@武井 泄月袴













私は何をしても続かない人でした
中学・高校では成績はトップクラスでしたが
田舎から逃げたいという理由と家庭の事情で上京
東京の美容専門学校 に入りました

そもそも美容師になる気など初めからなかったのです
部活やサークルに入るまでは良かったのですが
すぐイヤになって
結局
卒業試験も受けず中退するような人だったのです

ダンサーとかメイクアップアーティストとかデザイナーとかいう
カッコイイ仕事にあこがれていた私
それでも

そんな厳しいプロの仕事に自分は向いていないよ 
私なんかにできっこない


自分勝手に断念していました

そんな私にも
やがて就職の時期がきました

最初
私は大手エステの企業 (TBC) に就職します

入社したての新人は永久脱毛しかさせてもらえず
単調な毛抜きの日々がイヤになりました

なので全くやる気になれません

勤め始めて3ヶ月もしないうちに店長や先輩に我侭を言い
そして衝突
あっという間にやめてしまいました


次に選んだ就職先は会員制の倶楽部で
リゾート会員権を売る営業職でした
給料で決めた仕事でした

しかし入ってみて
ノルマが厳しく1度は新人賞をとったのに
その後が続かず

自分が予想していた仕事とは違う 

という理由で
やはり3ヶ月ほどでやめてしまいました

そんな中
今度は手堅い仕事に就こうと
医療事務の資格にチャレンジしました
しかし地味な点数計算に挫折
それも中途半端に終わり資格取得半ばで諦めました
それでも次に入った会社は医療系の会社でした

しかしそれも

やっぱり
この仕事じゃない給料が安いしつまらない 

と言ってやめてしまいました

そうしたことを繰り返しているうち
いつしか私の履歴書には
入社と退社の経歴がズラッと並ぶようになっていました

実家からも

何をやっても 中途半端 
何をやっても 続かないダメ娘

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そんな烙印を押されていました

すると
そういう内容の履歴書では
正社員に雇ってくれる会社がなくなってきます

ついに
私はどこへ行っても正社員として採用してもらえなくなりました

当時の私の愛読書はトラバーユ (当時の就職専門誌) となりました

だからといって
生活のためには働かないわけにはいきません

なのでお決まりの如く夜のバイトをし始めました
水商売を舐めていた私は手痛い仕打ちを同僚 (プロのホステス)
から受けました

水商売すらできないのか・・・

そんな間違った感覚を持ってた私

愚痴ばかり吐く娘を見かね
田舎の両親は

だったら帰って来ればいい

と言うしかありませんでした

しかし
負け犬のようで帰りたくはありません
実際 完璧なまでの負け犬っぷりでした

結局
私は時給を稼げる派遣会社に登録
ここでもやはり
給料 = 金
しか頭にありません
ところが
なんのスキルもない私には
時給の高い仕事はまわってきません
ですから会社の人間も冷ややかな目で私を見るようになります

こんな私でしたから
当然派遣も勤まりません

すぐに派遣先の単調な仕事がイヤになりました

イヤなことがあればその仕事をやめてしまうのです


そんな私の履歴書には
やめた派遣先のリストが長々と追加されていきました

ある日のことです

例によって

自分には合わない 

などと言って派遣先をやめてしまった私にも
仕方ないという感じで新しい仕事先の紹介が届きました

掃除婦の仕事でした

そんな私ですから続くわけはありません

どんどん仕事のレベル (質) が落ちてく・・・

そんな風に考える日々が続き人生がイヤになってきました

そーしてまたエステ業界に入り業界を転々としながら10年が経過

そーこーしている内に私は34才になりました

私の友達は次々に結婚し出産
家庭人となり
益々孤独路線になりました

一方
休日もない18時間労働のエステの仕事は
結果

私のする仕事ではない 

そんな判断で実家の親の病気をでっち上げ
故郷に帰省しました=尻尾を巻いて逃げ帰ったのです
この時も上司と喧嘩しやめてしまいました

ところが
実家に帰れば帰ったで
結婚の2文字で
うんざりする日々に耐えなければなりませんでした


当時
給料がいい
という理由だけで入った資格取得の学校で
また支店長と喧嘩

手ごろな県外の男性と結婚し退職

そーして
煩わしい身内から逃げるように
再び県外に逃避行を企てました

とはいえ
今までさんざん転職を繰り返し
我慢の続かない自分が
私自身も嫌いになっていました
おまけに
そんな自分を誤魔化すかのように結婚に逃げ
苦し紛れに自分を正当化していました

なので当然結婚生活も上手くいかず

わずか
3年で離婚


もっとがんばらなければ
もっと耐えなければダメ


ということは私にもわかっていたのです

しかし
どうがんばってもなぜか
何をやっても続かないのです


この時
私はとりあえず離婚届けだけは書いてみたものの
決心をつけかねていました

するとそこへ
実家から電話がかかってきました


そんなにイヤなら帰ってくればいい


これで迷いが吹っ切れました

私は新築の家を引き払ったらその足で離婚届けを出し
田舎に戻るつもりで部屋を片付け始めたのです

嫁いだので
荷物の量はかなりのものです

あれこれ段ボールに詰めていると
情けなくて自然に涙がこぼれてきました

そして1枚の図面に目がとまりました

家を建てようと決めた時
寝る間も惜しんで描いた手描きの庭と外構の図面でした

何気なくその図面を見つめているうち
私は

デザインの仕事がしたい

と小さく書かれている紙キレを発見したのです


そうだあの時
私はデザイナーになりたくて
何枚も夫から建築設計図面をもらい練習していたんだ


そーしたら
いろんなことを思い出しました

私は夫に

貴方のような こんな細かい仕事は苦手だしめんどくさい 

そー言いながらも
なぜか設計図面を引く練習だけは長く続いていたのです

しかし
いつの間にかデザイナーになる夢はあきらめていました
自分みたいな

ただの主婦がそんなこと出来っこない

私は心底
夢を追いかけていた自分を思い出し
図面を見つめたまま
本当に情けなくなり涙が溢れて仕方ありませんでした

小さい頃
あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか
履歴書にはやめてきた会社がいくつも並ぶだけ
自分が悪いのはわかっているけど
どーしたらいいのかわからない
なんて情けないんだろう
なのに私は
また今の現実から逃げようとしている

そして私は図面をたたみ
泣きながら実家にこう電話したのです


今まで我儘に生きてきちゃった
でも そのクセ自分のやりたいことがわからず
何をやってもダメだった
もう一度自分のやりたいことをがんばってみる

私は用意していた離婚届を役場に届け
貯金0で地元の田舎に戻りました
そして誰にも言わず内緒で
この仕事をやってみることにしたのです
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新聞の記事もちっちゃなモノでした


内緒で始めた仕事もこの記事で家族に知られることとなり

金も経験もないくせに世間を知らなさ過ぎる


猛烈に反対され

早く再婚でもしろ

と怒られた記憶があります

当時
庭をデザイン(設計)するという仕事など
私の田舎には皆無でした

それでも

とにかくやってみよう
誰もやっていないのであれば自分が先駆者になればいい


でもこんな自分にできるだろうかと不安ばかりでした

こんな私でも実は小学生の頃から国体選手の父親からバドミントンの
厳しい訓練を受けていました
そして
県内No.1となった時の訓練を思い出しました

もうダメだと思った時もう1歩ふんばれ!

その頃を振り返り

まずはやってみよう
最初から誰も上手くできるはずはない


昔の私を知っている周囲は

出来っこない 世間を甘く見すぎている

そんな誹謗中傷の反対派多数の中
私は過去を思い出し
心に決めたのです


そうだ 
私は私流に生きていけばいい
今まで世間体や親兄弟への体裁を気にしすぎて
自分の心底やりたいことをやってこなかった
なので
手にする給料と仕事を常に天秤にかけてばかりいた私
そーじゃない 
やりたいこと
情熱こそが生きる核なんだ


私はそれまで
図面など主婦業の片手間で描いていました
経営など経験ナシ
ただのお絵描きさんでした

なので

私はまず 
何をしたらいいのか紙に書き込み
目標を達成する為の手段を頭に叩込むことにしました

覚え込んだら
あとは描く練習です

私はバドミントンをするような気持ちで図面を描き始めました

そして数ヶ月のうちに
ものすごいスピードで図面が描けるようになったのです

すると不思議なことに
10戦10敗だった仕事
それまで契約がとれなかった私でしたが
見る見る内に起業初年度3,000万の契約を3ヶ月で成約
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当時ワープロで作った即席の名刺です

最初に目に映ったのはお客さんの反応でした


私は貴女と契約したいんだ

嗚呼あのお客さん
こんなことをしたいんだなちょうどこの季節になったら雑草に悩むんだ

とか
いろいろなことが見えるようになったのです

顧客目線が芽生えた時期でした

それは私の密かな楽しみにもなりました

相変わらずペンはバドミントンの選手のラケットのように紙の上を飛び交いますfb117de7

当時誰もがやっていなかったガーデンデザインという仕事を山梨に持ち込んだ頃

そうしていろいろなお客さんを見ているうちに
今度はお客さんの行動パターンやクセに気づいていくのです

「この人は価格に重きをおいている」
とか
「この人はデザインに重きをおいている」
とか
「この人は納得できるなら高いものでもいい」
とかがわかりはじめました

そんなある日
300万超えの案件が私の事務所に舞い込んできました
チャンス!
そー思った私はいそいそと相手の家に出向きました

私はなんとかしてこの契約を取りたいと必死でした
そして
思わずクライアントに話しかけました


なぜ弊社みたいな無名の会社にお問い合わせいただいたんでしょうか?

貴女の広告が凄く良かったからなんですよ
それと ウチはこの通り女性向けの店をやっていて
女性の視点でやって欲しかったからなの

と話すのです
当時なけなしの状態で出したモノクロ広告でした
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当時習いたてのフォトショップで自前で作った精一杯の広告でした


ありがとうございます 精一杯がんばります


嬉しくなった私の口から
自然にお礼の言葉が飛び出しました

お客さんとコミュニケーションをとることが楽しくなったのは
これがきっかけでした

いつしか私は問い合わせ客が何をしたいのかわかるようになり
数え切れない多くの失敗の末
相手の痒いところが察知できるまでになりました


○○さん
こーされたいんですね
でも こちらの方がもっとお宅にはいいかもしれませんよ
今はこんなのが主流ですけど 
こっちもステキだと思うんですよね


などと言ってあげられるようになったのです

お客さんも応えます


いいこと言ってくれたわ
それじゃーあんたの言う通りにしてみよーかね


そう言ってコミュニケーションをとり始めたのです

私は
だんだんこの仕事が楽しくなってきました

それまでは
ただ単にデザインが良ければいいと思って
施主とのコミュニケーションを疎かにしていた私です
だって
人と話す事が大嫌いだったからです

そんなある日のことでした

プラン無料
相見積が多発し始めた頃のことです

プラン無料・相見積との戦いがスタートしました

慣れないHPも本を見ながら作ってみたり
広告もフォトショップを覚え自前ながらに作成したりと
睡眠時間3時間

今日もすごく忙しい

と思いながら
私はいつものようにお客さんとの会話を楽しみつつ
打ち合わせをしていました

すると
ある経営者のお客さんが
こー言いました


あんた少しはお客を楽しませる会話のひとつもできないの?
私は高い金額を貴女に払うかどうかで迷ってるんですよ


私はヘコミました

そーして
ジョークを学ぶ為に彼女は「フレンズ」というDVDを借り勉強しました
毎晩そのビデオを観ては
面白いアメリカンジョークを書き止め鏡を見ながら毎晩練習したのです

そーしている内
私のプレゼンは

貴女はおもしろいけど仕事は良さそうだ

と契約数が増え
起業初年度3,000万の売り上げは
あっと言う間に翌年には6,000万の売り上げになっていきました

コンセプトが決まり
コンパス=人生の羅針盤
をモチーフにロゴを創りました
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キャパオーバーな仕事量の為
緊急入院を繰り返しました
病院にクライアントから

貴女に仕事をして欲しいからいつまでも待ってます

そんな伝言をもらったそうです

そんな私は
ベッドの上で過去を振り返りつつ感動のあまり
ポロポロと泣き崩れました

仕事というのはこれほど素晴らしいものなのだと
初めて気づきました
40才という年齢になっていました

すでに私は昔の自分ではなくなっていたのです

それから
私は業界のカリスマと呼ばれるようになり
起業13年目にして
後続の指導に携わる喜びを知ることとなりました


県外や海外から修行に来た若い人材は
きっと仕事の素晴らしさを感じながら
お客さんと楽しく会話していくと信じています

有名な「あるレジ打ちの女性の話」
そんなエピソードになぞらえて書かせていただきました

貴方はどう感じ
また
どう
今後の生き様をチェンジしていきますか?


追伸
14年前
300万超えの必死で契約したかった仕事は
スタッフの連絡ミスが原因でトラブル
相手の女性経営者に

全て貴女の責任ですよ

と痛恨の一言を浴びせられ
あえなくキャンセル
その時の図面を名刺に刻み教訓としていました

db2af818起業してから
10年目
私の名刺からその教訓図面は消えました
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仕事にも自信が持てたので肩書もシンプルになり始めた頃の名刺です


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グラフィックデザインを仕事として本気でやり始めた頃の名刺

グラフィックデザインに挑戦したことで山梨のドクターヘリのデザインも手掛けることができました
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やりたいこと
情熱こそが生きる核なんだ

という当時の心情は

人に喜ばれる仕事
こそが生きる核なんだ


に変わりました


仕事とは・・・
人生そのものである

そして

人は何度でも
いくつになっても
情熱をもった時から
ホンモノの人生がスタートする

そんな事が解りかけた私は50才になっていました
(寄稿:武井 泄月袴2010)

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