『からしだね』

KGKの学生と卒業生が出会い、生涯運動であることを確認できるために…そして教会を建て上げるために

学生の学び会(合宿)

09-11-20_001●2011年に大学を卒業する「同期会」合宿に参加しました。今回は講師として奉仕しました。テーマはズバリ進路選択。このテーマで私が最初に学生たちと取組んだのは1998年卒業時の当時の学生たちでした。それから10年の歳月が流れ、「クリスチャンの職業選択」という書物も生まれました。このテーマは、まさに私の主事生活の大きな柱となりました。
●しかし、語る「原稿」があっても、語る私自身が少しずつ「進路選択」に戸惑う学生たちの気持ちを理解したり、共に歩むというステージから遠ざかり、自分自身がやがて迎える仕事の「終わりの時」を考えたり、仕事に対する達成意識とは違った側面が生まれてきたり、自分自身の人生のステージの変化があることに、対話を通して気がつかされました。
●いつまでも若い人の気持ちがわかるつもりの大人であるよりも、次世代に働きを委ね、自分自身は年齢と経験にふさわしい人生を見つめることもまた、大切なことだと思いました。

聖書を生きる「世界観」をどのように養うか?

a4e4e86cf7a49666[1]●先日、ある牧師と話をしていたところ、次のように発言されていたのが大変印象的でした。「自分は、高度成長期に学生時代から社会人を経験してから牧師になったので、基本的に『右肩上がり』『がんばリズム』『努力』が身に付いているので、教会でも同じような発想で教会形成や人に対して接してしまう…」ということを話しておられました。
●この牧師の率直な意見に関心を持ちながら、同時に高度成長期に身に付けた世界観で聖書を読むのではなく、聖書を真剣に読むことによって身に着く世界観をもってこの世の中を見ることが大切であり、そのために私たちは「聖書全体」を知る必要があるでしょうね。
●それぞれの時代に応じた「世界観」によって聖書理解をすすめることは、危険なことです。同時に私たちはこの世に生きているのであり、完全にこの世の影響を受けていない聖書理解をもつことは極めて難しいものです。そのため、私たちは聖霊の助けに導かれながら、歴史の中でどのように聖書を読み、どのような世界観を構築してきたのかを、謙遜に学ぶことが大切なのだと思うのです。

お茶の水クリスチャンセンター60周年記念集会

pic005-02[1]●KGKの事務所のある「お茶の水クリスチャンセンター」の60周年記念集会に出席しました。お茶の水クリスチャンセンターは、略してOCCと言いますが、以前はOSCCでした。SはStudents、つまり学生を意味し、日本語では「お茶の水学生キリスト教会館」と言っていました。私が大学を卒業した年に名称が変更してしまったのです。
●建物も名称も永遠のものではないので、その時代に応じて変更したり変遷することはありうるのですが、この地に福音伝道の拠点が築かれたこと、そしてそれは学生伝道の働きが中心であったことを忘れてはならないと思います。KGKがこの地にとどまり続けていることには、大きな意味があると思うのです。
●また、写真にあるウエブスタースミス宣教師が、お茶の水の一等地に土地を購入するという大胆なビジョンがあったことも心に留めるべきです。この土地の元オーナーは、隣のビルの部屋を借りて集会をしていた大学生の賛美の声を聞いて心を打たれ、宣教師に土地を売ろうと決意してくださったのです。

東海地区「KGKの日」訪問

09-11-14_002●東海地区KGKの日の集会に出席してきました。関東地区主事のN主事と二人で片道4時間半、自動車で名古屋まで行ってきました。土曜日なので何と言っても片道の高速代は1000円(プラス首都圏の高速代が450円)です。
●今回の講師は、私と学生時代ほぼ同世代で現在は名古屋で牧師をしておられるN先生。KGKは20年ぶりといいながらも、学内活動での様々なエピソードを生き生きと語ってくださり、KGKでの経験がその後の人生に深くかかわり、「KGKは生涯運動です!」と力強く語ってくださいました。感激しました。
●このKGKの交わりの中に、私も入れていただいていることを深く感謝しました。東海地区の卒業生、懐かしい方々とも会うことができたこともまた、嬉しいことでした。

関西地区主事会

image[2]●関西地区主事会に出席してきました。KGKはどの地区でも同じように活動していますが、その地区の文化のようなものもあり、現場に行かなくてはわからないこと、体感できないことが多くあります。
●今回は主事会に出席した後、いくつか重要な案件で関西地区のT主事と打ち合わせをしたかったのです。もちろん、メールや電話という手段もありますが、やはり重要な案件は、どうしても顔を合わせての会話が必要だと思い、関西まで出かけました。どんなにネットやその他のコミュニケーション手段が発達しても、最終的には「顔と顔を合わせて」話し合うことが大切です。
●話が終わってから、せっかく大阪に来たのだから…T主事と一緒にお好み焼きを食べに行きました。

コンクリートから「人」とは?

image[1]●今朝の朝刊を見て無言になった。新らしい政府のあり方に対してそれなりに(?)期待している面もあるが、政権党の幹事長の小沢氏が高野山を訪れた記事があった。もちろん、どこを訪問しようが自由だが、その時の小沢氏の発言に「キリスト教もイスラム教も非常に排他的だ。その点仏教は非常に心の広い度量の大きい宗教だ」と述べている記事が載っていた。
●人が何かを信じて生きるということは、その人の尊厳に属することだ。政治家が、特定の宗教を取り上げて「排他的」と表現するようなことが「コンクリートから人」への政治なのか?
●票につながる「人」への政治ということなのか?この程度の人間理解の国にあって、キリスト者がどのように発言し、生き抜くかということが問われている。
●キリスト者もまた、自分の良心に反しない狭い意味での「きよさ」だけを求めてい生きるのではなく、世界観や歴史観をしっかりもって行くことの大切さを顧みたい。

歴史の学び方

bara[1]●今年になって「クリスチャン新聞」というキリスト教業界紙をみると、あちらこちらで「プロテスタント宣教150周年記念」という文字を見かける。そして記事を読むと、ちらほらと「正確には150年ではありません。沖縄への宣教から数えると…」と、いろいろなコメントにも出会う。
●さらに、その「信教の自由への幕開け」となった浦上四番崩れなどの記載はほとんどない。そして「信教の自由への幕開け」を正確に把握しなかった日本のキリスト教会が崩れて行ったことについての言及はさらにない。
●このような歴史認識でよいのだろうか。歴史を理解するには創造から終末までの歴史観をもつキリスト者に委ねられた使命と責任でもあると思うのだが…。しっかりと学び直し、自分の意見をまとめて文章にしてみようと思い始めている。

青年への伝道の重要性とは…

b0a53b1fec8e5490[1]●KGK主事です…と自己紹介すると、「最近の学生はどうですか?」という質問を多く受けることになる。この質問、実は最も難しい答えなのです。なぜなら、最近の学生とは一体何年ぐらい前のことまでを「最近」というのだろうか?と、ちょっと意地悪に考えてしまうからなのです。
●少なくとも私が大学生の頃と学生たちの本質は変わっていないと感じています。(私が大学を卒業したのは、もう20年以上までです…)むしろ、「最近の学生は…」と問いかける大人たちの心が変わってしまったのでは?と思うのです。むしろ、「最近の中年はいかがですか?」と質問を返したらどうなるだろうと考えながら、大人げないので質問を返さないことにしていますが…。
●青年、学生たちに福音を伝えることの基本は、青年・学生の中にある豊かな監感性や、しなやかな心に敬意をもって接しているかどうかであって、方法論などは関係ないと思うのです。この最も大切な「敬意」を失わないこと、そこにキリスト者の成熟があるように思います。

『沈まぬ太陽』

image[4]●山崎豊子の作品が好きで、不毛地帯以後、ほとんどの長編を読んできた。小説の映画化にはいつも残念な思いをすることが多いので、ほとんど小説の映画化は見ない。また、映画を見るのも、いつもDVDを借りてきて見るだけだった。今回はいろいろと考えた末、映画館に見に行った。実は一人で映画を見に行ったのは今回が初めて。
●原作は読んでいるが、改めてこの世で生きるということについて考えさせられた。それは今、私が直面している人生の課題に本質的に似ていると感じることがあったからでもある。仕事について何かを達成し、願っていた道を切り開き、生きていくという青年時代の人生観とは全く違うものが目の前に迫ってくる、人生の秋への変革期。
●この大きな変化を受け止めて歩むときに、これからはさまざまなものを手放していき、身を引いていくことを覚えなくてはならない。それは、まだまだできるのではないかという心の深い叫びとの戦いだった。ようやく、その心の深い叫びが、やさしい人生の秋の訪れになって来たような気がする。

研修

image[3]●KGK事務局主事の自主研修会の時をもった。主事としての仕事のほとんどを私は事務局内で過ごしてきた。主事になって最初の2年間は関東地区主事として、その後は約15年間ずっと事務局という視点でKGKを眺め、自分の仕事を事務局の中に位置づけてきた。
●今年の4月から総主事代行という立場になり、事務局との距離もできてきた。その距離が生まれ、新しい責任をもちはじめた同僚からの質問に答えるプロセスを通して、自分の中にある気が付いていなかった側面が見えてきたように思う。長年同じ仕事をしていると、そこに「当然」が生まれ、説明することをしなくなったり、視点が本当に定まっているのか?ということを吟味もしなくなってしまう…そんなことに気がついた。
●同労者との対話は貴重なもので、常に自分の「教師」であり、友であることを再確認できたことは、幸いなことだった。おそらく、KGK主事会ほどの豊かな交わりの存在する職場はないと思う。
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