2006年09月17日

梼原町からのメール

支援してくださっている皆様へ

 昨夜は、大変お忙しい中、また遠方のところ、小出先生の講演会にお越しいただき、本当にありがとうございました。いつもメールで励ましていただいている皆様とお目にかかることができ、とてもうれしかったです。あわただしくゆっくりとお話しすることができず、残念でしたが、講演会の様子とその後の石尾さん、小出先生との懇親の場の報告も含め、メールさせていただきます。

 空港で小出先生をお迎えし、休んでいただく間もなく、会場にお運びいただきました。小出先生が「このことを(町執行部や議員だけでなく)みんなで議論できるようになったことは、もう勝ったようなものですよ、まあ最後まで油断はできませんけどね」とおっしゃっられ、援軍を得たような安堵の思いがしました。
 昨夜の講演会の参加人数は正確には把握できていませんが、用意した資料300部、あわてて追加した80部がすべて出てしまいました。会場が手狭で、ホールから聴衆の皆さんがあふれてしまい、ご迷惑をかけました。
 講演は、すばらしいもので、小出先生と岡山の「放射能のごみはいらない!県条例を求める会」の石尾さんが、明快でわかりやすくご説明いただきました。’68に小出先生がこれからの原子力に夢をもって大学にお入りになり、その後、日本の原子力政策の危険性を指摘するお立場になられたことに胸が痛むような思いでした。橋本知事の「地方を疲弊させた上、札束をばらまくような国の原子力政策を考え直すべき」という先日の発言もスライドに取り入れて、先生も同感であることをタイミングよく地元に伝えてくださって、聴衆の皆さんが「おお」と声を上げていました。
 石尾さんや岐阜の仲間の方が最高裁まで争い、情報公開にこぎつけ、また、高額の手数料を支払う羽目になられたりした貴重な資料を、会場で初公開してくださり、予定地の鈴が森は地元に無断で行なわれた調査で「不適」となっていることを説明いただき、えーっという声が聴衆から聞かれました。旧動燃と国が処理場建設を前提にした調査を地元に情報公開せずに水面下で実施していたこと、しかもその結果、処理場として適さないとされている鈴が森なのに、津野町に応募を持ちかけたのは国・原環機構の欺瞞ではないかと感じました。こういった情報を公開してくださった勇気に本当に頭が下がるとともに、地元外の皆様の根気強い努力が、私たち地元を守ってくれていることに、感謝の思いでいっぱいになりました。資料を200部もご用意いただき、また、大きく複写したものも展示してくださって本当にお世話になりました。須崎市議会の方など、資料が回らなかった方たちからぜひほしいと言われていますので、またよろしければこちらでコピーを回させていただきます。
 また、石尾さんが、廃棄物処理場をはねつけ、町おこしに転じた上五島の例も紹介してくださり、津野町のこれからの方向にも示唆をくれていました。あとで伺うと橋本知事が「反対する動きにも《単に危険だではなく、もっと地域に密着したまちづくりの提案が必要だ》と注文を付け、原子力政策や地域づくりを総合的に検討した議論が不可欠との考えを強調した。」との報道を大事に受け止めてとのこととお聞きし、きめ細かい配慮に感心させられました。
 ある実行委員さんが、「放射能が永久に漏れることのない完璧な容器に入れて埋設するのなら、埋めてもいいのではないか、そこのところがよくわからなかったが、小出先生はどう考えられますか?」と質問に立たれました。ご自分はもちろん、どんな地殻変動や地下水にも耐え、放射能が永久に漏れないような容器はありえないと考えておられるのですが、聴衆の皆さんが原環機構に「十分な容器に守られているから埋めても大丈夫」と聞かされていることを小出先生の口から覆していただくために、あえてなさった質問でした。聴衆の中には「そんな完全な容器なんかあるわけない・・・」とその質問に反発する声も聞こえていましたが、小出先生の発言を引き出すために自分を捨ててあえて質問した勇気と知恵に大きな拍手を送りたいと思います。この方はまた、資金的にも大きな貢献をしてくれているそうです。
 聴衆のみなさんは熱心に聞いてくださって、津野町の方から下記のような感想が寄せられていますので紹介します。

わかりやすいお話でした。あらためて核の恐ろしさを学びました。津野町に持ち込まないため、原子力発電をやめていく1歩をここから踏み出して行けたらと思います。

小出先生のお話、良くわかりました。恐ろしく身震いする気持ちです。津野町の住民としてほんとに恥ずかしく思います。絶対反対していきます。よろしくお願いいたします。津野町姫野々主婦

限りなく愛する郷土に高レベルの放射物質を導入することは子々孫々まで百年の恨みを残すと思います。私たちの時代にこれを許すことはできません。原子力の本当の怖さが身に沁みた思いです。

高レベル放射性廃棄物処分場を津野町に、四国に絶対作ってはいけない。よく分かりました。町民がぜったいはんたいしなくてはいけない。

 講演会には推進派の津野町議員の方も何人か来ていただいていました。また、近隣の市町村からの議員も多く来ていました。(四国電力から数名私服姿で来られる予定だとも聞いています。)

 ある方の表現によると「鬼瓦のような」表情で講演を聞いていた推進派の津野町のある議員が、「文献調査などわざわざこれから行なわなくても、何年も前にすでに旧動燃が秘密裏に三菱金属(株)にさせていて、しかも鈴が森は、断層だらけの砂岩で、水資源の点、上流まで集落が存在する点で処分場として不適との調査結果となっている」と当の資料も提示しながら石尾さんが指摘されたのを聞かれた瞬間、さっと顔色が変わられたそうです。おそらく原環機構からはそんな情報は聞いておらず、欺かれたと気づかれたのではないでしょうか?その後、石尾さんの方にその議員から、直接説明に来てほしいと申し入れがあったそうです。別の推進派の議員は「これからは村おこしで行きます」と発言されたそうです。

 講演会はおかげさまで成功裏に終えることができました。実行委員会が手弁当でここまでこぎつけることが出来たのも支援してくださる皆様のお力のおかげです。一連のことに携わらせていただいて感じることは、「住民」のパワーと支援の「水平ネットワーク」の存在のすばらしさです。 そして、取り組みが正しければ、結果はきっと付いてくるという懇親会での石尾さんの言葉に深く動かされました。よく勉強され、努力され、高いモチベーションを保って「官」ではない新しい「公共」のためにいきいきと働いておられる皆さまとおつきあいさせていただき、私もそうありたいなと強く思いました。

 降って沸いたこの問題に夢中になってしまったこの2週間でした。処理場誘致に待ったをかける方たちが地元で大きな潮流になってきたのを見届けることができましたので、これからは本業の方とのバランスをもっと取って短距離からマラソンに切り替えて取り組んでゆこうと考えています。

 本当にありがとうございました。

追伸 

「DAYS JAPAN」 http://www.daysjapan.net/ という写真報道家の広河隆一さんが中心となって発行しているフォトジャーナリズムの月刊誌の編集部の方がブログを見て寄稿依頼をくれました。その時々に起こっている問題を現地の人に報告してもらう「現場から」というコラムで、周辺に生活する地元住民という立場から「四万十川の核廃棄物処理施設について」書いてほしいとのことです。山下さんが書いてくれることになりましたので、報告します。10月20日発売の11月号に掲載との事です。

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