2011年11月27日

子どもの他者の証言に対する批判的態度

Imaginative Mindsという2007年に出版された本の章から。この本は、Pascal Boyerのような想像研究の認知科学者やAndrew Whitenのような比較認知科学者、Paul Harrisのような発達心理学者まで、想像力に関する様々な領域の研究者が寄稿している面白い本だ。編集本の宿命として、あまり一貫した内容ではないものの、想像研究を概観するには勉強になる。ちなみに、先日Oregon大学に行ったときに、Taylor博士は現在新しい想像研究に関する本を編集しているところだとおっしゃってた。また出版されたらここでも紹介しようと思う。



この本の中の、Paul HarrisとMelissa Koenigが書いた章を紹介する。Koenigはこのブログではあまり取り上げていないが、証言の研究や信頼性の研究で有名な方で、昨年Minnesota 大学に行ったときに少しお会いしたことがある。なかなか興味深い研究を行っている方だ。

この章では、子どもが自分自身の経験からだけではなく、他者の証言から概念や信念を形成する過程を扱っている。Piagetは子どもを"Scientist"や"Active Lerner"と呼び、自らの経験(first-hand experience)によって知識や概念を構成していくと述べた。子ども自身の行動に着目した点は非常に優れていたが、社会や文化の影響を軽視したとして批判されたのは周知のとおりである。

Vygotskyを中心とした旧ソビエトの心理学者に端を発した社会や文化重視の研究は、今日に至るまで様々な研究者に受け継がれている。特に、他者からの学習といえば、MeltzoffやTomaselloなどを中心とした模倣研究が思い浮かぶ。しかし、これらの研究は、あくまで単純な運動やせいぜい道具使用の行動の模倣を扱っているに過ぎず、他者から高次の概念や知識がどのように伝達されるかについては詳細に検討していない(と思うが、私の勉強不足かもしれない)。

この章で扱っているのは、自らの経験では学びようがない知識や概念がどのように他者から伝達されるかという点である。例えば、「地球が丸い」とか、「脳が心と関連している」という科学的知識は、自らの経験では学びようがない。また、サンタや幽霊なども、基本的には他者から伝達される知識である。そして重要なことは、これらの知識は、自らの経験と反している。例えば、「地球が丸い」という知識は、どう考えても自らの経験にはそぐわない。大人にそう言われたからと言って、そう素直に受け入れることはできないだろう。

ここら辺の問題は、Carey やGelmanなどによる概念変化の研究で色々と議論されてきたところだ。これらの研究者は、概念変化がどのように起こるかについて議論しているが、この章の筆者であるHarrisらは、その過程に想像力が重要な寄与を果たすということを強調する。

もし私たちに想像力がなければ、間違いなく「地球が丸い」という事実は信じられないだろう。いくら写真で地球が丸い様子を見たからといって、自分で経験したことがない限り、他者の証言はそのまま受け入れがたいに違いない。
自分の経験と他者からの知識の対立について実験してくれたら面白かったのに、残念ながら、実際に実験で扱っているのはだいぶテーマが違う。

Harrisらは、

・子どもは、自らの経験と(想像力を駆使して)他者の証言を同等に利用して、概念モデルを形成する
・ただし、他者の証言は、無批判に全て受け入れるわけではない。

と言う点を強調し、特に(なぜか)2点目がどのように発達的に変化するかについて議論している。

つまり、乳幼児が、他者の教えを、そのまま受け入れるのか、それとも、懐疑的に受け入れるかという点だ。この点は、Csibraのnatural pedagogyとか、私が院生時代にやっていたような他者からの影響を抑制する発達過程と絡めると面白いかも(Moriguchi et al., 2007)。

前半はKoenigの信頼性の研究。いくら共著だと言え、研究内容が前半Koenig、後半Harrisに分かれていて、内容が少々乖離気味。無理に共著にしなくても・・・。

まず、乳児期の研究から、乳児でも他者の証言(testimony)について批判的な態度があることを示している(Koenig & Echols, 2003)。乳児がなじみのある2つの物体を提示する。この場合、1つの物体(靴)を指しながら実験者が「靴」というと、乳児は靴を見るという。一方、靴を指しながら「犬」というと、乳児は実験者を見るという。つまり、乳児は実験者の証言の正しさを判定しているのである。ある意味、ツッコミの出現ともいえる。

幼児期では、似たパラダイムだが、2人の証言者が登場する。1人は信頼できる証言者で、幼児が知っている物体を正しくラべリングする。もう1人は、信頼できない証言者で、幼児が知っているものを間違ってラべリングする(靴を「犬」というように)。その後、2人の実験者が新奇な物体をそれぞれ異なった名前で呼んだ際に、4歳児は信頼できる証言者から選択的に言葉を学ぶという(Koenig et al., 2004)

これらを見ると、乳児でも、他者の証言をそのまま受け入れるとは言い難い。自分が知っているものについて間違った証言をされると、批判的である。幼児期にはより批判的になる。


で、後半はHarrisらの研究。本章の焦点である、子どもは自分の経験しか信じない「経験主義戦略」なのか、証言を信じる「証言戦略」なのかを検討している。でも、実際には、子どもの存在論研究になってる。

Harris & Pons (2003)は、4-8歳児に、リアルに存在するもの(うさぎなど)、科学的に存在するもの(細菌など)、ありえないもの(飛ぶ豚)が存在するかを尋ねた。その結果、どの年齢の子どもも、リアルなものと科学的なものは存在するが、不可能なものは存在しないとみなした。また、それらの存在がどのような外見を持つかを尋ねたところ、リアルなものはわかるが、科学的なものと不可能なものについてはわからないと答えたという。つまり、科学的なものは、目には見えないが存在するという認識をもっているということである。但し、これが不思議なところだが、その情報源は、自分ではなく、他者から直接学んでわけでもなく、他者から教えてもらったことをベースに自分で般化したものだと考えているようだ。ここがわかりにくい。

さらに、Harris et al. (2005)は、神様やサンタなどの実体はないが「確かな」ものと、幽霊のような「不確かな」ものと、科学的なものを比較した。神やサンタは実際の世界に、目に見える結果をもたらす。そういう意味で確かな存在だということだ。子どもはこれらの目に見えない3種類を区別しているのか。

その結果、子どもたちは確かなものと科学的なものは存在すると確信しているが、不確かなものは存在しないとみなしたという。ただし、確かなものと科学的なものにも違いがあり、後者の方が確信度が高かった。さらに、他者も同様に考えるかという質問の場合にも後者の場合にその傾向が強かった。なぜこのような違いがでるかについては色々と議論がなされているが、一例をあげると、サンタなどの場合は、友達に「そんなもんいない」と言われて確信度が下がりうるが、「細菌なんかいない」という友達はいないということだ。まあある意味、これも情報の伝染か。


本論で重要なのは、幽霊などの存在であれ、細菌などの科学的な存在であれ、子どもが自分で経験することは少ない。基本的には、他者の証言によるものだ。それなのに、子どものそれらの存在への確信度は異なる。つまり、子どもは証言を何でも受け入れるのではなく、批判的に検討しているということがいいたいらしい。


少し話はそれるが、この章では冒頭の議論と実証研究が乖離している。でも、それはそれでしょうがないかと思う。心理学の役割が、哲学やそのほか人文科学が議論していることを、何とか科学の土壌に載せることだとすると、この乖離もやむをえないだろう。むしろ、議論そのものを扱えないとしても、関連する知見を提供するだけでも意味がある。こう考えると、心理学の研究一般に言えることだが、先行研究の細かい点をつくような研究をするよりも、もっとやるべきことがたくさんあるのではないかと自戒をこめて考えてみる。

Harris, P. & Koenig M (2007). Imagination and testimony in cognitive development: The cautious disciple?
Proceedings of British Academy 147, 101-120.



gccpu at 19:35コメント(0)トラックバック(0)幼児 |  

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