2006年10月29日

自力整体で生涯すこやかに

来月は高知市内で、自力整体関連のふたつの企画があります。

1 2006年秋冬市民講座/LOHASなくらしを楽しむ
「自分でできる、心と体のメンテナンス 〜自力整体できれいになろう〜」
ロハスなくらしは自分の心と体の声を大切にします。自力整体はヨガや東洋医学に基づいた簡単な運動です。体のゆがみを整えてリラックス、ストレス解消をしましょう。

11月5日(日)10:30〜12:00/高知市文化プラザ かるぽーと 9階和室
講師:自力整体指導員 外京(げきょう)
受講料:700円
お問い合わせ、申し込みは・・
(財)高知市文化振興事業団 企画事業課「市民講座」係
        電話:088−883−5061
(この企画は、社会実習中の高知大学生が企画しました)


2 女性の健康支援講座
「自力整体で生涯すこやかに」

11月12日(日)10〜11時半/男女共同参画センター ソ−レ 4階和室
 ?はじめの一歩?はく息を意識しよう?
すう息より はく息のほうが、こころとからだをゆるめてくれるのを知っていますか?
ゆっくり静かに息をはきながら、疲れたこころとからだをほぐしていきましょう!

11月19日(日)10〜11時半/男女共同参画センター ソ−レ 4階和室
 ?つぎの一歩?からだの声がきこえますか?
ご自分のからだのどこから悲鳴があがっているか 耳をすましてみましょう。
どこをどうすれば からだが喜ぶか、からだと対話しながらほぐしていきましょう!

12月3日(日)10〜11時半/男女共同参画センター ソ−レ 4階和室
 ?しめくくりは?指圧のこころは母心?
ヨーガに東洋医学の知恵をたして、ご自分の体重でからだの洗濯をします。
いつでもどこでも工夫しだい、こころとからだに氣をめぐらせましょう!

参加費:1回500円(要予約)
  からだをひねりますから、できるだけ空腹にちかい状態で、
  大小2枚のタオルをご持参のうえ、運動のできる服装でおこしください。
  お問い合わせは・・TEL&FAX:088-844-2101 自力整体指導員 外京(げきょう)
この講座は、(財)こうち男女共同参画社会づくり財団が会場と広報の協力をしています。
駐車場が狭いため当日は公共交通機関をご利用ください。
  
Posted by geki716 at 19:59Comments(0)TrackBack(0)自力整体

2006年10月25日

移動しました

「高レベル放射性廃棄物を地層処分」関連の記事は移動しました。
新しいブログでは、このテーマに集中して投稿していきますので、こちらもごらんください。

 それがたまるか!! 〜土佐の高知に「核のゴミを埋め捨て」かえ!?〜
  

2006年10月21日

ローレン・モレさん講演会の報告

今夜のローレン・モレさん講演会を報告いたします。

参加票の集計は、
高知市22、南国市3、土佐市2、四万十市1、春野町1、梼原町2、津野町4、香美市(土佐山田町)1、いの町1、松山市1/10市町、38名でした。
でも最初に参加票を忘れていたし、私、いの町のご夫婦、檮原から駆けつけてくださった彼女も「書いてない」ので60名ということにしておきましょう。
200人は集まると期待したのですが・・・まだまだ、遠い道のりです。

でも、新鮮なお話が続きました。夕食会でさらに深まったお話までまとめてご紹介します。
1 米国では「地層の90%をつくるバクテリア(土壌細菌叢)が金属を喰うので、地層処分はできない」というワシントンDCの連邦裁判所の判決があり、地層処分は中止、ユッカマウンテンの職員は解雇された。バクテリアも放射能で死滅するのではないかという疑問に対して、人間はデリケートだけれどバクテリアは不滅、影響を受けないそうです。(このあたりは2月の「いのちの食育シンポジウム」の情報が関連しそうですね)
2 キャニスターは水から隔離されないと安全は保てないが、雨水の浸透や、縦穴自体が導管となるのだから、地層処分は危険。ましてや地震の頻発する日本では地下水がどれほど接触するか、火山活動があれば温泉が沁みだす・・正気の沙汰ではない。
3 日本の原子力技術はすべて米国を手本として検証しているのに、地層処分だけは独自のごりおし。
4 日本は原子力発電所用の核燃料を米国に依存している。米国は、その日本の原子力発電所用に濃縮した核燃料の残りのゴミを材料にした安上がりの核兵器、劣化ウラン弾をイラクやユーゴやアフガニスタンにばらまいた。劣化ウラン弾を使って以降、どれだけ地球の放射能汚染が進んだか・・・
5 放射能汚染については証拠がある。こどもたちの乳歯に、核分裂連鎖反応でしか生じないストロンチウム90が蓄積している。千葉県・松戸市のこどもにくらべ、静岡県・浜岡原発周辺のこどもでは明らかに原発の放射能汚染の影響が認められる。
6 「原子力発電開発の目的はたったひとつ、核兵器開発のため」これを伝えたくてモレさんは、米国が広島・長崎に原爆を落とした日本を全国ツアーしている。「核兵器はペンタゴンのため、ペンタゴンは石油のため」これがアメリカの実態。ペンタゴンは、ローレン・モレさんの書いた文章を片っ端から消滅させている。彼女はそうされることによって、彼女の語ることが事実である証ととらえる。
7 原子力発電がなくても、太陽エネルギーを利用すればいい。太陽光、風力、TIDAL POWER(潮流の力)、ほかにもたくさんある。
8 原子力産業の背景には何があるか。英女王、ロスチャイルド家・・この閨閥図を日本人が大きな厚い本に書いていた(先の日曜日に高知で講演していただいた広瀬隆さんの『赤い楯』上下巻のこと。彼女は今夜初めて、著者名を知った)。古い英国の資金力は世界の富の50%を占め、世界の動きを牛耳る。彼らには、人種差別思想が強いから、米国先住民族の土地を奪い、中東を破壊し、中国を阿片で破滅させ、いま日本、中国、韓国、台湾の4虎(FOUR TIGERS)を原子力という阿片で亡ぼそうとしている。

以上。

 核廃棄物地層処分に警鐘 米地質学者が講演 高知大
 
ユッカマウンテンは「核のゴミ」の最終地点になるか?
 
全文和訳JapanTimes「日本の原発ロシアンルーレット」
  

2006年10月16日

高レベル放射性廃棄物について学ぶ講演会

15日の高レベル放射性廃棄物の講演会は、
広瀬隆さん、小林圭二さんの連携講演プラス岡山の石尾禎祐さんの飛び入りで、
高レベル放射性廃棄物地層処分の危険性ばかりか、背後にある再処理、プルサーマル問題を丁寧に解説する内容でした。
原子力依存エネルギー政策の誤りと、燃料電池(家庭用発電機)の試行段階をご紹介いただきました。

280席を埋めることはできませんでしたが、
おかげさまで広く県下各地域から参加していただいた参加票を、市町村別に集計しました。

東洋町5、田野町1、香美市3、香南市3、南国市10、
大月町1、四万十市1、四万十町3、梼原町1、中土佐町1、本山町4、
津野町4、須崎市7、佐川町1、土佐市4、春野町2、日高村1、いの町6、高知市78/ここまで県内19市町村136名。
県外は、松山市1、徳島市2、吉野川市2、阿波市1、鳴門市1、上板町1、岡山市2/7市町10名。
不明10。
合計26市町村156名でした。

これほど広汎な地域からおいでいただけて、ほんとうに嬉しいです。
高知県民がひろく連帯していく端緒になることでしょう。
また、県外への連帯の広がりもありがたいことです。

*****

感想より
・津野町での小出さんの講演会、昨日の『六ヶ所村ラプソディー』の上映、そして今日ここで、すべてにつながりがあり、たんなる直感ではありますが、とにかく今の原発もみんなで止めることができるのではないかと思いました。でも、もう、たまりにたまった核のゴミを捨てる場所はどこにもないんですよね。(50代)
・処分のできないものはこしらえてはいけない。代替エネルギー手段を1人1人が真剣に考え、補助金で地域を売り渡すのではなく、地域を大切にして地域の経営に関与する市民にならないといけないとつくづく思いました。(50代男性)
・未来志向が現実を変えられるという希望をいだき確信しました。少しでもいい方向にできることから進めてゆこうと思います。津野町のニュースを最初にきいた時、本当にびっくりしてどうすればいいのかと思うだけでしたが、実行力のある人々の動きの速さに感服するとともに、何かできることを自分もやりたいと思っています。(50代女性)
・国土は民衆の物であると確信します。金ではない命である。金はすぐ無くなる。原発の廃棄物は半永久的であり、未来の子供達を殺すものである。未来の人間に聞いてみよ、為政者達に憤慨します。公害のない新しいエネルギーにできると思います。(70代女性)
・「身近な所だから反対」「遠く離れた所なら関係ない」という思いをもたず、しっかりと学び考えていく必要がある。原子力発電を止めない限り、廃棄物はどんどん排出されるということをしっかりと認識し、反原発の機運を高めていかなければならない。(30代男性)
・とても考えさせられました。自分の生活、将来。自分の考えをしっかり持って行動しないといけない。(50代女性)
・市町村長の挙手のみで応募可能はショックです。(50代女性)
・決定権が地方首長にだけあるのはおかしいことです。(70代)
・一言ではとても!!! 今日わかったことを周りに知らせます。(30代女性)
・多くの人が知らないことをお知らせくださいました。国民は国のしている事を知らなさすぎます。大切な事は日本の国は知らせない国です。私たち一人一人が知る機会になりますように。無関心でいないように知る事の権利を守りたいと思います。(60代女性)
・放射性廃棄物についての認識が甘かったのが判り大変よかった。「反対派」と「賛成派」の二極ではない。無関心や情報がなく動かない人達がいる。それらの人達に多くの情報をあげてください。(30代男性)
・専門的見地からの知識・資料を多く教えていただき参考になりました。また、ごあんないください。ありがとうございました。(40代男性)
・知らないことはおそろしい、こんなキケンな物を・・・国民をだまし続けて高知県に狙いを定めて持ってくるとは一体何事! いつ地震が起こってもおかしくない時に何故?どうして! 電力使用量の多い関東関西方面にそんな話はひとつも出て来ないのは何故でしょう? 高知はお金もなく貧乏でもいい。この自然を百年先まで守ってほしい。危険な物を抱えるのは沢山!!です。(60代女性)
・(原発を止めても)東京が停電しなかったことは、他の原発も含め電気をまわしたこともあったはず。揚水発電の無駄や、ほぼ火力水力でまかなえる現実、電気の消費を伸ばして原発を継続したい国の姿勢等を話してもらいたかった。(30代)
・久し振りに広瀬さんの顔を見て懐かしかったです。(50代男性)
・原子力発電の危険性が少し理解できて良かったと思います。こうした学習会をひんぱんにやるべし。(50代)
・とりかえしのつかなくなる前に、もっと一般の人達にことの重大さを知らしむべきです。高知のマスコミは眠っている。役目をはたしていない。大きな力に(スポンサー)に保護されないとやっていけないのか。(50代女性)
・メリット、デメリット双方をあげるべき。反対集会にしかならなかったのは残念。財政比較分析表(16年度決算)では、津野町財政力指数0.15(類似最低0.14)です。どこが良いのか分かりません。(30代男性)
・他の国策との関係も論陣を張るべきだと思う。(50代男性)  

2006年09月28日

核廃棄物施設は毅然として拒否を

 けさの高知新聞投書欄に掲載された私たち同志の文章をご紹介します。

核廃棄物施設は毅然として拒否を

 津野町で核廃棄物処理施設応募の動きがあるという記事は私を驚かせ、初めて津野町へ行ってみました。山青く、水清く澄み、橋の上に立って瀬音を聞いていると心が休まります。丘の上には維新の志士、吉村寅太郎の銅像が立って町を見詰めていました。交通不便なあの時代に日本を革新しなければとここから立ち上がったのです。町の入り口には「四万十川源流の町」と大きく書いてあり、町の人たちも日本の原風景としての誇りを持って暮らしておられるのでしょう。
 野田知佑氏はカヌーで日本中の川下りをしてみて、四万十川こそが日本一、日本の原風景だと書いています。山紫水明の四万十源流へ「中枢性死』をもたらす廃液を持ち込めば、この町だけでなく高知県が苦しみ続けることになるでしょう。どんなにお金を積まれても毅然(きぜん)として拒否してもらいたい。このことは津野町だけに任せることはできません。
 東洋町でも応募の動きがあることを知り、原子力発電環境整備機構が高度経済成長に取り残された高知県を狙っていると思われます。貧しい県だからとお金をちらつかすのも許せないことです。「なめたらいかんぜよ」というせりふを県民全体が心に秘めて原環機構に立ち向かう時です。
 私はこの夏も洗剤を使わずに塩と水で衣服や体を洗いエアコンなしで過ごしました。高知県民は、質素、素朴で、無駄なエネルギーを使わない暮らし方を工夫し、急流の美しい川が何本もあるかけがえのない県土を守りきる気迫を持ちたい。(75歳女性)  

2006年09月19日

相手を知る

東洋町で新たな動きがありました。
今日午後開催された高レベル放射性廃棄物最終処分場応募をめぐる非公開の協議会で、
1 9月末に住民代表への説明会
2 10月上旬に町民を2地区に分けた住民説明会
3 住民が説明を納得したら、文献調査を受け入れる
との日程と方針を決めたそうです。
推進派は文献調査段階でも概要調査段階でもいつでも引き返せると受けとめています。
ある住民は「げんに溜まっているごみを、どこかが受け入れなければ、六ヶ所村が気の毒だ」と言っています。
原環機構の、人々の純朴さにつけいる遣り口にいらだちを抑えることができません。

相手を知るための情報として
原環関係者のホンネが出ている貴重な記事です。
最終処分誘致検討の自治体次々と (東奥日報:9月17日)

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/20060917141930.asp

  

2006年09月17日

梼原町からのメール

支援してくださっている皆様へ

 昨夜は、大変お忙しい中、また遠方のところ、小出先生の講演会にお越しいただき、本当にありがとうございました。いつもメールで励ましていただいている皆様とお目にかかることができ、とてもうれしかったです。あわただしくゆっくりとお話しすることができず、残念でしたが、講演会の様子とその後の石尾さん、小出先生との懇親の場の報告も含め、メールさせていただきます。

 空港で小出先生をお迎えし、休んでいただく間もなく、会場にお運びいただきました。小出先生が「このことを(町執行部や議員だけでなく)みんなで議論できるようになったことは、もう勝ったようなものですよ、まあ最後まで油断はできませんけどね」とおっしゃっられ、援軍を得たような安堵の思いがしました。
 昨夜の講演会の参加人数は正確には把握できていませんが、用意した資料300部、あわてて追加した80部がすべて出てしまいました。会場が手狭で、ホールから聴衆の皆さんがあふれてしまい、ご迷惑をかけました。
 講演は、すばらしいもので、小出先生と岡山の「放射能のごみはいらない!県条例を求める会」の石尾さんが、明快でわかりやすくご説明いただきました。’68に小出先生がこれからの原子力に夢をもって大学にお入りになり、その後、日本の原子力政策の危険性を指摘するお立場になられたことに胸が痛むような思いでした。橋本知事の「地方を疲弊させた上、札束をばらまくような国の原子力政策を考え直すべき」という先日の発言もスライドに取り入れて、先生も同感であることをタイミングよく地元に伝えてくださって、聴衆の皆さんが「おお」と声を上げていました。
 石尾さんや岐阜の仲間の方が最高裁まで争い、情報公開にこぎつけ、また、高額の手数料を支払う羽目になられたりした貴重な資料を、会場で初公開してくださり、予定地の鈴が森は地元に無断で行なわれた調査で「不適」となっていることを説明いただき、えーっという声が聴衆から聞かれました。旧動燃と国が処理場建設を前提にした調査を地元に情報公開せずに水面下で実施していたこと、しかもその結果、処理場として適さないとされている鈴が森なのに、津野町に応募を持ちかけたのは国・原環機構の欺瞞ではないかと感じました。こういった情報を公開してくださった勇気に本当に頭が下がるとともに、地元外の皆様の根気強い努力が、私たち地元を守ってくれていることに、感謝の思いでいっぱいになりました。資料を200部もご用意いただき、また、大きく複写したものも展示してくださって本当にお世話になりました。須崎市議会の方など、資料が回らなかった方たちからぜひほしいと言われていますので、またよろしければこちらでコピーを回させていただきます。
 また、石尾さんが、廃棄物処理場をはねつけ、町おこしに転じた上五島の例も紹介してくださり、津野町のこれからの方向にも示唆をくれていました。あとで伺うと橋本知事が「反対する動きにも《単に危険だではなく、もっと地域に密着したまちづくりの提案が必要だ》と注文を付け、原子力政策や地域づくりを総合的に検討した議論が不可欠との考えを強調した。」との報道を大事に受け止めてとのこととお聞きし、きめ細かい配慮に感心させられました。
 ある実行委員さんが、「放射能が永久に漏れることのない完璧な容器に入れて埋設するのなら、埋めてもいいのではないか、そこのところがよくわからなかったが、小出先生はどう考えられますか?」と質問に立たれました。ご自分はもちろん、どんな地殻変動や地下水にも耐え、放射能が永久に漏れないような容器はありえないと考えておられるのですが、聴衆の皆さんが原環機構に「十分な容器に守られているから埋めても大丈夫」と聞かされていることを小出先生の口から覆していただくために、あえてなさった質問でした。聴衆の中には「そんな完全な容器なんかあるわけない・・・」とその質問に反発する声も聞こえていましたが、小出先生の発言を引き出すために自分を捨ててあえて質問した勇気と知恵に大きな拍手を送りたいと思います。この方はまた、資金的にも大きな貢献をしてくれているそうです。
 聴衆のみなさんは熱心に聞いてくださって、津野町の方から下記のような感想が寄せられていますので紹介します。

わかりやすいお話でした。あらためて核の恐ろしさを学びました。津野町に持ち込まないため、原子力発電をやめていく1歩をここから踏み出して行けたらと思います。

小出先生のお話、良くわかりました。恐ろしく身震いする気持ちです。津野町の住民としてほんとに恥ずかしく思います。絶対反対していきます。よろしくお願いいたします。津野町姫野々主婦

限りなく愛する郷土に高レベルの放射物質を導入することは子々孫々まで百年の恨みを残すと思います。私たちの時代にこれを許すことはできません。原子力の本当の怖さが身に沁みた思いです。

高レベル放射性廃棄物処分場を津野町に、四国に絶対作ってはいけない。よく分かりました。町民がぜったいはんたいしなくてはいけない。

 講演会には推進派の津野町議員の方も何人か来ていただいていました。また、近隣の市町村からの議員も多く来ていました。(四国電力から数名私服姿で来られる予定だとも聞いています。)

 ある方の表現によると「鬼瓦のような」表情で講演を聞いていた推進派の津野町のある議員が、「文献調査などわざわざこれから行なわなくても、何年も前にすでに旧動燃が秘密裏に三菱金属(株)にさせていて、しかも鈴が森は、断層だらけの砂岩で、水資源の点、上流まで集落が存在する点で処分場として不適との調査結果となっている」と当の資料も提示しながら石尾さんが指摘されたのを聞かれた瞬間、さっと顔色が変わられたそうです。おそらく原環機構からはそんな情報は聞いておらず、欺かれたと気づかれたのではないでしょうか?その後、石尾さんの方にその議員から、直接説明に来てほしいと申し入れがあったそうです。別の推進派の議員は「これからは村おこしで行きます」と発言されたそうです。

 講演会はおかげさまで成功裏に終えることができました。実行委員会が手弁当でここまでこぎつけることが出来たのも支援してくださる皆様のお力のおかげです。一連のことに携わらせていただいて感じることは、「住民」のパワーと支援の「水平ネットワーク」の存在のすばらしさです。 そして、取り組みが正しければ、結果はきっと付いてくるという懇親会での石尾さんの言葉に深く動かされました。よく勉強され、努力され、高いモチベーションを保って「官」ではない新しい「公共」のためにいきいきと働いておられる皆さまとおつきあいさせていただき、私もそうありたいなと強く思いました。

 降って沸いたこの問題に夢中になってしまったこの2週間でした。処理場誘致に待ったをかける方たちが地元で大きな潮流になってきたのを見届けることができましたので、これからは本業の方とのバランスをもっと取って短距離からマラソンに切り替えて取り組んでゆこうと考えています。

 本当にありがとうございました。

追伸 

「DAYS JAPAN」 http://www.daysjapan.net/ という写真報道家の広河隆一さんが中心となって発行しているフォトジャーナリズムの月刊誌の編集部の方がブログを見て寄稿依頼をくれました。その時々に起こっている問題を現地の人に報告してもらう「現場から」というコラムで、周辺に生活する地元住民という立場から「四万十川の核廃棄物処理施設について」書いてほしいとのことです。山下さんが書いてくれることになりましたので、報告します。10月20日発売の11月号に掲載との事です。  

『源流と核廃棄物〜小出裕章さん講演会〜』

 津野町に対するメール、高レベル放射性廃棄物最終処分場応募問題についての投書で応援してくださったみなさん、ありがとうございます。

 昨夜は津野町に行ってきました。『源流と核廃棄物〜小出裕章さん講演会〜』です。
会場は大盛況で、私たち町外住民は補助椅子を運んで並べたり、300準備した資料が足りず補給したり・・たのしい汗をかきました。
また、懐かしい顔、メールや電話だけで初めて顔を合わせる仲間たちにもたくさん出会え、感動でした。
隣町檮原町で小さいお子さんふたりの育児と常勤のお仕事をしながら講演会準備を進めて来られた素敵な女性、大方町で今月末に開催される『ヘンプギャザリング』準備で大忙しのなか駆けつけてこられたみなさん、窪川原発反対運動に関わって来られたみなさん、地元津野町の実行委員会のみなさん、報道のみなさん・・・などなど。
 20年ほど前の窪川原発反対運動の中心にいた人物が、住民が会場を満たしていくのを見ながら、
「おう、この雰囲気じゃ」「ええのう、血が騒ぐぜよ」と言うのを聞いて私も血が騒ぎました。
 小出さんのお話は、エックス線発見から始まり、チェルノブイリ事故で世界に死の灰が飛散したこと、原子力発電で生じる死の灰の量を広島原爆の死の灰の量と比較する・・とてもわかりやすい内容でした。
岡山の石尾さんは、畳1畳分ほどに拡大したM-2地区(高知県西南部)の地図で、詳しく調査された地形状況と狙われた候補地を示してくださいました。
 時間内に質問できなかった住民のみなさんが、小出さんを取り囲んでひとりひとり質問していました。
 会の後、津野町住民のおひとりが、
「(津野町町会議員さんたちは)来るときは敵陣に乗り込むような険しい表情だったのに、帰るときは純朴な村のおじさんたちの表情になっていたので、ほっとした」と、嬉しそうに話して下さいました。

 会は大成功でした。
津野町のみなさん、支援して来られたみなさん、よかったですね!!
  

2006年09月14日

高レベル放射性廃棄物について学ぶ講演会

 財政基盤が弱く過疎・高齢化の進む高知県は「高レベル放射性廃棄物最終処分場」の候補地として狙われやすく、津野町、東洋町以外に、昨年までに明らかにされただけでも県下21地区ほどがターゲットになってきました。候補地として応募したら、高額の交付金とひきかえに失うものはないのでしょうか。
 清流四万十川流域は守れるのでしょうか。
 農業や漁業は風評被害にあわないといえるのでしょうか。
 放射能は地震の影響で地下水に漏れださないのでしょうか・・・
「高レベル放射性廃棄物最終処分場」の問題はけっして候補地だけの問題ではなく、高知県全体の高知県民の問題だと考えます。
 講演会では、『東京に原発を!』の広瀬隆さんと元京大原子炉実験所の小林圭二さんに、「そもそも高レベル放射性廃棄物とは何か」「高レベル放射性廃棄物をめぐって、いま何が起こり、何が起きようとしているのか」という事実と背景をお話いただき、地域おこしの望ましい姿を描きながら、ひとりでも多くの県民のみなさんと共に学び考えたいと思います。

 とき:10月15日(日)午後2〜4時
 ところ:高新文化ホール(260人収容) 高知市本町3丁目 高知新聞放送会館東館7階
  http://www.kochi-sk.co.jp/hall/ TEL:088-825-4321
 講師:広瀬隆さん(作家、『危険な話』『赤い楯』『燃料電池が世界を変える』ほか)
    小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師、『原子力発電の安全性論争』『高速増殖炉もんじゅ』ほか)
 資料代:500円
 主催:高レベル放射性廃棄物について学ぶ講演会実行委員会
 問合せ先:同実行委員会
  

2006年09月06日

高知新聞9月6日の記事によると・・・

 高知新聞9月6日付け記事によると・・・5日付け高知新聞社会面の9段抜き記事「津野町で応募の動き」により初めて知った町民もいたようです。町の「ご意見箱」には約50件の反対意見が届く一方、推進派は200件以上の署名を集めた模様。周辺自治体の首長は、檮原町長、須崎市長、中土佐町長らこぞって反対のコメントを寄せています。逆に「周辺にとっても交付金や経済効果は魅力的」とする一部議員の声もあるとか。津野町長自身は「高レベル廃棄物や処分施設について知識がなくコメントのしようがない・・・」としたそうです。

 高知市では、さきほど、高知県原水禁と高知県原水協の方々からそれぞれ連絡があり、原水禁/原水協合同で11日に応募しないよう津野町に申し入れをする予定だそうです。「合同」というところが嬉しいですね。

津野町関連のURLをご案内します。
 『四万十源流と高レベル放射性核廃棄物最終処分場』
『はんげんぱつ新聞』 末田さんのHP 
  

放射性廃棄物と地域経済の疲弊

 9月5日付け本紙社会面に、津野町で高レベル放射性廃棄物の最終処分場候補に応募する動きが報じられた。また、同日夕刊では地域経済の疲弊の実態が話題になっている。
 最終処分場に応募すれば調査の段階でさえ億のカネが動くのだから、交付金目当てに地域の未来を売り渡すことになりはしまいか。現在稼働する55基の原子力発電所はすべて貧しい過疎の町に建った。青森県六か所村の再処理工場しかり。一方、核廃棄物受け入れ拒否条例をつくって拒否する自治体すらある現状では、津野町は後戻りはできなくなる恐れがある。
 高レベル放射性廃棄物とは、原子力発電所で燃え残ったウランとプルトニウムを再処理工場で取り出したあとの廃液。これを金属容器にガラスで固めて地中深く埋め込もうとするのが最終処分場。このガラス固化体1本分の発する放射能の強さは途方もなく、そばに1分間立っているだけで200シーベルトも被曝する。15シーベルト以上で神経損傷による死、100シーベルト以上で急性中枢性死をもたらす。そんなガラス固化体を4万本まとめて埋め捨てにしようという計画だが、まだ世界中どこも踏み切ってはいない。半永久的に埋めておくには危険すぎるからだ。
 まして定期的に繰り返す南海地震の危険地帯に、「地下深く埋めれば安全」といえるはずがない。
 問うべきは、後始末の方法すら確立させずに暴走し続ける原子力依存のエネルギー政策と、地域経済を疲弊させてなお「構造改革」を叫び続ける現政権の独善性ではないだろうか。

                               (高知新聞 9月6日投稿、9月9日掲載)  

2006年07月28日

共感する力

 野田正彰さん紹介(4) 共感する力

 7月20日(木)6時半から、「NPO法人 土といのち」と「平和を考える市民セミナー」の共催で、野田正彰さんの講演会を行ないます。
 いま政府は、まるで傀儡政権であるかのように米国のいいなり。憲法を改悪して戦争のできる国にしようとし、教育基本法を改悪して逆らわない国民を育成しようとし、政府のやりかたに抵抗する市民を共謀罪で弾圧しようとするなど、国家主義的傾向を強めています。 まさに、私たちのくらしを根底から崩壊させかねない状況ですね。こんなとき、野田正彰さんに、比較文化精神医学的観点から、この社会の問題の根っこを語っていただこうと思います。これ以上、社会的環境を悪くしないために、市民として私たちに何ができるか、何から始めればいいか、ご一緒に考えたいと思います。
 次回の打ち合わせは、6月23日(金)6時半から鷹匠町の市民活動サポートセンターです。準備から参加されたい方は、どうぞご遠慮なくお越しください。

 今回は、数多くの著作の中から『共感する力』と、雑誌「世界」に掲載された『閉ざされた不安から 開かれた対話へ』を重ねて、ご紹介します。

              **********

 人類も、採集狩猟生活をしていたころ、生きているもの、動くすべてのものに共感していた。アニミズム(自然界にさまざまな霊を認める思考)は人類の無力や不安から生じたのではなく、環境世界への豊かな共感力から生じたのではないか。・・・採集民は、植物の生長や枯死に深い共感力をもっていたのではないか。いつ陽光がさし、雨が降り、霧がかかり、土がしめれば種が芽を出すか。どのような柔らかい土から、何が育つのか。根をのばす植物、芋を大きくする植物、実をつける植物、それぞれの土の状態が違う。どのような風を受けて樹木は育ち、実をつけるか。・・・採集民は、植物の生長と枯死の気持ちがよくわかるので、とりわけよく知っている植物の傍らに居たいと思ったのではないか。こうしていくつかの植物の種に語りかけ、その植物にとって居心地のよい土を探し、光と風を求め、土中の種と共感しているうちに、原始農耕が始まったのではないか。・・・情報社会に至った今、いつか私たちは、捨て去られ破壊された共感力をもう一度取り戻したいと思うようになる。他者への愛、さらには他の生命への共感と共生を求めるようになるのではないか。(ここまで『共感する力』より)
 近代日本の多くの政治家は不安を煽り、不安の対象を・・朝鮮や中国、・・さらには無政府主義者・・に結びつけ、自らも不安に溺れ、危機のパフォーマンスを演じてきた。・・・国家、政府、権力者・・たちは、自らが拠って立つ集団構成員の幸福を考えること少なく、犠牲の死を強いることを常識とする。国民はそのような政府を変えようともせず、もし服従しない少数者がいても、彼らを抑圧する側に並ぶのを安楽だと考え、さらにはもの言わず自殺していく。これは近代日本の伝統に他ならない。
 弱者、敗者を無視する感情鈍麻は蔓延しているのではないか。不安を精神的エネルギーとし、緊張を隠した抑うつ気分が持続する限り、他者との交流、共感は難しい。・・・核戦争と同じく、「テロとの戦争に勝者はいない。ここでも対話が求められている。抵抗者たちの表層の主張の奥に深い怨念を聴き取り、それらを理解して整理し、彼らの思いが周囲と世界へ伝わる回路を創り、私たちもまた彼らの提起を受けとめていく、そんな対話が求められている。(ここまで『閉ざされた不安から 開かれた対話へ』より)     (土といのち7月号掲載)


引用文献:『共感する力』みすず書房 2004、『閉ざされた不安から開かれた対話へ』岩波書店 雑誌「世界」2006.2
  

2006年07月26日

戦争と罪責

 野田正彰さん紹介(5) 戦争と罪責

 いよいよ迫ってまいりました。7月20日(木)6時半から、「NPO法人 土といのち」と「平和を考える市民セミナー」の共催で、野田正彰さんの講演会を行ないます。前売券の手配はおすみですか。
 野田正彰さんは、高知出身の気骨あるかたです。高知新聞に坂東真砂子さんとの対談、7月6日夕刊には連載2回目が掲載されましたね。現在、関西学院大学教授として、阪神大震災を通して「豊かな国・日本」における災害のもたらす孤独死や住居も職もうしなう側面をとりあげるシンポジウム、広島・長崎から発信する平和学など、この社会特有の問題の根っこを分析する取り組みをされています。 
 講演会でも、この社会の今を語っていただけると思います。講演に耳を傾けることで、私たちの目の前に現実にある問題と私たち自身の内面に眼を向け、ひとつひとつ解決していく方向性を探れたら、と願っています。そして、これ以上、この社会を悪くしないために、市民として私たちに何ができるか、何から始めればいいか、ご一緒に考えたいと思います。

 今回は、数多くの著作の中から『戦争と罪責』、『対論・日本のマスメディアと私たち』を重ねて、ご紹介します。

              **********

 確かに戦争は半世紀も昔の出来事となり、核兵器廃絶を願う平和運動はある。だが、個人を尊重せず、集団に過剰適応しつつ競争心を抱き、上下の関係にこだわる文化はそのままだ。・・・人間性を奪い、業績や昇進へと駆りたてる文化は変わらない。・・・被抑圧者の苦しみに無感覚だった侵略戦争時(1931年の満州事変から終戦までの15年戦争期)の日本人の精神と、どれだけ違っているといえるだろうか。人々を幼少時から競わせ、羨望と屈辱の関門で攻撃心を高めさせ、それを組織された力に変えるメカニズムは同じではないか。・・・いつしか私は、侵略戦争を直視せず、どのような戦争犯罪を重ねたかを検証せず、否認と忘却によって処理しようする身構えが、いかに私たちの文化を貧しくしてきたか、考察してみたいと思うようになっていた。それも、罪の自覚と共に戦後を生きてきた少数者の精神を通して、多数者の影を浮き上がらせてみたいと考えたのである。・・・こうして私は、貴重な罪の意識を求めて、砂金洗いのような聞き取りを始めた。・・・戦争にかかわった日本人の罪の意識を掘りおこし、その分析を精緻に行なうことによって、私たちは二十世紀の意味をアジアの人々に伝えられる。今なお残された罪の意識こそは、私たちの貴重な文化であり、罪の意識を抑圧してきた日本文化のあり方を通して、私たちは自分の内面の顔を知ることができる。(ここまで『戦争と罪責』より)
 話をイラクにつなげますと、こういう危機的な状況のなかでは、体制順応的な人々は、アメリカとの安保体制を補完しながら日本は生きていくしかないと考えています。そのために愛国心と国家主義の枠のなかに若者を縛りこんでいくのが一番いいと、いつも国家志向の発想から考えている。けれど、若者たちの精神状態は、砂のようにばらばらで乾いていますし、人間関係も稀薄になっています。・・・日本の近代では「絶対矛盾の自己同一」なんていうことを平気で考えた。日本的国粋主義なのに、米軍の基地があるのはおかしいのではと指摘しても、何を言われているかわからないでしょう。(笑い)・・・社会が抑圧をかけているときは、その抑圧を分析し戦うなかでしか、治らないのですよ。  (ここまで『対論・日本のマスメディアと私たち』より)      (土といのち8月号掲載)

引用文献:『戦争と罪責』岩波書店 1998、野田正彰×浅野健一『対論・日本のマスメディアと私たち』晃洋書房 2005
参考文献:浅野健一『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』株式会社スリーエーネットワーク 1997  

あすを開く対話

野田正彰さん講演会『あすを開く対話』報告

 昨年秋、野田さんの『虚仮(こけ=表と裏で実相が違っている、うそ)という社会病理』という高知新聞記事を読み、生のお話を聴きたいと考えたのが発端でした。それから20冊余の著作を読み、ますます感銘を深めました。精神科医から転じて社会や文化に病理を探る生き方をされている野田さんを、私は『日本の魯迅』と憧れ、今回の企画を通して飾らないお人柄に触れ『仲間』だと思いました。
 当日7月20日は雨模様にもかかわらず232名+スタッフ20名の盛況でした。会場には女性しかも働き盛りの年齢層が多く、雰囲気が違いました。いつもは硬派代表のような話しっぷりの野田さんなのに冗談が出たり、会場から笑い声やため息が聞かれたりで、常連は驚いていました。
 講演の内容は、異質なものを排除し同質なものだけで安心してきたムラ社会から、黒船以降、欧米列強に追いつき追い越せと不安を煽り競争を強いる近代日本へと移り、その延長線上にある現代日本社会や文化を、人間ひとり一人の可能性をひきだそうとするアイスランドの社会や文化と対比させ、高知県の財産は人間だとしめくくるものでした。
 感想に「高知で何かができる」というメッセージが散見され、嬉しくてたまりません。一部ご紹介します。

・人を大事にしない社会をまともにするには、高知で自分らが何をしていくかが、これから大事やと思った。(50代男性)
・80万県民、海、山、川、地下資源豊富です。アイスランドと同じ高知県をつくりたいものです。全国で高知県が最初の教訓をつくるのではないでしょうか。(80代以上男性)
・要は私たち人間だという先生のお考えに共感いたします。お話いただいたような私たちの社会を造りたいと思いますね。良いお話でした。(50代女性)
・ひとり一人の可能性をひきだす社会に向けて、高知を改革していく必要を感じました。ふだんのモヤモヤに、提言をいただいた感じです。良かったです。(60代女性)
・「きちっと分析して目標を立ててやれば、財産である個々の人間の支え合いで地域を変えることができるんだ」という話にハッとしました。くるくる変わる国の施策に踊らされて、何も見据えようとしてないことに気づきました。(50代女性)
・「私たちの財産は私たち自身である」官民ともにそのような社会づくりをしないといけないと感じました。「ちゃんとしたプランをもって変えていく。」分かるのですが、私自身一歩が出せない。自分自身をまだ財産として見れていない。強い権力には弱い自分を感じます。(50代女性)
・高知の特色は「人間」というお話が印象に残った。いまの社会がいかに不自然な社会であるかということに改めて気づかされ、「今ここで生きている人が幸せに生きている」ということがいかに大事かと気づかされました。(50代男性)
・高知県でできることを考えることは参考になりました。でも、私たちは昔から変わらない社会のしくみの中で生かされている、そのことに今怒らなければならないのに何も言わない、情けない自分があります。(60代女性)
・日本社会の抑うつ気分がどこからくるのか、日本人はどのように追いつめられているのか、よくわかりました。(50代女性)
・欧米文化へのコンプレックスをてこに、私どもの今日がいまも生き続けていることを教えていただきました。けれども、チロルの村々、アイスランドの話を伺って、希望を持ちました。にもかかわらず、天皇制をしいた明治の維持ということを改めて思い返しています。(80代以上女性)
・野田さんのお考えにとても共感するものがあります。新聞記事は必ず読んでいます。近代史について知らないことがたくさんあったので、人物伝など読んでみます。(50代女性)
・きょうは目からウロコのお話ばかりでした。この夏アイスランドに足を運んでみたいと思いました。高知の自殺者は娘や息子に迷惑をかけないために死ぬ、3世代世帯の人が多いと聞いて、まさに自らをゼロに考える人だと思いました。(20代女性)
                                   (土といのち9月号掲載)  

2006年06月23日

グァテマラの女性たち

 グァテマラの先住民族のいのちと暮らしは、途上国のほかの国々と同様、大国の謀略により長らく脅かされ続けてきました。
 6月22日の夜、連れ合いを奪われた女性たちの会”コナビグア”のアナ・ペレスさんのお話を、全国ツアー中の高知市内で聴きました。
 グァテマラは、メキシコの南隣に位置して北海道と四国を合わせたくらいの広さ、人口約1300万人でその6割がマヤ先住民族です。もっとも簡単に「マヤ」 と言っても、その使用言語は24もあり、色彩豊かな女性の衣装もそれぞれ村によって模様も色調も違うそうです。
 500年以上も昔、スペインに侵略されて以来ずっと、グァテマラはいまだに負の歴史が続いています。この国の内戦が終わったのは96年の12月、それから10年が経過しました。
 ”コナビグア”が設立されたのは1988年。内戦と軍による弾圧の中で、連れ合いを殺害されたり行方不明にされた女性、また農園での重労働によって連れ合いが病死した女性、「何もできない」と周囲も自分たちも思い込まされてきた女性たちが集まりました。全国規模のマヤ先住民族女性の組織は初めてです。”コナビグア”は、内戦中に政府軍による「ゲリラ掃討作戦」でマヤ先住民族が多く住む地域が壊滅させられたことなどを人権侵害として告発。あるいは、男性優位主義の続くなか、マヤ女性の権利とアイデンティティーを確立するために識字教育や政治参加を呼びかけています。でも現実はきびしく、マヤ先住民族の識字率は52.3%、マヤ女性はさらに低いでしょう。さらに、マヤ先住民族の貧困率は77.3%ですから、マヤの女の子が教育を受けるチャンスはきわめて低いのです。
  ”コナビグア”は、マヤ共同体の回復、マヤ文化の回復、ひいては奪われた尊厳の回復をめざして活動しています。私たちも、できることから応援したいですね。私は、この夜、日本の絣に似た藍色のイカット織のもんぺを2500円で購入。「私たちは同じモンゴロイド、着るものも似てるね」と言って、アナ・ペレスさんとハグしました。私たちはみな、仲間なのです。(造形通信7月号 寄稿)

グァテマラ生産者支援ネットワーク「みるぱ」:0889−34−3696(栗田さん)  

2006年05月24日

憲法改悪にものもうす

 5月13日、高新文化ホールで、品川正治さんの講演『憲法改悪にものもうす』を、サロン金曜日@高知主催で開催した。
 品川さんは1924年生まれ。損保会社の社長、会長を経て、経済同友会終身幹事。現在「世界中で一番困っている人々を助ける」国際開発センター所長。
 戦時中の旧制高等学校で品川さんは「どう生きればいいか」と、苦行僧のような学業をした。1944年徴兵され中国戦線で迫撃砲を4発受け負傷、右足には今も銃弾が残っている。

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 1945年8月15日終戦。俘虜収容所で、「終戦」ではなくなぜ「敗戦」と言えないか大論争になった。中国大陸でつらい目にあった。もう二度と戦争はしない。政府とは違う意味で「終戦」と言おうと一致した。
 戦争放棄をうたった憲法草案に、歓呼の声をあげた。これは、アジアへの贖罪になる、と。
 憲法9条第2項により、60年間、ただ1人の外国人も殺さなかった。軍需産業を産業構造にもたない国家が経済成長を遂げた。
 しかし、支配政党は「もう二度と戦争はしない」と考えてはいない。自衛隊をもった。自衛隊をイラクに送った。憲法9条第2項は、もうボロボロの旗になったかのようだ。
 しかし、この旗竿を離してはならない。憲法9条第2項は、正義の戦争をふくめ戦争そのものを否定している。世界にはほかには無い。この旗竿を離してしまえば、戦争放棄という考え方そのものが世界から消える。
 憲法9条第2項は、21世紀には世界で普遍的価値をもつであろう。

 平和憲法をもつ国としての、経済、外交があるはずだ。
 憲法改悪に国民が『ノー!」と言えば、支配者のしてきたことの否定になる。
 憲法改悪に国民が『ノー!」と言うことが、外交になる。
 日本は国民主権の国。逃げ口上は許されない。
 世界史的運動の自覚を!!

参考文献:『世界』6月号「私たちはどのような社会・国家をめざすべきか」対談 河野洋平vs品川正治   

なぜ 宿毛にイージス艦?

 5月20、21日、原水爆禁止四国大会が高知城ホールでありました。
 その基調講演で、イージス艦の宿毛寄港の背景にある米軍再編の実態を紹介していました。
 イージス艦は核兵器を搭載できることから、非核港湾化を決めた高知県ではとくに問題になっています。でも、事態はもっと深刻です。背景には、米軍再編があり、日本をまるごと基地にしようという企みがあります。宿毛港以前に、1〜2月名古屋港、2月室蘭港、長崎港、鹿児島港、4月秋田港、5月和歌山港、静岡清水港にすでに米軍艦が寄港しています。軍艦が「乗組員の休養と国際親善のために」寄港するなどというのは表向きの口実で、実態は、戦争のとき利用しやすい横須賀以外の港探しのために日本中の出入りしやすい港を調査中なのです。
 もう、日本まるごと米軍基地化は秒読み段階です。現に、山口県の岩国基地は、政府が「騒音対策のために」という口実で2400億円もかけて滑走路を広くしています。でも、これは基地機能の強化であり、厚木基地の2km内にいた赤ちゃんがひきつけを起こすほどの凄まじい騒音を出し続ける空母離着艦技術、米軍パイロットの急降下急上昇訓練も想定されています。岩国基地は、米軍再編により120機ものジェット戦闘機が配備され、アジア最大の米軍基地となる見通しです。ほとんどの岩国市民が住民投票で「ノー!」と怒りの意思表示をしたのは当然ですね。
 高知県民もひとごとではありません。すでに、岩国から発進した戦闘機は、土佐清水市沖の太平洋上で戦闘訓練をしています。
 戦争をできる国にするため憲法9条を改悪し、黙って国のために従う国民を育てるために教育基本法を改悪し、国のやり方に抵抗する市民を弾圧するために共謀罪を法律で決めようとしている、そんな政府のやり方を、黙って見過ごしていていいのでしょうか。私たちはみな、この国の主権者のはずです。(造形通信6月号投稿)
参考図書:江畑謙介『米軍再編』  

2006年05月05日

なぜ怒らないのか

 野田正彰さん紹介(3) なぜ怒らないのか

 7月20日(木)夕方、野田正彰さんの講演会を「NPO法人 土といのち」と「平和を考える市民セミナー」共催で行ないます。次回の打ち合わせは、5月11日夕方です。準備から参加されたい方は、どうぞお越しください。
 野田正彰さんは、1944年高知市の生まれ。精神科医で、日本の現代社会のかかえる問題の根っこを、文化的側面、精神病理学的側面から鋭く分析。高知には野田さんファンが多いですね。
 今回は、数多くの著作の中から『なぜ怒らないのか』と『災害救援』とを重ねて、ご紹介します。
              **********
 自然災害が起こったとき、原因は常ならぬ自然現象であるからと(1)仕方ないとあきらめる、(2)専門分野ごとにもっともなことを提案する、(3)人間のおごりに対する天の怒りと教訓をたれ納得する、こんな態度でいいのか。・・・すべて異常な自然現象が原因なら、老人がこんなにも多く死んでいくはずがないではないか。土砂崩れになりやすい所、浸水しやすい土地、壊れやすい家に住んでいたと考えるべきでないのか。どうして怒らないのだろう、樹木を伐り、山を荒らし、山野の貯水力をなくしてきた政府や企業を。崩れやすい所、地盤の弱い所に家を建てさせてきた行政を。真新しい作業服と長靴で現地を視察する政治家をなぜ怒らないのか。「金一封」で民の不幸を愁える権力者をありがたがっていた時代と、どれだけ違っているのか。なぜこんな政治を許しているのか、どうして私たちは怒らないのだろうか。
 阪神大震災でも、天災を人災に変えた都市建設、産業、行政に対する怒りの表明はきわめて少なかった。当然あってしかるべき怒りを、天命論にそらしていくのが日本的なのであろう。だが、怒るべきときにきちっと怒るのは重要なことだ。その怒りが、持続する検証によってするどい批判であり続けてほしい。
 首藤信彦・東海大学教授は「行政側は、過去に被害を受けたり、消防車が1台も入れない地区はどこか、ちゃんと知っている。それなのに住民に不安を与え、地価が下がると懸念して、知らせていない。住民はどこに危険があるかわからないから危機管理ができない。それを避けるには、被災者が政治や行政に徹底的に責任を取らせること。国や自治体の役人を相手取って損害賠償請求訴訟を起こすといい。・・・巨額の賠償金を払うくらいなら、事前対策に財源と人材をつぎこんだ方がいいということになる」と主張している。しかし、残念ながら日本の司法はそうなっていない。裁判官に損害賠償請求訴訟を起こしたいほどに、行政側の立場に立っている。
 大災害のたびに、政府の無能と国民の政治を育てる力の欠如をさらけだし、にもかかわらず黙々と不幸に耐える人々の姿に感心される社会。建物の復興はすばやいが、人と人との関係は貧しい社会。また、不幸のたびに自分の不運を嘆き、人間に不信をいだいて後の人生を生きていく多くの人々が残される社会。こんな社会を、健康な社会と言えるだろうか。豊かな社会と呼べるだろうか。  (土といのち 6月号掲載)

引用文献:『なぜ怒らないのか』みすず書房 2005、『災害救援』岩波新書 1995
NPO法人「土といのち」URL: http://www15.ocn.ne.jp/~tuchi/index.html  

させられる教育

 野田正彰さん紹介(2) させられる教育


 今回は、12月にあった講演『教育があぶない!ー子どもの問題、親の課題ー』を、ご紹介します。

 いま、教育基本法を解体しようとする動きが進行している。
 昭和22年に文部省がつくった教育基本法は、憲法の「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする」理想を実現するための教育のありかたが明示された。つまり、「平和主義」と「個人の尊厳」という、憲法の中核をなす2つの価値を実現する手段として教育を位置づけた。戦前のあり方を反省し、これをくりかえさぬ、という意思がつよくつらぬかれている。ところがいま、教育基本法の教育の目的から「平和的な国家および社会の形成者として」、「個人の価値をたっとび」を削除し、前文に「愛国心」を入れようとしている。
 また、教育現場では、文部行政による形式的管理が進行している。「日の丸・君が代」の強制ばかりでなく、週案、指導案、評価表など抑圧の書式化の強制と処分がある。他者の欠点の指摘は対話によってのみ意味をもつが、評価表が標準化すると、自分と他者を評価表と評価項目で見るようになり、そこでは教育のもつ人と人の関係性ややわらかさが失われ、評価が関係性や全体性にとってかわる。教育と強制は最も対極にあるが、こうして現場の教師たちは、精神の自由を剥奪されていく。
                                                              (土といのち 5月号掲載)

参考文献:『させられる教育』岩波書店、2002  

この社会の歪みについて

 野田正彰さん紹介(1) この社会の歪みについて

 7月20日(木)夕方、野田正彰さんの講演会を予定しています。そこで、野田正彰さんを毎月ご紹介します。野田さんは、1944年高知市の生まれ。精神科医で、日本の現代社会のかかえる問題の根っこを、文化的側面、精神病理学的側面から鋭く分析。氏のコラムが高知新聞に掲載されるたびに「そうだ、そうだ、よくぞ書いてくださった」と私はうなずきます。高知には野田さんファンが多いですね。
 今回は、12月にあった講演『教育があぶない!ー子どもの問題、親の課題ー』を、ご紹介します。

 いまの子どもは、「少子化」と「情報化」という2つの問題をかかえている。
 「少子化」により、母子密着度が高まり、もつれ合って育つ兄弟関係が稀薄となった。親は「友だちとは仲良く」しかも「負けたらダメ」と矛盾したことを言う。その結果、子どもは本当の感情を表現できず、表面上の仲良しを続けられるよう我慢に我慢を重ねる。摩擦を避けているから想像上の友だちをつくる。関係性が乏しいから、朝シャンや手洗いなど自分を縛る儀式をつくる。こうして、いい子を装う現実世界と自己中心的なファンタジーの世界とが部分的に重なり合う精神構造を形成した。そして、我慢が限界にきたらキレてもいいんだ、となった。
 さらに、子どもたちから曖昧な時間が奪われて外で遊ばなくなり、自分のスケジュールで動くようになったとき、細切れの時間にゲームやファミコンなど日本的「情報化」がしのびこんだ。本来「情報化」は開かれた社会をつくることが目的だが、日本の場合、自分に閉じこもる、孤立した「情報化」が進んだ。
 こうした現代社会にあって親にできることは、不安を増幅する競争社会ではなく、人間関係をゆたかにする社会をめざすこと。親子の関係性を築くこと。とりあえず、操作的にならずに考えていることや意見を子どもに伝え「あなたはどう思うか?」と対話をすること。子どもが社会について考えることや「〜したい」と思うことを尊重し、子どもの成長を心から喜ぶこと。決めつけ、おしつけないこと。自立した人格として子どもを認めること。  (土といのち 4月号掲載)

参考文献:『この社会の歪みについてー自閉する青年、疲弊する大人ー』ユビキタスタジオ、2005