2007年02月20日

悪魔的なもの

 ティリッヒの最大の貢献の一つは、「悪魔的なもの」の再発見である。悪魔的なものとは、憑かれた状態のことである(Possession)。憑かれた状態とは、ティリッヒの弟子であり、フロイト派の精神分析家でもあるロロ・メイによれば、通常の自己統合を支える力以上の力が、私たちの全人格を占領してしまう現象である。精神科医エレンバーガーによれば、夢遊病的憑依(Somnambulic Possession)の場合は、「日常的な私」が、一時的に消失して、別人格のように振る舞い、意識が戻った後、憑依された状態を思い出せない現象である。多重人格障害(MPD)も、この類だろう。平明憑依(Lucid Possession)は、意識はしっかりしているが、自分の中で別の誰かが、話しかけたり、人格を乗っ取ろうとしている現象である。


 憑かれた状態ではないが、それの類比になる病的心理状態を観察することができる。例えば、強迫状態(Obsession)。手を洗っても洗っても、まだ洗い足りない強迫観念にとり憑かれる。外出する時、カギを閉めたはずなのに、何度も確認してしまう。いつも誰かに見張られている気がする。お風呂に入ったばかりなのに、体臭が気になる。


 病的ではないが、全人格を一時的に占領されてしまう現象もある。好きなことにのめりこんで、食事も風呂も忘れて没頭する。恋愛の初期に、寝ても覚めても好きな人のことばかり考えてしまう。嫉妬に狂って、相手の些細な言動にも疑いの念を取り払えない。


 通常では、没頭しても、自分でコントロールできる範囲でのみ自己統合している。日常生活に支障はきたさない。しかし、例えば、マレーシアの「アモック症候群」の患者は、突然殺人的な憎悪にとり憑かれ、無差別に人に襲いかかる。通常の自己コントロールを超えている狂気に憑かれてしまう。憑かれた状態の人間は、通常の自分以上の力を発揮する。憑依現象の古典的事例は、福音書に見出される。その男は、鎖で何重にもつながれたが、苦もなく引きちぎったそうだ(マルコ5:1〜10)。イエスに名を尋ねられて、「名はレギオン。大勢だから」と答えたと記録されている。


 憑依現象の一つの特徴は、「通常の自分」を超える力が、全人格を占領する点にある。その意味では、超越的な自己統合とも云える。その点では、聖人と同じである。ティリッヒが云うように、聖人たちも通常の自分を超える力が、全人格を占領する。違いはといえば、聖人たちの場合は、創造的・生産的な憑依であるという点だろう。


 この超人的力は、どこから来るのだろうか? 心霊現象愛好家は、「霊が憑依した」と云いたいだろうが、私は、「幽霊、心霊、悪霊」の類は全く信じていないので、別のところに答えを探したい。憑依現象は、英米の倫理学はもとより、倫理学全般において全く無視されてきた。しかし、憑依現象こそは、倫理学の限界地点であり、宗教と倫理学の境界線であると考える。今日の英米の倫理学が、「テロリストの倫理」に全く無力なのは、憑依現象を通して、「悪魔的なもの」を深く考えないからかもしれない。次回は、ティリッヒの「悪魔的なもの」の考察を通して、この点に迫ってみたい。

gayscience at 02:29│Comments(0)clip!宗教的なこと 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔