裁判員制度を説明したビデオテープを見たことがある。印象としては日本人にはそぐわない制度だと思えた。声の大きな人が一人混じっていたら、みんなその人に引きずられるに決まっている。それが正しくないと内心思っていても正しくないと言うだけの勇気があるひとがどれほどいるだろう。

自分の意見はあなたとは違う、と言える人がどれほどいるだろう。きちんとした議論ができなければ、裁判員制度は機能しない。日本では会議が機能していないのは自明だ。機能していれば、会議で復党反対が大多数を占めたという造反議員の自民党への復党が行われるはずがない。

それに、みんなと違う意見を持つことが怖くないのであれば、いじめ問題などこれほど問題にならないだろう。自分の意見を持っているなら、大勢が一人をやっつけるのは卑怯だと反対する人が出てくるはずだからだ。

だから、裁判員制度など絵に描いた餅だ、第一、他人様の運命を握ることなどまっぴらごめんだと思っていた。藤友之著のニッポン監獄事情(平凡社新書)を読むまでは。

ホリエモンの事件以来、不思議だった。日本は法治国家ではないのか、恣意的に相手を選んで良いのか。自白するまで拘置できるというのはなぜだ。有罪率が99.5%というのはおかしくないか。共犯だと指名されると、それを否定すると、時により正犯よりも罪が重くなるのは変じゃないか。オームの松本智津夫が拘禁性の精神病ではないかといわれているが拘禁性とはなんだ。

これらの疑問がこの本を読んで解けた。日本は先進国だと思っていた。よって、人権意識もひどいと言われていてもそれほどひどいはずがないと思っていた。いや思いたいと思って、臭いものにふたをしていた。見ないふりをしていた。

裁判員制度は必要だ。たとえ、自分の意見は言えなくても、市民の視線が存在することを知らせること、それが必要なのだ。

当然、犯した罪は償わせる。甘やかせといっているのではない。それが法に則って筋道立てたやり方ではなく、フェアじゃないやり方で、拷問にも似たやり方で、恣意的に運用されることには反対だ。

名古屋刑務所で受刑者が看守に拷問のような懲罰で殺されたことが契機となって、100年ぶりに監獄法が改正された。そのため、この本に書かれていることよりも扱いは改善されたと思う。しかし、基本的には刑務所や拘置所の認識や意識はどれほど変わったのだろう。日弁連が受刑者のみなさんへというパンフレットを出しているが、不当な扱いをされていても、実際問題として、救済はほぼ不可能なようだ。暗黒の治安維持法の時代に後戻りしないためにも、何が行われているのか、なぜなのか、興味を持つ必要があるのではないだろうか。