機嫌が悪いのはコンディションが悪い

コンディションが悪いと機嫌が悪くなる。
ポルカや愛や悠風を見ているとそうなのだが、己を省みると(たまにはやる。)それもばっちりあてはまる。
病気にかかる前には怒りっぽくなるタイミングがあるということだし、睡眠が足りてなくてもやはりそうだということなので、自分が機嫌が良いかどうかにもっと敏感に生きて良い気がする。

週末、ポルカも悠風も愛も風邪を引き、俺だけかろうじて元気だったのだが、みんなが順番に機嫌悪くなり、なかなか大変であった。
そして今日、愛は幼稚園を休み、ポルカは病み上がりで大変そうだったので、早く帰宅して何とか俺も大変さを負担しようとした。
子供たちは俺が帰ると珍しいので遊びたがる。
一時間半近く遊んでいたのだが、途中からどうもいらいらしてしまって、俺を挟むように座った二人が大声を同時に出した瞬間に一喝してしまった。
俺も多分体調が崩しつつあるのだろう。
それに気づいた代償として、愛は大粒の涙をぼろんぼろんと落とし、悠風は委縮してしまった。
高い授業料である。

コンディションを整えるのに、よく寝てよく運動する以外の方法はなさそうで(この十年くらい探している)、じゃあ明日から六時に起きるぞ、と意気込む俺にポルカが冷水を。
できることからやれ、まずは七時に起きるのだ、と。
できそうな目標だと燃えないのだが、というのが今までの私の主張だが、四十にして惑わないように鬼コーチの諫言に耳を傾け、まずは六時半に起きようと思う。

七五三

11月になった。

大人になると様々なことが気になる。
特に四十を目前にすると人生これで良かったのかとか、体のあちこちが痛いとか、眠気が止まらないとか、無駄遣いが止まらないとか、おやつがおいしいなとか、自分の代表作とはなんだろうかとか、様々気になる。
すると、今の生活で良かったんでしたっけ、と変な日本語の問いが湧いてきて、毎日1%でも改善すると一年経った時に37倍になってるよ(何が?)みたいな話をうのみにするようになる。
LosIngobernablesdeJaponの内藤哲也に「変わらないこと、あきらめないことはもちろん大事。でも、変わろうとする思い、変わろうとする覚悟、そして、一歩踏み出す勇気も俺は大事なことじゃないかなって思います。」と言われて変わっていこうと決意してしまう。
変わり続けていないと現状維持すら危ういのだから、逆に言うとぼーっとしていればどんどん変わっていって「しまう」のだから、くれぐれも変わっていく意味を取り違えないようにしていきたい。

昨日、娘の七五三を氷川女體神社で挙げて頂いたのだけれど、その時に権禰宜さんからうかがったこと。
「お礼と報告の後にお願いです。順番をくれぐれも間違えないように。」
「お札を神棚に上げたら、お祈りはどんな形でも構いません。毎日、お礼と家の中であったことの報告をするだけで大丈夫です。」
「畏れ多い、畏れ入るという感情を持つことは大切なことです。それをお父さんがご家族に見せるのです。」

そうだったのか。
今までちゃんとしていなかったけれど、日々感謝をして、家の中で起こっていることをまとめておくことはすごく良いことのように思えた。
帰宅が遅くて家族と触れ合えないと神様に報告できないわけで。
毎日家族が起きている時間に帰る、帰れないときは何らかの形で触れ合う、そういうことからだねと。

報告ついでにもう少し細かくブログを書くというのはどうですか、とも思うのだけど、その辺はおいおい。

赦すという贅沢

今日、歯医者の事務長から電話があって、夕方に伺いたいと。
院長を連れてご挨拶に伺いたいと。

正直、入院中は体を治すことに集中していたので、怒りなどは沸いてこず、いてえいてえとは思っていたけれど周りの人たちの方が痛い上に救いがなさそうな雰囲気で俺が痛がるのもおこがましい感じだったので、穏やかに過ごしていた。
火曜の血液検査の結果を受けて、予定通り水曜に退院が決まった後事務長が来て、お詫びと入院費の自己負担分を病院が負担しますという旨をお話しされた。
俺としてはありがたいお話です、治療にミスがあったとは俺も思っていない、しかし入院はいろいろな所に影響していて、いろんな意味で痛かった、と話した。

しかし体が回復するにつれて、そもそも虫歯の治療でなんで死にかけなあかんねん、三連休がまるっと潰れてやりたかったことができなかったこと、俺がいることを前提にポルカがやりたかったこともできなかったこと、義母も予定を変更してこちらのヘルプに来てくれたこと、入院と聞いた時の家族の心労(特に状況を見ることができなかった母は本当にびっくりしたそうだ。)、仕事は俺一人いなくても回るようになっているのだが、週明けにあった大きなプレゼンのメインスピーカーが俺だったことで予定が飛んだこと(自治体のナンバー2の時間をもらっていた。)(延期で勘弁してもらった)、などが頭に浮かび、どうしてくれようという気持ちになった。

しかし、歯医者としては普通の治療をしていたように思うし、俺が被ったものはレアケースもいいところで医療ミスだったのか、ミスだとしてそれを証明するのは難しそうだ、これは俺が赦すという立場の話なのか?と思い医者の友達に相談してみた。
今回のケースは発症の予測が困難であり、極めて稀な発症頻度だからリスクに数え上げるのも難しかったので医療ミスとするのは難しいだろう、との見立て。
普通は保険の自己負担分すら払ってくれないだろう、払うのは逆に後ろめたいからではと勘繰りたくなるとまで。

おお、まじでか。
自己負担分の病院側負担は当たり前やろ、と思っていた俺だが、あの時不遜な態度を取らなくてよかった。
ありがとうと言えて良かった。
そういうものなんですね。
内視鏡検査でうっかり穴をあけてしまい手術になっても自己負担、ということらしい。
お医者さん側に訴訟リスクを負ってもらいたくはないが、その辺保険とか制度で何とかいい感じにカバーできないのだろうか。
制度や保険でやるとモラルハザードをどう消すかが医療だと難しいのか。

院長と事務長がいらして、お詫びとお見舞いを頂いた。
誠実な対応だと思う。
院長は俺を三番目に診た先生だった。
28年やってるけれど、初めて見た症例でして、院内の各先生にしっかり共有しますとのことだった。
また、原因はわからないので、同じことが起きないとは言えないという説明しづらいことまで説明してくれた。
自分がこういう経験をしたということを知ってもらっている病院さんの方が良いと思うのでこれからもどうぞよろしくお願いします、と俺は言った。

赦すというのは贅沢なことだ、と誰かが言ってた。
今回赦すという話じゃないかもしれないけれども、こっちの心の中では贅沢をすることにする。
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ