数年ほど前にヒットした「ドラゴン桜」という漫画をご存知でしょうか。
経営破綻寸前の超底辺高校の生徒2人が様々理由から東京大学を目指す、というストーリーで、TVドラマ化や小説化なども成し遂げた受験漫画の代表的作品です。
特に「底辺高校の生徒が1年で東大に合格」というストーリーのインパクトは強く、「受験のシンデレラ」や「ビリギャル」など多くの後続作品を生み出したり、作中で紹介された受験テクニックを元にした参考書が出版されたりと、社会的にも多くの影響を与えました。
さて、そんな「ドラゴン桜」ですが、この作品を読んだことのある方はみな同じ疑問を持ったと思います。
「この漫画に書いてあること、本当なの?」と
教育業を生業とする者としてお答えします。
「ドラゴン桜」に書かれていることは、嘘です。
【ドラゴン桜に出てくる生徒は超底辺高校の生徒ではない】
「ドラゴン桜」に書かれている最大の嘘は、主人公の2人が底辺高校の生徒などではない、ということです。
僕の見る限り、主人公らの学力偏差値は同年代全員を偏差値で表した場合50~55程度はあるでしょう。例えばこのシーンを見てください。
これは2人が勉強をはじめて1日目のシーンです。
平方根は中3の学習内容ですから、少なくとも主人公ら2人は中3の簡単な計算問題を途中式などなしで暗算できる、ということになります。これは底辺高校の生徒には絶対に不可能な行為です。
このシーンもそうですね。同じく英語の学習を始めて1日目に主人公らが書いた英作文です。
正しくアルファベットが書ける、簡単な英単語が書ける、簡単な英作文が書ける、これら全て底辺高校の生徒には不可能なことです。
所々にミスはありますが例えば
I isn`t see dreem.
などは
主語(S) 述語(V) 目的語(O)の並び順を知らないと書けないミスです。
だいたい中3で学力偏差値が60程度の生徒であれば提出するような英作文だな、といったところですね。日本全体の教育レベルを考えると明らかに平均より上のレベルです。
以前
という記事でも書きましたが、今や日本の教育現場では
3割が小学校までに
5割が中学校までに
7割が高校までに学習カリキュラムについていけなくなる
こう言われています。この「カリキュラムについていけなくなった子供たち」の学力はついていけなくなった時点で止まりますから、高3生の3割は小学生レベルのことが理解できていない、というのが現状です。
つまり中3でやるカリキュラムをこなせるレベルがある主人公たちの学力は、明らかに平均より上、ということになります。「超底辺」なんてあり得ません。明らかに彼らの学力は平均以上です。
【偏差値は嘘をつく】
「自分はこの程度の英作文や計算は余裕だったけど、高校の時の偏差値は50以下だった」
という反論もあるかもしれませんね。しかし本当なんです。「偏差値」って簡単に嘘をつくんです。
まず理解して欲しいのは「偏差値」というのは「ある集団内で自分がどの位置にいるか」を図る数字だ、ということです。ですから例えば予備校主催の模試などでは偏差値は低く出る傾向がありますよね。
先ほど僕は「ドラゴン桜」の主人公たちの偏差値を50~55、と推定しました。
注意して欲しいのは「同年代全員を偏差値で表した場合」という前提の元の話だということです。
基本的に学力下位の子供たちは模試を受けません。よって、基本的に模試というのは「学力上位層」内だけの競争になります。その競争の中で「偏差値50」と言われても、それはあなたが同学年の中で平均的な学力にある、ということではないのです。
そうではなく、「模試を受けるような学力上位層の中で平均的位置にある」ということなのです。
なので、基本的に偏差値というのは学力を表すのに向いていないのです。小3レベルの学力の生徒と高3レベルの学力の生徒を比べるとき「偏差値」で比べても何の意味もありませんよね。本当は「習熟度」…つまりどのレベルの段階の学習を理解し終えてるか、という物差しで測らなければならないのです。しかし、未だ日本では「偏差値」を唯一の物差しとして使う風潮が強く、このような混乱を生んでいるわけです。
【本当の底辺高校の子供たち】
では、本当の「底辺」層とはどんな子供たちなのでしょう。「問題児専門」の講師として塾などで教えていた経験からお話します。
まず、基本的に「学校の勉強」つまり数学や英語や理科や社会の知識は「ゼロ」だと考えて下さい。そのほとんどが小学校低学年レベルで止まっています。足し算・引き算・かけ算・割り算などの四則演算ができない子供も珍しくありません。
それどころか、いわゆる「常識」が欠落している子が大量にいます。
例えば僕の生徒には
「植物が育つには水が必要」
という知識を知らない子供がいました。高校生の話です。「干ばつによって凶作が起きた」という内容の文章(小4の問題)が全く理解できていない様子だったので、「どこから理解できていないのか?」を詳しく調べた結果、上の知識が欠落していることが判明しました。
驚かれる方も多いと思いますが、特に知能に問題を抱えているわけではありません。現に僕が担当した後はみるみる成績が伸び、1年半ほどで高校レベルの単元についていけるようになりました。単に「知らなかった」「知ろうとしなかった」だけなのです。
他にも「税金」や「法律」などの基礎的な社会科の知識が欠落している子供もいましたし、四文字熟語はおろか簡単な熟語(たとえば「音読」や「用心」など)が読めない、意味がわからないという子供もいました。
また「ペンを持って字を書く」という行為をほとんど全くしたことがない子が多いので、指の筋肉が弱く、字を書いたり計算をしたりするとすぐ指が疲れてしまう子がほとんどでした。
「ドラゴン桜」では「1日16時間勉強合宿」というのを1日目に行うのですが、本当の「底辺」の子供たちにはとても無理でしょう。集中力・やる気以前に、まず筋力的に不可能だからです。
これが今の日本の教育現場の事実です。こういった子供は特別な「例外」ではなく今や普通に存在します。
【本当の「底辺」は可視化されていない】
上で紹介したような子供の話を友人に話すと、大抵信じてもらえません。「ありえない」「そんな人見たこと無い」「常識的におかしい」などという反応が返ってきます。
誓って言いますが、上の事例は全くの誇張のない事実です。自分が実際に塾や家庭教師先で見た子供たちの例をお話しています。
では、なぜこういった子供たちの問題が可視化されていないのでしょう。
恐らく、それは今の日本の「学力の二極化」とそれに伴う「階層化」に原因があります。
現在日本では急速に学力の二極化、つまり「出来る子」と「出来ない子」の格差が開いていく現象が進行しています。すると何が起こるか。「出来る子」は「出来る子」だけで、「出来ない子」は「出来ない子」だけで集団を組むことが多くなるのです。つまり学力によって子供世代から既に「階層化」が始まってしまうわけです。
特に中学受験などで早い時期から私立校に通うと、この傾向には拍車がかかります。例えば「中高一貫校から有名大学」のようなコースを辿った方は、恐らく社会に出るまで、いや社会に出た後も上であげたような低学力層の人間と触れ合うことはないでしょう。まさに階層が出現しているわけです。
この階層化は、マスメディアにも見ることができます。特に新聞・テレビなどはどこも超名門大学出身者に占められていますから、基本的に低学力層の情報はあまりメディアで発信されません。例えばメディアに出てくる「先生」は基本的に灘や開成などの超進学校の教師や、大手有名予備校の名物講師などの高学力層のみのターゲットを絞って教育を施している方がほとんどです。
「ドラゴン桜」の底辺高校描写は、まさにこの「学力の二極化」と「階層化」による無知が産んだものだと思います。東大に入るための受験テクニックは豊富に知っているが底辺校の現実は知らない、だからこんなチグハグな物語を作ってしまう。
「底辺から1年で東大に!」というキャッチは確かに魅力的でしょう。
受験期にある生徒にも、生徒のご両親にも耳に心地よく聞こえるはずです。
しかし、教育の現実は違います。本当の底辺レベルにいる子供たちが、東大レベルにまで進むためには、どんなに少なく見積もっても2年、できれば3年程度の時間は必要です。
偽りの希望は結局のところ絶望しか生みません。「ドラゴン桜」式の勉強方法を本当に底辺レベルの子供が真似しても、決して上手く行きません。それどころか勉強が嫌になり、自分に自信をなくし、完全に「学習」というもの全てから遠ざかってしまうと思います。「売れるから」「キャッチーだから」という理由で、多くの子供たちの将来に悪影響を及ぼしかねない本を売りさばく行為には、はっきり言って嫌悪感を覚えます。
本当に「底辺」の位置にいる子供たちに必要なのは、「1年で東大!」式の見せかけの希望ではなく、学びというものが持つ力や意義を教えることや、我々の世界が持つ不思議や魅力を知る行為がどんなに楽しいものかということ、どんな人間にも学び学習する力は備わっているんだということを、ひとつひとつ地道に教えていくこと。そして基礎的な学力をゆっくり着実に備えさせて行くことだと思います。
「1年で東大!」「東大に入れば人生が全てうまく行く!」「東大に入れなければ最悪の人生になる!」的なドラゴン桜のメッセージは、決して子供たちの好奇心や向学心を刺激しません。これが刺激するのは欲望と恐怖だけです。