今年1月から4月にかけて行った当会の古墳分布調査で、どうもただ事ではなさそうな発見が相次いでいます。
既に、全国最大級の可能性がある「纒向型前方後円墳」地形が見つかったことについては、先のブログで紹介しましたが、それ以外にも次々と興味深いものが出てきているのです。
その1つ目が「大東第1号古墳」です。
この古墳は「大東古墳」として既知のものですが、昨年の当会の活動で、大東に複数の古墳が存在することが確認され、市教委との相談で第1号と改称することになったものです。
昨年発刊した『大東古墳群』でも取り上げたように、「径11.5mの円墳」とされていますが、弥生墳丘墓と推測される「大東第2号古墳」によく似ていることから、第1号も弥生墳丘墓ではないのか?、との疑惑が浮上し、この度、第1号周辺を広く整備して地形を確認してみました。


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これまでは、向こうに見える円丘のみを草刈りしていた


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今回の整備後!(東側)
  やはり第2号と同様、円丘から北に前方部様の地形が延びていることが判明


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(西側)


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北側の尾根上から


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北側の尾根上からズーム


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前方部?側から


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後円部?側から


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尾根と前方部?の区画と思われる部分をズーム


径11.5mの小円墳とされていた古墳ですが、円墳の北側が尾根と繋がって前方部様に延び、その先で尾根とわずかですが溝で区画している様な地形になっています。前方後円墳の様に見えなくもありません。
そこで、地形を測量してみました。



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昨年「大東大仙山古墳」で測量を習って以来、これで4基目の古墳測量。
手際も良くなり、実質2日間で終了


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「大東第1号古墳」地形測量図(等高線間隔25㎝)
  ※清書ではないので、現時点では低解像度で。
赤破線は推定復元ライン、緑破線(左上)は石敷きの遺構


測量図にも南北軸の前方後円様の地形が現れました。前方後円「様」と表現するのは、実際には推定復元ラインのように墳丘裾が明瞭ではなく、特に前方部?については、尾根との区画溝らしき凹みがなければただの尾根で、前方後円墳とは言いにくいからです。
 全長約30m
 後円部? 径約18m、高さ約2.5m
 前方部? 長さ約12m、高さ約1~1.5m
といった規模が推定されます。
墳丘はベタッと低く、古墳というより弥生墳丘墓に近い印象です。
また、測量中に墳丘斜面で次々と土器片が見つかりました。後円部?全域は勿論、前方部?の斜面にもありました。

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写真以外にも多くの土器片が散乱していました。専門家に見て頂いたところ、弥生後期の土器片ということでした。ただし、墳丘表面に散乱する土器片が必ずしも墳丘に供えられたものとは言えず、弥生時代の遺跡を改変して古墳が造られた可能性もあるとのことです。
また、墳丘表面には川原石も数多く見られます。


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ほとんどが5㎝以下の小石


この山の石ではなく、人為的に持ち込まれたものとみて間違いありません。
さらに、興味深い遺構があります。


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後円部?の裾から南東方向に、石敷きの少し盛り上がった地形が10m近く延びている


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緑の所


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この石は地山の石で、拳大のゴツゴツしたものがほとんど


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緑の所


測量図でも石敷きの膨らみが現れています。一体何なのか定かでありませんが、何となく凝った造りという印象を受けます。
立地は備後・備中の国境、現在も広島・岡山の県境の尾根上で、標高約130m、麓からの比高約100mとそれ程高くはないですが、眺望は極めて良好な地点です。


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東は高屋から井原市街が


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西は御領から神辺が見晴らせる


現状では雑木が多く見通しにくい状況ですが、岡山県井原市から広島県福山市神辺平野まで広く意識した立地であることが窺えます。
ということで、現時点では断言できませんが、可能性として「大東第1号古墳」は、弥生後期の前方後円様の弥生墳丘墓があるわけです。

これが1つ目の発見です。