年明け早々起きた兄による妹切断というむごたらしい事件について、先日、両親から手記が発表された。
テレビでさわりの部分を聞き、非常な違和感を覚えたので、全文を読んでみた。手を下したのは兄だが、実際は一家による妹殺しだったように思えてしまった。
娘が兄に殺されたというのに、「何故あの時、亜澄が「ご免なさい」と兄に謝ってくれなかったのか」というコメントはなんなのだろう。木刀で殴られ、血を流している妹の方がなぜ兄にご免なさいと謝らなくてはならないのだろう。殴った方ではなく殴られた方が謝るべきだとなぜ両親は考えるのだろうか。
さらに、殺された娘は、もう二度と自分の人生を生きることも出来ず、自分の可能性も試すことも出来ず、自分では言い訳も出来ないのに、両親が殺した側の兄は褒めて擁護しているのに、妹の方は「残念なことに、妹の亜澄は大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない子供でした」と死んでなおかつ殺されたのは妹が悪いという言い方なのはなぜなのだろう。
もちろん、この兄の刑を軽くしてなるべく早く出所させ、人生をやり直させようと言う深慮遠謀なのかもしれないが、妹の人生はどうするのだ。
結局、この兄は、両親、特に母親と感情的に一体化していたのではないのか?
逮捕されてすぐに弁護士が発表したコメントが妹の母親に対する振る舞いを非難するものだったが、母親は常に大人しく母親の話し相手だったと思えるこの兄を相手に、娘さえいなければといった類の愚痴をこぼしていたのではないだろうね。精神的に幼く、親に依存していた兄がそれを鵜呑みにし、一家の黒い羊である妹に対し、両親の代わりに「天誅」をふるったような気に、兄だけではなく、両親もなっているのでは、ないだろうね。
コメント
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たぶん、弁護士のアドバイスによる深慮遠謀でしょうね。
容疑者の行動の中に感じる「異常性」について、「きわめて凶悪」と重い罪になるか、「心神衰弱状況」として軽い罪になるか、どちらかでしょうね。
ネット社会になると、裁判の内容とか、証拠品や証言とか裁判官の知らないよう事実が続々と世間に公開されてしまい、また、裁判官よりも専門弁護士の方が説得力のあるコメントを発表したり、さらに裁判官の名前はさらされるわけで、「裁判官受難時代」とも言えるのかなあ。
といっても正しいオサバキは法治国家の基本なのだけど。