在日外国人などに対するヘイトスピーチでネットの一部で知られていた「ヨーゲン」氏についての記事が話題を呼んでいる。

ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける 中年ネトウヨ「ヨーゲン」(57歳)の哀しすぎる正体【前編】 

記事の内容は「ヨーゲン」氏にネット上で度重なる中傷を受けていた在日外国人女性のグループが、ジャーナリスト安田浩一氏の助けを借り、ヨーゲン氏のリアルでの「正体」を突き止めていくという内容だ。

記事内で紹介されているヨーゲン氏の発言のあまりの下劣さ・見苦しさや、被害者の方たちの苦しい状況、僅かな手がかりからヨーゲン氏の正体を突き止めていく課程など、確かに大変見どころの多い記事で、自分も初見時は大いに興奮して読み進めた。

しかし、である

読み終えたとき、何か違和感が残った。それは【後編】を読むことでさらに強まった。

確かにヨーゲン氏は下劣かつ幼稚な差別主義者である。それは間違いない。ヘイトスピーチは何らかの方法で規制されるべきものだし、被害者の方たちが苦しい状況に置かれ続けているのも間違っている。

しかし

しかし、僕にはやはり安田氏の記事を「ヘイトスピーチに対する毅然とした反抗」と捉えることはできなかった。氏の記事からは、大義名分の元で行われる私的リンチ、「正義の暴走」という匂いを感じてしまった。

本稿では安田氏の記事と、ヘイトスピーチをめぐる状況について、少し自分なりの意見を書いてみたい。


【ご近所の評判、過去の失敗、全てを暴く安田氏の筆】

安田氏の取材力はすごい。

取材力=対象のことを詳しく把握する能力、と定義するなら安田氏の取材力は一流と呼んで差し支えないだろう。

記事内で、安田氏はヨーゲン氏の過去を次々と明らかにしていく。

学歴、ご近所の評判、同級生からの評判、商売の失敗、借金歴、逮捕歴、自宅の外観、家族構成、風貌…etcetc

もちろんそれら全てがネガティブな内容だ

彼がいかに近所の人間から疎まれていたか、彼がいかに同級生から嫌われていたか、彼がいかに商売で失敗したか、彼がいかに貧しい生活を送っているか、彼がいかに醜い容姿をしているか。そういった事柄を安田氏は次々と調べ、暴露していく。


僕は思う。これはヘイトスピーチと呼ばれるものではないのだろうか。


確かにヨーゲン氏はヘイトスピーカーだ。それも相当下劣な、「邪悪な」と呼んでいい部類のヘイトスピーカーだと思う。

しかし、そんな彼を断罪するために、自らも「取材」という名のヘイトスピーチを行うなら、それはヨーゲン氏と同じレベルに落ちてしまうことを意味しないだろうか。

もちろんヨーゲン氏の発言が基本的に事実に基づかない中傷なのに対し、安田氏の記事が事実に基づく「取材」であるという違いはある。

しかし、この記事からは明らかに安田氏の「憎悪」を感じる。「ヨーゲンの惨めな暮らしを世の中に暴いてやろう」というような、意図を感じるのである。


基本的に「取材」とは、知り得なかった事実を知るために行うものだ。しかし、この記事からは「ヨーゲンは惨めな人間だった」ということ以外、何の事実も得られない。ヘイトスピーチや在特会や差別感情を引き起こす社会構造に対する、何ら新規の事実も見いだせない。

安田氏の記事からわかるのは、ただただヨーゲン氏がいかに惨めで、嫌われていて、愚かで、悲惨な人生を送っているかという事だけである。

そんな記事に、ヘイトスピーチを防ぐための何らかの力があるのだろうか。


確かに「いざとなったらお前たちの個人情報をばら撒くぞ!」という、一種の脅しにはなるかもしれない。しかし、そんな脅しは相手側の報復を生み、憎しみの連鎖が重なっていくだけだろう。「ネトウヨ」はその名の通りネットから発生したムーブメントだ。ネットを駆使して個人情報をバラ撒く、という手段はヘイトスピーカーの側も十分利用できるのである。

また、「特定」を挟むことによって、今まではギリギリネットの中の対立で済んでいたものが、リアルでの肉体的な衝突を含むものにもなりかねない。物理的に近い距離にヘイトスピーカーとその対立者が位置すれば、物理的暴力事件に発展するのは自明にも思える。現に安田氏の訪問後、ヨーゲン氏は大量の武器類を買い込んでいた。本件が血なまぐさい暴力事件に発展する可能性は現にあったのだ。

氏の行動は、「ヘイトスピーチ」を防ぐどころか、対立の炎に油を注ぐ意味しかなかった。

僕にはそう思える。


【悪を憎んで悪を為すなら、あとには何も残らない】

結局僕の言いたいのは

「悪を弾劾するために悪に走ってはならない」

ということだ。

如何に下劣なヘイトスピーカーと言えども、それを断ずるためにヘイトスピーチを使ってはならない。それは憎しみの連鎖しか産まない。他に、もっと違う手段があったはずなのだ。


確かに、記事には刑事告訴を考えたものの

>>ネット上の匿名アカウントに対し、警察は動こうとはしなかった。

とある。なるほど、「スマイリーキクチ事件」などに見るように、ネットの中傷事件に対し、警察の腰は極めて重い。

しかし、結局「スマイリーキクチ事件」が中傷犯の一斉検挙という形で終わったように、合法的な方法でヨーゲンたちを追い詰める道も確かにあったはずなのだ。

安田氏は、極めて早い段階でその道を断念した。

もちろん、警察の事実認識の甘さや腰の重さやなど、厳しい事情はあったとは思う。しかし、やはり法に訴えることではなくペンによる私刑を選んだのだ。


人種や性別や国籍などを一方的に汚い言葉で中傷される、そんな悔しい、無念な気持ちを抱えた人たちを助けたいという安田氏の気持ちはよくわかる。

しかし、だからといって「自らも加害者になる」という道を取るのは、メディア人として、言論人として、ジャーナリストとして、最善の道だったのだろうか。僕には疑問だ。

憎悪の連鎖は、上に書いたように、より強烈で、危険な対立しか生み出さない。

本件はヘイトスピーカーたち攻撃性を、さらに強める結果にしかならないだろう。


【差別と戦うために何をするべきか】

安田氏は記事の最後で

>>差別を野放しにしている社会を変えるために何ができるか、私はいま、それを考えている。

と書いた。

確かに「差別を許さない社会」の構築は急務だ。今の日本社会は「差別を野放しにしている」と言われても反論できない状況にある。特にネット空間ではそれが顕著だ。


しかし、「差別を許さない社会」と「差別者を私的なリンチにかける社会」は違う。

全く、完全に、違う。

差別は合法的な方法で解消されなければならない。私的な自力救済を試みることは何の解決にもならない。それはより強い憎悪同士の全面的な対立しか引き起こさないだろう。

安田氏の行為に、僕は賛同できない。


【追記】

本稿に対し頂いたご意見・反論には、次の記事

ネットの誹謗中傷といかに戦うか ─ 過去の事例とその対策

でまとめて反応させて頂きました。興味ある方はご一読頂けると幸いです。