2016年10月09日

写真◾️墓の前で、内村鑑三の詩を心に思い起こした。

我らは四人であった
而して今尚四人である
戸籍帳簿に一人の名は消え
四角の食台の一方は空しく、
四部合奏の一部は欠けて
賛美の調子は乱されしといえども、
しかも我らは今尚四人である。

我らは今尚四人である
地の帳簿に一人の名は消えて
天の記録に一人の名は殖えた
三度の食時に空席は出来たが、
残る三人はより親しくなった
彼女は今我らの衷(うち)に居る
一人は三人を縛る愛の絆となった。

然し我らはいつまでも斯くあるのではない
我等は後に又前の如く四人になるのである
神のラッパの鳴り響く時
寝れる者が皆起き上がる時
主が再び此の地に臨(きた)り給う時、
新しきエルサレムが天より降る時、
我らは再び四人になるのである。


gcfyamazakigcfyamazaki at 07:57

2016年10月07日

写真◾️多磨霊園を訪れました。内村鑑三の娘、19歳で天に召されたルツ子の墓を訪れたかったからです。穏やかな陽射し、鳥の鳴き声、やわらかい土を踏みしめ、娘を失った内村鑑三の悲しみを知る由もありませんが、その人生の中に共に身を置く時間を過ごしたかったのです。◾️今でも忘れられない母が亡くなった後の祖母の嗚咽…それを多磨霊園の穏やかさの中で、思い起こしました。その後、高知から東京に移された母の墓も訪れました。母の人生よりも長く生きている私の「残りの人生の使命」について、神様に祈り求めました。
◾️キリストにある喜び、それは人生の悲しみを消すものではなく、悲しみに寄り添ってくださる神との出会い、交わりによって、愛に生きる人生へと導かれていくときに与えられるものなのでしょう。人生の悲しみを深く知ることは、キリストにある深い慰めにつながります。ルツ子の墓碑に「再た会ふ日まで」と刻んだ内村鑑三の悲しみと希望に心を寄せる秋の一日となりました。

gcfyamazakigcfyamazaki at 22:17

2016年08月06日

◾️今日は「使徒の働き」をずっと読んでいました。20章のパウロの告別説教にて「私が自分の走るべき行程を走り尽くし…(中略)…任務を果たし終えることができるなら…」という箇所がずっと心に留まっています。私はKGK主事としての21年間の歩みの中で、自分の任務を果たし終えたのでははないか…と、ふと感じることがあります。そして自分の限界を感じて、次の世代にバトンを渡してきたのです。
◾️これからは、渡したバトンの行方を遠くから見つめて祈ること、そしてこの21年間十分にできなかった家族との時間を大切に過ごすこと…。
◾️もちろん、今、与えられている仕事の任務は全うします。それでも私の気持ちは「走るべき行程」を走ってきたという実感です。少しペースを落としながら、走っているときには見えなかった風景を感じながら自分の人生の最後のステージを歩んでいきたいと祈った夏の午後でした。

gcfyamazakigcfyamazaki at 21:30

2016年07月26日

写真◾️7月上旬、子供の頃過ごした高知に行ってきた。二年前に叔母が亡くなってから実家の整理などで年に数回は訪れている高知。そこで教会関係の新しい出会いもあり、今まで以上に身近に感じるようになった。この写真は私の実家の裏手の鏡川という小さな川にかかっている橋から撮った写真。この風景を毎日みていた小学生時代の自分の姿を思い起こした。◾️この橋の上から川の流れを飽きずに見ていた子どもの頃。花火大会もこの橋の上から見た。花火が見えたあと、しばらくして「ドーン」という音が聞こえた…その時間差を不思議に感じだ子供時代。人生の最後の時間をもう一度、あの懐かしい風景の中で過ごしたいと最近考えるようになった。

gcfyamazakigcfyamazaki at 22:41

2016年04月17日

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▪️知り合いのブログで紹介されていた言葉。

gcfyamazakigcfyamazaki at 22:15

2016年04月10日

AS20151007004076_commL▪️アナザースカイという番組をみた。球界最年長の50歳までプレーを続け、そして引退。若いときの思い出のキャンプ地、ベロビーチを訪れるという番組設定。彼のプロ選手としての原点でもある場所に来て、「ようやく引退できる」と一言。その時の彼の言葉が心に残っている。「(引退したばかりのときには)もう投げられないのか…と思ったけれど、(ここプロとしての原点に立ち)もう投げなくてもいいんだと思った。」と言葉が彼の心から溢れてきたとき、名実共に引退したのだと思った。▪️何かを始めることよりも、人にとって難しいのは「止めること」だろう。しかし、私たちには「止める」ときがくる。止めること、生産的でないこと、衰えていくこと、身を引くこと…、そのことに価値を見出していくことは難しいだろう。その難しいことに真剣に立ち向かうために必要なことは「勇気」であり、神様への信頼。そのとき、いわゆる中年の危機が訪れるかもしれない。しかし、衰えていく中には、若いときには見えなかった価値が見えてくる。▪️安息日もこの世の仕事を止めることでもある。私たちキリスト者は週に一日、この世の仕事をやめ、神様の前に心を静め、神様に明け渡すことを意識して歩むことは大切なのだと感じた。

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2016年04月09日

写真▪️今日は、20年以上の交わりのあるキリスト者の人生の先輩方と午前中の短い時間を過ごした。町田市にあるキリスト教の施設で過ごした4時間程度の短い時間だが、年に一度この交わりに出席させていただくことで、自分の人生を省みる機会となる。▪️キリスト者となり、KGKに関わるようになり、素晴らしい人格的交わりの世界に導かれたことは私の財産となっている。そして時間をかけて積み重ねてきたものは決して簡単には崩れない。20年という歳月には様々な出来事があった。そのひとつひとつを大切に思い巡らしたひとときだった。部屋から見えた桜の木を思わず写真に収めた。▪️人生は様々な経験の積み重ねと、少しずつ失ってきたものの総体なのだと感じた春の一日だった。




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2016年04月03日

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▪️今日は教会の役員就任式がありました。4月から再び役員に就任します。その役員就任式の式辞の一節に心が動かされました。その一節とは「教会の一致と聖さとのためにたたかい、また群れの模範として歩むように努めることを約束しますか。」です。▪️私はこの「一致と聖さとのたたかい」に召されているのだと思いを巡らし、深く呼吸をし、祈りをもって牧師の言葉を心に刻んだのです。そして「説教」を真剣に聞き、教理を深く理解し、忠実な奉仕をしていくことができるようにと祈ります。

gcfyamazakigcfyamazaki at 22:04

2016年04月02日

▪️犯罪報道は一旦何のためにあるのだろうかと、心を痛めることが多い。「知る権利」を振りかざしつつ、当事者や似たような経験をした人々の心の痛みを考えない報道が多すぎるのではないか。
また、事件とは関係ない被害者及び加害者のプライバシーにまで踏み込んだ情報を私たちは知る必要があるのだろうか。▪️犯罪報道が目指しているものは、一体なんなのだろう? その事件から私たちが学ぶべき教訓を得られることに情報を自己制御することが大切なのではないか。そして、それでは視聴率が取れない・・・というなら、それは私たち視聴者の側もまた、見識が問われるのでしょう。

gcfyamazakigcfyamazaki at 22:57

2016年03月24日

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▪️この写真はスイスのRASAという小さな村。2002年と2005年の初夏、2週間過ごした山間の村。車道がない、つまり車の入ることのできない村は静かに遠くのcowbellの音だけが聞こえた村。今日は仕事が休みでゆっくりと時を過ごし、ふとその時の風景を思い出した。その時の会話、風の音、閑けさ、ひとつひとつが心に刻まれている。▪️人生の歩みの中で、心に刻まれている風景はどれほどあるだろう。今日の風景、毎日過ごす風景は心に刻まれるだろうか。みことばを「心に刻む」ことが私たちキリスト者の人生。ことばを大切に生きることは、価値ある人生を生きることであり、心の層の厚さを重ねることであり、神に従うことなのだと…スイスの小さな村の風景を心に描きながら…考えさせられた。

gcfyamazakigcfyamazaki at 10:22