こんな本を読んだ

2009年12月08日

狂気のグラデーションについて考えてみる―――『神器―軍艦「橿原」殺人事件』

『海底八幡宮』に引きつづき、本から話が逸れて妄想に走る感想文シリーズ(いつの間に、シリーズに?)。

さて、本題に入る前に。

これ、オビの文句から推理するに
ミステリーファンにも売ろうとしてるんだろうけど
純粋なミステリーファンは、買っちゃダメ。
同じ作者に「グランド・ミステリー」という作品があるが
それを友人に貸したところ
「最後までミステリーと信じて謎解きに挑戦したけど、
これはミステリーじゃないじゃないか!」と怒られた。
同じことになると思います。

上巻のオビによれば
「ミステリー、軍記、そして純文学。
ジャンルを超えた大作、刊行!」
「昭和20年、軍艦内で起きた変死事件の謎を解く鍵は、平成の日本に隠されていた。」
とのことで、まあ、嘘は書いていないのだが。
実際、探偵小説好きの上等水兵・石目が、殺人事件の謎解きに挑戦する、
という「一面」もあるから。
しかし、ここがメインでは、決してない。

敗戦の色濃い太平洋戦争末期に
沈められることがほぼ確実な軍艦内と
そこにつながる「別の空間」で起こる、さまざまな出来事。
そこに絡まる多くの登場人物の想い、
そして、個人と空間(別の空間も含めて)を浸食していく「狂気」がメインテーマなんじゃないかと思う。

とはいえ。

ネタバレをしてしまうと読む楽しみが減るタイプの小説であることは確かだし
話を逸らしたい気持ちも強いので
以下、ストーリーにはほとんど触れない、話がそれまくりの感想文。
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2009年12月02日

太古から続き世界につながる些末な日常―――『海底八幡宮』

『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』 の感想文
この作品に限らず、わしの笙野頼子の読みなんて
いつもこんなで、
自分が理解できるところだけを切り出し
頭の中で再構築した「誤読」の塊みたいなもの。

と、書いた。

だいにっほんシリーズは、西洋哲学がわかっていないと理解しがたいのだよ。
そして、私はまったく(西洋に限らず)哲学がわからないので
開き直ったわけだが。

今回ご紹介するのは、『海底八幡宮』。
だいにっほんシリーズでは、ない。
金比羅シリーズ。

金比羅シリーズに関しては、↓こちらをご参照ください。
そして笙野頼子は“神”になった―――『金毘羅』
神の「恋愛」を「誤読」してみる―――『萌神分魂譜』

この2つのエントリーを読んでも、まったくわけがわからないでしょうが
気にしないでください。
書いた本人も、わかっていない。
金比羅シリーズを理解するには、日本の古代信仰をわかっていないとダメだと思うのだが
私は、こちらの分野においても西洋哲学同様、無知なので。

わからないなりにまとめると。

『金比羅』は天孫に対するカウンター神である自分に気付いた金比羅=作者の一代記。
『萌神分魂譜』は、自分の中の他者、圧倒的に自分でありながら絶対的に他者である「俺」との恋愛物語であった。
そして、今回は、古代の神にして“兄貴分”である亜知海(あちめ)との会話を通して日常を読み直す“私小説”だ。

って、このシリーズはある意味、みんな“私小説”なんだけどね。

詳しくは、↓ここを参照。
今週の本棚・本と人:『海底八幡宮』 著者・笙野頼子さん(毎日新聞)

よく、まとまっています。
だから、これを紹介したらもう、書くことがなくなっちゃう。。。

なんて、しおらしいことは、私は言わない。
これで、基本は抑えた。
あとは、遠慮なく「誤読」させていただく。
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2009年10月21日

【番外編】『差別と日本人』の周辺で、独り言をつぶやく

寛容さ=優しさ。ではないを書いたときから、ずっと考え続けていること。
それは
差別者を全否定することは、結局、差別というかたちで、あるカテゴリーに属する人々を全否定する差別者と同じ行為なのではないか
ということだった。

あのエントリーでは、思い切りよく
差別者に関しては、差別意識という一部を以てその人を全否定してもかまわない、と、わしは思う。
と書いたが、正直なところ、まだ迷っている。
というか、答の出ない問題なのだと思っている。

しかし、答の出ない問題だから「考えても無意味」なのではなく
答の出ない問題だからこそ「考え続けるべき」なんじゃないかと思い
しつこく『差別と日本人』感想文シリーズを書いた。


どんな人間の心にも「差別意識」があるのだから、極論すれば、すべての人間は「差別者」である。
だから「差別者」であることでその人間を全否定できるのなら、すべての人間を全否定することが可能になってしまう。
しかし、私はすべての人間を全否定しようとは思わない。
では、私は、全否定すべき「差別者」と、全否定すべきではない「差別者」をどう線引きしているのか。

―――というのが『差別と日本人』感想文シリーズの、自分内テーマの一つであった。

そして、これに対する最もシンプルな答は
「差別を悪いと思っているか否か」だったりする。

(3)の〆に書いた

方法は違っても。
思想信条は違っても。
差別する、差別したいと思う自分の心と真剣に向き合える人となら。
「差別はよくない」というある意味単純な想いを持っている人となら。
心は通じ合えるのだ、と、思う。

そして、思いたい。


これ。


しかし、もちろん、こんなにシンプルな問題ではないので、未だに困っていたりするのだ。
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2009年10月15日

闘いで失うものと、得るもの―――『差別と日本人』(3)

それでも、超えられないもの―――『差別と日本人』(1)
一つは、「加害者」にならないように抗議を控えつつ、ジワジワと自分の考えを相手に伝えていく方法。
もう一つは、「加害者」扱いされようがなんだろうが、ガンガンと自分の主張を繰り返す方法。

この本を読んで、野中氏は前者、辛氏は後者なんじゃないかと思った。

と、書いた。

書いたのに、辛氏についてはまったく触れることができなかった。
その辛氏の闘いぶりの一端を表しているのが
差別する対象を決めるのは、差別される側ではなく差別する側である―――『差別と日本人』(2)で引用した「注釈」部分だと思う。

そんな辛氏なので、当然、野中氏とぶつかる場面もある。
たとえば、石原慎太郎に関して。
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2009年10月08日

差別する対象を決めるのは、差別される側ではなく差別する側である―――『差別と日本人』(2)

続きを書こうと思いながら、気が重くてグズグズしていたのだが
それでも、超えられないもの―――『差別と日本人』(1)
に×第二迷信さんがつけてくださったコメントのおかげで
いきなり書く気持ちが盛り上がってきた。

×第二迷信さん、ありがとうございます(←もちろん、皮肉です)。
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2009年10月03日

いろいろ読んだ。その4―――私の『いろんな世界』

1年以上たって突然やってくる、「その4」(笑)
「いろいろ読んだ。」シリーズの、最終話です。

以前のものは、こちら。
いろいろ読んだ。その1―――町田康『宿屋めぐり』
いろいろ読んだ。その2―――スティーブン・キング「ダークタワー・シリーズ」と『リーシーの物語』
いろいろ読んだ。その3―――レイ・ブラッドベリ『趣味の問題』

最後は、本の話ではありません。
私の思い出話。
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2009年09月29日

それでも、超えられないもの―――『差別と日本人』(1)

野中広務という政治家は、私にとって謎だった。

郵政族のドンと呼ばれてたし、オウムに破防法を適用するように力説してたし、国旗国歌法を力業で成立させちゃうし、政局を裏でガンガン仕切っていそうな感じだし、なんか陰険で怖いタカ派オヤジ、というイメージがある。

一方。

反戦平和を大切にして日本の戦後処理をキチンとしようと一貫して主張しているし、事件や事故があると被害者のところに謝罪に行くなどの誠実な対応が多い印象があるし(松本サリン事件の河野さんへの謝罪など)、ある意味、人権派でありハト派。

その野中氏が被差別部落の出身だ、というのを、私はいつ、どのように知ったのだろうか。
そのへんの記憶が曖昧なのだが、例の麻生発言に関する話を読んだときに、麻生に怒りあきれたが、野中氏の出自に驚いた記憶はないので、その時には既に知っていたわけだ。

ということで。
その「被差別部落出身者」野中氏と、「在日朝鮮人」として発言を続ける辛淑玉氏の対談集。
そこに、辛淑玉氏の大量の「注釈」がついていて、この注釈が、キツイ。
厳しい、という意味でも、読むのがツライ、という意味でも。

まあ、注釈だけではなく、全体的に読むのが大変にキツイ本なのだが。
野中氏の「まえがき」から、キツサ全開。

と、「まえがき」から語り始めたいところなのだがだが、
もし知らない方がいらっしゃるといけないので、まず例の「麻生発言」について野中氏が語っているところを引用する。

野中 まだ麻生さんが総理になる前の、二〇〇一年四月の頃だったけれども、ある新聞社の記者が僕に手紙をくれたんです。手紙には、こんな内容のことが書かれていた。
〈麻生太郎が、三月十二日の大勇会の会合で「野中やらAやらBは部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい。ワッハッハッハハ」と笑っていた。これは聞き捨てならん話だと思ったので、先生に連絡しました〉
(163〜164p)
野中氏はその場にいた政治家から裏も取っているようなので、多少の誇張はあったとしても、事実無根とは考えにくい。
この人が、ついこの間まで総理大臣だったんだよなぁ。。。


さて、気を取り直して。
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2009年07月27日

翼があろうと、なかろうと―――『CAT WINGS』四部作

7815c903.jpg何年か前に、村上春樹が訳した『空飛び猫』という本を読んだ。
ル・グィンが書いたファンタジー。
なぜだか翼をもって生まれた猫の兄弟姉妹テルマ、ロジャー、ジェイムス、ハリエットの物語。

なんといっても、イラストが最高に可愛いのだ。
それにやられて買ったわけだが、そこはそれ、ル・グィン。
可愛いだけでは終わらない。

大きな街に生まれた兄弟姉妹がある程度育つと、タビー母さんは言う。
「街はあなたたちが育つのにいい場所じゃないわ。
そして、あなたたちには翼がある。
飛んで行きなさい、どこかよそに。
お母さんはトム・ジョーンズと再婚して、ここに残るから」。

なんとキッパリ子離れしたお母さんだ!

で、子どもたちは旅に出る。
そして最後には田舎でハンクとスーザンという兄妹にかくまわれて幸せに暮らす。
というお話。

最終ページ、人間の膝の上でゴロゴロいっているハリエットの表情がたまらん!


で、これで終わりだと思っていたら
とある書店の洋書売場で、続編を発見!
しかも3冊!!

なんだってぇ〜っ!?

ということで、4冊全部買ってしまった。
英語とはいえ、子ども向きの本だし
1冊につき50pないし。
英検3級のわしでもどうにかなるだろう、と。

はい、どうにかなりました。
難しい単語もあまりないし
関係代名詞とかほとんど出てこないし(←この発言が、いかにも英語の成績の悪い子どものようだ:汗)

で、4巻目を中心にした感想を。

以下、全巻のネタバレたくさんですのでご注意を。
(まあ、ネタバレなんのその、イラストが可愛いからストーリーを全部知っていても買う価値アリ、と思うのですが)。
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2009年07月22日

すんごく今さらだけど、裁判員制度について勉強してみる―――『なりたくない人のための裁判員入門』

裁判員制度で、被害者のプライバシーがさらされる? というエントリーを上げたのが5月18日。
この後いろいろと考えているうちに、大きな壁に突き当たった。

というのは大げさで。

要は、自分が「裁判員制度」がなぜ導入されたか
なぜ今のような制度になったか。
そのあたりのことを全然知らないことに気づいたわけだ。

で、この本を読んでみました。
著者は、伊藤真さん。

オビに
「これだけ分かればXデーだって怖くない」と書かれていて
まるで、裁判員になったときに備えてのハウツー本みたいですが
オビは、嘘です(笑)
幻冬新書だからね。
ウリ文句はうまい、ということで。

ではどんな本かというと。
裁判の歴史や刑事裁判の仕組みと問題点、陪審員とも参審員とも違う日本の裁判員制度の特徴、裁判員制度導入までのプロセス、裁判の現状などを分かりやすく解説した本です。
そして、裁判員制度の問題点がたくさん指摘されている。
「Xデーだって怖くない」どころか、読むとよけいに
「オイオイ、裁判員制度、大丈夫かよ?」と怖くなります。
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2009年06月30日

以蔵にはわからしてやりたいんじゃっ

『風雲児たち』という歴史ギャグマンガが好きだ。
「幕末を描く」と言いながら、話を「関ヶ原の戦い」から始めてしまったため、連載開始から30年経った今でもまだ完結していない、という大事になっているのだが
最近では黒船も登場し、すっかり幕末らしくなってきた。
作者には長生きしていただき、是非、完結させていただきたいものだ(ご本人は「函館の五稜郭まで描く」と言っているのだが)。

ギャグマンガとはいえ、ちゃんと歴史を調べた上で描かれているのだが
歴史の研究書ではなく「お話」なので、もちろん、そこには作者なりの「歴史解釈」や「人物評価」が入る。
わしはこの解釈や評価に好感を持っているので、楽しく読んでいるわけだ。


さて、ここでやっと、タイトルの話になる。
これは、作中での坂本竜馬の言葉。
以蔵とは「人斬り以蔵」のことである。
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2009年04月14日

前回の『帰郷者』感想文で、書き漏らしたこと

前回のエントリーでは、論の流れ(っていうほどたいしたものはないんだけど)から外れるので書かなかったのだが、気になった箇所がもう少しある。
その一つが、全体主義について。

これに関してはまだ考えがまだまとまっていないのだが
考えを整理するために、考えている過程をメモ。
なので、前回にも増して「独り言」ふうです。

283pより。
 ぼくは講演のなかでド・バウアーを挑発したいと思い、ハンナ・アーレントと、全体主義的思考についての彼女の定義について話した。ド・バウアーが彼女を好きではないことは分かっていた。彼女の定義によれば、全体主義的な思想家は、事実とは任意に作り出せるものであり、操作可能だと考えており、それゆえ事実を非常に軽視している。ぼくはこの定義がド・バウアーにも当てはまると考えていた。彼も事実を任意に解釈可能と見なしていないだろうか? ハンナ・アーレントの定義は彼を、気味が悪くなるような一隅に追いやるのではないか?
(強調は引用者による)

このハンナ・アーレントの定義は、かなり興味深いと思った。
逆もまた真なり、とは限らないが、このことに関しては、逆に
事実とは任意に作り出せ、操作可能だ
という考え方は、全体主義につながりやすい

ともいえるのではなかろうか。

民衆一人一人の生活、思想、心情を、本人以外の「誰か」が利用する。
しかも、一つ一つの事例は「そんなに大きな問題ではない」として深く吟味せず、自分に都合のよい「流れ」に合うよな事例のみをピックアップする。
または「流れ」に合うように、事例を「解釈」する。
そして、自分の望む「流れ」を大きくしていく。
「誰か=権力者」ではなくても、
こういった行為をヨシとする風土が、全体主義を生み出すのではないだろうか。

そして、また、こういう「流れ」をつくるのがうまい人がいて、それが、ド・バウアーなんだよな。

ぼく=ペーターのこの講演を聞いたド・バウアーは―――。
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2009年04月06日

知的遊戯としての悪と正義―――『帰郷者』

先々週の木曜日に、いつ以来か忘れるぐらい久しぶりに熱を出した。
仕事を潔く諦め1日に22時間ほど眠ったら、熱は1日で下がったのだが、どうも大変にしつこい風邪らしく、未だに鼻の奥から喉にかけてねっとりしたものがまとわりついていて、大変に不快だ。

それと同種の不快さを味わわせてくれたのが、これ。
『帰郷者』という本である。
世界的なベストセラーとなり、映画化されるらしい『朗読者』の作者ベルハルト・シュリンク、11年ぶりの長編新作。

主人公が少年時代に祖父母の家で見つけた小説は、結末部分が欠落していた。
シベリアから決死の思いで帰郷した兵士。
やっとたどり着いた我が家で出会ったのは、懐かしい妻と見知らぬ男、そして二人の子どもだった。
その後、兵士はどのような行動に出たのか。
主人公は結末を知りたいと思う。

主人公の人生と、彼が結末を知りたいと思う小説の世界はオーバーラップし、そこに、ドイツの近現代史がからんでくる。
出発はミステリー作家だったというだけに、なかなか凝ったストーリー展開だ。
ちょっと盛りだくさんすぎる感はあるが、てんこ盛りの内容をそれなりにうまくまとめた小説だと思う。

だが、最初のほうから微妙に不快なのである。
どうも私が不快に感じてしまう「ツボ」が満載されているようなのだ、この小説の中には。

以下、自分が不快に感じてしまった理由をしつこく考えてみる。
なお、かなりネタバレですので、今後ストーリーを楽しみつつこの本を読もうと思う方は、続きを読まないようにしてください。
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2008年11月09日

「そのキモチ分かる!」って、ホントか、自分?―――『学校の青空』

ブログを放置したまま、ここ数日、バーッと買いだめした本をドーッと読み続けていた。
なのに、まだ『沖縄ラプソディ』まで手が伸びず、本棚に置いたままです。
ごめんなさい、ごめんなさい、nagonaguさん。


先ほど読み終わったのは、角田光代の短編集『学校の青空』。
小学生〜高校生までの女の子が一人称で語る短編が4編、収録されている。
漠然とした不安や不満、恐怖、焦り、などなど。
どれも、自分でもよく分からない感情が、よく分からないままに放り出されたような作品で、分かったふりをした結末がないために、かえってリアル感がある。

うまく言葉にできない感情、「なぜ、そんなことをしたの?」と聞かれても、自分でも絶対に答えられない行為。
こういうことってあるなあ、元女の子として分かるなあ、こういうキモチ。

と思ったのだけれど、その一方で。
なんか、私には絶対に分からないキモチもここには混ざっているような、そんな気もする。

で、その分からないキモチってなんだろうと考えてみると、それは
「一人でトイレに行く恐怖、一人で弁当を食べる虚しさ、一人で廊下を歩く寂しさ」みたいなもんなんじゃないかあ、と、思った。
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2008年09月22日

いろいろ読んだ。その3―――レイ・ブラッドベリ『趣味の問題』

誰も期待していないだろうが、実はまだしつこく続くのであった、「いろいろ読んだ」シリーズ(笑)。

その1、その2と、やたらと分量の多いものを紹介して疲れたので、今回は短いものをご紹介。
レイ・ブラッドベリの短編集『猫のパジャマ』より、「趣味の問題」という一編を。

謎のくにゅくにゅに飲み込まれて。
ちょっとずつ違ったたくさんの。
などというわけの分からない「別世界」の話が続いたが
今回はオーソドックスなSFなので
オーソドックスに「別の星」の話だ。
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2008年09月18日

いろいろ読んだ。その2―――スティーブン・キング「ダークタワー・シリーズ」と『リーシーの物語』

町田康(とか、笙野頼子とか)の小説は、ストーリーを追ってどうのこうの、というものではないので、へっちゃらであらすじ紹介をしてしまうのだが。
スティーブン・キングでこれをやったら、怒る人が多いだろう。
というか。
私だったら怒るね、自分が読んでいないキング作品のストーリーを紹介されたら。
稀代のストーリーテラー=スティーブン・キングの作品は
「次はどうなるんだろう、ワクワク」と読むのが、正しい。

なので、今回はできるだけストーリーに触れないように気をつけます。
書きたいのはそれぞれの作品のストーリーではなく、スティーブン・キングの世界観みたいなものなので、それでも支障はきたさないし。

とか言いながら、昨日のエントリー
このラストが、スティーブン・キングの「ダークタワー・シリーズ」と、かぶるのよ。
って、書いちゃったのよね(汗)

町田康とスティーブン・キングの両方を読む人は少ないと思うけれど
「これからダークタワーのラストを読もうと思ってたのに。『宿屋めぐり』とかぶるとなると、ラストはああなるわけだな!!」
と思ってしまった方がいらっしゃったら、本当にごめんなさい。
すみません、すみません、すみません・・・。

では、気を取り直して。
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