2006年05月08日

臓器移植の損得勘定

f983a088.JPG

五号館のつぶやきさんに褒められてちゃった。少々孤立無援という気分だったので素直に嬉しい。おまけにエントリーをまとめてくださったので、このままコピーします。

さなえさんが臓器移植に対して、続々とエントリーを重ねておられます。ある意味では「頑固」と思えるまでに「こころ」の問題にこだわるさなえさんの立場は、こういう論争においてとても貴重だと思いますし、合理的ではないという理由で切り捨てることこそ間違っていると思います。私とは意見が違う部分もあるのですが、さなえさんに敬意を表してここにエントリーをまとめてリンクさせていただきます。

2006年04月25日 医者はなぜ諦めないのか
2006年04月29日 臓器移植について
2006年05月01日 通りすがりさんへのコメント-臓器移植について
2006年05月02日 さらに臓器移植について

今回は違った角度から、ぶっちゃけ感じの悪い「損得勘定」という方面から書いてみようと思います。

臓器移植すれば助かるかもしれない人の数は死亡者の何%くらいに当たるのだろう。心臓や腎臓、肝臓などに問題を抱えている人は、膨大な人数に上る。私もその1人だし、母もそうだ。全員が移植を受けられないのは明らかだ。どうやって臓器移植の候補を絞るのか。一番分かりやすいのは金だ。

どんなに生きたい、生かしたいと願っても、庶民の大多数が最初から臓器移植を選択肢とは考えず、諦めるだろう。千万円単位の資金を準備できるのはほんの一握りの人たちに過ぎない。寄付を募るというのは良い方法だ。子供については寄付も集まりやすいだろう。若い命がただ消えていくのを見守るのは親にとって辛すぎるし、同情も得やすい。しかも、寄付集めの運動を親が中心となって進めることができる。

しかし、子供以外は?誰が寄付集めを進めてくれる?自分のための寄付集めは楽ではないだろう。病気を抱え、生活があり、周囲には同じように病気の人が大勢いる。移植が珍しい間は大学病院などで手術費用などは支払ってくれることもあるだろうが、年に数百という数になったとき、それは期待できない。

結局、臓器移植というのは、一部の金持ちのために一般庶民が自分の臓器を差し出す一方方向の行為なのではないだろうか。自分の命を差し出すことが究極の崇高な行為であることは分かるし、その人たちを貶めるために言っているのではないことを繰り返しておくが、一方方向であることも厳然たる事実だ。ホームレスが臓器移植を受けられるか?母子家庭の貧しい母が臓器移植を受けられるか?

米国には妹一家が通算20年近く住んでいる。運転免許の更新のたびに臓器を提供するかどうかを記入しなければならないが、「しない」にチェックを入れ、子供たちにも必ず「しない」にチェックするよう確認しているという。

なぜか。毎年数千の臓器移植の実績のある米国において、臓器を提供する意思を明確にしておくと、治療に専念して貰えない恐れがあるのだという。単なる噂かもしれないが米国人の友人が多く交際範囲の広い妹の話なので、かなり一般的に流布している噂だろう。そのように疑っている人が多いのだ。提供したいという人も、自分や、肉親が助かる希望が完全についえるならという大前提があるはずだ。最後まで全力を尽くして貰えない場合があるとすれば?

嫌われついでに本心を言えば、数年の命を、他人様から千万円単位のお金で買い取る余裕があるのであれば、わずか50円(脳髄膜炎のワクチン2本分、栄養食4食分)がないため死んでいく多数の子供たちの命を救って欲しいと思う。それら子供たちを教育する資金に差し出して欲しいと思う。数年の命の代わりに多数の子供たちの命と世界の安定が得られる可能性がある。それこそ崇高な行為ではないだろうか。

臓器移植がままならないのであれば、日本は他の道を探らねばならない。豚の心臓や新素材の血管、再生技術で世界最高を目指して欲しい。罪の意識を感じることのないクリーンな道を進んで欲しい。



ganbare_watashi at 09:40│Comments(23)TrackBack(2)医療・健康-臓器移植を含む 

トラックバックURL

この記事へのトラックバック

1. アメリカなどでの臓器移植の暗部  [ 時事を考える ]   2006年05月10日 14:01
さなえさんと動物学者さんが臓器移植の話しをしていたので、ちょっと小耳に挟んだこと
2. 脳死・臓器移植と「正しさ」(1)  [ シンクラブ ]   2006年05月28日 23:16
脳死・臓器移植は、鋭く価値観の対立する問題である。 ある人にとって、それは不自然で気味の悪いことであり、 またある人にとっては、救命に役立つ当然の手段である。 こういう問題を考える上で重要なのは、相手の主張が切実 でありうることを理解することだと思う。 ...

この記事へのコメント

1. Posted by 主婦   2006年05月08日 12:15
はじめまして。駆け出し翻訳者の「主婦」と申します。個性のないネーミングですが、固定ハンドルです。
心情的にはさなえさんの意見に同感の立場です。
ところでちょっと違った立場からですが、少し前に神経免疫学者ポール・ピアソール著の「心臓の暗号」(The Heart's Code)という本を読みました。
早い話が心臓移植後のレシピエントはドナーの性格や記憶を一部受け継ぐという、一応調査に基づいたまじめな話です。
この話を読むと、人間の細胞というのは隅々まで「私」という刻印が刻まれているのだな、と思います。
レシピエントは、他人の一部を受け継いだことで、それと折り合いをつけるまでにいくつかの段階を経なければならないようです。単に免疫反応だけの話ではなく、もっと広い意味でのことですが。
つづきます。
2. Posted by 主婦   2006年05月08日 12:15
この本は臓器移植反対の立場の本ではありません。著者自身も心臓ではありませんが移植を受けています。でも、私はその場面になったとき、この本の話を思い出さずにはいられないでしょう。
自殺した人の心臓をもらった人は、自分はいつか自殺するという気持ちにとらわれたり(ドナーのことを知らされていなくても)するようです。そう考えると例えば犯罪者の人の心臓をもらうのは怖いです。そうなるとある程度の覚悟がいるといいますか。

ともあれ、生身の心臓の移植は、機械の部品(ポンプ)を取り替えるだけの、単純な話ではなさそうです。

きわものの話題提供で足をひっぱってしまったならお詫びします。(^^;
3. Posted by さなえ   2006年05月08日 18:01
主婦さん、ようこそ。翻訳者の方でコメントくださった記念すべき第1号です。神経関係の本は結構読んでいて、似たような話を私も読んだことがあります。脳の機能はまだ完全に解明されたわけではなさそうなので、脳死がヒトの死とイコールなのか、脳死から回復することはないのか、そこいらにかなり懸念と疑念があります。「人間の細胞というのは隅々まで「私」という刻印が刻まれているのだな」同感です。
4. Posted by hal   2006年05月08日 19:10
移植の是非とは話を分けたかったのですが、今日のエントリーにある「助かる希望が完全についえるならという大前提」には賛同します。
この点に関してはまだ専門的な議論が終わっていないようです。若干偏っていないとは言い切れない本ですが(笑)、「脳死・臓器移植の本当の話」小松美彦(PHP新書)を読まれるとますます臓器移植には反対したくなるかもしれません。
5. Posted by 5号館のつぶやき   2006年05月08日 21:52
 トラックバックありがとうございました。私は今回のさなえさんの「活躍」を見て、脳死臨調の時の梅原猛を思い出していました。彼は最後の最後まで「それでも脳死と人の死は違う」と言い続けていました。私も、動物としてのヒトと、人間としての人、そしてもっと身近には、親子としての人とか、恋人としての人とか、いろいろな見方を大切にしたいと思っています。
 いくら法律で「脳死はヒトの死」だと決めたとして、脳機能の停止という診断があったとしても「親の死や恋人の死」が感情的に受け入れられるかどうかは別問題だと思います。法律ができたのにドナーが増えないのは、そうしたことに対する沈黙の反抗なのだと思っています。
 議論は終わっていないのです。
6. Posted by 主婦   2006年05月08日 22:31
さなえさん、レスありがとうございます。脳死への懸念、同感です。
立花隆の「脳死」を読んだことがあります。そして「臨死体験」も。
人間には内的意識とでもいうものがあって、見かけ上はまったく反応しなくても、その間にかけられた言葉などは、本人はわかっているそうですね。(植物状態など)
そして、「ご臨終です」と自分が言われたときの医師の言葉や周囲の状況を後に正確に覚えている人がいたりすることを考えると、人の死というものの定義も一筋縄ではいかないと思います。百歩譲って回復の可能性がないとしても、「どこまで人の内的意識が続くのか」という問題はあると思います。
脳死と判定された時点でも、まだ人の内的意識はあるかもしれませんね。だとしたら「まってくれ、まだ生きている」と思っても周囲に伝えるすべはないわけです。
まだまだわからないことが多いのですよね。(長くなってすみません)
7. Posted by ハニーm      2006年05月08日 22:33
初めまして。こちらにまで伺うべきか躊躇いました。ろれさんが5/2仰る《…法は自由度を大きく保障し、そこで各人が己が信条にしたがってそれぞれ異なる行動ができる社会であってほしい…》に同感致します。自由度はドナーカードの「しない」という表示によっても示されていると考えられますね。5/2さなえさんは妹さん御一家について書かれています。小さなカードは自由度を保障し、自由意志を尊重するシンボルであるかのようです。医師への疑念が払拭しきれない中では、護身符でもあるのですね。反対でなければ賛成だろう(その逆も)とせず、記載不備を無効とする事にも、自由度が認められると思います。葛藤しながら決断できず、予期せぬ最期を迎える方は少なくないはず。もしかしてOKかもしれない。でも「やっぱり望まない」だったかもしれない人間の身体を自由に扱う権利を、他者は持っていないということですね。
 
 
 
8. Posted by ハニーm     2006年05月08日 22:36
 ◆/鮃發弊鎖世如他人ために身を捧げる方は尊敬致します。 
 Dr.blueさんの一節を引用させて頂きます。《…臓器移植法がスタートして、それほど臓器移植が進まないのは、日本では利他主義があまり思想として普及していないからではないかと思う。他人のためになる。そう思うことで満足できるひとが少ないのではないかと思う。だから海外へ移植を受けに行く。Posted: 日 - 4月 30, 2006 at 12:00 午前》 はからずも、ろれさんのご投稿に《…嫌なら胸を張って断ればよろしいのです。》のご意見があります。さて、どういうお考えを見習えば宜しいのでしょう。  
臓器移植を論じようのない病が多くあります。親族が相次ぎ亡くなり、このテーマは当分黙視させて頂くつもりでした。(このお話の延長では、Reコメントをしないと思います。ご理解下さい。)

 さなえさんもお母様も、どうぞ御身大切にお過ごしなさいますよう…。

9. Posted by Blue   2006年05月09日 07:13
 臓器移植意志表示カードがそういう意味で使われるのは意外でした。どうも最近、五号館さんのブローグにはコメントできない(こちらのMacを新しくしたからか?)ので、関連したことをここにコメントしますが、臓器移植法でもって臓器移植が促進すると考えるのは法律万能主義でしょう。法律は合法性を担保しルールを作るだけ。それを活用する側に人の意識が変らなければ臓器移植は促進しないでしょう。医療は本質的に利他主義でしょう。医療サービスは売り買いするものではないと思います。
10. Posted by 井筒@徳島   2006年05月09日 10:06
おはようございます。
わたしは、自分が臓器移植により延命するのはいやだけど、わたしが脳死状態になったときに延命治療されたくない、と言う理由で、臓器移植意思表示カードは、全○にしています。
あ、臓器移植治療そのものについては、消極的反対派です。
11. Posted by tantanmen   2006年05月09日 10:44
移植医療の矛盾を端的に示しているのが,小児の移植です.子供の難病を移植によって救いたい,というのは親や医師の切実な願いです.子供のドナーを今の法律は禁止していますから,仕方がないので外国で手術を受ける.国際的にも批判があるため,条件の緩和を移植医療の関係者は願っているそうです.しかし小児科学会雑誌に「子供の脳死は1割から4割は虐待によるもの」との報告もあります:http://www6.plala.or.jp/brainx/battered_children.htm.ただ,親に対し「だから諦めろ」といえるのかどうか.この問題はとても難しい.再生医療や異種移植ということも含めて,まだまだ難しい問題だと思います.
12. Posted by さなえ   2006年05月09日 13:04
halさん、本を紹介していただきありがとうございます。読んで意思を固くしようと(笑)。

主婦さん、立花隆のその2冊、私も読みました。柳田邦男の「犠牲(サクリファイス)」、エリザベス・キューブラー・ロスの一連の死に関する著作もつながっていますね。人間の不思議さを感じるにつれ、ますます神の領域という言葉を感じるようになりました。人間は傲慢になっているのではないかとも思います。

13. Posted by さなえ   2006年05月09日 13:04
ハニーmさん、ご親族のご不幸、大変でしたね。その中でコメントを戴きありがとうございました。母や私にまで優しいお言葉をありがとうございます。ろれさんへのコメントで書きました通り、またフリーランスで仕事をしていることからも想像できると思いますが、私は気ままな、自由を何より大事にする人間です。が、安全や、命、種といった人間全般や社会全体に関係することは自由の制限もやむを得ないと考えています。私たちが生きるのはホンの短い一瞬の時に過ぎません。ヒトが存続していく上で、長期的な結果もまだ不透明な実験の段階にあるようなことで、種としての特性をねじ曲げるのは危険すぎるような気がします。
14. Posted by さなえ   2006年05月09日 13:14
5号館のつぶやきさん、コメントをありがとうございます。梅原猛という偉大な人を思いだしてくださったなんて、なんて恐れ多いことでしょう。議論はまだ終わっていないのに、先にビジネスとして巨大化していっているのが非常に気にかかります。残念ながら、金のためには人殺しも辞さない人間が大勢います。命が金に換算されることだけとっても私はやはり賛成できないのです。

Blueさん、先にコメントさせていただいたように、命の問題は、その民族固有の死生観や文化の問題だと思います。利他的な素晴らしい人たちも大勢いるとしても、日本という自然と一体化する文化からいっても、美的にも、臓器移植はかなり無理があるのではないでしょうか。body、deceased、両方ともitで受けます。物ですよね。日本では仏様、ご遺体、感覚としてitと考えていないはずです。
15. Posted by さなえ   2006年05月09日 13:20
井筒@徳島さん、そういうカードの使い方もあるのですね。blueさんも真っ青でしょう。

tantanmenさん、非常に難しい問題ですよね。私などあちこち地雷を踏みまくっている気がします。しかし、これまで家族とも、友人とも話したことはなかったのですが、違和感があることについては声を出していこうと思いましたので。最近は何もかも、人の命でさえ、経済効率で測ろうとする傾向があり、これはいかにも嫌な風潮だと思えます。何も日本はアメリカ的な合理主義を追いかける必要はないのです。最近、自信がなくなっていますが、日本は独立国家のはずですから(ですよね)。
16. Posted by おおた葉一郎   2006年05月10日 11:50
さなえさま、こんにちは
実は、私の親しい知人にも、臓器が必要な状態の男(30歳台後半でこども3人)がいます。心臓の手術(これは普通の手術)と肺の移植ということなのですが、日本で最も有名な心臓病院のジャッジメントです。そこは、普通にアメリカの病院を指定して、おカネがあれば話は進むわけです。
たぶん1500〜2000万円だろうと思われますが、医師の立場としては、生きていれば、まだ20年以上は稼ぎ、後で元は取れるのだから、資金繰りさえつけば、移植すべきだろう、と考えるのが当然でしょう。

医療費はコストという面からとらえる場合と、臓器移植のようなフェータルなものは「命の経済的値段」ということと向き合うことが必要になります。
つづく
17. Posted by おおた葉一郎   2006年05月10日 11:52
また、にわとりと卵の関係なのだろうけど、日本で1000万円くらいで手術が可能なら、健康保険で10〜30%負担(が妥当かはよくわかりません。若い人の方を安くするべきかもしれないから。)にすれば、より現実的には多くの人が対象になります。200万円になれば、クルマの買換えを5年から10年に延ばせばいいだけです。むしろ、臓器が足りないから保険扱いにできないのではないでしょうか。

一方、生活習慣病の乱脈生活の果てに、臓器移植を乱発し、健保財政が悪化しても困るので、生活習慣病に起因する場合の保険適用率は50%程度に引下げるべきかもしれませんね。

ワクチンが世界のこども達に行き渡らないのは、「ワクチン代を供与する国があるから」ではないかと思います。ほんとに。それらの国では、「こども」は最重要案件ではないのですね。
18. Posted by シェリー   2006年05月10日 18:13
さなえさん、はじめまして。私も翻訳者、さなえさんよりちょっと年下です、多分。

十数年前、父の切除された大きな肝臓片を前に医師の説明を受けました。薬剤で固定されていたため濁った色でした。母は直接見ていないのですが、その日から肉を食べられなくなりました。万が一、私からの肝移植で父が助かるしても、父はそれを望まないであろうし、私もそれは望まないと、そのときはっきり思いました。父を心から敬愛していましたが。
これは、感情論です。しかし、個人の立場としては、感情論で良いと思っています。
自分が死んだときに、家族に余計な精神的負担をかけたくない。これは柳田氏の「犠牲」を読んで強く思ったことです。父の鼓動が止まってから、父を抱いて泣いた時間がとても大切でした。腎臓移植の現場では、それは望むべくもない。(長くなったので分けます。)
19. Posted by シェリー   2006年05月10日 18:14
本人、家族とも強い意志、使命感を持っている場合にはまた別でしょう。臓器提供は善でも悪でもなく、選択肢であり、尊くもなく卑しくもない。個人レベルではそう思います。

大局的に見てどういう方向に進むのが望ましいか、私にはわかりません。しかし、アメリカのドラマで聞いた「臓器移植は究極のリサイクル」というセリフに吐き気を催したのは確かです。

長くなってすみません。十数年間、誰にも言えなかったことです。
20. Posted by さなえ   2006年05月11日 09:07
おおたさん、お子さんが3人ですか、辛いでしょうね。臓器移植については、臓器移植しか助からないといわれているものが本当にそうなのか検討の余地があるものが結構あるようです。移植後の生存率が肺だと5年で50%を切っています。http://www.medi-net.or.jp/tcnet/DATA/data.html
私がお手伝いした人は移植まで4、5年ほども待ったのですが、移植を決めた時点で手術をしていたらもしかしたら、その4、5年も生きられなかった可能性もあるし、どれほどの差が出たのかちょっと疑問です。
21. Posted by さなえ   2006年05月11日 09:14
シェリーさん、ようこそ。翻訳者の方で読んでくださっている人が主婦さん以外にもいらっしゃったのですね。よろしく。「犠牲」を読んで私も同じことを思いました。私も愛する人との別れにはゆったりとしたみとりと納得の時間が残される者のために必要だと思います。「臓器提供は善でも悪でもなく、選択肢であり、尊くもなく卑しくもない。」そうなんですが、脳死の判定で殺されていると思われるような事例を知るにつれ、また途上国での扱いを聞くにつれ、日本国内だけでも禁止して欲しいと思うようになりました。
22. Posted by 街中の案山子   2013年04月17日 12:39
随分以前の記事へのコメントですが。
さなえさんのブログには、○さんのブログのトラックバック経由というルートなので、いつもここを経由しているのです。で、超時期外れのコメントです。しかも詳しく読んでいないで書く横柄をお許しください。
我が家の場合、日本で脳死移植というシステムが稼働してから間もなく、あの黄色の天使の絵柄のカードが発行された間もなくから、夫は移植OKに記入して所持しています。その時に対応するのは家族(生きていれば私と子供たち)になるのでしょうが、当初は家族としては反対だからね、という気持ちを持ちました。でも、カードを持ち続けている夫なのだという思いで長く過ごしていると、それを選択している夫の意思を大切にすることが、尊いことのように思えてきました。だから、みんなもカードを持つべきだというのではなく、ウン十年も持ち続けて人生を全うしたひとが一人いる(長生きして、臓器が移植不適応になることもありでしょ)、それでいいのでは、と。
23. Posted by さなえ   2013年05月22日 19:29
街中の案山子さん、お返事が遅くなりました。ごめんなさい。1人1人別な意見があって当然です。自分の体を差し出すというのはそれ自体崇高なことですし、覚悟の上ですので素晴らしいことです。

ただ、先日も日経新聞だったと思いますが記事が出ていました。脳死状態になってから8時間程度、人には意識がある場合があるとのこと。まだ人間の脳には未知の領域が残されています。

また、日本で再生医療が盛んなのは移植用の臓器が絶対的に足りず何とかしなければならなかったからだと思います。すでに心筋細胞である程度の心臓の形を作ることに成功しており、他の臓器も時間の問題で作れるようになるでしょう。自分の幸せのために人の死を待つという悲しいことをしなくても臓器が手に入る時代がそのうちやってくるでしょう。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字