2020年06月23日

散歩

IMG-0252◾️家にいる時間が長くなってきたので、自宅の周りを散歩するようになった。いつも駅まで一直線に歩くので、反対方向にゆっくり景色を見ながら歩いていくと、小さな寺の境内に突き当たった。そこに墓地があった。墓誌の「享年四歳」という文字が目に入り、心が疼く。
◾️もう忘れるほど前のこと母が亡くなったとき、祖母(母の実母)は葬義で涙も見せず、気丈に過ごした。祖母が、女手ひとつで育てた私の母だった。葬儀から数ヶ月後、高知の墓に納骨するため、羽田に向かう日の朝、祖母はひっそり私の家に来た。
◾️突然「なんで先に逝った…」と、骨壷が壊れるかと思うほどに抱きしめ、嗚咽した。ひとしきり泣いた後、「また、悲しい思いをさせてごめんね」と、やさしく声をかけてくれた。葬儀の時に流さなかった涙、遺骨を抱きしめるまで心で留まっていた涙。私も、羽田空港のロビーで遺骨を膝にのせたまま、涙が頬を走った。
◾️小さな散歩だったはずが、私を数十年前に連れ戻した。ふと、聖書のことばが湧き上がってきた。


「祝宴の家に行くよりは、
 喪中の家に行くほうがよい。
 そこには、すべての人の終わりがあり、
 生きている者が、それを心に留めるようになるからだ」
               伝道者の書 7章2節

gcfyamazaki at 13:16|Permalink

2020年05月20日

考え抜くこと〜思考がもたらす決断

落合◾️この本のタイトルは「決断=実行」。落合選手といえば三度の三冠王、監督としては中日の4度のリーグ優勝と1度の日本一。輝かしい経歴をもつ。先日の黒田選手の本に触発され、また最近落合氏と現役野球選手のインタビューをテレビで見たので書店で落合氏の本を手にしてみた。◾️この書籍のタイトルは「決断=実行」だが、この本には何度も何度も「考えること」、「考え抜くこと」、「考えに考えた」という記述がある。「現役を退いても監督、評論家として野球に関わっている。その中である程度の実績を残すことができたのは、誰よりも野球を考えたから。」とも述べている。考えること、つまり思考を深めることが落合氏の原点だった。私たちは人生について、仕事について、日常生活のこと、さらには政治ついて、もっともっと考えることが、人生を価値あるものにしてくれるのだろう。

gcfyamazaki at 00:25|Permalink

2020年05月19日

専門家と責任者

image[1]◾️様々な報道において、専門家という人が登場して意見を述べることがある。「必要なところに手厚い支援を」、「十分な議論を尽くして丁寧に対応するべき」、「もっとも大切なのは命です」…そんなコメントを聞きながら違和感を感じてしまう。一体、これらのコメントのどこが専門家なのだろう?と…。そして、これらのコメントは批判にさらされることもない。安全な立場から正論を述べることが専門家であるかのような錯覚を持ってしまう。◾️一方、「当事者」たちは苦しみ、悩みながら一つの決断をしても、昨今のネット社会で著しく批判を受けることもある。何かの研究テーマの専門家であることと、人生の「専門家」であることは違う。人生の専門家であるということは、傍観者であることは許されず、地に足をつけて決断し、責任を担い、苦しみながらも生きていく、つまり人生の責任者であるということだろう。

gcfyamazaki at 11:01|Permalink

2020年05月11日

気になっていたコメント…

71BrOHXxu6L._AC_UL320_SR218,320_⚫️NYヤンキースの年俸20億円の契約より、広島カープを選んだ黒田博樹選手。彼はいつも「野球をやっていて楽しいと思ったことは一度もない」と言い続けていたそのコメントが心に残る選手だった。今年のGWに黒田博樹氏の本を読んだ。プロ野球選手としての使命は「僕にしかできないことをして、ファンの方や子供たちに夢を与えること」と記している。広島を選んだことも…、何が正しい選択かではなく、「自分の選んだ道が正解となるように努力すること」「時間をかけて考え抜き、決めたことを正解へと導く。不器用かもしれないが、自分にはその道筋しかない」と述べている。苦しい生き方だろう、そして振り返ったときには、納得できる生き方になるのではないか。⚫️そう、仕事で「楽しい」と言える間は、まだ自分の仕事だけしか見ていない。その仕事が誰かのため、何かのため、与えるため、仕えるために変化していくとき、そこに楽しさよりは、責任の重さ・重圧との戦いになる。そこまで見えたら、ようやく仕事が始まる。

gcfyamazaki at 21:18|Permalink

2020年04月28日

言葉を失う、言葉に生きる、言葉に生かされる

image[6]◾️この歳になると自分が出会う悲しい出来事には、どうにかこうにか向かい合いながら生きていけるようになる。しかし、大切な人が悲しみや苦しみに直面している姿を見ることは本当に辛い。慰める言葉もなく、ただ「言葉を失う」と…。しかし、ふと考える。では、自分は「言葉を持っていたのか」…自分は人生で価値のある言葉を携えていきてきたのか…と。神のことばに生かされて生きること、言葉はそこにしか人生に寄り添わない。

gcfyamazaki at 21:07|Permalink

2020年04月27日

礼拝、そして安息日

church_cut04[1]◾️新型コロナウィルス感染拡大予防として、主日礼拝を集ってささげるのではなく、礼拝式の様子を配信している教会が多いのではないでしょうか。先日ある牧師の交わりの中に入れていただいた折り、
一人の牧師の言葉に心が留まりました。「私たちの教会ではインターネット礼拝とかon-line礼拝と呼ばないようにしています。」◾️そう、たしかに「on-line礼拝」という種類の礼拝はなく、礼拝式の様子を配信し、家庭で礼拝を捧げているのです。◾️私の集っている教会でも、礼拝式の様子を教会員に配信し、私も自宅で妻とその様子をで観ながら、心を合わせて礼拝式に出席しています。この礼拝式の90分を費やすだけでなく、主の日として過ごすこと、安息日をどのように過ごすか問われているのです。

gcfyamazaki at 20:41|Permalink

2020年04月16日

日常生活の中で見つめる

IMG-0252◾️外出自粛、休業補償、様々な政策への批判、そして家庭内の問題や差別や批判…今回の新型コロナウィルス関連のニュースで溢れている。また「こういう時こそ、私たちにとって本当に大切なものは何かを考え直すとき」という意見も聞かれる。◾️「命をかけて」働いている医療従事者、生活必需品を扱う方々、公共交通機関や保育関係の方々の存在がある。彼らの非日常によって支えられている「日常」がある。◾️「こういうときだからこそ見直される本当に大切なもの」…実は、「こういうときにしか大切なものを見直すことのできない自分たちの姿」が問われなくてはならない。◾️目に見える災害や困難のときにだけ、「大切なものを見出した」かのような生き方は、困難が去ればやがて「元どおり」になってしまう。私たちが「平時」と思っているときにも、悲しみ、苦しみ、犠牲になっている人たちが生きている。今、命をかけて働いてくださっている方々は、「平時」から命をかけていたはず。◾️溢れる情報から少し距離を置き、静かに聖書を開き、祈りに時を捧げることで、私たちに「できること」が増えていくのではないだろうか。私たちが「平時」にどのようなキリスト者であったかが、今、問われている。

gcfyamazaki at 09:04|Permalink

2020年04月12日

人生の秋へ

写真◾️今年は新型コロナウィルスのことで、今までに経験していないような4月を迎えることになりました。この6年間、毎年3月になると「KGKを辞めてから6年」と、いつも自分の歩みを「KGKを辞めてから…」と数えていました。私にとってKGKは人生そのものだったからでした。◾️でも、昨年末から自分の人生に向かい合う出来事に直面することで、「KGKは人生だった」という生き方から、神様から与えられた人生を生きること、その責任に生きること、そして人生の秋に向けて刈り取りに生きることが問われるようになりました。その刈り取りに心を注いで歩んでいたこの3月から4月にかけて、初めて「KGKを辞めてから…」と自分の暦を数えなくなっていた自分に気がつきました。◾️人生の秋に向けて、再び書くことを始めようかと思いました。

gcfyamazaki at 19:48|Permalink

2018年03月04日

OBI教会事務管理講座を終えて

image[4]▪️御茶ノ水聖書学院の教会事務管理の講座全5回を終えました。多くの参加者が与えられました。この分野の大切さを改めて感じました。そして本質的には「福音理解と教会論」が問われているのであり、そのことに気がつかないまま事務管理の有効性を議論してもなにも始まらないといことも考えさせられました。▪️この分野に取り組むために大切なことはキリスト教的世界観であり、その世界観が整えられないままに教会事務管理を考えると、かえって教会がこの世に飲み込まれていくことになるのです。それは特に宗教法人法の理解と運用ということにおいて教会が問われることになるでしょう。宗教法人法をきちっと、キリスト教的世界観で理解しなければ、法令遵守ということばのもとに、この世に屈した教会形成をしつつも、そのことに気がつない歩みをしてしまいます。それが本質的な問題だというところに行き着かなくては、真に教会を建て上げる事務管理にならないのです。

gcfyamazaki at 22:46|Permalink

2018年02月04日

温かい交わり

phGreetings▪️今日の主日礼拝は、杉並区にあるE教会の礼拝に出席しました。KGKを通して、E教会の方々との交わりが与えれてきました。そして息子の病の回復のために長い間祈ってくださっていました。昨年の秋、息子の検査のときに主治医から「寛解」と言われたこともあり、その報告のために家族で礼拝に出席させていただきました。▪️懐かしい方々との再会も与えられました。そして短い時間であっても、大切なことばを交わし、その交わりの温かさを実感することができました。価値のある時間を過ごすことができました。▪️これからの私の人生の時間は、このような価値のある時間を過ごすことに心を注いでいきたいと思いました。


gcfyamazaki at 21:48|Permalink