imaginary companion を含む記事

2010年12月01日

12月にさしかかり、やはりこの時期は何かと忙しく、更新する余裕があんまりない(言い訳)。論文はあまり読めてないが、最近はImaginary Companionが関連しそうな文学や映画に興味がある。有名な"Shining"や"Hide and Seek"などの洋画にImaginary Companionが出てくるのは出てくるのだが、その描かれ方が少々negativeである(詳細は内容に触れてしまうので割愛する)。

日本の場合、「となりのトトロ」や「いけちゃんと僕」などではどちらかというとImaginary Companionがpositiveに書かれており、その違いは面白いなと思う。

ただ、発達心理の研究だと、欧米の親は子どもがImaginary Companionを持つことに対して比較的positiveな印象を持つらしい。日本では詳細なデータはないが、あまり子どもが何もない空間に話しかけることは奨励されない気がする。あえて一般の考えとは逆方向に描くようにしているのか・・・。

他にImaginary Companionを扱う映画や文学が他にあれば教えてほしいものである。情報求む。



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2010年11月02日

このブログでもたびたび取り上げてきたImaginary Companion(IC)。単純に定義をすると、「見えない」お友達のことである。想像上のお友達とも訳される。

このICについては、いまだに誤解が多い。ICを持つことは、精神疾患や何らかの障害と関わっているのではないかという専門家もいる。確かに、青年期以降のICは精神疾患と関わっている可能性が臨床のほうから指摘されている。

しかし、幼児期や児童期にICを持つことと、そのようなこととのかかわりは皆無である。最近のアメリカの調査では、児童期までにICを一度でも持つ割合は65%という数字も出ている(Taylor et al., 2004).成人の共感覚が0.5%程度であるという推計と比較すると、誰にでも起こりうるありふれた現象なのだ。

発達心理学の研究では、ICを持つことの効用についての報告がここ10年程度で増えている。心の理論などの社会的認知の能力の発達を促したり、実行機能などのより領域一般の能力を促進するという報告もある。

実際のところICの有無と課題の成績の相関を取るだけであり少々うんざり気味ではあるが、まだまだ世の中の誤解が多いことを考えるとこういう研究も必要かなと思う。

Roby & Kidd (2008)もこの流れの研究だが、ICを持つ子は、そうでない子(NIC)よりも、コミュニケーション能力が高いことを示した。

この研究が面白いのは、子どもがICと実際に会話している可能性を示唆している点だ。我々が子どもの独り言(独語)だと思っているものも、実際にはICとの会話かもしれないわけだ。

参加者は4-6歳の幼児で、ICの子とNICの子を、年齢・性別・出生順序・きょうだいの数・親の教育歴・SESなどの関連しそうな要因でマッチさせている。

課題は、Test of Referential Communication(ToRC)というコミュニケーション能力を評価するテストを用いた。実験者と幼児にそれぞれ一冊の本が与えられ、30ページほどあるその中には、似たような絵が描かれている。実験者と幼児は真ん中を柵で仕切られ、お互いの本が見えない。つまり、言語だけでその本の内容について伝達する必要がある。

絵本の各ページにはそれぞれいくつかの絵が描かれていて、それぞれが微妙に特徴が異なる。例えば、何人かのピエロが描かれており、ピエロは色や帽子のかぶり方によってのみ異なる。類似する中で、自分が今どのピエロについて言及しているかを明確に相手に伝えなければならない。

まあ電話しながらテレビに映る芸能人グループの話をするようなものか(皆似たような恰好をしている場合、相手がどれのことを指しているかわからない)。

2つのパートがあり、幼児が話し手になるパートと聞き手になるパートから構成された。話し手のパートでは、幼児は適切な情報を相手に送らなければならないし、聞き手のパートでは、注意深く実験者の話を聞いて、実験者がどの絵について言及しているかを特定しなければならない。

指標は、話し手のパートでは、どれだけ決め手となる特徴に言及できたかと冗長な情報の数であり、聞き手のパートでは、実験者の言及を聞いた後でどれだけ適切な質問ができるか、無駄な質問をするか、であった。

その結果、話し手パートではICを持つ幼児の成績が良かった。聞き手パートでは有意な差が見られなかった。聞き手パートでなぜ差が見られなかったについては、あまり十分な考察がなされていない。

この結果についての説明は、以下の通りだ。基本的な考えは、ふり遊びの研究から持ってきている。ふり遊びをする際には、他者と共同で文脈を作る必要がある。例えば、「ケーキごっこ」という状況と「私がケーキ屋さんであなたはお客さんと」という自他の役割を決める。

現実の子どもとふり遊びをする場合これらは共同で決めるが、ICと遊ぶ際には、状況の設定や役割の設定、そして会話の内容まで幼児が自分で能動的に決めなければならない。こうすることで、子どもはICの心的状態を常に監視・更新しなければならないし、それに応じて会話を生成しなければならない。こうしてコミュニケーションスキルが高まるという。

他者とのコミュニケーションの成立には、他者の心的状態のモニターが必要であることは言うまでもない。

グライスの様態の格率(あいまいさを避けよ)や量の格率(適切な量の情報を与えよ)を出してコミュニケーションとの関連も議論をしているがここはよくわからない。

ICの子が、単純な語彙能力などではなく、コミュニケーション能力に長けているというのは面白い結果である。彼らの様子を観察すれば、明らかに誰かと話しているように見えるシーンがとらえられるかもしれない。そこでは幼児は単純に独り言を言っているわけではなく、ICの視点も考慮したコミュニケーションが成立しているのかもしれない。

まあ大人にとっては不気味といえば不気味だが・・・。

<参考文献>
Roby, AC & Kidd, E (2008) The referential communication skills of children with imaginary companion. Developmental Science, 11, 531-540

Taylor, M., Carlson, S., Maring, B., Gerow, L., & Charley, C.
(2004). The characteristics and correlates of fantasy in
school-age children: imaginary companions, impersonation,
and social understanding. Developmental Psychology, 40,
1173?1187.

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2010年03月18日

というわけで、後半です。論文はポイントがあまり多くないので、書きとめないでもそれほど困らないのですが、本の場合はポイントがたくさんありすぎて、書きとめないと忘れてしまうんですよね。


☆5. Do children think their imaginary companions are real?

子どもは、Imaginary companion(IC)が実在していると思っているのか。[この実在(real)というのがトリッキーなんですが]

・子どもは、fantasyとrealの区別は比較的できる
→3歳児の75%は、幽霊や魔女が「つくり話」であることはわかる

・ただ、そういう子どもでも、サンタクロースはrealだと思ったり、夢と現実を混同したりはする。

・こういった食い違いを考慮すると、単純に「fantasyとrealを区別できるか否かの発達」という問題ではなく、様々な種類のfantasyとrealの区別があり、それぞれによって発達の経路が異なると考えた方が妥当。以下、それぞれに見ていく。

1) 文化的な神話や儀式
キリスト教圏の4歳児の85%はサンタクロースを信じる。8歳までに25%に下がる。
→サンタクロースの場合、親はもちろん、コミュニティーをあげてクリスマスを祝い、サンタクロースが実在するかのように振る舞う(ショッピングモールにいけばサンタクロースに会えるし)
→ここで強調したいのは、子どもがfantasyとrealを混同しているということでなく、周りの環境のせいで、その区別がなかなか難しいということである。

2)絵本やテレビ
3,4歳でも、テレビの中でのフィクションとノンフィクションの区別は難しい。ドラマの出演者が殺されたら、本当に殺されたと思う。
→絵本でも同様。3歳児は絵本の中での可能事象と不可能事象の区別ができない。

3)マジック
ある箱におまじないをすると、物体が変形するというマジック。4−6歳でも、そんなことはあり得ないと指摘できる。
→しかし、その話を聞かせた数日後に再び子どもを呼び、物体を提示して実験者が姿を消すと、子どもはマジックを試みる
→このような様子は、単純に子どもがfantasyとrealを混同していることの証拠というだけでなく、子どもが世界についての新しい規則を学ぼうとしていることを示しているのかも。

4)社会的ふり遊び
他者をまきこんだふり遊び。基本的に、fantasyとrealの区別は可能
→しかし、恐怖などの情動が組み込まれると、話は別。Harris et al.(1991)が示したように、「箱の中に怪物がいると想像してごらん」と子どもに言うと、子どもはその箱には近づかない。
→ただ、これも、大人がホラー映画を見た帰り道が怖いのと同じように、怪物がrealに出てくるとは考えてないのでは。

5)夢
夢は、他のfantasyと、a)実体がない、b)子どもは一から想像する必要がある、c)夢はコントロールできない、などの違いがある。

・・・夢は、7歳くらいから理解できるとする研究がある一方で、3歳児でもある程度理解するという研究もある。

6)IC
ICは、実在の友人やテレビのキャラクターを原型にすることが多いが、ICと遊ぶという発想自体は誰に教えられることもなく、子どもが自ら編み出す。
→ただ、子どもはICが「実在しない」ことを認識している。[ここについては少々疑問。子どもが実在していないと本当に思っているのか、それとも、実在しているが、秘密にしておきたかったり、大人には見えないとわかっているからあきらめているのか]

・・・そもそも、ICを空想上のものだと考えるのは西洋文化特有かも
→インドなどでは、「空想上の友達」ではなく、「見えない友達」などとされる[日本でも、波多野(1935)が「見えないお友達」と表現しているようだ。ただ、日本人の認識については調査が必要かもしれない]


☆6. What happens to the Imaginary Companions Created in Early Childhood?

ICはいつかは去ってしまう。何をきっかけに去ってしまうのだろう。(本人はICを忘れてしまっても、家族が覚えてて、さみしがることもあるそうで)。

1)子どもが単純に興味を失う。飽きる。
2)新しいICができる[これは実際の友達の場合と同じですね。]
3)ICは子どもが作り出したものであり、子どもの世界。大人がその世界に入ってくると(一緒にICと遊ぼうとすると)、いなくなる。
4)特に年齢を重ねてもICと子どもが遊んでいる場合に、親がやめるように言うと、子どもは遊ばなくなる[日本の場合、こういう親が多いことにより、ICの率が低い可能性が考えられる]
5)現実の友達がたくさんできたとき

・・・ただし、実際にICと遊ぶのはやめておらず、誰にも秘密でICと遊んでいる場合もある。


☆7. Do Older Children and Adults Create Imaginary Companions?

健常な青年や大人でも、ICと遊ぶケースがある。

・児童や青年の場合[ほとんどがエピソードの記述]
まず、子どものときと違うのは、"paracosm"を作ること。
→一人のICを作るのではなく、ICが多数住む一つのの社会などのこと[「不思議の国のアリス」とか「かいじゅうたちのいるところ」みたいなものだと思います]

もう1つの違いは、子どもはICと現実世界で遊ぶが、児童や青年の場合、paracosmは現実世界と隔絶されることが多い

・大人の場合[デリケートな話題が多い]
天使はICなのか?無神論者からみると、神はICか?
→これは信者に対する冒涜。信仰と空想は異なる[どう異なるかが説明されていないです]

ただ、多くの文化でそうであるように、何が現実で、何が空想かという線引きは難しい[村上春樹の小説を読むとそう感じる]


☆8. Fantasies in the Lives of Children and Adults
まとめ

・ICは、子どもの精神病理の表れであるとは言えない
・むしろ、ICは、つらい出来事への反応(トラウマとか)であることがあるので、そういった原因を取り除くのが重要
・ICは、fantasyとrealの区別ができないことの結果ではなさそう。ただ、サンタクロースなどの他者が作ったfantasyの場合、混乱する。
・ICやfantasyには強い情動が伴うが、それは子どもに限った問題ではなく、大人でもまたしかり
・子どもと大人のfantasyは、これまで考えられている以上に連続的なものかもしれない。



というところで、本はおしまいです。
やはり、子どもはICはrealでないとわかっているのでしょうか。言語的な質問だけだと難しいので、観察や実験からさらに迫れないものかと思います。


参考文献
Taylor, M. (2000). Imaginary companion and the children who create them. Oxford University Press.


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2010年03月17日

以前も紹介したimaginary companion(IC)。要するには空想上の友達だ。Marjorie Taylorは、ICだけで一冊の本を書いている。せっかく読んでみたので、ここに簡単に要点だけをまとめてみる。備忘録なので、それほど面白くないと思われます。[]内は私の感想。

"Imaginary companion and the children who create them"

☆1. Introduction→ 割愛

☆2. What are imaginary companion like?

○定義の問題
・もともとは、空想上の「友達」のみを含めていた
→ ヒトの姿で、会話ができる、物理的な特性を持たない相手
・議論が分かれるのは、人格を付与された物体(stuffed animals、ぬいぐるみなど)を含むか否か
→これらは物理的な実体をもつ
・この議論については、以下の点に留意が必要
1) 両者に必要な想像力は類似している[←本当か??]
2) 子どもの想像したものに一致したぬいぐるみを親が買い与えているケースがある。
・では、ICに含まれる物体とそうでない物体をどう区別するか?
→ 結局、その物体に人格が付与され、友人のように扱われるか否か(Singer & Singer, 1990)
・ちなみに、子どもが何かのふりをしている場合などはICとは言えない。
・ICといえども、友達ではなく、嫌な奴もいるらしい。

[[研究者の立場からすると、stuffed animalsを含めないとケース数の確保が難しいかもしれない。特に日本では、川戸(2002)によると、純粋な意味でのICは調査対象の1割を切ったが、stuffed anilasを含めると、4割を超えた]]


○どうやってICの存在を検証するか
1)親との面接
基本的に、親の報告と子どもの報告には乖離がある。
→親は気付かなかったり、認めなかったり、詳細を知らなかったりする。
2)子どもとの面接
子どもが最もよいソースだが、言語的な面接なので注意が必要。
→質問を取り違えたり、一貫しない報告をしたりする。
3)成人を相手に、回顧式に聞く
→忘れたり、不明確だったりする。

・・・結局、複数のソースを参照したり、同じ子どもを繰り返し面接するのが推奨される。

☆3. The characteristics of children who create imaginary companion

一般に、ICを持つ子は少し変わった子だとされるが、そうではない。ここでは、ICに関連する種々の要因について。

1) 性格
かつては、ICを持つ子は、性格に問題があるとされてきた。
→しかし、IC群の子とICなし群の子を比較すると、問題行動などではほとんど差がない(Mauro, 1991)

2)恥ずかしがり
直観に反して、IC群の子どもは、ICなし群の子どもよりも、恥ずかしがりではない。むしろ逆。

3)持続的注意(集中力)
IC群の子どもの方が、IC群の子どもよりも、注意の持続力は高い。

4)IQ
IQには差がない。

5)創造性
創造性は、ある物体を様々な他の物体に見立てられるか、などで測定される。創造性ではほとんど差がないが、比較的IC群の方が高い。

6)家族構成
一人っ子か、第一子がICを持ちやすい。

7)テレビ視聴
IC群の子どもは、ICなし群よりも、テレビを見ない傾向にある。テレビを見ると、遊ぶ時間がなくなるのであろう。

8)心の理論
IC群の子どもは、ICなし群よりも、心の理論課題の成績が良い。おそらく、ICを持つことで、現実と空想(ふり?)の区別がしやすくなるためであろう。

9)性差
女児の方がICを持ちやすい。男児は、ごっこ遊びに興じるので、あまりICを持たないのかも。ちなみに、男児の方がICを持つ年齢は遅い。

10)親の態度
ICに対する親の態度は、様々。文化によっても異なる。ただ、ICの生成に親のサポートが必要なわけではない。


☆4. Why do children create imaginary companions?
ICは単純に遊び友達というわけではない。ただ、個々人でその機能は異なる。

1)純粋に楽しい。

2)さみしさ紛わせ(一人っ子や第一子がICを持ちやすいことと関連)。

3)有能感。特に女児に多いが、ダメなICをつくり、自分が助けることで、有能感に浸れる。男児は逆に、有能なICを作るらしい。

4)補償。例えば、目の見えない子どもは、目の見えるICを作り、自分の代わりになってもらう。

5)スケープゴート。子どもが何かへまをしたときに、ICのせいにできる。

6)恐怖感。ICがいるおかげで、怖くない。

7)コミュニケーションツール。ICを通じて何かを知ったり、伝えたりする。「(IC)が何か知りたいって言ってる」のように。

8)トラウマへの反応。何かつらいことがあったときに、ICがその状況を乗り越える助けをする。

9)重大な出来事を処理する助け。例えば、家族がけがをしたときに、ICがけがをしたことにして、その状況への対処を考える。



以上が前半でした。後半はまた次回。




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2009年07月15日

カナダでの小さなパーティでのこと。

友人のYさん "I wannna dance..."
私 "Why don't you dance with her, S君? I can't..."
友人のS君 "Me neither. Hey, how about this? Yさん, you can dance with your imaginary friend!"

とってもつまらないジョークなのだが、この"imaginary friend"という言葉、北米の人との会話の中でたまに耳にするし、"Friends"などの、北米のコメディやドラマの中でも、しばしば耳にする。


学術的には、imaginary companionということが多い。要するには、空想上の友達である。少なくとも大人にとっては「実在しない」が、子どもにとっては「実在する」存在のことだ。

この概念、日本ではあまりなじみがない。我々日本人とて、子どものころは色々と空想するし、ぬいぐるみに人格を付与することはあるが、imaginary companionに一対一で対応する概念はないのではないだろうか。もっとも、日本でもこのimaginary companionを対象にした研究があることを考慮すると、日本人の子どもにもこういう存在が「実在する」のは間違いないようだ。


このimaginary companionという存在は、認知発達の研究領域では、「現実と空想の区別」や「魔術的思考」などの研究分野において、扱われている。また、愛着研究における「移行対象」としても取り扱われているようだ。

単純にimaginary companionの存在を、「現実と空想の区別ができていない」証拠、「子どもの認知的世界が未熟である」証拠としてとらえるとつまらないが、「子どもの認知的世界が大人とは異なる」証拠としてとらえると、面白みを増してくる。

残念ながら、現在の研究は前者の視点でなされているものが多いが、そのうちの一つを簡単に紹介してみたい。

Bouldin and Pratt (2001)は、imaginary friendを持つ子どもと、持たない子どもの思考の特徴を比較した。

この研究では、imaginary friendがいるかどうかを、?子どもの主観的報告、?親の報告、によって規定した。両者ともimaginary companionがいると言えば、いるということになる。親がそう感じるということは、かなりそれらしいふるまいをするということだろう。他に何か客観的な規定方法があればいいのだが・・・。

こうやって分類された子どもの思考の特徴がどのように異なるかが調べられた。対象は4−8歳児。

基本的な実験デザインは、この分野でよく引用されるHarris et al. (1991)の実験と類似している。

まず、実験者が、子どもに、怪物を想像させる。今私は物語を作ってて、中に怪物を登場させようと思うけど、どんな怪物がいいか教えてと子どもに問うわけだ。そして、その怪物は、隠れることが上手だから、仮に近くにいてもなかなかわからないという特徴も教える。

その後、実験室内に小さなテントがあるのだが、実験者が子どもの注意をテントに引き付けた際に、そのテントに、怪物らしきシルエットが浮かぶ。ここで怪物を見せるわけだ。この段階1での子どもの反応を記録した。

そしてシルエットが消えた後に、実験者が、そのテントの中に忘れ物をしたから、とってきてと子どもにお願いする。この段階2での子どもの反応も記録した。

実験後、子どもは自由遊びをするのだが、その際に、子どもがテントに近づくかどうかも記録した(段階3)。

ちょっと子どもがかわいそうな実験である。各段階における反応が、imaginary companionがいる群(IC群)といない群(NIC群)で異なるかが検討された。

その結果、段階1における反応で、条件間に差が見られた。具体的には、IC群の方が、怪物の映像が提示されたときに怪物に言及しやすく、その怪物の方をちらちら見る傾向にあった。

段階2においては条件間に差は見られなかった。意外にも、ほとんどの子どもがテントに行くのをためらわなかった。日本の子どもだと嫌がりそうな気がするが・・・。

段階3においては、IC群の方が、NIC群よりも、自由遊び場面において、テントを見る傾向が強かった。IC群の方がテントがどうなっているかが気になったということだ。

実験後にインタビューを行い、IC群の方が、テントの中に怪物がいると思う傾向が強かったことも報告されている。


この違いから何を言えるのか。少なくとも言えることは、IC群の方が、怪物に対する関心が強かったということだ。もう少し言うなら、怪物がテントの中にいると考える傾向が強かったということだ。まあ好奇心の違いのような気もするが。

これを言い換えると、「実験者との話に出てきた怪物」が現実にいるかもしれないと考えている、ということになる。要するに、現実と想像を混同しやすいということである。だからこそimaginary companionがいると考えるのだ、という主張につながるだろう。

この論文では、子どもとのインタビューの結果から、IC群とNIC群はそれほど変わらないかもとも述べているが、それは割愛する。

この分野の研究は、ほとんどが子どもの言語報告に頼って研究をしていることを考慮すると、様々な指標を使っているこの実験は評価すべきところがある。

そして、imaginary companionがいる子どもといない子どもでは、認知的な世界が違うということも示唆している。気になるのは、この個人差が、発達的なものかどうかということだ。つまり、発達のある時点になると、子どもはみなそのような認知的世界を経験するのか、それとも、一部の子どもだけなのか。

個人的には、空想などはよくしていたと思うが、imaginary companionはいなかった。空想や、想像と現実の混同という段階はだれしも通るが、imaginary companionはまた別問題なのか。もしかしたら、imaginary companionを生み出す素地はみなもっていても、それを作り出すかどうかは、環境的な要因によるのかもしれない。

このような思考の特徴を、単純に未熟だとみなすのか、大人とは全く別のものとみなすのかでは大きく異なる。大人にとって実在しなくても、子どもにとっては実在しているかもしれないのだ。

問題は、どうやってそれを証明するかだ。

彼らは友達がいる「ふり」をして遊んでいるわけではなく、現実にそこに友達がいるものとして遊んでいるようだ。しかし、残念ながら「ふりをしているのかどうか」を厳密に区別する基準はない。あくまで研究者には「ふりをしているように見えない」という主観的な
判断基準があるのみだ。この点は、以前述べたScale errorと似ているかもしれない。

生理学的指標や脳などを見ることで、何か証明できないかなと考えてみたりしている。

<参考文献>
Bouldin, P., & Pratt, C. (2001). The ability of children with
imaginary companions to differentiate between fantasy
and reality. British Journal of Developmental Psychology, 19,
99 – 114.

Harris, P. L., Brown, E., Marriot, C., Whittall, S., & Harmer,
S. (1991). Monsters, ghosts, and witches: Testing the
limits of the fantasy – reality distinction in young
children. British Journal of Developmental Psychology, 9,
105 – 123.


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