2010年04月19日

【コラム・ネタ・お知らせ】 同じ阿呆なら一緒に踊っていただけませんか?マドモワゼル

クエスチョナーズ藤岡death。前回は持病の扁桃腺炎で三途の川の辺りをウロうろしていたのでお休みさせていただいておりました。死にかけたりもしたけれど、僕はげんきです。そんな某宅急便屋さん的な出だしはさておき、今回は人間が社会的に生きていくために重要な「ルール」と「枠」というものに関するお話です。
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・ルールについて

家族から国家まで、「枠」の中には様々なルールがあります。

「ルール」というものは私たちの生活においてさまざまな場面に存在するもので、小さなところでは家族の間に暗黙の了解的に存在するモノ(「タバコは換気扇の下で」とか)から、学校に行けば校則があるし、会社に行けば社則が、住んでいる地域によっては様々な条令もありーの、国家レベルで言えば法律もあるし、果ては大きく人間であるために「人間としての常識(人を殺しちゃダメ、なるべく)」とかがあるわけです。ある一定の「枠」があれば、その中でのみ通用する「ルール」というものがある、両者は切っても切れない関係にあります。

この「ルール」というモノ、基本的には守るべき(社会的に生きていくためには)モノですが、逆に絶対のルールというモノも世の中には存在していません。家族間のルール辺りは説明も必要ないでしょうが、校則や社則、条令、法律、「常識」にいたるまで、一定のルールを破ればそこには社会的なリスク(罰則だったり)があるだけです。「守らなかったらその場で爆発するw」なんていう「神が定めた絶対なるモノ」みたいな「ルール」はない。少なくとも僕は知りません。

ここまで書いてふと思いついてしまいましたが、「爆発物の取り扱いをする際のルール」は守らないとその場で爆発しますね。逆説的に言えば爆発物を取り扱う職業というのは、最も神に近い職業といえるかもしれませんね。まあ詭弁ですが。こんなこと宗教色の強い国で言ったら処刑されちゃうかも。日本人でよかったw。

・ルールは枠に属するための義務

閑話休題。大げさな感じで具体例をあげてみると、「人を殺してはいけない」という「人間としての常識」でさえ、戦争や、自分の命が危険にさらされている時にその救済措置の結果としては、法的にも許されているわけです。さらに言えば殺人を犯しても完全犯罪を成立させてしまったり、逆に何物にも守られずに自分の属している大きな集団(国家とか)と戦うリスクさえ負ってしまえば、人間何をやるのにも誰のお許しも要らないわけですよ。あとは完全に自分の気持ちの問題です。

誰のお咎めも受けないで思い出した「シグルイ」の徳川忠長。
彼の場合は、国家のルールを作る側で好き勝手にやってますね。

こういったことからも判るように、「ルールというものはある一定の枠に属し続けているために必要な義務にすぎない」わけです。「枠」に属すことができなくなるというリスク(勘当されたり退学になったり、首になったりパブリックエネミーになったり最悪処刑されてしまったり)を無視できてしまえば、まったく意味のないものになってしまいます。たまに、ある「枠」に属することを辞める決意をした人が、最後に好き放題しはじめているのに、周りの人間がどうすることもできないという現象が起きたりしますが、これはそのような理由によります。

・娯楽=ルール破る快感

で、ここからが本題。世にある「面白いモノ」というのは常にこういった「枠」(「ルール」と言い換えてもほぼ同義)を逸脱する、という要素を含んでいます。身近なところで例を挙げると、人間の成長過程とか。人間という生き物は成長するにつれ、小さな「枠」を捨てて、より大きな「枠」の存在に気づき、そこに含まれて、また成長を続けていく「社会的」な生き物です。

初めは家族という「枠」の中で成長し、そこを飛び出て学生生活を送り、またそこを卒業して会社(社会)という「枠」の中で活動を続けます。進行状況は人によりけり様々で、たまに停滞・逆行する人もいますが、大体このような順番で自分の活動する範囲を広げていくわけです。そして概ね活動枠が広がるときに人は一種の刺激という快感を得るはずです。

人は「枠」が広がるときに刺激という快感を得る

この「枠(ルール)を突き破って自己を拡大する刺激という快感」が世に言う「娯楽」の正体なのです。人は一つの物語に触れる際にも、それまで自分の「枠」内に存在しなかった、「思考の垣根の向こう側」という概念を取り込んで、自分の思考の「枠」を広げて快感を得ます。そういった一連の行動を、大雑把にまとめて僕らは「娯楽」と呼んでいるわけです。

だから、一定の「枠」を突き抜けた才能は人に感動を与えたりしますし、世の企画屋たちは「常に新しいモノを!」と叫び続けるわけです。でも単純に「枠(ルール)」を突き抜けるといっても、やりすぎると、結果得られるものと、負わなければいけなくなるリスクのバランスが悪くなる場合があります。

例えば今の日本で「完全無修正のエロ本」を出したりするとどうなるでしょう?絶対にある種の感動を世の中に与えることは間違いありませんし、売れるのは売れるでしょうが、時間の問題で関係者全員が警察のご厄介になることも間違いありません。こうなると扱いはちょっとしたパブリックエネミーで、利益に対するリスクがちょっと大きすぎますね。「枠」を突き抜ける、という事はこういうリスクを孕んでいるものなのです。

そこで、「枠」を突き抜けた場所にある感動のようなもの、を追及する人たちは常に、そのリスクをどう処理していくか、またはリスクの少ない「枠」の突き抜け方や、「枠」の中に未開拓の場所がないか、ということを考え続けることになります。


・クエスチョナーズという枠

「絶対なる正解」というものが存在しない、このような問いを追求し続けることは本当に大変なことです。が、そうやって真剣に考えつくされた結果、ある一定のレベルを超える解答に辿り着いて生まれてくるものは素晴らしいモノになります。

普通では考えられない手間暇をかけた料理、常人には思いもよらないお話、今までにない色使いの絵、などなど。こういったプロセスを経て生まれた素晴らしいモノたちによって僕たちの生活に「娯楽」というものが付加されていくのです。

こんなことを言っている僕自身、「サラリーマン」という枠を捨て去り、クエスチョナーズという「枠」を自ら作って、日々「面白いモノ」を作るためにこういったことを考え続けております。僕の場合「枠」が大きくなったのかどうかはさておき、「不安定な生活」というリスクを負って得た新しい「枠」での生活は(僕にとっては)とても楽しいものです。が、この結果を知るためには「とにかくやってみる」ことが必要だったわけです。何かの変化を起こした時の結果に対する評価というのは、結果論でしかわからないものですから。

結果が結果論でしかわからない、というのは至極当然のことです。もし、今何か面白いことを思いついたのに、現在自分がいる「枠」の中では実現できない、という方がいるのならば、その「枠」内の「ルール」を遵守することより、その「ルール」を破っても成立する何がしかの方法を考えてみてはいかがでしょう。あなたが考え続けている限りその「面白いこと」は実現可能な選択肢として存在し続けますし、何かしらの解決方法を見つけられれば、あなたが世の中を少しでも面白くすることもできるかもしれません。

もし貴方の今の「枠」では困難なことがあったら、お気軽にご連絡してみて下さい。

昔の人は偉いもので、とてもいい言葉があります。「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々」。今日も今日とて長くなってしまいましたが、本日のところはここまで。なんか学校の講義みたいになってきましたね。

・最後に

最後に恒例のwebラジオ告知。現在弊社で趣味のようにやっておりますwebラジオ「あきでんラジオ」第13回目放送が本日更新されております。今回は久々にノトフ、藤岡の2人きり。ゲストもいなくて油断しきったあられもない姿が新しい時代のラジオの形を垣間見させる約2時間!是非お楽しみください。

webラジオ「あきでんラジオ」
ゲストもいなくて油断しきったあられもない姿

そんな感じでまた再来週。ではでは。

クエスチョナーズ 藤岡聡

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