2012年01月27日

船箪笥 懸硯と半櫃

懸硯と半櫃大

バケツに張った氷が指で押してもびくともしません。

1/24日未明に降った雪で混乱した東京地方ですが、その雪がまだちらほら残っています木更津です。つい先日ここで新年のご挨拶と共に「平年並みの寒さを楽しみましょう」等と宣ったのに連日の寒さ。例年はここぞという寒さの時にハクキンカイロを取り出すのですが、この寒さに毎日使っています。おかげで数年前に買った燃料にしているジッポライターのオイルが空になりました。

しかし便利な時代になったもので、そのオイルが100円ショップで売ってるのを覚えておりまして買ってまいりました。現在煙草は吸わないんですが、嘗て求めた愛用のライターを墓参りに同伴させてお香の友としていますし、仕事柄喫煙具類とは縁があって ガスやオイルは必須在庫なんです。しかし安かろう悪かろうは現代の病巣か、カイロに入れて使ったら匂いが臭くて頭が痛くなってしまいました。イレギュラーな使い方ながらZIPPOはそんなことないんですが。素直にベンジンを買い直しました。

ナショナル・サンヨー・トヨタ・ホンダetc・・・昔はメーカーこそが信頼の証し。駄菓子屋や雑貨屋なんて所は頭に「駄」だの「雑」だの申し開きしているんですから良心的で、普通にお店屋さんで売ってる物にはそう間違いがありませんでした。しかし今や国内市場に海外資本や労働力が参入し価格競争が激化。「百均」の商品が、100円で売って利益が出るよう拵えてるのを始めとして、どの企業もまず売価を決めてから商品を作ります。ビルのコンクリートにゴミを混ぜたり、肉まんに段ボールを入れて嵩増ししたりと「なにがなんでも儲けてやろう」と欺く国が経済活動において躍進めざましいということは、信頼出来ぬ商品が溢れかえる事になるのは道理なわけで。

「ひゃっきん」のライターオイルひとつからご大層な事を思ってしまいましたが、過日「若輩者が今更語る術を持たない」と避けた船箪笥の素晴らしさに触れて心落ち着かせましょう。


船箪笥と言えば写真手前の懸硯(かけすずり)。大時化で命を落としかねない廻船業にあって、この箪笥は船頭や船主の大切な商売道具にして富や権力といったシンボル・誇りをも表しました。荒波で揺れぶつかったり転がったりしても凹まない丈夫な木材には目の詰まった欅を用い、それを堅牢な鍛えのある鉄で全体を囲っております。欅等固い木材は加工自体容易では無く、また木というのは何れ反ったり割れたりするもので、そうならない様に上等の木材を選びに選び、それを金具で留めている。この鉄も鍛えがあるものだから容易に釘が打てない。釘自体もしっかり鍛えた物であり、それでも打ち込めば頭が潰れてしまう。にも拘わらず鋲が丸いということは、そこも考えた上での形状が成されている。

万が一海に投げ出されても水に浮くとか、契約書・印鑑・金子等大事な物を入れる物だから隠し扉やからくり等ギミックもある。確かな技術と職人の信念が生んだマテリアルがあるからこそ、羨望を集める人気のアイテムに成り得たんですね。そしてこれは本来、海に生きる男の中でも船頭しか持てないアイテムなわけです。


一方写真奥の半櫃(はんがい)。こちらは一般に馴染みが薄いかもしれません。それほど船箪笥と言えば懸硯ということなわけですが、こちらは船頭の衣装ケースです。荒くれ者を束ねる船頭は海の男の長としてそのイメージが強いですが、各地の特産品を売り買いする貿易商。寄港したら商いと船員の英気を養う為にしばらくの間滞在します。その時のコスチュームは羽織袴の正装となるわけで、大事な商売道具を守る道具なんです。

船には限られた積荷しか載せられませんから、こんな大道具を持つことが許されるのは船頭だけ。他の船員は風呂敷やいいとこ葛籠や行李の類。その人気から各地で作られた懸硯に対し、半櫃は圧倒的に希少です。また見処として懸硯が全体を鉄で装飾されているのと対照的に、欅の持ち味である杢目を前面に押し出している事があげられます。一般的な和箪笥のそれが遺憾なく発揮されており、それは懸硯の性格が剛であるから柔な繊細さが求められたのでしょう。その上で厳しい環境に在るのは懸硯と同じですから、殊更頑強である為の工夫も一般の箪笥とは一線を画します。

このように千石船と船主の往時を思いながら船箪笥を顧みると、その興味を懸硯だけで終わらせてしまうのは勿体ないんです。船主のアイデンティティをも伺わせるアイテムである船箪笥、それは海の男として剛の懸硯は勿論商才逞しい知的な柔が伺える半櫃も在って補完出来るものだと思うからです。


しかし幾ら見ても飽きない 惚れ惚れしますねぇ。上記の船箪笥は「安い値段で販売しましょう」なんて経緯で世に生まれていません。実は懸硯等は当時も大変人気だったので、小木・酒田・三国といった本当に船頭が船で使うために必要だった船箪笥を作った特産地以外でも作られました。そんな中で見よう見まねとは言いませんが、売れるからといって無理して作った物はやっぱり無理があるものです。例えば細かな意匠の差違は勿論、鍛えのある金具や本来の漆が調達できないのはさもありなん。こんな事書いてしまうと「余計なこと言うな」といずこからか怒られるかもしれませんが。


男子一生の仕事と言いますが、昔は仕事を選べませんでした。ですから職人が、常に己が存在証明をかけて生み出した品物が素晴らしいのは当たり前。それを目に出来る幸運にありつけたのですから、その当たり前に素晴らしい驚きをしっかりと受け止めたいし、受け止めて欲しいと思うのです。

実は写真の船箪笥の他にも二棹、懸硯が入荷しました。永らく請われても滅多に入荷しなかった船箪笥がこうしてなにわやに光臨してくれたのは、拙の駄文でお目汚しさせて頂いたからでは・・・ ・・・と恐縮させて頂いて また次回。  
Posted by garally_naniwaya at 16:15生活骨董

2012年01月09日

小室翠雲 富嶽図

小室翠雲富嶽図

ちょっと自慢の多々良焼 大瓶にも毎朝氷が張る様になりました。

寒の入りも迎えまして冬本番。昼食後 氷の下にじっとしてるメダカたちの姿を覗きに行くのですが、その氷がまだ溶けてないんです。そういえば暖かいとされるここ房総の地でも、一番寒さの厳しい頃は一日氷が溶けきらない事があるんでした。健康管理が難しい時期ですが、温暖化だなんだと気候の不自然さに気を揉む事も多かったここ数年。平年並みと言われるこの冬を、我々数奇者はしっかり楽しんでまいりましょう。本年も宜しくお願いいたします。

それにしても、何かを考えるにつけ重い年明けとなりました。頂いた年賀状の賀詞が、殊更有難く感じられもしました。当たり前のひとときがどれ程有難いことか。

毎朝散歩がてらに自転車で近所を走るのですが、冷たい空気の中晴れていればほぼ確実に富士山が拝めます。木更津からの富士は子供の頃見慣れた風景でしたが、いつしか見えることが希になりました。内房には70年頃から産業道路が通ってますし、東京を挟んで空気は汚れ永らく視界を遮ってきました。

しかし数年前 新興住宅地の高台に道が開けまして、そこから時々富士山が拝めるのを発見。木更津の人口が多くなっていると聞く話の実感と共に嬉しくなったものでした。それが今じゃあ散歩のフィールド、その背景として溶け込んでいるんですから、これはもう石原慎太郎都知事の栄誉を讃えたいと素直に思います。色々大変だった方々もいらっしゃるでしょうが、次の世代に掛け替えのないものを残してくれたのは確かですからね。


写真は小室翠雲の富嶽図。去俗とは縁遠い拙が戯れ言の後に南画の大家を持ち出すのもどうかと思いますが、年明けて 当ギャラリーを眺めていて目に留まった逸品。なるほど見る人間の目によって捉え方が変わるのが南画・文人画と聞きますが、だから末永く愉しむ事が出来るんでしょうね。我々日本人が誇りに思う富士山と一緒ですね。  
Posted by garally_naniwaya at 14:53掛軸 書画

2011年08月19日

船箪笥と柳宗悦

懸硯

この夏 朝顔が毎朝の珈琲タイムを楽しませてくれました。居間の窓外側に横長のプランタを三つ並べた 幅一軒のグリーンカーテン。世相に倣い始めた戯れですが、丁度去年の秋 君津の中学校で生徒さん達が採取した種を頂いたんです。4/29に種を植えて、盛夏と共に鈴なりに咲き乱れる紫。毎朝最初に目につく場所ということもあって、思っていた以上に楽しませてくれました。

盆を過ぎていよいよこの猛暑も一段落するか? というこの頃は 咲く花の数も減り、葉も茶色になってきました。数寄者を気取る輩は鈍い五感を必死で磨こうと努めていますが、さすが自然の植物は季節の移ろいをこれ以上なく的確に伝えてくれます。まだまだ嫌になるくらい暑いですが、来年も楽しませてもらう為 種子にしっかり水を遣り、あとしばらく、過ぎゆく季節をかみ締めようと思います。


写真は懸硯(かけすずり)の船箪笥。他に同じ船箪笥の半櫃(はんがい)が入荷しまして、在庫の帳箱(ちょうばこ)と併せて3種類揃いましたのでこの機会に並べて展示しています。

船箪笥は大変人気の高い商品ですね。それは材も技法もしっかりしている上、使う道具としても完成された品。故に見処・魅力が捉え易く、殊に写真の懸硯は伝統の果てに辿り着いた様式美を纏ったもの。普段からお客様に求められる事は多いんですが、持った人はなかなか手放さない。必然入ってくるのは希なんですよね。それでも実は昨年末に入荷したんですが、程なく嫁いでいきました。

ここの戯れ言や『気になる逸品』でも取り上げたい品は沢山あるんです。ですが好い品というのは足が早い。拙が手に取りその素性を見極めようと勉強してるうちに、新しいオーナー様の下に嫁いでいかれる。さすがに他人様の品となった物を捕まえてあーだこーだと言うのは憚られます。かと言ってつまらない物を掴まえて賛辞を述べるテレビ・ショウの如きマネは絶対に出来ません。必然駄文でお茶を濁す事になってしまうわけですが・・・今回は見処いっぱいの、あの船箪笥ですからね。安心して下さい。


とはいえ世に広く知られた船箪笥の魅力をここでおさらいする程、身の程知らずでもありません。昨年穴が開くほど見た懸硯の記憶も新しいところへ、縁あって早々に出くわした船箪笥。美術品がその見処を豊富に携えているのは確かですが、受け止めるこちらが不勉強ではその理解はお粗末なまま。柳宗悦の全集から『船箪笥』を読み、目の前の美と改めて対峙してみました。

戯れ言をご覧戴いている方にはお察しの通り、拙はこの国の四季と時代の中で揉まれ 人が育んだ所謂『骨董品』が好きです。時代の中で生まれ吟味された物には思考が備わっていますし、その中に美を求める事が出来るのも必然だと思います。だから『用の美』には魅せられるし、広く賛辞を伝えもしたい。そう思うに至った身からして 柳宗悦先生の功績には感謝しつつも、偉大な美術家に関する見聞は膨大。不勉強の耳には捨て置けない評判の方が飛び込んできたりします。


用の美の品は、芸術性についても見ている者に説得力を与えます。もし見所が分からない人がいても、丁寧に教えてあげれば誰もが納得できる理があるものです。対して現代アートとか天才・奇才と言われる人の術はよく解りません。見識不足故かもしれませんが、真面目に向き合えば向き合うほど嫌悪感を覚えたりもする。
そんな自分なので好きな物は河井寛次郎の中国古陶磁器を再現した初期の作品や初代徳田八十吉、加藤唐九郎でも古織部を写した作品だったりします。それは自然が生み出し時代の中で揉まれた品であり、材は元より造形・意匠にわたりそうなった必然性があるので説得力がある。人目につく為に思いつきで突飛な形をこさえてみたり、利幅を稼ぐ為に安くそぐわない材料を用いたりしない。

でも、それらを修めた多くの所謂「作家」さんって、それだけじゃ飽き足らなくなるのか 自己を追求して『古の理(いにしえの理)』から遠く離れていくんですよね。波山然り唐九郎然り、長左衛門に至ってはそれがまるでお家芸のようにもなってる。そういった世に謳われる芸術を感動をもって見ることが出来ないのは不勉強でいいとしても、寛次郎が現在絶賛される創造性逞しい『陶芸』に作風を変えていったのも柳の高説に依るものだと聞きました。これがずっと引っかかっていたんです。高名な先生に対して斜に構えて見てしまうんでしょうか。

しかし『船箪笥』を読むと、市井の紙物を探し回り 職人を探り当て、史実を紡いだ課程が強く分かります。言葉・文字に細心の注意を払い時代背景や土地の慣習・思想と照らし合わせて参考文献の用い方や文章の書き方 起こし方等は論文を書くお手本のよう。それらは品物の前に真っ直ぐ向き合うから活きてくるんだと教えてくれました。それというのも船箪笥が用の美を兼ね備えた 時代が造りし古美術であるから なんですよね。

私の文章では表現しきれないので詳細は割愛しますが、船箪笥は細部に至るまで無駄が一切無い。必要・必然の固まりです。所謂「用の美」を伝えてくれる存在であり、そしてそれを拙にも容易に説ける船箪笥三種類が今なにわやに鎮座しています。こういう状況はそうあることではございませんので、この機会にどうぞご覧下さい。

  
Posted by garally_naniwaya at 17:15古美術 芸術

2011年06月03日

現代の文人画家 岩崎巴人

洞窟蛇

6月最初の日、庭の額紫陽花が ひとつだけ咲いているのを目にしました。今年は早々やってきた入梅。沢山の緑色の中 注意をしていなければ見過ごすくらいゆっくりとした花の成長ですが、季節の移ろいにこれだけ安堵したのもそうありません。


東日本大震災は勿論、原発による被害が甚大すぎて気持ちが落ち込みます。被災地を中心にしたマンパワーはこの国の美徳を大いに見せつけてくれましたが、反面政治や原子力行政の醜聞が情けないほど露わになりました。言うまでもなく郷土の自然はその身のみならず、心や感性も育んでくれる誇り高きものです。各々責任ある立場の人は、常に未来を生きる子供達の為の言動を肝に銘じて欲しいと思います。


戯れ言も随分ご無沙汰してしまいましたが、まあそれどころではなくなりますよね。美術館や博物館は展示物の確保が難しく、予定していたスケジュールもままならないそうです。地震による損壊は元より、余震や放射能等計り知れない不確定要素が多くて 国内外の美術品の貸し出しが容易ではなくなったからだそうです。保険も算定出来ないそうで。我々暢気な数奇者も、それを気取ってはいられない というところでしたね。
震災から二ヶ月くらいは本当にしゅんとして、お客様の往来もパッタリでした。その反動も手伝ってか、GWが明けた辺りから急に賑やかになってくれて、やっぱり元気が一番ですね。

3/11の地震は今まで経験したことのない揺れでしたが、なにわやの展示物はほぼ無事でした。ただひとつ、幕末の土人形が割れてしまいました。これは永らく売れなかったんですが、北総辺りの地域性と時代を考えさせられる個人的に気になる品でございました。なんだか他全ての身代わりになってくれたような感慨がございました。本当に強く、長く長く揺れましたものね。


さて、写真は岩崎巴人先生がご自宅に近い昔の防空壕内で描かれた画でございます。この五月で一周忌、当然思うところがあって俗な拘りを意識していた所に震災があって有耶無耶に。先週の定休日、梅雨の晴れ間となったので時間を充てて拝見してきました。

何の気無しに行ったつもりではあったんですが、彼の地に降り立つと得も言われぬ高揚感と申しますか、緊張感で胸がドキドキしました。青二才がなにを身構えているのかと自分で思ったくらい不思議でしたが、これとて先生が与えて下さった「思し召し」なんでしょう。画は様々あるんですけど、先だって取り上げた月に河童の画が記憶に新しかった事と、そこから雨月物語は蛇性の婬を思い浮かべて、この艶めかしい画をパチリと切り抜きました。しかし今更ながら、つくづく己に正直に画を描かれてきた、つまりは生きてこられた方なのだなぁと感じました。


これは美術界の商業的な動向を見て思うんですが、どんな高名な絵描きでもスポンサーがあって成り立ちます。近代は画商始め有力なバイヤーが画家の生活を支えてきたことは言うまでもないですが、狩野派や土佐派にしても御用絵師であり、求める人の為に描かれた画です。そこには階級・階層としての社会・集団の感性が反映されていたとしても、その前に個はひとつ身を引いたものでなくてはならない。結果、おしなべて武家社会の様式や公家社会の雅を展開・解放する術は、外へ外へと知らしめる表現。発注者に納得してもらわなくてはいけないんですからね。

一方の文人画が表現する所は個の追求であり、内へ内へと探求する所行。当人の社会における立場はおいといても、人とはどこから来て何処へ行く どうあるべき存在なのか?  という思想・哲学に明け暮れる。茶の湯の世界にも通じるそれは、人の普遍的な営みのように思います。結果虎渓三笑に表される生き様を地で行くのが文人。その生き様・思考・表現は、誰に解って貰う必要なんてない。あくまで観客は己自身なんですよね。

なんの束縛も無く筆を走らせた先生を、なにわやは「現代の文人画家」と称しました。なるほど、これ以上言い表す呼称はないなと、改めて思った行脚でした。  
Posted by garally_naniwaya at 14:18掛軸 書画

2011年01月26日

帰去来 帰去来

帰去来

戸外でメダカを泳がせている大瓶には連日氷が張り、解けるのを待てば日が暮れる。温暖が売りの房総・木更津も、今年の冬は厳しい寒さです。連日聞く各地での大雪の報を思うと「何を甘えた事を」と、お叱りを受けるかも知れませんが。

商売柄「終の棲家に越してきた」と年配のご夫婦から聞かされる事も珍しくありません。アクアラインの恩恵は大きいですが、大きな災害もなく温暖な気候。雪や路面凍結で買い物にいけない事も先ずありませんものね。木更津市は昨年、過去最高の人工を記録し日々益々増量中だとか。だからこそ、余所の地域の方には申し訳ありませんが 冬という季節をしっかり楽しみたいと思います。季節に精通するのは数奇者の嗜み。厳しい冬の最中でも、春を見つけていきたいと思います。


年頭の挨拶を逸しましたブログですが、年が明けまして先ず思うことは長年頂いていた巴人先生からの年賀状が途絶えた事です。元旦を迎える前から分かっていたことですが、やはりなんともいえない寂しさがあります。
表現が的確ではないかもしれませんが、父は長年巴人作品を間に挟んで先生と相対してきました。そのおつき合いの傍ら頂戴した先生のご厚意の一つが毎年欠かさず届く年賀状であり暑中見舞いですが、父は私が絵も芸術も全く解せない頃から、私にそれらを預けてくれました。

以来 特別な意識を待たずにずっと見てきました。巴人作品を勉強したことも教えられたこともなかった私が、その魅力の一端でも感じ取れるようになったのはこのことが大きかったんだと思います。今にして思えば、それらは時節の頼りに留まらず 世相からなる時事やご本人の近況・思いも綴られているのですから、この上ない解説本みたいなものです。巴人作品の良否なんて語る術も持ちませんし分かりませんが「本物しか見てこなかった」。先日自分の口をついた言葉なんですが、言って直ぐさまハッとしたものでした。

そういえば本年の『美術年鑑』紫の頁に移られた先生ですが、お値段は一気に跳ね上がりましたね。いち物差しの事とはいえ、ここまで評価が上がったのはびっくりでした。異色作家としてはトップに位置づけられながらも、画壇に踵を返した先生の、業界が示す生前の評価は本当に低いものでした。巴人芸術を愛する者からすれば不当に低い評価としか思えないくらい。

かたや世渡り上手な、所謂「高名な先生」と呼ばれるお方のお値段は生前天井知らずだったりして。その反動か、物故作家になった途端急落するんですよね。そうやって正当な評価に落ち着くということなのか、芸術というものが多分に商業的な面を孕んでいる事を表しています。しかし巴人先生の場合は真逆でした。画壇のお歴々の目が光る中、異色作家の芸術は認めちゃならんとでもいうのか、ファンは今まで苦渋に満ちた気持ちでした。勿論市場のそれも相応のものだったと思います。寧ろ本当の巴人愛好家は、市場価格を顧みず自身で相応の値打ちを見いだして遣り取りしていたのだと思われます。だからこそファンとしては「してやったり」という俗な気持ちが騒がしい。死んで先生の芸術性が高まるわけでもありますまいに。


写真は前回に引き続き、巴人画「帰去来 帰去来」。岩崎巴人六十歳の作品。モチーフは春の顔として、また千葉県の花として親しまれています菜の花。今は木更津から車で一時間程の館山市は 先生終の棲家となってしまいましたが、今頃はもう見頃の筈。絵には不勉強な者でも、額の中の花に先生の穏やかな気持ちと館山の春を感じ取る事が出来ます。すそ野広く、入り口広く、何人たりとも受け入れてくれるのが巴人芸術。少なくとも、拙が憚らず口にすることを許してくれるのが岩崎巴人芸術と言っても、誰のお叱りも受けないでしょう。

画は『帰去来~帰りなんいざ 陶淵明漢詩 「職務を終え人生の転機 自分を大切に生きよう」』と なにわやの言葉を沿えて展示してあります。
  
Posted by garally_naniwaya at 14:08掛軸 書画

2010年10月10日

巴人先生の画を見て

月に女性

例年馴染みの酔芙蓉も終わりまして、永い永い 本当に永かった夏の終演をかみ締めております。春に盛夏を楽しむ戯れと 盥に水を張ってから気がつけば半年ものご無沙汰。季節との上手なつき合いが出来てこそ数奇者と宣っている割には恥ずかしい限りです。

前回のブログを更新した直後、ご存じのように岩崎巴人先生が他界されました。なにわや店主はもとより、拙にも思い入れがございますれば なにかしらしたためなければと思いつつ、繰り出す技もないのに大上段に構えてみても・・・ ・・・というところでございました。

尤も、なにわやは『先生を送る会』に列席させて頂きました。その際 先生とのおつき合いがあった様々な人々との思いがけないお近づきが多々あったようなので、そのうちなにわや本人の四方山噺に登場するのではないかと思います。それが文章なのか口頭なのか私の口から言える事ではありませんが、既に弁舌は伝播している様子です。

私の筆無精の言い訳を先生におしつけるわけにはいきませんが、既になにわやホームページで明記しておりますように、頃合いを同じくして店舗1階を改装中でございます。特にこの一ヶ月はそちらの方にかかりきりでした。それもどうにか一段落、詳細については決まりましたら告知させて頂きますので、今暫くお待ち下さいませ。


そんなわけで、一階に陳列販売していた商品も現在二階に並べております。一階が商品の陳列に拘ったように、二階も今までと違う毛色の商品が加わったことで、ちょっとした新鮮味が出たと思います。この陳列・構成は一切がなにわや店主に依るもので、身内ながら客観的に見て楽しんでおります。当然自分の中には無かった物の捉え方や感性の違いがあります。陳列については、商品の約束事を常に注意しながらあたっていました。にもかかわらず、自分には無かった並べ方なのに、定石や良識に一切のブレが無い。特に左奥茶道具のコーナーや右奥西洋アンティークの一角は落ち着いていて好きです。ご来店の暁にはちょっと気にとめてご覧頂けると嬉しく思います。


現在は自分も店内の商品に目をやって楽しんでいる日々。今日の逸品は最近ご縁を頂きました巴人先生の水彩画です。

未熟者が画家のアイデンティティを推し量るなんてことは、どれだけ恐れ多いことだとは思いますが やっぱり思わずにはいられません。なにわやをして『現代の文人画家』と表現した先生ですが納得することしきりです。
画壇で約束された地位を得ながら袖を分かって行雲流水。画描きであったと同時に僧であったわけですから、それぞれの道において納得すべく切磋琢磨したのは想像に易しい。

画は、画家として突き詰めて描いた作品もあるでしょう、誰かに請われて描いた作品もあるでしょう。でもこの画は、絶対先生自らが好きで描いたと思えるんですよね。何の束縛も無く、自分の中から湧き上がる「いい絵を描いてやるぞ」という欲も無く、ただひたすら好んで嬉しがって描いている。そんな画に思えました。

また前述に限らず、平素よりなにわやの口から巴人先生に関する逸話を沢山聞かされていますからね。先生の画には「憎めない欲が描かれている」とは拙の戯れ言なのですが、モチーフは落語に出てくる登場人物宜しく 温かい眼差しを通したものばかり。
文字に起こすのは野暮ってもんですが、この絵を見ていてもついつい色んな下衆なことを勘ぐっちゃうんですよ。そもそもなんで月があるの? 月の下には水面宜しく映ってる色彩 じゃあこの豊満な女性は先生お得意の河童? 先生の心にどれだけ怪しげにお写りなんですか? よくよく構図をみてみるとちょっと上から包み込む様な視点。紅らめた頬はお得意の描画として、目も伏せ見がちでお照れになってます。どんだけ嬉しく描いてらっしゃるんですか。


先生の画には、身を削る様な修練から生まれたであろう唸る様な作品がある一方 浮き世の義理も手伝って霞を食べ物に変える鉢を通り抜けた作品もあるでしょう。それぞれが文人 岩崎巴人の真であり、我々ファンにとって愛おしい先生の歩みなわけですが、これはそういった自他の欲が一切認められない画に思えてならないんです。こういう画は性格上小品が多いのは勿論ですが、特別な縁や運がないとなかなか巡り会えないと思うんです。正直言ってしまえば、世間の評価とは離れた所にある画だと思うのですが 岩崎巴人に魅せられたファンとしてはそれがまたいい。

好き勝手描いて満足して、他人まで満足させてしまう。俗に生きる身分にはどうしても邪な考えが過ぎるんですが、やっぱり沢山喜ばせてこられたんだろうなぁ。



  
Posted by garally_naniwaya at 13:56掛軸 書画

2009年10月15日

赤絵九谷 虎渓三笑図 杯台

虎渓三笑図

花壇に植えた酔芙蓉の花が連日代わる代わる咲いています。朝開いた純白の花びらは日が傾くにしたがってほんのり赤みを帯びていき、深紅になった頃には日没と共に儚い命を終わる・・・ ・・・

その様が余計に可憐さを思わせます。例年植木鉢で育てておりましたので一輪が殊の外物悲しさを誘ったんですが、今年は初めて地植えにしたので沢山の蕾を身につけてくれ、深まる秋をちょっとだけ賑やかに演出してくれています。
本当は陽当たりが充分ならもっと早く咲き乱れた筈ですが、都合で軒下だったことで時季が少々ずれたようです。当初は間抜けに徒長した様に失敗したかと思ったんですが、こうして元気に咲いてくれればこれも一興ですね。

なにわやのホームページに東京国立博物館で開催中の特別展「皇室の名宝―日本美の華」をお知らせ致しました。場末の骨董屋にわざわざお知らせとご招待を頂きましたので、微力ながらご案内させて頂いた次第。芸術の秋でもありますし、なかなか拝見する機会もない縁の品々です。足を運ばれては如何でしょうか。私も時間を作って拝見したいと思っています。

写真は高4.9cm・横最長部分で7.8cm、九谷焼の杯台です。前回の「いとちいさきもの」のひとつですが、なかなか見事で好きなんですよねぇ。所謂幕末から明治の復興九谷。流行も相まって、この頃の九谷の絵付けには文人好みの南画や故事が多く題材とされました。明治になって海外へ輸出する際も大きな力となる意匠です。この繊細な筆致を可能とするのが当時の赤絵の具の顔料であり、他の焼成地と比してコンパクトな窯の中で緻密に計算されて成せる色絵の発色。また温度や時間を完璧に把握するということはデリケートな器の形をも可能とする。この杯台、上から見ると三方に伸びた端反りが内側に巻いているのですが、それを強い火の中で端正に焼き上げるのが難しいことは容易に解りますよね。正に新生九谷ならではの作品だなぁと思うのです。


題材の「虎渓三笑」は、儒教・道教・仏教というそれぞれの立場にある三賢者が、話に夢中になるあまり時の経つのも忘れてしまった 譲れぬ立ち位置・相容れぬそれがあった筈なのに・・・という故事。
茶の湯の世界では「境界」というのを大切にします。一線を画すのは俗世間であったり敬意を払う相手との距離であったり。庵を構える事やよく画に描かれる一本の橋にも同じような意味合いが込められており、人は自分と他者の存在というものを絶えず意識している事が伺えます。

江戸まで続いた将軍を頂点とする武家社会は封建社会のヒエラルキー。それは権力に限らず文化や精神性にまで及びます。役人である武士は、頭首である大名 ひいては将軍こそが絶対であり、文武両道趣味趣向に於いてもそこに準えました。しかし勤勉な彼らのことですから、多くの学問に触れ探求していけば 人=個人の存在証明に目を向けることになる。封建社会にあって天下人を蔑ろにするわけではないけれども、藩の民 百姓や町人の暮らし、個人の生き様というものを本気で考える。これは歴史の古い中国から伝搬した儒教・道教・仏教において説かれていたりする。絵画で言えば将軍家が至高とし育てた職業画家集団の枠では表現出来ない一個人の思想を表した文人画に顕著だったりするものです。

話が回り道しましたが、上記のような文人の拘りを考えながらこの九谷に目をやりますと なんと物は杯台、酒をやる道具なわけですよ。また描かれた絵は正面の窓に三賢者ですが、他に庵・秋草があるんです。3つの窓の間にはそれぞれ距離があることが分かりますし、同時にそこを移動してきた時間の流れも見て取れますね。すっかり話し込んだ事からも伺えるように、秋の夜長の今にこそふさわしい器だとは思いませんか?


この杯台を見てて思った戯れ事があるんです。それは九谷・伊万里・瀬戸という我が国を代表する三大磁器の事。伊万里は、言うまでもなく古来から今に至るまで我が国最大の市場を誇る焼き物です。しっかり藩を支える産業として管理された事もありその出来の良さから今では時代や意匠、価格に於いてまで詳細にカテゴライズされるようになりました。これからもまだまだ表に出てこないミステリアスな献上手の存在も含めて、蒐集家に限らず数寄者の目を楽しませてくれることでしょう。

古九谷はその存在も技法も謎の部分が多く、復興の際はどうしても評価の高い伊万里を写す事になりがちだったと聞きます。本当に良い物を作ってもそれが理解されず売れないというのは現代の陶芸界に限らず、物作りの現場全体に共通する事かもしれません。古九谷は幻としておいておくとしても、幕末から明治の九谷焼には今回取り上げた酒器のように、時代を纏った素晴らしい出来の作品も多いんです。

また瀬戸の染付も同様です。ご存じのように我が国を代表する古陶磁のひとつである瀬戸焼の作品は様々在ります。歴史が長い上に、その永い作陶期間に耐えられるだけの土や燃料の量・時代時代の趣味趣向に適うだけの市場が在った事が理解出来ます。そこには古都と江戸を結ぶ流通経路としての地の利もありますが、信長のお膝元として武士の精神性が脈々と息づいていた事も伺えます。
物資の流通は生産から市場へ運ぶ経路としてではありますが、実は陶磁器に限らず染め物・紙物・金工・木工に至る生産地・創造地でもあったんです。

所謂新生瀬戸の磁器はその染付の筆致が見事ですし、図柄には茶道具一般や文人画に見られる題材が多く、土地柄故の時代を纏ったものも多いんです。物理的な事を言えば白磁の胎土に明るいながらも落ち着いた色合いの呉州は上品で、且つその筆致の見事さは腕のある陶画工の存在を教えます。これは伊万里では決して生まれなかった瀬戸ならではの上がりです。煎茶器も豊富で、瀬戸の磁器は上質の世界観を形成してます。
一般にはそれらの評価が成されていないと私は思っているくらいで、今一度数寄者を自認する愛好家は純粋なる目で注目して欲しいと思っているくらいです。販売経路の関係で千葉には希ですが、当店には誇れる逸品が多々あって教えられました。


分かりやすい様引き合いに出しますが、実は幕末から明治の伊万里には出来の悪い物が多いですね。これは身分制度が撤廃されて、金さえあれば本来高級であった陶磁器を誰もが買えるようになった。しかし本来学問に触れたことのない層には物の善し悪しが分からない。つまり作れば売れるの悪循環となり、粗悪な品が量産された。
そんな時代に、瀬戸や九谷では良質の磁器が作られていた事実。勿論伊万里、後の有田にもそれまでの財産と「このままではいけない」という至高なる意志を持った陶工による本気の作品は造られました。それは江戸期の伊万里では決して生まれ得なかった意匠の幕末・明治ならではの作品です。

それぞれの窯地にはそれぞれの立場があったにしても、今に伝播し存在している我が国を代表する三磁器。是非手にとって愛で、ご自身の日常を豊かにする為活用して欲しいと思うのです。芸術の秋に。  
Posted by garally_naniwaya at 17:35陶磁器 焼物

2009年07月24日

いとちひさきものはいとおかし

初期伊万里含む

「お決まりですか?」

店内に飛び込む日射しは殊更強く、立っているだけでも汗が滲む毎日。古きを温ねる道楽を生業とする身を背負って店には冷房は入れておらず、開け放った戸口からは風に乗って風鈴の音色が入ってきます。そしてお客様が選ぶ陶磁器のカチャカチャという音。骨董屋としては最高のBGMだなぁと、今更ながら感じた今年の夏。漸く手代といったところでしょうか。

以前から申し述べてます通り、なにわや一階はその95%以上の品に値札を付けています。口八丁手八丁も商売人の武器でしょうが、こと趣味の品々を扱う骨董屋、道具のなりこそ真実であり それ以上でもそれ以下でもありません。あとは値段で、これによって店主のその品に対するひとつの評価が見えてきます。高けりゃ「高い」と怒られ、安けりゃ陰で笑われほくそ笑まれる因果な商売、ある種覚悟の姿勢でもあります。

このように 物をみるのが仕事ではありますが、同時に者をみる力にも長けるようになりました ちょっと嫌なもんです。でも古い物、いにしえの頃から先達の日常を彩り、生活を豊かにしてきた骨董の逸品。この国には四季があり、時候は挨拶から食事、歳事に至るまで影響しあい文化風習を形成しました。しっかり意味を以て生み出された道具・骨董品は、その意匠ひとつとってもそうした必然の表れ。理由有ってのその形・色・材質・機能なんです。

当然、日が昇り沈むまでの人の営みをより多く知る人は、使う道具やそれらの意味を知っています。歴史を振り返れば武士は君主に仕える為に 書を読み、詩を解し、武芸の精進を怠らず、國を思い、民の暮らしを憂いた。士農工商それ意外に至るまで、人類の営みに欠くことの出来ない存在であり、彼らが各々の立場で必要とし求めた道具達は、それはそれは奥深い物であるわけです。

「ものを知ってる人」というのは、何も特定のカテゴリーにおいて専門的な知識を持ち合わせているという意味ではないと思います。この国に生まれた者ならば、自国の歴史を振り返えるだけで どんな職業の人だろうがどんな学を持ち合わせていようがいまいが、誰もが平等に見て取れる史実 それらを楽しんじゃおうという人たちの事です。

季節に合わせた衣類くらいはみんなやることですが、季節や行事に合わせた花を活けたり、食器を合わせてみたり、絵や軸を飾ったり、置物を用意したりして愛でる、それも自分のためだけではなく大切な人のためなら尚よし。ひいては再び自分のために。そんな事をこの国の文化に準えて大切にしている人というのは、やっぱり心が豊かなんですよね。発する言葉ひとつも大切になさいます。


だから店に来て、見る品 それらに対する一挙手一投足にその人の知識と、人となりが見て取れるんです。本当に欲しい物・平素から探し求めている物がある人なのか否か? 興味本位のただの冷やかしか? そのくらいの事は分かります。よしんばカッコつけて知ったようなお口をお開かし遊ばれたとしても、本物の逸品の前には空しい物だと思うのですが。
閑話休題。その辺を篩にかけました後 本当にお探しの物があるんだとしたら、持てる力の全てを捧げ お力にならねばなりません。そこで初めて「何かお探しの物がございますか?」と言うわけです。


先日来店された一見さん、「こんにちは」とご挨拶下さった後、静かにBGMを奏でてくれました。比較的気の軽い生活雑器の一群を前に、随分熱心に品定めしておられたようです。こうなると、何かご質問でも頂くまでは声を掛けるのさえ野暮ってもんです。きっとお客様は先達の遺産達と会話をなさっていることでしょうから。

程なくして決まったのか、キャッシャーに立たれました。ようやく冒頭の書き出しに戻ります。そうして持ってこられた皿は三枚。所謂『幕末から明治』の伊万里の印判皿ですが、なかなか趣のある図柄ばっかりなんです。「ん? もしかしてこの辺の皿を蒐集なさっておられるのですか?」と訊いたくらいセンスが良いんです。これはもう私としては嬉しいですよね。


聞けばこういうお皿を購入するのは初めてで、それがいきなり上記のような事を訊かれたんですから不思議に思いますよね。それで、所謂江戸期の古伊万里というのが高くなり、時代の下がったこの辺はそれに比較すれば安く買える。その特徴としては、買う側は身分制度も撤廃されて、お金さえあれば嘗ての良いとされたものが買える時代になった。売る側は廃藩もされたので作られる品物を管理する者もいなくなり、粗悪な物が多くなった。しかし買い手は以前の雅や教養を知る武士や好事家とは違うので、本当のところ物の善し悪しは分からない。作れば売れるの悪循環でどんどん品物は粗悪になっていく。しかし職人の良心はあるもので、中には本気で良い物を作ろうという陶工もいた。それは江戸期の管理されたある種の規制を受けた物には見られない意匠を生んだりもする。古伊万里に比べてお金にならないから学術としてまともに研究材料とする者も少ないけど、間違いなく時代が生んだ色を残す骨董品にして趣のあるものなんだというようなことを伝えました。こういう物の良さは皿の勉強なんかしてなくても、感じ取れるものなんです。それらを実際の生活の中で使ってより温かい眼差しを道具に注ぎ、尚かつご自身の日常を豊かにしてくれたら骨董屋冥利に尽きる思いです。


その後もこの方はお見えになって 品物共々なにわやも可愛がってもらってるんですが、聞けば学生の頃デザインの勉強をなさっていたそうです。また、お子さんがこの近くの『ちょっと良い学校』に通われているとか。そうなんですよねぇ、この辺の民度云々なんて言っちゃうともの凄く陳腐な物言いになってしまいますが、ご存じのように木更津は気候と共に山に農作物・海に海産物が安定して取れます。江戸にも近かった事もあり、工芸品等の特産品を考える必要性に迫られませんでした。これが良くも悪くも人の気質に影響してるのは事実と思うんですね。


以前からこの地で店を構えていて、年度末頃にはフェラーリだのポルシェだの この辺の日常の足としてそぐわないマイカーで来店される方が散見してました。芸能人や有名人の多くが卒業している学校に、御子息御令嬢を通わされる算段で訪れてたんですよね、主に受験の為に。だけれども結局通学は見合わせる事になったのか、出逢いは一期一会ということが多かったんです。実際、「地の利は魅力的なんだけれども繁華街に行ってみるとそこで生活している人たちの様子が・・・」なんて言葉を耳にしたのは一度や二度じゃないんですよねぇ。


でも今、この辺は開発が盛んです。この開発は以前の自治体主体の策略的なそれではなく、民間主体のそれでして頼もしい限りなんです。そりゃそうですよね、百年に一度の不況と言われ、国や自治体が税金投入すると高らかに謳っても停滞する開発事業が全国各地にあるなか、民間が市場として将来性が有ると判断した上で連日工事が行われているんですから。これで漸く、なにわやが先達から受け継いだ道具達、正真正銘の骨董品を伝播出来ると思って、今わくわくしています。昔を知ろう、我が国の誇るべき精神性を知ろうという人が増えていくことに期待が持てるのですから。ちょっと話がそれましたが。



写真は以前からポツンポツンと持っていながらあんまり大きな顔が出来なかったもの達+新顔達。どれも小さな小さな骨董品です。内訳は酒好きな私が好みな杯洗・杯台・盃等の酒器と、油壺等です。実は『用の美』という括りにした時、現代では蚊帳の外に置かれてしまいがちなカテゴリですよね。酒という自分と相手との戯れをより洒落た演出を計る道具や、鬢付け油やその他の液体を入れる容器はガラス瓶で事足りる事から、見立てるにしてもそうそう幅広く活用出来ない。単純に焼物好きのコレクターに委ねるくらいになってしまう。そうするとなかなか売れないし、だからと言って見合った値段より下げてしまうのは品物にも先達の持ち主・職人にもしのびない、私の代でそんな扱いをしてしまったらそれこそ私が扱うこと自体間違いだった、私にその資格が無かったということだと思うんです。

そんな思いで彼らを手元に置いていたわけですが、縁あって同類の品をコレクターの方から譲り受け一堂に会してみると・・・ ・・・この壮観ですよ。

正直「間違っていなかったんだ」「欲に負けてお金に換えなくて良かった」と思いました。ひとつひとつが素晴らしいのは勿論なんですが、これらの生まれた素性が持つ特性でしょうか。江戸の人は粋でした。手にする物に心憎い仕掛けを施す事は知られてますが、それには必ず意味があります。
遊び心も決して自己満足ではなく、その時代や生活圏を共有するもの達が一概に持ち合わせるキーワードだったりするんですよね。それらがこの「いとちひさきもの」に込められているんですね。それは物理的なギミックではありますけれども、色濃く精神性を持ち合わせているんです。

私が「気に入って」という但し書きからの囲い込みなので焼物が多いですが、単に焼物好きからみた味わいも多分に持ち合わせていて、これはもう作り手とこれらを愛した先達の数寄者達に感謝を述べるしかありません。しかし用の美を信望する自分が、コレクター宜しくただ目愛でるだけの存在に心奪われるとは・・・ ・・・『いとちひさきものは いとおかし』的な事はよく聞く文句だと思いますが、こうやって目の前にありますと納得せざるをえません。しっかし私、焼物好きなんだなぁ。

今まで店に並べる事さえ躊躇したもの達です。理由は前述のようにしっかり理解下さる人が少ないカテゴリなのでそうそうお買い求め願えないだろう、結果いつまで経っても其処に在り、大したもんじゃないと思われるのが嫌だった。それと、いい加減値段を下げるようにとの人様の要望は勿論 自分のそんな俗の思いが分かるからですよ。でもそうして信じていた逸品が縁合って集まった事で、この壮観はバッチリ受け止めても頂けるだろうと思いました。そして同時に、一緒にしっかりと愛でる楽しみを思ったんですね。

これらの逸品の詳細を文章にすると、ちょっと簡単には纏められそうもないしひと品だけを取り上げるのもまた苦労。彼らが持つ尽きることのない魅力は、なにわやにておしゃべりを以てお伝えしたいと思います。ご迷惑でなければ。
  
Posted by garally_naniwaya at 17:50骨董雑談

2009年04月02日

「良い仕事してますねぇ」なんて失礼な文句があるもんか

欅煙草盆

先ずは黄色。

「開花はまだかいな」と世間の話題を独り占めしている桜ですが、花冷えが続いた我が木更津は まだもう少し先のようです。環境破壊の果てに多くの自然や季節感が失われた反省からか、気がつけば植樹等が盛んに行われたようで、その成果は彩りとなって目に飛び込んできますね。

しかし、緑地公園なる自治体の管理地は梅が終わった後 桜が咲くまで緑が全く見られなかったり、かと思うと嘗てはこの辺で馴染みの無かった彼岸桜がいきなり賑やかに乱れ咲く等、自分が知る故郷の季節の移ろいとしては些か不自然な景色を見せつけられています。

そんな中、数年前から始めたガーデニングの真似事。初心者やずぼら者には比較的育てやすい球根は強い味方なんですが、その中でもお馴染みチューリップは 今ではいろんな色が顔を出してくれてます。そして春一番に咲いてくれる色が黄色なんです。なにわやの花壇ではこの小さな黄色が顔を出すと、いよいよ本格的な春なんだなぁと思います。もうメダカの餌やりも毎日ですし、水温む昼間にはドジョウもヌマエビも元気に動き回っています。

そんな心浮き浮きな季節ですが、大変なのが店の商品の衣替え。冬の間は主役級でもありました火鉢や煙草盆等が一気に脇役へとお役御免、舞台袖に捌けなければいけません。しかし数も大きさもなかなかな役者達ですからね。これを移動するとなると大仕事なんです。一度手をつけると先ず一日では終わりません。日中は汗ばむ日もありましたが、我が愛するお茶の世界では四月いっぱいは火の季節。そう言い訳をして許して貰おうとまあのんびり構えておりました。

写真の煙草盆もそんな中の逸品。私が留守の時の話なんですが、『骨董屋の来店絵巻』ではお馴染みの組み合わせ『年配のお姉さん三名様』の内のお一人様が、これを見て誉めて下さったという一幕があったそうです。それを聞いて嬉しくなりましてね。

以前から来客模様についてはお話にさせて貰ってますが『女性3人』というのはなかなかに面白い組み合わせでして。だいたい三名で来られてみんながみんな骨董に詳しい、興味が有るなんてことは希。でも骨董屋なんて特殊な店の暖簾を潜るんですから、興味のある人が全くいないというのも希。一番多いのはその内の一人が詳しい、或いは興味を持っているというパターンなんです。

このお姉さん方のパターンでタチが悪いのが、『興味のない人が一々腐す発言をする』ってやつなんですよ。「あぁ、コレ良いわねぇ」なんて誰かが言うと「こんなのどうするの?」って言う。他人様の感性・趣味に口出すなってんですよ。お嬢様ってのは厠に手を繋いで行った女学生の頃から幾つになっても変わらないものらしく、他人と横並びで居ようとするらしいんですな。まあ自分が人と同じであろうとするならいいんですけど、他人様まで自分に従わせようなんてぇお姉ぇ様は見ていて閉口してしまいます。

例によって今回も一人のご婦人が「この煙草盆良いわねぇ」と言ったら「こんなの買ってどうするの?」 と言ったそうですが、そのご婦人間髪入れず「これ欅よね。見てるだけで良い気持ちになるじゃない」と言ったそうですよ。あぁ、そんなお姉様に会いたかったですよ。


古美術・骨董品と一口に言っても様々で、その魅力は一様では無いし説明するのも容易ではありません。そんな中でもちょっとの見所と見方を伝えるだけで骨董品=古い物の魅力を理解頂きやすいのが『木の製品』なんです。写真の煙草盆を見て頂いても木目が渦巻いて面白いのが分かるでしょう? この木目、数寄者の世界では『杢(もく)・杢目(もくめ)』という字を充てて また称するんですが、この自然が作りし造形を愛でる感性が昔から日本人にはあるんです。杢目の様子によって『球杢・虎杢・筍杢・チヂミ杢』等呼称も様々で、四季があり東西南北に長く山と川が縦横無尽に走るこの国は、趣を有した素晴らしい木を産するんです。


この木の特性、それは製品なってからも生き続けます。日本は夏は高温多湿、冬は乾燥するという 木にとってこの上ない過酷な環境です。この中にあって何年・何十年・何百年と変わらずにいられるのは、その国・地域で産した木だからです。東南アジア等亜熱帯の気候下では木はグングン成長します。マメ科の植物などは短時間で真っ直ぐ大木に育ちますからコストも安く、製材にし易い。でも成長が早いと言うことは年輪が詰まってないわけで、日本の様な過酷な環境に持ってくると簡単に反ったり割れたりする。また以前は製材するにあたり10年もの年月乾燥させてから使っていました。今では製材の乾燥機がありますが、最高の仕事を求められる場合はそういった材料を使います。

そして職人はその材を、自らの手で造り上げていく。木の特質を知り、手間暇を掛けて道具として完成された物を造り上げる。だから出来上がった製品・道具には職人の意識が見て取れるものだし、温もりが有るんです。完成した製品・道具は職人の有り様そのままなんです。だから私はよく「木は嘘をつかない」と言わせて貰ってます。

また、「良い仕事してますねぇ」とは中島清之助先生の名文句ですが、私はお客さんに「あんな失礼な台詞は無い」と、名文句を逆手に使わせて頂いております。何故なら、職人とは『良い仕事しかしない人』の事であり、その職人の仕事を掴まえて「良い仕事」と宣うのは失礼となるわけです。感嘆は同意ですけれども。

江戸時代までの身分制度は、職業制度でもありました。鍛冶屋は一生鍛冶屋ですし、指物屋は一生指物屋。百姓は一生百姓であり武士は誠心誠意を掛けて文武両道に努めた。だからその道の道程に「いい加減」はあり得ないし、そもそも手間暇掛けるのは当たり前なんです。だって、仕事そのものが自分の存在証明なんですから、それを否定する事に繋がる「手間暇を惜しむ」なんて言葉があり得ない。職人が創る物は良い仕事に決まっているんです。

今は利益を上げるために、物を作る際先ず価格設定から入る。「5万で売れて儲けが出る品物を作ろう」「1万で売る為の材料・デザインはどうしよう」それはつまり妥協の産物ですし、職人の技が活かされる所はなく、そんなものと比べられて『良い仕事云々』と言われたんじゃ本当の職人は苦笑いするしかないですよ。

この欅の煙草盆の杢は『木が暴れた』良い顔をしています。おばあさんは今更煙管をくわえるわけでもないでしょう。でもこの煙草盆を見て職人の有りようと温もりを感じ取ったんでしょう。その話を聞いただけで、その時のおばあさんの心持ちが伝わってきます。「纏まった金額は出せないけど・・・」と言いながらも道具に温かい眼差しを向けて下さった。そう思うと、品物達の陳列は大事だなぁと思います。何しろ職人のありのままを、当店を介して伝播させていくわけですからね。少なくとも先達の職人の、足を引っ張らないように並べなければ。

ウブ荷が多数入った事もありまして、昨日 店内の大移動を致しました。お待ちしております。

  
Posted by garally_naniwaya at 13:13生活骨董

2009年02月07日

巴人先生からの年賀状

2009年の年賀状

不意に目に飛び込んでくる黄色。今年も鉢植えの楼梅がいつの間にか咲いていました。暦の上でももう春ですね。

黄梅は剪定した所や節々から根を生やすので、容易に挿し木が出来ます。秋の頃、伸び拡がった花壇のそれを適当に切っては空いた鉢に植えていたんです。生命力が強い事を知っていたから時期や大きさなどあまり考えず、些か乱暴に移し替えました。
それが祟ってか蕾をつけるのもやや遅かったようで少々目を掛けていなかったのですが、春の息吹を感じるのは当然彼らの方が上ですね。今冬は早々に強い寒気を覚える日があったので寒さに身構えていたのですが、どうやら今年も暖冬の部類でしょうか。温暖化なんですかねぇ。

平素のことですが、今日も持ち込みと共に「これは如何ほどの物でしょう?」というお伺いがございました。骨董品は趣味・嗜好の品という側面があるもの。しかし、新物 つまり昨日今日作られた工芸品でも、趣味を持ち合わせていない人にあっては同じ括りに纏められてしまいます。骨董屋というひとつの業態の中で 新旧織り交ぜた品々を挟んで、趣味をお持ちの方と全く意に介さない方が「どんなもんだい?どんなもんだい?」と喧々囂々。

よく考えると骨董屋程売り物に興味のない人が立ち寄る商売もないんじゃないかと思います。「ひやかし」なんてのは、吉原で買いはしないけどぶらついてみるかということで、実際には「買わない」というのはおタロが無い為に買いたくても買えないか、女房への詭弁で口にしたもの。どちらにしてもそこに興味津々の者だったんですからね。買いもしないどころか、興味も無く物の事何も分からない輩が「これ幾らするの? これ幾らするの?」ですからね。それ聞いてどうするっていう・・・ ・・・閑話休題。

そんな品々に値付けをするんですから本当に難しい。とはいえ値段を付けなければ商いになりません。うちでは「99%の品物に値札を貼ってあります」というくらいそれを大切にしています。それは、骨董屋と言えばお寿司屋さん宜しく客見て値段を言い変えるような胡散臭いイメージを持って欲しくない為です。もうひとつ、私の付ける値段には私の思い入れも加味されています。値段の理由を問われれば、周辺の品物と比較してきっちり説明させて頂きもします、という気構えの表れ。

本来骨董品・美術品の値打ちなんて、持とうとする人が納得して出せる金額のそれなんですよ。確かに市場価格とか相場と言われるものも提示されています。だけどそれは区々でね、例えば「鑑定団で100万と言われた」からといって、それで右から左にいくもんじゃない。10万してもおかしくない物を1万円で売る場合もあるでしょう。ただ、どうみても1万円しないというものを10万で売る奴がいるから、そこはしっかりと品物と向き合わなくちゃいけない。

市場価格が上がる要素として相反する2つの要素ってのがあります。ひとつは希少性。世の中に数がないから、2つと無い物だからという場合にはなんとしても欲しいコレクター心を煽って値段がつり上がるというのはよくある話。鑑定団で何千万だ何億だなんて値が付くのはそういうもので、「それだけ出しても買う人がいる」というだけの話ですよね。
もうひとつは多作故、作家の知名度が上がって人気になりどれもこれも値が付くといった場合。これになるとピンキリのキリの方がなかなか言い辛い。「高名な先生だから高いだろう」という気持ちはまあ分かります。実際土地代の高い一等地で店を構えていたり、高い広告費を掛けてる立派な店で買い求めましたら結構な値段が付いていても不思議じゃない。

でも趣味の品は趣味人によって満足され、趣味人を満足させるもの。物の価値を知る者が買い求める値段は相応のもので、簡単に言うと真面目な骨董屋に在る品物は安いから買ってくれるのであって高くちゃ売れないんです。もっと言わせてもらえば安くたって売れないんですから。

そんな日常に寄せられたお伺い。いつものことなんですけど、今日の場合ちょっと違うのは「頂き物なのでお返しをしたいけど、幾らくらい返せばいいでしょう?」
というもの。まあありがちな気もするでしょうが、骨董屋で裏表無く自身の素性を晒して素直な気持ちをぶつけてくける人って、ことの他少ないんです。こういう実直な人にはいい加減なことは言えませんし、言いたくありません。だって、どんな事に対しての贈答品かわかりませんが、品物自体は1万円で買えてもおかしくないし、10万円で売ってたって不思議じゃないもの。少なくともお贈りなさった御仁が払ったお金が1万か5万円か10万円かで話は違ってきますからね。これはもうそのまんま、そう伝える以外ありませんでした。

突っ込んで訪ねられればどんな歳事での贈り物なのか、また相手の方とはどんな関係で、如何ほどの人物なのかってことで予測も出来るのでしょうがそれこそ下世話な話ですからね。疑問に答える事は出来なかったわけですが、わざわざ当店を選んでご足労下さったんです。美術の趣味も持ち合わせていらっしゃるということですし、これをご縁にして気さくに遊びに来て頂ければ・・・と思うところでございます。

写真は本年、お世話になっている岩崎巴人先生から頂いた年賀状です。リーマンショック以降世の中不景気でいい話がありませんが、『露』と記された書を拝見して『世知辛い世の中だけど、同じ路を歩む者同士 肩を寄せ合ってまいりましょう』というような温かいメッセージを覚えました。

今年も当店に頂けるご縁には、しっかり向き合っていきたいと思っております。  
Posted by garally_naniwaya at 16:52骨董雑談

2008年10月01日

油滴沓形黒楽茶碗 初代楽七

油滴黒楽茶碗

永く続いた猛暑も 過ぎ行く時は瞬く間。ゆったりした情景とは裏腹に、名残惜しさを感じてる暇さえ無いように思うのは季節を受け止める感受性の乏しさ故でしょうか。夏の終わりを告げてくれるように、今年もつき合いの永かった酔芙蓉の蕾が、文字通り最期の一花を咲かせてくれています。お色直しはしっかりこの目に焼き付かせてやらなければ。

お客様商売 殊に骨董屋なれば、おもてなしの精神を傍に置くもの。季節の演出と先取りは常に頭に留めておりまして、本当は自然にさり気なくそれに勤められれば格好良いのですが 頭でっかちな若輩者はいつ品物の配置換えを試みようかとここ数日忙しなくシミュレーションしておりました。そして今日、火の季節の合図と共に慌ただしく敢行。本当はそうして後、道具との日々のつき合いこそが大事なんですけどね。自己満足ですが、気持ちは良いものです。

先日、暇に任せて陳列ケースの黒楽茶碗を眺めておりました。父から任されて預かったそれは、至極真っ当な出来でそれなりの値段を付け もう幾つかの四季を巡っておりました。それを それこそ何の気無しに手にとって眺めていたわけですが・・・ ・・・
ひとつ、ふたつ・・・あれよあれよと幾つもの見所が目に飛び込んで来るんです。「アレ? こんなに良い作品だったっけ?」と思い乍ら高台脇の陶印を見つめると、どうにも本窯歴代のそれに覚えがあるような? 脇に押してあるんですけど、高台自体が小さいのでそこは気にならない。ちょっとドキドキしながら家族会議。まあ結果は表題の通りなんですけどね。

丁度この茶碗がうちの暖簾を潜ったとき、別に刃口の良い銘品もやってきて内外に喧しかったという経緯があって悲しいかなそっぽを向かれちゃったんでしょう。その後手元で毎日視界に入れておきながらその出来映えを見誤っていた。全くもってお恥ずかしい。

しかし今更ながら黒楽というのは難しいものですね。黒楽茶碗なら持ち合わせているべき特性は、天下の大名物でも愚直な作家物でもしかるもの。その上で数千円からン千万円なんて算盤が弾かれるわけですから なんて言っちゃうと身も蓋もないですが。

しかし黒一色でありながら一様でない色合い・艶・肌・形状。様々な角度から見たときのそれぞれの表情。その上で人の掌も千差万別、手取りのしっかり感や温もりの伝わり方、柔らかさ等も決して他人には理解出来ない相性なんかもあったりします。判で着いたようなお約束だけを頭や目で追っているだけでは、決して受け止められない個性が 特に黒楽茶碗にはあるんですよね。だから一瞥くれただけで理解出来る方がおかしいくらいですが、それにしても今回の件は情けない話。情けないけど嬉しいのは、良い作品に出逢え、遅ればせながらそれを感じられるという事実があるからなんですね。

しかしなんでここまで解らなかったかというと、実は謎が解けてます。なんのことはない、自分が正面をはき違えてたからなんです。茶碗の正面なんて物によってはひとつじゃないかもしれない。でも明らかにそっちじゃないところを前に向けて陳列していたので輝きを見抜けなかったんです。

「黒楽って難しいなぁ」とは思っていたし 今でも思っていますが、こうやって少しでも「理解出来た」と思える出来事があると今後巡り会う茶碗との事、初見で解らない事さえ楽しめると思うんですよね。そしてこういうところから、ひとりの陶工との縁を得るんだと思います。それは一陶工に留まることじゃなく、その世界の先達から受け継がれた時代との縁を得る事だと思うんです。

私はとかく新しい時代に迎合しがちな陶工・工芸の世界をあまり宜しく思っていないので、先達が愛し伝えた古美術の精神を届けてくれる職人さんが好きなんです。生活のためには売れる必要があるわけで、その為に数ある作家の中にあっても個性を出そう、オリジナリティを示そうとしてしまう。そうすると永代に渡って大切にされてきた道具としての精神性が失われてもなんら不思議じゃない。そんな葛藤の中でも愚直なまでに本質を伝播する陶工。この楽茶碗は、ひよっこ数寄者にさえ そんなことを教えてくれる作品でした。

色々な偶然に、感謝です。

  
Posted by garally_naniwaya at 16:12陶磁器 焼物

2008年05月23日

死んでも数寄者

五月の松葉菊

「お兄ちゃんの淹れてくれる珈琲は美味いんだよ」

私がまだ喫茶店をやってる頃に、来る度にホットコーヒーを頼んではそう口にしてくれるお爺さんがいました。ご注文下さるのは必ず珈琲。大正生まれのその方は 木更津なんて田舎にありながら古くから洋服屋さんを営んでいた方。いつも口に運ばれる珈琲がこれ程似合う紳士というのは希な存在だったなぁと、今にして思います。


出会いは父が喫茶を併設していた骨董屋で、今となってはなにわやとのつき合いも古い部類になります。珈琲のご注文も確かその頃からで、私も当たり前に受けていたのですが本来は骨董を目的に来られた身。まして年季の入った父の淹れる珈琲と駆け出しが淹れるソレでは比べるべくもないわけで、口癖のような謝辞も紳士の嗜みだったに違い有りません。


紳士の趣味のフィールドは骨董品。当時の私はそっちの世界に全く無関心で、だから骨董の話題なんか持ち出しても詮ない事。当時多くの人から「倅さんは骨董はやらないの? 刀には興味ないの?」と言われたもんですが、その方からそんな話題の振られ方をした事は一度もなかったですね。思い返せば「木更津の海も昔はキレイで、潮浜の海岸で車海老が一杯捕れて 東京まで売りに行ったもんだよ」なんて昔話。後に洋服屋を起こし、木更津で一時代を築いた古参の商売人でもあった筈ですから 商いの自慢話が出ても不思議ではなかったのに、私には終ぞそんな話はしませんでした。それくらい、ほんの「ぼっちゃん」の扱いだったんでしょう。そのぼっちゃんが淹れた珈琲を大層有り難がってくれてたわけです。


そのお爺さんも今では天国。一昔も前に脳溢血で倒れられ寝たきりの生活に。三年前、ついに召されたわけです。悲しいもので、病床に伏した時はご自宅を新築されたばかりでした。骨董の趣味は全般としていた方ですから、床の間に飾る掛け軸始め三宝・五宝は選り取り見取り。お宝はお誂えの供箱に有るのが然りですが、人の営みと共にあってこそ輝きを増す事を思えば、我が家こそ最高の供箱です。それを知ってる方であれば尚のこと無念だったのではないでしょうか。


父は「倒れても、もう骨董品は買えなくても、骨董談義は変わらずしたいだろう」と、暇を見つけてはご自宅にお邪魔していました。卒倒されたとは言え一命を取り留めたわけですから、本当はそれはそれで楽しまなければならない。楽しむべき筈です。でも、私は遂に一度もご自宅にお邪魔することはありませんでした。いつしか私も父が作った轍をなぞり、骨董・美術の魅力を知るに至りました。偶然にも紳士が特に好きだった焼物に魅せられてもいました。

でも行けませんでした。それは ほんの子供である私に、呂律も回らず 下の世話も普通ではなくて匂い立ちこめる病床の姿を晒したくはないのではないかと勝手に思ったんです。本当はどうすべきだったのか、今も分かりません。ただ、父が「行ってくる」という時には、朝から珈琲を淹れ、それをステンレスの魔法瓶に入れ、紙コップと一緒に父に持って行ってもらいました。差し出がましいかとも思ったその提案を、父が快く思ってくれた事が嬉しかった事を覚えています。毎回「美味しい、美味しい・・・お兄ちゃんの淹れてくれる珈琲は・・・」と言って下さったそうです。


今日初めて、ご仏前で手を合わせて来ました。生前紳士が大事にしていたお宝を、奥さんが処したいという依頼を受けまして。実はこの件に関して、なにわやは再三相談を受けておりました。この世界、数寄者が召された後というのはそりゃあもう魑魅魍魎の如く。お宝を引き継いだ身内にしたって少しでも高く買って貰いたい。だから面白くない・綺麗じゃない話が飛び交うのは致し方ない事。ただ、この紳士に関しては商売を抜きにしたつき合いがあったからこそ、「こちらから話をすることはしない」と父は決めていたようです。正直に言って「お金にならない」「お金にしてはいけない」という件なのに、相談を受ける度に出掛けて行きました。休みを潰してまで。

骨董趣味も天寿を区切りにすると色々大変だとは聞いてましたが、当事者になって目の当たりにすると斯くもかと絶句します。そういえば、前述の紙コップにしたって、奥さん・家族の手を煩わせない為の配慮なんです。介護で大変な所にもってきて、只でさえ骨董屋というのは伴侶がせっせと貢ぐ輩なわけですからね。まあ、数ある骨董屋の中からお声を掛けて頂く、ご縁を頂けるというのは、こういう人となりもあってなのかなぁと思います。醜くはありたくない、美しく清らかにありたい と思う所存です。


骨董屋の世界にも所謂仁義というのはあるものですが、この際そういうのは置いといても成し遂げたいものはあったそうです。ひとつには、ちょっとでもより高くお金に換えてあげる事。もうひとつは本命で、供に紳士を知る数寄者がなにわやの常連さんにはいるんですよね。本人が自慢にした逸品・本人が口にしたそれを共通の思い出として持ち合わせる事の出来る仲間に導き、故人に思いを馳せたい ということ。

実際、今日一日で色んな事を考えました。実は紳士の愛した逸品はお宝ばかりではなく、それは目の利く諸先輩方なら誰でも知ってることだとも聞きます。それはことによると本人も分かっており、つき合いで我が物としたものもあった なんて話もありますから、数寄者の世界は真に粋で面白い。
尤も、私はそれら実物を知りませんでしたし、紳士のお言葉にしても伝え聞くものしか知りません。でもそれらを繋ぐものがお宝、遺品。今の私なら持ち主の心を知れるだろう、そしてもし生きてお話を聞かせてくれたなら、どんな会話が生まれたんだろうか? わくわくします。


骨董・古美術の趣味人をさして「数寄者」と言いますが、所謂茶道を千利休は「数奇道」とも言いました。「茶の湯」や「喫茶去」は、お茶を以てするお持て成しなわけですが、あの紳士の場合は私に珈琲を頼んでくれることでそれをしていたように思えてなりません。あの人は死んでも尚、私の中で数寄者でありつづけてるんですね。


写真は現在の店頭の様子ですが、元気に咲いている松葉菊は偶然にも三年前の五月に植えた物なんです。身の回りの目につくものが、どうにも紳士を思い起こさせるんですよね。明日からは毎朝の日課になってる珈琲を淹れる時にも思い出すことでしょう。

「お兄ちゃんの淹れてくれる珈琲は美味いんだよ」
  
Posted by garally_naniwaya at 17:09古美術 芸術

2008年04月24日

備前焼あれこれ

IMG_2013

幸はタラの芽・筍・フキノトウ、花は梅・桜・桃。春の話題でも殊更賑やかな息吹が過ぎていくと暖かさに慣れてくるのか、確かな緑の萌えも忘れがち。

でも、庭には他にもがんばる小さな植物が沢山あって、そろそろ蝶や蛾が飛来しないか? 水瓶の抱卵したメダカを見てはトンボが産卵しにこないか? と気を揉んでいます。強くなった日差しと南よりの風は草花にとって恵みですが、成長期ですから水やり等を忘れると直ぐに枯らしてしまいます。自分は首に巻いたフリースをスカーフに、トレーナーをベストに、密かにズボン下に履いたレギンスを脱いだりと 日毎移りゆく季節を実感してますのに周りが見えないのでは数寄者として本末転倒。目と心の感度は豊かであれと思います。


先日、焼物が好きだとおっしゃる先輩数寄者がご来店。齢八十歳という大先輩、骨董歴も相当なものとおっしゃってました。数寄者を自認する方の蒐集に関する武勇伝は大概相当なものですが、口に出る逸品の見所が確かですと説得力がありますね。そういう方なんですから相応の品物は既に持ってるだろうと思うんですが、意気投合して一生懸命話す若造の顔を立てて下さったんでしょう、備前の人形徳利をおつき合いして下さいました。


お客様とお話をさせて貰って嬉しいのは、各骨董品・美術品について 改めてその見所を思い描けることです。同じ数寄者どうしなんですから、お互い品物についての大抵はもう分かってるわけです。それでも敢えてそれを口にするのは、互いが魅せられた逸品、先達の職人が創り時代の人々が受け入れ受け継いだ必然や精神性を、時代の末端にある自分たちも理解出来るからなんですよね。

備前焼もご存じ六古窯のひとつですが、桃山以降江戸時代は以前触れた瀬戸焼同様 伊万里の優位性の前に商業的には劣勢を強いられました。作陶に関して試行錯誤したのもご存じの通りですが、それこそ土物然としたその性質は瀬戸の様な柔軟性を持ち合わせているわけでもなく、結局備前に求められているものは先達の使い手によって明らかにされた焼物だと思います。釉薬を用いたり、意図的に青備前・白備前など桟切を全面に押し出したものは受け入れられなかった。

で、結局自分が目の前にして説得力を持つ備前焼は、江戸時代の町人文化の中で愛でられた生活骨董としての備前だなぁと思い、身の回りの目につく所の備前を集めてスナップしたのが上の写真です。縁起の良さと造形が織りなす佇まいで人気となった備前人形徳利は、それこそ二昔前程には大人気だったらしく、うちにもその名残か在庫が沢山あるわけです。「今更ながら・・・」と言いますけど、時々こうして引っ張り出して眺めると、色々な事を教えてくれるんです。焼物は嘘をつきません。

備前は土味こそが素晴らしく、無釉で色づけ等が出来ないにも拘わらず、千変万化の表情を以て数寄者を飽きさせません。骨董ブームのはしりから「備前しか集めない」という数寄者も多数と聞きますし、実際買取の依頼を受けてお邪魔した事も多数です。そして所謂「備前らしい備前」、ある時代に生まれヒットした 備前史に楔を打ち込むような作品は後代に渡っても愛され作られました。だから多数有る人形徳利でも、時代によって微妙に作り・出来が違うんですよね。

当然それらに値段を付けるとしたら差別化を図らなければ公平なジャッジじゃないだろうと値札をつけてるんですが、人気や現代の要望も手伝って、明らかに時代が上り、味わいや芸術性も見て取れる伊部手辺りを安くしなければならないところに寂しさを覚えたりして。まあテレビでご活躍の大先生達が値付ける「ン百万」だ「ン千万」だと言う言葉に「センセイ、それ最近お得意さんに同手の物をそれくらいの値段で売ったからじゃないの?」と懐疑心を抱く不心得者は反面教師を持つべきだと思いましょう。しかし真っ当な骨董家業をしていたらとてもメルセデス、ましてAMGなんか買えやしないと思うんですが・・・ ・・・閑話休題。


人形徳利も複数並べてみると、口造りや人形の造形がはっきり違うことや手取りの重さが全く違う事が分かります。勿論新しい物だから単に腐すということではなく、これらが備前の歩んだ史実なんだということですね。現代の備前は火襷や桟切が賑やかで、そりゃあバラエティに富んでおり 多くのファンを獲得しているようです。いろんな成り立ちが解明されてきましたからね。窯変の支配もお手の物なんでしょう。

古備前なんて希少なお宝は愛でる機会も語る機会もなかなか恵まれません。でも、備前が持つ土物としての味わいが決して人為的なものでは無いということは分かるつもりです。近代芸術としての備前は陶芸家の内なる感覚なので別物ですが、使い手があってこそ生きながらえた江戸の備前は、よ〜く目を凝らせば多くお目に掛かれるもので、私大好きです。

その一方で、作り手の傲りや恣意的な策略による作品というのを目にする機会も多く、その度にそれは備前一千年の歴史さえ軽んじてしまうんじゃないか? と、思ってしまうんです。だからこそ、長く備前を傍らに置いて楽しんでこられた先輩数寄者に自分が佳しとするその見所を好まれて嬉しく思ったのです。

尤も、現代の備前が使い手の求め・時代の求めによって存在しているのか? その答えは、後代になってしか分からないものなのかもしれません。ただ、生活骨董として在った江戸の備前焼に惚れ込む現代人が居るということ。そしてその魅力は、備前の見所として受け継がれていく事は間違いないと思うこと。現代の数多いる備前焼の陶工にあっても名を成す為に奇をてらった作品を造るのではなく、愚直なまでに備前の持ち味を作陶している職人さんはいますので、そういう方の作品にこそ目を向けて欲しいと願いつつ 備前の味わいが分かる先輩数寄者との縁に嬉しく思った静かな春の一日でした。

  
Posted by garally_naniwaya at 14:56陶磁器 焼物

2008年01月27日

片岡球子

片岡球子
空気の冷たい冬の朝。毎週日曜日は隣町のスーパーマーケットに、開店と同時に車で駆けつけるのがいつのまにか習慣になっています。寒さと眠気に出掛けは嫌々だったりしますが、空気の澄んだこの季節、海の向こうの富士が近くに見える時だけは、嬉しい気持ちにさせてくれます。何時か御縁のあった写真の片岡球子『本栖湖の富士』を思いだしながら。

その折りにつきましては、以前なにわや店主が書きました骨董三昧四方山話に委ねるとしまして、その時「勉強になるから」と拝見仕りました同作品。

場末の骨董屋に集まる田舎の古美術愛好集団とはいえ、勉強熱心・感性豊かな上総古美術研究会客員の諸先輩方の多くでさえ「わからない・・・ ・・・」という声を聞く球子芸術です。ひよっこに解る筈もなく、唯々美術・芸術の奥深さを思い知らされ、勉強し始めて間もない小僧っ子は先を思い途方に暮れたもんでした。

今になって思えば、日本の絵画芸術というのは我が国の歴史の中で連綿と育まれてきたもので、その様式美もしっかりとした説明がつくものだと理解できます。大陸の影響を受けながらもこの国の風土が大和絵を形成し、武家社会において求められた美意識が時代の変遷の中で狩野派・土佐派・林派その他お庭絵師を育み、ある意味ひとつ処に完成を見いだそうとした。同時に、大系を容認できる中にあって個人の精神性が文人画を生み出したと、かなり乱暴な物言いですが未熟者をも納得させる必然が我が国の絵画にあるのは確かでしょう? 先輩方。


近代絵画はそうした体系に縛られる事無く、また他国の文化や技法に影響を受けつつ斬新な表現に至った芸術で それこそ一筋縄では括れないもの。多くは画家の内面・精神世界に飛び込んでいかなければ解せないわけで、一瞥くれたくらいで把握出来なくてもなんら恥じる事はないでしょう。寧ろ古美術の必然を勉強すればするほど理解不能に陥ってしまってもさもありなん。


そんな片岡球子先生の作品ですが、嘗ての御縁があったからか この度の訃報を聞いてからなにわやでは懸かる話題が賑やかでした。勿論画家として「当代きっての一人」「随一の画家」と聞かされておりましたし 世に認識されているのも承知でしたが、読売新聞の一面を割き、編集手帳にまで話題とされていると、漫然と事の重みも感じたりして。


結局今現在も球子芸術のなんたるかをこれっぽっちも理解出来てない未熟者なんですけど、初めて見せられた時 はっきりと覚えている事があります。それは「小林古径にその才を認められ、それを励みに自身の作画に邁進した」と父から聞いた時で、芸術の、もしくは芸術家の然とした感性の存在を思った次第です。

小林古径といえばこれも私如きが語るのは憚られる、自身が画家であるに留まらず近代日本画の発展に貢献した存在なわけですが、私にとっては『巴人先生の師』としての存在の方が遙かに身近なんです。

ご存じの通り小林古径の絵といえば陳腐な言い方で申し訳ないですが綺麗な絵じゃないですか。その師に学んだ巴人先生の画風と言えば言わずもがな『憎めない人間の欲が描かれている』絵画。その昔は巴人先生も所謂『綺麗な絵』は描いていたわけだし描けるのだけれど、紆余曲折・一心精進し辿り着いた結果があの『巴人芸術』。


その事実は常に私の頭を離れることはないものなので、片岡球子先生の作品を前にして「芸術にも縁というのはあるものなのかなぁ」と思ったものです。まあなんのことはない話しなんですけど、そんなことがあったから、難しい片岡球子芸術も、多くの美術と接していれば いつかははっきりと堪能出来る日がくるのかなぁなんて思ってます。




  
Posted by garally_naniwaya at 12:40古美術 芸術

2008年01月19日

尾形乾山と小堀遠州

ノースポール

最高気温が5℃とはとても房総の気候とは思えませんが、子供の頃は家の中で吐く息が白かったもの。温暖化云々といわれて久しいですが、これが本来の冬なんでしょうね。

コタツから出てる部分はとにかく冷たく、風邪をひかぬよう例年以上に注意を払うのは良いことかもしれません。しかしただでさえ殺風景になりがちな季節。花壇に目をやれば力強く咲いているお馴染みの花があったので、ホツれた明治の伊万里に根毎移して店に持ち運びました。その名をノースポールというそうですが、よく名付けたものだと思います。


気がつけばここの更新も間隔が開いてしまいましたが、生業でもありますし一数奇者として骨董・古美術と向き合わない日は無く 鈍い感度なれどアンテナも立ててはいるのですが、どうにも戯れ言を綴る意欲が沸かず・・・ ・・・

純粋に楽しみでチャンネルを合わせるテレビの美術番組。数々の美術・芸術にあてられて興奮したいと思っているのに、どうしても納得できないことばかり。表現・構成の裏に誰かの策略が見え隠れしてしょうがないんですね。


先日もNHK『新日曜美術館』で尾形乾山の特集をやるというので楽しみにしていたのですが、蓋を開けてみれば必要以上に、いや 事実・史実以上に乾山の名を持ち上げる制作関係者の作意・作為の表れの数々。もう塊と言ってもいいくらいの作りに辟易としてしまいました。

番組の中では乾山を「日本の器を変えた男」「敢えて京焼の技法を云々」と、とにかく乾山の功績を着色しまくりでした。実際は当時の京が地の利を有し、各地の物的な芸術品は元より、精神的な芸術性さえ集まったからです。番組の中では先ず優れた器として伊万里を引き合いに出してました。それと対比して乾山の京焼は云々という流れ。

当時の京は芸術を理解する数奇者の集積地・発信地でもありました。一大商業地です。その中には伊万里の仲買人も多く、焼物として陶器よりも優位性の高い伊万里は大人気でした。浸漬性が無く自在に絵付けが出来る伊万里の素晴らしさは言うまでもないでしょう。一方で元より茶の湯の精神性を受け継いだ地でもある京の有識者・数奇者は、伊万里磁器とは対極にある侘錆の鑑賞にも長けた者たち。乾山に限らず当時の京では、既に一大生産技術と規模を有し一世を風靡した伊万里に 同等の焼物で太刀打ちすることは敵わなかったんです。

先ず、伊万里が長い時間をかけて培った技術、数多くの職人を育てる事や窯をこさえる事が出来ない。焼物に適した土はあるけれども、大きな窯を築く場所や燃料であるイスが無いし、そもそも有ったとしても遠く九州から買ってきた伊万里ブランドの方が明らかに利益があがります。
だからこそ小さな窯で、当然低温で焼ける京焼を作るしかなかった。乾山が京焼を選んだのはただの必然なんです。
また乾山が焼物のプロデューサーとして優れていた事は確かでしょう。幼少の頃から恵まれた環境にあって、多くの芸術に囲まれて生きてきた。優れた芸術性・美術に対する認識と感性を持ち合わせていたのは当然。しかしこれは、当時の武士・公家の者であるならば精通して然るべきであって、乾山だけが特別というわけではありません。乾山ならではの個性を語るならば、兄光琳程には芸術を自らの手で生みだす術を持ち合わせていなかった。だから自らの豊かな感性は多くの人に売り込む事、商才の方に長けていたと紹介するべきだったと思います。林派の力を借りて乾山ブランドを京焼のひとつの形としてヒットさせたのは間違いなく彼の功績でしょうからね。

それにしても番組の冒頭、当時の乾山窯を再現すると言いながらご都合宜しく寸法を小さくして陶器の粘土が入らないなんてお粗末な事をしながら研究だ実験だと誇らしげに公共の電波に乗せてしまうとは。それが国立大学のセンセイによるものだってんなら焼物に対する冒涜でしかないし、官費の無駄遣いも良いところですよ。


また、先達ては小堀遠州についての特集。庭師・造園師としての功績を、あたかも独創性による天才的な所業と紹介していましたが、余りに乱暴過ぎます。結論から言えば遠州は武士。仕事に置いて優秀な官僚としての働きがあったことは認められますが、その存在理由は身分・生い立ちから形成されたもの。

小堀遠州という個人はなにも奇跡的に・突然変異で生まれた天才ではありません。大事なことは武士として生まれ、藩主・ひいては将軍様へ仕える立場であるということが全てです。実は武家社会は縦割りにしてその価値観や存在理由は一つ所に集約します。だからこそ武家社会は800年もの間世を治めたとも言えます。そこには基本、没個性が着いてまわります。ただ、地理・地域の特性は様々で、この部分は一様にはいかず、これが同じ社会的立場・階級・階層でありながら容易にカテゴライズ出来ない事になります。それこそが『文人』の在り方にみることが出来るわけですが、それはまた別の機会の戯れ言で。

とまれ武士である信長や秀吉が茶の湯の世界観を楽しんだように、遠州も武士という立場にありながら茶の湯に魅せられた者です。前述の天下人達と違うのは、自分は一家臣であるということ。この立場を考えるなら、茶道を愛することは出来ても数奇者然と構える事は叶わない。いや、正確に言うと武士としてのアイデンティティの上に茶の湯を楽しむことになるわけです 本人の在り方として必然的に。

元々武士の有る場所は武家屋敷です。官僚として執務が滞りなく行える空間。その為の創意工夫があるわけで、それが書院造り。この作りに囚われない様、差の湯の精神世界を堪能・探求する為の空間が数寄屋造りなわけです。人の在り方を自然と重ね、その様はまさに侘び錆びであるとして漠然とした有り様だった茶道。

その世界を愛しながらも武士という自身の天命を知るからこそ、遠州は『カッチリした』様式美を自身の作品や生き方に取り入れたんです。遠州という個を語るなら、殊更本人の大業偉業を取り上げ脚色するのではなく、その精神世界を作り上げた日本古来の史実やその中で培われた精神性を提示すべきなんです。

それがなんですか、後に展覧会や特別展でも催されるからと、必要以上に本人を持ち上げたんでは多くの人に誤解を招きかねません。そもそも案内・進行役のタレントや『その道の有識者・オーソリティー』という方達が「そっちの方へ」持って行こう持って行こうとするのでは、観ていて文句しかでませんし、こんな戯れ言の場とはいえ唯の文句言いになってしまうと、キーボードを叩きかけては手を止めてばかりいたんですよね。

でもまあ、こういうマスコミや公示に対して言いにくいことを憚らない文章はあまり見かけませんし、それを好き勝手ほざけるのも不勉強を自認できる未熟者の若造なればこそかと書き殴ってみました。古美術を愛でる気持ちを以つ方が、何かしら感じえてくれたらそれだけで充分と考え、今年も気が向きましたら好き勝手宣いたいと思います。



  
Posted by garally_naniwaya at 14:53古美術 芸術

2007年09月21日

煙草盆

煙草盆

猛暑厳しい今夏も、9月のカレンダーに併せるように過ぎました。骨董屋は常に季節を先取りしなければならぬものですが 心も身体も連日の暑さに辟易としていたのでしょうか?今年はごく自然に、秋の装いへの変更が出来ました。

ところがそれをあざ笑うようにその後房総は連日厳しい残暑。季節と共に生きることを粋だと洒落てみましても、道楽の添え物にしているお気楽モンにはこんなもの。お客様を迎えるつもりで並べた道具達の座りが悪いのは、全て未熟者のせいですと言い訳しているこの頃です。


写真はその中のひとつ煙草盆。特別な代物というわけではないですが、合わせ目や材の取り方・用い方等しっかりとした出来。紫檀は長年愛された時代を纏って、味わい深い佇まいとなっております。

この煙草盆、実際の用途はキセルの為の道具でした。火を点ける為の火入れ、雁首を打ち付けて灰を入れる為の竹筒、必要な組み合わせが機能美としてこう形作ったわけですね。今煙管を燻らせる人はまず見ませんが、ほんの昔の煙草と言えばまず煙管。お客様がいらっしゃったら意の一番に差し出したのがこの煙草盆だったと言います。それくらい「ご足労ありがとうございます、どうぞ一服点いて下さい」というお持てなしの所作だったのでしょう。


でも今の時代普通に煙管を吹かす人はいないわけで『時代の変化が生活様式のそれを招く』典型であり、どう考えてもこれをそのまま使うということは希になってしまいました。しかし我々骨董愛好家は、それを嫌と言うほど寂しく思いつつも、そこにさえ楽しみを見いだそうとする人種。

お茶の世界では今も『寄付き』に用いて、お客様をお持てなしする心遣いの表れとしています。実際にそこで煙草を、まして煙管を点ける方も皆無ですが これこそ美徳というものなんでしょうね。数奇は書院から逸脱した世界観ですが、行であり草なわけで 讃えるべき様式美があるわけです。


ところで生活骨董という道具は、必要な物だから沢山求められ作られ、それこそ巷にゴロゴロ転がってる物です。それでいて昔の職人が作った物だから出来は絶対にしっかりした物。いい加減な物なんかあるわけが無い。それらが潤沢にあるが為に、非常にお求めやすい値段で売買されていたわけですがそれも今は昔。なにしろ普段使いの物じゃなくなったわけですから、骨董屋の手を経て数奇者に届く前にみ〜んな放されちゃったんですね。

これは煙草盆本体は勿論ですが、中の火入れもそうなんです。ちょっと前には焼物で味わいのある火入れが随分目に付いたんですが、最近は本当に少なくなりました。煙管に火を点ける為ではないんですが、火鉢やそこから火を移すのに何気なく重宝していたそれらが手元になくてお客様の要望に応えられなかったり、バラエティに富んだそれらを愛でられなくてふと寂しい思いをする機会が増えました。


この煙草盆を前にお茶人と話をさせて頂いたのですが「中の火入れは気に入った器なんかでも良いよね」なんておっしゃってました。確かにテレビや物の本において、煙草盆の中に大層立派な陶磁器が鎮座ましておられるのを見るのは枚挙に暇がありません。実際に火を点けられ使用してもらうこともないのだとすれば、これはもう煙草盆は調度品でしかないわけですから様式美として形だけ残しておくだけでいい。別に目くじら立てることはないのかもしれません。

でもですよ、私はちょっと納得できないんですね。数奇者は己の道楽者であり、掟や他者に縛られて事にあたっているわけではない。見立てにしても自身の解釈で、どうぞ好きに展開すればいい。それがセンスのあるものか否か、それは他者が勝手に判断する事であって気にしなければ良いだけのこと。


でも、茶事の基本はお持てなしの心。相手が在って初めて成り立つ世界です。それなのにお客様の為に用意する道具が、お客様の意識を無視して己自身の満足に終始する存在であっては本末転倒だと思うのです。用いる道具は確かに立派な古伊万里の深向付かもしれない、古九谷の膾皿かもしれない。でも火を使う道具は必然、その火が触れる所は施釉していないものです。これは機能美として然るものとなり、様式美と認めるべき約束ではないかと思うんですね。結局いつも通り、未熟者をいいことに好き勝手述べさせて頂いたわけですけども。


まあでも現代は、大宗匠があぐらを掻いたお点前を説こうって時代ですよ。趣味の世界は好きなようにやれば善いのが原点。ですが、自らの戒めを低く見積もって、自分の器につまらない物を選ぶ事もないと思うんですよね。

折角好きこのんで数奇者やってるわけですから。  
Posted by garally_naniwaya at 13:47生活骨董

2007年06月25日

用の美の壺

用の美の壺
気象庁の入梅宣言も虚しく我が房総地方も空梅雨傾向ですが、気が付けば庭の紫陽花も遠慮無く鋏を入れられる昨今。

この駄文でも心がけていることに時候の挨拶がございますが、この時季はいつしか巡る季節のそれとして意識するようになってます。急ぎすぎる時代、気持ちに一段落つけさせるのは梅雨の効能なのかもしれません。


先日新聞の編集手帳で「感性」という言葉について触れておりました。取りわけ我々古美術愛好家・数奇者にはお馴染みの言葉ですよね。私も好んで、けれども注意して多く用いる語彙であります。

記事は『多くの美術・芸術の中で、特に我が国のそれには素晴らしい感性があって、これをしっかり継承していかなければならない。美術工芸の世界で次代の職人を養成し教え導き、そうすればいずれ世界に日本の「KANSEI」として認知されることだろう、そうあって欲しい』 というような内容であったと思います。ちょっと待って欲しい。


優れた、所謂「逸品」という物は、確かに豊かな感性によって生まれます。出来上がった品物にそれが見て取れるのも確か。芸術・美術というのはあらゆる分野に及ぶもので、それぞれの世界で生まれた・それぞれの世界で育まれた感性というものが存在するのも事実。けれどもそれは、その世界だけで独立しているものではなく、その世界だけで切り抜いていいものでも無いと思うのです。


骨董を持ち出すまでもなく、優れた芸術・美術は時代が作り出すもの。その時代の政治・経済・信仰・人々の暮らしや社会が、必要な道具や愛でる物の特性を形作るのです。そこにはそれぞれの社会にある理が必然と存在するわけです。

考えてもみてください。貴族社会では季節を感じ、書を解し、歌を詠み、天と地と人の理を理解するのは嗜みにして掟です。豪族にしても公家への羨望から始まって武家社会を形成し、文武両道 崇高なる文化を作り上げました。そのようにして自分の置かれている社会やあらゆる接点、ルーツである歴史にまで立ち返って、自己を探求したわけです。

それは形は違えど町人はじめあらゆる集団においても言うことが可能です。職が身分を定めていた封建社会を考えれば当然、各職業集団においても共通した独自の思想・意識・自然や得体の知れないものへの畏怖・感謝・信仰等があるわけでしょう。そういった人格の上に技術や意匠を継承する事の重みを知るわけです。新たな創造を求められた時にも、決して犯してはならない戒律を知った上で行う筈です。


つまり感性というのはなにも、受け継ぐべき技術的なマテリアルハンドではないし、まして特化した個人の奇跡的な類い希なる独自性を指して言うものではないと思うのです。だったら、こうしたものを現代の伝統工芸宜しく支援を贈って恣意的にこさえようたって無理です。その前に大事なことは、人としての常識や良識ですよね。あるいは道徳とかモラルと呼ばれるもの。だからこそ今、教育のあり方が問われるのでしょう。


先輩数奇者の方々とお話をさせて頂いて「この人には敵わないなぁ」と感じるのは、話の場面に適した古文や短歌をスラッと出して物事の意味や意義を分かり易く教えてくれたり、心情を伝えられる時。それが決して知識をひけらかした感じじゃない時は「いつか使ってやろう」とか思っちゃいますよね。
冗談はさておき、有名な文学作品や映画、お馴染みの古典落語なんかでもそうですが、色々な物を見聞きし、もっと言うと色んな人生経験を多く積んで、その都度感じた喜怒哀楽が個人を形成していくということなんですね。そういう上に感性は身につくと。

我々数奇者は、前述のような『モノ』と対峙する者です。この国で、この国が生みし、この国の美術・芸術・道具・先達が慈しみ育んだ創造物を目にする者です。だったら同じように、それらが生みだされた時代をはじめとする素地を知った方が特。そうすることによって、本当に素晴らしい作品・感性に触れたとき感動できますから。


お堅い話はおいといて、写真は明治からこっちの大瓶。高約40cm、横約50cm。寸法がいい加減にしか表せないのはご覧のように形がひしゃげちゃってるからです。本来は水瓶や穀物瓶として生まれてくる予定が、窯の中で運悪く転んじゃったんでしょう。道具としては本来不良品ですが、窯から出されても破棄される事なく今日に至るようです。

というのも、生活用具でありながら口作りにちょっとした工夫が見られます。ヘラを当てて口縁を設けているんですね。こういう焼き物に対する制作者の拘りが愛情となって、不出来なものでも反故に出来なかった。実際歪な形状にはいやらしい作為が無く、結果として愛らしい出で立ちとなりました。座りは悪いのですが一応落ち着いて、私もこの中でメダカ等を飼いたいと思いながら、天下に晒しては持っていかれやしないかと葛藤し続けた壺です。先頃嫁いで行ったのですが、用途は新しい持ち主の見立て次第。丁度このコラムの題になぞらえて『用の美の壺』と洒落ました。

産地についてはこの出来損ないを明らかにしたとあっては名窯地の名折れ、と気遣うわけでもなく 特定出来ません。この時代の生活道具は必要から各地で盛んに焼かれました。大窯で纏めて、それも焼けば売れるという状態ですから扱いが雑になる傾向もあり、結果各地の特色がブレるので 特定しかねるんです。まあ「岐阜周辺の・・・」と留めておきます。
土の極めが細かく、でも高温での焼成が甘かったのかなぁと見れば備前や瀬戸界隈の可能性も見て取れ、当時土間で使うことの多かった事を考えると祖母懐や田土なら相性が良かったんだろうなぁなんて考えにも及んで、吃驚するような品ではありませんが見ているとなかなか楽しませてくれた品です。

次から次へと出てくる戯れ言も、私には数多の骨董品が教えてくれた基本の積み重ねによるもの。これらが在った時代に、どのような人がどうやって使っていたのか? そこに季節という要素をブレンドしたらどうだったのだろうか? そんな事を考えながら思い描くようになったものです。いつかこれらを礎として、誰彼に聞いて頂いてもおかしくない自分なりの感性が身につけば良いのですけどね。


でも、そんなに難しく考える必要は無いと思うんです。確かに我が国の芸術・美術が持つ感性は素晴らしく豊富です。その理由は色々ありますが、平たく言ってしまえばこの国には四季があり、南北に長い島国であるからだと思います。その国で生まれ育った我々は、日々の営みを有意義に 注意深く送っていれば、それだけで感性が身につくラッキーな星の下にあるとも思います。そう、たとえ作り手でもない、技術的な事が分からない者でも理解できる、感じることが出来るのが感性なんです。美術や芸術というものは、いつだって人に平等な筈ですから。

先ずは外に出て、身近な景色を見ることが大切だと思います。



  
Posted by garally_naniwaya at 16:06陶磁器 焼物

2007年03月11日

瀬戸織部油皿

瀬戸織部油皿
窓辺に置いてあります昨秋枝葉を摘みました鉢植えの芙蓉から新芽が顔を覗かせました。そうした方が良いと言われながらも剪定したのが初めてでしたので、暖かくなってきたここ数日はそわそわしておりました。今後は忠実に出し入れして日光浴させてあげなければ。温暖化が声高に叫ばれておりますが、芽吹く季節の訪れはやっぱり嬉しいものでございます。


写真は径約21.9cm、高約2,7cm。お馴染み瀬戸の油皿です。お馴染みとは申しましても、最近はそうそうお目にかかれない生活骨董になりました。まして絵付けも当たり前に見事で思わず手を止めてしまうくらいの品となりますと、関東の場末に構えます当店では記憶を辿るのに時間を要するほど。15年、20年ほど前に遡ればこれらが気の軽い骨董品としてゴロゴロ在ったというんですから、諸先輩方の羨ましい事といったら。

土や燃料は元より、釉薬との相性から多彩な表現を可能とした色絵付けの妙。しかし桃山以前からの隆盛はそれらがより長けた特徴を持つ伊万里始め磁器に圧されることとなりました。それでも窯を維持するにあたって潤沢な材量と、各地との交流が盛んであった地の利から絶え間なく様々な手が生み出され愛され続けてきたわけですね。


此方の品も油皿という道具、つまりは生活骨董。今現在同じ用途で使ってあげることはなかなか叶わないことですが、そこは我々数奇者が得意の見立てを持ち出すまでもなく、この見事な出来映え 綺麗なこと。ご覧いただいている通り織部特有の緑釉が成す釉薬の調子・流麗な鉄絵の筆致・そして土物特有の味わいと相まって時代が生みし纏った枯れた佇まい。生活道具であったことから考えると、本来使って然るべきである筈なのにその痕跡がない。大事に伝播されてきたのは元より、菓子器やそのまま観賞用として愛されてきたのかもしれませんね。

前述と被りますが瀬戸の焼き物は本当に多彩で、細かな生産地を特定するのは困難なくらいです。特に幕末から明治辺りの瓶や壺等生活骨董と出会いますと様々な土の変化があって、それらと向き合うとき当時の窯業に携わってきた人々の様子にまで思いを馳せたりします。そうして古くは桃山の織部から連綿と綴られた土との繋がりの端っこを、現代のひよっこでも掴ませて貰える。作り手が使い手の心を思って拵えた瀬戸の作品には、そんな力があるんだなぁと感じます。

そんなわけで、嘗てゴロゴロしていたという作品群もなかなかお目に掛かれなくなって来ました。それは決して失われたわけではなく、恐らくは愛好家を伝播して人知れず愛でられているんだと思うんですね。折角の機会にひよっこも、時代が伝えてくれた土物のぬくもりや枯れた味わい、そこから教えられるという侘び寂びってヤツを覗いてやろうと思います。

光を当てなければ成長しないのは、なにも植物ばかりではないですよね。
  
Posted by garally_naniwaya at 13:21陶磁器 焼物

2007年01月19日

如是

巴人如是

便りの無いのは良い便りなんて言いますが、疎遠がお互いの多忙の為であるならばまことですよね。

記憶も新しい年末の岩崎巴人展ですが、今年もなにわやに先生から年賀状を頂き、我が家は素より 骨董屋としても嬉しい一年の始まりとなりました。先生がお元気そうで何よりです。写真アップロードは岩崎巴人ファンの皆様へお裾分け。


有難い事に、年末年始のご挨拶を常連さんは決まり事のように律儀に交わしてくださいます。浮き世の義理と共に、季節と共に生き 節気を大切にする数寄者のこだわりを、身を以て教えて下さるのだなぁと感心しきりです。時代のお道具を糧としている身なればより一層大切にしなければ。


とは言え年末年始のご入り用はどちらの家庭も言わずもがな。毎年そうですが、正月は月末まで静かなもの。そりゃあ本気でお宝を探し求める数寄者なんて、いたら暢気者ですものねぇ。

そんなもんで、努めて気軽な気持ちで店番をしております1月なわけですが、30歳前後の営業マンと思しき男性がご来店。「お茶道具はバラバラに置いてあるんですか?」なんて聞かれました。

「えっと・・・ ・・・何かお探しの物がおありですか?」と答えますと「建水を」と。茶の湯を嗜む人にお越し頂けるなんて、道具屋として最高に嬉しい事のひとつです。一体どんな趣味趣向をお持ちなのかしら? 茶道そのものに魅せられたのかな? それとも、それらを形作るお道具がお好きなのかな? 逸る気持ちを抑えて声を掛ける頃合いを見計らっております。と、お客様の携帯電話が鳴りましてマナー宜しくその場を離れ店外にお出になって受話、と思いましたらそのままお帰えり遊ばされました あれ〜?


まあね、巷に数ある骨董屋の中から わざわざ当店に足を運んで頂いたのです。文句言うのは罰当たり。常識も良識も持ち合わせていない丁稚だなとお叱りを受けるのは重々承知で申し上げます。

茶道を愛し、それを口にするなら先ずは挨拶からではないのですかと。「こんにちは」「見せて下さい」「ありがとうございました」という言葉が何一つ聞かれなかったのは寂しい限りです。いや、勿論そういうことは求めてもイケナイものなのでしょうけれども、まだまだ未熟者故。そもそも「茶道具がバラバラに置いてある」なんて言われちゃいますとねぇ。


個々の道具には様々な顔があります。茶碗・香合・水差・建水にはお道具としての顔は当然ですが、焼き物や金の物としての顔もあります。また特定の時代が生んだ意匠や道具としての用途を切り出してみるとそれも面白く、他の骨董品や道具類と並べて置くことで活きてくる見所が在るのもご存じの通り。

ならばですね、しっかりと道具と向き合って愛でてるつもりの骨董屋にあっては、なんの意味も無く置いてる物なんて在りはしない筈のですよ、その見映えは兎も角といたしまして。
店頭入り口からお客様を迎えるように置いてある狸の置物、ぽっかりと大口を開けた壺や火鉢の陶器類に始まって、銅壺の中にある炭や灰の佇まい。敢えて作りかけでおいているアルマイトの鍋中にある湿し灰等、一点一点に点前勝手ながらも道具を預かる者の意識を偲ばせているつもりなのですが、バラバラですか そうですか。言葉って大切ですね。


まあ日頃から茶の湯の世界の素晴らしさに感嘆を覚え口にしましても、私なんかそれの良いとこ取りだけさせて頂いて、点前勝手と日常を満足させているだけ。でも茶道の本質はお持て成しの心だと思っております。そのお題目を良いことに、今年もココで是この通り、戯れ言を宣ってまいります。不肖ですがおつき合いくださいませ。  
Posted by garally_naniwaya at 16:40生活骨董

2006年12月13日

岩崎巴人企画展に行ってきました

岩崎巴人鯰
朝、店頭の水甕に目をやりますれば 水底で冷たさに耐えるようにじっとしています目高達。体調は良いのか悪いのか・・・ ・・・これから連日、揉んでも仕方ない気を持て余すことになるのですね。木更津もしっかり、冬になりました。


休日、先だって紹介しました菱川師宣記念館の「岩崎巴人企画展」を観てきました。感想を備忘録として宣うにつき、礼節を欠いた物言いは人として如何なものかとは重々承知してはおりますが、そこは未熟者の戯れ言故、寛大なる先輩数寄者の皆々様にはお許し頂きとうございます。


はっきり言ってがっかりしました。いや、未熟者故「お前に何が分かるのか?」と言われれば言葉もありませんが、この未熟者にしましても「これが岩崎巴人世界の全てだ」なんて思われたら些か穏やかではいられないのです。少なくとも作者の名を冠する展示・展覧会を催すなら、せめて唸らされる一幅や二幅は在るべきではないのですか? 少なくとも拝観料をとっているのなら。


この展示会をお教え頂いた時から早々に拝見しにいかなければと思っておりました。ただ、どうにも時間がとれずこの日となったわけですが、父はとっくに上総古美術研究会の同志と伴に拝観済みでした。思えば何も語らないことが、色々を語っていたのだと思います。普段あれこれ勉強しろだとか口にしない父ですが、何かしら必要と思うことがあるらしい時は「一回観といた方が良い」と言うのが口癖の先生です。まず滅多に無い事ではありますが。
しかし、少なくとも『愛すべき文人画家・岩崎巴人』の展示会を前にして「一回観といた方が良い」が出ない、というのはさもありなん。


要するに、今まで観てきた巴人作品、普段身の回りにあるなにわや収蔵の先生の作品が素晴らしいという事なんですね。随分手前味噌に奢った話しになりますが、思えば父なにわやが巴人先生とおつき合いさせて頂くようになって二十有余年。画題さえも依頼して描いて頂いたその作品群は先生の大いなる感性が充ち満ちて、また依頼主との訳知った気心も手伝って力感溢れる仕上がりとなったのでしょう。

帰路の車中、例えば先生がなにわやを前にして描いた写真の鯰を思い返し、この未熟者はそう感じずにはいられませんでした。そして不謹慎ではありますが、絵師としてそういう時期であった という思いを抱いた事も事実です。私は、それが分かっただけでも行って良かったんだと思います。


余談ですが、絵描きの残した筆の跡には、言葉にしては無粋なおつき合いが生んだ物もあるということですよね。それが僧籍を持った画人 岩崎巴人をしても避けて通れない。いや、巴人先生だからこそなんでしょう。徳を積まれた方は、俗も充分ご存じなはず。私が遠くから伺う巴人先生は笑みの絶えない、本当に柔和な方ですし。

なにわやが初めに巴人先生に依頼した画題に『寒山拾得』がございます(先の戯れ言に使った画像です)が、今、父がこの画題をお願いしたのが分かるような気もします。ご存じのように拙いながらも私が必死になって考えた巴人世界は「憎めない欲が描かれている」というものです。ですから、巴人先生が好んで描く画題は多々在りますが、これぞ真骨頂と呼べるモチーフのひとつが寒山拾得ではないかと思いますし、だからこそ、よくぞそれを依頼してくれたという気持ちさえあります。


何れにしましても、画家の生涯に触れるという希にして貴重な体験をさせて頂いている小倅。縁となる作品群を前にして、せめて必死に 勉強させて頂かなければと思っております。

  
Posted by garally_naniwaya at 17:50掛軸 書画