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全日本も、ボチボチ開幕となります。
ほとんどの地方選は既に開幕となり、ガレージスピードからも筑波、もてぎと、ダニが参戦致しました。


ダニは一週間後の筑波に参戦予定で、国際ライダーとして華々しく全日本にデビュー致します。
結果はどうあれ全力で挑むしかなく、ここでもかなりの勉強をするはずです。

...

俺が全日本にデビューしたのは、86年。
型遅れの85RSでの参戦でした。
当時は景気の良いバブル時代だったのも有り、マシン以外はキジマさんのKISSレーシングからのサポートでの参戦となりました。

レースを始める時点での目標は高く、ノービスライダー(現在の国内)としてデビューしたのは85年の筑波サーキット。

マシンは新車の85TZ250でした。
レースは知り合いに誘われてやる羽目になったので、当初はF3 に興味があり250は考えていませんでした。
しかしF3はショップ間のお金の掛け方も半端なく、完全プライベーターの俺には無理だとチームの先輩に言われ、マシン差の少ない純レーサーの250になったと言う訳です。


当時はホンダのテストライダーをしており、自分の会社はオートテクニック栃木(現 オートテクニックジャパン)
85年に市販レーサーのRS250がホンダから発売され、ではそれを買うしかないなぁ・・・と考えていたら、先輩にTZ250を買えと言われて、アドバイス通り143万円でTZ250を購入。

先輩曰く、初年度のレーサーは信頼度が今一だから・・・と言うアドバイスの元でした。

ホンダ系の人間なのに、ホンダを買えないなんて・・・(^_^;)


85年は、純レーサーには変革の年でした。
84年にはHRCが5台のワークスマシンを全日本に走らせ、見事小林さんがチャンピオンを獲得し、翌年の85年にホンダ初の2サイクル水冷ツインの市販レーサーを発売。
クランクの角度によりV型と言われてたけど、見た目はL型エンジン。
吸気もクランクリードバルブとなり、その後の2サイクルの基本となった形式となりました。
フロントホイルは、17インチと18インチが選べ、それに伴いステムのオフセットも変更出来ました。


ちなみに84年のワークスマシンは、フロントは全て16インチで、かなり扱いにくかったのは否めなかったみたいです・・・(p_-)

俺の買ったTZ250も、ケースリードバルブエンジンになった年です。
それまでこのクラスを引っ張ってきたヤマハの意地とでも言いましょうか、それはそれは芸術的なエンジンでした。
機能美と美しさを兼ね備え、前年の84TZ250よりも10馬力以上のパワーUPを果たし、ホンダとヤマハのガチンコ勝負となり、HY戦争を象徴する様な年でもありました。


当時の250は、車重は101キロとか102キロ。
そこに70馬力の2サイクルとくれば誰でも扱える代物ではなく、こぞって皆250を買ったけど、F3クラスよりは参加台数は少ないものの、バブル宜しく夢を追いかける輩ばかりの時代なので、GP250クラスも予選さえ通らずレースを辞めた人も多かった。


しかしそこは・・・俺・・・(-。-)y-゜゜゜(当時はタバコは吸ってません)
85年のデビュー戦の4月の筑波で、3位でお立ち台に立っていた。
勘違いもここまでくれば本物と認めるしかなく、先輩達もひれ伏した・・・。
と言うのは大袈裟だけど、そこからお前ならやれるかもと認めてもらえる一瞬でした・・・(^_^)


19歳まで林道暴走族で、限定解除した瞬間に何故か刀の1100を新車で手に入れ、栃木県の日塩と霧降通いが始まりました。
刀の重さと111馬力のパワーに圧倒されつつ、雨でも峠に通いました。


刀の為に言っときますが、それでも当時はリッターバイクの最軽量。
しかしオフ車の倍の車重なので、オフからの俺にはかなりの負担でした。
オフなら100%ドリフトでコーナーを抜けられるのに、何で刀はドリフトしないのかとか、それは多分車重のせいか・・・(p_-)


まぁ、そんな感じでTZにも乗っていたので、車重は軽いしパワーは有るしで、ドリフトコントロールはお手のもの。
デビュー戦の後半ではタイヤが滑り出し、余裕でコントロールしながら予選17位からスルスルと3位の表彰台へ・・・(p_-)

でも、サインボードは見る余裕もなく、実は順位は知らなかった・・・(^_^;)
ピットに帰るとお祭り騒ぎで、何が起きたのかと・・・(゜o゜)

途中から1速に落ちなくなり、2速半クラでヘアピンを立ち上がる始末で、後に知ったのがそれが当時のTZの持病。
シフトシャフトのバネがなまくらで、消耗が激しかったのが原因でした。


タイヤが滑り出したのは、新車に着いてきたスリックタイヤをそのままレースまで使ったから・・・。
レース前に新品に交換するなんて・・・知らねえし・・・(;一_一)


タイヤって、数千キロは持つのでは?・・・(p_-)


てな感じで人生初のレースは終了。
85年は菅生でのチャンピオンにもなり、優勝も2回ほど。

翌年の全日本デビュー前にはMFJの手違いでジュニアライセンスが送られてきたので、筑波に出てみた。
雪の中3位だったけど、MFJの手違いだったので、次戦の全日本菅生からは国際クラスのGP250クラスへ参戦し、ワークスに次いで7位でした。

今考えると凄い・・・(p_-)
85改のRSなのに、86のワークスマシン達と互角に戦った・・・(゜o゜)
ちなみにまだホンダからのサポートも一切無しで、マシンは全て自分でメンテしていました。

と・・・。

話は長くなったけど、ダニにもこんな全日本デビューを迎えてもらいたい・・・(^_^)

おじいちゃんには・・・無理かなぁ・・・(^_^;)


写真は2003年の8耐です。
懐かしいので、使ってみました・・・(^_^)

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