2006年07月26日

戦争と罪責

 野田正彰さん紹介(5) 戦争と罪責

 いよいよ迫ってまいりました。7月20日(木)6時半から、「NPO法人 土といのち」と「平和を考える市民セミナー」の共催で、野田正彰さんの講演会を行ないます。前売券の手配はおすみですか。
 野田正彰さんは、高知出身の気骨あるかたです。高知新聞に坂東真砂子さんとの対談、7月6日夕刊には連載2回目が掲載されましたね。現在、関西学院大学教授として、阪神大震災を通して「豊かな国・日本」における災害のもたらす孤独死や住居も職もうしなう側面をとりあげるシンポジウム、広島・長崎から発信する平和学など、この社会特有の問題の根っこを分析する取り組みをされています。 
 講演会でも、この社会の今を語っていただけると思います。講演に耳を傾けることで、私たちの目の前に現実にある問題と私たち自身の内面に眼を向け、ひとつひとつ解決していく方向性を探れたら、と願っています。そして、これ以上、この社会を悪くしないために、市民として私たちに何ができるか、何から始めればいいか、ご一緒に考えたいと思います。

 今回は、数多くの著作の中から『戦争と罪責』、『対論・日本のマスメディアと私たち』を重ねて、ご紹介します。

              **********

 確かに戦争は半世紀も昔の出来事となり、核兵器廃絶を願う平和運動はある。だが、個人を尊重せず、集団に過剰適応しつつ競争心を抱き、上下の関係にこだわる文化はそのままだ。・・・人間性を奪い、業績や昇進へと駆りたてる文化は変わらない。・・・被抑圧者の苦しみに無感覚だった侵略戦争時(1931年の満州事変から終戦までの15年戦争期)の日本人の精神と、どれだけ違っているといえるだろうか。人々を幼少時から競わせ、羨望と屈辱の関門で攻撃心を高めさせ、それを組織された力に変えるメカニズムは同じではないか。・・・いつしか私は、侵略戦争を直視せず、どのような戦争犯罪を重ねたかを検証せず、否認と忘却によって処理しようする身構えが、いかに私たちの文化を貧しくしてきたか、考察してみたいと思うようになっていた。それも、罪の自覚と共に戦後を生きてきた少数者の精神を通して、多数者の影を浮き上がらせてみたいと考えたのである。・・・こうして私は、貴重な罪の意識を求めて、砂金洗いのような聞き取りを始めた。・・・戦争にかかわった日本人の罪の意識を掘りおこし、その分析を精緻に行なうことによって、私たちは二十世紀の意味をアジアの人々に伝えられる。今なお残された罪の意識こそは、私たちの貴重な文化であり、罪の意識を抑圧してきた日本文化のあり方を通して、私たちは自分の内面の顔を知ることができる。(ここまで『戦争と罪責』より)
 話をイラクにつなげますと、こういう危機的な状況のなかでは、体制順応的な人々は、アメリカとの安保体制を補完しながら日本は生きていくしかないと考えています。そのために愛国心と国家主義の枠のなかに若者を縛りこんでいくのが一番いいと、いつも国家志向の発想から考えている。けれど、若者たちの精神状態は、砂のようにばらばらで乾いていますし、人間関係も稀薄になっています。・・・日本の近代では「絶対矛盾の自己同一」なんていうことを平気で考えた。日本的国粋主義なのに、米軍の基地があるのはおかしいのではと指摘しても、何を言われているかわからないでしょう。(笑い)・・・社会が抑圧をかけているときは、その抑圧を分析し戦うなかでしか、治らないのですよ。  (ここまで『対論・日本のマスメディアと私たち』より)      (土といのち8月号掲載)

引用文献:『戦争と罪責』岩波書店 1998、野田正彰×浅野健一『対論・日本のマスメディアと私たち』晃洋書房 2005
参考文献:浅野健一『天皇の記者たち 大新聞のアジア侵略』株式会社スリーエーネットワーク 1997

この記事へのトラックバックURL