あんなこと、こんなこと。どんなこと?

自分の言葉をしゃべりたくなった翻訳者のきままな独り言:多様だから価値がある。反論、異論大歓迎

カテゴリ: 医療・健康-臓器移植を含む

朝食後、何だか舌が痺れて、ぴりぴりする。
何を食べたかなあ。なんか変なものを食べてしまったのか。
思いだそうとしても思い出せない。

パンが切れてグラノーラを食べたのだが、香辛料の類で変わったのは入っていたっけ。それとも乾燥果物?他はいつもと同じ野菜と果物。うーん。

気にしているうちにお昼の時間となり、昼食後いやいやwお皿を洗い始めたとき、
指先がしびれているのに気づいた。
右手の指数本がビリビリする。

そうか、脳梗塞か。脳梗塞を起こしているのだ。
いよいよ私の番が回ってきたんだ。

娘に電話する。
すぐ来て。脳梗塞を起こしたみたい。

入院騒ぎなら慣れているw。
バッグに入院保証金を詰め込み、検査で長時間待つから本は忘れてはならない。
冷えてくるから上着も必要だ。
そこらをバタバタ走り回りながら、当座必要な物をかき集める。

そこで、はたと考える。
待てよ、脳梗塞を起こした人間がこんなにバタバタ走り回りながら用意したり出来るのか。
おかしい。
水を飲んでみる。唇の右側から水は漏れない。鏡を見る。顔が歪んでいるような、右側が下がっているような気がする。右足で立ってみる。ふーむ。

そこへ娘がやってきた。
私を呼ぶより救急車が先でしょうが。
救急車を先に呼んでから電話しても私の方が先に着くよ。
まあそりゃそうだが、電話しているウチにしゃべれなくなるかも知れないでしょ。住所も言えなくなるし。
助けてと電話したら向こうが調べてきてくれるよ。
鍵もかかっているし、家の中で倒れていたら入れないでしょ。
鍵なんか、さっさと壊して入ってくるよ。
警察じゃあるまいし、それに鍵を壊す道具なんて持ってないよ。
出来るって。

救急車を呼ぼうという娘にもしかした脳梗塞じゃないかも知れないから30分待って。これ以上の異常がでてこなければ違うかも知れない、と私。

娘が熱中症かも知れないと言い出した。
口のしびれや指のしびれも熱中症で出てくるのだという。
エアコンはちゃんと24時間稼働している。
水も気をつけて飲んでる。

しかしなあ、父はエアコンが作動しているのに室内で熱中症になり深夜救急車で搬送という騒ぎを引き起こした。父はきちんと肌掛けを2枚掛けて寝ていたからなあ、って私もカーディガンを着ているw。

そこへ婿殿も到着。
この後ビデオを借りに行くというので、AmazonのTVスティックで色々見られるよと操作などをやって見せているうちに脳梗塞という疑いは消えうせたw。いつの間にか指のしびれも落ちついた。

今回は、予行演習と言うことでお騒がせしましたと、解散したがw、いつ起きてもおかしくない。
心臓だって、いつ止まるかも分からない。

いよいよ真剣に終活に取り組まねばと思うのだが、
どうせ私のことだから、締め切り直前にあれもこれもやってないとぐるぐる騒いでいるうちにあちらの世界に行く羽目になるんだろうなあ。

とりあえずPINコードと各種パスワードを列記したワードのメモに入るパスワードは机の上に貼ったが…悪ガキどもが今日やってくるのだった!すぐ見つかるが見つかりにくい場所ってどこだw。




背中、胸、腕が痛い。なかなか治らない。
そのうち、真夜中頃に痛みで何度か目が覚めるようになった。
起き上がって1時間ほどテレビを見てると痛みは治まり布団に潜り込む。そんなことを繰り返している内に、急に不安になった。

痛みは継続しているものの、軽減しつつあると思えたのだが、なぜ毎晩、深夜から夜明けに痛みがあるのか気になる。胸から肩、腕が痛いが灼熱感もなければ冷や汗も吐き気もない。ただ重くだるく痛い。だから心筋梗塞なわけがないと判断していたが、人により痛みは違う。もしかしたら、もしかして…筋肉痛ではなく心臓ではないのか。

午後から都心の大学病院で顎関節症の予約が入っているのだが、こちらは命には関係ないが、腕の痛みはそうはいかないかもしれない。しかも循環器の担当医の勤務日ではないか。混むので午後の顎の方の診察には間に合わないが、出先からキャンセルしよう。のんびり朝食を食べてる場合ではない。急げ、と慌てて身支度をして飛び出した。

ばたばたと急ぎ足で数分過ぎた頃、エアコンは、電気は、パソコンは消しただろうか、それに鍵は掛けたっけ。どうしても思い出せない。戻るべきか、いや、心臓が問題なら行くべきだと葛藤する。今戻れば病院は無理だ。この辺りでは凶悪事件も盗難事件も起きてない。こそ泥が入ったとしても心臓の方が大事だ。無意識でもちゃんと行動したと自分を信じることにする。

連休明けで混むのを忘れてた。医師もこの際と続けて連休をとるかも知れないと思いつきもしなかった。で、急いでこそ泥や火事の危険も顧みず出てきたというのに頼みの循環器の担当医は休みだった!整形は医師が2人休みで人で溢れていたが、循環器は予約が殆どらしく、予約無しなのに今までで一番早く、心電図、血液検査とすんなり進み、新米らしい代替医師と対面。波形は大丈夫。炎症もない。と面倒臭そうに数分で診断は下り、1週間後に予約が入っていたから、それはキャンセルで、次回は1ヶ月ほど後で良いですねと聞くと、ダメ来週来るように…。整形でレントゲンを受け、そこで、頚椎の骨の間隔が狭まっている。いわば頚椎の椎間板ヘルニア、ぎっくり腰みたいなものですと、薬が出た。ここでもまた来週と言われ、病院行脚が続くことに決定。

すっかり顎関節症の大学病院まで行く気が失せ、娘に止めたとメールすると、行った方が良いよと返事が。もう嫌なのと、病院近くの美容院に寄る。山姥級に乱れた髪を何とかして貰おう、と病院よりも美容院は良い考えに思えたのに美容院は静まりかえっていた。潰れたのか。営業日なのに何の説明の看板も出ていない。ようやく定着していたのに、またしても美容院難民になってしまったようだ。

デパ地下で軽く食事と買い物をして帰ろうと、その日が出店最終日とかの牡蠣料理の店に入ると料理が永遠に思えるほど出てこない。隣席のおばちゃんと世間話をして退屈はしなかったし牡蠣フライは美味しかったが時間はタップリ過ぎ、大学病院にちょうど良い時間になってしまったwので大人しく病院へ。

いつまで経っても口を開けるのが痛い。毎日自宅でリハビリをしているが痛い思いをするばかりで改善しているとも思えない。すっかり嫌気がさしている、ぶつぶつ…。
そこで先生から朗報。あと0.6ミリ開けられると殆どの人が痛みがなくなる。あとたった0.6ミリ、ガンバレ。頭の上の霧が晴れたような気になった。そうかあと0.6ミリか、頑張ろうっと。

湯島聖堂を見物し、デパ地下をうろつき、無事に自宅にたどり着いた。
ありがたいことに鍵はかかっていたし、PCとエアコンはついていたが、電気は消してあった。50点だ。今の私としては上出来だ。何という日だったんだろう。今日の運も50点かな、いや、すべて大丈夫だったから100点だ。よしよしw。

DSC_1883どうもワタシの人生は総じて見れば幸運だと思えるが、埋め合わせるように小さな不運が山ほど襲いかかる運命らしい。さすが内外ともに大波小波嵐の星の下に生まれただけのことはある。

インフルエンザで長々と寝込んだ後、娘夫婦と新宿の住宅設備展示場に行き(当日から改装で閉鎖だと!聞いてないよ〜。で、説明だけ聞き、カタログ数冊を貰ったが対応悪し。日本に税金を払いたくないからシンガポールに本社移転するという社長の態度、もっと悪し、で選択肢から外す)。その後、パークハイアット東京でアフタヌーンティをご馳走になる。子供が大きくなるって、嬉しいわねえ。財布もさぞや喜んでいることだろうw。三角形の屋根の下開放的な空間で目の前は遮るものもない素晴らしい景観だけど、薄いスクリーン越しでも太陽がまぶしいと文句を言っている間に日が落ちて、スクリーンが上がると、そこに富士山が長い裾野と共に姿を現した。自宅からも朝晩見ているのだが、裾野まですべて見えると一層ありがたさが増すw。何と神々しい、美しい、この山は奇跡だ。爆発しないで〜という言葉が頭をよぎるのが悲しい。DSC_1879

アフタヌーンティは大好きで、何年か前までかなり頻繁に行っていたがもう行くこともないと思っていたから虚を突かれた感じだった。で、ここは驚いたことに通常のタワーwの他にフィンガープレートがぐるぐる回ってくる。大量に甘い物を詰め込むので、甘くないものが回ってきて嬉しいとノンちゃんマンはエビの乗ったタルトの小皿を合計5個お腹に入れたw。ワタシは2個だけよw。キュウリのサンドイッチがないとぶーたれたら、帰ってからキュウリを囓りなさいと娘w。確かに。但し、お腹にはキュウリひとかけらの隙間もなかったので、夕食抜き、お茶だけで就寝。

DSC_18642日後にリフォームの計測にやってきた。今更だが、ジタバタして片付ける。疲れる。

肩から背中、左腕全体が異常に痛い。筋肉痛だろうが…。腕がもげそうだと娘に泣き言を言うと、大丈夫、もげてない。ちゃんとついているよ。たまにしか掃除しないからこういう目に遭う。ちゃんと毎日掃除すれば筋肉も付くよとお小言をくらう。

もう、冷静なんだから!え、もげそうなくらい痛いの?大変、可哀想、よしよしと甘やかして貰いたいのよね、ワタシは。なんせ、還暦を過ぎたのだから、赤ん坊なのよw。

タイガーバームまみれになっても、湿布を貼っても治らない。母がズボンに食べこぼしているのを発見、履き替えさせようと四苦八苦しながら、もげそうな左腕の痛みはこれで数日さらに延びるなと思ったのだが、どうしようもない。腕をさすりつつ日にち薬が効くのを待っていると…

長くなったのでその2へ続く、予定

青い空にぽっかりと気持ちよさそうな雲が浮かんでいる。

暖かな日差しが差し込んでいるが、私は騙されないw。

遠景の杉の大木の並木の梢が激しく揺れている。まだダメだ。

母が泣いているんじゃないかと気が気でないが、咳がまだ残っている。やっぱりダメだ。数分の距離ならともかく、カートを引っ張っていける距離じゃない。途中で遭難する…。

昨年、1年間、風邪にもインフルエンザにもかからなかった。強くなったね、ワタシ、などと悦に入っていたのもつかの間、都心の大学病院に行き、殆どの人が数ヶ月で治るのに珍しいなどと言われて、新たに漢方薬を処方され、意気消沈したのがまずかった。

気分を直すのは、買い物、だよねw。娘と待ち合わせてデパートのお歳暮解体セールへ。思いっきり配送料が上昇していた。2回に分けての配送は馬鹿馬鹿しいのでワイン4本は諦めたが、缶ジュース50本他大量に買い込み、デパ地下でもたっぷり買い込み意気揚々と引き上げた。インフルエンザ大流行中で警報が出ているのに、いい気なワタシ…
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そして1日おいて、今度は浴槽などを物色しに大型展示施設へ。3箇所を見学予定が最初の1箇所でカタログ+お土産の石鹸類が重くて1箇所でギブアップ。なのに、お総菜類をデパ地下で購入、欲があれば力が出るw。独り暮らしにこんなに買い込んで食べるのに苦労すると思いつつ帰ってきたら、にわかに発熱の予感が…。娘にもしかして熱を出すかもとメールして寝ていたら、娘二人から交互にメール。下の娘がポカリ他を買い込んでやってきてくれた夕方頃には40度近くに急上昇。ぼーっと寝ていたら、おでこにぴたりと熱さまシートが貼られ、もう少し歳を取ると、コレで心臓麻痺になるかも知れないと娘に警告しなくちゃと思うまもなくひたすら咳と夢うつつの日々へ。娘が毎日買い物して届けてくれ助かった。息子は音沙汰無し…。まあ、うるさいばかりで役に立たないからこれでいいのだがw。

で、早いねえ、10日近くが経ち、それなのに、まだ本格的には回復しとらん。何回となくインフルエンザにもかかっているし、風邪なら数え切れないほどかかっているのに、今までと全く違った。インフルエンザ特有の棍棒で殴られるような関節の突然の痛みはなかった代わりに、もう大丈夫になるはずの熱も下がった頃に、血圧が急降下し、全身を冷や汗が流れ、トイレの中で倒れたくないと思ったら、気がつけば洗面台の前に腹ばいに倒れていて、救急車を呼んでも玄関まで行けない、娘は会社だと奇妙に静かに横たわるという経験もあった。じっとしているうちに復活したが、体が大きく変化しているのだろう。これまでの経験が余り役に立たない段階に入ったのかも知れない。

さて、終活かあ、嫌でも始めなくちゃいけないのだろうなあ。で、リノベーションはどうしよう。あと何年暮らせるかだ。結局、最少限度、手直し程度で良いような気もしてきた。ぼおーっと残りの人生を過ごせればそれで良いような気もする。酔生夢死、生きること自体、結局、すべて夢の中だもの。

なぜだか嵐の星の下で生まれた私、何かと騒動が勃発する。私のせいじゃないと声を大きくして言いたい。しかし、なんで、こうなるのだろう。

PETその他の検査の結果、認知症ではないと判定されたワタシ。医師に、仕事をしても大丈夫かと聞くと大丈夫との答えだったので、株で損していることだし、仕事を再開するしかないかと思い始めた10月半ば過ぎ、引退しようと思うと伝えすっかり連絡が途絶えていたエージェントなどからなぜか仕事の依頼が舞い込んだ。合計4件。何か大きな案件が動き、半分ボケたような婆ちゃんでも良いかと思ったのだろうけど、このタイミングでねえ。

で、2件を受けた。長らく仕事から遠ざかっていたので、しかも色々資料を消した後でカンも言葉も戻るのに時間がかかり、疲れる。そこへ施設から電話。母が車椅子のブレーキを掛けないでトイレで転んで腰を打った!

大丈夫だとのことだったが、その翌々日に様子を見に行ったら、母にコップを渡したらどうやって飲むのか突然分からなくなって全身にミルクを浴びたとミルク浸しの服一式入りのビニール袋を渡された。ブレーキと言っても何がブレーキか分からなくなっているとも。そして、母が掻いて作ったと腰と足首にできた大小の水泡と崩れかけたような湿疹も見せられた。範囲はかなり広く、靴下やリハビリパンツなどの上から掻いてこんなになるのか不審に思ったが看護婦さんの説明だったし、医師も常駐しているので安心していた。

3日後の日曜日、納品が迫っていたが娘と一緒に訪れると母は非常に上機嫌だったが手は熱く、看護婦さんは今日は頭がしっかりしていてさっきからお話ししているのよ。これだけ饒舌だからもしかしたら発熱するかもという。足首などはしっかりと包帯でくるまれていて見えない。湿疹の範囲が広がったという。週末は医師は不在。帯状疱疹かと聞くがヘルペスではないとのこと。

では何なのか、気になって調べると類天疱瘡という自己免疫不全による難病に経過も写真もそっくりではないか。しかも重症の場合は重症の火傷ほど危険だという。

10月20日は、常々、俺は100まで生きるぞと言っていた父の100歳の誕生日だった。最近、毎日のようにおかしな事が起きていた。迷信じみていてイヤなのだが、誕生日お目でとうなどといったのが悪かったのか、おかしな出来事が次々と生じていた。亡くなった直後も、3回忌周辺でも、生じたから、信じたくないが父が犯人のような気がする。仏壇に向かい、まだつれて行くなと叫ぶ。

月曜日、医師が何だか分からないから付属病院に入院させて経過をみると言っているとの電話が来る。恐怖の電話だ。終末期専門の病院に難病治療の出来る高度な技術などあるはずはないし、その積もりもないだろう。母はまだ話が出来る。私が誰かも分かっている。自分で食事も出来るし、トイレも自分で行っている。断じて終末期などではない。寝たきりにされてたまるか。母が以前かかっていた病院を2つ上げどちらかに連れて行きたいと言うがすぐには診て貰えないなどと断られる。

夕方電話があり、入院ではなく、抗生剤を投与して2,3日様子を見るとのこと。難病指定の類天疱瘡だとステロイドでの治療だ。どうしたものか、無理に母を連れ出して病院に入院させればもう施設には戻れないだろう。悶々とする。納品は終えたが、眠れない。真夜中に米国の妹と長電話で協議する。痛みを訴えていない、2,3日様子を見ても良いではないか、付属病院に入院させても連れ出せるだろう、95歳は何があってもおかしくない年齢だという話で一応落ちついたが、今度はどうやって入院後に連れ出せば良いのかと勝手に思案を始める心配性のワタシ。

そして翌朝、やはり専門医に見せた方が良いと折れる電話がかかってきた。しかし、今度は私が候補に上げた大病院が2箇所とも皮膚科が休みとのこと。いくつかの候補も遠すぎるので、かかりつけの病院を提案してみたらそれで良いと決まり、親切にも車での送迎を申し出てくれ、現地で落ちあい、すべてが解決した。

帯状疱疹ではないとの施設の医師の診断だったが、帯状疱疹だった。連れてきてよかった。お尻から足の裏まで湿疹と水疱が連なっていた。高齢で痛みを感じていないのが何よりだった。神様の贈り物だね。診断と処置の後、採血、点滴と長丁場になったが、奇跡のように下の娘の診察日時と重なり、2人でお喋りしながら待つことが出来た。

今回も、途中ドタバタ、終わり良ければとなった。娘に言わせるとワタシが勝手にドタバタ騒ぐからだそうだが、騒がなければ今頃は終末期の病院のベッドの上でどうなっていたことやら。騒がねばならないときには騒がなくちゃね。それにしても疲れた〜。


検査三昧wの日々も昨日で終わった。

予約が朝9時だったので、満員電車にぎゅう詰めとなり、向かった病院。待つこと約40分、結果を聞くこと約10分で放免。

認知症でもなく、レビー小体型認知症でもなく、パーキンソン病でもなく、ホルモン異常も、その他諸々の疑いもなく、脳波も正常、要するに健康体だとのお墨付きが出た。

じゃあ、なぜ手が震える?立派な心臓の血管などと言われたのに不整脈が多く狭心症の発作を起こし、小さな脳梗塞が多数あるのはなぜだ!物忘れのひどさは?言葉がすぐに出てこないのは?なぜなのよ〜。

で、医師に喜んで良いのか悲しんで良いのか分からないと言ったら、そりゃ喜ぶべきでしょうと言われたけど、振り出しに戻った気分だ。

アルツハイマーその他を想定して、口座その他の引き出し人を登録しておこうと考えていたが、必要はないようだ。しかし、まだ大丈夫だと思える間に金銭面の仕舞い支度をしておかねば本人以外は引き出すことも移動させることも不可能なので騒動になる。ああ面倒だ、ああ忙しい。

まあ、国庫に無駄に負担を掛けたのは心苦しいし、語弊はあるが、幾つもの検査は面白かった。1時間ほどの認知検査で図形の記憶力が落ちていることが判明。これが忘れ物が増えた原因だろうか。PET検査では放射性同位元素を試験管1本くらいの量を注射した後、頭に集まる!までの3時間があいたので、急いで上野のトーハクまで往復して「マルセル・デュシャンと日本美術展」へ。おまけのような日本美術が展示数は少ないがこれまであまり公開していなかったような(本館でも見たことなかったが私が見てないだけだろうけど)お宝揃いだった。12月9日まで。

別の日には帰りに出光美術館の「仙崖礼賛」展へ。2016年秋にも、大仙崖展があったので殆ど同じかといぶかりながらだったが重なる作品は多くなかった。仙崖はおかしくて、面白くて、哀しい。お気に入りだ。10月28日まで。帝国ホテルの若い時分からの大好物、ブルーベリーパイを娘夫婦の分も買って帰ったら、ノンちゃんマンが出張中。ありがたく、2個食べるw。体重計には当分乗らない。

昨日は帰りに映画にすっ飛んでいったが始まっていて、しかも次の回もほぼ満員と聞き、あえなく撤退。デパ地下を2つ周りw、安物で購買意欲を満たし、腕の筋肉を鍛えつつ帰宅した。

心配しているかと思った娘は元気だからどうせまた独りで騒いでいるだけだと思ってただと。失礼なヤツだw。こういう人間は、大丈夫と皆が思っている間に騒がず静かに消えるのよ覚悟してなさい、と言っておこうw。


2日前から喉が痛くて声が出なくなり、そうでなくともゴロゴロしているのが、一層、ゴロゴロゴロゴロになっているのだが…

これがねえ、なぜこの時期で扁桃腺炎だとか、咳だとか、鼻水に悩まされねばならないかとつらつら考えると、行きたくないのに、来いと強引に言われている集まりがあるから…。

老練な病気の達人である私は、嫌だと思うと熱が出る。いくつやねんと、自分にむち打ってもしょうがない。勝手に病気になりよる。

昔、縁のあった翻訳会社の元社長が久しぶりで集まりたいと電話をくれたのだが、ちょっと尊敬できそうもないお金のためには裏切りだって何だってするのね系の人たちや、おいこっちに来い、俺の隣に座れなどと、あり得ない発言をする薄汚い勘違い男とか、二度と会いたくない人たちが何人か混じっているのではっきりとお断りしたら、いい年をして子供っぽい、来なさいと言われ、そのうえ、予約を取ったから来るようにとメールが到着。で、嫌だ嫌だ、どうやって断ろうと悶々としていたら、ちゃんとw具合が悪くなり、熱が上がってきたのだ。

よっしゃw。

って、自分を痛めつけて、目標達成って言うのもなんだか納得いかないけど、ずる休みの小学生の気分なの今、ワタシw。

心臓CTの結果を聞きに行った。

じゃーん、開口一番、立派な血管ですと言われた。
動脈硬化なし。詰まったところなし。要するに問題なし。で、治療の必要なし。

めでたい。しかしですよ、では、なぜ、こんなに不整脈が頻発するのか、心房細動もおきているのか。
心臓神経症なのかと聞いてみた。

心電図に出るので神経症ではない。要するに原因不明らしい…。脳には小さな梗塞が多数出来ていて、多分、今回の勢いよく注入された薬剤でも毛細血管が切れて頭の中に新たな出血部位が出現したのではと思うのだが、まあ、脳梗塞の仲間には入らない虚血性脳梗塞だというのだが追求しても何も出てこないので、大人しく引き下がる。

ここ数年、足に赤い痣状に毛細血管が切れて広がる症状が出たり消えたりしていて皮膚科では、動脈硬化が進んでいるためだと言われているのだが、あるのか、ないのか、どっちやねん。

個人的には、採血でも必ずといって良いほど血液が漏れるので、血管、特に毛細血管が弱いせいだと思っている。訴えるがどうにもならん。病気続きだったし、骨も細い。総じて元気で娘にはイノシシみたいに飛んで歩くと言われるけど、アマゾネスみたいに骨太でドシドシと歩く力強い女になりたかったなあ…。

次は脳外科か、脳神経内科か…。人間は一続きだ、臓器1個1個切り離されて動いている訳ではないのに、全く不自由なことだ。

待合室で妄想に浸っていると、突然、強烈な匂いが襲ってきた。
発生源は、小柄な70台後半くらいの品の良いおばあちゃんだった。カートを押して一人で病院までやってきて、ちゃんと受け付けで自分の順番を確認しているのだが、少し、痴呆が入っているように思える。

サマーセーターもパンツも悪い品ではないのにホームレスさながらの強い刺激臭がする。横目で観察して発見した。腕がまだらになっている。垢と思われる茶色の筋が腕一面に入っているのだ。一人暮らしなのだろう。自分では気づかないのだろう。私は、入浴が大変だと思ったら、変な意地や自尊心は捨て、頑張らずにさっさと区のサービスを受けようと思う。

薬局に回ったら、今度はカートを前に置いたおじいちゃんが大声で怒鳴っている。破れた袋2袋を見せながら、1つは空なのに1つは一杯入っている。どうしてくれる。今日は飲んでないから困る。すぐ出せと繰り返し主張。薬剤師がついて事情を聞こうとしたり、理由を説明しようとしても同じ話を大声で繰り返し、話は聞かない。

事情が分かってきた。こちらも恐らく一人暮らしで片方の薬のみ2錠飲み続けたのだ。ようやく医師と連絡が付いたらしい薬剤師が日付を付けて2錠で1つの小袋にまとめて出しますが、それで良いですか?今日飲んでない分を今飲みますかと何度も聞くが、聞く耳はない。とうとう薬剤師が切り口上で、ではそういうことで日付を付けてまとめて出しますと話を打ち切った。お疲れ様。

通常なら、会計前に処方箋を出すので終わって出てくればもう薬を受けとるだけになっているのに30分以上も待つことになった。薬局の待合室は薬を待つ人で一杯になった。

明日は我が身。自分はちゃんとしているなどと過剰に思ってはならないのだ。90歳で運転して人をはねた女性も自分は大丈夫だと思っていただろう。しかし、白内障を患っていたようだし、痴呆との診断はないとしても思い込みでの運転をしてしまうほどには判断力が低下していたのも事実だ。ある程度の年齢に達したら、くわばらくわばら、次の瞬間には頭が白くなり即座の判断が出来なくなることがあるのだと肝に命じておくしかないのだろうなあ。

山あり谷あり、楽しいことも美味しいことも、嬉しいこともありの大変な1週間だった。

このブログでは、ワタシ、もう十二分に成熟したのでw、楽しいこと、嬉しいことを主に収集しようと思っていたのだが、そうはいかないことも多い。楽しいことは後日御紹介するとして、先に、現在も困り中のやれやれについて。

火曜日に心臓CTを受けた。CTは数え切れないくらい撮影している。多分、多数撮影しているからか、2、3回前から1個とか2個のレベルなのだし、かゆいだけなのだが、発疹がでるようになっていたので、申告。月曜日からアレルギー対策の薬を1日3回、3日分を服用するように指示され、加えて、検査の3時間前にも別の薬服用するよう処方された。真面目に飲んだ。

CTの機械が新しくなっていた。それに付随して巨大な腕くらいある注射筒が2本セットされていた。今までは通常形態の点滴を受けつつだったが、一層、物々しい。それに医者でなくては触ってはいけないという薬剤も途中で投入。おまけに心拍数を抑えるという薬剤も2回投入。心臓を止めなければ良いわと言う私のジョークを誰も笑ってくれなかったけど、ジョークではすまなかったかも。

機械で自動的に頭の上に上げた腕に注入されるのだがドンという衝撃で驚いた。それが10cc注入された印だった。その後、心臓での血液の循環を調べるとのことで急速に大量を注入するという。ヒエ〜。だが今更逃げる訳にはいかない。入りますの声と共に一段と強い衝撃と1,2秒も経たずに全身に注射液が巡るのが熱さで分かった。血液って、随分速い速度で巡るのねえ。

無事に終わり、ばっちり撮影できましたの声を聞き、針が抜かれた頃から背中に痒みが。あ、出てきました。と言っているそばから、2個、3個…。なんと、抗アレルギー薬を2種類も服用したのにもかかわらず、全身に発疹という事態に。

昼抜きで、午後2時からだったのに、その後別室で点滴を受け、途中で食事をする気にもなれず家にたどり着いたのが夜の7時過ぎ。ああお腹空いた。何気なく手を見ると、おかしい。じっと見ると、薄い皮膚を通して、手の甲に多数の血が散ったような赤い斑点がみえ、新たな血液の筋が動くのも見えた。娘は毛細血管が増えて良かったじゃないと言ったが、それだけではなかった。

翌日、鏡を見てぎょっとした。頬に一面のそばかすが見事に散らばっている。誓って、ここにはなかったのに。

昔、息子を出産時に長引き、目の中も頬も毛細血管が切れたことを思い出した。若かったから元に戻ったけど、きっとこのそばかすはこのままここに永住するんだろうなあ。

そして、問題はそばかすだけではなかった。その後、朝食と薬を服用後、ほどなくして舌や口蓋、上唇がピリピリしびれ、腫れるようになり不整脈も…。その夜は妹たちや娘が美味しそうに飲んでいるお酒も指をくわえてパス。一人、悲しく大量のお水を飲んだのだった。

現在、降圧剤以外は服用をやめ、怪しい食材は、絶って原因究明に励んでいる。恐らく可哀想な肝臓が目一杯になったのだと素人判断し、昨日もぴりぴりと腫れがで、不整脈もひどかったので、肝臓様のため、余計なものは飲まない、食べない、服用しないぞと、今日は、ヨーグルトに加えていたジンに漬けたレーズンも、ハムもソーセージもパス。清く正しい、枯れたお婆ちゃんらしい食事をしたのだった。


P1000542せっせとリハビリに励んだおかげであまり不自由をしないで口が開くようになった。朝食も元通りに、サラダ菜やハムなどをぎゅう詰めにした定番イングリッシュマフィンのサンドイッチも食べられるようになった。

しかし、痛みは相変わらずだ。左の顎の起点というか、こめかみの辺りに痛みが常駐している。頭痛も去らない。心なしか右の顎まで痛くなった。というわけで、病院へ行くことにした。

といっても一筋縄ではいかない。3月に受診した際に、担当医師から3月一杯で辞めて故郷に戻ると宣告されていたからだ。創業者の祖父、続けて伯父だか父親だかが亡くなって会社を継ぐ決心をしたのだという。日本最高峰の一角を担う病院の医師なのにねえ、しかも中年、畑違い、それなのに後を継ぐ者がいないから辞める、ああもったいない。何より私の顎はどうなるの。

私の顎はそのうち何とかなるだろうからまあどうでも良いけど、今後、彼は大変だろうなあ。各地で後継者問題が深刻化していることは知っていたが、優秀な医師まで引っ張らられ、私に影響が及ぶとは。気に入っていたんだけどなあ…。

で、前回時点では担当医への患者の割り振りが終わってないので、予約が取れなかった。システムが硬直している。さすが国立。で、悪いけどまた受付から手続きをしてと言われたので、よく分からないが、診察カードはあるので、朝、窓口へ。窓口では顎関節症の受け付けで担当医を決めて貰い予約を取ってくるよう言われ、まあ、これまで空いていたから予約がなくてもすぐ見て貰えると思ったら、もちろん、そうは問屋が卸さない。満員。ちゃらい、遊んでいるな系の医師が次の予約のことを聞いてきた。いっぺんで気に入ったw。で、彼がいいやと思ったのだが、次に、ちょいと苦手なクール系がやってきて、あれあれと思うまもなく私の担当に。こういう人は馬鹿話に乗らないから詰まらないのよね。そして電車を乗り継いでやってきたのに、診て貰えず門前払いで、では2週間後にとあいなった。

で、今朝、これまで毎日、頭痛や歯の痛みと共に目が覚めていたのだが、あまり痛くない。医者に行くと症状が治まる癖が歯医者にまで波及したのかしら…。それとも銀座などを徘徊して大量に無駄な食品を買い込んだことが良かったのかしらw。


2時近くに目が覚め、眠れない。
ホットミルクを飲んだが眠れない。
顎関節炎症のおかげで頭が痛い。
いつになったらこの痛みは消えるのだろう。
足の痛みも健在。健在っておかしいけど、しっかり残っているのを表す適切な言葉を思い出せない。

母はついに私が分からなくなった。
少しずつ認知症が進んでいると思っていたし、当然だし、覚悟していたはずだったが、辛いねえ。
少し前に、もったいないから新聞は止めて良いよと言い出していたのは読んでも分からなくなっていたのだろうか。

看護婦さんが壁に掛かった大きなカレンダーを指して問うた。今、何月?
母は5日と答えた。その横のMayという字を指すと、メイと読み、5月のことだと答えた。
脳は不思議だ。3月かと思ったと言い、5月と書いてあるのに意味が分からないのに英語は読めるなんて。

少し前から私が行くとさなえのおかげで生きていけるありがとうと、毎回拝むのでもしやお迎えが近いのではと密かに恐れていたのだが、2週間ほど前から昔の我が儘な母に逆戻りし、私のスカーフを欲しがるので色違いのスカーフを持って行ったら、地味だから嫌い、持って帰れと言い、赤色の入った服はこんな派手なのは恥ずかしくて着れないと言い、展覧会で買ってきて壁に貼っておいた猫の絵を私は犬が好きなの、剥がしてと言い、挙げ句の果てに毎日一緒に寝ていると言っていたプレゼントした猫のぬいぐるみを、嫌いだからあげると孫に渡そうとし、やれやれ元の母に戻った。しゃんとしていると、たった1週間前、5月4日に思ったところだったのに。

私を見ると満面の笑顔だったのに、消えた。
次にはきっと思い出すよとお掃除のおばさんは慰めてくれたけど。こうやって母との別れが少しずつ始まるのだろうか。

何度入院したか、数え切れないほどだ。

お産だけでも3回w、流産しかけてプラス1回。最初の大きな病気は就活の最中、某ラジオ局にほぼ決まり働きたい部署はどこかとか今度役員に面接ねとかいう話になった直後に4ヶ月間入院。ドタバタの急病だったので両親も某局に連絡もせず、当然、ノーショーw、そのまま話は流れたはずで、担当者は怒っただろうなあ。腸捻転のような症状がでたのは離婚を考えていた頃。手術のための予備麻酔をしたまま病院の連絡の手違いで廊下に放置され、医師の方針が変わり、多分、手術室が一杯だったんだろうけど、大量の点滴と胃洗浄の末、無事w、手術をせずに済んだときは10日間くらいかな。そうそう親知らずを入院して抜いたことも。リングが子宮壁を突き破り1泊。腹膜炎で1ヶ月。子宮体がんで3ヶ月。半年後水腎症になりステントを抜くため1週間。

その後はめでたく25年間入院はしないですんでいる。

最後の3ヶ月+1週間が一番きつかった。娘たちはまだ中学生と、高校生。息子は海外。一番お金がかかる頃であり、仕事が丁度波に乗りかけで大事なときだった。シングルマザーが死ぬ訳にはいかない。

ベッドの上で仕事をし、少々稼いだw。
稼ぐ以外にやったことは、楽しいことだけを考えること、見ること、聞くこと。なるべく沢山笑うこと。小さな声で歌うこと。テレビも本も徹底して悲しい物は排除した。ベッドの頭の上にはコンサートのチラシを貼り、退院したらやりたいことを考えた。

手術までは毎晩、眠るときには、槍を持った仮想のいわばバイ菌マンを想像し、自分の体の隅々まで意識を順繰りに動かして、そのヒーローバイ菌マンがガン細胞を見つけ出しやっつけるところを何度も何度も想像した。

もちろん、素人の私は、免疫に頑張って貰おうと目論んだのだが、手術の後、医師がおかしいなあ、検査時より小さくなってたと言ったから多少は効き目があったのかも。

あれから20年以上経った。子供たちはみんなおじさん、おばさんと呼ばれる歳になり、孫は7人できた。諦めないで、ベッドの上で泣かないで笑ったのが良かったのかな。どんな天才でも死を避けることはできないが、最後までしっかり頑張ることが子供に残せる最後の教育だと思っている。奇跡が起こるかも知れないのだし…。

また寒波が来ると言うし、しょうがないので嫌々ながら大学病院に行ってきた。

予約の電話口ですったもんだしたのだが、顎関節症というのはかなり多いと聞いていたのに大学病院までやってくる人は少ないらしく、紹介状を持参して病院の窓口に直接行けば良いことが判明。肩すかし…。でも少なそうで一安心。

この病院の敷居の高さが功を奏しているようだ。紹介状無しだと8000円だというがお金を払えば見て貰えるかというとそうでもないらしく、それでも私の前に窓口に並んでいた女性は断られて、長々粘っていたがダメだった。私の直前の人はじれて隣の窓口に行き、前が進まないと訴えたが、元に戻るように言われふてくされてたw。

しかし、最初の難関、診察券を受けとるまでが4、50分と長かったがそれからが早かった。個室ではなく、大きな部屋にずらりと間を開けて歯科の椅子とファイル棚などで仕切ったスペースが多数。医師も多数。懇切丁寧な診察と各種レントゲンで2時間あまり。

頭蓋骨の精巧な模型や図表その他を駆使して顎の動く仕組みや筋肉等、ワタシの顎や筋肉に触りながらの講義。両方の首筋、肩、その他、ワタシの筋肉はたいして家事もせずゴロゴロしているというのに、医師も驚くほどバリバリに凝っているらしい。スゴイですねを連発された。しかし、まあ、何度も手術を受けたし、病気の問屋なのだが、こんなに丁寧に説明して貰ったのは初めてで、知りたがり屋としてはとっても充実して面白かった。開かない口を無理矢理どこまで開けられるかなどと力任せにやられるので痛かったけど。

で、おかしかったのは顎関節症を発症してやってくる翻訳者の多さ。先生に、え、多いなあ、偶然かなと思っていたのに、またですか。5人目ですよと言われたこと。ストレス、奥歯の食いしばりなどが限界を超えると発症するらしいが、絶えず締め切りに追いかけられ、集中して仕事をするのでどうしても奥歯を食いしばることになるようだ。やれやれ、職業病は腱鞘炎や目の痛み、肩こりだけではなかったらしい。辞めてもうそろそろ半年だけど、長年の疲れはなかなか抜けないのね。

手術は効果が期待できないのでリハビリでなんとかしなければならないらしい。先生ががーっと口を開けさせるのと自分でやるのとどちらが良いかというので、そりゃあまあ自分でやる方がマシだ。ということで壁に手順が書かれた紙を貼って1日4セット×4回のトレーニングに励んでいる。しかしなあ、自分でやると他人がやるより我慢して強くやってしまうのでやりすぎないことと言われたが、自慢じゃないが我慢強くない、真面目でもない。自分に甘いワタクシなのだ。痛いのよね。強すぎないことと言われたことを良いことに、こんなものでいいよねと、3回目ぐらいでため息。続くかなあ…。

しかし、口のリハビリ中ではあってもお喋りには影響はない。お気の毒様w。

180227顎関節症という腹の立つ新たな病を抱え込んでから5ヶ月。

治ってない。

治らないどころか…重症化。

食事の度に耳元で大きなガクガクという音がして実に神経に障っていた。痛みは徐々に減り、殆ど感じなくなっていたのだが、食事の楽しみが半減していた。クリスマス、お正月という口福の時期をガクガクという音と共にやり過ごし、上の娘からの巨大イセエビもとっても美味しかったがガクガクがなければきっとその2倍は美味しかったに違いないと、美味しいねえを連発する婿殿を恨めしげに眺めたのだったが。

2週間ほど前、鶏の手羽元をお酒と醤油半々に漬け込んで焼いた物を囓っていた。カクカクもがくがくも何のその、エイヤーと囓っていたら、発生源の左顎にかなりの痛みが走った。痛くても食事を中断するようなさなえサマではない。

と、ガクガクが止んでる。あのうるさいガクガクがない。顎は痛いけど、喜びましたよ。ぬか喜びと知らず…。

一晩寝たら元の木阿弥。

で、堅い物を囓って顎が元に戻ったのだからもう一度硬い物を囓れば少々痛い思いはするが元に戻るはず。そう思うでしょ?

で、実行した。

その結果、痛い思いをしたが、再びガクガクが消えた。万歳。

ところが、どこをどうすればこうなるのか、音は消えたが、今度は口が少ししか開かなくなった。痛みは継続。現在は軽減したが大きく開けようとすると激痛が走るし、第一精一杯開けても指1本半の隙間しかない。

バナナもミニトマトも半分に切らないと口に入らない。
土曜日に娘夫婦と出かけて美味しい、自腹では食べない天ぷらをご馳走になった。こらこら。蕗の薹を少しずつ回しながら囓ってこれ1個に1分かかる有様。ワカサギははなから無理と分かっているから(好きじゃないから悔しさは半分だったけど)婿殿に。彼は皿に2匹並べ泳いでるみたいだと喜んでいたけどw。

その昼間は娘が私の大好物のたっぷりと分厚いホットサンドをこれ美味しいよとかぶりつくのを見ながらハンバーグを「分解」して食べた。

口が開けば痛みもなければさぞ美味しかっただろうなあ…。

食物が取れなくなったら動物は死ぬしかない。まだ箸が入る隙間があるから、文明社会だから生きていられるけど、生物的にはもう覚悟をすべき段階なのだろう。

普段、口を閉じておくべき時にも開きっぱなしだからじゃないの、と思ったあなた。次はあなたかもよw。

今日、歯医者に予約が入っている。寒いが頑張って行き、痛い思いをしながら口を、どうやってあけるのかなあ…。

[写真]もう少しで生後1ヶ月。太陽にも世間の風にも当たっていないので羨ましい白いもち肌。泣くときは真っ赤な顔で大口開けて遠慮会釈もなく大声で泣くのだが、寝ているとお地蔵様みたいだ。おちょぼ口に見えるが大きく開けられるって羨ましい。

しつこく子宮頸がんワクチンの接種の話です。
男性がこのワクチンを接種するのも有効らしいです。続々と男性による接種の報告がツイッターに上がっています。都議会議員の音喜多氏による報告もご覧下さい。腰を痛める前に書きかけていた私の話↓がワクチンに対する評価を改める上で一助となれば嬉しいです。尚、思春期前の接種が効果的とされていて、12歳から16歳の女子については現在も公費で接種が行われているようです。

       *        *        *

夜中に強い北風が吹いたらしい。桜並木はすっかり葉を落とし、もう落ちることはないと思っていた銀杏の実が歩道一面に散らばっていた。ついこの間、長い冬が終わり今年も桜を見ることができたと思ったばかりだったのに早くも冬。私の入院を聞いて退職して赴任先のドイツから帰国したと耳にした元亭も、手術に娘たちと一緒に付き添ってくれた元姑も世紀の変わり目に相次いで亡くなったというのに、私はまだ生きている。

3ヶ月近い入院を終えて5月半ばに退院したとき、イチョウの若葉の瑞々しさに生きていると実感したことを思い出した。私は45歳だった。息子はカナダに留学中、上の娘は高校3年生、下の娘は高校1年生の春だった。

あまりに個人的な話なので具体的に話すのはよそうと思っていたが、誰かの役に立つかも知れないと思い直した。私の場合はウィルスで感染しワクチンが開発されている子宮頸がんではなく、子宮体がんだった。

子宮体がんは、出産したことのない、あるいは生涯独身の年配女性がかかると今はどうだかわからないが、以前は医学事典にもそう記載されていた。30代の初めから海外で、そして帰国してからもほぼ毎年子宮癌検診を受けていたが医師から子宮癌の検診は毎年やる必要はないと言われた翌年、ベテランの医師が見つけ出した。すでにステージIIに入っていた。子宮癌は進行が遅いが、医師の予断によりそれまで何年も貧血などに悩まされていたのに、発見されなかったのだ。

近所の50代の仲間と海外時代からの30代後半の友人が、二人とも子供2人の母親だったのだが、相次いで亡くなった。二人とも手遅れだった。

私は幸運にもベテラン医師のおかげで助かったが、3ヶ月近い入院と、退院数ヶ月後の1週間の入院は高校受験と大学受験の娘たちに大きな影響を与えたし、息子は大学を止めて帰国、2年ほど自転車の整理などというアルバイトに従事することとなり、子供たちの進路に大きな影響を与えてしまったし、私のキャリアも丁度確立され、非常に忙しく働いていたときだったのだが、結局1年近く休むことになり、すべてがやり直しとなった。

子宮体がんはウイルスによるものではないのでワクチンはない。癌にかかれば、まあどんな病気でもそうだが、実に大変だ。

それがワクチンで防げるのというのだから若い人には是非受けて欲しい。自分の命は自分だけのものではない。大事にしなければならないのだ。

なお、これまで非常に安定していたライブドアのシステムだが、今春からサービスが段々に縮小され、ここに来て、表示に難がでるようになってきた。フォントの大きさなどが勝手に動くのだ。書くのもおかしな具合になっていて、非常に時間がかかるようになっている。引っ越し先を一応設定したのだがどうも気に入らなくてもう少し時間がかかりそうだ。そのうち引っ越ししますので読みにくくて申し訳ないけどしばし、お許しを。

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