2006年04月20日

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今回の記事をもってこのブログは本当に終了いたします。

今までこの旅を見守っていた皆さん本当に有難うございました。沢山の方々の優しさのお陰でこの旅を成し遂げられた事を感謝します。

このブログを通して伝えたかった事は

「夢は願えば叶う」

と言う事です。人間には無限の可能性があります。自分で限界を造ってしまわない限りは人間はどこまでも進めるのだと思います。

自分はバカですが自分の夢に誠実に進んだお陰か、ようやく1つの夢を叶える事が出来ました。勿論これからも目標に向けて努力していきます。

このブログを通して何かを始めたり、挑戦してくれる方がいてくれたら・・・、と思いながらこのブログを更新していました。愚にも付かなく、遊ばせて貰っている自分の旅でしたが、そこから何かを伝える事も自分の夢でもありました。もし何かを感じて頂けたなら幸いです。

これからは暫く日常的な生活が始まりますが次の夢に向けて動き始めています。

改めて、ありがとうございました。

Believe Myself!!

夢を追う男 阿部雅龍

 

阿部雅龍ホームページ

今回の旅の写真や動画、データをまとめました。どうぞご覧下さい

夢を追う男 〜次の夢の実現へ〜

自分の日常的な事、次の旅や目標の事をお伝えするブログです。このブログとは違い日常的な事が多くなりますが、こちらを中心にお伝えしていきます。

  
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始まり

起きると空港には人が集まってきていた。オレ以外の日本人は皆きれいな格好をしていて、いかにも「バケーションの帰りですのよ」と言った感じだ。


とにかく腹が減った。30時間近くもクラッカーを食っただけだ。アメリカまでのフライトは安いチケットだったので機内食が出なかったのだ。それにアメリカの高い物価では食事する事も遠慮してしまう。
アメリカから日本まで約13時間。成田から羽田に向かい、そこから秋田へ。ブエノスの宿を出てから50時間以上の旅だった。安いチケットなので乗り継ぎがめちゃくちゃ悪かったのだ。とにかく疲れた。日本の雑踏にもウンザリした。

これからはまた現実の生活が始まる。オレにとっては南米でペダルをふんでいる方が遥かに楽かもしれない。だが、次の夢の実現の為にはやらなくてはならない。


また死ぬほど働いて、死ぬほどトレーニングしなければ・・・。大変なのはこれからだ。夢を叶える為には現実を乗り越えなければならない、現実あってこその夢なのだ。周りや時間に流されないように信念を強く持たなければならない。でも、きっと大丈夫だろう。幾ら辛く大変でもオレには大きな夢と希望があるのだから・・・。

  
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2006年04月18日

ラジオ出演

本日(18日)、ラジオFM秋田18:00からの番組「ぷれちゃ!」内の特集コーナーに出演予定です。

お時間のある方は是非お聞きになって下さい。

  
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自転車が無い!?

飛行機の中でウイスキーを飲みすぎてガンガンに頭が痛くなった。高所では酒に酔いやすくなる事を忘れていた。
飛行機を乗り継ぎロスアンゼルスに着く。入国管理局では係員がスペイン語を使えたので助かった。スペイン語がわかるようになると、アメリカにヒスパニック系がかなり多い事に気付く。空港内、売店の中でもスペイン語が飛びかっている。
荷物受け取り場でバックパックと自転車が出てくるのを待つ。
ベルトが動き始め、荷物が流れ始めた。自分のバックパックを見つけ、更に自転車を待つ。だが中々流れてこないのだ。客は一人一人と減って行き、遂にはオレ一人になりベルトはガコンと音を立てて停まった。
「えっ、ちょっと待って。オレの自転車は?」
オレの動揺と裏腹に辺りは静まり返っている。

慌てて近くの係員に事情を説明する。彼は「間違って他の所に行ったのかもしれない」と言う。こんな時に語学が流暢に出来ないと苦労する。長旅の直感をフルに活用しつつ話をまとめ、「じゃあ、日本に送ってくれる」と決まった辺りで、オレの荷物が見つかったと連絡が入り、それから直ぐにオレの手元に自転車が来た。マジで心配したぜ、届いてくれて良かった。

もはや財布には金が入っていないので、クラッカーを食べて空腹をしのぎ、空港の待合室にシュラフ(寝袋)を広げて横になった。下はコンクリートとは言え、床の上で寝れるだけでも有難い。
  
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2006年04月17日

スエルテ

早朝のフライトである為、宿を夜中の3時に出発した。この付近は治安が非常に悪く、一人で夜中歩いていると確実に襲われるという面白い所だが、宿の皆が見送ってくれたので何の心配もいらなかった。
遂に日本に帰る、その日がやって来た。まるで嘘みたいだ。旅を始めた頃はこんな日が来るというのは遥か遠い未来に思えたものだが・・・。

さてオレの場合は飛行機に乗るのにも一苦労しなければならない。
まずオレの荷物が多過ぎる、且つ重過ぎると言う事。自転車を入れたダンボールは飛行機に乗せられる規定の大きさを明らかにオーバーしているのだ。だが日本を立つ際にも荷物の重量オーバーを見逃してくれていたので、「ラテンの人なら大丈夫だろう」とタカをくくっていた。重量オーバーなどで金を取ろうにもオレの財布には殆ど金など入っていないのだ。取り立てようがない。まぁ、何とかなるだろう。最悪は係員に泣きつくしかない

さて、空港の荷物預かり所だ。
思った通りオレの荷物を見て係員はメジャーを使って測りだした、まずい・・・。
彼は「これでは規定をオーバーしてるんだ」と言う。
やはりか、だがここで引き下がってはいけない。
「この自転車を連れて帰りたいんだ」と旅の話も入れてオレは説明した。「ポル ファボール(お願いだ)」と頼む。更に数回ポル ファボール、ポル ファボールとお願いする。
そうすると彼は傍らの受話器をあげ、どこかに電話を掛けた。
そして彼は言う。
「大丈夫、載せてもいいそうだ」
別れ際、彼は親指をグッと立てて「スエルテ(幸運を)」と言った。

  
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2006年04月15日

ボリビア人市場

オレの泊まっている宿の周囲には韓国人街があり韓国人が多いのだが、またボリビア人も多い。韓国人街の裏に行くといかにも治安の悪そうなスラム街になっている。

ところで毎日日曜日にはこの付近でボリビア人市場が開かれている。この市場はブエノスアイレスの中でも随一に危険な場所である。多くの日本人が被害にあっている。例えばライダーの土井浦さんは囲まれた時に反抗したので殴られて宿に血だらけで帰って来たというし、同宿の人は囲まれてワッショイ(その名の通り持ち上げれた)されたと言うし、スリの被害もいれたら数え切れない。

面白そうな場所ではないか!!聞いただけでワクワクしてきた。

だが2,3人なら勝てるが、それ以上はちょっと勝てる自身は無い。相手が銃やナイフを持っている可能性も充分にある。刃物相手に勝てる自信は無い。

そこでもう一人パートナーを連れて行く事にした。その人はマサシさん、今回で逢うのが三回目であり、彼は合気道家であり、空手の経験もある。彼はまた杖(じょう・合気道や空手の武器)も使う事が出来るので彼がいれば怖いものは無い。ちなみに彼は10年計画で旅をしていて現在7年目の猛者。マッサージの腕はピカ一で彼の腕にはマッサージしてもらった自分も驚いた。

お互いにストレッチをして、いつでも戦える様に体勢を整えて出発した。

さて問題のボリビア市場だ。

とにかく人の多さに辟易する。市場の中を歩くのにも人を掻き分けるようにして進んでいく。だがこの雰囲気はペルーやボリビアを思い出すようで懐かしい。しかしこの人の多さでは財布をすられても絶対に気づかないだろう。

思っていたよりも市場内はヤバイ感じがしない。旅行が長くなってくると直感が発達してきてヤバイ所は直感でわかる。結局、市場の終わりまで歩いてく、少しずつ人通りが少なくなりヤバい雰囲気になり始める。だが本当にヤバイ所はこの先にあるのだ。市場の終わりからもう少し歩くともの凄くヤバい所があると言うのでそこまで行く。

オレもマサシさんも平和なチリ・アルゼンチンが長いのでスリルが足りなかったのだ。

市場から歩いていくと人は殆どいないスラム街になり、それでも歩いて行くと細い路地が幾つも分かれていた。

「ここから先は本当にヤバイ!!」直感でピンと来た。マサシさんも「オレも嫌な感じがする」と言う。これ以上進んだらスリルを楽しむどころでは無くなってしまう。自分達はここで引き上げた。

だが最高に楽しかった。

だからオレは宿に帰った後、少し休憩して今度は一人で市場に向かったのだった。

 

  
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2006年04月14日

ブエノスの日々

タンゴウシュアイアから首都ブエノスアイレスへと飛んできた。ここから日本へと帰る予定なのだ。

ブエノスは南米のヨーロッパと呼ばれる。町並みやファッションもヨーロッパを意識しているのが見受けられる。町の中心部に行けばオシャレなカフェやショップが立ち並び、ポルテ−ニョ(ブエノスアイレス市民)だけでなく様々の人種の人々が闊歩する。

歩行者天国であるフロリダ通りではストリートパフォーマーが通りの活気に華を添える。パフォーマーの中ではブエノス独自のダンスであるタンゴも良くみられる。ピッタリとくっつき合い、非常に早いステップをする官能的とも言えるダンスだ。彼らもこういう所から上がっていき有名になっていくのだろう。

帰国までの日々を本当のバケーションとして楽しんだ。

 

  
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2006年04月11日

最南端の宿での日々

トルーチャと共に上野邸のアイドル五右衛門風呂

 

 

 

 

最南端の町には日本人宿がある。南米の日本人宿の中でもパイオニア的存在で、今は80歳を越える日本人のおばあちゃんが旅人達を迎えてくれる。南米を旅する旅人は上野邸を目指して南下し、この地で休息を入れるのだ。

上野邸には名物犖浣Ρ厂臧呂瓩ある。その名の通りの物だが、ずっとこれを楽しみにしてきた。長旅の垢を風呂で落としながらビールをキュッと飲む。最高の一時だ。

また上野邸にはアイドル犬のトルーチャがいる。こいつがメチャクチャかわいい。名前を呼べば全力でぶっ飛んでくるし、膝の上に頭を乗せて甘えるのだ。

最南端の宿では、毎日トルーチャの散歩に行って、風呂に入って酒を飲む。旅の終了後の余韻を充分に楽しんだ。

  
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2006年04月09日

お知らせ

今回のブログを持って南米大陸自転車縦断行としての更新は終了とさせて頂きます。

ですが、旅の後日談として後数回ほど更新する予定です。どうぞそちらもお付き合いください。

またホームページのほうも現在更新中です。写真や動画もどんどんアップしていきますのでそちらもお楽しみに。

  
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終着点、そして出発点

2月28日

最後への気合入れ

アルゼンチンを南北に国道3号線が貫いている。3号線の終わりはウシュアイアよりも先にあり、そここそが多くのチャリダーにとっての終わりになっている。

天候の悪いことの多いウシュアイアだが今日は雲一つ無い。自分の旅は今までも天候に恵まれる事が多かった。ずっと自然が味方してくれたのかもしれない。

終わりに向けて様々な事が頭をかすめる。

本当に楽しい旅だった。終わりまで後少し、だが何の感動も無く、不思議な程に冷静でむしろ寂しくもある。あれ程に終わりを待ち望んでいたはずなのに・・・。

旅を始めた頃は逃げる事ばかりを考えていた。

英語もスペイン語も話せず、初の海外、ロングツーリングすら初めてだった。辛いのは覚悟していたつもりだったが思っていた以上のきつさだった。

初めて2500mの高地でフル装備の自転車にペダルを踏んだ時にはあまりのきつさに旅を始めてしまった事を後悔した。

それから暫くは日本に帰れないかと考えた。例えば自転車が盗まれたとか強盗に遭ったとか言う帰らざるをえない状況にならないかと・・・(情けない話しだが)。大口を叩いて日本を出てきたのに、「辛いので帰って来ました」では帰れなかった。

だが沢山の人の優しさや協力のお陰で旅を続ける内に「旅をやめたい」とは考えられなくなり、「絶対やり切る」と言う気持に変わっていき、どんな困難も楽しめるほどに自分は強くなって行った。

もしこの旅が終わっても何の感慨も無い事は分かっている。自分にとってのこの旅は数ある夢の内の一つが叶ったに過ぎない。ここは通過点でしかないのだ。この旅の道はもう少しで終わるかもしれない。だがその先に道は続いていくはずなのだ。

オレの皆の様に器用な事は出来ない。何の才能も無く、とれたてて優れた所がある訳では無く、むしろ人よりも劣る人間だと言う事は自覚している。だが単純にペダルにを踏むと言う事で自分を表現してきた。そしてオレはこれで充分な気がする。オレはオレらしく生きている。常に前を目指して自分の限界を求めて生きている、それでいい。

ゴールまでは後数km。

「さぁ、行きますか!オレの通過点へ」

右拳をグッと握り締め、左掌をバチーンと叩きつけ気合を入れる。

再びペダルをこぎ出した背中に風が吹き始めた。まるで自分を後押ししてくれる様に。

  
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2006年04月07日

最後の峠越え

2月25日

最後の峠峠からの眺め

 

 

 

 

今まで数多くの峠を登ってきたが、今日の峠越えこそが最後となる。ウシュアイアまでの残り100kmの道は非常に変化と起伏に富み、今までの鍛錬の成果が試された。残り少ない距離をかみ締めながら走る。

アメリカ大陸を南下してきた者にとって最後の峠となるガリバルディ峠。久々の8kmに渡る峠に心は躍る。

変速のぶっ壊れた自転車での峠越えは結構きつい。ペダルが重くてもギアは落とせない。最大筋力でこぎ続けるので筋肉は張りっぱなしだ。だが幾らきつくとも絶対に自転車は押さない!この最後の難関に真正面から挑むのだ。

畜生、この野郎!と足に最大の負荷をかけて峠をかけ登る。今まで最速のクライムヒルであったかもしれない。

そしてガリバルディ峠に立つ・・・、感無量だ。この旅は常に峠越えと共にあった。ペルーのナスカからクスコへの初のアンデス越え、あの時の苦しさは今も鮮やかに覚えている、そしてその感動も・・・。それ以来、峠越えの魅力にはまってしまった。痛む足をこらえながらの走行、そして峠に立った時の快感。それはオレの心を満たしてくれた。

「オレの南米縦断の夢はここで終わった」

そう感じてしまった。後は厳しいルートなどは無い。今までの余韻を感じながらの走行だ。やはりオレは苦しみの先にしか喜びを味わえない人間なのかもしれない。

明日はウシュアイア、テントでの生活も今日で最後だ。

走行 91.3km

  
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2006年04月06日

最後まで

2月24日

不安であった自転車はスプロケットとチェーンリングを無理矢理に連結させる事によって何とか走れるようになった。当然、変速は出来ない、安いママチャリのような物だ。

だが自転車がイカれた時には自転車を押してでもウシュアイアに行く事を考えていたので、それに比べればかなり良い。ここまで来てバスでゴールだけは絶対に嫌だった。

ペダルを普通にこいで18km/h程。平坦な道では差し支えないが、坂ではかなりきつきくなる。だがギアは落とせないので足に渾身の力を入れてこいだ。絶対にこの足で最後まで行ってやるんだ。

ゴールは近い。あれ程にゴールに着く事を夢見ていたのに心の中は空虚だった。ただ今までに無い程にパタゴニアの大地が輝いて見えた。

走行 103.1km

  
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2006年04月05日

病気

2月23日

このリオグランデの町には日本人パッカーはあまり来ない。見るべきものも何も無いし、さして大きな町でもないからだ。だからオレはこの町で日本人に遭う事は絶対にないと思っていた。だが隣の部屋に日本人がやって来たので驚いた。

彼は2ヶ月ほどの短期旅行ではあるが南米を回れるだけ回ると言う。彼がスゴイのは難病を抱えているにも関わらず旅をしていると言う事だ。何でも現代病の1つで、腸の消化機能が落ち、幾ら食事を食べても痩せていってしまうらしい。1ヶ月のうちに1週間はチューブを通しての栄養だけで絶食しなければならないと言う。原因はジャンクフード等の偏った食生活と言う説があるが、はっきりとした事は不明で治療法も現在のところは存在しないと言う。

だが彼は医者に内緒で旅に出てきた。パンやパスタの様な消化の良い物だけを食べているので今は何ともないようだ。発病したら大変な事になると言う。

その度胸には恐れ入った。発病したらどうするのだろう?

だがそれでも彼は「旅がしたい」と言う。

やはり夢へのエネルギーとはスゴイ物だ。自分も彼を見習わなければならない。

  
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2006年04月04日

故障

トラックがどう仕様も無く直らない。ドライバーが色々といじったり、ほかのトラックに牽引してエンジンをかけたりするが直ぐにエンジンが止まってしまう。ドライバーのおっちゃんはその度に爛ぅ曄.如.廖璽(このバカ野朗)瓠↓爛廖璽拭.院.董.僖螢(放送禁止用語なので訳不可能)瓩肇屮狙擇譴襦

最終的には「マサは他のトラックをヒッチした方がよい」という事になった。言葉は激しいがとても優しい人だった。彼の手はエンジンオイルで真っ黒だったがオレは彼に手を差し出し、お別れに抱き合った。彼もオレの頬にベソ(キス)してくれた(パタゴニア地方の人は男同士でも頬にベソをする)。見た目は荒くれ者だったが心はパタゴニアの大地のように大らかだった。

仕方なく自転車を押しているとイキナリ横に車が停まり、「乗せてあげるよ」と言う。あまりにもタイミングが良すぎる、あのドライバーが頼んでくれていたのかもしれない。トラックが直ってくれると良いのだが・・・、彼はトラック無しでは食っていけないと言っていた。

車に自転車を乗せてリオ グランデの町に着いた。これからどうするか?それを考えなければならない。ただ、なぜかオレは異常な程に落ち着いていた。

リオ グランデでは泊まった宿の老夫人がが「キレイに使ってくれ、キレイに使ってくれ」とひどくうるさいのには閉口した。

  
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2006年04月03日

自転車ぶっ壊れる

2月21日

壊れたディレイラー上陸、フエゴ島

 

 

 

 

膝の痛みはかなり治まっているようだ。冷え込む朝を除いてはさほどの痛みはない。

船に乗りマゼラン海峡を20分程で渡る。そう、あのマゼランがここを渡ったのだ。まだ見ぬ世界を切り開いて行く、願わくばオレもかの大航海時代に生まれたかった。

船はオレの目的地のウシュアイアのある“ティエラ デル フエゴ(火の島)”へと運んで行く。20分の船旅は自分を回想にふけさせてくれた。もう少し、もう少しだ。

暫く道を走るとダートに変わった。久々に体に感じる振動もまた悪くない。ところがペダルが急に動かなくなった、嫌な予感・・・。急いで自転車を確認するとリアディレイラーが有り得ない形になっていた。路上で一時間ほど格闘して何とか走れる状態になり再び走り出す。

ところがまた直ぐに動かなくなりディレイラーは完全に破損してしまった。うまり自転車をこげないのだ。

ショック・・・、では無かった。ただボンヤリと「これからどうしようか」と考えていた。ゴールを目の前にしての立ち往生なのに自分でも不思議だ。

兎に角このままでは動けない。トラックをヒッチハイクして次の町に向かう事にした。

トラックは直ぐにヒッチ出来た。これと言った感傷も無いが、トラックの座席から見るパタゴニアの大地が今までに無いほどに美しかった。

ところがそのトラックもいきなりエンジントラブルでストップ。ドライバーが色々といじったのだが、遂に日は落ち、どうしようも無く、トラックの傍にテントを張った。

走行 90.0km

 

  
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2006年04月02日

膝痛

2月19日

ペダルをこぎ出したのだが、とにかく膝が痛い。もともと無茶なトレーニングや空手で痛めてはいたのだが、この旅で日増しにひどくなっていくようだ。本格的に痛くなり始めたのはチリのアウストラル街道を走った辺りからだ。アウストラル街道の道は荒れ気味のダートの上に急勾配の坂だったので、どうやらそこで痛めたらしい。

昔はマッサージすれば治る程度の軽い痛みだったが、旅が長くなると共に痛みはひどくなり、モモを上げる度に爛Α璽鱈瓩箸Δ覆詬佑閉砲澆走る様になった。特に今日のはひどい。我慢だ、我慢。

走行してリオ・ガジェゴスの町に着いたのだが物価がとにかく高い。ドミトリー(相部屋)で22ペソ(700円)だ、冗談じゃない。だが探した限りではこれが最安値だ。

この物価ではとてもゆっくりする事は出来ない。膝の為ににも休むべきなのだが仕方がない。

壊れた自転車のスポークを直す為に自転車屋を探し回り、夜はクタクタになってベットに潜り込んだ。

走行 51,7km

  
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2006年03月31日

タイミング

2月18日

早朝の走行

朝起きると風はとまっている。普段ならば嬉しいのだが、今は東へと向かうので風を最大限に利用できるルートなのだ。うなる程に風が吹いて欲しいのだが・・・。

「まぁ、腐らずに行きますか」とペダルを踏み出すと“ガガガッ”と音が鳴りタイヤが動かなくなった。事態が一瞬のみこめなかったが自転車を見て顔面蒼白になった。

昨日おれたスポークを処理せずに放置していたのだが、そのスポークがリアディレイラーに巻きついている。ディレイラーは一部破損、調子も完全にオカしい。本当にトラブルとは重なる物だ。

路上で一時間もかけて何とか走れる状態にする。調整中にトラックが停まり話しかけてきた

「問題があるなら助けるぜ

内心、そのトラックに乗せて欲しいと思ったがオレは負けたくない。「全然ダイジョウブさ」そう言う。まだまだいけるさ。

それにしてもパタゴニアの人は本当に親切だ。立ち止まって休んでいるだけでも「大丈夫か?」と声を掛けてくる。走行中は応援のクラクションの連続で有難いが少々大変だ。

走行 126.6km

  
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2006年03月29日

限界

2月17日

地平線に佇むグアナコ

朝から風が吹いている。今日からは東へと向かうルートをとるので追い風を最大限に利用できる。

風のお陰でペダルが異常に軽い。この旅で初めてアウター・トップのギア(一番重い)を使う事が出来、平坦な道を45k/mでぶっ飛ばす。

ところが急に自転車が揺れ出した。理由は直ぐに分かった、スポーク折れ以外には有り得ない。後輪を確認するとバッキリと折れている。スポーク折れはこれで3度目、自転車が悲鳴を上げているのだ。カラファテでキャリアを溶接しようとしたが、“同じ部分を何度も溶接し過ぎて、もう溶接する事は不可能だ”といわれてしまった。だから今は針金で無理矢理に固定している、最後まで何とか持ってくれ。

スポークが折れた直後、道は峠に風は横風に変わった。タイミングが良すぎる、やはり自然は人を見る。

しかしパタゴニアの風はスゴい。追い風が吹くとペダルをこいでいないのに20k/m近い速度で進んだりするのは乗っていて薄気味が悪い。

走行 141,2km

  
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2006年03月28日

カラファテの日

2月15日

ダチョウ科のニャンドゥ

今日はこの町(カラファテ)の祝日である。何でも、この町の出来た日らしいのだ。国全体の休みなら分かるが、この町だけの休みなのに会社も役所も休みにしてしまうのがアルゼンチンらしい。日本ならばこんな事はない。だが、日本人は働き過ぎなのかもしれない。ヨーロッパ人も、「日本人はオンリー ワーク、ワークだ」といっていた。

昼には航空自衛隊の戦闘機がアクロバット飛行をし、夜にはアーティスト達を呼んでコンサートする。更に、この祭りは週末まで4日間続く。まさにフィエスタ(祭り)好きの人々なのだ。

余談だがチャリダーの外谷氏によると、彼が南米大陸最高峰アコンカグアに登りに行った時はちょうど正月で、ベースキャンプでも花火が上がり、爆音で音楽が流れたそうで、彼はそれにブチ切れて帰ってきてしまった(笑)。またベースキャンプでは酒や食事もあり、ネットや国際電話もあるらしい。しこまで行くと山のおごそかな雰囲気がブチ壊しだ。

  
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2006年03月27日

アサードパーティー

2月14日

羊の炭焼き

今日はバレンタインだが、旅をしている身には全く縁のない世界だ。最も日本にいたとしても無縁だが・・・。

夜、オーナーや宿の皆でアサード(炭焼肉)する。アルゼンチン人はアサードが大好きで、何かにつけてこれをやる。例えば、「正月だぜ、アサードだ」・「息子が100点をとった、アサードだ」・「日本人のアミーゴがきた、アサードだ」と言う感じだ。

自分達がやったのはコルデロ(子羊)のアサードで焼きたては最高にウマイ。パタゴニア地方ではこのコルデロがウマイらしい。

12人で羊の半身を丸々焼いたのだが、とても食べきれなかった。アルゼンチンは肉とワインの国だ。

  
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2006年03月26日

風との闘い

2月11日

町の間隔は長い

朝から風がビュウビュウと吹いている。非常にテンションが下がるが行かなければならない。ここからは進路を西にとる、従って強風を真正面から受けて進まなければならない。

帽子の上から更にヘルメットを被る。こうしなければ風で帽子は飛ばされ、地平線の彼方へと消えてしまうだろう。

ペダルが非常に重い・・・。まるで坂を登っているようだ。この強風!パタゴニアの大地は丸っきりイカれている。

ヒーヒー言いながら無心で進む。時に一瞬フッと風が止むことがある。人の全くいないこの地域では何の音も無く完全な静寂。耳がキーンとするほどだ。

風は全く意地悪で、追い風の受けられる位置に来ると風は弱くなり、向かい風の位置になると風は強くなる。やは風は人を見ているのだ。

橋の下にテントを張った後に風は弱くなった。全く意地悪だ。だが明日はこの気まぐれな友人が見方してくれる事を祈ろう。

走行 80,9km

  
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2006年03月25日

カラファテの木

2月10日

カラファテの木

走行していると、トゲのある小潅木が目に入った。このパタゴニア地方に植生する“カラファテ”の木だ。非常に鋭いトゲを持っており、うかつに自転車で近付くこうものならパンクしてしまう。

カラファテは夏に花を咲かせ、この季節になるとブルーベリーの様な小さい実をつける。口に含むと甘酸っぱく、口の中に小さな種が残る。休憩中にチョコチョコと食たりしている。

このカラファテには1つの言い伝えがある。それは、

「カラファテの実を食べた者は、またパタゴニアへと還ってくる」

というものだ。

きっとオレはいつか還ってくるだろう。このパタゴニアへ。

走行 108,1km

  
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2006年03月20日

追え!アルマジロ

2月8日

アルマジロ

走行中、道路脇の繁みを何かがもそっと動いた。足を止めてよく見てみると、それはアルマジロだった。

こいつは面白い、捕まえてやろう。と思って自転車を横倒しにして捕獲に向かう。アルマジロは危険を察知したのか、猛烈な勢いで逃げ始める。だが所詮は体長30cm程の生き物、オレの足には勝てない。アルマジロは繁みの中にサッと隠れたがバレバレだ。甲羅の上からガッとワシ掴みにして持ち上げる。

「フッフッフ、もう逃げられんぞ」

アルマジロは往生際わるく、足をモシャモシャと動かしている。鋭い爪を持ってはいるが、顔はモグラの様で愛嬌がある。写真を撮った後、地面に放してやると凄い勢いで去っていった。

ちなみに、このアルマジロは毛のある奴と無い奴がいて、どちらかは中々美味らしい。パタゴニアで食料に困ったらいかかでしょうか?

走行 98,0km

  
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2006年03月19日

最悪の一日

2月7日

パタゴニアの夕日

思えば朝から何か嫌な予感がしていた。早起きしたものの、雨が降り出発が遅れるし、自転車の鍵は壊れるし、テントのチャックも壊れた。ロウテンションながらも7時には出発する。

パタゴニアの風は午後に強く吹くのが通常だが、今日は8時頃から強く吹き始めた。それも並みの強風ではない。風は真正面から吹いてくる、平坦な道でも坂を登っているようなペダルの重さで、突風が吹いた時にはハンドルが取られ90°近くも曲がってしまう。

もし“この世の終り”があるとすれば、こんな所だろう。生物の存在を許さない世界だ。

時間と共に雲が立ち込め、小雨になり、ドシャ降りになり始めた。雨は風の勢いに乗って、強い力を持ちアラレの様にバチバチとオレを叩く。

「痛い!」畜生、痛い。顔をグローブで覆うわなければ耐えられない。とてもペダルのこげる状況じゃない。そのうえ地面は粘土質で、雨にぬれるとタイヤに引っ付いてタイヤは二倍近い大きさになり、泥がブレーキや泥除けにひっかかって押しても進まなくなってしまった。まさににっちもさっちも行かない状況だ。

そんな中、1台のトラックが停まり、「乗っていけよ」と言った。だがオレの言葉は決まっている。

「オレはキツくても、こいつで行きたいんだ」

オレがこの先も世界中を旅するなら、こんな事は何て事ないはずだ。負けるか、負けるか。

体も荷物も全てグショグショ。強風が濡れた衣服と体の熱を猛烈な勢いで奪う。歯がガチガチとなる。駄目だ、このままでは風邪をひく。

まだ時刻は10時半だがとても進めない。風のよけらえる場所にテントを張る。テントに入ってもテント内はずぶ濡れ。泥だらけだ。ガタガタと震えながら体を暖める為に食事をとる。

約一時間後、ある異変に気が付いた。テントの床から異常に水が染み出しているのだ、これには驚いた。急いで外を見ると、自分のいる場所が大雨で小さな川になっている。冗談じゃない!急いでテントを移さないと大変な事になる。慌てながらも自分に「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせる。焦っては逆に失敗する。

全身ずぶ濡れでテントを移動。全く泣きたくなる。あまりに寒いので、ずぶ濡れのままシュラフ(寝袋)に入った。

午後4時ころ雨と風邪はハタと止み、空に太陽が見え始めた。全く皮肉なものだ。

パタゴニアの風は“人を見る”と言う。つまりは誰に対しても不思議と意地悪なのだ。パタゴニアの走行は全て風が握っている。

走行 14,4km

  
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2006年03月18日

4時起き

2月6日

影も走っている

まだ暗闇に包まれた4時半に起きだした。懐中電灯で照らしながら、もそもそと朝食を食べ、5時半に出発する。辺りは殆ど視界が効かないほどに暗く、星空に囲まれながらの走行だ。

パタゴニアの風は午前中は微風だが、午後と夕方に強く吹き、夕方には走行する事すら困難になる。従って午前中だけの走行がベストで、もっと早くてもいい位だろう。

ライダーの水島夫妻は毎日朝4時!に起きていたと言う。走っているバイクがふらつく程の強風が吹くのだ。

町から30kmほどはアスファルトだった。昨年まではダートだったらしいが年々各地で舗装路化が進んでいる、その先の道も工事中だったから舗装路は伸びていくだろう。だが困難なルートが簡単になっていくのは少し寂しい。

道はアップダウンで平坦な大平原を想像していたオレには以外だった。やはり南米大陸は甘くない。

8時間の行動で今日は終了。ほど良いところにキャンプサイトがあったのでそこに入る。パタゴニアには高い木は生えていないので、日陰は少ない上に日中はかなり暑く、強風を遮る物がなければキャンプすら危険だ。台風の中でテントを張るのに等しいのだから当然だ。現代のテントは強いとは言え、安全を考慮するに越した事はない。

走行 79,7km

  
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2006年03月17日

風の大地

2月5日

強風注意

南緯40度以下をパタゴニアと呼ぶ。その中でも南部アルゼンチン側は“風の大地”と呼ばれる。その名の通り、強風の荒れ狂う大地なのだ。

再びアルゼンチンに入国すると、アルゼンチン側のパタゴニアは無限と言ってもいいような大平原、人間よりも動物の支配するエリアだ。自転車をこえでいると、にわかに風が強くなり始めた。パタゴニアでは夕方に近づくほど風が強くなり、夕方には風速20〜30m/sの風が吹く荒れる、台風の中にいるような物だ。風は常に西から東へと吹きぬけるので東へ進む分には楽チンだ。だが、西進する時は地獄・・・。

幸いにも今は東進なのでペダルは軽い。時間と共に風は強くなり、突風が吹いたときには自転車が上り坂を一人でに進んだのには驚いた。

風の大地パタゴニア。オレに良い風は吹くのだろうか?

走行 78,8km

  
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2006年03月16日

恵まれた環境

2月3日

セロ カスティージョ折れたスポーク

 

 

 

 

やる気はないけど目の前の坂を登らなくてはならない。7kmの戻り道をひた走る。悔しい事に戻り道には目に付き易い標識があった。後ろを向くと“セロ カスティージョ(城の山)”が見え、その名の通り城を思わせる風貌だ。

この分岐からはダウンヒル。途中で珍しいイスラエル人サイクリストに出遭った。彼は休憩中だったのだが、サイクリストにも関わらず煙草をすっていた。

全く疲れないままに町には着いたのだが、自転車をチェックするとスポーク(車輪中心からの線)が折れていた。このままでは長時間は走れない。早く修理のできる自転車を探さなくてはならない。旅が長引くに連れて加速度的に自転車が傷んでいくのが分かる。相棒よ、どうにか持ってくれ。

町のキャンプ場ではチリ人のサイクリストカップルを仲良くなった。

彼等は「お金の稼げる日本人が羨ましい」と言う。

「君も沢山働いたんだろうけど、オレ達がヨーロッパや日本を旅するのはとても無理なんだ」と。

南米諸国の中では物価の高いチリだが、それでも月収平均6〜8万円の国では難しいかもしれない。日本の平均月収の4分の1だ。

オレは恵まれている。世界でもトップクラスに物価の高い日本に生まれたからこそ他国をこうして旅できるのだから・・・;。オレが彼等の立場ならどう思うだろうか?金持ちの国の人間をねたまずにいっれるだろうか?世界中を旅したいと思うだろうか?それでも彼等はオレにビールをおごってくれるのだ。

限りなく恵まれた環境にいることを感謝しなければならない。

オレが日本から出たことのない井の中の蛙であったら、きっと気付かないことだったろう。

走行 38,0km

  
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2006年03月15日

ピストン

2月2日

tuduraorino

朝8時ジャストに宿を飛びだした。ここから100kmは舗装路なので余裕だろう。

坂を登り続けで1120mが峠の最高点だった。そこを越えると美しい山々が広がっていた。美しすぎる・・・。これだから峠越えは堪らない。峠の後は当然ダウンヒルが待っている。風を切る音が心地よい。

峠を下り切ってセロ カスティージョの街に着く。・・・オカしい、地図の表示よりも15km程も手前なのだ。それにオレはこの町の手前で分岐しなければならなかったはずだ。

町の人に尋ねると「その分岐は9km手前だ」と言う。

“SHIT!!”地図のキロ数表示が間違っているのだ、それも大幅に。それにその分岐にも目に付き易い標識はなかった。今までも地図の表示が数km違うという事は常だったが、15kmも違うというのはオカしいだろ!!地図位はしっかり作れよ、南米。

その9kmは勿論のぼり。ピストン(来た道を登る事)が一番つまらないのに・・・。もうやる気を無くして、道脇の茂みにテントを張った。

走行 98,8km

  
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2006年03月14日

これから

2月1日

山をバックに

当初はこのまま南下する予定だったが計画を変更した。

チリは物価が高いし、何よりもオレには残り時間が少ない。4月には大学生に戻らなくてはならないのだ。

このままアウストラルを南下しては時間がかかってしまう。バスを使ってショートカットする手もあるが個人的にそれはやりたくない。

そこでここからアルゼンチンに抜けて南下する事にした。その方が距離は短くなる。だがそれでも今月中に2000kmを走らなければウシュアイアには着けない。ダートの多いパタゴニアでこれは厳しい。

ところで自転車がかなり傷んでいる。かなりハードなルートを走ってきているので無理も無いだろう。キャリアも再び破損した。オレのキャリアは日本のニットーが造っているキャリアだが、はっきり言ってこれはクソ。ロングツーリングをしたい人は絶対にやめた方がいい。どこかで造って貰うか海外から取り寄せた方がいいだろう。

キャリアを溶接できる店を探す為に街中を駆け回る。2時間も探し回り結局、車の整備工場で溶接して貰った。

「いくら?」と尋ねると「大した事じゃないから金はいいよ」と言ってくれた。

  
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アメストラス街道

1月30日

路肩のラベンダー

アルゼンチン側のパタゴニアはドライだが、チリ川は非常にウェットだ。大雨が降っていなければ良い天気だ、と言う位でうある。

なんせ、月間降雨量が多い月には500mm以上!日本の年間降雨量は2000〜2500mmだから、その雨の多さは推してしるべしだ。

特にオレが走っているルートは雨が多いことで有名だが、自分はまだ雨に降られていないので奇跡的に運がいいのだろう。

雨にやられると覚悟していたのに降られないのも少し寂しいが・・・。

走行 75,8km

  
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2006年03月13日

ベストキャンプ

1月29日

キャンプする場所にはいつも悩まされる。身体が疲れ始めると無意識にキャンプ地を探し始める。

チリは日本並みと言っていい位に安全な国なので他国ほどに気を使う必要ない。その気になれば道路脇でキャンプをする事も可能だ。まぁ、配慮するに越した事はないが・・・。

良い場所の条件として挙げられるのは、

安全・日陰・水

この三つだろう。安全は言うまでもない、人目に付き難い方が良い。それにトイレの時に人に見られたら困る。

またテントは日があたるとかなり暑い物なので、寒い地域以外はテントの中であえぐ事になるのでバツ。その上、雨が降った場合には木が守ってくれる。

水も言うまでもないだろう。、水が十分にあれば米もとげるし、歯も磨ける。

さて今日のキャンプ地だが、町外れの橋の下だ。人目にはつかないし、日陰があり、川もあるので水には困らない。まさにベストプレイスだ。町が近いのでビールも買える。川はキンキンに冷たいのでビール冷やすので最高だ。

走行 75,7km

  
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2006年03月10日

誤情報

1月26日

アウストラル

昨日会ったポーランド人サイクリストは「オレは南から来て登り続けだったから、君は楽さ」と言っていた。だがオレは今、長い峠越えをしている。畜生!あの野郎ちがうじゃないか!

大体にして、オレはフェリーで海をフェリーで来たので、標高0mに近い所にいるのだからそこから下れる訳がないのだ。だがアップダウンの連続だと登り続けの様な気になるから、錯覚を起こすのも仕方がない。

ダートの登りは道も悪く、 疲れてしまったので早めにテントを張った。眼前には川が流れ山々が立ち並ぶ、最高のロケーションだ。川は飛び上がるほどに冷たく、髪を洗うと最高に気持ちが良かった。

テントの中でボーッとしていると外から声が掛かった。外に出るとそこにはサイクリストがいる。“写真を撮ろうと思って川原に来たら自転車があったんで来てみた”と言う。彼はブラジル人で、ウシュアイアから北上中だ。「ちょっと疲れたんで近くの町で休む」と言った。彼は今日65km走っているそうだから、オレだけじゃ無く、ゴツいブラジル人でも疲れるんだな、と少々安心した。どうもオレが極端に貧弱なわけじゃなさそうだ。

走行 60,0km

  
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アルゼンチンより

世界の終点

最後への気合入れ

 

 

 

 

いつもブログを見て頂いてありがとうございます。

3月2日に無事アルゼンチンのウシュアイアにて旅を終えましたので、ここに報告致します。総日数290日、走行距離1,0929.4mの旅を終えました。

ですが、あくまでもここは通過点であり、更なる高い目標を目指して行きたいと思っております。

予定よりも長い旅となりましたが、旅は毎日が楽しく、また充実した日々でした。現地で出遭った沢山の人々、日本にいる方々、そしてブログを見て下さっている皆さんの温かいご協力と優しさのお陰でこの旅を成し遂げる事が出来ました事をここに重ねてお礼申し上げます。

ブエノスアイレスから飛び、日本へと帰ります。また帰国の際には、またブログ上にてご連絡致します。

ブログは旅の終りまで、もう少し続きます。どうぞ、もう暫くお付き合い下さい。

では皆さんに良い風の吹くことを祈っています。

Believe Myself!!

夢を追う男 阿部雅龍

  
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チャリダー温泉

1月25日

橋渡り

チリのルータ7の事を“アウストラル街道”と言う。美しいルートとして有名でサイクリストには大人気のルートだ。

チャイテンの町から走り出す。アウストラル街道はダートのはずだったが、年々アスファルト化が進んでおりチャイテンから20kmは舗装路だった。舗装路は確かに走り易いが難関が段々なくなって行く様で少々さびしい。

30km程走ったところで温泉への分岐を見つける。オレには時間も金も無いが温泉の魅力には勝てない。坂を乗り越え温泉に着くと、そこには4人のライダーと2人のチャリダーがいた。偶然ではあるが、まるで冒険者達の宿だ。

サイクイリストの内の一人は、珍しくポーランド人で名前はマックレイ。彼はウシュアイアから北上中なので互いに情報を交換する。マックレイは元々パッカーとして南米に来たのだが、バスでの移動が面倒だからブエノスアイレスで自転車を買ったと言う。その根性が凄い。

宿泊もロードキャンプの連続で兎に角タフな男だ。オレもここから踏ん張って飛ばさなければ時間がない。彼に見習おう。

走行 35.0km

  
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2006年03月09日

大朗報!!

 

皆さん、こんばんわ☆
 
ご無沙汰しております、代理管理人のかにです☆
 
 
今日、朗報が飛び込んでまいりました!!
 
この「夢を追う男〜南米大陸自転車縦断行」が、
NHK BS2「これであなたもブログ通!」という番組で
紹介される事になりました!!
 
なんと1107通の応募の中から選ばれた30ブログの一つだそうです!!
 
これも皆さんの応援のおかげです(T_T)
本当にありがとうございますm(_ _)m
 
これからも何卒よろしくお願いしますm(_ _)m
 
 
 
 
それから皆さんへお願いです。
 
 
へ参加継続中です。
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という所から投票できます☆
1日1回の応援クリックどうかよろしくお願い致します!!
 
 
  

2006年03月08日

船旅

1月24日

船上の夕日

夕方7時に宿を出て港に向かう。ここからチャイテンも町までは船での移動となる。チャイテンまでは陸路とフェリーを乗り換えながら行けなくもないが、面倒なので一気に渡ってします。

運賃は23000ペソ(4600円)!!12時間の船旅とはいえボッタクリ過ぎだ。今日までの宿代が600円だったのに・・・。

フェリーには人ばかりではなく、バイク・トラック・ショベルカーまでも

車でいっぱいが乗ってくる。汽笛が鳴り、船は滑り出す。

客室では隣に座った家族と親しくなった。その家族の女の子がカワイくて性格も良く話していて楽しかった。彼女は全く英語は出来ないので会話はスペイン語。旅行会話ならまぁまぁ分かるが日常会話になると全くわからない。それでも彼女は色々と言い方を変えて真剣に話しかけてきてくれる。一緒にデッキで夕日を見たりして久々にリラックス出来た。旅行中じゃなかったら惚れてたなぁ・・・。

お陰でつまらない船旅も楽しかった。やっぱり人間は性格が大事だ。顔がいくら良くても、性格が悪ければクソ以下だ。

  
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2006年03月07日

シーフード

1月21日

クラント

快調に自転車を飛ばし、プエルトモンの町に着いた。プエルトとは港の事で、つまりここは港町だ。町に入ると魚の臭いが鼻をつく。街全体に魚の匂いがしみついていると言った感じだ。

3000(600円)のチリにしては安い宿を見つけ宿を取る。

町の中心から2km程歩くとアンヘルモに魚市場がある。ここでは取れたての魚が並ぶが、奥にはシーフードを食べさせてくれる食堂も並んでいる。食堂街を歩くと日本語で「ウニ、アワビ!」と声が掛かる。日本では高価なウニやアワビが安く食べられる。

オレが食ったのはクラントと呼ばれる煮物で、貝類・ジャガイモ・肉のごった煮だ。兎に角その量の多さにはビックリする。アルゼンチンの肉も最高だが、日本人にはやはりシーフードだ。

ウニは700円で腐るほどに食べられた。20個分以上は食える。だが、ウニは少量だからウマい物だとつくづく思った。

走行 44.7km

  
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チリ富士

 

チリ富士2チリ富士

 

 

1月20日

さて、ここからはアスファルトの道を行くのでは無く、再びダートの細い道を選んで走っていく。その方が大変でもあるが楽しいのも確実だ。

視界の左手には雪を被った山が見える。それはオソルノ山(約2660m)ここで“約”と書いたのは地図によって標高が異なるからだ。南米では地図毎に山の高さが違う・・・。

オソルノ山はチリの富士山と言われる。確かに山の形と言い、裾の広い尾根といい富士山を連想させる。

角度によって姿を変えるオソルノ山を見ながら走行すると、プエルトオクタイの町に着く。ドイツ移民の多かったチリ南部だが、中でもこの町は移民が多く、建築様式にもドイツの面影を感じられる。

ではなぜ移民が始まったのか?それを想像する事は容易い。あのナチの迫害から逃れて、このチリに来たというわけだ。

  
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無滞在国状態

1月18日

イミグレ(出入国管理局)にてアルゼンチンの出国スタンプを押してもらう。当然、自分はこれでアルゼンチンを出た事になる。

しかし、このイミグレが特殊なのは次のチリ側のイミグレまで40kmも離れているという事だ。通常は同じ建物内か、数km以内にある事が多い。

さて、この40kmの間、自分は南米にいながらいして“無滞在国”という状態になるのだ。チリにもアルゼンチンにも属していない、実に不思議な感覚だ。この状態で何かあったらどちらかの国は保証してくれるだろうか?

道はアンデス越えでハードなルートだが、その日の内にチリ側の入国スタンプを押してしまわなければならない。次の日にでも行ってイチャモンでもつけられたら面倒なのだ。

ヒイコラ言いながらペダルをこいで着いたチリのイミグレでは、局の兄ちゃんがオレのパスポートの写真を見て「悟空〜!」と大喜びだった。

走行 92、0km

  
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2006年03月06日

南米のスイス

                                                        

道は続いていく

湖水地方3湖水地方4

 

 

 

 

のサンマルティンの町はスイスのような町だと言われる。確かに茶色い木造の家々で統一され、バックの自然と重なっているとそう見えなくもない。

この町を出ると大きな湖が広がっている。この周辺は“湖水地方”と呼ばれ、その名の通りに数多くの湖が存在する。植生も豊かで、所々に冷たくて清潔な沢が流れているので、アンデス高地のカラカラに乾いた大地とは違い生命のウネリを感じる。あるチャリダーの人がここを走っていた時には「毎日、夢精してた」って言ってけど(笑)、気持ちはわかる。非常に美しい大地なのだ。

道は途中からダートになり、ラニン国立公園からナウエルウアピ国立公園に入る。暫くは国立公園を繋ぐようにして走るのだ。

アップダウンとダートで少々疲れてはいるのだが、この公園内での指定された場所以外でのキャンプは禁止されている。その為に次のキャンプ場までは確実に走らなければならない。だが、この自然を守る為にはそれ位のことは必要だろう。時としてマナーのないキャンパーもいる。

このルートを走る為にチリ側から随分と遠回りをしてしまったが、来た甲斐があった。きいとこのルートを走らなかったら一生後悔するだろう。

走行 85、2km

  
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2006年03月04日

パタゴニア

1月15日

必死のヒルクライム

湖水地方1

 

 

 

 

昨日からずっと坂を登り続けている。普通は国境を越えれば下りになるのだが・・・。

ダートの登りは補走路よりもかなりキツイ。ヒイヒイ言いながら登り続ける。だが広がる景色は美しく、走っていて気持ち良すぎて先っちょから汁が出そうだ(下品でした)

登って下り、下って登りを繰り返す。ペルーやボリビアでは登りなら登り、下りなら下りだけだったが、南下するほどに小刻みなアップダウンになって行く。その為に標高の低さの割にはキツイ。

14時頃、サン マルティン デ ロス アンデスの町に着く。長い名前だ・・・。この町は南緯40度以下の大地“パタゴニア”に属する。町はちょっと驚く位にきれいで、いつも汚いオレはちょっと引いてしまった。完全なリゾート地で宿も驚くほどに高い。キャンプ場でも12ペソ(400円)だ。アルゼンチン北部ならシャワー付きのシングルに泊まれてしまう。

走行 36、2km

  
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2006年03月03日

疲労困ばい

1月13日

疲れている、体にひどく疲労を感じる。大した距離は走っていないが、特に昨日は悪路を長時間に渡って自転車を押したために足がダルい。

ここで一日休めば良かったのだが、気が焦ってしまい、そう考える余裕が無かった。自分の旅には時間のリミットがある。もう時間は少ないのだ。

何とか此処から昨日とは違う国境へ向かわなければならない。町の人からすでに情報は仕入れてある。

ここから6kmの道を再走し、再び山道を越え、フェリーで湖を渡るのだ。

そして今はその道を走っている。道は湖を横目に見、前方には雪山が見えていて美しい事この上ないのだが、オレは疲れていた。途中からは緩い坂でもペダルをふんで上がれなくなり、終いには押すのも足が痛くて進めなくなった。

疲れている・・・。とにかく疲れていた。テントを張れる場所を探すのもわずらわしく、走路脇にテントを張った。

走行30、0km

  
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国境渡れず

1月12日

ここからはチリの国境を目指す。このルートからの国境越えはマイナーであり車は殆ど通らない。それもそのはず、道はかなりの悪路なのだ。道は板を並べた上に砂利を敷いただけ。行程の多くを押しながら進み、10kmに二時間半かかった。

そろそろ国境に着くはずだと思っていると、道には警察官がいて、停まれと言う。彼らの話では“昨夜の大雨で土砂崩れが起き、国境は一時閉鎖だ”と言う。

最悪、タイミングが悪すぎる・・・。

来週までは開かないと言うのでルートを逆走する事に・・。帰りは最悪なガレキを下っていくので前後ともにリム打ちパンク(タイヤへの衝撃によるパンク)をした。昨夜の雨の性で道はドロドロ。自転車も泥まみれだ。結局近くの町に戻った。他のルートを考えなければならない。

そう言えば街の外れで6人組のアルゼンチン人サイクリスト達に遭った。彼らも自分と同じ国境に行くを言うので“国境は閉まっている”と忠告したが「一応、行ってみる」と言う。彼らはどうなっただろうか?

キャンプ場で兎に角ビール缶を一本開けた、これが飲まずにいられるか。

キャンプしている人達が話し掛けてきて、パンやアサード(炭焼き肉)をご馳走になった。

走行 30、9km

  
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2006年03月02日

再びアンデスへ

昨夜から土砂降りが続いていた。朝になってもそれは降り止まずオレは出発の延期も考えながらボーッとしていたが、10時頃に雨は上がってきたので急いで荷物をまとめて出発する。

今日はついに大きな道路を離れて走行する事が出来る。生命感のないハイウェイを離れて一路、アンデス越えが始まるのだ。

走っていると胸がワクワクして仕方が無かった。また大変な自転車行が始まる、だが充実した日々もまた始まるのだ。オレもどうやら完全にイカれてしまったらしい。

自然の中を走っていると自分らしく感じられる。オレは帰って来た。

途中の町でワインを買い、テントの中で祝杯を挙げた。

走行 90、8km

  
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チーノ論

1月8日

フジモリ元大統領が再びペルーの大統領選に立候補しようとしているらしい。彼は現在チリに拘束中なのでチリ人に彼のことを問われる事もある。ちなみに彼の愛称はは“チーノ(中国人)”だ。そう、自分がよく問題にしているチーノだ。

だがそれは別に構わないと思っている。彼の場合は親しみを込められているし、オレも悪意のこもっていない場合は怒らない。そう、許せないのは日本人を小馬鹿にした時のみだ。(まぁ、自分の機嫌が悪くてやっつける時もあるけど・・・。)

では何故チーノと言う言葉に悪意のこもっている場合があるのか?

またそれを言う人間はメスティソやインディヘナにおいて顕著である。そう、差別階級に比較的多い。

こんな言い方誤解を招くだろう。だが差別は存在するのだ。日本のような狭い国でもエタ・ヒニン差別がまだあるように。

人間とは弱い生き物だ。だから自分より下の人間を見つけ、自己尊厳を守ろうとする。彼らはこう言いたいのだ。

「確かにアイツらは先進国で金もある、でも所詮チーノじゃないか」と。

日本的に言うと「オレはアイツより金も才能も無い、でもオレはエッタの生まれじゃない、オレの方が上だ」と。

クダらない!!金が無くても、才能が無くても、自分なりに精一杯生きていれば立派じゃないか。誠実で真面目に暮らしていれば、それは何よりも誇らしい事なのだ。

先住民が白人に迫害を受けていた頃、こういう話があったらしい。

「世の中にはチーノってのがいる、アイツらは最低のヤツラなんだ」と。

その潜在意識からだろうか?

オレは言いたい。「オレ達は皆同じじゃないか」差別はあまりにも下らない。平等な世の中が来る事を祈る。

  
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2006年02月28日

民族感情

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1月7日。 再びチリ32日目(チリ合計41日目)
 
 
 
 
 
 
 
 

今日は次の町までしか走らないと決めていたので全力で駆け抜けた。

この町テムコはチリ内でも大きな方に入る。とは行っても南米は首都圏に極端に人口が集中する傾向があるので、せいぜい40万人程度の物だ。

まずは観光局に町の地図と宿情報を訊きに行く。局のお兄ちゃんはオレが日本人だと知ると

『セイヤは面白いね』と言われたので『アンッ?』と思ってしまった。そうやら“セイント・セイヤ”の事を言っている。日本のアニメは南米をもかなり侵食している。

自転車のリム(車輪)がかなり振れているので近くの自転車屋に依頼した。まぁ、腕は良くもないが、悪くも無いと言った感じ。値段は2000ペソ(400円)だ。彼らは『グリンゴ(白人)経営の店ならもっと金をとられるぜ』と言う。(グリンゴとは白人に対する軽称)

この場合は移住しているヨーロピアンやアメリカンを指すのだろう。チリの人々もかなり白人に近い気がするが・・・。白人に対する劣等感や差別感があるのだろうか?

明日はこの際に“チーノ”に対して論じておきたい。

 
 
本日の走行距離 46.9km
1日ワンクリックよろしくお願いします
  
Posted by garyu1 at 12:28Comments(0)TrackBack(0)南米冒険記

2006年02月27日

 
 
 
 
 
 
 
 
 
1月6日。 再びチリ31日目(チリ合計40日目)
 
 
 
 
 
 
 

昨夜から雨が降り続いている。雨の日は動きたくないがモソモソとテントからでて出発する。

5m先が目視出来ない程の濃霧。車に衝突されては堪らないのでライトを付けて走行する。

道はアップダウンが続く。交通量の多い幹線道路のヒルクライムは全くつまらないが仕方が無い。

走行しながらキャンプの出来る場所を探していたが見つからず、100km走った地点に何とかテントを張れ、人目に付き難い場所を発見する。キャンプ場所が無いのは非常に困る、早く自然の中のルートに戻りたい。

 
 
本日の走行距離 100.8km
交通量の多い場所ではキャンプしにくいですよね。
1日ワンクリックよろしくお願いします。
  
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2006年02月26日

極上の日

 
 
 
 
 
 
 
 
 
1月5日。 再びチリ30日目(チリ合計39日目)
 
 
 
 
 
 
 
 

この宿は朝食付きであったので、たらふく食べて出発する。

朝から曇りだったが昼頃からシトシトと降り始めて来た。久し振りの雨に打たれての行動だが、お陰で大気は冷やされ、過ごし易い。道は平坦で距離は伸び続けた。

それにしても、このルータ5沿いにはテントを張れる様な場所は少ない。途中の町で宿を取れば良いのだろうが、節約の為にそれもしたくない。結局、予定よりも長く走行してから道路脇にあったダートを500m程走り、そこにテントを張る。

このルータ5を南下するルートは今までに比べるとかなり楽だ。水や食料の心配は一切ないし、治安も良く、何よりもイージー。

今日の走行を祝って、テントの中で一杯やる。全てに余裕があるのでワインをキャリーしていたのだ。サラミをつまみにクイッとやる、最高だ。自分の夢と行動が一致している満ち足りた日々、これで酒が美味くないはずがない。

チャリダーの外谷氏に言われた事がある。『その年でこの生活を味わったらヤバいんじゃない?』と。確かにその通りかもしれない。これ程に最高の日々は中々味わえないだろう。

 
本日の走行距離 135.4km
極上の日。気持ち良さそうですね★
1日ワンクリックよろしくお願いします。
 
  
Posted by garyu1 at 09:25Comments(0)TrackBack(0)南米冒険記

2006年02月25日

計算

 
 
 
 
 
 
 
1月4日。 再びチリ29日目(チリ合計38日目)
 
 
 
 
 
 
 

この先のルートを考えると本当に悩んでしまう。楽しそうなルートが有り過ぎるのだ。

この旅は当初、1月中旬に終わる予定だった。予定通りのルートで走っていればその通りだったろう。だが、実際に南米に来て見ると、この土地はあまりにも魅力的過ぎて、時間と金がたり無すぎた。

今日はいつも自分の脇を走り抜けていく車で自分の力の差を計算してみた。

かなり大雑把な数字だが、普通乗用車を1500kg、10km/ガソリン1Lと仮定すると

1500×10=15,000

これより、ガソリン1L当たりの車の戦闘能力を15,000とする。

対して自分の1日の走行距離を100km、体重と自転車で130kgとすると

100×130=13,000(これが一日のエネルギーである)

つまりはオレの1日分の戦闘能力はガソリンの1Lに劣るのだ。これではべジータとヤムチャ並の格差がある。これでは、とてもフリーザは倒せない。

だが1馬力にも満たないオレの力が時間と労力を掛ければ、車にも不可能な事を可能にすると信じている。

 
 
本日の走行距離 56.6km
良いペースで進んでいるようですね☆
1日ワンクリックよろしくお願いします。
 
  
Posted by garyu1 at 08:36Comments(3)TrackBack(1)南米冒険記

2006年02月24日

 
 
 
 
 
 
 
1月3日。 再びチリ28日目(チリ合計37日目)
 
 
 
 
 
 
 
 

最近は体の調子が良い、自転車をこぐ度に足は軽くなって行くようだ。体が旅に適応してきた。このペースを崩さずに最後まで行きたい。

ボリビアでは最大12日間フロに入っていなくとも、低気温と乾燥した気候の為に無かったのだが、高温多湿のこの地域では数日間フロに入っていないと気持ちが悪い。全身がベットベトでタオルなどは脂と汗の固まりになっている。

今日は早めに切り上げてチジャンの町に入る。以前、チリのバスの運ちゃんに各都市の地図と安宿情報の載っているガイドブックを貰っているので、随分と助かっている。

暑いとビールがうまい。日中はビールの事を考えながら走っている。ルートの大道路でつまらないので、今はビールが全てだ。

 
本日の走行距離 56.6km
良いペースで進んでいるようですね☆
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Posted by garyu1 at 08:41Comments(2)TrackBack(1)南米冒険記