先日、母がワタシに問いかけた。

私、なんで生きてるの?何もしないでただ生きてるって、何の役にも立たないのに生きているって、死んだ方が良いのに…。

時々頭がしっかりするから恐い。
母の問いはワタシの問いでもある。
ワタシはなぜ生きているのか?仕事もせずに、あっちが痛い、こっちが具合悪い。
母が生きている間はワタシが存在する意味がある。
少なくとも母の役に立っている。ワタシがいなければ困る人がいると、そのことに自分の存在価値があるような気になっている。

まだ五体満足で動けはするが、自分でもいつ突然故障するか分からない、信頼できない体なので何が出来るか考えてもどうにもならない。

子供たちは?孫たちは?いなくても誰も困らない。今後の重荷がなくなるだけでなく、今なら多少の遺産も渡せるから喜ばれるかもと後ろ向きの思考に陥る。ワタシのこれまでの知識や知見など、誰も見向きもしない。何でもネットである程度は検索できるからという。ネットは限定された情報に過ぎないのだが。手伝おうとすれば、いい加減に子離れしろと言われ、愚痴を言う娘にこういう方法はと提案しては、口は要らない、耳だけ寄越せなどとやられてる。

あ〜あ、とため息が出てくるが、これなのか。古い知人が生き甲斐を見つけた、沖縄まで座り込みに行っていると言うのを信じられない思いで聞いたのだが、彼女も、同じく左の運動に取り込まれた別の年上の知人も、子供たちが独立し、親を見送り、ご主人とは半分家庭内別居、生き甲斐をなくした先に自分を必要と言ってくれる人について行ってしまったってことなのか。

うるさいと思われても、嫌われても、分かっていることを告げずに子供たちが失敗するのをじっと眺めるのことができない。意地悪をしている気分になってしまう。

失敗しなければ学ばない、その通りなんだけど、苦労は買ってもしろだと頭では思うけど…。歳をとるって難しいねえ。

さて、お嫁さんが午後から来る。息子が息子なのでワタシを相談相手にしてくれているようだ。嬉しいけど、これって喜んで良いのかなあw。

母には新聞を手配した。チラシは沢山入るかを確認してw。たとえ写真や絵だけでも眺めて刺激を受けて欲しい。自分は新聞を読めるんだというプライドを、馬鹿げているとしても、もってくれたらいいな。