2018年03月04日

image[4]▪️御茶ノ水聖書学院の教会事務管理の講座全5回を終えました。多くの参加者が与えられました。この分野の大切さを改めて感じました。そして本質的には「福音理解と教会論」が問われているのであり、そのことに気がつかないまま事務管理の有効性を議論してもなにも始まらないといことも考えさせられました。▪️この分野に取り組むために大切なことはキリスト教的世界観であり、その世界観が整えられないままに教会事務管理を考えると、かえって教会がこの世に飲み込まれていくことになるのです。それは特に宗教法人法の理解と運用ということにおいて教会が問われることになるでしょう。宗教法人法をきちっと、キリスト教的世界観で理解しなければ、法令遵守ということばのもとに、この世に屈した教会形成をしつつも、そのことに気がつない歩みをしてしまいます。それが本質的な問題だというところに行き着かなくては、真に教会を建て上げる事務管理にならないのです。

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2018年02月04日

phGreetings▪️今日の主日礼拝は、杉並区にあるE教会の礼拝に出席しました。KGKを通して、E教会の方々との交わりが与えれてきました。そして息子の病の回復のために長い間祈ってくださっていました。昨年の秋、息子の検査のときに主治医から「寛解」と言われたこともあり、その報告のために家族で礼拝に出席させていただきました。▪️懐かしい方々との再会も与えられました。そして短い時間であっても、大切なことばを交わし、その交わりの温かさを実感することができました。価値のある時間を過ごすことができました。▪️これからの私の人生の時間は、このような価値のある時間を過ごすことに心を注いでいきたいと思いました。


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2018年01月28日

fiddle▪️高知ではレンタカーも借りず、すべての移動を徒歩及び公共交通機関での移動を試みた。妻は初めて路面電車に乗り、レトロな雰囲気に居心地の良さを感じたようだった。ゆっくりとした時間の流れを実感した様子。のんびりとした二人旅。土佐弁にも優しさを感じた様子。▪️写真は私のお気に入りの喫茶店。土佐教会の隣の小さな喫茶店。ノートとペンを持ち込み、ゆっくりと自分の心を文字にする時間を持ち、穏やかな時間の流れに身を委ねる。忙しい毎日だからこそ、時にはこうして時間も場所も日常から離れて静かに心を動かし、その思いを表現する「ことば選び」をするとき、波立つ心が、地に足をつけて着地点を見いだすことができるようになる。

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2018年01月26日

IMG_8873▪️夫婦の二人旅、高知。子供の頃は高知・東京間は丸一日かかった。高知駅から土讃線で高松へ、高松から連絡船で岡山へ、そこからローカル線で新大阪へ、そしてようやく新幹線で東京。高知から東京へ、東京から高知へ「転校」するときにはランドセルを背負って、その列車の旅をした。▪️その旅は、私にとって悲しい旅の思い出。その悲しい思い出も、こうして夫婦で訪れるときにには、懐かしい思い出に代えてくれる。人格的な交わりの豊かさがもたらす人生の祝福。▪️高知空港に到着後、バスで市内へ。帯屋町を抜けて「ひろめ市場」でランチ、やっぱり「かつおのたたき」、そしてクジラの竜田揚げ、どろめ・・・。美味しかった。

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2018年01月20日

futta2497s▪️人が困難に直面して立ち直ろうとするとき、あるいは失敗を立て直そうとするとき、人は「前を向いて」頑張ります・・・、とコメントすることが多いように感じる。「前を向いて」「前進あるのみ」そんな言葉を聞くたびに、少しだけ違和感をもってしまう。「前」とはどちらの方向なのか?「前」には何があるのか?私たちは正しい方向に「前」を設定できるのか?▪️前に向かって歩むという言葉には、その積極的な姿勢を感じるが、その「前」がどちらの方向を向いているかによって、その歩みの価値は大きく異なるはず。▪️私たちは終末に向かって歩んでいること、自分の人生には「終わり」があること、その終わりをどのように意味付けるかが問われている。人生の「秋」を歩み始めた自分にとって、静かに「終わり」を見つめていきたと思っている。

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2018年01月06日

books-1141910_960_720-700x467▪️ご案内していましたお茶の水聖書学院「実践神学各論」、昨日担当の方から連絡を受け、申込者が50名を超えたとのことでした。私としては、10人程度の参加者とゼミ形式になるかな〜と思っていましたが、多くの参加者に感謝と共に、この分野の必要が教会や宣教団体に多くあることを改めて実感しました。
▪️この分野は、一回限りの学び(講義)ではなく、継続的な学びと交わりと励ましたが必要です。単に、会計や法務の手続きの話ではなく、まさに「実践神学」なのです。以前、「アドミニストレーターの集い」という交わりを持ち、その後AFG-net(Administration For Gospel)という集いを作ろうとして、そのままになっていました。この集まりを、この講座の後、再開しようと考えています。

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2017年12月21日

2017churchformation▪️来年の1月9日から「実践神学各論」として教会(宣教団体)事務管理講座が始まります。何人かの教職の方に「こんなに集まるとは思わなかった」と言われました。私自身も、多くの方に申し込んでいただき驚きと感謝をもっています。▪️教会アドミニストレーションについては、学ぶ場がないという現実的な問題が、多くの参加申し込みにつながったのだと思います。一般の職場で様々な実務に精通している方々が、熱心に教会を支えてくださっていることが多いと思いますが、例えば宗教法人という特殊な法の理解は、教会論・教会政治の理解の深まりと共に学び、運用し、この世界で宗教法人であることの限界や葛藤までも理解しながら運用しなくては、誤った法令至上主義になってしまいます。法的正義を主張しながら教会が建て上がらないとうことも起こり得ます。その辺りの理解を、法学の視点ではなく、教会のことばとして学ぶことが重要なのだと思います。▪️自分でも不十分なことは理解しながらも、その「教会のことば」を探す試みと交わりが、今回の「実践神学各論」なのです。

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2017年12月15日

2017churchformation▪️教会および宣教団体の事務管理を考えるようになったのは、学生伝道に携わってきたからです。若者伝道、学生伝道は、彼らを「集める」「回心へ導く」ことが中心的に語られます。伝道の働きとして大切なことでしょう。
▪️しかし理解すべきは、彼らは「大人になっていく」ということであり、しっかりとしたキリスト教的世界観を身につけるように育てることです。圧倒的に長い時間を費やす職場の価値観に引っ張られないだけのキリスト教的思考を提示することが大切です。
▪️そうでないと、教会も直面する財産管理や法人としての契約、その他様々な一般社会との接点においてこの世の立場から判断する大人になってしまいます。
▪️「教会は甘い」とか、「牧師にも社会経験が必要だ」というような大人にならないため、若いときから思索を深めたキリスト教的世界観をもって牧師を助け、教会を建て上げることに貢献する謙遜な人格のキリスト者を生み出すことが大切です。
▪️キリスト教的世界観に基づいたマネジメントのサンプルがないことが、宣教の妨げになることを実感しています。

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2017年12月13日

2017churchformation▪️お茶の水聖書学院で来年の1月から5回シリーズで「教会の形成と実務:教会の実務に強くなる5講」という講座をもつことになりました。
講座の詳細案内

▪️FBで少し案内をしましたが、この宣教団体および教会での事務管理(アドミニストレーション)構築という宣教の働きを建て上げることについて、講座に参加してくださる方々と共に学び、言葉を交わし、交わりを深めていきたと思っています。
▪️20年のKGK主事としての経験、現在のOCCのでの経験が元になっていますが、この「宣教的アドミニストレーション」は、私のライフワークとなるでしょう。この講座は、そんな私のKGK後のスタートラインです。
▪️このテーマで、再びこのブログを再開したいと思っています。今回の講座だけでなく、今まで取り組んできて、少し中座しているAFG-net(アドミニストレーションfor ゴスペル)というグループの再開も目指します。



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2016年10月09日

写真◾️墓の前で、内村鑑三の詩を心に思い起こした。

我らは四人であった
而して今尚四人である
戸籍帳簿に一人の名は消え
四角の食台の一方は空しく、
四部合奏の一部は欠けて
賛美の調子は乱されしといえども、
しかも我らは今尚四人である。

我らは今尚四人である
地の帳簿に一人の名は消えて
天の記録に一人の名は殖えた
三度の食時に空席は出来たが、
残る三人はより親しくなった
彼女は今我らの衷(うち)に居る
一人は三人を縛る愛の絆となった。

然し我らはいつまでも斯くあるのではない
我等は後に又前の如く四人になるのである
神のラッパの鳴り響く時
寝れる者が皆起き上がる時
主が再び此の地に臨(きた)り給う時、
新しきエルサレムが天より降る時、
我らは再び四人になるのである。


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