2005年11月

パワーポイント下請け業者募集

俺はパワーポイントを使うのが苦手だ。
必ずどっかいがんだり、ごちゃごちゃしたり、気に入るような出来にどうしてもならない。
もしお前が紙切れならぐちゃぐちゃのギタギタにしてやっただろうよ!と画面に拳を振り上げてもそれを下ろすことはかなわず。
決定的に美的センスがないのであろう。
いつだってつまづきは僕たちの仕事だけれども、パワーポイントの一行目と二行目の書き出しが2mmほどずれているのを修正するのにこんなにつまづくのは不毛感と焦燥感でぐちゃぐちゃになる。
会社に入ったのにレポルトに追われる俺。
業務に支障をきたすほど。
見かねたたけさんとミッキー・フィーゴが事前に何回かレヴューしてくださることになったのであるが、それがいかん。
学生の時のレポルトは締め切りの前夜からやり始め、リポDとカヘジェリーの助けを借りてギリで仕上げていたのである。
事前のレヴューでそんなことをやっていたらもたない、でもこつこつやる気も起きない、始めるといらいらするという魔の三角地帯の真ん中で「もうどうなってもええわ。」と叫びたくなる。
ほったらかして寝るほど太くもなく、パソコンに向き合うのであるが進まず。
代わりになにか善行を積まんとてパレート最適を書いてみたりする。
プレッシャーがかかればかかるほどパレート最適が生まれていく。
キノピンは「ハガリは悲しい時はいい文章書くよ。」と昔言った。
ポルカは「ちょっと悲しい時のほうが文章に落ち着きが出てよい。」みたいなことを書いた。
ねえ、ほんとなの?
第1回レヴューにまったくレポルトは間に合わず、ちょ→怒られるんじゃねえかと思いながら会社へ。
たけさんとフィーゴさんからレポルトの話が出てはかなわないのでなるべく目をあわさず、珍しく業務に没頭している、て空気をかもし出してみた。
その日は本当に俺を含めてみんなパタパタと忙しく、先輩から新たに仕事が降って来たのでジャンプ一番それをキャッチ素早く外出、たけさんもフィーゴさんも忙しくギリで今日はごまかせるかもしれない、と思った。
帰り支度を微妙に進めながらちょ→忙しそうなタイミングを見計らって「レヴューなんですけど、お忙しそうなので明日時間を見て。」と言うと案の定OK。
こういうギリの通し方はもうやめようと心に誓う。
無理な事だから心に誓うわけですが。

頼むからばれないでくれと願い続けた俺は、体操の鉄棒で着地が乱れたけれどもそこをこらえて胸を張ったポール・ハム。

りむ平記

俺には大切な弟子が何人かいて、りむ平はそのうちの一人である。
うちの弟子達は師匠に似て将棋に対して不真面目、というか他のことに対しても興味を持つ者ばかりで、一番弟子は現在カントを日本で一番切実に読んでいる男であるし(本人談)、うべべはうべべでうべべべべ(うべべ語で「その日その日を誠実に暮らしている」の意)である。
そこで二番弟子のりむ平の登場であるわけだが、あいつはどーもさっぱり将棋部に顔を出しておらんらしい。
学生委員会という何だかハイ・スクールの香り漂う組織の歯車として(いいなあ、組織の歯車)精力的に活動しておるようなのだ。
この間リジーと電話をしている折にりむ平のブログの話になり、
「あいつは文章の書き方を俺に聞いてきたくせに、その成果を見せおらんのや。」
「そんなんヤフーでええ声部で検索したらすぐに出てきますよ。」
ええ声部で検索したのはたりちゃんらしいのだが、ええ声部で検索するというシチュエーションがわからず、笑えた。
そんなことでブログがばれてしまったりむ平も可哀そうである。
そのブログを読んでみるとまーまー面白い。
彼は元々不思議な文才があったので、まあこれくらいは書くでしょうという感じ。
しかしそんな感想が吹き飛ぶくらいのことがそこには二つ書いてあったのである。
その一。
りむ平はどうも皿洗いばかりしているらしい
そのニ。
りむ平はどうも牌も頻繁に洗っているらしい

その一について。
以前書いたことがあるが、文化荘において皿洗い係(兼部屋片付け係)だった電池が、りむ平の洗った皿を見て洗い直しを命じた事があった。
きっとその時の悔しさをバネにして、りむ平は立派な皿洗い職人になったのであろう。
そのニについて。
りむ平はその昔職人組合という互助会(まあ慰めあってるからね)に入っていた根っからの麻雀負け組だったはずである。
それが積極的にフリー雀荘に行くなど、「どうなってるの?」と言わざるをえない。
しかもどーも微妙に勝っているらしいのである。
何があったかはしらないが、きっとあの時の悔しさをバネにして、りむ平は立派に職人を脱退したのであろう。
そんなことしてる間に将棋部行け。
弟子を作れ。

人というのはちょっと目を離すと随分変わるものであるし、また変わらないものであるなあ、とりむ平の日記を読むと思う。

リンクに加えたので見に行ってやってください。

アゲサゲハゲマゲ

最近予定を管理しなくては不義理をするかも知れぬという不安を抱き、システム手帳を探しさまよう犬のような存在になっておったのであるが、自己との対話をするために入ったミスドでスケジュールンがもらえる事がわかり、胸をなでおろしたのである。
手帳を持っている奴をどちらかといえば軽蔑していたし(自分の予定ぐらい頭に入れておけ)(頭に入らないほど予定を入れるな)、俺自身暇でしょうがなかったし(人生なんて死ぬまでの暇つぶしだと誰かが言った)、俺はキノピンと違って細かい字をメソメソ書くのが苦手だから手帳なんて使いきったことがない。
手帳に限らず大抵のノートは使い切ってないけれども。
スケジュールンをもらうためと自己との対話のために入ったミスドで横に座った女達がどうも面白い話をしている。
二人は同じアパレル関係のショップに勤めているらしく、苦手な経理計算も家に帰って電卓を叩くなどの努力でカバー、日々研鑽に努めている偉い人たち。
その内片方に電話がかかってきてちゃらちゃらとしゃべって切ったのだが、電話の相手が共通の知人だったらしく、その人についてのトークで盛り上がっていた。
俺がとても面白いと思ったのは次の部分である。
「あたしたち、同期ってこともあってぇ、お互い酒をくみ交わして、その度にアゲあってきたわけ。そのアゲあうって部分がさ、最近薄れてきたように思うんだけどどう思う?」
「あたしもアゲあっていける同期ほしかったなぁ。アゲアゲどころかちょ→サゲサゲなんですけど。」

アゲの意味がわからない。
あと、二人の会話がかみ合ってない。
二人はその後、一個のマグカップで交互にお替りをしてカフェオレをシェアしておった。
アゲアゲの儀式だったのかも知れぬ。
アゲるというのは「持ち上げる」という意味で、リスペクトするという意味なのか、と推測したのだが、そうすると対義語らしいサゲるは軽蔑する・侮蔑するといった意味になり、サゲサゲの彼女はほとんどいじめにあってるんじゃないかと思うのだがどうもちょっと肥えてると言われたくらいのもんで、そういう状況ではない。
じゃあなんなのか。
モ、モチベ?
もしかしてモチベをアゲたりサゲたりしてるのか?
阪大将棋部永遠のテーマ「モチベのありか」は「アゲアゲの儀式の行い方」という風に書き換えられるのか。
その後の会話を注意深く聞いたもののアゲアゲの儀式の詳細は酒を酌み交わす部分しかわからずじまい、失意のうちにスケジュールンを小脇にうつぼうつぼ家路に着いたのだ俺は。

比較文化論~大阪vs千葉~

こんにちはユーリ・シンケミコフです。
パレート最適栄えある55555人目の来場者はヨシタニックに決まりました。
おめでとう、そしてありがとう。
55554人の人々、ありがとう。
これからもますます書いていきますので、感想・激励・論戦等お待ちしています。
ヨシタニックから頂戴した御題について書きます。

大阪と千葉でここが一番違う、ということを挙げよ、と言われれば典型的にはうどんのつゆ(大体関東者はうどんよりはそばを好む)の色、エスカレーターで立つ位置等が挙げられる。
しかしここでは私の経験に立脚して、違った角度で見てみたい。
大阪にあって千葉にないもの。
おっさんの立小便である。
蛍池に住んでいた頃、私は頻繁にそれに遭遇した。
昼夜を問わず彼らはそれに励んでいた。
線路沿いでそこそこに人通りがあるにも関わらずである。
見たことがない。
甚だしいものになると梅田駅の構内で励んでいるのである。
美しいものも汚いものも結構見てきたつもりだったあの頃の私の伸びた鼻を叩き折るには十分な出来事であった。
千葉で言うなら千葉駅、もしくは津田沼駅で励んでいる、むしろ西と東の対比で行けば東京駅構内での出来事だといえば衝撃は伝わるだろうか。
千葉には長く住んでいるがそのような場面に出くわした事がない。
まさに後ろ反りである。

大阪にあって千葉にないもの。
コンビニ等の店員の愛想である。
大阪では比較的(ゴットゥーゾのような不良を除いて)コンビニにおいてもコミュニケーションの必要性が叫ばれているらしく、入ってくればいらっしゃいませ、買えばありがとうございます、出て行くときはありがとうございました等がしっかりしているように思われる。
少なくとも蛍池~池田までのコンビ二はそういう店が多かった。
千葉のコンビ二ではろくな接客にあったことがない。
何円か言わない、落として拾った金をで釣りとして渡す、おにぎりを温めない等腹立たしい事にもよく出会う。
一番参ったのは会社で食べようと思ってコーヒーゼリーを買ったら、袋にスプーンが入っていなかったことである。
まさに後ろ反り。
まあこれは大阪と千葉の違いと言えるかどうかは怪しいのだが、概して大阪の小売店の方が愛想が良いと思われる。

ちなみに「餃子の王将」は千葉でも大阪でも私の家からそう遠くないところに存在している。
もちろん職場の近くにも。
これが何を示すのかは、餃子の王将好きを公言してはばからないヨシタニックに任せることにする。

フラグメンツ

この週末はゼミの後輩のニコラとヨシノが遊びに来ていてなかなか愉快であった。
水曜日の段階で部屋を片付ける予定だったのだが、予定外に体調が悪く、てゆーか最近はずっと体調が芳しくないのだが、実行できず。
ニコラは金曜の夜に来た。
部屋の惨状を目の当たりにしてニコラは「ここまでとは・・・。」と絶句した。
俺も「電池を忘れました。」と心の中でいう他ない。
ニコラは物をまず分類する事、そのあとしかるべき設置場所を決め、片付けていくのが片付けの王道であると説き、ミーはそれに従った。
片付けて数十分、「だいぶ片付いたな!」というと
「え?どこがですのん。」とニコラが言う。

彼とは何か創造的なことをしたかったのだが、お互いの頭の中をいじくりあおうとしてその手をお互いにけん制しあって手四つからロックアップ、そこからじっくりと腕を取り合うような地味なやり取りに終始してしまった感がある。
俺の体力不足と準備不足、ニコラの踏み込み不足のコラボレーションの結果だと思う。
話のあう人間と隙あらば叩き叩かれるような対話をずっと続けるのはスリリングな事ではあるが。
次回はテーマを設定しようね、ニコラ。

飲んでからシンケミコフ(シンケミガワと呼ぶのに飽きた)に帰ってきて(ビックリマンチョコが旨い(ニコラ哲学)かまずいか(ガリ派)がメインテーマだった)、部屋をがちゃがちゃ片付けて二時くらいに寝て、翌朝11時にヨシノが来た。
何とヨシノは泊まらずに夜6時半からフェリーに乗って四国に行くという。
なめてんのか。
ハガリさんがメインですよ、というので許してやり、部屋の掃除に参加してもらい、昼の三時から鍋をこしらえて、四時から鍋を突付いた。
昼間から酒飲んで鍋飲んでいい身分だなあ。
ヨシノまでビックリマンチョコがうまいと言い出すので俺は本当に頭が痛くなった。
間違った世界に生きているのだ、きっと。
「ハガリさんがいつ辞めるのか、とみんなで言ってますよ。」
ニコラが言う。
「とくに王子は『あの人、あかんやろー。』と言っておられます。」
古典的だがガーンである。
君はいい王子になるよ。

交通マニア・ヨシノが去り、我々は様々な事について話し合った。
「ハガリさんはほんまにしゃべるか寝てるかどっちかですね。」
そのせいでこんなに体力が削られているのか。
「ハガリさんは時々ほんまにもっともなことを言いますね。」
そのうちの一つでも書き留めておくんだった。
俺もその言葉が聞きたい。
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