンな道を進んで欲しい。