2019年04月21日

尊氏の七回忌法要、からのDr.フェラあり氏への追悼

もう半端なく前になってしまいましたが、コメントにて、Dr.フェラあり氏がお亡くなりになった、とお知らせくださった方、、、ご連絡恐れ入ります
当時はブログどうしようと思っていた時期で、コメントから何から一旦シャットアウトしてしまっており、何の反応も出来ず、申し訳ございませんでした
その後、Dr.フェラあり氏他界の経緯などは、有志の方々のブログ等で知った次第です。
この件は何かモヤモヤとしていたので、関わった方々の眼に触れる機会があれば、幸いです。
入滅遠し
gedoukou at 01:00|この記事のURLComments(0)日記 

2013年04月28日

一周忌を過ぎて

機内から手を合わせて遥拝、そして降り立ち駆け足の性地巡礼。交歓の果てに来たる射聖も微々たるもので寄る年波を感じ、再訪を期し、機内から手を合わせて遥拝、南無。続きを読む
gedoukou at 19:55|この記事のURLComments(1)

2012年05月04日

四十九日法要

Wikipediaをつらつら眺めますと、仏教においては死後に幾つかの審判を経て、四十九日目にどう生まれ変わるかが決まるといいます。もちろん師が唱えるのは外道ということですので、仏教の言うところの六道を外れたところ、つまりは別の教義の範疇でありましょう。インドにおける順世派について書かれた部分がなんとなく納得出来ます。

人が目指し得る最高の目的は解脱でも天界でもなく、ただ現世における最大限の快楽に尽きる、


そんなことを考えた節目です。ナマステ(-人-)
gedoukou at 23:36|この記事のURLComments(3)

2012年03月19日

閑話

さて、師がお隠れになられて初めての週末となりました。

50前ということですから、まだまだ若いでしょう。しかも日本にお母さんがいらっしゃるようなご様子?だったので、そういう意味でもお察しするところであります。

今後は名跡としてこれを継承するタイ在住の方が現れて新たに出発する、なんてことがあるんでしょうか。
HPとメルマガを駆使してインターネットビジネスで生計を立てられていたのでしょうから、コンテンツとしては価値があるとおもいます。

宗教で語られる「死は通過点でしかない」と言うのであれば、師の興したこれらのものも何らかの形で生き残ることもありえそうですが、そうそう簡単ではないでしょうか。

もし編集後記で自らの事態を書かれたとすれば、どうなるのか。

「ケロケロ」・・・・これだけってのもあり得るな・・・

やっぱりこうかな

「いやー、やってしまった。とうとう日頃の不摂生が祟って、死んでしまった。ワーハッハッハ。思い起こせば、未来のない死に体の日本を飛び出し世界各地を巡り、安住の地としてこのバンコクに住んで幾年月、先生を始めとした各方面のエキスパートといえる外道士族からは多大な支援を頂いた。マンコ、マンコとそれしか頭にない外道平民たちに、ありがたい外道貴族からの情報を収集し恵んでやったのだから、有難いと思え。平民などとは思い上がりだ、この乞食どもが。
まぁ思い残すこともないが、残務整理などには迷惑をかけてしまうな。あとはナっちゃんの成長が見れないのは非常に寂しい。淫売に身を落とさずにまっとうに生きて欲しい。それだけだ。
最後に一言、俺に向けてのメッセージはこれだ、ザマーミロ!」




gedoukou at 01:21|この記事のURLComments(3)

2012年03月16日

号外:御逝去

フェラあり先生よりのコメント、、、、まさに目が覚めるとはこの事です。南無
gedoukou at 06:28|この記事のURLComments(0)