2005年01月12日

「集団教育」にできること

自分で書いておきながら、自分で収拾がつけられなくなってしまうことがある。
この後、アキラさんのところで私より考えの深まったいいエントリーがあったのだが、自分の考えがまとまらず、放置状態になってしまった。
すいません、アキラさん。
 
なんてしているうちに、KEN-NYE さんからまで鋭い突っ込みがあったりして。
これは、イヤでも考えざるを得ないだろう。


はっきり言って、わしは学校が嫌いだった。なので、わしの教育論は、本人の意思にかかわらず、いつでも偏ってしまうのだと思う。
その偏りを自覚しつつ、絶対に強く言いたいのは「公教育は、一人ひとりの子どもにできるだけ多くのチャンスを与えてほしい」ということ。

アキラさんのおっしゃるとおり、公教育にはできないことが多すぎます。
オーダーメイドを公教育でできれば今よりは改善するのかもしれないけど、それは予算や人的な意味で(今いる教師にいくら金払っても、理想の教育に近づくことはできない、と、わしは思っておる)ムリだと思う。
では、最低限、どうすればいいのか。
というところで、わしは自分の経験を振りかざすイヤなヤツだ(笑)

ウチは、由緒正しいブルーカラーの家柄だ。
で、当然、家には文科的環境は微塵もない。なんたって、本棚がなかったからね、ウチは。
わしが家で宿題をやっているだけで「gegengaはよく勉強をする」と感心してもらえました。
が、家庭内手工業をやりつつ、わしの母親は考えた(ようだ)
手工業の邪魔にならないように子どもをそばに置いておくにはどうすればよいか?
で、得た結論が「本でも読んどけばいいだろう」
ということで、偶然、わしはたくさんの本を読んでもらう幼少期を過ごした。
こんなもんですよ、多くの家では。

だが、その他の家では、ある種の教育が降り注がれるんだな、多分。
それは、国数英、理社、音楽、美術、体育などなど。

いいのだ、それはそれで。
でもさ、家で降り注がれなかった分野に興味、適正がある子どもっているでしょ、たくさん?
そんな子どもにチャンスを与える場が「公教育」であってほしいと、わしは、思ってしまうわけです。
家に本棚がなくても、学校の図書室や公共図書館でたくさんの本を読みあさったことで今の自分がいる、そう考える人間として。

では「集団教育」ができることって何だろう?
独断と偏見で言わせてもらうと、それは
読み書きそろばんと環境整備。
それだけ。それ以上でも、それ以下でもあり得ない。

わしはそろばんはできないのだが、基本的な計算という意味でいうと、絶対に必要だよね。
西原理恵子がマンガで書いていたこと。「新聞が読めて九九ができれば、問題はない」。その通りだと思う。
そして環境整備部分でいうと、授業は関係ないです、ごめんなさい、一生懸命授業をしてくださっている先生方。
必要なのは、親ができなかった部分を補うこと。
つまり、チャンスを与えること。

「集団教育」にできることは、その程度だと思ってしまいます。
その他は、親が頑張りましょう!!

といいつつ、「じゃあ、その程度のことすらできない親の元に生まれたら人生おしまいかよ!?」と思ってしまい、公教育がしなければいけないこと、するべきことの範囲がいまだに確定できないわしなのであった。

gegenga at 22:44│Comments(5)TrackBack(1)日常生活にいちゃもん 

トラックバックURL

この記事へのトラックバック

1. 寺子屋と小学校  [ Non-Fiction ]   2005年03月24日 22:25
 Jabberwockさんのこことか、gegengaさんのここ、アキラさんのここを読んで、ちょっと書きたくなりました。  日本での公権力による庶民階級に対する初等教育は明治に入ってすぐに始められました。しかし、良く知られているように、初等教育そのものはそれよりもはるかに

この記事へのコメント

1. Posted by アキラ   2005年01月13日 15:27
あ〜いえいえ、放置プレーは好きですから(ウソ)。
TBも、ありがとうございました。僕も、やっぱり貼ります。
最後のオチが、イカしてます (^o^)。

子どもの周りに、「いろんな大人」がいなくなっちゃったというのも、あるのかもしれませんね。
サラリーマンが、増え過ぎちゃったかな。お店やってるとか、工場(こうば)やってるとか、大工とか、庭師とか、ナゾな人とか、よりどりみどりではなくなってる感じはしますからねぇ。
2. Posted by gegenga   2005年01月13日 23:15
フムフム、アキラさんは放置プレーが趣味、と。

子どものまわりにいろんな大人がいなくなっちゃったっていうの、問題ですよね。
いろんな価値観に触れるチャンスがないのは、マズイよなあ。学校だけが正しいと思っちゃ、子どもも生きにくいですよね。
3. Posted by KEN-NYE   2005年01月15日 04:27
> その程度のことすらできない親

ってのが最近結構いるようで。
学校に「ウチの子にトイレの始末おしえてやってください」なんて言ってこられたら目が点どころじゃないですよね。

学校の図書館で本を読みあさっていた小中高時代を思い出しました。もちろん家でも読んでます^^;
4. Posted by 一風斎   2005年01月15日 07:00
gegengaさま
お久しぶりです。
まず、みゃおさんのとこのコメントへのリスポンス。「伝染ります!」その話は改めまして。

さて、幼少期に欠落したものを埋めようと、成人してから執着することってありますね。
小生の場合は、本に欠落しておりまして(正確に言えば「自分の所有する本」ね)、現在は、本の山に埋もれております(嬉しい悲鳴なのかなあ? だけど、棄てられないね、もったいなくて)。

公教育に必要なのは「環境整備」、確かにそうですね。集団でしかできないこと、公のお金を使わないとできないことってありますよね。それに社会的に違った層の学校友だちとの接触とかね。小生の場合、身近にサラリーマンがいなかったもんで、そのような子どもの生活って新鮮に覚えた記憶があります。だって、少年少女文学全集みたいなシリーズものを持ってるんだもん(だんだん口調が、少年期に戻ってしまうなあ)。
まあ、このテーマはじっくり考えてみます。

では、また。
5. Posted by gegenga   2005年01月15日 14:54
>KEN-NYEさま
世の中には「おまえには勉強以前にやらなければならないことがたくさんある!」って言ってやりたくなるガキが、結構いますよね。それは親の責任。学校のせいにはできない。
私はかなり教育に不熱心な親なんですがw、このあたりは自分の責任でどうにかしようと、頑張っている、つもりではあるのですが。。。。。。。
ウチの子どもは、自分的にはまっとうな子に育ってると思っているのですが、教師にはあまりそう思われていない悪寒(笑)

>一風齋さま
ご無沙汰しております。

私も、本だけは捨てられません! 狭い我が家には入りきれないので、他に場所を借りて保管しております。

社会的に違った層の友だちとの接触って、大事だと私も思います。だから、小・中学生の段階から私立に入れることには反対、というか、せっかくいろいろな層の人に会えるチャンスをつぶしてしまうのはもったいない(私立だと、似た傾向の人たちが集まるから)と考えていたのですが、公立中学、入れてみるとひどいですね。。。。。
でもうちの子も、まわりにサラリーマンがいない環境で育っているので(私もでした)、サラリーマンがの子が多い異環境に触れられたのは、プラスなんだろうなぁ。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔