2003年01月

胃が痛い

おかげさまで丈夫に育った俺は、関節関係に多くの痛みを抱えている他は、酒に弱い、義理人情に弱い程度で、
健康に生き抜いてこられた。
特に胃は丈夫で、ステーキの大食いも達成したこともあるし、和幸(とんかつ屋)では
ご飯、キャベツ、味噌汁のお代わりを各4回した後、マクドでハンバーガーを食べたこともある。
健啖というやつである。
しかし、先日ふらんせのえぐざまんの準備で時間としては12時間ほど固形物を腹に入れず、
カフィを少々嗜んだところ、試験終了後しばらくして胸の中央部が痛くて痛くてたまらなくなった。
恋煩いかとも思ったが、部室にいるのは将棋部の男ばかり。
ある意味で煩悶したくはなるが、それは恋煩いとは違う。めいべー(オアシス風)。
悶絶しているうちにこれは自分の体の内の胃という部分が痛いのではないか?と思い始めた。
初めての経験に胸がざわめいた。ざわざわ。
「アイハブァストマックェイク!」とか思った。
「『BACH』でバッハと読むんだぜー」とか思った。
そんな俺を罰するように痛みはひどくなっていく。
うどんを食べに行った。
うどんは消化にええねんで。と5年前ほど前に東大を受ける朝、母が言った。
だから昼ごはんはうどんにしなさいと。
面白い冗談だった。
東大生じゃあるまいし、うどん屋を探しているうちに昼休みが終わっちゃうじゃないか。
よろりよろりと食堂へ行き、素うどんを頼む。
出てきた素うどんにいつもの癖で七味をかけてしまう。
卓についてうどんをしげしげと眺め、失敗に気付く。
巧妙に赤い部分を取り除くことで、最近叫ばれているスローフード運動に参加することができた。
食べてみると、焼け付くように痛かった胸が熱いものを食べたにも関わらず、やや普通に戻っていた。
食べることが正義だ!と気付いた俺はカフィジェリーとアーモンドチョコお徳用を購入。
徐々に食べていたが、患者の煬帝は太子の親書を破り捨てた、ではなく容体は悪化の一途をたどり、
ギリのタイミングで帰宅、投薬、休養ということになった。
胃痛が治まった頃頭が痛くなってきて、どうやら風邪を併発していることが分かった。
最近の炊飯器はおかゆさんが炊けるんやねーと思いながら一人看病。
寝ると胃の活動の妨げになるので横になって起きてる。
病床は寂しい。

今日は家で勉強しながら横になってみた。
ぐうたらではあったが寂しくはなかった。

田山花袋

冬の布団は冷たい。
ああそうさ、床暖房なら暖かいかもしれないさ。
そうさそうさ、足元暖かエアコンなら布団も温いねきっと。
床暖房のうちはきっとベッドだ、とか、羽毛布団ならタッチが違うぜ、などという声は聞こえない。
夜中、部屋に帰ってくるとまずストーブのスイッチを入れる。
スイッチを入れると室温が表示されるのだが、この前はたまげた。
2℃だぞ2℃!
どうしようかと思った。
俺は布団をほとんどの日、敷きっ放しにしている。
2℃であることに落ち込んで布団の上に崩れ落ちた俺。
ストーブは付くのに30秒ほどかかる。
疲れがどっと出てそのまま布団に仰向けに転がるとぱりぱりぱりぱり音がする。
かすかな音だ。
ストーブが付いたら聞こえなくなるだろう。
早く追求せねばなるまいとて反転した。
ぱりぱりぱりぱり。
あろうことか布団の野郎、凍ってやがったのだ。
ぱんぱんぱんぱん叩いてまわった。

江国香織か吉本ばななの作品に、寝る前に布団にアイロンをかける女が出てきたが、
アイロンがもしあったなら、俺も迷わずかけるね。
間違いねえ。
とか考えているうちにストーブがぶぃぃぃんと動き始めた。

敷布団が冷たくて寝るのが嫌になるので、俺とていろいろ対策を考えた。

寝る前にストーブをつけたまま、軽く外を歩いてくる。
すると、さすがに外気のほうが冷たいから相対性理論により布団がぬくぬくと感じられる。
この作戦には一つ欠点がある。
歩いていると物思いにふけってしまい、もしくは体が温まってしまい、眠れなくなるのだ。

ホットミルクにミロを溶かして飲む。
精神を落ち着けてだんだん眠たくなる。
しかし一つの疑問がゆっくりと鎌首をもたげてくる。
「やべーよ。太るよ。」
せっかく縄跳んでるのに。
せっかく食後のカフィジェリーだって控えているのに。
控えているっつっても用意してるってわけじゃねえ。
心配になってきてもう一回縄を跳んできちゃったりする。
眠れねえ。
体が火照って眠れねえ。

詰将棋を考えてれば、ハガリはどうせ解けないから眠たくなるに違いないと、思うかもしれない。
解けたらどうすんだ解けたら。
難しいの解けちゃったらどうすんだ。
ごおおおおおるごるごるごるごるごるごるごおおおる!
とか言っちゃうよ。
大人な俺は、常に最悪の状況を想定して生きているため、それはやらない。

暖かい布団で眠りたい。

つむじ

最近何かとつむじを曲げたりへそを曲げたり膝を屈したり節を屈したりろくな事がない俺である。
面白いから書いてみただけであるが。
そういえばつむじを曲げるようなことがあった。
金曜日にTUTAYAに行ってビデオ一本とCD3枚を借りたところ、手続きが終わった後に
「明日明後日と100円セールを開催いたします。よろしくお願いいたします。」
と言われた。
俺はこのようなことでへそを曲げない。
貴重な情報をありがとう。
明日必ずや借りに来るよ。
刑事ドラマでは人に物を尋ねる時にはタバコの箱の下に千円を忍ばせていた。
俺は千円をただ渡したのではなく、素敵なCDと面白いビデオ(「ロック・ユー」劇場で見たかった)を借りられたのだ。
得じゃないか。

翌日、俺は勇んでTUTAYAに赴き、三十分程かけて10枚のCDを厳選し(好き嫌いすると大きくなれないぞ、とてバランス等を考慮)
カウンターへ運んだ。
お姉さんが気の毒そうに言う。
「CDはセール対象外になっておりますがよろしかったでしょうか?」
「外」にアクセント。
涙がちょちょ切れる展開。
3000円ぽっち払えないのか?と言われている気がする。
ストロングスタイル的にはそう言われたなら借りる以外に選択肢はない。
しかし店員はそんなことを言っておらぬ、言われたような気がしたのはあくまで俺の胸の内の話だということに気付き、
「じゃあ、いいです。」
と引き下がった。
厳選したCDを一枚ずつ元の場所に返していく。
よっぽど店員を捕まえ、代行させようかと思ったのだが、
「次回から借りるものに迷わなくて済むではないか。」
と自らを励まし、次回に備えてタイトルを一枚一枚焼き付けながら戻していく。

結局手ぶらでTUTAYAの外に出た。
軒先に置いた自転車にまたがって視線を上げるとポスターが目に入る。
百円セール!とでっかく書いてある。
しかしよく見たらちっちゃい字でVIDEO・DVDのみ、と書いてある。
こういう姑息なことをするな!
暴れるわけにもいかず、俺にできるのはつむじを曲げることくらいだった。

とぼりとぼりとタニシウォーク。
自転車も押すっちゅうねん。

夢を見た

俺は大きくもなければそれほど小さくもない商社のサラリーマンだった。
その会社には6人の取締役がいて、次期社長の座を争っている。
毎回社長の任期満了が近づくと我々平社員はトトカルチョをするのであった。
ある夜、忘れ物癖が抜けない俺は財布を会社に忘れてしまい、駅から取りに帰った。
廊下を歩いていた俺は重要情報を立ち聞きしてしまう。
本命視されている専務、対抗と目されている副社長の両方を本部長が手下の中西を使って病院送りにしてしまうというのだ。
何故だか俺は阻止しようとはせず、トトで全く売れていない本部長を結構たくさん買ったのだった。
仲のいい友人にもこっそり教えた。
するとそいつも仲のいい友人にこっそり教えたらしく、いつのまにか本部長票が一番売れるという異常事態となり、
俺は口は災いの元であるなあ、としょんぼりしておった。

やたらハードボイルドな雰囲気で、出世街道からは降りているが、余計なことは言わないのだが面白い話をしてくれる先輩のデスクを訪ねると、
周囲の人は出払っており、広い部屋に我々だけであった。
俺がことの次第を話すと、普段から瞬きの少ない人ではあるのだが、それにも増して瞬きをせずに聞いてくれた彼は、
「ハガリ、賭けをしよう。」と言い出した。
「いくら賭けたかしらないが、それで当初もらえるはずだった配当をお互い賭けよう。」
「え?一千五百万っすよ?俺払えませんよー。」
「お前は俺の言ったとおりに賭ける。」
血走った彼の眼を見て、俺は何も言えなくなった。
「次期社長を賭けよう。お前は専務に賭ける。俺は他全部だ。」
「えっ?」
「いいからそういうことだ。」
「だって」
「悪いようにはしない。」
口をはさませずぴしゃっと言われてしまった。
彼はそれ以上口を開かないので、俺は席を立とうとした。
中途半端なお辞儀をしようとした時、社内中に女の悲鳴が響き渡った。
トイレを掃除していたおばさんが女子トイレの一番奥の個室で中西が血まみれになっているのを発見したのだ。
事態を確認して駆け足で戻ってきた俺に、先輩は焼き芋が入っていそうな紙袋を渡した。
見たこともないような札束が入っていた。
そしてそれは俺が想像していた一千五百万よりはるかにみすぼらしく見えた。
「俺の負けだ。」
「いやいやいやいや。」
「専務が次期社長だ。やれやれ、俺もこんな分のいい賭けに負けちまうとは。」

家族

家を出て4年程になる。
家を出て、逆に家族と仲良くなった。
物心ついてからもう長いこと抗争を続けていた弟とは音楽や小説について語らうようになった。
両親との会話も増えた。
なんて素敵なんだ。
寺山修司は書を捨てることを勧めたが、俺は家を出ることを勧めたい。

帰省するたびに、色んなものが俺のために買ってあるのを見ると目頭があつくなる。
ちなみに「おかしら」付きってのは、いなせな大工の棟梁のことでも、「かしら」の丁寧表現でもなく
「尾頭」であることを銘記していただきたい。
関係ないって?あ、そう。

大阪へ帰る夜、部屋で荷造りしていた俺は鼻歌をうなっておった。
「うめぼしたべたーああーああーあい」
「そんなに食べたいんか。しゃーないなあ。」
と母の声がしたかと思うと高級梅干の箱がやってきた。
びっくりして「ありがとう」なんつってカバンの一番上に入れようとした。
傾くやろな。底にいれなさい。

家からでようとしたときに弟が
「兄ちゃん縄跳びするんやろ?これ持って帰りーや。」
ととてもとても軽い靴をくれた。
ちなみにハガリ家の男三人は靴のサイズが等しく24.5だ。
馬鹿の大足間抜けの小足。じゃあうつぼはなに足だ?
弟のくれた魔法のシューズは俺の縄跳びに大きな飛躍をもたらした。
どうしても百を超えなかったのに、今では二百に迫る勢いだ。
今までの不振は靴が重かったからであると思われる。

家族で食事するとき卓にビールが載るようになった。
俺は酒が弱い。
これは遺伝だ。
500ミリ二缶を家族で空ける。
両親はもちろん俺もコップ一杯で真っ赤である。
弟はなかなかにけろりとしておる。
両親ともに二重で弟も二重であるのに俺は二重でないので、自分は田んぼで拾われてきたたにしなのではないかと疑っていたが、
遺伝の問題であることが酒を飲むと確認できて安心する。
あーうるせえ。

俺は年末に市立船橋の応援に行っていたので、決勝戦を見られないのが惜しく(梅田で買い物をしていたのだ)、
ビデオに撮って家に帰って見るのを楽しみにしていた。
買い物が終わってドトールで一休みしていたところ、携帯がなる。
電話に出ると
「おめでとう!」
と親父の声がした。
もうろくしやがったな、年賀の挨拶は済ませたじゃねえかと思っていると
「市船優勝や。おめでとう。」
茫然自失。

仲良くなるのも考えものである。
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

月別アーカイブ