2016年04月17日

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▪️知り合いのブログで紹介されていた言葉。

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2016年04月10日

AS20151007004076_commL▪️アナザースカイという番組をみた。球界最年長の50歳までプレーを続け、そして引退。若いときの思い出のキャンプ地、ベロビーチを訪れるという番組設定。彼のプロ選手としての原点でもある場所に来て、「ようやく引退できる」と一言。その時の彼の言葉が心に残っている。「(引退したばかりのときには)もう投げられないのか…と思ったけれど、(ここプロとしての原点に立ち)もう投げなくてもいいんだと思った。」と言葉が彼の心から溢れてきたとき、名実共に引退したのだと思った。▪️何かを始めることよりも、人にとって難しいのは「止めること」だろう。しかし、私たちには「止める」ときがくる。止めること、生産的でないこと、衰えていくこと、身を引くこと…、そのことに価値を見出していくことは難しいだろう。その難しいことに真剣に立ち向かうために必要なことは「勇気」であり、神様への信頼。そのとき、いわゆる中年の危機が訪れるかもしれない。しかし、衰えていく中には、若いときには見えなかった価値が見えてくる。▪️安息日もこの世の仕事を止めることでもある。私たちキリスト者は週に一日、この世の仕事をやめ、神様の前に心を静め、神様に明け渡すことを意識して歩むことは大切なのだと感じた。

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2016年04月09日

写真▪️今日は、20年以上の交わりのあるキリスト者の人生の先輩方と午前中の短い時間を過ごした。町田市にあるキリスト教の施設で過ごした4時間程度の短い時間だが、年に一度この交わりに出席させていただくことで、自分の人生を省みる機会となる。▪️キリスト者となり、KGKに関わるようになり、素晴らしい人格的交わりの世界に導かれたことは私の財産となっている。そして時間をかけて積み重ねてきたものは決して簡単には崩れない。20年という歳月には様々な出来事があった。そのひとつひとつを大切に思い巡らしたひとときだった。部屋から見えた桜の木を思わず写真に収めた。▪️人生は様々な経験の積み重ねと、少しずつ失ってきたものの総体なのだと感じた春の一日だった。




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2016年04月03日

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▪️今日は教会の役員就任式がありました。4月から再び役員に就任します。その役員就任式の式辞の一節に心が動かされました。その一節とは「教会の一致と聖さとのためにたたかい、また群れの模範として歩むように努めることを約束しますか。」です。▪️私はこの「一致と聖さとのたたかい」に召されているのだと思いを巡らし、深く呼吸をし、祈りをもって牧師の言葉を心に刻んだのです。そして「説教」を真剣に聞き、教理を深く理解し、忠実な奉仕をしていくことができるようにと祈ります。

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2016年04月02日

▪️犯罪報道は一旦何のためにあるのだろうかと、心を痛めることが多い。「知る権利」を振りかざしつつ、当事者や似たような経験をした人々の心の痛みを考えない報道が多すぎるのではないか。
また、事件とは関係ない被害者及び加害者のプライバシーにまで踏み込んだ情報を私たちは知る必要があるのだろうか。▪️犯罪報道が目指しているものは、一体なんなのだろう? その事件から私たちが学ぶべき教訓を得られることに情報を自己制御することが大切なのではないか。そして、それでは視聴率が取れない・・・というなら、それは私たち視聴者の側もまた、見識が問われるのでしょう。

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2016年03月24日

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▪️この写真はスイスのRASAという小さな村。2002年と2005年の初夏、2週間過ごした山間の村。車道がない、つまり車の入ることのできない村は静かに遠くのcowbellの音だけが聞こえた村。今日は仕事が休みでゆっくりと時を過ごし、ふとその時の風景を思い出した。その時の会話、風の音、閑けさ、ひとつひとつが心に刻まれている。▪️人生の歩みの中で、心に刻まれている風景はどれほどあるだろう。今日の風景、毎日過ごす風景は心に刻まれるだろうか。みことばを「心に刻む」ことが私たちキリスト者の人生。ことばを大切に生きることは、価値ある人生を生きることであり、心の層の厚さを重ねることであり、神に従うことなのだと…スイスの小さな村の風景を心に描きながら…考えさせられた。

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2016年01月02日

21600e2a.JPG⚫︎新しい年となりました。またひとつ年齢、経験を重ねます。ある年齢まではそれを前進とか成長と理解していました。しかしKGKを退職することを考えはじめた頃から、その考えは変化してきたように思います。人は成長する大切な時期がありますが、同時に自分の働きを「終える」時期をも心して備えておかなくてはならないということです。
⚫︎働きを終えること、それは神様から与えられた人生を受け止めるということであり、人生の秋に向かい、失うことや衰えることにも人生の価値を見出し、自分が握り締めていたものを手放し、次世代に継承し、神の国への憧れをもって歩むことだと思うようになりました。⚫︎この時期に人は危機を迎えます。しかし危機を分かち合う交わりを持つ機会は少なく、仕事上の責任や忙しさの中でこの危機をしっかり見つめなければ、人生の秋は苦渋に満ちたものになってしまうのではないか…そんなことを考えるようになってきました。この「危機」を乗り越えるための信頼を寄せる交わりは学生時代や若い時代に築かれます。しかし、その交わりに深く助けられるのは人生の後半かもしれません。

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2015年12月17日

yjimage⚫︎女子サッカーの澤穂希さんが引退することになり、その記者会見を見た。何か真剣に取り組んできたことを「終える」ことは、始めることよりもはるかに難しい。彼女はその引退理由を「心と体が一致しなくなってきた」と表現した。そのことを一番最初に知ったのは本人であり、そのことを最も認めにくかったのも本人かもしれない。⚫︎私はこの「引退」ということ、つまり「「引き際」をしっかりと見つめることのできる人は本当に少ないのだ。何かを終えること、自分の人生の引き際をしっかり考えることのできる人は、未来を見つめることのできる人となる。。自分の人生の「旬」の時期は短い。しかし、この地上は終末のその時まで続くものであり、小さな自分がその流れをせき止めてはいけないのだ。

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2015年12月10日

o0625041512300710423⚫︎スポーツ選手のインタビューを聞き、その競技・試合の前にトップアスリートが口にする共通の言葉がある。それは「強い気持ちをもって…」という言葉。トップアスリートたちの技術の差は僅かなものだろう。その技術を支えるのは気持ち、つまりメンタル。それは一般の仕事でも、私たちの人生でも同じことが言えるのではないか…と感じている。⚫︎キリスト者の歩みに置き換えれば、「強い気持ちをもって…」とは「神様から遣わされたという使命感をもって…」ということになる。遣わされたものとしての使命に生きること、それは多くの困難を乗り越え、心振れずに歩みを進めること。私自身、このメンタルを意識している。若い時には前を向いて歩むエネルギーが十分にあった。しかし自分の思い込みで歩んでいただけ。今は「前」を向くために立ち止まり、心を定め、主の召しを確認しながら歩むことの大切さを実感している。

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2015年12月04日

unnamed-1⚫︎結婚して今年で24年。サラリーマンだった結婚生活は2年、その後の20年以上をKGK主事として過ごした後、今の仕事に就いた。その間に二度の流産を経て二人の子供が与えられた。⚫︎そして次の主日、息子の洗礼式を迎える。これで神様から与えられた二人の子供の信仰告白へと導かれることになる。息子は小学生の時に大きな病を経てその後も治療が続いた時期もあったが、その中でも信仰告白に導かれたのは、多くの交わりの中で祈られてきたことが息子の心にもしっかりと刻まれてきたようだ。⚫︎信仰は交わりの中で成長し、励まされるのだということを実感している。親としての人生の最大の責任を果たせたという思いと、ただただ主の憐れみであるという思いと、二つの思いの中で備えの日を過ごそうと思う。

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