2006年04月19日

「格差」は、金だけの問題か

昨日、一風斎さんのブログを拝見して驚いた。
「文化資本」雑考
ここ数日、わしが考えていたテーマではないか!

とかいいつつ、当然、わしにこんな知識があろうはずはなく
すごーく卑近なところから考え始めていたのだが。
うーん、ちゃんとこういった研究をなさっている方がいるのか。
いつものことながら、勉強になる。
一風斎さん、ありがとうございます。


なお、一風斎さんのエントリーは是非お読みいただきたいのだが
大雑把に要約すると
フランスでは、音楽、文学、美術から毎日購読する新聞に至るまで
階級によって、その嗜好が違っている。
それは『文化資本』として身体化している、ということが書かれた本の紹介から
「現在の日本を考えると、「格差社会」とは言われてきているものの、それほどはっきりした「文化資本」の差異は見受けられないのではないか」
という考察に繋がっている。

そしてわしが最近気になっていたのが
「日本は“文化的格差”が小さな国だが、それが最近広がってきているのではないか。
そして、“格差社会”というと“収入格差”ばかりが問題にされるが
長い目で見ると、この“文化的格差”というのは、大きな問題なのではないだろうか」ということ。

なぜ、こんなことが気になっているかというと。


わしは、思いっきりブルーカラーの家庭で育った。
どんな家かというと、ビートたけしの「たけしくん、ハイ!」で
兄弟が6人になり、母親の教育熱心度が1/10になったと思ってください(笑)

さて、我が家にはレコードプレイヤーがなかった。
だからクラシック音楽というものを初めて聞いたのは
小学校の音楽の授業だった。

美術館に行ったこともなかった。
これも初めて行ったのは、たぶん、小学校の社会科見学だろう。

本棚もなかった。
家にある本といえば、「少年ジャンプ」と「少年マガジン」
それと、元文学少女だった母が末っ子のわしのために買ってくれた
子ども向きの本が少々、といったところだ。


普段、日本の教育に文句ばかりつけているわしだが
実は、かなり公教育の恩恵にあずかったと思っているし
そのことに感謝している。
だって、こんな家庭に育っても、学校に行けば
音楽とか、美術とか、文学なんていうものが世の中にあると教えてもらえるし
そんなものに触れる機会もあるのだ。

その中でも一番驚き、そして嬉しかったのが
学校の図書室。
だって、広い部屋中に本があるんだよ。
「ファーブル昆虫記」も「ムーミン・シリーズ」も
みんな、学校の図書室で読んだ。

そしてわしは、本好きとしての人生を歩み始める。
学校の図書室がなかったら、きっと違う人生だったろう。
家庭環境のせいか、文学以外の文化的教養はものすごく低いのだが
図書室のおかげで、文学的教養は「やや低い」ぐらいに収まっていると思う。


音楽的教養の低さを物語る余談。

つい先日、ショパンのプレリュードを聴いて
「あ、太田胃散の音楽だぁ!!」と言ってしまった。
CMソングだと思ってました。
トホホホホ・・・。

閑話休題。


こんなわしも大人になり、一児の母となった。
そして子どもが小学校入学。

驚きました。
図書室のしょぼさに。
「ファーブル昆虫記」も「ムーミン・シリーズ」も「ナルニア国物語シリーズ」もないじゃない!

しかし、これは驚きの序章だった。

子ども、中学校入学。
中学の図書室も、負けず劣らずのしょぼさ。
そして、なんといっても驚いたのが
この図書室、「放課後に開いていない」。

なんか、司書の人がいなくて
誰も管理できないから、ってことらしいけれど
放課後にやっていない図書室って、いったい・・・。

「本を読もう」とかやたらお題目を唱えているのに
わしが子どものころより確実に、学校内に「本を読む環境」がなくなっている。


さて、やっと本題に近づいてきたのだが(汗)

「ゆとり教育のせいで、学校教育だけでは学力が伸びない。
だから塾に通わせる余裕がある家の子どもと、その余裕がない家の子どもでは学力に差がつく。
そして、学力がないとよい大学に入れず、そのためよい職に就けず、やはり貧乏人になる」
なんて説が、近年、まことしやかに流れている。

収入と学力の相関関係がどこまであるのか
わしはちゃんとしたデータで確認したことがないのでなんともいえないのだが
もしあるとしても、それは「子どもを塾にやれるかどうか」だけの問題ではないんじゃなかろうかと、わしは考える。


さて、上でさまざまな芸術に触れる機会について書いてきたが
ここからは「文学」にしぼって話を進めたい。
本を読めば賢くなる、っていうものじゃないが
とりあえず「学力」と「読解力」は関係が深いと思われるし
本を読む習慣があるか否かは、
何かを学びたいと思った時にヒョイと調べものができるかどうかといった「学びのチャンスを掴みやすいか否か」の問題にもつながるし
「ものを考える癖がついているか否か」の問題にもつながると思うので。


収入が少ないと、文化的な生活を送る余裕がない。家にも本がなかったりする。
すると、子どもが家庭で本に触れるチャンスがない。
しかし、学校の文化度も下がってきていて、図書室も充実していなかったりする。
すると、子どもは学校でも本を読むチャンスが減る。
それが学力の低さにも結びつく。
そんなことも「収入と学力の関係」の一因になっているのではなかろうか。

だとしたら、これはかなり悲しい話だ。
塾に行けなくても基本的な読解力や考える習慣が身についていれば
長じてからリカバーすることはそれほど困難ではない。
しかしその基本がないとすると
記憶力だけで受験は勝ち抜けるかもしれないが
(勝ち抜けちゃう受験制度も大きな問題だが)
精神面において、文化的生活を送ることが難しいのではないだろうか。

自分なりの判断で芸術を楽しむとか
他人の発言を「単語」ではなく、文脈やその奥にあるコンセプトでとらえ、自分なりの意見を持つとか。

それらができない人が親になると
今度は収入の多少に関わらず
家庭内の精神文化度が低いので、子どもにもその影響が出る。
しかし、学校の文化度も下がっているので・・・
と、話が一周するわけだ。

これが続くと、文化的格差は広がっていくと予想される。
精神的に文化を楽しめる人と、楽しめない人の差。
公教育には、これに歯止めをかける責務があると思う。

そのためには、うわっついた“学力”が上がったの下がったのでガタガタするより
考える習慣をつけるための、文化的環境の整備が急務ではないだろうか。
図書館を整備する(司書を配置することも含む)
音楽や美術に触れるチャンスを増やす(押しつけないで、子どもが自主的に楽しめる環境を整える)など。


そう、“愛国心”がどうのこうのとか
“伝統文化”を守るなんて理屈つけて怪しげな宗教教育を取り入れようとしている場合じゃねぇよ。
文化度の低い人間が大量に出てきちまったら、他国に誇れる日本じゃねえだろ?

それでも、自分たちの政権を守るために
「自分の頭で考えない人間が多いほうが便利」とか思ってるんなら
ひどい、売国奴だね。

gegenga at 23:33│Comments(6)TrackBack(1)日常生活にいちゃもん 

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1. 全寮制ってそういうものなの?  [ Non-Fiction ]   2006年04月22日 18:27
 こちらのエントリーで知った今年から開校の海陽学園という学校。  朝日新聞の(1)外部と遮断し異空間という記事で読む限り、私には刑務所の様にしか思えないのだが、全寮制の学校ってこういうものなんだろうか? (ひとつの記事だけで判断するのは危ないような気が...

この記事へのコメント

1. Posted by うちゃ   2006年04月20日 22:12
教育審議会の会長だった三浦朱門氏はこんなこと言ってますね。
「戦後50年、落ちこぼれの底辺をあげることばかりに注いできた労力を、できるものを限りなくのばすことに振り向ける。百人に一人で言い、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」
これが本音なんじゃないですかね。で、ふるいは親の経済力で決まると。
2. Posted by (まめ)たぬき   2006年04月21日 22:20
実は、道楽、中でも書籍・雑誌には湯水のように金銭を使ってかまわないという母親に育てられました。
・・・ひょっとして義務教育での成績がぼちぼち(体調不良でかなり小学校休んでいたんですが)なのはこの文化的背景が有るのか??だとしたら、我輩、ラッキー。

昔の学校図書館は、教諭がいなくても、生徒だけで開けていても叱られないアバウトな管理だったのですが・・・。(官僚が下手に専門職を配置すると運用がうまくいかない事になるという悪い見本のようですね)
3. Posted by gegenga   2006年04月22日 16:22
>うちゃさま
>ふるいは親の経済力で決まると。
クゥ〜。。。。。。

三浦朱門のこの発言は、確かに権力側の本音だと思います。
で、これがバカだなぁ、って、思っているわけで。

非才、無才のやる仕事は、どんどん減っている。
単純労働は機械がやるから、言われたことだけ実直にやっている労働者が多数いても困る、と。

それと、国を引っ張る優れた才能の人間は必ず金持ちに生まれる、ってわけじゃないんで
「金はないが潜在能力は高い」人間もきちんと拾っていかないと、彼らが考えるリーダーの数も足りなくなる。

と、「国益」だけにしぼって考えても、今の教育制度はダメだと思うんですが、非才・無才じゃないつもりの人たち、こんな単純なこともわからんのでしょうか?
4. Posted by gegenga   2006年04月22日 16:29
>(まめ)だぬきさま
うちも「本買って」と言って、「ダメ」と言われたことはなかったです。
ただね、家中、誰も「お勧め」してくれないの、自分が読まないから(笑)
でも「gegengaは、本ばっかり読んで」と兄たちにからかわれても、趣味は尊重してくれる家庭だったので、私もその点はすごく恵まれていたと思っています。
かなり幸せな子ども時代を過ごしましたぁ〜。

>昔の学校図書館は、教諭がいなくても、生徒だけで開けていても叱られないアバウトな管理だったのですが・・・。(官僚が下手に専門職を配置すると運用がうまくいかない事になるという悪い見本のようですね)

そうそう、子どもだけで開けてましたよね、昔は。
それが今は、「教諭の目が届かないところに子どもをおいてはいけない」というのが徹底していて。
5. Posted by gegenga   2006年04月22日 16:30
(つづき)

あと中学校で驚いたのは、部活。
担当の教師がいないと、全然やっちゃいけなくて
だから、職員会議がある日は1度下校して、会議が終わった頃に再登校するんですよ。
これも昔は、生徒だけでやってましたよね?

安全管理、ってことなんだろうけど、家と学校を何度も往復させたら、それだけ交通事故のリスクが上がると思うんですが???
6. Posted by うちゃ   2006年04月22日 18:54
>それが今は、「教諭の目が届かないところに子どもをおいてはいけない」というのが徹底していて。

 子供を誰も見ていない状態に放置しないように、ということを社会が要求しているようですね。私はこれをやられるとものすごいストレスを感じてしまうのですが、実際に子供たちはどう感じているんでしょうか?
 ちょうどこれに関連して気になる記事を見つけたのでトラックバックしてみました。

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