ドック

今年四十になるということで、会社の命で人間ドックへ。
初めての伊豆。
熱海で見えたはずの海は、たった一駅で見えなくなり、日本昔話みたいな山に囲まれた精神病院かサナトリウムのような環境で一泊二日。
会社が持っている病院なので、我々利用者にも何となく容赦ない感じ。
前年度福利厚生で受けたK病院のドックではちょっとちょっとちょっとと思うくらい気を使っていただいて、逆に居心地が悪くなるほどだったが、今回の対応も実務的な感じで悪くなかった。
俺はお客様扱いが苦手なのだが、人によってはそれを求めるようで、サービスレベルを決めるというのは本当に難しい。
人によってサービスが違うというのも、この何でも拡散される世の中ではリスクが高い。

ドックに行く度に、俺が毎日毎日喜怒哀楽していて、高度プロフェッショナル人材目指して働き、やっぱ貢献だよなという20年前にヤクザから聞いた言葉を噛みしめながら、そこに心震えるもの、感動がなければ仕事をしている意味がないなどとわーわー言っていても、食べて出すだけの筒状の物、それが俺、と思わされる。
絶食して糖を測り、飯食って下剤飲んで重湯みたいなので食べたものを押し出して。
カメラで見る俺の体のなかはどこもピンクのひだひだで、外をどうしようが、頭で何を考えようがこっちが大事なんだよ、と嫌でも考える。
それが体の中だなあと思ていたのだが、口から始まって肛門までよく考えれば外部なんだよなと。
幾つか穴の空いたドーナツみたいなものだ。

今回初めて胃カメラを鼻から入れた。
口から入れるのと比べてはっきり楽だった。
喉を閉める間もなくするっとカメラが通っていく。
泡があったり水たまりがあったりしながらカメラが通っていく。
狭い出口みたいなことをさらに通って少し先まで。
リラックスすることを忘れると力が入ってしまう。
力が入るとカメラが動きにくくなって、くいくい動かされるので痛くなる。
担当の医者がとても愉快なよく話す人で、
「おお、素晴らしいスピードだ。あと90秒くらいで全部終わっちゃうよ。」
「問題がないねえ。ここまで問題がないと探したくなっちゃうな。」
などと話している。
「どう?口より楽?」
「楽です。」
「しゃべれてるもんねー。」
みたいな。
胃カメラ中返事を求められることも、俺が返事をすることも想像してなかった。

近くにミッシェルが住んでいて、わざわざ病院まで来てくれたので一緒に晩飯を食べた。
たわいもない話を4時間半ほど。
暇つぶしの友は真の友とはよく言ったもので、ミッシェルとはなかなか面白い話ができた。
「またいつでも人間ドックにおいでください。」だって。
彼にとっては年に一度くらいで十分なようである。
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言葉とコミュニケーション

3か月前くらいに内藤哲也が何度も何度も繰り返し「口に出さなければ伝わらないんだよ。」と言っていて、心に響くものがあった。
口に出さなければ伝わらない、というのはコミュニケーションの基本だと考えている。
語りえぬものについては沈黙しなくてはならないという言葉は、世界は語りうるものの集合であるということだ。
語れないものは存在しない。
たくさん考えたんです、こんなに思っていたんです、それが言葉となって外に出なければそれは存在しない。
いつも感謝しているなら、いつもそれを口にしなくてはならない。
自分の都合が悪くなってから仕方なく懐から出してはならない。

と、全く逆の観点で、最も大切なことは口には出せないものだ、というスタンドバイミーの冒頭に記された言葉も俺の行動を規定するルールになっている。
多感な時期に読んだものが血肉になると言われたものだが、血肉というよりは縛りというか呪いにも似た染みつき方で時に閉口する。
「そんな(大事な)話電話でするもんじゃねえだろう。」
という電話屋にあるまじき説教がたまに展開されるのだが、それはまったくもってその通りである。
大事な話ができる間柄なんだよ、というのが事業予測の精度を上げるためには大切だと思うのだが、その内容は語り得ぬ物なのだ、というところに営業の本質があると思う。

そんな難しい話でなくても、小学生の時に誰かを好きであるということは何故かトップシークレットであった。
(悠風は先生に提出する日記に好きな子のことを詳細に書いているようなので、時代は変わったのかもしれない。)
女の子が好きだということがとても大事だったので口に出されるべきものではなかったのか、伝えるべきものではなく自分の胸にしまっておくべきことだということだったのか、よくわからない。


基本的には口に出さなければ伝わらないという態度で生きているし、詳細にクリアに効果的に記述することが理解をしていることの大きな側面だと考えている。
でも、口に出せないような大切なことがたまにある、というのは豊かな人生だと思う。

MDって知ってますか?

前の家は自室にまでWiFiが飛ばず、部屋で執筆作業をする気にならなかったのだが今は本当に快適。
集中して書ける状況がありますよと。
さらに引越を機に、リビングで使っていた結婚祝いでもらったMDコンポを自分の部屋に引き込んだ。
MDの持ち主が俺で、結構な枚数なのだが一番音楽を聴いていた20歳前後の趣味でそれが構成されているため、ポルカとシェアするのが辛いということになったのと、MDって片付けるのが一苦労だという二つの理由で。
体系立てて収納されているわけではないプラスチックの箱(MDが20枚くらい入るやつ。100均でよく売ってたでしょ?)から鷲津麻雀よろしく中身を確認せずツモって聴くのだけどこれがなんとも言えず良いのですよ。
最近はテレビもろくに見ないのですっかり最新の音楽事情がわからず、米津玄師という兼好法師の友達みたいな歌手のlemonという曲がいいねえと話したところいまさら何を言ってるのだ何をというような顔をした若者の顔を俺は忘れない。
でも絶対俺の方がlemonの良さを知っているような気がする。
わかってますわかってます、比較するような話じゃない、みんながみんなのlemonをかじればいいんです。

そう、タイムカプセルのように20年くらい前に聞いていた音楽を聴いているという話です。
スピッツの青い車やあじさい通り、イエモンの聖なる海とサンシャイン、ミッシェルのシェリーに口づけ(そっちのミッシェル?)(俺が聞いていただけど)、コブラツイスターズのさくら、aikoのさくら、真心別れの三部作なんかをだらだら聞いてると本当に贅沢な時間に思えてくる。
いやいや、もっといろいろあるんですけどね。
ゴメスザヒットマンとかヒスブルとかワイノーとか。
ドラゴナッシュとか。
ジブラってあのでかい奴だと思ってました。
ミスチルもいいですよ、桑田さんもいいですよ、豊かな時代だったなあと。
宇多田ヒカルという中学生くらいのが出て来てたまげた時期です。
20年経って藤井君という中学生に驚かされているわけですが。

音楽を聴いていると時間の芸術なので、俺は死ぬまでにどれくらいの音楽聴けるのかしらと思って悲しくなることがある。
本を読んでいると時間を止める芸術なので、本の世界から抜けてきたときに時間の経過に驚き、俺は死ぬまでにどのくらいの本を読めるのかしらと思って悲しくなることがある。
で、最近の俺の態度としては今、ここ、に集中するということに。
心を揺さぶられている今この瞬間こそに価値があり、それを積分したり微分したりすることに大した価値はない、ということにしようと。
その辺の話でうだうだするほど暇じゃない、ということ。
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